天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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閑話 眼鏡を通して見たキリという人間

「ちょっと待ってぇえええええ!!!」

「え?」

 

 次の瞬間にはスパンと切り落とされた人参のヘタ。

 

「新八君、私にも作れそうな料理、なにか教えてよ」

 

 そんなキリさんの一言から始まった料理教室 IN 万事屋。

 色々不安ではあったが、姉上を超える料理人もそうそういないだろうと高をくくっていた。いたのだけれども……。

 

「こわっ、指落ちてませんよね!? ってか猫の手とか聞いたことないんですか、なんでまっすぐに指が包丁の前に飛び出してんですか!」

「猫の手? にゃーお?」

「ぜんっぜっっん可愛くないですから! 腹立つから止めて下さい!」

「はーいにゃ」

「まじめに!」

「さーせんしたー」

 

 顔の横で、拳を握り猫真似をするキリさん。全然ちょびっとも可愛くないんだから! そんなんで、許されると思うなよ。

 調理台の上に置かれたまな板には、人参以外切れたものは見えず、ほっと息をつく。

 ドキドキする心臓をなだめ、包丁の握り方から教える。

 

「包丁は指をこう添えて握り、左手は丸めて猫の手みたいにして食材を抑える。最初はゆっくりでいいんで同じ大きさになるように注意して切って下さい。大きさがバラバラだと火の通りが変わってしまうんで」

「はい、先生」

 

 シュタッと挙げられる手に不安を覚えたが、「変わって変わって」と子供がねだるような姿に、ついつい包丁を渡してしまう。

 

「本当に料理したことないんですね」

「まあ、箱入り娘だったからね」

「こっちを見ない! 包丁ちゃんと見て!!」

「はーい」

 

 乱切りにされる人参から離そうとする視線に注意する。

 いつも飄々としているので誤魔化されがちだが、キリさんはふとした拍子に、非常識というか世間からズレたような面を見せる。

 それは料理をしたことがないだとか、着物をあまり付けたがらないだとかほんのちょっとした一面だ。

 最近よく着るようになった着物について言及したら、着物の美しさに目覚めたと、脳にオムライスでも詰まったんじゃないかと思うような回答を返された。

 

「先生、人参切り終わりました!」

「じゃあ、次はジャガイモで、真ん中で二回切って後は一口大にこうやって」

「ふむふむなるほど」

 

 物覚えが悪いという事はない、だから今までそれを教えてくれる様な人間がいなかったという事なのだろう。

 キリさんは他人を頼らない。

 それは孤独に慣れた、一人で生きなければいけなかった人間特有の癖だ。姉上や、銀さんを見てきたからそれが分かる。

 それでも姉上や、銀さんはキリさん程顕著ではない。あの人達は頼るというか……使うという言葉が正しいが、使えるものは使ってしまえとばかりに他人を利用するから。

 キリさんにはそれがない。

 お人好しだと言えば綺麗だが……他人を利用する事すら自身に許さない、そんな苛烈とも言える思いを抱いているのではないかと、僕は考えている。

 

「次は何を切ればいいの?」

「危ないから包丁を持った手を上げない」

「はいはい」

「はいは一回」

「はーい」

「じゃあ、次はですね……」

 

 だから、こうやって少しづつでも頼るようになってくれた事が嬉しい。

 

「これで終わり?」

「そうですね、後は味を整えて煮込むだけですね」

「鷹の爪入る?」

「入れますけど、よく知ってましたね」

 

 包丁も握れない人間がなぜそんなことを? と疑問をそのまま口にする。

 

「この前入ってたの見てたからね」

「よく覚えてましたね」

 

 鷹の爪の入った袋を渡すと、一摘み分。ちょうど僕がいつも入れている分量に近しいだけの量を入れた。

 記憶力が良いと言ってもそれは本当に見ていないと分からない筈で……。

 

「んー。私、新八君の料理結構好きだからね」

「そーいいながら地味地味いつも言うじゃないですか」

 

 照れてしまった事を隠したくて、ついつい普段の言動を蒸し返してしまう。

 

「地味なのは本当の事だからね」

「それ馬鹿にしてるんですか?」

 

 褒めたいのか、貶したいのかどっちなんだよ!

 からかわれていると分かっていても振り回されてしまう。

 

「地味だけど大好きなんだよ」

 

 けれど、次の言葉に毒気が抜かれ、あまりにもストレートな物言いに、

 

「はいはい、分かりましたから、鍋吹きこぼれないように見ていてくださいね」

 

 思わず視線を逸らし、まだ煮立ってもいない鍋に注意を促す。

 

「またまたそんなこと言って、嬉しいくせにー」

「止めて下さい!」

 

 キリさんはケタケタと笑い、うりうりと脇をつっつく。

 キリさんは……こちらが恥ずかしくなってしまうほど、他人への好意を隠さない。

 他の全てを隠そうとするキリさんが唯一おおっぴらにして憚らない感情がそれだ。

 ストレートにぶつけられたこっちの身にもなってみろというのだ。周りにはそんな人間がいなかったから、本当に対処に困る。

 

「何かいい匂いしてきたアル」

 

 醤油の臭いに釣られて、我が家一番の大食い娘が暖簾をくぐり台所に入ってきた。

 

「味見する?」

「きーやんが作ったアルか……?」

 

 神楽ちゃんは猜疑の眼差しをキリさんに向ける。

 

「そうだけど?」

「やめとくネ。まだ死ぬには早すぎるアル。新八、私、今日の夕飯卵かけごはんでいいアル」

 

 神楽ちゃんは、残念そうな顔を隠そうともせず、台所を出ていこうとする。

 

「まあ待ちなさいって」

「いやアル」

「私の肉じゃがが食べれないというのか」

「私の口はデリケートゾーンアル。危険物持ち込み禁止ヨ!」

「騙されたと思って」

「そんなこと言う奴はみんな騙そうとする奴だって銀ちゃんが言ってたアル!!」

 

 ジタバタと暴れる神楽ちゃんに、小皿に取った煮汁を押し付けるキリさん。

 最後は根負けした神楽ちゃんが口を開き、煮汁を流し込まれた。

 

「……美味しいアル」

「だから言ったでしょ?」

 

 少し悔しそうな神楽ちゃんに、キリさんは笑って頭を撫でる。「もっと」とおかわりを要求する神楽ちゃんを宥めながら、キリさんは「意外と私料理の才能あるかも」なんて胸を反らしていた。

 キリさんはどっちが年上なのか分からなくなるほど子供っぽくて、でも僕等が子供である事を感じてしまう程度には大人だった。

 見送りを何度も拒絶したキリさん。

 ホームレスだという言葉を半ば僕等は信じていなかった。キリさんには、長谷川さんや武蔵っぽい人のような擦れた『らしさ』がなかったから。

 だから、何か事情があって家を知られたくないのだとそう思っていた。

 キラキラ光るメリーゴーランドを前で呆然とする僕等にイタズラっぽい笑みを浮かべて、秘密基地みたいで格好いいでしょとキリさんは笑った。

 きっと依頼を受けたのが僕等でなければ、それを知ることはなかったのだろう。

 脳天気に、不安になるほど、キリさんは明るく笑っていた。強い人だと思う。そんな尊敬すら抱いた僕に、銀さんは「アイツを羨ましがってやるな」と言った。

 その時は意味が分からなかったけれど、抱える孤独にそういう事なのだなと今は意味が分かった気がする。

 

「お前等、銀さんのけ者にして何食ってんだよ」

 

 続いて入ってきたのは銀さんだった。

 

「銀さんも味見する?」

 

 エプロン姿のキリさんを見た銀さんは、若干顔を青ざめて一歩、後退した。

 

「俺、腹の調子悪くていちご牛乳以外受付られねぇんだった。悪ィな」

 

 すごく残念だと見え透いた演技をして逃げようとした銀さんが、キリさんに捕まる。

 襟首を抑えられて羽交い締めにあった銀さんはジタバタと往生際悪く逃げようとするが、神楽ちゃんの助力もあり逃走に失敗する。

 

「いや、まじ無理。ホント、今日の俺の腹、サイクロンジェットって感じで……」

「大丈夫大丈夫、キリさん特製肉じゃが食べたら治るって」

「いやいやいや、本当勘弁して」

「観念した方がいいよ」

「したら死ぬだろォォオオオ!?」

「意外といけネ銀ちゃん。騙されたと思って食べるアル」

「それ絶対騙されるふひゃぐ……んぐっ」

 

 冷や汗を流した銀さんの口を抑えてむりやりこじ開けたキリさんは、肉じゃがを流し込む。

 慌てて吐き出そうとするも、手の平で口を塞がれ叶わない。だが次第にその抵抗も収まる。

 

「あ、意外と……」

「でしょ?」

 

 ふふんと得意そうなキリさんの脇を通って鍋を覗き込んだ銀さんが、肉を狙う。

 

「ダメだって、後は夕飯」

「チッ……しゃーねぇなぁー」

 

 ペシッと伸ばした手が叩き落とされ、ガリガリと銀さんはその手で頭を掻く。

 なんだかこうしてみているとまるで家族のようにも思えた。うっすらと記憶に残る母上を思い出す。

 それはキリさんが無条件で僕等を甘やかしてくれるからでもあり、隠そうとしない愛情のお陰でもあった。

 

「きーやんオセロやろー」

 

 神楽ちゃんがキリさんのエプロンを引っ張る。

 少し困ったような目でこちらを見るキリさんに、頷き返す。

 

「後はやっておくので大丈夫ですよ」

「ごめんね」

 

 少し申し訳なさそうな顔をして、エプロンを脱いだキリさんは、壁のフックにそれをかけ、神楽ちゃんに手を引かれるまま台所を出て行く。

 

「神楽ちゃん今日は何色にする?」

「白!」

 

 廊下から響く声は楽しそうで……。

 

「何にやにやしてんの。むっつりですかー」

「なっ、してませんー! にやにやなんてしてませんー! ってダメですって。さっきも言われたじゃないですか!」

 

 そうやって人をおちょくる銀さんは鍋の中を覗きこんで、やはり肉を狙っていた。

 

「んだよ。お前等二人して、お母さんかつーの」

 

 諦めた銀さんは、菜箸を投げ出しそんな事を言った。

 

「銀さんは……キリさんの家族の話とか、ここへ来る前の話とかって聞いたことありますか?」

「アイツが言うわけないだろ」

「そう……ですよね」

 

 馬鹿な事言ってんじゃねーよとばかりの声質に、気まずさを隠す為、まな板を洗うべく手に取る。

 

「それにな……もしキリがそれを言うとしたら俺じゃなくてお前等にだろうよ」

 

 それはどういう? と聞き返すよりも前に、銀さんはバリバリと頭を掻きながら台所を出て行ってしまった。

 一瞬見えた、死んだ目に隠された不機嫌な色。その言葉が真実であるとすれば、銀さんはそれが……不満なのだろうか?

 まな板を流れる洗剤の泡を見ながら、ふとそんな事を考えた。

 


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