此度の取引は、魔界産大判上質紙五十枚で成立した。
樹の枝一本に対し、樹木ほとんど一本分の紙との取引である。これが損か得かは、まだわからない。
「全ては、この枝を詳しく調べてみてからだな」
クベーラから買い取った、不思議な枝。
一見するとただの枝だが、こんな植物は見たことがないし、いてたまるものでもない。
何者かが人為的に、高度な技術で作り上げたものであろう。
「クベーラ、最後にちょっとだけ聞いて良いだろうか」
「うむ? なんだ、どうした」
クベーラは他にも取引があるということで、すぐに魔界を離れるつもりらしい。
今回手に入れた紙だけで満足したようだ。彼の審美眼の基準がよくわからない。
だがいなくなってしまう前に、聞いておくべきことがある。
「この枝は、一体どこで手に入れた物? 誰が作ったか、わかる?」
辺境とは聞いた。だが、具体的にどこかは聞いていない。こいつの製作者の名も。
「ああ、そりゃあ高天原のものだな」
クベーラは特に考える素振りもせず、即答した。
高天原。聞いたことがあるぞ。
「辺境だが、最近は格の高い者達が現れたのか、勢力が拡大している。ちょっと前から、地上に陸地まで作っているからな。大方、そちらに勢力のいくつかを移住させるつもりなんだろう」
「ほほう……陸地を作るなんて、それはまた実に神らしい……」
「ああ。イザナギだかイザナミだかいうやつらが産んだのだとさ。けどまぁ大きさで言えば……どうした?」
「ライオネル? どうされました?」
あかん、思わずのけぞって頭だけでブリッジしてしまったよ。
い、イザナギとイザナミだって? 日本神話の世界じゃないか……。
流石の私でもその名前くらいは知ってるぞ……。
……ま、まてよ。ということは高天原って……やっぱり神の国か。
それも、日本の神々の住まう国ってこと。
っそいてイザナギとイザナミが陸地を作ったってことは……日本ができたってことか?
いや、作っていると言ってるし、途中か……?
「な、なんでもない。ちょっと魔力酔いしただけだから」
「そうか。魔界人も大変らしいな」
……日本か。いや、大和と言うべきなのだろうか。わからん。今は日本の、どのくらいなのだろう。
いやいや違う、思考を逸らすな。今の問題はそこではない。
「クベーラ、その、高天原の誰が、この枝を?」
「……ライオネル、ひとつ忠告しておくぞ」
私が気を取り直して尋ねると、クベーラは急に真剣な面持ちとなり、私を真っ直ぐに見据えてきた。
「高天原へ、その者を訪ねようと考えているのなら……それだけはやめておけ」
なんでバレた。いや、それよりも。
「何故?」
「都合が悪いのだ。あの派閥は、穢れや呪術に対しては、特にうるさい」
「……魔界に対して、あまり良い印象を持っていない?」
「ああ。向こうのイザナギという権力者が、穢れや呪いを嫌っている。疑わしきものは近づくだけで射られてしまうだろうよ。実際、俺も悲惨な目に遭いかけた」
射るって、また弓みたいな……いや、本当に弓なのかもしれないな。
そして、ただの弓でもないのだろう。
クベーラもそんな場所を訪れてしまうのだから、よくやるよ。
……けど、参ったな。
それだと、魔界出身の私は高天原に行けない、ということになるわけか……それは困る。
製作者に会い、枝の具体的な使用法や、どこで行き詰まっているのか、どのような場面で使うのかを聞きたかったのだが……。
「一応、作った奴なら知っている。確か、“ヤゴコロ”という女だった」
ヤゴコロ。
「だが、くれぐれも直接訪れるのはやめておくことだ。魔界と天界を巻き込むような、大きな抗争になりかねんからな」
彼は私に脅すわけではない、単純に釘を刺すような意味で、そう言った。
「……わかったよ。ありがとう、クベーラ」
「うむ。神綺よ、くれぐれも、頼んだぞ」
「まぁ、はい」
直接赴くことはできない。
又聞きで、見知らぬ私が研究成果を聞き出すようなことも難しいだろう。
だが、ヤゴコロ。
私はその名を知っている。
サリエルが口にしていた神族の名がそれだった。
日本の神族の一人、ヤゴコロ。
……興味深い枝のこともある。コンタクトが取れないからと諦めるのは、早計だ。