天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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シグナルはイエロー

 ガス爆発。

 そんなものじゃないというのは明白だ。もし、私と新八君が入れ替わらなかったら? あの時、葛籠の中身に気づかなかったら? 判断が一瞬でも遅れていたら? IFというのはつきない。誰がなんのために、誰を……。

 何か厄介事に巻き込まれたか? だって万事屋だもの、いや、いや、それよりも可能性として大きいのは――。ぐるぐると思考を巡らせ、最近起こった出来事を順に辿る。そして、『蜘蛛』という単語を思い浮かべ――

 

『月というものは空で唯一輝くから美しい、そう思いませんか?』

 

 唐突に、ひらめくように、その言葉を思い出した。誰の言葉だったか――逡巡のち、これといって特徴のない、頭巾の下に笑みを浮かべた男。飴売りの顔を思い出す。

 月が昇った江戸の下、ばっと地を蹴り、駆け出す。

 あの男がいたのは……。三つ角を曲がり、小間物屋を過ぎたあたり。閑散とし、人気のない道には誰もいなかった。

 月明かりの中、とうの昔に店じまいを済ませた長屋を両手に立ち尽くす。

 

――地雷亜(じらいあ)

 

 顔を変え、名前を変える彼が犯人ならば、鳥など役に立つまい。

 ギシリと音がなるほどに、握りしめた手が汗ばむのを感じた。夜の道を睨みつける。見通すことのできない暗闇の向こうにうすら笑いを浮かべる男がいるかのようだった。

 

「なんでィ、こんなとこで、夜遊びかィ」

 

 足音が近づいていくる事には気づいていた。

 振り向くと、いつもの隊服姿で総悟が立っていた。

 

「そーご」

「……何かなくしものでもしたのかィ」

 

 私の想像以上に、私は切羽詰まった顔をしていたらしい。片眉を上げた総悟は、(おもんばか)るような口調でそういった。真選組なら政府との繋がりも多いだろう。かつて将軍に仕えていた御庭番その情報も何か所持しているのではないか? そう考えた。

 

「実はさ……。えっと、昼間だったかな? 500円玉落としちゃって。一度は諦めたんだけど、やっぱり見つかんないねぇ」

 

 協力を仰ぐことで、事態は悪化するのではないか?

 咄嗟に言葉を変えて、へらりと笑いながら答える私に、総悟もまた「そーかィ」と、温度を落とした返事をした。

 ズキリと胸が痛んだ。

 総悟は明らかに私の嘘を見抜いたし、私もまた、見抜かれると知った上で関わらないで欲しいというメッセージを言葉に込めた。それは、拒絶と何が違うのだろう?

 差し伸べた手を払われる痛みを顔に出さず、総悟はなんでもないという風な顔をしていた。迷う――。一度翻した言葉を、更に翻し、彼の善意に頼る事も今ならできるだろう。けれど結局。

 

「やっぱ、夜に探しものしても見つからないや。総悟、500円見つけたら半分あげるから、取っておいて?」

「そーいうのは、早いもの勝ちだろィ」

「いやいやいや? ネコババする気? 仮にもお巡りさんだよね?」

「それとこれとは別だろィ」

 

 どこが別なのか、苦笑を浮かべる私に、総悟は「もう夜も遅いからけーりな」と帰宅を促す。私はそれに素直に頷きながら、総悟と道を別れた。

 溜息をついた私を咎めないで欲しいと願う。

 地雷亜は、なぜ私を標的と見定めたのか。例の一件は、見せしめか脅しか、その意図をハッキリと見通す事はできないが、碌でもない意図が込められているに違いない。クリスマスプレゼントにしては随分物騒だ。

 未来が不確かなこの世界で、うっかりと何かに(すが)ってしまうには、私は弱すぎた。

 

 

 

 

 

 不夜城。ちんとんしゃんと何処かから漏れ出る宴の賑わい。それを耳にしながら私は、かつての夜王の街を歩いていた。蜘蛛の巣を探すなら、かつての古巣。そこからだと考えたのだ。

 

月詠(ツッキー)いる?」

 

 藍色の暖簾を潜る。

 

「珍しいね、アンタからこっちにくるなんてさ」

「あ、キリ姐」

 

 気安い言葉で出迎えてくれたのは日輪さんだ。日輪さんはいつまでも昔の人間が上にたってちゃ伸びるものも伸びないと、現役を引退し、今は後進の教育にあたっている。 

 後ろからひょこっと顔を出した晴太君も、引退を決めた理由の一つだろうと私は思っているが、それを聞くのは野暮というものだろう。

 

「月詠ならもう少ししたら戻るだろうさ。ちょいと、茶の一つでも飲んで待っていなよ」

 

 普通の茶屋として営業している店先で、待たせてもらうことにした。軒下に配置された椅子に座り、日輪さんが淹れてくれた茶を啜る。

 

「そーいや、天井空けないとなぁ」

 

 昼間のように明るい地下世界の空を見ながらそんな事を思った。そばに座った晴太君が、私の言葉に疑問を覚えたのか首を傾げる。

 

「天井?」

「そう、天井。吉原はさ、船のドックを改造して作った場所だからね。ぱかーんと開くんだよあそこ。きっと、お月さまきれーに見えるよ。お月さまだけじゃない、夏になれば花火だって見れるかもしれない」

「随分マニアックなことを知ってるじゃないか。そうだね、空けてもいいかもしれないね」

 

 何かを偲ぶような目で、日輪さんも空を見上げた。許可もでたので、合いの手を打つ。

 

「皆でお月見しようか!」

「オイラ、団子作るの手伝うよ!」

 

 いいね、いいね、楽しそうじゃん。後で、月詠さんに相談してみよう。短冊に願い事を書こうかと言えば、晴太君にそれは七夕だとツッコまれ、じゃあ七夕も一緒にしようという話をしていたら、月詠さんが戻ってきた。

 

「随分と楽しそうな話をしておるの」

「やっほー、久しぶり」

「久しぶりじゃの」

 

 手を振ると、笑った顔を向けてくれた。

 

月詠(ツッキー)、戻ってきてばっかで悪いんだけど、少し付き合ってくれない?」

「ああ、構わぬが、どこにじゃ?」

「それはねぇ……秘密」

 

 

 

 

 月詠姐(つくよねえ)ばっかずるいと騒ぐ晴太君に、じゃあ今度は、二人っきりで秘密の遊びをしようと耳元でささやくと、顔を真っ赤にするものだからおかしくって笑っていたら、日輪さんに、「あまりからかうんじゃないよ」と(たしな)められてしまった。

 

「で、どこに向かうんじゃ」

「いや、だから秘密……というか私もよくわかんないんだよねぇ」

「なんじゃそれは」

 

 (いぶか)しげな月詠さんをまあまあと(なだ)める。そうやって二人して歩く吉原は、かつての桃源郷の趣のままに、淫猥で、放蕩的な賑わいをみせていた。そーいう生き方しかできないという意味をよく知らないままに、踏み込む覚悟を決めきれない私は、色々なものをそのままにしてしまっていた。日輪さんは、急に人は生き方を変えられるものじゃない、そうするべきだと言うのだが。

 

「月詠様、今日もお疲れ様でありんす」

 

 声をかけてきた遊女は、艶やかな姿で笑っていた。軽く会釈をした月詠さんは、その遊女が通り過ぎると、眉を寄せ、顔を難しくした。

 

「どうしたの?」

 

 気になって聞けば、

 

「匂いが……な。独特の甘い香り、夜幻香(やげんこう)の匂いがした。香とは名ばかりの、最近ここ界隈で流行っておる一種の麻薬じゃ。馬鹿め。一時の快楽に手を染めれば、後に待つのは転がり落ちるような地獄だというのに」

 

 酷く苦々しい口調で、月詠さんは吐き捨てるようにそう言った。

 

「鳳仙がいなくなったから?」

 

 確認の体を装っていたが、今更何をというもう一人の私の声がどこかでしていた。暴力的抑止力ともいえる絶対君主が倒れれば、治安は悪化し、また別の犠牲が生まれるだろうと覚悟していた。覚悟していたが、いざ目にすると身につまされるものがある。

 

「主が気にすることではない。人は希望がなくては生きられぬ、例えそれがまやかしだろうと……。真に悪しきはそこに付け入る悪党ども。それをのさばらせてしまっているのはわっち等の不手際だ」

 

 首を振りながら、月詠さんは店と店との間の暗がりへ視線をやる。その奥に踏み込めば、幻想から一転、吉原の現実があるのだろう。吉原の闇は深いか……。一言万鈞(いちごんばんきん)とは良く言ったものだ。そこには私では踏み込むことすらできない闇が(うごめ)いているのだろう。

 チラと月詠さんを見る。その闇に、かつての師が加担していると知ったら、彼女はどう思うだろうか?

 

「どうした?」

「いい女は苦悩する表情もまた色っぽいなぁと」

「なに馬鹿なことを」

 

 ほんのり頬を染め、照れながら月詠さんはそっぽを向く。いや、半分は本心なんだけどなぁ。

 わざとらしく、大人のおもちゃ屋さんを指差して、何の店? と聞くと、実際は良くわかってないのだろう、しどろもどろに苦しい説明するのが面白くてついついあれやこれやと質問を投げつけてしまう。そんな中、物取りが出たと、助けを求められれば、瞬く間に犯人を掴まえてしまう。私のなんちゃって忍法とは裏腹に、幼いころからのたゆまぬ努力によって培われた技術とそれに奢らぬ心、日輪さんとはまた違う輝きに皆が惹きつけられるのだなと思った。

 

「それじゃあ、またね」

「本当に主は何をしに来たんじゃ……まあ良い、いつでもきなんし。吉原は誰にでもその懐を開いておる」

 

 別れ際、呆れ半分に月詠さんはそう言ってくれた。結局のところ、いいアイディアも浮かばなかった。分かったのは麻薬の密売が横行しているということだけ。紅蜘蛛党をあたってみるかぁと漠然としたものを考えながら、帰路につく。

 吉原から地上に出るための昇降機。その中で、一人の男と一緒になった。中肉中背、どこといって特徴のない、中年の男。帰り客だろうと気にもとめず、その後ろ姿をぼんやり眺めていた。

 

「探し物は見つかったか? 『天女』」

 

 唐突な言葉に、一瞬何を言われたのか理解ができなかった。息を呑み、言葉を探す間に、男はゆっくりと振り向き続ける。

 

「『天女』などとは名ばかりの醜く愚かな存在が……。ああ、愚かだからこそか。芸術を解せぬ。その汚い手で触っている物がなんなのか、その罪を知らぬ」

 

 こちらを向いた顔は見知らぬ顔だった。だが、薄っすらと浮かぶ笑みとは対象に、眼光は臓腑の底から人を寒からしめるような凍てついた鋭さを持っていた。

 

「……地雷亜」

 

 またの名を――鳶田段蔵(とびただんぞう)。月詠さんを月詠さんたらしめ、一時的には手を取り歩みを助けた人。呻くような掠れた呼び名に、地雷亜は感嘆の意を表わした。

 

「俺を知っていたか。仕掛け糸が断たれるのも道理。愚かだが知恵はあるようだな。だが、逃れられると思うなよ。いつの間にか絡め取られ、身動きが取れなくなるのが蜘蛛の糸というもの」

「例えば、吉原に張り巡らされた犯罪組織とか? お登勢さんを狙う無頼漢とか? 万事屋に持ち込まれるやっかい事とか?」

「あるいは……その内に存在する力とかな。田宮厭衛門(たみやいえもん)。奴はお前を探しているぞ。江戸中を浚ってでもお前を欲っさんとしている。居場所を知られれば、もう安寧とした日々は送れまい」

 

 くつくつと笑う地雷亜を殺そうと思った。なんの気概もなく、そう選択しようとした己に震え、踏みとどまる。

 

「嫉妬深い男ってのは、嫌われるんだよ。束縛系? 光源氏計画? 理想の女が欲しいんなら、AVかエロ本の中を探しなよ。こんど長谷川さんにでもとっておき聞いておくからさ。やっぱり金髪色白系が――」

「戯言は十分だ。素直に吉原を明け渡せ。信頼を裏切られ地に落ちればアイツも再び輝きを取り戻すだろう。いや、以前よりもまして、その姿は美しく映えるかもしれぬ。そうなれば、お前には礼を言わねばならないな」

 

 地雷亜の顔は喜色に富み、堪らえきれない喜びを表現するように、両の手を広げさえもした。

 

「いやだね」

「断るか。しかし、再び合う頃には返事も変わっていよう」

 

 地雷亜はそう一方的に言い放つと、地上へついた昇降機ドアから外へと消えていった。地雷亜の望みを考えれば、取引など望むべくもなく。困ったなぁと呟いた声は、夜の闇に消えた。


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