伝統にのっとりやけ食いをする事に決めた私は、大量のたい焼きが詰まった袋を抱え、公園に向かう。
空には薄く雲が広がり、噴水が足りない日光をテラテラと反射していた。
その真向かいに位置するベンチに座り、取り出しやすいよう紙袋の口を、ビリビリと広げる。袋の縁がふわふわと毛羽立ち、その中に詰まった魚が虚空を見つめていた。
それからの私の行動は、たい焼き袋と化した腹を抱えて、気持ちの悪さに消去法は誤りだったと後悔する。そんな予定だった。
「ちょっと、勝手に食べないでよ」
「いいじゃねぇか、どうせそんなに食えねぇだろ。手伝ってやんよ」
右から伸ばされた手は、紙袋の一番上に乗った――恐らくアンコだったと思う――たい焼きを奪い取る。
どこからともなく現れた、くるくるパーマは一万歩ぐらい譲って存在を許すとしよう。砂糖に群がる蟻のようなもんだ。だけど……。
「キリちゃん、おじさんも一ついいかなぁ? 昨日からなにも食べてなくってさァ」
なんでマダ……長谷川さんまでいるのだろうか? しかも、たい焼きを食料としかみなしていないマダオっぷりを発揮して!
ちょっと想像して欲しい。左右をマダオ共に囲まれた私を……。思わずたい焼きを餌に逃げようかと思った。
けれど、先に座った私がなぜ逃げねばならぬのだろうと考え直し、たい焼きを犠牲にする事で、問題の解決をはかる。
「あげてもいいけど、あそこのベンチに座ってもらえます?」
「そ、そりゃないよキリちゃん。キリちゃんとおじさんとの仲じゃないかっ!」
「どんな仲だよ。ほらさっさとあっち行く。あ、あと銀さんもね」
吹き出すのをこらえ、肩を震わせていた銀さんを振り返り、ビシッとベンチを指さす。
「えっ、俺もなの?」
驚愕に見開いた目にコクリと頷き、もう一つたい焼きを手にすると、銀さんの視線がたい焼きとベンチの間で彷徨う。
結局、たい焼きを手に取った二人は隣のベンチへ移って行った。大の大人二人が背を丸め歩く姿は、哀愁漂うものがあったが、我が身可愛さに捨て置く。
問題が片付いたところで、袋に手を伸ばし、程よく冷めたたい焼きを二つに割る。
良く
想像した味と違う味に驚いて、一口目を味わい損ねるのが嫌なのだ。
遠目に見ると、銀さんは尻尾派で、長谷川さんは頭派らしい。
チラリと、バトミントンのラケットが、銀さん達が座るベンチ裏の茂みの間から見えた。
帯に挟んだ、鳴らない携帯電話に意識が移る。
「クリームはもう少し滑らかな方が……バニラももう少し効かせた方がいいね。あと……甘すぎる」
もごもごと口を動かし、屋台レベル百円の平均的な味に文句を付ける。
総悟や土方さんとは別段友達という間柄でもなく、休戦協定を結んだだけの関係だった。優先するものがあれば協定は破棄されるのは分かっていたし、その優先順位を誤る二人なんて見たくもない。
だから、何も問題はないのだ。
腹の真ん中から尻尾に向かって口を動かし、尾ひれまで食べ尽くした所で、頭に移る。
問題があるとすれば、それは思いの外ショックを受けている自分だ。
私は、総悟や土方さんの事を好ましいと思っている。二人にしたって私に対し別段、
ただ、彼等には彼等の優先順位があって、私がそれに勝てない事など分かりきった事で、どこに問題があるのだ? と、並べ立てた正論を前に割り切れない感情が問題なのだ。
最後に残しておいた唇にディープなキスをして、キープ君に乗り換える。
二匹目の腹を割ると、薄緑のうぐいす餡が顔を覗かせた。
零れそうなあんを先についばみ、本命君と同じく真ん中から尾っぽに向かって食べ進める。
選んで欲しかった訳ではない、優先して欲しかった訳ではない。と、頑なに否定するって事は、逆に肯定しているのだろう。
いつの間にこんなに贅沢になってしまったのか……。
甘ったれた己に腹を立てながら、半分を食べきった所で、口の中の甘さに辟易する。
なんとか残りの頭を口に押し込み、紙袋を除き込めば残り三つ。
どうやら私は、私自身を過剰評価していたようだ。
「だ~か~ら、長谷川さん。あそこのパチ屋は手前の台の方が出るって言ったじゃねぇの」
「そんな事言ったってさァ……。前座ってた人間がじゃんじゃん出してたら出ると思っちまうじゃない。あーあ、あん時隣に座っていたら今頃は……」
マダオとマダオはマダオ談義に花を咲かせ、マダオに拍車をかけていた。
少し近づくのをためらってしまうが、たい焼きに罪はないので、立ち上がる。
「はい、一個づつ取って。スペース開ける」
差し出した紙袋を前に戸惑う二人。
もう何もかもがどうでも良くなり、結局はマダオ二人の間にどかりと腰を降ろした。
「……なんかお前、今日機嫌悪くね? ってか理不尽が過ぎねぇ?」
やや引きつった笑みを浮かべた銀さんが言う。
そんな銀さんに、理不尽を増大させて私は問う。
「ねえ、銀さん。仕事と私、どっちが大事?」
「えっ!? どっちがって……これ答えないといけないの?」
「うん、まじめに答えて」
ぐっと詰め寄ると、銀さんは「ほら、あれだよ銀さん仕事も私生活も両方大事にしたいというか、別に俺お前の事……いや嫌いって訳じゃないけどね。この場合なんか変な意味になっちゃわない?」とグダグダしだした。
「銀さんがそんな男だったなんて、幻滅した」
もう見たくもないたい焼きを無理やり口に頬張り、苦労しなが飲み込む。
「キリちゃん。それ男が一番答えに困る質問だから止めてあげて……。俺も昔、ハツにそれ聞かれてね……凄い困ったなぁ」
見かねた長谷川さんが口を挟み、聞いてもいない昔話を始めた。
「なんて答えたの?」
少しだけ興味がわく。
「あー……当時はさ、ほら仕事人間だったっていうか、結構いい感じで調子づいていたというか……」
「なんて答えたの?」
「誰のおかげで食ってけると思ってんだって……」
「さいてー」
予想以上の最低な回答に、軽蔑の眼差しを向ける。
煤けた背を丸めた長谷川さんは、ベンチの上で膝を抱えると「ハツ……ハツ……確かにあん時は、俺が悪かった。だから戻ってきて……ハツぅ~」と男泣きに泣きだした。
どうやら急所に触れてしまったようだ。
「にしても、んなこと聞くって事は……キリさんいい男でもできたの?」
親指についたアンコを舐めながら銀さん。
「銀さんにはできたように見えるんだ?」
これまでの会話で、なぜその結論に辿りついたのか。
「いんにゃ、どちらかと言えば振られたように見える」
「違いますぅー振ってやったんですぅー」
ニアピン賞に輝いた銀さんを睨み、残りのたい焼きを無理やり口に詰め込む。
「え、まぢで? そのかわいそうな相手だれ?」
「銀さんまでそいつの味方するんだ?」
「いや、お前に惚れた頭のかわいそうな奴……ふべしっ」
銀さんの顔に空になった紙袋を叩きつける。
「あーあー。私、好きになるなら長谷川さんみたいな人が良かったな」
「えっ、嬉しいけど、お、俺にはハツが……」
その言葉に、顔を上げた長谷川さんが、オドオドしだす。
「比較しなきゃいけないような仕事なんて持ってないし」
「きりちゃんンンン!?」
いつから私、仕事と私どっちが大事? なんて言うような我儘な女になっちゃったんだろう。
全部どれもこれも銀さんの所為だ。私を甘やかすから。