塀に手をかけ、顔を覗かせる。
「本当にくるとは」
「約束したからね」
鴨ちゃんは黒い隊服姿で、縁側に腰掛けていた。
それを見ながら、懸垂の要領で腕に力を込め、塀を飛び越える。
ジャリが敷き詰められた内庭の上に飛び石が三つ。縁側に向かうその上を辿る。
いつもの時間、いつものように、いつもの場所で。違うのは三毛がいないという事だけ。
「三毛、今日はいないね」
「君と違ってあの猫は賢いからな」
カチャリと刀を鳴らし、立ち上がった鴨ちゃんは私の前に立つ。動きやすい服装。黒光りした革靴が地面を擦る。刀が抜かれた。
そんな鴨ちゃんに私は笑う。
「それってもしかして、もしかして、私が賢くないと言っている?」
「土方に動きはなかった。他の隊員等も何かを掴んだような様子はなかった。君がどこでどうやって情報を仕入れたかは知らないが、誰にも協力を仰がずに、僕にそれを告げたのは軽率だったな。腕によほど自信があるのか、それとも単なる阿呆か……いずれにせよ、その過信が原因で命を落とす羽目になるのだから――――賢くはないだろう」
鴨ちゃんが左手を上げると、それが合図となったのか、ダダッと建物の影、死角となる場所から五人。統制のとれた隊士達が鴨ちゃんの前に並ぶ。
整然と一列に並び構えられた銃口がこちらを狙っていた。
「『瞬歩』とかいうモノがどういう仕組みかは知らないが、分間1000発を誇るこの最新鋭の銃を前に……果たして通用するかな?」
上げた左手が落とされると同時に銃弾がばら撒かれる――のだろう。よく映画とかで見るやつ。
マフィア顔負けだなぁーと鴨ちゃんの上げた手を見つめてしまう。猫を撫でていた手と同じ、骨ばって細い、刀傷のある手。
「ここって一応警察の敷地内だよね?」
「助けがくるとでも? 生憎と土方君は会合に出ててね、君が懇意にしていた沖田君も同じく。最後にもう一度だけ聞こう――君の目的は何だ? そしてどうやってその情報を手に入れた」
そーいう意味じゃないんだけどね。
何も映さない瞳が冷酷に光っていた。
友達の友達のそのまた友達は友達であると仮定する。ボス猫と私は友達であり、ボス猫と三毛君が猫友だとしたら、その三毛君と友達である鴨ちゃんは私の友達である。つまりは人類皆穴兄弟。
「友達は多い方がいいよね」
その理論からいけば友達百人もあっという間だ。
それが分からない鴨ちゃんは不敵に笑う。
「訳の分からんことを。答える気はないとそう捉えて良いのだな?」
「少し違う。ねぇ、鴨ちゃん。猫の手借りてみない? なかなかだと思うんだよね私の『瞬歩』もどき」
へらりと笑う私にぴくりと眉が動いた。
「つまらん手だな、それが目的という訳か」
「ん、んー? スパイか何かと勘違いしてる?」
沈黙と静寂が耳に痛い。空に伸びた手は上がったまま。薄く青い空は遠く、鴨ちゃんと私の距離もまた遠かった。
遅々として進まないゲームにカードを一枚切る。
「山崎退――彼、気づき始めてるよ。私も邪魔なんだよね。どこに行くにしても付いてきちゃう。信用できないっていうのなら手土産にその首を証拠として持ってきてあげようか?」
細まっていた目が広がる。ピンと伸びた指先がピクリと動いた。
「命惜しさに、味方を売ると?」
「違うよ。言ったでしょ? 私は土方さん側じゃないって。大体こんなものは――」
落とされる手。爆竹の束を火に投げ込んだかのような音と共に地面を銃弾が穿つ。山茶花の枝に、葉に、飛び石に弾は容赦なく降り注ぎ、暴力的な爪痕を残していく。
そんな的ごと粉砕せんとばかりの一斉乱射が唐突に止まった。
鴨ちゃんの指示ではない。
止まった銃声の代わりに
最新鋭の銃器に身一つで打ち勝った私は悪役じみた笑いを零す。
ジリッと――十分に訓練を積んでいる筈の隊士等が
『化ケ物』そんな恐怖にかすれた声を聞いた。
それら全てを無視して、私はへらりと笑いながら鴨ちゃんを振り返る。
「言ったでしょ? 誰にも捉えられないし、誰一人として逃れる事はできないって。私はさ、鴨ちゃんを『取る』事もできたんだよ? 今回も、前回も。そこんとこちょっとは考慮してくれてもいいんじゃないかなぁーなんて」
苦々しく鴨ちゃんは――それでも刀に手を携えたまま対峙する。
「信じろと?」
「よく言うじゃない、信じるものは救われろって」
打つ手なしの状況で、ゆるゆると刀から手が離れる。
「
「必ず」
背を向けて立ち去る鴨ちゃんにおどけた調子で敬礼を取った。
ふっくらとしたレモンの様な月。
障子紙から光が溢れ、白く光っていた。戸の縁に手をかけ、すぅーっと開く。真選組屯所――鴨ちゃんの私室。
「こんばんは~」
声をかけると、文机で書き物をしていた鴨ちゃんが筆を置き、振り向く。
「君か……もう、こないかと思ってたよ」
壁時計の針は今日が終る15分前を指していた。
「意外と手間取っちゃってね。ご注文の品はこちらになります」
丁寧に風呂敷で梱包したソレを差し出すと、鴨ちゃんは正座したまま受け取り、躊躇なく解いていく。
畳の上に解かれた風呂敷包み。その中心にあるのは真選組監察、山崎退――の生首。
穏やかな表情である。枕に寝かせ、布団でも
「確かに」
向きを変え、二度、三度検分した鴨ちゃんは納得したように頷くと一言そう言った。
シュルシュルと衣擦れの音を立てながら元通り首は包まれていく。
「信じてくれた?」
ズズッと部屋の隅に風呂敷の塊を追いやった鴨ちゃんはそれでも硬い表情を浮かべたままだった。
「何が望みだ」
首を持ってしても信頼には足りない……か。
手持ちのカードはそう多くはない。どれを切るべきか切らざるべきか……。
「友達にって言っても信じてはくれないよね?」
場に捨てられたカードをもう一度拾う。
「分からん。なぜ君はそうもして僕に肩入れする。土方への恨みか?」
そうだと答えたとしてそれを信じてくれるか、それとも疑心を強めるだけか……。
能面を貼り付けたような顔からは何もうかがい知ることはできない。
止めていた息を吐く。参謀様相手に読み合い化かし合いなんてやる方が間違っている。そういう土俵で戦ってはいけないのだ。
「昔話をしようか、ある日ある所にいた女の子の話だよ」
鴨ちゃんは口を開きかけ、結ぶ。続けて良いという意味だろう。
「その子には弟がいたんだ。女の子の方は病弱で大人を不安にさせる事もあったけれど、弟君は元気で、賢くて、跡継ぎとしては申し分なかった。そんな弟君がいたお陰で皆安心していた。そうそう、女の子の家はちょっと古いお家でね、そういうのに少しだけ煩かったんだ」
遠い記憶。熱を出せば苦しい? と見よう見まねで看護しては、
重くならないように、揺れないように慎重に声を出す。
「だけど、その大事な弟君は事故で死んじゃうんだ。大好きな姉にザリガニを見せてあげようと、雨で増水した用水路に落ちて。それから大事な跡取りを亡くしたお家は大騒ぎ。嘆いても悲しんでも戻ってこない弟君が死んだ責任は誰にあるのかって。ザリガニが釣れる用水路を教えた父親が悪いのか、目を離した母親が悪いのか――。でも、全てはいらない子に、その女の子に押し付けられた。ザリガニを見たいと言わなければ良かったと。女の子はただそれだけを責められ、追いやられた」
終の家と呼ばれたそこは――出ることの叶わないそんな病院だった。忌み嫌われた子を見舞うものなど誰もいなかった。
「……同情でもして欲しいのか」
揺れる。私じゃない……鴨ちゃんの声が。
少しだけ似ていると私は思った。鴨ちゃんもそうだろうか?
兄と弟、姉と弟という違いはあれども、認められなかった方が逆だったとしても。
「違うよ。誰にも言ってない私の秘密。友達にだけ教える秘密。だからさ、いい加減疑うの止めて友達になってくれない?」
鴨ちゃんは少しこわばらせた表情を浮かべていた。
「君は一体何を知っている」
「知ってる事だけを知ってるよ。……鴨ちゃん見て、今日も月が綺麗だよ」
障子戸を大きく開けて柔らかい月を見上げる。
「そうだな」
それっきり鴨ちゃんは何も言わなかった。