老婆の女神は死に、私はこの世界で再び、孤独の身となった。
「さて」
死体になれば、神だろうと天女だろうと、ただの人にしか見えないものだ。
惨殺された老婆。私が人間だった頃の感覚からすれば、とても見ていられない光景である。
しかし数十万年もの時を生き、様々な生き物を捌き、研究材料として扱ってきた今の私には、こうして地面に転がる肉塊も、まだ赤みを残した鮮血も、ただの“素材”としか映らない。
冷血で結構。だって、そもそも私には血が流れていないのだから。
「陸地を壊す悪魔が消えたと思って、前向きにやっていこうかな」
謎は残る。だがその疑問が解決する見込みは無い。ならば、気にする必要はないだろう。
私は老婆のパーツを抱え、最寄りの拠点に向かって歩き出した。
早速鍋で溶かし込み、触媒魔術などの研究などに使おうと思う。
石の釜と、石の匙。研究材料に用いる道具は、全て手作りだ。時に偶然手に入った金属で削ったり、魔術で整形したり。
私の触媒魔術は、現代の日本では考えられないほどの労力によって行われている。
実際の所は火加減を見て材料を液体と共に加熱するだけなのだが、なにせこの地球上には燃料が存在しないので、それも一苦労だ。
侮る無かれ、カンブリア紀。
まだこの地上には、一切の植物が存在せず、続く景色はひたすらに岩地のみなのだ。できるものなら素手によって伐採でもなんでもするつもりだが、生えていないのでは話にならぬ。
そして生物の死骸が水底に堆積して……という一連の出来事すらもまだ起こっていないために、この世界には、化石燃料というものも存在しない。
だから、火属性の魔術を修得するまでは、本当に大変だったのである。
「“青い火種”」
私が魔力無しで風呂に入れるのは、果たして何時頃になるだろうか。
どう考えても温泉の方が早いんだろうけどね。
軽いどころのスプラッタではないので、女神の生体素材の加工内容について詳しくは語らないが、とりあえず日本人が当然の知識として有している範囲で、様々なものを分けたとだけ言っておこう。
私はこの女神……と呼称してはいるものの、彼女が何者かすら、未だよくわかっていない。
神というのもほとんど私の主観であり、そうだと名乗りを聞いたわけでもない。
しかし、やはりただの人間ではないようで、捌いている間にも、すぐにおかしな点は見つかった。
「ふむ」
まず、ピリピリする。刺激物云々というわけではない。女神の遺骸は死して尚、何らかの力の残滓を持っているらしく、それが接触している私の肌を刺激しているのだ。
感覚の目を凝らして、その力の正体を探ってみるものの、どうも判然としない。
魔力のようにも見えるのだが、月の魔力でもなければ、精霊(属性)の魔力というわけでもないようだ。
おそらくそれらとは違うエネルギーなのかもしれない。
彼女は、神、のような生物だった。ならば、神の力、神力なるものを持っていたとしても不思議ではないだろう。
そう思い当たってみれば、ふむ、どこかこの力は、私が内側に持つ“原初の力”と似ているようにも感じられる。
「彼女は、この笏で力を操っていたようだが……」
四角に整えた岩の上に乗せた笏に目をやり、私は考えこむ。
女神を回収した私は、当然、彼女が右手で扱っていた笏のようなものも手に入れている。
笏は三十センチほどの大きさで、材質はものすごくキメの細かい木材のようにも見えるが、感触や質感などはプラスチックに近く、不明。
同様に、女神の纏っていた衣服や羽衣のような品々に関しても、材料は不明である。
こちらはおそらく唯一無二、これから手に入らないであろう物なので、触媒にする予定は基本的に無い。
「彼女が原初の力を操っていたのであれば、私に使えてもおかしくはないのだが」
私は女神の笏を手に取り、握ってみた。
同時に魔力を纏ったり、魔力を通したりと、色々とアクションを試みるのだが、手に持ったそれがよりしっくりと来るわけでも、なければ、笏がキラーンと輝くわけでもなかった。
これは、笏が女神にしか扱えないものであるためなのか、それとも、女神の持つ力が、私には存在しないものなのか……。
「……いや、諦めるにはまだ早い」
私は頭を振って、後ろ向きな考えを否定する。
諦めていては、研究などできやしない。
例え人間にはできないような途方も無い奇跡であったとしても、私はもはや人間ではないのだ。躊躇する理由など、ありはしないはずである。
私は長い年月をかけたが、ちゃんと魔術を習得した。人には不可能であろうと、幻想であろうと思っていたその力を、自力で切り開いた。
ならば、この女神が持った不可思議な力でさえ、私は習得できるに違いないのだ。
私には、おそらく神々をも超えた時間がある。その時間をつぎ込みさえすれば、神の力であろうとも、再現は不可能とは言い切れない。
「よし」
また、目下の目標がひとつできた。
未来の平穏を夢見るために、手近なところから片付けていこうではないか。