『今日の一番運勢が悪いのは――』と、テレビの中で、結野アナが言ってたのを気にしたという訳じゃない。
――ラッキーアイテムは赤いカーネーションです。
という言葉を、たまたま花屋のショーウィンドウを見た瞬間思い出したというそれだけである。それがなければ、バナナで滑り、恥ずかしいポーズで死ぬでしょうなんて――全くもって信じちゃいない。
「済みません、コレください」
指を差したそれに、二、三注文をつけて十分程待つと、ピンクと赤を基調とした可愛らしい花束が出来上がる。流石、プロのお仕事。
受け取った花束を手に、自動ドアを抜けながら、はて、どうしようかと考える。家に持って帰るつもりだったが、花瓶なんて気の利いたものがない事に気付いた。あるとすればコップなのだが、花束の大きさ的にアンバランスになること必死だ。十中八九、バランスを崩す。
となると――。空を見上げると日差しは高く、晴れ渡っており、切り花にとっては良い天気とはいい難い。誰かに持っていくにしてもそう遠くまではいけまい。
赤いカーネーションの花言葉はなんだったか、そんな事を考えながらいつもの公園を通り過ぎ、屯所に向かう角を通り過ぎ――迷ったが、野郎のところに花なんぞ持っていっても嬉しがる人間はいるのか? と選択肢から消去した。程なくして、スナックお登勢の看板が見えてきた。
準備中と書かれた札が目に止まったが、この時間なら店の掃除と仕込みをしているだろうと、引き戸に手をかけるとビンゴ。カラカラと軽い音を立てて開いた。
「まだ準備中だ……なんだあんたかい。どうしたんだいそんな花束なんか持って」
カウンターの中で、鍋を火にかけながら登勢さんが顔を上げる。出汁の良い香りが店に広がっていた。
「ちょっとね……差し入れ的な。花瓶ってあります?」
「今日は何かの日だったかね。まあいいさね。ちょいと見ておいておくれ。確か奥にあると思うけど、あんたじゃ探せないねぇ……沸騰してきたら、火を弱めるんだよ」
カウンターの中に手招きされ、回り込むと菜箸を差し出される。菜箸の代わりに、花束を受け取ったお登勢さんは、店の奥――普段お登勢さんが生活している部屋へと続くドアへと消えていく。
小さな泡がくつくつと湧き、落し蓋の下で大根が踊る。今日の付き出しは大根の田楽だろうか? そういえばしばらく口にしていない。お登勢さんの作るそれは、心に染みるような優しい味がするのだ。本人に直接それを言えば「馬鹿いってんじゃないよ」と照れたように顔を背けるのだが……。
「あったあった。花より団子って連中ばっかだからね……しばらくぶりに出すもんで探しちまったよ」
奥から出てきたお登勢さんが手に持つ、ガラスの花瓶は、玉ねぎを縦に伸ばしたような形で、それがどことなくいびつに歪んでいた。
「それ……誰かの手作りなんですか?」
市販品ではない雰囲気に、問いかける。
「昔ね、世話してやったガキがいてね、自分の就職祝いに持ってきたんだよ。笑っちまうだろ? どこに自分の就職祝いで他人に物を持っていく奴がいるんだ。しかもこんな下手くそな作品、よく持ってこれたもんだよ」
そう言いながら目尻に皺を寄せて、お登勢さんは懐かしそうに笑う。今は一端のガラス職人になったそうだ。
埃のついた表面を洗い、水を入れ、花を活けると入り口に向かったカウンターの端に置いた。少しだけ浮いた雰囲気に、持ってくる花を間違えたかと焦ったが、「花なんてひまわりも薔薇も区別つかない連中ばっかなんだから気にすることないよ」という闊達とした言葉に、いつも酒を飲んでいる連中を思い浮かべ、そもそも花がある事にすら気づかない可能性に気にするのをやめた。
「これ、田楽にするの?」
菜箸を渡しながら立ち位置を変える。
「ああ、少し持ってくかい?」
「んー、こっちで食べてってもいいかな?」
「構わないよ」
くつくつと、鍋の音だけが響く店の中、手持ち無沙汰になった私は、客席側へと回り込み、カウンターチェアに腰を下ろす。
落し蓋が落とされ、やさしい時間が流れていく。
「母の日……だったかねぇ」
ぽつり、呟いたお登勢さんの言葉を、頬杖をつきながら聞いた。