金色の冠が乗ったお姫様と、お姫様に連れられた一匹の白い獣がテーブルの上に放り投げられていた。画用紙にクレヨンで描かれたそれは神楽ちゃんの将来の夢らしい。
えいりあんはんたーになるんじゃないの? と聞いたら、えいりあんはんたーを兼任したお姫様になるのだと、なんとも贅沢な夢を語ってくれた。
「銀さん、これ何の影響?」
つつっと銀さんに画用紙を指先で寄せて尋ねる。神楽ちゃんは、遊びに行くと出かけていった。
秘密基地に行くので大人はのーせんきゅーべいべーとのこと。最近、ハマりだした秘密基地ごっこに大人は混じってはいけないらしい。
「あー、神楽がいつも遊んでる奴がどうも遊園地に行ってきたらしくて、その自慢話の影響」
ソファーに腰を下ろしながら、しかし嫌そうに顔をしかめてるあたり、大方私も連れてけとねだられたのだろう。まあ甲斐性なしのマダオには連れて行く金などないので、その思いは画用紙に発散されたと推測する。
お花に囲まれたお姫様は幸せそう? ……口裂け女も顔負けな大口を開けて笑って? いた。
キラキラした子供の夢。思い出す。
「そう言えばさ、小さいころ将来何になるのかって宿題があって凄い困ったなぁ。なりたいものなんて無かったから、家にあった金魚鉢の金魚が目についてね。金魚になりたいって書いたんだ。そしたら先生、困った子供を見るような目で見つめてくるもんだから、なんだかおかしくってね」
四匹いた金魚はいつの間にか三匹になって、最後の一匹になった。
ぷかぷか浮かぶ金魚を大人たちは「可哀想な事をしたね」とか、「こういう生き物は寿命が短いから」なんて言い訳をして、全然悲しくなさそうな顔で新聞にくるんで生ごみに捨てた。
最後の一匹になった金魚が、作り物の水草の間を縫って泳ぐのを見ながら、暑い夏の日に書いた作文。蝉の声が煩かった。冷たい麦茶を入れてくれた。幸だった記憶。
「そりゃ困るだろ。金魚になりたいなんて、その子の将来不安になんだろうよ」
ひとり言のつもりだったけれど、律儀にに銀さんは相手をしてくれた。小馬鹿にした目がおまけについてきたが。
でも全くの同意だったので、気にはならなかった。
「そうそう。今思えば悪いことしたなーって思う。でもさ、宿題はやり直させられなかったから、先生はそれを伝えて子供の夢を壊したくなかったんじゃないかなーとも思うんだ。子供だって人間が金魚になれない事なんて分かるのに、大人はそれが分からないんだから、おかしいよね」
目の前のコップから水滴が垂れて水たまりを作った。ピンク色に染まったグラスは銀さんのもので、優しくない今日の銀さんは分けてはくれなかった。
最後の一杯だったってのもある。大概に置いて最後の一杯は譲ってくれない。大人げない大人だ。
それが持ち上げられ、コクリと飲まれる様を見つめる。
白い喉仏が動き、透けたその先にピンクの液体が落ちる様子を想像。ピンク色の胃袋で波打ついちご牛乳は、届かぬものだと諦めテーブルに落ちた水滴で、へのへのもへじを描く。
「今は何になりたいんだ」
あまりにも私がいじまし気なものだから、銀さんは誤魔化すようにそう言った。
「今はね……ライ麦畑で子供を捕まえる係になりたいな」
「なんだそりゃ」
「それじゃなかったら、そうだな……銀さんのお嫁さん!!」
「ぶっ」
机の上にピンクの飛沫が飛ぶ。お姫様の顔にも跳んだソイツは、画用紙に点々とした染みを残した。
「汚いなぁ……」
落ちるかな? とティッシュで上から叩いてみるが、ジワリとした染みが広がっただけで、あーあ神楽ちゃんに怒られると人ごとの様に呟く。
「とんでもない事ぬかすからだろお前が」
口端に垂れたいちご牛乳を拭いながら、銀さんは私に責任を擦り付けようとする。
だから私は反論する。
「定番じゃないですか、お父さんのお嫁さんになりたいっての」
「いつから俺はお前のパパになったんだよ」
「今日から。パパ、お小遣い頂戴。300円でいいから」
「やらねーよ!!」
ねぇ、知ってた銀さん? 人間はそうなりたいと思った人間にしかなれないんだよ。
幸せそうなお姫様にも、金魚にも、子供を捕まえる係にも、ましてや銀さんのお嫁さんなんて脇より酸っぱいモンにもなれない私は、何になるのだろうか?
そんな思いだけが、画用紙の染みのように残った。