もう一度海を見たくなったので、波止場に向かう。今度はショートカットする理由もなかったので、黒いアスファルトの道を地道にテクテク歩く。この一歩一歩が何かを引き起こすのだろうか? 防ぎようのないそれが怖くなって足を止める。やっぱり跳ぼう。物陰に隠れ、誰もいない海に跳んだ。
台風の影響がまだ少し残っている海は、この前よりも少し荒れていて、なんだかそれが心地よかった。時々光る灯台の明かりと、星の光。遠目に見えるのは飛行船ではない、普通の船。当たり前だけれど、飛行船以外の船もあるのだとこの時始めて知った。
元の世界との違いや、知らないものばかり探していた私は、どうやらそれを見落としていたらしい。
この世界にもあるごく普通の物達。なんだかそれを探しに旅に出たくなった。私
ぷらんぷらんと埠頭の先から投げ出した足を揺らす。
まず初めはどこに行こうか。知っている地名と言えば武州……白いベッドで寝ているあの人が蘇る。星海坊主さんが神楽ちゃんを連れて行ったって事はまだ生きているのだろう。犬を捨てきれなかった私が、目の前のあの人を見捨てれるとはとても思えない。
首を降ってダメだと思い直す。じゃあ……京都、蝦夷……長州。知っている場所はどれもこれも彼等に関わりのある所ばっかで、自分の腐り具合に笑ってしまう。
またたく星を見上げる。神楽ちゃん戻ってこれるかな……。変わってしまった未来に覚える不安。えいりあんちゃんと処理できるかな? こっそり見に行ってもいいよね? だってさ私のせいかもしれないんだから……。言い訳をつけて弱い心を少しだけ許す。
「何か良いモンでも見えんの?」
何なのだろうこのエンカウント率。チートコードで率を変更してるんじゃないかと思う。けれど、その気持ちには心当たりがあったので、あながちチートコードのせいとも言い切れない。
軽い調子でかけられた声になんと答えようか思考を巡らす。
「見えますよ。馬鹿には見えませんけどね」
今は絶対に顔を見られたくなくて、涼しい声で正面切ったままそう応える。けれど、その声の持ち主は、それすら見透かしてしまうのだろう。なんたって
「……それ暗に俺を馬鹿にしてる?」
「そー聞こえました? それは失礼」
「軽いな、オイ。謝るならもうちっと心を込めろよ」
「口だけの謝罪ってどうしても軽くなりますよね」
「口先だけって認めてんじゃねーかよ」
冗談の中に含めた拒絶を聞いてるのか聞いていないのか……。銀さんは、横に座る事もなく、適度な距離を保って後ろに立つ。声の遠さから分かるその距離。
波の音が空間を支配する。
「万事屋銀ちゃん、
その支配から先に逃れたのは銀さんだった。
なんでこの人はこうもそうなのだろうか。自分だって海を見に来たくせに。右から左へと……ただ酔っぱらいに肩を貸しただけの私に。
「生憎と、他人に頼らないと生きていけない様な人間じゃないので」
「でも、死なない程度には困ってんだろう?」
言葉のキャッチボールに失敗したかのような会話に、死んだ魚の目が少し開いているかも知れない、そんな事を少しだけ思った。その優しさに対する依頼料は何を差し出せばいいのか。手持ちにあるのは酢昆布の赤い箱だけ。甘党の銀さんが甘くないそれを欲しがると思えないし。
「坂田さん、股間にミミズ
「あ? ……なんだそりゃ」
これぐらいは許されるだろう。陸も追われ、海すら追われる私は鳥になろうか、お気をつけてとそう声を掛け立ち上がろうとしたのに……。「まあ、もうちょっといろや」と後ろから頭を抑えられた。
大きながっしりとした手が温かくて、咄嗟に払いのけそうになった。けれど、私と同じように何かを抱えてここに来た銀さんを、これ以上邪険に扱うこともできず――。
「月、綺麗ですね~」
「ああ、そうだな」
受け取ってしまった。
朝日に溶けていく星と沈んだ月。
最後まで銀さんは隣に座ることなく、私の後ろにいた。もしかしたら、銀さんは海じゃなくて、星を見に来たのかもしれない。ふとそう思った。かぶき町よりは、ここの方が良く星が見えるから。
「見事に徹夜しちゃったなぁー。お肌が心配」
背伸びをして朝焼けに目を細め、うにうにと頬を揉む。あれ、潮でザラザラしているような気がする。ちょっぴり本当にお肌が心配になった。
「いくんだろ?」
断言をする様な声にコクンと頷く。
「付き合って貰ったからね」
一晩一緒にいた事で、距離感を見失った私は、少し砕けてしまっている事を自覚しながら、取り戻せない距離を探す。
「お前は、何も言わないんだな」
「言わないよ、だって決めたんでしょ」
ようやく顔を合わせた銀さんは、少し眠そうに笑っていた。私は銀さんがそうである事が無性に腹立たしいと思うと同時に、好ましいとも思ってしまうのだ。だから何も言わない。
「じゃあね」
あっさりとした別れに、幾分気持ちも軽くなった私はターミナルへと向かう。会うかどうかは別としてこの物語を最後まで見届けないといけない、そう言い訳を呟いて。