「はい、え? 急ですねまた。分かりました。じゃあ何かあったら連絡下さい。え? 妖刀? なんですかそれ。はぁ……分かりました気をつけますけど、何をどう気をつければ? あっ、ちょっと!」
切られた受話器を3秒ほど見つめ、結局はチャリンという音を立てて受話器を置いた。
『妖刀に魂を取られないよう、気をつけて』
意味の分からない――警告なのか忠告なのか――そんなものを残してキリさんからの電話は切られた。
真夏の怪談でもあるまいし、妖刀って……。
そんなことよりと、雑に放り出された写真に視線を落とす。
二重人格――そう思えるほど、土方さんの態度が変わることを気づくのに、そう時間はいらなかった。
銀さんのデスクの上には、メイドカフェに入っていく土方さんや、握手会――有名声優らしい――に並ぶ土方さんの写真が散らばっていた。原因をという依頼ではあったが、原因はいまだ掴めないでいた。
『銀さんどう思います? おかしいと思いません?』
『どう考えたっておかしいだろ、このマヨネーズの量。無理だろこんなん、味覚死んでんじゃねーの』
メロンソーダの上の白い物体――残念な事にアイスクリームではなく、マヨネーズをスプーンですくっている写真に、銀さんはうへっと眉を
『違うだろ! 明らかに目をつけるのそこじゃないだろ!!!』
その次の写真は、メイドさんとじゃんけんを繰り広げている姿。
『新八ィ。男は皆、趣味の一つや二つ隠して生きてんだよ。お前も大人になったらわかる。かくいう俺だってなァ……ナースが好きだ』
そんな言葉は馬耳東風とばかりに、銀さんはホジッた鼻くそをピンと写真に飛ばし、したり顔でこちらを見る。
アンタのは全然隠しきれてないだろぉおおおというツッコミが飛んだのは言うまでもない。
そんな会話をしたのは昨日の事で、とりあえず現状を報告しようとミツバさんと待ち合わせをしたのだが……受話器に置いた手をそのままに、壁にかけられた時計を見上げる。黒い針が丁度三時を指していた。
そろそろ時間だから取りに行くのは後にするとして、アレは明日の昼食にと、冷蔵庫の中身を脳内で仕分けする。
「キリか?」
そんな僕に、銀さんが声をかけてきた。
考え事をしていた僕は、半テンポ返事が遅れる。
「あ、ええ。なんでも旅行に行くから、しばらく家を開けるそうです。冷蔵庫の中身、好きにしていいから処分してくれって。合鍵はポストに入れてあるからと。後で原付出してもらっていいですか?」
本題はそこだったようで、妖刀の話はおまけみたいなものだった。本題よりも気になるおまけ。一体全体どういう意味なんだろう?
「あ? それはまた……急だな」
読んでいたジャンプから顔を上げ、銀さんが
「なんでも友達に急に誘われたとか。チケットが余ってるからって」
「友達ィ?」
電話口で聞いたことをそのままに伝えれば、信じられないと目を見開きながら、アイツにそんな人間いんのか? とはなはだ失礼なことを呟く。
まったくの同感ながら、完全に同意するのも可哀想なので、返答の代わりにふと思いついたことを口にする。
「友達と言いながら彼氏とか……まさかそんな訳ないですよね」
自分でいいながら、乾いた笑いが後ろについた。銀さんは凄くつまらない冗談を聞いたように顔を
そうだよな、キリさんに彼氏なんてもんができるなら、僕だって……。そう考えたと同時に、玄関ブザーが鳴った。
ミツバさんだろうかと、玄関へ向かう。
「?? 今開けます」
玄関の磨りガラス越しに見えた姿は、黒く、ミツバさんではなかった。
依頼人だろうか? 万事屋にしては珍しい盛況ぶりに嬉しく思う反面、約束に被ってしまうと悩みながら戸を開けた。
そこに立っていたのは……土方さんだった。
「酢昆布いるか?」
苦虫を噛み潰した顔で告げられた名は、今しがた旅行に行くといった人物で――。
「いえ、さっき連絡があって一週間程旅行に行くって言ってました」
「くそっ……なあ、アイツから……」
舌打ち混じりに何かを言いかけた土方さんが、急にストンと表情を落とす。
――変わる。
確証を持つその通りに、今現在の場所がどこなのか惑うように辺りを少し見渡した土方さんは、オドオドとした態度で――先程までの姿からは想像もつかない――あのーと僕を見つめる。
「いま、何時でござるか?」
「あ、えっと3時です」
「!! いかん、始まってしまうでござる!」
「えっ、ちょっと何か用事があったんじゃないんですか!?」
始まるって何が? そんな僕の疑問を余所に、慌てて踵を返し階段へ走り向かおうとする。そこへ……。
「十四郎さん?」
階段の縁に足をかけたまま土方さんは止まり、ばったりと鉢合わせしたミツバさんは瞳と口を丸くしてこちらを見上げていた。
ソファーに並ぶ土方さんとミツバさんを眼前に見ながら、僕等は座っていた。
あの後、固まる土方さんに、ミツバさんがここに来た理由を何度も聞くが、土方さんはしどろもどろに言葉にならない言葉を返すばかりで、埒が開かず――。
首をかしげるミツバさんと、あーとか、うーとか声を上げる土方さんのにらめっこはしばらく続いた。
「――とりあえず、中に入ります?」
しびれを切らした僕の声に、振り返った土方さんがブンブンと勢い良く首を縦にふり、今に至る。
出涸らしではないお茶が徐々に冷めていく。
何という因果だろうか? 土方さんは肩を縮め、俯いたままもじもじとしている。心なしか頬が薄っすらと染まり――気持ちが悪い事この上ない。
そんな土方さんの隣で、ミツバさんはニコニコと笑い座っている。
どちらか一方だけでも帰せば良かったと、選択肢の誤りに嘆く僕の心などお構いなしに、銀さんと神楽ちゃんのヒソヒソ話が隣から聞こえてくる。
「銀ちゃん今日のマヨ、三倍増しで気持ち悪いネ」
「そうか? いつもあんなんだったろ?」
本当にそう思うなら、銀さん、アンタの目は死んでるどころか腐り落ちてますから。
ツッコミを入れる気力もなく、ただただ気持ちの悪い土方さんから視線を逸らす。
「あ、あのー、それでですね」
本人がいる目の前で話すのもどうかと思うが、やけくそで写真を並べる。
「こ、これは……」
やっぱりまずかっただろうか。目を見開き、土方さんが写真を見つめる。
「かおりんぬではござらんか! この姿! この角度! 先日は惜しくもシャッターチャンスを逃した次第……ぐぬぬぬ! 是非ともこの写真を譲ってくださらぬか!」
両手で掴み掲げた写真は、握手会後のプチ舞台を『女はさ、やっぱケツだよケツ。あ、振り向くんじゃねーよ』とどっかの阿呆が仕事そっちのけでシャッターを切った一枚だった。余談だが、続けた何枚かは、ドアップでピントの合っていない――腕を伸ばして自撮りした――神楽ちゃんの写真だ。
真剣ににじり寄る土方さんに思わず背を反らしてしまう。
「……ど、どうぞ」
ずいっと乗り出す身にそう申し出れば、
「ありがとうでござる!」
と、心底嬉しそうに写真を抱きしめ再びソファーに腰を降ろした。トプトプトプと赤い液体が湯のみに注がれている。
「やはり、かおりんぬは歌って踊れて……スタイルも良いでござるなぁ! 特にこの時の衣装は、ジャネルのデザイナーがかおりんぬに惚れ込んで作ったと言われる一点もの! この腰から太ももにかけてのラインはかおりんぬの見せ方を研究し尽くした人間にしかできない最高の出来栄え! まさに声優界の真珠でござる!!」
興奮する土方さんの背後で湯のみが真っ赤に染まっている。煮え湯をいれたつもりはないのだが、ぐつぐつと煮立つような幻影が見えるのはなぜだろうか? 血の池地獄のような湯のみがそっと差し出された。
「喉かわきません?」
「おお、そういえば、恩にきるでござる。……ごふぅうううう!!!」
ミツバさんが差し出した湯のみを疑うことなく受け取った土方さんは、迷うことなく口をつけ、血のような色のお茶を吹き出し、のたうち回る。
湯のみを渡した本人はというと、まあ、大丈夫? と澄ました顔で地面に這いつくばる土方さんの背を撫で、更に劇物を押し付けようとしていた。
前言撤回……やはりこの人は沖田さんの姉だ。
神楽ちゃんと銀さんはその光景を鼻をホジリながら見ていた。僕は……絨毯に溢れた元お茶がシミにならない内に拭き取ろうと雑巾を取りに行くことにした。
雑巾を取り、戻ると、何やら土方さんと銀さんが揉めていた。
「てめーに言うことなんざ、なんもねーよ」
「そーやって意地はってねーで、いーかげん全部ゲロっちまえよ」
唇を真っ赤に腫らした土方さんの手首を捕まえ、銀さんがにやにやと笑っている。
僕は絨毯の上に被せた雑巾を踏み、染みを抜きながらそれを眺める。
どうやら『いつもの』土方さんに戻ったようだ。どういう仕組みなのだろう?
「なんもねぇつってんだろ」
「なんもねーのに、こーんな……。へーそー、いい趣味してんじゃねーの、ええ? トッシー君」
「誰がトッシーだ! いっとくけどなァ、盗撮は立派な犯罪だぞ? しょっぴかれたくなかったらそれを渡せ」
平静を装いながら、土方さんが掴まれた腕を振り払い、ぴらぴらと銀さんが掲げる写真に手を伸ばす。それを見越した銀さんは後退り……取っ組み合いの喧嘩を始めていた。
どうやら何もかもが面倒臭くなった銀さんが洗いざらい吐けと土方さんに迫っているらしい。
依頼の解決方法としてありなのだろうか? 混沌とした目の前の現状にうんざりしながらちらりとミツバさんを見る。
「やっぱり男の子っていつまでたってもこうなのね」
「脳みそにエロとジャンプと糖分がつまってんのが男子だって銀ちゃん言ってたネ。いつまでたってもほーんとガキで困るわよねぇ」
いや、脳みそが生ゴミなのは銀さんだけだから……。
訳知り顔の神楽ちゃんと肩を並べて「羨ましいわ」と呟いているのを見る限り、どうもミツバさん的には『あり』らしい。
その後すったもんだの末、写真を渡す代わりに事情を喋るという事で決着がついた。
「妖刀?」
半信半疑の眼差しで銀さんが土方さんの刀を見つめる。
「……俺も最初は信じていなかったがな。このざまだ」
笑いたきゃ笑えと吐き捨てる。
この時分に妖刀なんて……と、疑う気持ちがないと言ったら嘘になるが、常識では考えられない土方さんの様子に鑑みるとまったくのデタラメだとも言い切れない。普段を知る人間からすると更にだ。
それに……。
「……なあ、アイツから何かきいちゃいねーか?」
「あいつ?」
「酢昆布だよ酢昆布」
土方さんの言葉に、銀さんが、キリ? と首をかしげていた。
電話越しのキリさんの言葉が蘇る。
「そう言えば、『妖刀に魂を取られないよう、気をつけて』そう言ってました」
「やっぱり奴は何か知ってやがったか。他には?」
「いえ、他には何も」
僕の言葉に、土方さんはくそっと悪態をつき、頭をかきむしる。
魂を取られる。このまま放っておけば土方さんの魂が妖刀に食われる。そういう意味なのだろうか?
思ったより深刻な事態に慌ててキリさんに電話をかけるも、『現在電源が入っていないか、電波が――』という無情な自動アナウンスが流れるだけだった。
結局それ以上は何も分からずじまいで、キリさんと妖刀。両者の間に横たわる謎の線だけが残った。
「邪魔したな」
玄関先で僕等はピシャリという音と共に、土方さんの出て行ったドアを見つめる。――写真はしっかりと回収していった。
これからどうするのだろう? 僕と神楽ちゃんは銀さんを見上げた。
「依頼料は……」
「万事屋さんは、アフターサービスも万全って聞いてるわ」
これで仕事は完了とばかりの銀さんに、ミツバさんはにっこりと笑う。
見た目に反して、中々ちゃっかりしているようだ。
「それ、誰が言ったんだよ。キリか? 碌な事いわねーなアイツ。大体なにか知ってんだったら、もっとまともな情報残しておけっつーの」
バリバリと頭を掻く銀さんに僕と神楽ちゃんはこっそりと顔を見合わせて笑った。
それにしても……キリさんは本当にただの旅行なのだろうか……?
――現在、電源が入っていないか、電波が届かない場所にいるため通話をお繋ぎする事ができません。
無機質なアナウンスが不吉な予感を暗示させるように思えて仕方がなかった。
携帯電話の電波が届かないような、コンビニすらない田舎にいる事を願った。