その日、万事屋を追い出された銀時は、かぶき町をぷらぷらと歩いていた。
「ちょっと晩のおかずを一品増やしてやろうと思っただけだっつーのに」
生活費として分けておいた金に手をつけたのがまずかったのか、それともここ一週間ばかりまともな仕事をしていないのが悪いのか。キリが聞いたなら両方だと答え、二人と一匹だけつれてファミレスにでも行くだろう。
アイツ俺には容赦ないからなと、銀時は更にぶちぶちと文句を垂れる。
「アレ、旦那じゃねーですか。今日もプーしてんですかィ? いい身分ですが、まったくもって羨ましくねーや」
「出会い頭になに毒吐いてくれちゃってんの?」
黒い隊服を着た、毒を撒き散らす男。コレが真選組一番隊隊長ってんだから世も末だと銀時はぼやく。沖田が膨らませたチューインガムがパチンと弾けた。
「ああ、コレ? さっき駄菓子屋でオマケに貰ったんですよ。貰います?」
銀時の視線に気づいた沖田は、ガサゴソとポケットを漁ると、果物の絵が描かれた、真四角の白い箱を銀時に投げ渡す。
「んだよ、てめーもプラプラさぼってんじゃねーか、不良警官」
渡されたガムを「まあ、貰うけど」と口に含みながら銀時も同じようにクチャクチャと噛む。
「ところで旦那、吉原の上が変わったって話、聞きやした?」
「上って、新しい太夫でもデビューしたの? そんな金がかかりそうな女にゃ、縁がねェ生活をしているもんで、残念ながら顔すら知らねーよ」
「違いますよ。更に上、夜王と恐れられていた男、鳳仙。それが倒されたって話でさぁ」
「そりゃまた……物騒な話だな」
どちらにせよ、銀時にとっては別世界の話に過ぎず、そんな事よりも、今をどうやり過ごすかが問題で、反応は至極薄いものだった。
しかし沖田はそれに頓着せず、
「ま、ここではなんですから場所を移しやしょうか」
一方的に言い放ち、すたすたと先に歩いて行く。
「何を食ったら、そんなマイペースに育つんですかね」
「旦那みてぇに、甘いモンばっか食ってた訳じゃねーのは確かですぜ」
道すがらそんな応酬を重ね、幾つか角を曲がり、町の外れにある、道路工事の資材置き場。沖田は
『立入禁止』と書かれた看板がぶら下がった鎖を無視し、跨ぎ入った沖田は、置かれていたコンテナによっと腰を下ろし、「さっきの話の続きですがね」と、口を開いた。
「下克上。それ自体は別段大した話じゃねェんですよ。世の中、上には上がいるし、勝負事なんてそれこそ時の運。単にババ引いちまったってだけかもしれねぇ」
「だったらンな面倒臭ェ話なんて放っておけよ」
「そうしたいのは山々なんですがね……最初にこの話を探ってたのは、土方の奴なんでさァ。妙にコソコソしていて、こりゃ様子がおかしいなって、山崎掴まえて吐かせたら、後釜に座った人間、表向きは春雨の連中だって事になってるみてェですが――実は地球人らしいですぜ」
天人に実権を握られて久しいこの江戸で、『吉原』という巨大な果実――熟れ過ぎて腐りかけと言ってもいい――それを手に入れたのが
「ふーん」
だが、銀時はガムを噛み、膨らませては弾けさせるを繰り返す。手が届かぬ(主に金銭面で)女の世界や、政治の話など、やはりどうでも良かった。
「興味ねぇですか? 俺は面白いと思ったんですがねィ。ソイツ『女』だって噂ですよ。俺ァ、この江戸に、夜王を下せる女が存在するなんてこと知りやせんでしたぜ――ついこの前までは」
プシュンと、マヌケな音を立てて、膨らます途中のガムに穴が空き、銀時の口元に張り付く。
「それはまあ――随分なやり手だな、将来はお
「そうかもしれやせんね。けどまあ、案外上手くやっていくかもしれやせんぜ? 女心なんてモンが分かるのは、同じ女って生き物でしょうから」
そこで「知ってやすか?」と、沖田は銀時の顔色を伺う。
「何を」
「吉原は今、『膝枕屋』に『耳かき茶屋』『添い寝楼』なんてモンが乱立してるって話ですぜ。マニアな連中が流れてきて、それなりに繁盛してるらしい。俺にゃ理解できやせんがね。けどまぁ、随分と生きやすくなったんじゃねぇーですか? あっちの世界でしか生きられない女達に、出来るだけこっちに近い場所を用意してやったんでしょう。アレならやりそうな話じゃねェですかィ」
「…………」
アレというのが誰を指しているのか。名を口にせずとも、二人は共通の認識を持っていた。銀時は、先日、キリがバイトをサボった事を思い出した。アレがそうだという保証はないが――。
「とまあ、この話はここで終わりです。俺に感謝してくだせェよ?
座っていたコンテナから飛び降りた沖田は尻を払う。
「するかよ。俺に何をさせてぇんだ」
「アレ、バレてやした?」
「わざとらしいんだよ」
銀時は味の無くなったガムをプッと吐き出した。狙いが逸れたガムは、ブーツの先につき、嫌そうに地面に擦り付け落とす。
「アイツを護ってやってくれやせんか?」
沖田は真っ直ぐな目を銀時に向ける。それを受けた銀時もまた、真っ直ぐにそれを受け取る。
「てめェが護りたいモンを他人に押し付けてんじゃねーよ」
「
迷いなく、恥じる事なく、沖田はいい切る。
「全部テメェの勝手かよ。……貸し一つだ」
「前払いしやしたぜ」
至極嫌そうな顔をした銀時に、沖田は地面にへばりついたガムを指差した。
「安いな、オイ」
「妥当でしょう。アイツを頼むのに、それ以上のモンが必要なんですかねィ?」
「それもそうだな」
したり顔の沖田に、銀時は、吐き捨てたガムに目をやりながら同意を示す。
交渉成立ついでに、「もう一つ」と、沖田は付け足す。
「人斬りってのは二種類いると俺は考えていてね。斬った分だけ荷を増やして引きずって生きてく人間と、斬った分だけテメェの命を軽くしていく人間。ただでさえ、自分を軽く見る人間がソレを軽くしちまったら、そのうちどっかに飛んでいくしかねェ」
「知った口叩いてんじゃねーよ。テメェも人斬りだろうが」
「旦那もねィ」
今度は同意する事なく、銀時はチッと舌打ち一つに留める。返事を期待していなかった沖田は、自身もガムを吐き捨てると、それに土を蹴って被せた。
沖田も銀時も、己は薄汚れた人斬りだと、その業からは逃れられぬと達観していた。けれど――。銀時の脳裏に、花火を
「別に説教垂れてくだせェなんて言うつもりはねェーんですよ。ただ、飛んでっちまわねェように掴まえてちゃくれやせんかね。どうも俺にゃ無理そうなんでさァ」
滅多に吐かない弱音を口にした沖田は、お手上げなのだと笑った。キリにとっての沖田総悟とは――友人であり、他人だ。身内にはなれない。絶対的な境界線を踏み越える事ができない。それがあの日、分かってしまった。
揺れる列車の中で、刀を交え、突き立てられた――優先すべきモノの為には、斬ることを厭わない己と、斬られることを厭わない人間。どうしたって無理なのだ。
「なんでそれを俺に言うんだよ。テメェが無理だってんなら、神楽か新八、アイツ等に直接頼め。お角違いだ」
投げ渡された荷を投げ返す。銀時もまた己には荷が勝ちすぎると――思ったのだ。
沖田は一拍置いた。
「旦那、気付いてやすか? アイツのやり方はアンタに似てんだ。それをしちまうって事は、アイツにとってアンタは特別って事じゃねーですかィ。それが出来るのはそういう『特別』なモンだけでさァ」
「そりゃ、テメェの勘違いだ」と咄嗟に返そうとした言葉は、「本当にそうか?」と、問いかけるもう一人の己に制された。
『斬れなくても護れる物はあるんだってなんで分かろうとしないの!!』『優しい人間が嫌いなんだ』『大丈夫だと言って?』『ただ、前を向いて歩いて行くだけ。そうでしょう銀さん?』
時間を置いて、その台詞を口にできぬ程には心当たりが多過ぎた。だが、どうしろと言うのだ。
酷く狼狽えたような目を沖田は見ていた。それは坂田銀時という人物にしては、珍しい姿だった。
「頼みやしたよ」
頭を一つ下げ、敷地の入り口に張られた鎖を跨ぎ出ていく沖田を、銀時は黙って見送った。