天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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メニー・マニー・メリー

 ゴウン……ゴウン……と低い音を響かせながら船が飛ぶ。薄い雲の上、海洋の真っ只中。

 磨き上げられた甲板の先頭、船首に、派手な着物を着た男――高杉が煙管片手に立っていた。

 

「珍客だな」

「お主は……」

 

 突然現れた私に、高杉は驚くでもなく。

 その隣に立っていた万斉もまた、サングラス越しに視線を向けるに留める。

 

「知り合いか?」

 

 吸った煙を吐き出しながら高杉が万斉に首を向ける。

 

「伊東の手駒。……今思えば、本当にそうであったかは怪しいでござるが」

 

 手駒という単語に、高杉がほうと息をついた。

 

――万斉とは一度だけ顔を合わせた事があった。

 

 隠れ家のように潜む料亭で行われた作戦会合。鴨ちゃんが熱弁を振う部屋から抜け出し、庭先で一人月見をしていた時、声をかけられた。

 眠っているのか、動かぬ鯉が沈む池の淵に立っていると、背後から人の近づく気配がした。

 

『貴様か? 伊東の言っていた新顔というのは』

『耳が早いですね。ご指名ですか? ご主人様』

 

 猫を三重にも着て、首を傾け、振り向く。

 

『…………』

『あれ? ご主人様より、お館様(やかたさま)の方が好みでした?』

 

 痛いほどの沈黙は続く。

 どうしたものかと、悩んでいると、万斉が先に口を開いた。

 

『がらんどう』

『?』

『がらんどうでござる。木のうろを風が通り抜けるような、がらんどうの音』

『ん? んー? ラブソングの間違いじゃない?』

『こんなもの、音楽とは認めぬでござるよ』

 

 そう言い捨て、裏戸から暗闇に消えていった。

 それっきりの縁だったが、覚えているとは……全くの光栄である。

 

「で、そんな奴が何の用だ?」

 

 高杉がカツンと灰を落とした煙管を懐に仕舞い、問いながら一歩前へ出る。だらりと下った手は、腰に吊るした刀をいつでも抜けるように見えた。

 高杉は万斉から聞いて、知っているのだろうか――私の事を。

 

「約束しにきた」

 

 私の答えに、カチャリと音を立てて高杉の刀が引かれる。

 

「そんなものは――閻魔とでもしてろ」

 

 刀は空を切り、切っ先が床板につき刺さった。

 振り下ろされた刀を受け入れることは簡単だったけれど――詫びるには、私は何も知らなすぎた。

 万斉が獲物に手をかけ、転移した私の正面、高杉の背を護るように立つ。

 それを静かに見つめ、ゆっくりと口を開く。

 

「生憎と、死ぬわけにはいかないんだ。だから高杉、約束するよ――もしこの世界に留魂録。そんなもんがあればきっとそれをアンタに届けるよ」

 

 高杉は刀を床から引き抜き――これ以上殺り合う気はないのか――納める。

 

「リュウコンロク……?」

 

 確かめるように口の中で、その単語を転がす。

 そうか、高杉も知らないのか。ならソレそのものは存在しないのかもしれない。

 しかし――。

 

「約束したから。ついでにコレあげる」

 

 借り物だった黒い携帯電話を放り投げれば、高杉はパシリと片手で受け取った。高杉と携帯、似合わないことこの上ないが、これを機会に、文明開化でもすると良い。

 一方的な約束だけれど、それが償いになれば良いと思った。

 

 二人、残される。

 

「万斉……ありゃあなんだ」

「わからぬ。だが……変わったでござるな」

 

 雲を切って、船は飛び続けた。

 

 

 

 

 跳んで帰った、しんと静まり返った自室。なんだか色々疲れてしまって、布団も敷かずにそのまま倒れるように眠った。

 目を覚ますと日が再び暮れたようで、真っ暗な部屋の中、手探りで明かりをつける。ブォンブォンと安物の冷蔵庫の音を聞いて、腹が思い出したかのようにきゅぅーと鳴いた。

 がこっと白い扉をあけると、ほぼからっぽで、そう言えば新八君に処分してって頼んだっけと遅まきながら思い出す。

 唯一、チルド室に残された魚肉ソーセージを手に取り、端を噛みちぎり、つるんと剥く。モシャモシャと齧った。

 味なんてしないもんかと思ったけれど、しっかり安っぽい味を舌は拾い上げてくれた。

 半分。食べ終えた所で、それを咥えたまま、行儀悪く、また畳に仰向けに寝転がる。

 体から、硝煙の匂いがした。――鉄の匂いも。

 舌は生きていたけれど、鼻は死んでいたようだと気づく。

 復活した臭気に、しかし風呂に入る気にもなれず、怠惰に身を任せ、いつもの手をつかって、それを拭い去る。

 鼻の奥に、しつこくこびり付いた匂いもやがて感じなくなり、魚肉ソーセージも食べ終え、残ったビニールをゴミ箱に放り捨る。

 人心地つく。

 ゴロンと寝返りを打ったところで、胸にしまった異物にああ、と手をやった。

 ガラス管。短い、それこそ小指の第一関節程の長さ。

 黒いゴムで閉鎖されたソレを振れば、トプンと留めた時間その時そのままに、掠め取った赤い液体が揺れた。

 輪っかになった蛍光灯に、それを透かしてみる。

 

 考えた事があった。

 

――もしこの世界が、確約された運命を辿るなら、今は何周目なのだろう? と。

 

 目を凝らしてみても、異物なんて見えず、存在してもしなくても、まぁナノと言うのだからとても小さなものなのだろうと、納得する。

 遠い物語の終わりに思いを馳せ、とりあえず今日はもう一眠りしようと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 それから一週間。寝たり、ジャンプを読んだり、TVを見たり、寝たり。ゴロゴロしたり。たまに買い物にでかけ、適当に食べて、自堕落のままに過ごした。

 昼と夜を逆転させた生活を続け、徐々にずれていった時間。陽の光に、目を覚ます。

 

「良く寝たなぁ」

 

 筋を伸ばし、時間経過でリセットされる都合のいい頭を振って、のそりと立ち上がる。

 夜ばかり過ごしていたせいか、無性に陽の光が恋しくなった。

 ドアを開ければ、さんさんと煌めく太陽が世界を明るく照らしていた。

 温かな日差しは心地よく、昼飯なのか朝飯なのか分からないものを近場で済ませた私は、透明の自動ドアを潜った。

 (レタス)(トマト)黄色(パプリカ)

整然と並べられた生鮮野菜が、やさい畑の如く目の前に広がっていた。

 

「いらっしゃいませ、今日のお買い得品は――」

「あのー」

「はい、なんでしょう」

 

 後ろから声をかけると、揉み手をしながら振り返る。胸の店長と書かれたバッチが体と一緒に揺れた。

 アンコウさん、客に対しては愛想いいんだよねぇ。

 

「バイト、まだ募集してます?」

 

 『レジ募集(※時給要相談)』と壁に貼り付けられたチラシを指差しながら、目の前で揺れるアンコウの提灯を見上げる。

 するとアンコウさんは、頭のてっぺんから、つま先まで値踏みするよう眺め回したあと、ふむと頷いた。

 

「君、土日勤務大丈夫?」

「土日祝日全然おーけーですよ」

「じゃあよろしく頼むよ。実はねぇー前の担当者がとんずらしちゃってね、本当困ってたんだよ」

 

 それはアルバイターの風上にもおけない奴ですねぇと相槌を打ちながら、やっぱり顔覚えてなかったかと、新しい職場を探す必要性のない幸運に感謝した。

 悪いけど人手足りてないからさっそく頼むよと、着慣れたエプロンを手渡され、レジ操作の簡単な説明を聞いた後、慣れた仕事をこなす。

 向かい合うレジで仕事をする同僚と視線が合い、胡乱な目を向けられたが、次々と並ぶ客の列にそれもやがて忙殺される。

 ロッカールームで、「復帰したんだ?」と探るような口調で言われたが「何の事ですか?」と返せば、勝手に何かを納得したようで、またレジを共有する同僚に戻った。

 真っ赤に染まった夕日の道を家に向かってテクテク歩く。

 そして――刺された。

 

「きゃぁあああああ」

 

 あちらこちらから、黄色い悲鳴が上がり、逃げるように人が消えていく。

 腹から冗談のように突き出る刀の柄と、それを握る人物。暗い瞳を思い出す。

 

「うっあっ…………」

 

 がくりと膝を折り、倒れこむ私に容赦のない言葉が降り注ぐ。

 

「3点」

 

 転がった私の腹から引きぬいた刀の先を、シャコシャコと指で押し縮めながら総悟が言った。

 伸びたり、縮んだりする度に、血糊がピューピューと飛ぶ。

 それが地面に転がる私の顔にびちゃびちゃと降り注ぐ。

 完全な嫌がらせだ。

 

「いつまで寝ているつもりでィ、今度は股に垂らすぞ」

 

 セクハラも良い所だ。

 しかし、本当にやりかねないので、立ち上がり、顔にべっとりついた血糊を着物の袖で拭う。改めて自分の体をみると、全身血塗れで、とても往来を歩ける姿ではない。

 

「ずいぶん酷くない?」

「スタンガン仕込まなかった優しさに感謝しろィ」

 

 その言葉にもう一度体を見下ろし、やられたら二倍どころか、千倍にして返す総悟だから、それはもう、菩薩のような心をもった対応なのだろうと、相対比で自分を無理やり納得させた。

 しかし、このままでは帰ることもままならないので、その菩薩心をなかった事にする。

 赤い色がどこかに失せていくのを、総悟は色のない目でみていた。

 

「じゃあ、これで貸し借りはちゃらって事で」

 

 そのまま帰ろうとする私の腕をつかむと、そのまま総悟は正反対の方向へ引っ張って歩く。

 

「脳味噌ちゃんと入ってんのかィ? こんなんで、終る訳ないだろ。山崎の野郎は『温泉旅行に当たりました』なんて見え見えの詐欺に引っかかってどっかの山奥でラケット振ってるわ、報告書と始末書と、配置転換のための残業で、寝る暇も無いほど働かされるわ……土方ぜってぇー殺す」

 

 吐き出した台詞に、過ぎ去った地獄を思い出したのか、総悟は悪魔のような顔でほくそ笑む。

 「どこに連れてく気?」なんて無駄口を叩こうものなら、土方さんに向けられた殺意がこちらに向きそうなので、私は口を噤んでただ、手を引かれるままに付いて行く。

 ついた先は、商店街の端っこ。記憶では空き地となっていた筈の場所。

 そこに――。

 

「おお、きたか」

 

 近藤さんが手を振り立っていた。

 近藤さんだけじゃない、

 

「いつまでかかってんだ」

「そう思うなら、土方さんが直接行ったら良かったんでさァ、ついでに二度と帰ってくんな」

 

 土方さんも、

 

「……久方ぶりだな」

 

 鴨ちゃんも、

 

「…………」

 

 見たことのある隊士等が頭を下げた。

 そして、その背後には、塗装を施されたメリーゴーランドが、落ちかけた日の中で、じっと、命が吹き込まれるのを待つように。

 一匹一匹を見分けられる程に付き合った、まごう事無き……私の家だった場所。

 小さな、デパートの屋上を模したようなその場所には、作りかけのカフェや模擬店、ベンチが並んでいた。

 

「減給処分者が大量に出たせいで予算が浮いてしまってね……使いきらないと減らさるんだよ。かといって、使う宛もなく、建設中のここに遊具を寄贈する案を採用したって次第だ。いつまでも、チンピラ警察という評判じゃあ僕も困るんでね」

 

 クイッと眼鏡を指で押し上げながら、長ったらしい言い訳を鴨ちゃんは滔々(とうとう)と語る。

 遠目に、贈呈真選組と書かれたプレートが見えた。

 そんな言い訳は右から左に通り抜け、なんで? という疑問に侵される。

 だって、だって……。

 

「偉そうに言ってるが、その処分者の中にテメーも含まれてる事を忘れてんじゃねーよ、()()()伊東さんよォ」

「ふっ、副長という肩書がそんなに偉いとでも思ってるのかい? 下あっての上だろう? 土方()()殿」

 

 バチバチと火花が散るのを景色の一部と捉え、呆然と立ち尽くす。

 終わったと思ったのに、何一つ変わらないものがちゃんとそこにあった。

 そんな私に、ああ話の途中だったと鴨ちゃんが再び口を開く。

 

「明日、引き渡し予定なんだが……なんだ、その……引き渡す前に試運転をするべきだろうと、渡した後に動かないんじゃあ、真選組の沽券に関わるからな。その試運転に一般市民を代表して君に…………」

「鴨ちゃん!!」

 

 気がついたら駆け出していた。

 どんっと体ごとぶつかるように、激しく抱きつく。視界は黒に包まれ、ぎゅっと手を回せば、確かに腕の中にあった、温かなモノが。足掻き掴みとったものがちゃんと繋がっていた。

 

「お、おい! 離れろ!!」

「やだ」

「やだって、子供か君は!! 君達もみてるんじゃない!!」

 

 片手で私を引き剥がそうとしながら、もう片一方の手を振り回してひゅーひゅーと飛ばされる野次を鎮めようとする。

 剥がされまいと必死で抱きつく私に、ますます声は大きくなる。

 その声に紛れ、

 

「いーもん見れるからこいって、これの事かぁ?」

「公共の場でいちゃついてんじゃねーヨ」

「まったくです、風紀の乱れは心の乱れ、警察が風紀乱してどうするんですか」

 

 腕は離さぬまま、声のした方を向く。

 やれやれという顔を揃えて、三人立っていた。

 

「人数も揃ったし、そろそろ始めるか」

 

 近藤さんの一言で、慌ただしく作業が始まる。

 輪になって、

 

「「三・ニ・一……点灯」」

 

 ぱっと付いた明かりは、幻想よりも美しく、綺羅びやかに。

 

「一番手は誰だ?」

 

 わざとらしく斜にかまえる土方さんはムカつくけれど、温かい雰囲気に寛大にもなろうというもの。

 

「鴨ちゃん行こう!」

 

 仕事は終わったと、道を譲る鴨ちゃんの腕を取る。

 

「ちょっ、僕は! こんな子供だまし……」

「お姫様には王子様のエスコートがないと、ほら!」

 

 嫌がる鴨ちゃんを引きずって、白い馬の前に立たせる。

 手を差し出して強請(ねだ)るように見上げると、その手を素通りし、腰をかかえられ乗せられた!

 

「…………」

「……ちゃんと捕まってないと落ちるぞ」

 

 往生際悪く、逃げようとする鴨ちゃんを、不満気に馬の上から見下ろして、ぱんぱんと馬のケツを叩けば、諦めたのか、それでも仕方ないという態度は崩さず、後ろに乗ってくれた。

 神楽ちゃんや、新八君も乗り込んで……やがて回り出す。

 オルゴールの音と、キラキラと瞬く光。

 回転する景色の中に、一人、総悟がこちらを向いてニヤリと笑っているのが見えた。

 手にした怪しげな、いかにもなスイッチ。

 嫌な予感がする。

 後ろへ流れていく総悟がボタンを押した瞬間!

 

「うわァアアアア!!」

「ちょっとっォオオオオ!!!」

 

 吹き飛ばされそうな程の高速回転。振り落とされそうになった体が後ろから支えられた。

 ってか、いつからメリーゴーランドは絶叫マシンの一員に加わったんだ!!!

 

「あんのくそどえすぅうううううううううう!!!」

 

 ドップラー効果を遺憾なく発揮して、絶叫が響き渡る。

 ちゃんと根に持ってるんじゃねぇかあんちくしょぉおおおおおお!!

 

「……ぜぇぜぇ」

 

 ぶすぶすと煙を立てて止まったメリーゴーランドを背景に、総悟が土方さんにこんこんと説教されている。

 ダルそうにポケットに片手を突っ込んで、へいへいと聞いている姿からは、反省の色は見えない……が、後ろから神楽ちゃんが傘を構え近づいている事から、お仕置きは任せたと私は、ベンチの背に体を預けた。

 そのベンチには先客が居た。

 総悟と神楽ちゃんの喧嘩に巻き込まれ、破壊されていく周囲のモノに悲鳴を上げる、近藤さんと土方さん、頭を抱える鴨ちゃんを鼻をホジリながら、銀さんが「ご苦労なこって」と見ていた。

 

「銀さんでしょ」

「何が?」

「わざわざこんなもの残しておかなくたって、ちゃんと帰ってくるよ。約束したじゃない」

「何のことかさっぱりだな」

 

 すっとぼける下手人はピンッと鼻くそを飛ばす。

 真選組は知らない筈なのだ。朽ちかけた町外れの遊園地の事など。

 

「万事屋さんはアフターケアーもばっちりなんですねぇ」

 

 星が瞬き始めた大江戸かぶき町の一角で、鬼が笑った。そんな話。


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