――――時は遡る。
ジミー君が今日も今日とて後をついてまわる。カバディブームは終わりを迎えたようで、今週からはミントンのラケットを振り回している。初心に返ったらしい。
流行は巡ると言うが……。もう1週してもどうにもならないのであれば何か手を打とうと考えながら、私は私のマイブーム――茶色い縞の三毛猫を探す。
雑木林との境目に連なる茂み。その茂みから様子を伺うような頭が見えた。
公園に居着いたこの猫は警戒心が強く、俺は猫王になるっ! と暇にかまけ公園の殆どの猫を陥落させた私をもってしても未だ落とす事ができずにいる。
気づいたのか、吊り目がこちらに向く。少し上がったお尻の先で、ゆらっと尻尾が揺れた。
「ちちちちっ、怖くないですよー」
ヤバイ薬をキメたかのような猫がパッケージされたオヤツを振りながら、ゆっくり手を伸ばす。もう少しというところで……バッと、地面を蹴るように逃げていった。
手を伸ばした格好のまましばし休憩。ため息を堪らえ屈んでいた背を伸ばす。秋波を送ること両手で余るほど。それを全て素気無く袖にされてきた。
ドラッグ猫とにらめっこする。
こいつが悪いのか? 『今、一番売れてます!』とPOPが打たれていたのだが……。
――みぎゃーお
いつの間に来たのか、両耳のちぎれたふてぶてしい顔をしたボス猫が足元でこちらを見上げていた。
愛想の欠片もない顔で早くよこせとばかりに鳴き声をあげる。
お前に上げるつもりじゃなかったんだけどねぇ……。仕方なしに、座り、袋を逆さにする。
細長いジャーキーがバラバラと地面に散った。
それをガツガツと貪るボス猫の頭を撫でる。
「7貰ったらせめて3は返すべきだよね」
ああ、でも奴はプラスもマイナスもゼロでイーブンだと、一人納得する。
地面に落ちた最後の一欠もなめとるように食べたボスは満足気に口の周りをべろりと一舐めすると、のっそりと立ち上がり、茂みの中へと消えて行った。
空っぽになったビニールをくるくると丸め縛り、よっこらせと立ち上がる。
高くなった視線の先、折れた茂みの先へ消えていく茶色と白の尻尾が見えた。
「別にストーカーって訳じゃないよ? 敵を知り己を知れば百戦危うからずっていうじゃない?」
誰も聞いていやしないけれど、言い訳を呟いて、奴の行動をリサーチするためにその後を追う。
公園を抜け、大通りを横切り、裏路地、塀の上、
――カリカリッカリッ
手ずから猫に餌をあげる真選組参謀――伊東鴨太郎がいた。
裏庭に面した縁側に胡座を組み、その膝の上に猫を乗せている。
どうりで見た事がある訳だ。ここが真選組屯所だと気づくのに間があったのは、ここが普段立ち入る事のない裏手という事もあるが、猫に連れられ人が通らない、通れない猫道をひたすら歩かされたせいでもある。
「――誰だ?」
伊東先生が顔を上げる。
「ああ、済みません。怪しいモノじゃないですよ? 猫を追っていたらこんな所にたどり着いてしまいまして。すぐ立ち去るのでお構い無く」
「君は……この前の?」
私の口上など右から左へと聞き流し、先生は眉を寄せる。
それにしても……慣れてるな。餌を食べ終わった三毛はゴロンと腹を見せ、気持ちよさそうに先生の手に撫でられている。
嫉妬心がむくむくと沸き起こる。まっったくもって……解せない。
「あー、立ち去る前にその子、撫でさせて貰ってもいいですか?」
眉の影が更に濃ゆくなったが気にしてはいけない。
だって……この機会を逃したら、こんな姿を拝めるのは、いつになるか分からないじゃない?
嫉妬心は放りなげて利己的になろうと決めた昼下がり。
どうも先生がいれば私が近寄っても平気なようで、膝の上で香箱を組む猫の頭を撫でれば、嫌がる素振りも見せず「な~ご」と欠伸をした。
けれど、私なんて空気のような扱いで撫でる手なぞ存在しないかの様。
じっと伊東先生の手のひらを見つめる。大きさか? 厚みか? 温度か?
骨ばった細い――白い傷跡が幾つかついている――手と己の手と見比べる私に、先生はため息を吐いた。
「分からんな」
「何がです?」
首を傾げれば、ますますもって不可解そうな表情を浮かべる。
「君は土方君側の人間ではないのか?」
暗に自分が土方さんと相対する人間だと告げていた。
まぁ、先日の一件をみれば幼子でも仲が良いなどとは思わないだろう。
「土方さん側? 本当そう思ってます? 監察付けられてますよ? 私」
「だからだよ。あれは彼の甘さだ。僕なら問答無用で斬るがね」
鬼の副長よりも怖い参謀様は剣呑な目つきでこちらを見つめる。
「白か黒かも分からないのに?」
「白か黒かを決めるのが僕等の仕事だ」
ピシャリと言い切り不敵に笑う。
香典を組んでいた猫がむくりと立ち上がる。
――ナァ―
首を振り、後ろ足で頭を掻くと、ピョンと地面に降り立つ。そして、一度だけ振り向きそのまま
あーあ、残念。最後まで満足させられなかった事が悔やまれる。
「ねぇ? 鴨ちゃんまた来ていい?」
鼻白んだ。
「何故だ」
「友達になりたいからかなぁ?」
にゃんと声真似をする私に、鴨ちゃんは「分からん」と渋い顔を浮かべた。
何度目かの訪問。流石に、監察付けられたまま正面突破できるような図太い神経は持っていないので、ビニール袋を持って塀に手をかける。猫缶の入った袋がガサガサと鳴った。
まあ、礼儀みたいなもんだよね。ジミー君を撒いても良い正当な理由ができたとかそんな事は思っちゃいない。
顔を覗かせ、安全を確かめた後、トンと降りる。
「懲りないな君も」
「いやいや、もうちょっとって気がするんですよね……」
抱き上げようとして逃げられ、撫でる手は無視され――けれど、餌は食べてくれるようになった。
「何が目的だ?」
目的……目的……。
「取り敢えずは鴨ちゃんの膝から降りてこっちに来てもらう事ですかね?」
「目標だろうそれは……僕が聞きたいのはっ!」
ボリュームを上げた声に驚いた三毛君が鴨ちゃんの膝の上から逃げ出す。地面に降り立ち、迷うようになーごと鳴き声を上げた。
鴨ちゃんを見上げる視線を遮るようにしゃがみ、そろりと手を伸ばすと……脱兎の如く逃げていった。
「惜しい!」
残り5cmの距離にパチンと指を鳴らすと、おでこを手で抑えた鴨ちゃんが首を振った。
「君といると疲れるな。僕の弱みでも握れば見逃してやるとでも言われたか?」
「土方さんがそんな事言うと思う?」
「……思わんな」
視線そむけ顔を歪めた。
そうでしょうとも。司法取引を得意とするのは鴨ちゃんの方だ。
「ああ、目的って訳じゃないけど、一つだけ」
「なんだ?」
期待してはいないが、一応聞いておこうというような、そんな表情を鴨ちゃんは浮かべる。
「近藤さんの暗殺やめとかない?」
ビュッと今しがたまで私の首があった場所を刀が通り過ぎていった。
見事な抜刀術だ。
避けられると思っていなかったのか、驚いたように目を開く。その目がスッと細まり、
「危ないなー、人間には首が必要なんだよ? 鴨ちゃん知らない?」
「……もう一度問おう、何が目的だ?」
綺麗な構え。新八君が真っ直ぐに伸びた若竹だとしたら、鴨ちゃんはピンッと張った弦だ。触れれば切れそうな程の。
「友達になりたくて」
「まだそんな痴れ事を……ならば、それを理由に死ね。猫一匹分の価値しかない命とは随分哀れなものだ」
踏み石に足をおろし、ゆっくりと近づいてくる。靴下の布地に食い込んだジャリがぱらぱらと落ちる。
切っ先が太陽を受け、神経を削ぐような光を放つ。
「哀れ? そうかな? まぁ、命の価値ってのは人それぞれだから。あ、でもさ、その命に
ヒタリと歩みが止まった。
「……どういう意味だ」
「鴨ちゃんとも友達になりたいって事だよ」
へらりと笑うと、銀色の光が煌めいた。
袈裟懸けに振り下ろされ――後退して避ける――。喉元を狙った鋭い突きが頭上を通り過ぎて行った。
白刃が振るわれる度に徐々に私は後ろへ後ろへと追いやられ――とんッと白壁に背が付いた。
「もう後はないぞ」
握りがギシリと鳴った。
眼鏡の下の眼光が鋭く射抜く。
「本当にそう思う?」
挑発への回答はビュッという空気を切り裂く音となって返ってきた。
その刀が私の首に届く直前――へらりと笑う。
「そこにはいないよ」
惑うように動きを止めた黒い背が勢い良く振り向き、距離を取る。今度は鴨ちゃんが白壁に背を付けた。
「……どんな仕掛けだ」
構えを解かぬまま、油断なく私を見据える。
鴨ちゃんからすれば、文字通りかき消えたように見えたであろう。
「『瞬歩』って奴。
へらりと笑う私とは対照的に、鴨ちゃんの米神から汗がツーと流れ地面に落ちる。
「という、本当のような嘘でした」
「君はっっ!」
怒鳴りつける声にもう一度笑う。
「また来るね。今度はドライタイプを試してみようかな」
「待てっ!」
静止する声を無視して、もう一度私は『跳んだ』。