天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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夜兎を追うものは殺される

 後頭部に垂れた三つ編み。黒い中華服に身を包み、にこにこと人好きのする笑みを浮かべたこの少年が、悪逆非道の宇宙海賊春雨、その第七師団の団長だとは誰も思うまい。

 頭が痛いとばかりに、眉間を揉んでいた阿伏兎だったが、溜息をつく。

 

「団長、アンタあのガキどうしたんですか」

「ああ、アレね。ビービー煩かったし、丁度良い子守が現れたんで預けてきた。泣きわめくしか能のないガキって嫌いなんだよね」

「オイ、人の苦労をなんだと……ああ、くそっ……。いや、俺が悪かった。団長に子守なんてもんができると思ってた俺が悪かった。はぁ……帳尻をどう合わせようかねェ……」

 

 悪びれのない台詞に、阿伏兎は情動を押さえるように頭を掻きむしり、もう一度深い溜息をついた。

 それに神威はしれっと言い放つ。

 

「そっちは阿伏兎に任せるよ。面倒くさい事も嫌いなんだ」

「誰がその面倒を増やしていると思ってんだ! このすっとこどっこい!」

 

 無責任極まりない神威に対し、阿伏兎はギリギリと拳を握る。

 それを馬耳東風とばかりに聞き流した神威は、前屈を二三繰り返し、一度跳ねると、楽しそうに笑った。

 神威の言葉に嘘はなかった。月詠さんは晴太君の手を引き、廊下を走っていた。鳳仙に組みする者共が行く手を阻むが、その度に方向を変え、牽制し、倍の時間をかけて頂上を目指す。

 鳳仙は――映像が切り替わる――吉原の夜景を肴に、物見台のように張り出した露台で盃を傾けていた。ゆるりと立つ。向かう先は――。

 豪腕が唸りをあげ、迫る。それを掴む。

 

「神威、あんたじゃ私に勝てない」

「…………」

 

 拳を、蹴りを、受け止め、掴み、離す。ただそれだけを繰り返す。最初は楽しそうに笑っていた神威だったが、やがて笑みは消え、苛立ちが浮かび、表情が消える。そんな癖も、神楽ちゃんにそっくりだった。

 

「阿伏兎が言ってた、私には恐怖が足りないって。強き肉体と、強き魂を兼ね備えた人間を強者と呼ぶなら、私は強いだけの人間だ。今の君が望む『最強』という名はあげられない」

「随分と知った口を叩くね。それに、舐めてるの?」

 

 拳を双方掴み、膝打ちを膝打ちで相打ちにし、回し蹴りが腹に突き刺さるが、一歩足りとも引いてやる事はできなかった――。

 やがて手を使い尽くした神威は攻撃を止め、棒立ちになる。

 

「神威、引いて欲しい」

「俺では不足とでも?」

「違う。これが私の底だ。神楽ちゃんを知ってる? きっと君の知る彼女よりも、大きくなったよ。姿だけじゃなく器も。私は、彼女に救われたんだ。だから私はアンタに拳を振り上げる事ができない。正真正銘、これが私の限界だ。だから拳を収めてくれないか? これは脅しじゃなくて、懇願だ」

「なんだ……とんだ期待はずれじゃないか」

 

 こちらを見据え投げつけた言葉は、失意の音を持っていた。戦いの意味を無くしたのだろう。酷くつまらなさそうだった。

 そこに割って入ったのは今まで傍観に徹していた阿伏兎だった。

 

「おいおい……そりゃあねェだろ。こんだけ掻き回しておいて、敵対する意思はねェって言ってんのか? その上で自分のやりたい事だけ押し通すって、どんだけだ」

「海賊が道理を説くの?」

「そりゃそうだが。はいそうですかって引く訳にもいかねェだろう」

「いかないの?」

「いかねェ……なァ」

「日輪さんと晴太君がお茶する時間をくれって言ってるだけだよ? いかない?」

「それだけで済みゃあな」

「済むよ。それ以上は私の手に余る」

 

 そう、余るのだ。

 その言葉に、ふむ。とアゴに手をあて阿伏兎は思案するが、すぐに顔をあげ首を横に振る。

 

「ダメだダメだ。鳳仙(ジジイ)が機嫌そこねりゃ、折角取り付けた約束も反故にしかねない。んなバクチ、御免こうむるぜ」

 

 やはり素直に引く訳にはいかないか……。あーあ、面倒くさいなぁと溜息を一つつく。

 押してダメなら押し倒せ?

 

「じゃあ、こうしよう。鳳仙の代わりに、私があんた達と交わした約束を履行する」

「そりゃどういう意味だ」

 

 訝しげに、阿伏兎が眉を寄せる。

 

「あんた達は、吉原の金と権力が欲しい。そうでしょう? なら私が代わりに鳳仙から吉原を買い取って、それを提供しようじゃないか。そもそもおかしいと思ってたんだよね、吉原桃源郷(女の国)のトップが筋肉マッチョのご老人なんてさ。やっぱ女心ってのは女にしか分かんないよ。そーいうものじゃない?」

 

 私の答えに、阿伏兎が怒気を滲ませる。

 

「……ここまで人生舐めてる奴ァ俺は初めて見たぜ。アンタ自分が何を言ってるか分かってんのか?」

 

 それに、「分からないよ」と返答したくなる口をつぐむ。

 阿伏兎は、鳳仙から吉原を買い取ると言った私の言葉を、法螺だとか、夢物語などという言葉で否定しない。先のやり取りで出来ると踏んでくれたのだろう。

 だが、同時に私の甘さも正しく認識していた。兎の尾を踏んだか。

 硬直状態で睨み合う中――。

 

「おもしろいじゃないか。いいよそれで」

「団長!!」

 

 神威が同意するように手を打った。それに阿伏兎は非難するような声を上げる。

 それを無視して神威は続ける。

 

「つまんない仕事はとっとと終わらせるに限るよ。それに、おもしろそーな見世物の特等席もくれるっていうんだ。乗らない手はないでしょ」

「オイ、コラ勝手に決めんな!」

「こっちだよ」

 

 リスクとリターン。それを考え、同意するのであれば阿伏兎の方だと思っていた。それが蓋を開けてみれば、先導するのは神威で、俺ァもうどうなっても知らねーぞとぼやいているのは阿伏兎だった。

 本当、現実というのはままならない。

 

 

 

 

 象と蟻。そう例えたのは誰だったか。

 日輪さんが閉じ込められている分厚い扉の前で、月詠さんが晴太君を庇い、鳳仙と対峙していた。

 

「もう気はすんだか。夢というものはいつか覚めるものだ。敗者は敗者らしく鎖に繋がれていれば良いものを。今一度問う。再び鎖に繋がれるか、それともそこで永遠に覚めない夢をみるか」

「……ぐっ」

 

 月詠さんの戦装束(いくさしょうぞく)は血に染まり、右腕をやったのか、だらりと垂らし、利き腕でない手でクナイを握る。その目は既に――己の敗北を悟っていた。

 

「最後を美しく飾り付ける方がいいか、最後まで美しく生きる方がいいか――敗者にはその選択肢すらないときた。現実ってのは随分世知辛いもんですね」

 

 私の声に鳳仙が振り向く。深く刻まれた皺、白銀の髪は、老いた狼を思わせた。

 

「神威――お前の客か?」

「違いますよ。あなたに用があるというんで、俺は道案内をしただけです」

「ふん、口だけが達者になりおって――回りくどいことはいい、何用か」

 

 問われたので端的に応える。

 

「吉原を買いに来た」

 

 瞬間。ぞくりとする笑みを浮かべた。

 見るもの全てを支配下に置くような、反射的に命乞いをしたくなるような、笑み。

 ともすれば、好好爺然(こうこうやぜん)とした、俗人的にも見えた鳳仙だったが、皮が破れ、血塗られた夜の王が顕現(けんげん)する。

 

「冗談にしては面白くないな。この吉原(くに)を買うと? 女でも酒でもなく、この吉原(くに)を買うと?」

 

 冷気のようなものが這い寄る。神威と阿伏兎は涼しそうな顔をしているが、月詠さんの手に持つクナイは細かく揺れ、その後ろの晴太君は座り込み、ガチガチと歯を鳴らしていた。

 私もできればそうしたい所だが……。

 

「もう一度言う必要があるの? それとも耳が遠くて聞こえなかった? ()()()

 

――爆発。

 

 凍てつくような殺気から一転して、魂ごと消滅せんとばかりの熱波が襲う。

 振り下ろされた傘の衝撃は、私という存在を押し潰し、足元の床材を巻き込んで、二段、三段と下の階までをも貫いた。

 それを受け止めた私に鳳仙は目を見開く。

 

「…………」

「対価は私の命をもってと言いたい所だけど、それでは買った商品の行方がなくなってしまう。代わりに望むモノを――」

「ふんっ!」

 

 横薙ぎに払われる。まともに受けたのならば吹き飛ぶしかない一撃を躱す。

 

「酒、女、金」

 

 商品を並べ立てる私の言葉。攻撃は止まない。

 

「太陽にも()()()()()()

 

 ピタリと眉間に傘が突きつけられ止まった。

 

「痴れ言を……」

「嘘じゃない」

 

 突きつけられた傘、その一点から死が這いよる。閻魔の前に突き出された罪人にでもなった気分だ。背中にじんわりと脂汗が流れる。

 脳髄を(さら)うように見つめていた鳳仙だったが、突然笑い出す。

 

「フハハハハハハハッ! 身の丈を弁えぬ愚かな小娘かと思いきや、狂人か? 物狂いか? この鳳仙に施しをなそうなどと――笑止!」

 

 『施し』その言葉に、冷水を浴びせられた。

 はっとした次の瞬間に飛んできた一撃をかわし損ない、壁に叩きつけられる。その隙を逃すまいと攻撃が浴びせられる。

 頭を捕らえられ、何度も壁に叩きつけられる。鉄の塊であったとしてもひしゃげ飛ぶような一回。それが繰り返された。

 たまらず、転移した。

 

「ゲホッ……ガホッ……」

 

 三半規管をやられ、立つことすらままならず、膝をつきその場に吐き戻す。

 主人から離れてもなお、握りつぶさんと怨念のごとく張り付いた腕をはぎ取り、血で汚れた顔面を袖で拭った。

 鳳仙を見れば、転移に巻き込まれもぎ取られた腕など気にする事もなく、目を血走らせて、獲物(わたし)を探していた。くるりと振り返り、目が合った瞬間――。

 それからは言葉など交わす暇もなかった。執拗に、執拗に、相手を喰らう事しか能のない獣のように、思考は全て相手を喰らう為に、三肢は欠けた痛みを相手にも負わさんと――。

 

 気がつけば、鳳仙が血まみれで横たわっていた。

 必死だったのだ――言い訳にしか過ぎない。精神は物理を超える。絶対的な安全地帯を侵される恐怖――。

 負けたとは言いたくない。だが、勝負には負けたのだ。

 足を折られ、腕を潰され、骨が見える程に深手を負い、だが爛々(らんらん)とねめつける双眸は戦う意思を失っていなかった。

 

「鳳仙、私は奪いにきた訳じゃない」

「ふっ、盲目の……娘よ。己の手を見るがいい……血に塗れた腕を。奪い合わず……どう得るというのだ」

「…………」

 

 荒く息をつき、食いしばる歯の間から鳳仙は真実を告げる。

 一つのりんごをまるっと欲しがる子供同士が分かち合うことはない。それを成し得ない人間が吐き出す言葉など綺麗事に過ぎない。

 だから鳳仙は言う。

 

「殺せ」

「まだ貴方は負けを認めていない」

「認めぬよ、死んでも認めぬ。己の綺麗事を確信したまま……殺せ」

 

 それが礼儀だと、己の罪科だと、そういうのだろう。

 だが、ここが吉原である限り、私は負けることはできない。

 

「殺さない。再び奪いにきて、その時はきっと――」

 

――血が飛び散った。

 

 パシャパシャと、顔にかかる血しぶきに、一瞬何が起きたのか分からなかった。

 空から降ってきた番傘が、鳳仙の頭を穿ったのだ。急所を一発で、躊躇なく。

 上を見上げると、神威が傘を振りぬいた格好でニッコリ笑っていた。

 

「神威ぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

 

 吹き抜けを最上階まで一気に跳躍し、怒りのまま拳を振り上げた。振り下ろす瞬間――幻影を見た。

 

「残念」

 

 咄嗟に逸らした一撃は、空間を穿ち、その衝撃波で建物の一部を吹き飛ばす。

 落ちる。飛び上がったのだから当然だ。

 遠く離れていく中で、神威が呟いた言葉を聞いた。

 


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