耳に痛いほどの静寂が場に満ちる。
「フラれちゃった」
てへぺろと、軽く濁してみるが、付け焼き刃の刀ではシリアスの空気を切り裂くには力及ばず、生ぬるい空気に包まれる。
深い溜息とかぶりを振った銀さんは、何かを言おうとして、口を開きかけ、眉をしかめたのち、つぐんだ。
ならば、代わりの答弁を紡ぐのは私の役目とばかりに口を開く。
「いや、アレだよ? 選ばれた理由は、胸の大きさとかじゃないと思うよ? 体の相性とか大事じゃん? うんうん」
「もういい。なんか疲れた。けーるぞ」
けれど、銀さんはガリガリと頭を掻くだけで、木刀を脇に刺し、酷い現場――惨殺死体やら、半分切り落とされ今にも崩れ落ちそうなコンテナやらを尻目に、私の手を引き地上を目指し歩きだす。
倉庫から離れ、朽ちかけたあばら家の連なるスラム街のような場所を通り抜けると、ちんとんしゃんとかき鳴らされる三味線の音と共に、桃源郷は桃源郷たる姿を見せ始めた。
そういえばと思い出す。
「あー……日輪さんになんて言おうか」
頭が回っていない時というのは回っていないという自覚すらできない事を知った。
「日輪?」
誰だそれとばかりの銀さんの声に、私は言葉を足す。
「日輪太夫。吉原一番の大太夫……元がつくけど。取りまとめ役というのかな? まあアレやこれやをお願いしていて月詠さんの事をどう言うべきかなぁ? と。師匠と二人で愛の逃避行と伝えてもいいけど、納まりが悪いじゃない?」
「…………」
返事がないことに訝しんで顔を上げると、銀さんは目を細めて呆れ果てた様な表情を浮かべていた。
ああ、そういえば吉原のことは何も伝えていなかったのだ。失言を悟る。本当に頭が回っていない時というのは、頭が回っていないのだな。うん。
「そ、そーいや銀さんはなんでここに?」
「どっかの誰かさんが吉原によく出入りしているって見聞きした奴がいて、身売りすんじゃねーかってご近所さんが噂しててよぉぉおおお?」
とっさに変えた話題は更に墓穴を掘った。ピキピキと浮かんでいる血管は見間違えであって欲しい。そんな噂が流れているとは……。新八君や神楽ちゃんはさぞ煩かっただろう。
「ま、まあ、人には色んな事情があるし……?」
「そーですねー」
無理やりの責任転嫁を棒読み口調で許してくれた銀さんは、「で?」と顎をしゃくった。
「で? とは?」
イマイチその意味を汲み取れず首をかしげる。
「これからどうすんのお前」
「これからって、いやほらどうにかするよ? ちちんぷいぷいって」
「具体的にはどうすんのかって聞いてんだよ」
「いや、聞いちゃう? 聞いたら面倒臭くなるよ? ほら、面倒臭いの銀さん嫌いじゃん?」
「いや、もう十分面倒くせーから」
投げやりな口調とは裏腹に、銀さんの目は座っていた。本当に失敗したと悟ったのはこの時だった。
「ごめんください」
そんな銀さんを連れて本日二度目のひのやの暖簾を潜る。ちょうど客が退けたところなのか、年季の入った木の椅子と机が並ぶ店内は閑散としていた。
端の方で紫の座布団を椅子の上に敷き、書き物をしていた日輪さんが私の声に顔をあげる。
「おかえり。おや、月詠は一緒じゃないのかい?」
日輪さんは月詠さんの姿を探すように視線を外し、「入れ違ったのかね?」と首を傾げた。どう伝えようか一瞬迷った末、ゆっくりと言葉を口にする。
「月詠さんは、地雷亜と一緒に行ってしまったよ」
「じらい……なんでその名前が……。最初から訳を話して頂戴」
動揺を一拍に封じ込め、日輪さんは芯の通った表情を作る。一連の事件をどう説明すべきか、私は言葉を悩ませながら口を開いた。
「実は――」
事実と、想定と、過去の記憶を混ぜないよう説明するのは困難を極めたが、日輪さんが地雷亜と旧知の仲でもあったことに救われ、一通りの事件について説明を終える。
かくかくしかじかうんまい棒はうまい的な説明を重ねる度に、後でまとめて説明するからと捨て置いていた銀さんの表情がどんどん抜け落ちていき、最終的には何を考えているのか良く分からない、目が2つあって、鼻と口が一つある顔に落ち着いた。怒っているのか呆れているのか、はたまた何かを考えているのか……。
対して日輪さんは口惜しそうな表情を浮かべていた。
「馬鹿だねぇあの子も。今更なんで……」
『今更』という言葉がやけに重く響いた。一度そこで日輪さんは言葉を切るが、「それはそれとして」と続ける。
「月詠は今どこに?」
まるで私がそれを知っていることが当たり前のように聞かれた。
「……鳳仙の城」
隠しても仕方がないとゲロる。
鳳仙城と呼ぶべきか、地下にありながら至上人が住まう場所だったそこは、事件の後、使用不能の廃墟となっていた。取り壊すか、再利用するか迷い放置していたその場所に地雷亜と月詠さんはいる。放った鳥からの映像は、薄暗い室内。朱塗りの柱と、金箔が張られた豪奢な建具を映していた。そこは――吉原を一望できる城の最上階。
壁にもたれ何かを考えるような地雷亜に対し、月詠さんは膝をつき命を待つかのようにじっと伏せている。
結局そこにいきついてしまった。
「そうかい」
日輪さんはそう告げるだけで、どうしろとも、どうするんだとも言わなかった。
「心配しないで、私、ちゃんと
日輪さんを見続けられなくなった私は、銀さんへ視線を移し告げる。現状手一杯である私ができる
「しゃーねぇなぁ、手伝ってやるよ」
やれやれという顔で、銀さんはそれに応える。
ひのやを出た私は言ったはものの、果たして本当に、月詠さんを取り戻せるのだろうか? と考える。ちちんぷいぷいの魔法は、人の心をかどわかすのには全く不向きなのだ。
「はぁ~」
ため息が思わず漏れた。それに反応したという訳ではないのだろうが、銀さんが「なぁ」と言った。
一歩後ろを歩く銀さんは特有の掴みどころのない表情を浮かべていた。
「なに?」
「お前、何も変わってねーよ」
怒っていたのか。半オクターブ低くなった声は私を責めていた。
「人はそう簡単に変わりません~」
語尾を延ばし
昔の様にも感じる。かつて、真選組の屯所から出た私は銀さんに拾われた。応酬の後、打ち砕かれた私は何か変われたと思ったのだけれど……。やはり人は簡単には変われない。
私にはどタマから股間をまっすぐブチ抜いて存在する様な器官は無い。代わりに、真っ直ぐに立つために外殻を作った。今更それ無しでは生きられないのだ。
だから肯定する。銀さんの怒りは正しいと。
開き直るのが正しいか? と言われたら――
「お前は……そんなにお前が嫌いか?」
張り巡らした嘘を断罪するような言葉だった。聞こえていた三味線の音が途絶え、一瞬の空白を作る。こういうの、天使が通ったっていうんだっけ? 銀さんの問いから逃避するかのように思考は巡り、五歩進んで答えを得る。
猥雑な人混みの中、すれ違った花魁の白粉が
「銀さんのそーいうところ、嫌いだなぁ」
これはあの日。私が魔法を使えなくなったあの日のリピートだ。
人が一番暴かれたくない嘘を、白昼の元に晒す行為。その先は――
「答えろよ」
逃げることを許さないというような声に、私は悔恨を口にする。
「私の母さん自殺したんだ。私の目の前で。揺れてた」
線香が立ち上る仏壇と、回り続ける扇風機。
首を締められ気を失い、再び目を覚ました時――鴨居にぶら下がった母が私を見下ろしていた。
――赤く腫れた顔。
――だらし無く開いた口から垂れる舌。
――ガクリと折れた首。
――飛び出した目。
『鮮明に覚えていた』
三味線の音が再び鳴り響き始める。
喧騒に声がかき消されてしまえば良いのにと、吐露した言葉を後悔すると同時に、暴き立てた嘘の代償を償わせろと、胸の内から湧き上がる怒りが私を突き動かす。
「私が聞いた母さんの最後の言葉。『お前なんか生まれてこなければ良かった』って、母さんが私の首を締めながらそう言うんだ。私ね、どうしてか、その言葉が今も耳に残って離れないよ……。銀さん!」
言い切ると同時に振り向くと、驚いた銀さんはたたらを踏む。
「ねぇ、銀さんもさぁ、そーいうの覚えない?」
疑問系の形を問いながら確信をもっていた。銀さんも、あのひとの言葉をずっと、ずーと覚えているでしょう? その上で、私に何を言うの?
「それは……」
珍しく銀さんは次の言葉を紡げずにいた。目がいつもより開いている銀さんを見て、人意地の悪い私は、安堵にも似た満足感を得る。
「だから私は救われたくないんだ。行こう、月詠さんが待ってるよ」
ダメ押しのように伝え、人々が行き違う道の先。そびえ立つ牙城のてっぺんを見据え、再び歩き出す。
そうか、私は救われたくなかったのか。言葉に出した答えが、すとんと胸に落ちた。結局のところ、私も地雷亜と同じだ。