天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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フォックスハンターハンティング(上)

 枕木を乗り越えるゴトン、ゴトンとした振動が心地よいリズムとなって体に響く。電車の屋根にごろりと寝転んだ私は、ヒューヒューと耳元でなる風の声を聞いていた。

 

「ふわぁ……暇だなぁー。鴨ちゃんもうちょっとお仕事くれてもいいのに」

 

『一般人である君がどうどうと乗り込んでいては近藤に怪しまれる。それまでは身を隠して……そうだな、運びこむ荷物に紛れて貰うか……』

 

 むさ苦しい野郎共の荷物に挟まるなんて御免被りたいので、自分でどうにかすると言い捨て、電車の屋根に乗ったのが一時間程前。やることもなく、ぼーっと空を眺める。

 雲が流れていく。

 赤焼に染まった空が徐々に輝度を落とし、地面に伸びた影の輪郭がぼやける。

 懐に入れた携帯――借り物――がブブブッと震えた。お仕事の時間だ。

 窓枠に掴まり、足先から順当に車内に滑りこむ。

 

「キリちゃん!? なんでぇ!?」

 

 行儀悪く、座席を踏み台にして降り立った所で、そんな声が上がった。

 正面を見れば、近藤さんが、刀を抜いた隊士等の隙間から驚いた顔を覗かせていた。

 

「ちょっとしたバイトみたいなもんです。それで、鴨ちゃん私のお仕事は?」

「えっえっ、仕事って、えっ? えぇえええ!?」

 

 みっともなく動揺している近藤さんを無視して鴨ちゃんに問う。

 

「君の言った通りだったよ。沖田君がここへ向かっている。その相手をしてくれたまへ……並の人間じゃあ務まらないのだろう?」

「ドエスだけど、それでも一番隊隊長ですからね」

「総悟が!?」

 

 その名にガタリと近藤さんが腰を浮かせた。同時にプシュッと扉が開き、結合部分から総悟が姿を現す。

 鴨ちゃんに予め忠告をしておいたのが功を奏し、無駄に刀を向けるものはいない。

 

「なんでてめぇがここにいる!」

 

 私に気づいた総悟が声を荒げる。

 

「近藤さんにもそれ聞かれたんだけどね、アルバイトだよアルバイト。スーパーの仕事だけじゃちょっと懐が寂しくて。ああ、名も知れぬ隊士君、ちょっと刀借りるね。流石の私も隊長殿相手に徒手空拳はちょっと辛い」

 

 了承も得ず、近くに居た隊士の手から刀を取り上げる。

 

「山崎を殺ったってのは本当かィ?」

 

 ギロリと()めつけるような目だった。

 

「ザキが!? どういう事だ総悟」

 

 ジミー君の首を取った次の日の朝にはもう、私がそうした事が一般隊士連中にも伝わっていた。伊東派、土方派問わずに。唯一知らないのは意図的に情報隔離された近藤局長ただ一人。

 鴨ちゃんとしては完全に退路を封じたつもりなのだろう。土方派に寝返ったとしても、そこに私の居場所はない。

 疑り深いなぁーと心の中でため息をついた。

 

「もし山崎殺し(それ)が本当だとしたら?」

「テメェも斬るだけだ」

 

 絶対零度の炎というものがあれば、きっとその瞳はそれを固めて作られたのだろう。キンッと定まる。

 呆然と立ち尽くした近藤さんを尻目に、総悟の刀が音もなく抜かれた。

 対峙する私も刀を構える。

 

「ちょっと待って二人共! 展開早くて追いつけないんだけどぉおおお!? ザキが死んだって何? 初耳なんだけど。えっ、何? キリちゃんが犯人なの? 意味わかんない」

「近藤さんは黙っててくだせぇ、男と女の問題でさぁ…………。アンタ、無理やり突っ込まれるのと、いたぶられながら突っ込まれんのどっちが好きだ?」

「念の為に聞くけどナニを突っ込むの?」

「決まってんだろ――……」

 

 続きは白刃となって返ってきた。

 ガギンッと火花を立てて刃が合わさる。総悟はそれをまるで魔法の様に滑らせ軌道を逸し、がら空きとなった胴を薙いだ。距離を取りかわす。

 互いに、離れた間合いの隙を窺う。ジリジリとした心理戦――に紛れ、総悟の手が隊服の懐に差し込まれる。カチッと微かな音を捉えた次の瞬間――。

 

――ドォオオン

 

 (つんざ)く様な音と共に電車が揺れ、車内灯がパチパチと瞬き、消える。暗闇の中、動揺が広がったその隙を掻い潜り、近藤さんが駆け出すのが見えた。総悟が追手を斬り倒し、援護する。

 

「爆弾!? いつのまに! クソっ……追えッ!!」

 

 状況を判断した鴨ちゃんが、間髪をいれず指示を飛ばす。

 何人斬られた!?

 辺りを見渡せば三人。近藤さんを逃がすことを優先して、幸いに傷は致命傷に至っておらず、まだ息はあった。

 混乱に乗じ、許されるギリギリの止血を施し、苦悶に呻く姿はそのままに、総悟を追う。

 

「総悟は任せて、鴨ちゃんは残って指示を」

「あ、ああ……おい! 列車を止めるな!」

「で、ですが……」

 

 鴨ちゃんと連絡係らしき隊士が揉める声を扉がぶつ切りにする。

 鮮やかな手口に恐れをなしたのか……追っ手は今のところ私一人。のんびりと時間をかせぐ事にする。

 

 

 

 

 ゆっくりと散歩するような速度で前に進んでいると、やがて追いついてきた奴らが偉そうに「何をしている! さっさと行け」とせっつく。

 それを無視して歩くのもそろそろ面倒臭くなったので――。

 

「そこ!」

 

 わざとらしく死角となった座席の影を指さし声を上げる。すると偉そうな態度を翻しバッと距離をとる。

 

「……に、いたらどうする?」

 

 予想を超え、お約束通り過ぎる態度に、クスクスと笑いながら振り向くと、「ざけんじゃねーぞ」「犯すぞこのアマ」なんておおよそ警察らしくない罵声が飛んだ。

 片耳に指を突っ込み、それらを聞かなかった事にする。

 

「じゃあさ、先頭どうぞ? ああ、気をつけて下さいよ? 怖い怖い隊長さんが死角に潜んでるかもしれないので」

 

 通路の端に寄り、手を揃えて促せば、肘で互いをつつき合いながら、「お前いけよ」「いやお前が」と小競り合いが始まる。

 あーあー、やっぱり白だろうと黒だろうと真選組(バカ)真選組(バカ)だと――握った刀が重くなった気がした。

 局中法度第二十一条だっけか……。なんで真選組(バカ)の仲間でもないのに覚えてるんだか。

 誰も先を行くものはいなかったので、道先案内人としての責務を果たすべく再びゆっくりと前進する。最後の車両――正確に言えばそれより前に車両はあったが、すでに切り離された後だった。

 

「君、急ぎ後方へ戻って、鴨ちゃんに近藤さんと共に列車が切り離されたと伝えて」

 

 手近にいた一人を掴まえ、早くと押し出す。

 遠ざかる車両の中で、近藤さんはガラスに顔をべたりと貼り付け、届きもせぬ腕を必死で振り上げていた。

 それを背景に、もう道などないというのに総悟は、何人(なんびと)も進むことは許さないと立ち塞がる。

 私を抜きにしても、背後に連なる人数に鑑みれば決死の覚悟とも取れるが、その瞳は勝機を失ってはおらず、むしろ――。

 

「これで心置きなく殺れんなァ」

 

 低く構える姿勢に気圧され、生存本能がアラートを上げる。

 気がつけば一歩後退していた。

 カラカラに乾いた唇を舐め、そんな本能を宥めすかす。

 

ベビーフェイス(赤ずきんちゃん)は狼に食べられるって相場が決まってるんだよ? 知らない?」

「大人しく食べられる赤ずきんだけじゃねーって、狼もそろそろ覚えた方がいいぜ?」

 

 カチャリと刀が構えられる。

 

「その腹ァ……食い破る!!」

 

 狼はどちらであったか……。目を見開き怒声と共に刀が振りぬかれる。距離は一瞬にしてゼロとなり、ガギンッと鉄と鉄がぶつかり火花が散った。その火花が消えるよりも早く、続けざまにカチ上げられる。

 体を逸し避けた腹に――蹴りが飛ぶ!? 慌てて空いた片腕で受けるが、予想よりも遥かに重い一撃に、重力から切り離される。吹き飛び、何名かを下敷きに止まったそこに容赦なく追撃が迫る――。

 ビタリと喉元に突きつけられた刀に総悟は止まる。

 互いの喉元、皮一枚に突きつけられた刀。

 倒れた体勢から繰り出した一突きであったが、総悟の勢いを殺すには十分だったようで、バクバクと脈打つ心臓に、まったくもって気を抜いている場合ではなかったと唾を飲み込む。

 抜いたつもりはなかったが……そう簡単にトップギアに入れない。こちとら素人なのだと、自分に言い訳をして起き上がる。

 総悟もまた、距離をとった。

 

「乳歯じゃ食い破るのにも苦労するんじゃあない?」

「予想よりも、皮下脂肪が分厚くてな……狼というよりこれじゃあ豚だろィ」

 

 苦し紛れの軽口だったが、ニヤリと笑い返す姿には余裕すら見えた。

 これではどちらが優勢か分かりゃしない……けれど、

 

「油断してると痛い目見るよ。狼は一匹とは限らない」

 

 ガタンゴトンと枕木を踏み越える音とは別の低い重低音が外から響く。ドドドドッと土煙を上げて車列をなす群れ。河上万斉が先頭を率いる――。

 

「鬼兵隊……」

 

 さして驚いた様子もみせず、ただ総悟はその姿を視界の隅で追う。

 そして――期待していなかったと言ったら嘘になるが、その後に続くボロボロのパトカーに取り零すなよと祈りを込める。

 タイムリミットが近いのは私も同じだった。

 

「いこうか」

 

 掛け声に無音で――音が追えぬほどの抜刀だったが――。

 

「甘いよ」

 

 影すら捉えられなかっただろう。

 総悟の懐に潜り込み、刀を突き出す。勢いの乗った一撃はそのまま総悟の体を持っていき――激しい音を立て、行き止まりの扉に背を打ち付ける。

 ガラスに蜘蛛の巣が広がった。

 痛みに顔を歪める総悟であったが、己の腹に突き立った刀と湧き出るように溢れる血液を信じられないかのように見つめ……やがてズルリと身を崩し倒れこむ。

 

「ま、気合入れればこんなもんよね」

 

 一瞬垣間見えた暗い瞳を努めて冷静に受け止めながら、総悟の腹から刀を取り返す。

 ビチャリ、ビチャリと血痕が後を引いた。

 

「連絡係、君だっけ? 『裏切らず』にキリは沖田隊長を取りましたって伝えてくれる?」

 

 呆気に取られる面々の内一人の肩を叩く。

 

「いつから……知って……」

 

 零した言葉は、自ら見張りだと認めたようなもの。鴨ちゃんの二重、三重の予防策にはハタハタ恐れ入る。

 気まずげに背を向けて取り交わされる無線連絡のやり取りが終わったのを確認し、紫電を飛ばす。

 

「なっ……」

 

 痙攣し、それでも伸ばされた腕は無線機を掴むことは叶わず、手から溢れ落ちた無線機が床にぶつかり鈍い音を立てた。

 バタバタと崩れ落ちた全員を屯所(ベッド)へ送り届け、血だまりに沈む総悟を見る。

 

「バイバイ、総悟」

 


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