ゆっくり浮き上がる船。こっそり忍び込んだターミナルの転送ドックで、神楽ちゃんが乗っている船を見つめる。最後に会った神楽ちゃんは「きーやん来てくれたアルか!?」と、勢いよく飛びついてきてくれた。
最後まで迷った。でも、結局、付き合ってくれた銀さんに全ての責任をなすりつけ、賞味期限切れちゃうしと、ありったけの酢昆布を渡すために会いに行った。弱いなぁーと自分を笑い、その寂しそうな顔に手を降って別れた。
そんな転送ドッグの片隅。一際騒がしい一角に視線を移す。
「神楽ちゃあああああんん!!!!! どこ行くんだァア!! あの
遠く高く伸びる鋼の壁に作り付けられた、剥き出しの
戻りつつある未来に心を緩ませる。うねり船にまとわり付く『えいりあん』を見ないようにしながら。
巨大化したえいりあんが、紫色のうねうねとした触手で船を絡めとる。バランスを崩した船は頭から壁に突っ込んだ。
脳を直接揺すぶられるかの様な激しい轟音。余りにも激しい衝撃に、ターミナル全体が揺れる。
瓦礫と、粉じんが降り注ぐ。
予想以上の光景に、やまない耳鳴りをこらえ、慌てて新八君を探す。
立ち込める煙の中見つけた新八君は、バランスを幾分崩しながらも、ちゃんと梯子に捕まっていた。
ほっと一息付き、先に行くねと心の中で声をかけ、船に跳ぶ。
星海坊主さんと離れ離れになった神楽ちゃんが一人、
「お前ら今のうち避難するヨロシ!!」
「む、無理だ。こ、腰が抜けて!!!」
「それでは、皇子。私はご両親へ皇子の最後をお伝えするという仕事があるので……これで」
「ま、待つのじゃ!! お前それでも余の部下か!」
「えええい! 離せェエエエエ!!」
必死で闘う後ろで、お互いの足を引っ張り合って、二人はコントを繰り広げる。二人なりの役割があるとは知ってはいるものの、一遍絞めておこうかという思いが
いやいや、手を出さないと決めたじゃないか。首を振り安全圏からそれをこっそり盗み見る。
「皇子危ない!!」
「危ないのはお前だあああ!!」
神楽ちゃんの傘から逃れた一本の触手が唸りを上げて、二人に迫る。細い触手は頑張れば二人でもどうにかできる様な気はするのに、お互いに相手を盾に差し出そうとするせいで、どうする事もできず……咄嗟に飛び出した神楽ちゃんが盾になり――脇腹を触手が
力を振り絞り傘でその触手を断ち切るも、痛みで顔を歪め膝をつく。
「お前らバカダロ……折角私が護ってやってるのに。早く逃げろヨ」
脇腹から血がダクダクと流れ出る。ズルリとその場に崩れ落ちた。
えいりあんは寄生型。怯える弱い二人に取り入っても無駄だと悟ったのだろうか、それ以上触手を伸ばすのを止め離れていく。ギリッと手を握りしめる。
ここで手を出したらどうなる? 星海坊主さんは神楽ちゃんの護ろうとする心を知らないまま、神楽ちゃんを連れて行く?
何も出来ない己に
どのぐらい経っただろうか……ずいぶん長い時間が過ぎた様な気がする。止血もされないまま、神楽ちゃんは血を流し続ける。
これ以上はもう……。何度そう思っただろうか、ようやく星海坊主さんがハタ皇子等を見つけ飛び込んでくる。きっともう大丈夫……肩の力をゆっくり抜き、そっとその場を後にした。
ターミナル全体に触手が巻きつき、揺れる。梯子に捕まった新八君は振り落とされそうになりながらも、必死で船に向かい、梯子を登っている。上を見上げると、触手が梯子の上を通り、船に届いていた。それを伝いこの船を目指そうというのだろうか?
近くにあった触手の表面を撫でる。引っ掛かりのない触手はツルリとしていた。
新八君は助けても大丈夫?
手を出さないことが正しいとは知っていても、不確かな予想で手を伸ばしてしまう。脳裏に浮かぶのは血を流し倒れる神楽ちゃんの姿。『贖罪』そんな言葉を思い浮かべ、自分を許すために生まれたその考えを吐き捨てる。隕石降ってこればいいのに。
「新八君!」
「キリさん!? 来てたんですか! うわぁああ!!」
船の甲板の先に立って声を掛けると、新八君が気付き振り向く。
また、ターミナルが揺れる。ギシッと音がなりそうな程梯子に掴まる姿に、
「え!? ちょっと!!!」
――ダンッ
目を見開き、驚く新八君の丁度真上に捕まる。
「新八君ちょっと痛いけど我慢してね。頭抱えて」
「えっ、何するきですか!?」
「投げる」
「えっ? えぇええええ!?」
その腰帯を手繰り寄せて、しっかり抱えると、反動を付けて放り投げる。
痛そうな音を立てて、着地した新八君に男の子なんだから許せと謝罪する。新八君がゆっくり立ち上がったのを見て、私もそちらに向って飛ぶ。
「えっ!? あ、ちょっ!!」
「わぁあああ!!」
――ガラガラガシャン
「いったー……」
「だ、大丈夫ですか?」
綺麗に着地を決めようと思ったのに……受け止める様に飛び出してきた新八君を巻き込んで無様に打ち付けた腰をおさえる。余計な事をと思うのに、受け止めた痛みをこらえて私を心配するその姿に何も言えなくなる。もう何なんでしょうね、コレ。その優しさが今はとても痛い。
「キリさんって意外と力持ちだったんですね……」
「裏ワザ使ってるからね……それより来たよ。けっこうイケる口なんでしょ? 君も」
「勿論ですよ。これでも僕、道場の跡継ぎなんですから」
知ってるよ、君がやれば出来る子なんだってのはと、心の中だけで呟いて、転がっていた鉄パイプを渡すと、ざわざわと寄ってきた触手に新八君は綺麗な構えで相対する。その肩越しに神楽ちゃんが触手に攫われ、茂ったその向こうに消えていくのを見た。
銀さんが手を必死に伸ばし、届かない手に――。
私はそれを見ながら何でもないフリを貫く。
「数が多いねっ!」
見よう見まねで私も鉄パイプを使って触手をぶっ叩く。新八君と違い、本当にもぐらたたきの様に叩くだけだ。それでも力に任せたそれは一定の戦果を上げる。けれど、一生懸命さを装った行動は単なる時間稼ぎ。
裂けた壁の隙間から曇り空が見える。分厚い雲を背景に、ゴマ粒程の黒い点々がやがて大きくなり――黒塗りの船に形を変える。きたか……。
「何かに掴まって!」
そう警告を発した直後、一際大きな揺れと共に、ターミナルの外側に突き出ている船の底が抜け、赤い心臓の様な核がむき出しとなる。
そこから伸びる赤紫色の触手が、遠目でも分かる赤い服を着た女の子をその核に取り込もうと、醜く蠢いている。血を失った神楽ちゃんは、ただでさえ白い肌がもはや薄く青く見えた。
「神楽ちゃん!!」
目を見開き、新八君が叫ぶ。だが、その叫びも虚しく、緑の触手が波打ち真っ赤な核の奥底へ神楽ちゃんを押し込んでいった。
駆け寄ろうにも、触手が前を塞ぎ行く手を阻む。その数を計算しながら倒していく。
「次から次へと!! ゴキブリかよ! 害虫は害虫らしく地べたに這いつくばってろコノヤロォオオオ!」
新八君の先ほどまでの綺麗な太刀筋がブレ、焦りがその剣筋に乗る。それでも私は……握りこんだ鉄パイプが歪む。私は見守るだけだ。
神楽ちゃんを取り込んだ核が壊せない今、星海坊主さんは神楽ちゃんと一緒に死ぬことを覚悟しているだろう。銀さんはそんな星海坊主さんに、神楽ちゃんを『信じる』という事を伝えようとしている筈だ。魂を賭けて。
そんな闘いの意味をなくすような事がどうしてできようか? それがなければ行ってしまう神楽ちゃんにどうして手出しできようか? 海に来てしまった銀さん。私は何も出来ない。蝶の羽ばたきなんてそんな物がなくても、私はきっと何もできない。
「銀さァアアアアン!!」
新八君の悲痛な声。
その視線の先で、銀さんが神楽ちゃんを取り戻しに自ら核に取り込まれていく。
新八君と一緒に甲板の上を滑るように駆け抜け、核に飛び移る。頃合い良く薄くなった触手に、計算通りとほくそ笑む事が出来れば良かったけれど、そんな気持ちの余裕は見いだせなかった。
やっとたどり着いた核の上で、定春に咥えられ、連れて来られたバカ皇子が自分から人質になるのだと言い出した。
空に浮かぶ黒船に向かい、新八君とバカ皇子が懸命に砲撃を止めるようにアピールする。
私はそれを横目に見ながら意識を集中して、核の内部の探る。大丈夫まだ神楽ちゃんも銀さんも生きている。もしどちらかの鼓動が止まるようなことがあれば、私は……。
アピールの甲斐なく、黒船の中心に設置された巨大な砲身――松ちゃん砲――の充填が始まった。
まだか……。まだか……。一秒一秒がとてつもなく長く感じられる。
「それ私の酢昆布ネェェェ!」
緑色の噴水と共に、神楽ちゃんと銀さんが飛び出てきた。安堵で膝をつきそうになる。でも、まだ気を抜いちゃいけない。
飛び出てきた神楽ちゃんを確認した星海坊主さんが、銀さんと共にえいりあんに止めを刺す。
その振動で、新八君はメガネをなくし、メダパニにかかっている神楽ちゃんに星海坊主さんの毛根が根こそぎ取られ……そうやっている間にも松ちゃん砲の砲身にエネルギーが充填されていく。
万が一星海坊主さんが防げなかったら私が……。コンマ一秒の世界に神経を尖らせる。
口の中はカラカラに乾いて水分は見つからず、無駄に喉をコクリと鳴らした。足だけじゃなくて手まで震えてくる。
そうやって身構えていた発射の瞬間、震えるその手が引き寄せられ、押し倒される。
なっ!! バカッ! 心臓が凍り付いた。
劈くような音と、網膜を焼くような光が収まり、目を開けると、白い着物に神楽ちゃん共々抱え込まれているのが分かった。
「星海坊主さん!」
仁王立ちで傘を構える背に慌てて駆け寄ろうとするも、凄まじい力で腕を掴まれており抜け出すことが叶わない。
「坂田さん離して!」
抗うように声を上げると、ようやく腕の力がゆるむ。そんな銀さんを押しのけ、星海坊主さんに駆け寄る。
触れた瞬間崩れ落ちる。
「ハゲッ!!」
「ボウズさん!」
銀さんと、新八君が叫ぶ。
傘は赤く焼け、皮膚が張り付くような温度になっているのが見てとれた。それを持っていた手袋ごと外す。
重みを増す体を支えながら、恐る恐る胸に手を当てると、力強い鼓動がとくんとくんと脈打ち、皮膚が、内臓が凄まじい速度で治っていくのが感じられた。つめていた息を吐き――命に関わるような臓器の損傷は見られないが――念のため焼けた肺や呼吸器系を少しだけ治癒する。
ようやく終わった……。気が抜けた瞬間、足から力が抜け、星海坊主さん共々倒れそうになる。
それを銀さんと新八君が慌てて支えてくれた。
「大丈夫か?」
「気を失っているだけみたい、命に別状はないよ」
「ちげーよ、お前だよ。こんなハゲ1ミリも心配しちゃいねーよ」
「大丈夫……。それより神楽ちゃんは?」
「さっきの暴れっぷりみただろう? あんだけ暴れられりゃあ大丈夫じゃねーの」
「よかった。坂田さん、星海坊主さん支えて」
支えていた星海坊主の腕を銀さんの肩に回す。そして、そのままへたり込む。
「おいおい、全然大丈夫じゃねーだろ」
「大丈夫大丈夫。力が抜けただけだから。新八君大丈夫? 本体どっかいっちゃったみたいだけど」
「メガネは本体じゃねーよォオオオ!?」
「そっかー違うのか。でも大丈夫そうで良かった。定春とバカ皇子達も大丈夫だね。良かった良かった」
パトカーのサイレンが鳴り響く。
「おい、あんま端までいくと落ちんぞ」
「じょぶじょぶ。真選組の皆も大丈夫そうだね」
ずりずりと這いながら下を覗き込むと、顔までは分からないが先頭に立って指揮をしている黒頭はきっと土方さんだ。その後ろで棒立ちしているのが近藤さん。戦車にもたれて寝ているのがきっと沖田さん。
夕日に照らされた江戸はとても綺麗で、センチメンタルな気分になってしまい、情けない顔をしているのが自分でも分かる。
でも一番端にいる私は誰にも顔を見られないという特権を得ているので大丈夫。