東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「オーレウス、本当にここから探しても良いのかい。すごい埃だけど……」

「ああ、構わんよ。ワシもそこに何があるかは忘れてしまってな。もしかしたら、対価となり得る何かが出てくるやもしれん」

 

 きっかけは、そんなやり取りであった。

 オーレウスの住まう家の隅に置かれた、古びた戸棚。

 

 ここを開いたことにより、私の中で全ての謎が噛み合ったのだ。

 

 

 

 オーレウスは遥か昔、地上へ堕とされた当時から、地上の環境によって起こる“必滅の病”の研究を行っていたらしい。

 これは、オーレウス彼自身から聞いたことではない。

 私が彼に渡した小瓶の代わりにと、彼の戸棚から探し出した、古い皮製の手記に書かれていた事から判明したものである。

 

 

 

 手記によれば、彼は地上に堕ちてすぐに自身に起こった老化の異常を察知した。

 自らの身体が老い、数十年単位でゆっくりと衰えてゆく緊張感が事細かに綴られている。

 そのため、これではまずいと、彼は対策に乗り出したのだそうだ。

 

 老化の速度が、その神族の神格や存在がどれだけの者に認知されているかが深く関わっている、というような推測。

 現在の魔力増幅薬へ至るまでの延命法の試行錯誤が。

 皮製の紙には、小さな文字がびっしりと綴られている。

 

 それ以降も、様々な媒体に研究結果を綴り保管していたのだろう。古い棚からは、同じような手記がまとめて見つかった。

 

 地上へ堕ちて数千年。

 オーレウスは優秀な頭脳で様々な延命手段を講じたが、天界にいた頃のような無尽蔵の命を手にする策は見つからなかった。

 外敵の居ない土地を探し、秘薬の原料となる植物が自生する山林を探し、魔術の研究を続け……。

 それでも彼は、着実に老い続けた。

 金髪は銀に染まり、皺は深く刻まれ、身体能力は低下してゆく。

 

 

 

 しかしそんな中、彼は打開策を見つけた。

 つい最近、およそ数百年ほど前のことである。彼は老衰によって死ぬ前に、どうにか自身の命を永らえる魔法を発見し、自らに施すことができたのだ。

 

 それは決して剥がれることのない、呪いにも似た魔法。

 自らの不要な記憶や思い出を代償に、肉体的な衰えの“記憶”をも一緒に忘れ去る魔法。

 異なる二つの“記憶”を擦り合わせることで、自らの成長を忘れる魔法。

 “研忘の加護”という名の魔法を、彼は編み出したのだ。

 

 この魔法によって、オーレウスは不老の身となり、現在はこの集落の長老として、皆に慕われている……というわけだ。

 

 もちろん、オーレウスが発明したこの魔法は仮の物だ。

 記憶を忘れながら生き続ける、つまりボケ続けながら生きるこの魔法を、オーレウス自身が最終形態の延命措置として認めているわけではない。欠陥品だ。

 彼はより一層、より天界にいた頃に近い、完全な長命を求めて研究を続けることにした。

 

 だが蝕まれてゆく記憶が、それを許さない。

 研忘の加護は彼の研究をことごとく阻害し、苦しめ続けた。

 それまでこつこつと積み上げ続けられたものは、少しずつ崩れてゆく砂城へと変わり、次第に魔法の知識が彼のもとから離れてゆく。

 

 オーレウスは、もはやある程度の知識を保つ以上のことは不可能だと、いつかの一枚の手記に書き殴っている。

 理性的な彼が書き残した悲痛な叫びは一枚の紙に遺され、それは棚の奥深くに封じられていたのだった。

 

 

 

「なにか、小瓶の代わりになりそうな物はあったかのう」

 

 私が部屋の隅で沢山の手記をまさぐっていると、オーレウスはガラス瓶を嬉しそうに見つめながら私ヘ呼びかけた。

 

「何分、この家も古くてな。価値のあるものが見つかれば良いのじゃが」

 

 オーレウスは、もう手記のことも覚えていない。

 断片的ないくつかの経緯や出来事は覚えているのだろう。

 

 しかし彼はもう、この手記に遺されているような悲痛な感情も、いくつかの進めかけの研究も、その記憶を生命の蝋燭の代わりに、燃やし、散らしてしまったのだ。

 

 私はこの時、何故オーレウスがあのような魔導書を作ったのかが理解できた。

 あの魔導書は、決して他人のために作ったものではない。

 彼が、自らのために、自らの魔術の歩みを忘れないためにと書き綴った、自分のための指導書であったのだ。

 

 だがオーレウスはもはや、そのようなことさえも忘れてしまったのだろう。

 集落を訪れた商人に、その場しのぎの秘薬代わりにと、魔導書を差し出してしまうほどに。

 

「……そうだな、それじゃあ、この布を貰えるかな」

「ほう、布とな。そんなものがあっただろうかの」

 

 私は古びた棚の奥にしまわれていた、ひとつの白い生地を取り出した。

 おそらくリボン程度にしかならないような小さな、白い布である。

 しかし作りは丁寧でしっかりしており、なめらかで手触りもよく、強い保護魔術も掛けられていた。

 

「ふむ、そんなものでいいなら、持っていってくれ。瓶の代わりにしては、不足だろうが……」

「いやいや、私はこれが良いんだ」

「なら、是非」

「ありがとう、オーレウス」

 

 この棚の中は、オーレウスの古い記憶を閉ざした場所だ。

 挫折の記憶と共に封じられていた、ひとつの白い布。

 私はこの小さな布に、オーレウスが遠ざけたかった強い想いと、同じくらい大切にしていたであろう何かを感じるのだ。

 もしも私がこの布を手がかりとして何かを探し出せたなら、それはもしかしたら、オーレウスのためになるのかもしれない。

 

 

 

「瓶、どうもありがとう。それと、材料探しもな。感謝しておるよ」

「こちらこそ。ここはとても静かで、良い場所だった。魔法の話も出来て、すごく有意義だった」

「ワシもだ。ありがとう、ライオネル」

 

 私とオーレウスは、固い握手を交わした。

 向こうは皺くちゃの、老いた手で。私は醜さをぐるぐる巻きに隠した、包帯だらけの手で。

 

 こうして、オーレウスの集落で過ごす時間には、ひとまずの区切りがつくこととなった。

 長いようで短い時間だったが、私は商人であるし、魔界のことを放っておくわけにもいかない。

 今回はひとまず、オーレウスの事情を沢山知ることができたので、良しとすることにした。

 

 帰り際、私は不老の魔法、“不蝕”をオーレウスに教えようかと迷ったのだが、あれは今のオーレウスが習得するには難しすぎるし、私がこの集落の神族全てにかけるというのもどうかと思ったので、やめることにした。

 軽々と不老を振り撒いて、命の尊さを悟りつつある彼らの心を歪めるのが怖かったのである。

 

「では、またな」

「うむ、また」

 

 だから、私は彼と別れ、魔界へ帰ることにした。

 神族たちの地上の集落とも、しばらくの間、お別れだ。

 

 


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