オーレウスの里。
族長がオーレウスなので、私は彼らの住まう集落を、そう呼称している。
この里はとても平和だ。
天敵らしい天敵はおらず、里の住人は誰もが平穏。
食というものそれ自体をあまり必要としない神族達は、時折果物や茶などを嗜むことはあれど、それらを断ったところで飢えることはない。
そこはある意味、地上における極楽浄土なのかもしれない。
延々と続く長い寿命。代わり映えのない、質素な生活。
ぐっすり眠り、たっぷり話し、その繰り返しだ。
それを怠惰だと思うかどうかは人によるだろう。だが私は、彼らのような生活を、非常に好ましく思っている。
日がな一日好きなことをして、明るく楽しく過ごす。それは実に、良いことではないか。
彼らの遊びといえば、棒きれに糸と針をつけただけの竿による釣りや、野花を摘んだり、立ち話をしたりというものである。
それらは全て趣味の範疇。人間であれば、採集や狩猟は糧を得るための手段であったが、彼らはそれを遊びで行っている。
遊び故に、それらは長く洗練されることもなく、形をそのままに保ったまま、今日まで続いてきたのだ。
逆境は人を育てるが、長閑な暮らしの中にいると、逆に人が育たなくなるらしい。
魔界人の物覚えの悪さも、もしかしたらそこら辺から来ているのかも。
……などと考えながら、私がこの里へやってきてから、一週間が経過した。
行商人が物を売りもせずに一週間も留まるのはどうかと思ったが、これも市場リサーチのためである。
商売相手のことを知っておかなければ、物を売る真似さえできないのだ。
「で、こっちのキノコは使えるものじゃからな」
「ふむふむ」
「頼んだぞぅ」
そういうことで、私は今、森の中でキノコ採集に勤めている。
魔法使い然とした格好に網籠を背負い、その中に色とりどりのキノコを詰めて、のっしのっしとキノコ狩りである。
オーレウスから“一緒に来ないか”と誘われてしまったのだから仕方ない。里の長の頼みだ。断れるはずもない。
この一週間はまさに採集採集と続く毎日で、来る日も来る日も、キノコや野草を引っこ抜いては研究材料としてすりおろしたり、煮詰めたりを繰り返している。
私も昔はこういった作業が得意であったが、それも随分前の話だ。今や私の知らない植物や動物や菌類が繁栄し、私の持つ触媒知識は何一つとして役に立つことがない。これだから絶滅する動植物は困るのだ。
「オーレウス、このキノコは?」
「む? おうおう、そいつは似とるがな、裏側のヒダをよく見てみなさい」
その点、オーレウスは森に関して、非常に詳しい。
彼の知識量は、まるで森の主のようである。時折物忘れにでも陥ったかのように口を半開きにして呆けることもあるが、そんな時は大判の本を開き、米粒よりも小さな文字列を読んでいくことで、どうにか思い出しているようだ。
そういった記憶力については怪しいところもあるが、基本は聡明そのものである。
「ああ、本当だ。形がちょっと違う」
「うむ、気をつけるのじゃ。それを使うと、大変なことになるからのう」
彼の書いた本を見ればわかることだが、オーレウスは実践する人だ。
何度も何度も実験と実践を繰り返し、根気よく答えを煮詰めていく。そんな人なのである。
こうして得た数々のキノコや野草の知識も、全ては経験で成り立っている。
彼は、基本的に私と同じなのだ。
「オーレウス、草の方はこれでいいかね」
「む? ……おお、ライオネルよ、お前はシダになると強いのう、どうやって見分けるんじゃ」
「はっはっは。曲線かなぁ」
まぁ、もちろん私だって負けないですけど。
辛うじていくつかの得意分野が生き残っているのだ。
オーレウスの知識への欲求は尊敬に値するが、私だって彼の知識を吸収し、自らをより優秀な魔法使いへと高めていきたいと思っている。
ここ数日、森の中で行われている採集活動には、そんな意味もあったのだ。
「はあ、大漁大漁」
「すまんの、大荷物を持たせてしまって」
「いやいや、私の身体は頑丈だから、気にしないで結構」
籠二つに様々な物を一杯になるまで詰め込んで、里へと戻る。
空も赤みが差し、もう数十分もすれば闇が訪れる時間帯だ。
私は仮面の中に小さく限定的な“月時計”を展開し、時間を確認した。
……現在、午後五時だそうです。
時間なんて見なくたって、彼ら神族はそんなもの気にして生活してないんだけどね。
「オーレウスさんおかえりー!」
「おかえり! オーレウスさん!」
「あと商売の人!」
私達が里の中へ入ると、進入時にどこかで知らせる音が鳴ったのだろう。
背の低い子供の神族たちが三人、走ってやってきた。
三人共オーレウスの脚にしがみついて、思いっきり甘えている。ちょっとうらやましいなと思った。
というか、商売の人って。
「こらこら、この人はライオネルというんじゃ。人はちゃんと名前で呼ばなければならんぞ、セラ」
「はあい」
「すげー、カゴいっぱいだ!」
「見せて見せてー!」
「ああ、ちょっとちょっと、今は駄目。崩れる、崩れるから」
そう、この里には、子供もいる。
神族が子を成すこと自体は、以前にサリエルから聞いていたので驚きはしなかったが、しかしこうして実際に見てみると、本当に子供そのものだ。
一見して、彼らがあと数年もすれば、自分の意志で自在に空を飛べるようになるのだが、とてもそうは見えない姿だ。
「ねえオーレウスさん。お母さん、この薬で治るかなぁ」
オーレウスの服の裾を握り締めた子供が、悲哀混じりの顔を彼に向けた。
「……ああ、治るとも」
オーレウスは、静かにそう呟いた。