天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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マミーコンプレックス

――カリカリ……――カリ……カリ……

 

 畳を掻く音がやけに耳につく。壁際にある、黒く艶やかな仏壇には真新しい線香が立っていた。『中』にスイッチを合わせられた扇風機にあおられ、立ち昇る煙が開け放たれた軒先から外へと逃げていく。

 吊り下げられた風鈴がチリンと鳴った。

 

――夢だな

 

 そう判断できたのは、何度も見た夢だからだろう。

 視線を落とすと二人。

 紋付きの黒い着物を着た女がこちらに背を向け、伸し掛かるように、黒いワンピースを着た女の子に跨っていた。

 女の子の足が、股の間から突き出ていた。ジタバタと藻掻くように畳を蹴るせいで、幼い、レースで縁取られた黒靴下の片方は脱げ、もう一方もみっともなくずり落ちていた。

 目が痛くなる程に白い襦袢が、めくれ上がった着物の裾からはみ出し、生々しく波を打っている。

 

――夢だな

 

 もう一度確信をもって頷く。なぜならその子供は『私』だったから。

 畳を引っ掻く音は、その子から発せられていた。映画でよくあるカメラワークのように、ぐるりと視界が回る。丁度真下、女の子の顔を見下ろすような位置で、止まった。

 女の子は顔を真っ赤にして、左手で()()()()()女の手の平をひっかき、もう一方の手で逃れようと、畳を搔いていた。

 

――カリッ……ガリッ

 

 畳を掻く音がやけに耳につく。

 

『おか……さ……』

 

 女の子の口から懇願するように零れ落ちた。

 これが『私』なのだとしたら、見えるハズのない光景で、しかし、記憶と照らしあわせ、現実とそう違いはないだろうと冷静に判断する。

 鬼のような形相で髪を振り乱し、女は――――――と言った。

 

 

 

 

 パチンと、シャボン玉の飛沫が弾けるように覚醒した。

夢が続くようなカリカリという音に身を起こすと、視界の端でチュッと鼠が鳴き、割れたコンクリートの隙間から逃げていった。ササクレだった畳がさらに齧られ、見るも無残な姿を晒していた。

 視界を反転させると、木の格子が目に飛び込んでくる。

 夜王城の地下に位置する、座敷牢だった。立派なのは格子だけで、敷かれた畳はところどころ腐り、ささくれ、カビ臭い。木と木の隙間から外を見ると、左から右へ、打ちっぱなしのコンクリートで出来た通路が続いていた。飾り気のない裸電球がポツリポツリと付いている。

 

 鴨ちゃんと別れたあと。

 店から連れだされた私は、そのまま裏路地へと歩を急かされる。迷路の様な薄暗い道。奥へ奥へと進む先は、まるで地獄へと続くようだった。

 事実――――腐ったゴザに埋もれるようにして笑い続ける女。生死の判別のすらつかない枯れた老人。びちゃびちゃと、錆びた配管から漏れた汚水が地面を汚していた。泡沫(うたかた)の夢から覚めた、吉原の現実がそこにあった。

 死体が一つ増えたところで誰も気にしないだろうな、と思った矢先。慌てた様子で、一人駆け込んでくる。格好から、百華の一員だろうと推測した。

 その人が何か耳打ちしたかと思うと、とたん月詠さんは表情を険しくし、私を部下に預け、その人と共にどこかへ行ってしまった。

 そして、残された者達により、私は、打ち捨てられるようにここに押し込められた。トラブル発生の為、処分を一時保留した――という事か。

 

「てっきり人目につかないところでこうグサッと――――」

「始末されるとでも思ったか」

 

 残りを引き取ったのは、月詠さんだった。右手から歩いてきた月詠さんは、牢の前で歩みを止める。

 

「まあ――。あっ、情報を引き出すための拷問でも? 鞭打ち、木馬、蝋燭責め――……はい! はい! SMプレイは初心者なんで、ソフトな物からお願いします!」

「たわけ」

 

 正座して、シュタッと手を挙げた私に、月詠さんが形の良い眉をヒクリと歪める。

 咥えていた煙管を手に取ると、ふぅと煙を吐いた。カシャンと、牢の隙間から鍵が投げ込まれる。

 電球の光に反射して煙管が鈍く光り、間延びした私の顔が写っていた。

 

「??」

「これから騒ぎが起こる、その混乱に乗じて逃げよ」

 

 投げ込まれた鍵を手に取り、訝しげに首を傾けた私に、月詠さんがそう言った。

 

「何が起こるんですか?」

「ぬしの知るところではない。己の身だけ心配しなんし。逃げろとは言ったが、その後は関知せん。地上までの道は遥か遠い――それはもう酷くな」

 

 意味を問う前に、「牢から出たら、三番目の角を右に真っ直ぐいきなんし」そう背を向け、月詠さんは行ってしまった。

 手の平に残された鍵を見つめる。さてはて――月詠さんは『何をするつもり』なのだろう?

 ただ寝てたという訳ではない。一応の情報は拾っていた。

 私が拘束されたのと時を同じくして、晴太君が何者かの手引により、春雨――神威の元を脱走した。程なくして捉えられたが……手引した人間は日輪さんを慕っていた花魁の一人だった。その人は、虫ケラのように呆気無く殺された――百華の手により。月詠さんではない、彼女が手を出す前に終わってしまった。

 そして――晴太君は再び逃げることないよう、神威等の手の中、奥へ仕舞い込まれてしまった。子供だと思って舐め……いや、面倒臭かったのだろう。手を抜かれていた以前と違い、それこそ鼠一匹逃げ出せないような警戒態勢の中、捕らえられている。神威は――春雨は吉原を諦めていない。

 

 

 物語は今後()()()()()()? 万事屋に晴太君はこなかった。阿伏兎は義手を手に入れた。それに月詠さんの何か覚悟を決めたような態度。私に対する行為が、罪滅ぼしのようにも見えた。

 牢の間から手を伸ばし、鍵を開ける。キィと耳障りな音を立てて戸が開き、腰を屈めそこをくぐった。

 薄暗く続く廊下の先。

 三番目の角を素通りし、奥へ奥へと進む。

 間違っても天国には続いてないだろうとボヤキながら、上へと伸びる階段を登っていく。やがて、爆音や、悲鳴、怒号が響いてくる。焦げ臭い匂いに鼻をひくつかせた。

 どうすべきなのか、何をどうしたら良いのか。速度をあげる。

 

 

 

 

 酷い有様だった。

 

「あーあーあー……おねーさーん生きてますかー、死んでますよね、そうですよね」

 

 ポッカリと腹に風穴を開けた人間。転がる腕、足、飛び散る、血、血、血。

 どこも生臭くていけなかった。

 騒ぎは右手、左手と、撹乱するように至るところで起こっていた。決死の覚悟で晴太君を連れだそうとした花魁に感化され、引き起こされたクーデター。首謀者のトップは月詠さん……か。

 だが、どう贔屓目に見ても――形勢は不利だ。現実的じゃない。

 

「こんな見せかけだけの桃源郷(てんごく)、嫌になっちゃいますよねぇ」

 

 しゃがみ、恨めしげに見開いていた目を片手で閉ざす。

 網膜に直接映しだされるような映像を元に、命がけの鬼ごっこに興ずる月詠さんと合流することとした。

 

「くっ……」

 

 振り向きざまにクナイが放たれるが、開いた傘に阻まれ撃ち落とされる。

 

吉原(ここ)で遊ぶならもっと粋な遊びに興じたいとこだが、悪いなァ、こっちも商売なんでなっ」

 

 振り下ろされた傘を横転し、避ける。その一撃は破片を飛び散らせ、床板に酷いひび割れを作り出す。

 月詠さんを追うのは阿伏兎(あぶと)

 私は、柱に突き刺さったクナイを引き抜き、そして、遠く、廊下の先にいる阿伏兎に狙いを定め――打つ。

 

「……っと、なんだぁ?」

 

 阿伏兎は半身を反らし、眼前のクナイを見送った。

 

「その腕、労災保険降りた?」

 

 体を捻りこちらを振り返る阿伏兎へ問いかける。

 

「あん? お前はあの時の……」

「月詠さん、今のうちに」

 

 何かを思い出したような阿伏兎の背後で、険しい表情を浮かべ臨戦態勢を取る月詠さんを促す。

 

「一人で相手しようってか? おいおい、そりゃあちょっと人生を甘くみすぎだぜ……アンタもなっ」

 

 阿伏兎の気が逸れた隙をつき、特攻をかけた月詠さんだったが、腕を取られ、抑えこまれる。

 

「ぐっ……あぁあああ」

 

 阿伏兎の手が月詠さんの頭を握りつぶさんとばかりに締め上げる。持ち上げられ、月詠さんの足が空をかいた。

 

――バギャンッッ

 

 金属片が舞う中、拘束から抜け落ちた月詠さんを抱きとめる。

 阿伏兎はバチバチと火花を散らす義手をしばらく不思議そうに眺めていたが、不敵に笑うと、ガラクタと化したそれを付け根から引きちぎり、放りなげる。

 

「やってくれんじゃねーか」

 

 殺意を滾らせた阿伏兎に肌をチリチリと焼かれる。

 

「悪いね、源外さんとこにもっかい頼むんだったら安くなるように口ききしてあげるから、許してくれない? 月詠さんは貸し一ってことで、利子膨らむ前にちょっと頼みを聞いてくれないかなぁ」

「……何を」

 

 月詠さんは痛むのか、苦しそうに眉を顰めながらも、戦意で尖らせた瞳を油断なく阿伏兎に向けていた。その瞳を一瞬こちらへ寄越す。

 

「ここは任されてあげるから、晴太君を日輪さんに会わせてやってくれないかなぁ」

 

 我ながら他力本願な物言いだと思った。その言に、月詠さんは忌々しく顔を歪める。

 

「……この状況でそれをいうか。地上へ逃すこともままならんというのに」

「そんなこと言わないでよ、いい女は無粋はいわないもんでしょ? そっちの誰かと違ってっっ!」

  

 次々と繰り出される暴風のような強襲をいなす。絶え間なく襲い狂う、フェイント、本命である回し蹴りからの、脳天を狙ったかかと落とし。

 

「人が話してるときは割りこんじゃいけませんってお母さんに習わなかったの? 阿伏兎ッッ!!」

 

 どてっぱらに掌底をまともに受け、もんどりうった阿伏兎は三部屋分の襖を巻き込み、沈黙したかのように見えた――が、破片をぱらぱらと撒き散らしながら身を起こす。

 

「どう考えても、戦場のど真ん中でくっちゃべってんのが悪いだろ……つっても返り討ちにあってりゃあ世話ねぇがな。アンタ何モンだ? ここの連中とは随分、毛並みが違うようだが」

 

 首をコキコキ鳴らしながら立ち上がる姿は、大したダメージを受けたようには見えなかった。さすが歴戦の夜兎……不死身か。

 

「月詠さん」

「……あまり期待せんことだな」

 

 気配が離れていったことを確認し、向かい合う。

 

「意外。素直に行かせてくれるなんて」

「白々しい。追いかけさせる気なんてこれっぽっちもねーだろ。前言撤回するぜ、甘く見過ぎてたのはこっちの方だったみてぇだ。鼠の一匹二匹いったとこで鼠捕りに引っかかって終わりだ。それよか、アンタを団長のとこいかせる方がやべぇ……折角寝かせつけたモンが起きちまいそうだ」

「勃っちゃうって? いい女だものしょーがない」

「団長の趣味はしらねーが、俺から言わせて貰えば、いい女と呼ぶには色々とコンパクト過ぎる」

 

 貫手、二本の指が、目をえぐりにくる、腕を払い、避ける。一蹴りで柱を折り、拳が木片を粉砕する。背にしていた欄干を乗り越え、階を下る。阿伏兎が迫る。空中での乱戦、絡み合い、階を二、三飛ばし、地面に激突。足が首に回る。外す間もなく、持ち上げられ、叩きつけられるッ!

 床材がまるで飴細工かのように飛び散り、もうもうと埃が舞う。追撃が――迫る。身を引き起こし、逸らし、いなし、隙をついて回し蹴りを叩き込む。

 体をくの字に折り、阿伏兎が吹き飛んでいった。

 

「痛っっ……くっそっ、あーあ、一張羅が台無しじゃねーか」

 

 畳がひっくり返り、座布団やら、布団やら、衝立やら、盛大に散らかる部屋の中心で、阿伏兎が後ろ手をついて体を起こす。

 折れ飛び散った障子戸の一部が、背中の方から肩に突き刺さっていた。それを、手を回し引き抜き、放り捨てる。

 

「もう少し評価を上方修正した方がいいんじゃない? 希望的観測は身を滅ぼすよ。身の程弁えて引いてくんないかな?」

「冗談。確かにアンタはつぇえが、そんだけだ。足りない」

 

 落ちていた傘を拾うと、阿伏兎は唸りを上げて上段からそれを振り下ろす。目の前を暴力的な風が通り過ぎていった。

 

「足りないって何が? 色気? ああ、なるほど。健全な少年誌の限界はこのぐらい?」

 

 応酬に次ぐ応酬。突き出された傘。腕を取り投げ飛ばし、間合いが離れた隙をついて、捌きにくい着物の裾を引きちぎり、身を軽くする。くるりと回り、下品にならない程度の丈である事を確認する。

 

「はっ、ちんちくりんが多少露出上げたところで、色気もクソもねーだろ。アンタに足りないモノは――絶対的な恐怖だ。アンタの攻撃からは、生命の危機ってのをこれっぽっちも感じやしねぇ。そんなんで、夜兎を殺せるか? 兎どころか鼠一匹殺せやしねぇ。むしろ鼠の方が怖ぇぐらいだ。危機に瀕した動物ってのは予想外の力を発揮するもんだからなァ!」

 

 離れた間合いを一気に詰め、横薙ぎの傘、続けざまの回し蹴りをかがみ、避ける。足払いを狙った蹴りは、スカされ、体勢が崩れたそこへ、突き刺すように傘が降ってくる。両手で先頭を握り、眼前で止める。

 力勝負で押し負けた阿伏兎をそのまま持ち上げ、振り払うように――寸前、自ら傘から手を離し、飛び降りた阿伏兎は距離を取る。

 手の中に残った傘を阿伏兎へ、放り投げる。思わずと言ったように受け取った阿伏兎は、何を考えてるんだと、眉を寄せた。

 そんな阿伏兎へ告げる。

 

「恐怖が足りないか、確かに――そうかもしれない。でもそれで十分なんだよ。私の目的は殺す事じゃない。足止めだ」

「おいおい、んな呑気な事言ってていいのか? アンタのお仲間が向かった先にゃあ、とびっきりの化ケ物がいんだぜ? みすみす仲間を犬死させる気か?」

「いいんだよ。化ケ物がおとなしく檻に入ってると思う? 阿伏兎」

 

 バキリと、破片を踏み潰すような音がした。

 

「なーんか派手な音が聞こえてくると思ったら、おもしろそーな事してんじゃん。俺も混ぜてよ」

 

 振り向くと、笑みを浮かべたとびっきりの神威(バケモノ)が立っていた。その笑みは、どっかの誰かにどことなく似ていた。


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