天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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エビでたい焼きを釣る

 心にもない「ありがとうございました」と繰り返すこと数時間。壁にかかった飾り気のない時計が終わりを告げる。

 無機質な鼠色のロッカーが並ぶ更衣室に戻り、支給されたエプロンを外すと、エプロンのポケットに入っていた携帯電話がブブブッと震えた。パカリと開けば、マヨと書かれた着信画面。

 総悟に頼むのを止めたマヨネーズ野郎は、代わりに私を使うようになった。一般市民を巻き込む事を躊躇しないのは、護り通す自信の現れか、それとも八方美人っぷりを発揮してしまった己に非があるのか……。

 だがそんな事よりも、バイトが終わる時間帯を計ったかのようにかかってくる着信に、電話番号だけでなく、どこからかバイトのシフトまで漏れている事を感じずにはいられなく、頭を痛める。

 アンコウさん――店長が恐らく漏らしているのだろうと当たりを付けているが、確証もなく……問えば素直に答えてくれそうだが、それはそれで人間不信に陥りそうなので聞くのを躊躇(ちゅうちょ)している。

 個人情報保護法的な何かはこの世界にないのだろうか?

 震え続ける携帯の受話ボタンを押し、耳に当てた。

 

『俺だ。この後時間あるか?』

 

 答えなど分かりきっているにもかかわらず、白々しい問いに、わざとらしい溜息をつきながら私は了承の返事を伝える。

 せめてもの抵抗だ。

 

 

 

 

 お決まりの衣装に身を包み、相変わらず治安の悪そうな通りを散歩する。車が一台通れるか通れないかといった道幅。右隣は木塀が続き、反対側は如何わしいお店が暗い雰囲気を作り出している。

 そんな通りを土方さんの腕により掛かり歩くのは、もう片手では余るほど。そろそろ当たりクジを引いても良いのになぁーと愚痴を零す。

 

「税金、無駄使いし過ぎですよ。めぼしい出現場所を絞り込むとかできないんですか?」

「出来たらとっくにやってるよ」

 

 苦々しい声で前を見据えたまま土方さんは答える。

 そんな会話も、もう数える程にした。

 

「旦那、またご贔屓に」

「おぅ、近いうちになぁー」

 

 なんて言いながら、店から出てきた草臥れた男が一人、フラフラとこちらにぶつかりそうになる。

 二手に別れそれを避ける。

 丁度真ん中に倒れこんだ男は、「注意しろ、バカヤロー」なんて難癖をつけ、上手く取れないバランスに、立ち上がりはコケ、立ち上がりはコケを繰り返し遠く離れていった。

 

「人はなぜ、ああにまでなって、酒を飲むのか」

 

 それを見やりながら、馬鹿だなぁと呟く。

 

「飲まずにはいられない事情でもあんだろ」

「例えば?」

 

 どんな事情だと見上げれば、土方さんは眉間に皺を寄せ、口をへの字に結ぶ。

 

「そりゃ……仕事で上手くいかねぇとか、色々あんだろよ」

 

 空いた右腕でバリバリと頭を掻く。

 どんな理由にせよ、だらしなく酒を飲む姿を正当化するのが(はばか)れたのだろう。

 

「大人は色々大変なんですねぇー」

 

 だから私は分かったような口を利いた。

 

「大変なんだよ。色々とな……」

 

 いつしか両隣は模様を変え、硬く閉ざされた木戸が並んでいた。

 平屋作りの長屋は手入れが足りないのか、そもそも人が住んでいないのか、木造の壁は傷み、時折崩れているような、そんな場所だった。

 

「……武州では桜の下で集まって、まあ良く飲んだなぁ」

「河川敷とかで?」

「ああ、でっけー川が近くに流れててな。酔った勢いで飛び込むもんだからあぶねーつーの」

 

 気がつけばそんな話になっていて、

 

「なぁ、お前はどこなんだ?」

「どこといいますと」

(さと)だよ(さと)。お前にも(さと)ぐらいあんだろよ」

 

 ここではないどこかだよ。

 そう答えようとしたのだけれど、こちらを見下ろす土方さんのその向こう。真っ暗な空にぽっかりと浮かんだ月は、雲に隠されぼんやりと優しい光を届ける。

 どの世界でも変わらない月に、だから……。

 

「ここからは少し遠くてね、きっと知らないよ。東京って所」

「トウキョウ? 聞いたことねぇな」

「でしょうとも」

 

 首を捻る土方さんに、そう言って笑った。

 流石に、「どんなとこなんだ」という問いは曖昧にせざるを得なかったけれど、腕を引けば、バリバリと頭を掻いて「転ぶぞ」と子供に言い聞かすような口調で溜息をつかれた。

 猫一匹、人一人通らぬ、丑三つ時。

 

「当たりクジですかね?」

 

 ヒタヒタと付いて来る足音に気付いたのはそれから間もなく。

 

「…………チッ」

 

 けれど土方さんの顔はそう嬉しそうでもなく、舌打ちすら混じる。

 

「オイ、走るぞ」

「えっ、ちょっと待って……うわっ」

 

 腕を掴まれ引っ張られる。けれど、ヒールにつんのめる私に気付いたのか、逡巡の後、小脇に抱え直された。

 歯を食いしばる必死の形相からは、冗談だとか、何かの作戦だとかそんなものは見えず、振り向けば着崩した浪人が刀を抜き追いかけて来る。

 

「土方、逃げるのか! 貴様それでも武士か!」

「うっせー。今、取り込み中なんだよ」

 

 息を切らしながらも、土方さんは律儀に答える。

 名指しするということは、土方さんを狙って? 別件? 攘夷浪士なのだろうか……。

 帯刀していない真選組副長など、正体がバレれば格好の標的であろうと納得するものの、一つだけ疑問が。

 辻斬犯であろうと、攘夷浪士であろうとなぜ斬り殺さない? いや斬り殺す為の刀がないのは十分承知なのだが、もし追い掛けて来るのが浪士ではなく、辻斬犯だった場合、()()()()()取り押さえるつもりだったのか。

 詳しく聞かなかった捜査方針が徒となる。

 

「降ろして!」

「無駄口はいいから黙ってろ、舌噛むぞ」

 

 徐々に狭まる浪士との距離と苦しげに上がる息。

 仕方ないと覚悟を決める。

 腕を引き剥がすように振りほどき、抱えられた脇から転げ出る。

 

「何をっ!?」

「とっとっ……」

 

 引きとめようと伸ばされた腕を避け、崩れたバランスのまま片膝を地面についた。

 邪魔なヒールを脱ぎ捨てる。

 

「観念したか……。オイ、そっちの女、敵の敵は味方っていうだろ? 見逃してやるからそこをどいてな」

 

 ニタリと気持ちの悪い笑みを浮かべた浪士は、刀を構えゆっくりとこちらに向かい歩いてくる。

 敵の敵? どういう意味だ?? 浮かんだ疑問は頭の片隅に追いやり、今やるべきことに集中する。

 距離にして四メートル。

 

「くそっ」

「下がってて」

 

 前に出ようとした土方さんを制し、浪士の懐へ飛び込む。

 

「待て!」

 

 後ろに聞こえる土方さんの声。

 

「――――っっ!?」

 

 ブンッと風切り音を立てて振り下ろされた刀はドレスの裾を掠め、青い端切れが飛んだ。

 驚愕に目を開き、だが、身についた闘争本能がそうさせるのであろう。降ろされた刀はそのまま横薙ぎに迫る。その柄を抑え、力まかせに奪い取る。

 足払いをかけ、どさりと仰向けに倒れた首に刀を当てれば、憎々しげな双眸がこちらを睨みつける。

 

「クッ……」

 

 倒れた拍子に飛んでいった片方の草履。脱げた足の踵が月の光に照らされ、やけに生白く見えた。

 

「土方さん、隊の人に連絡を」

「……あ、ああ」

 

 男から視線を逸らさず、背後にいるであろう土方さんに声をかける。

 戸惑った声はやがて副長の声に戻り、黒鉄(クロガネ)を思いおこさせるような冷徹な響きをもって、携帯を通じ指示が飛ぶ。

 

「と、取引をしようじゃねーか」

 

 そんな最中、男がそう声を上げた。

 

「取引?」

「とぼけなくてもいい、お前が連中に近づいて何かしようってのは俺等だって知ってるんだ。だが、気付いているか? それを知っているのは何も俺等だけじゃない。泳がされてるんだよお前は。俺を逃がせ。そうすりゃあ、お前の逃走も手伝ってやらないことはない」

 

 声を落とし私だけに聞こえるように囁かれた内容は、今一なんの事か分からず、脳内で台詞をループさせる。

 連中、泳がされている、逃がせ……敵の敵は味方。

 連中とは恐らく真選組の事、何かしようとしているという言葉の意味はとんと覚えが無いが……泳がされているというのはどういう意味だ?

 

「貸せ」

 

 携帯を切った土方さんが、背後から手を伸ばし、刀の柄に手をかける。

 男の双眸が、何かを訴えるように合図する。

 だが、その合図に応える必要性を見いだせず、私は刀の柄から手を離した。

 絶望した浪士が体の力を抜くのがわかった。

 

「どこの手の者だ」

 

 土方さんはそれに気付いていないのか、ヒタヒタと首を脅し、問い詰める。

 硬く閉ざされた口。

 

「まあいい。後でじっくりと聞かせてもらおうか」

 

 やがてサイレンを鳴らしやってきたパトカーに押し込められた男背は丸く、俯いた顔は陰りその表情を見て取ることはできなかった。

 遠く退けられた筈の疑問が、重要なパズルのピースであると気づいたのは後日のことであった。

 

 

 

 

 再び鳴る携帯を手に取る。

 

『俺だ』

「土方さん。聞きたい事があるんだけど、少しいいかな?」

 

 これ以上茶番に付き合う事は耐え切れなかった。

 

『なんだ?』

「おとり捜査って何に対するおとり捜査?」

「……決まっているだろう、辻斬犯のだ」

 

 戸惑うような気配が電話越しに伝わる。

 

「ねえ……辻斬犯なんて本当にいるのかな?」

 

 辻斬犯への対応方法が用意されていなかったのは、そんなもの存在しなかったから。

 気安い会話は情報を引き出す為のもの。

 悔しそうな顔。総悟も……知っていたのだろうか?

 

『…………』

 

 無言の返事がそれを全て肯定した。

 

「流石に私も、私の為の捜査には協力できないや。善哉奢ってくれるっていうんだったら付き合ってもいいけどね。じゃあね」

 

 電話というのは便利だ、用件だけを伝えればその後の気まずさをボタン一つで断ち切る事ができるのだから。

 何も知らずに踊る私を裏で笑って――は、いないな。そういう人達じゃない。

 かぶりをふって、久しぶりに万事屋に寄る事を伝えるため、アドレス帳を開く。

 目についた、マヨとサドの文字、削除ボタンに指を掛け、迷った末に、そのまま下ボタンを二回押して万事屋の文字を選択する。

 

「あ、新八君? 今日寄ってもいいかな、夕飯自分で作るの面倒臭くって」

 


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