お登勢さんの知り合いを介して借りた古いアパート。古いと言っても手入れはちゃんとされていて、畳だって入れ替えられている。家賃も割安。ワンルームのバス・トイレ……一緒。
いや、
「きーやん。これ、どこに置いたらいいアルか」
「あー、そこに置いて貰える?」
リサイクルショップで買った冷蔵庫を流しの隣に置く。洗濯機をベランダに設置して、布団――これは新しく買った――。ダンボール一箱分の荷物を置けば引っ越しは終わり。細々としたものは後で買い揃えれば良い。
案外簡単なものだ。
「荷物意外と少なかったですね」
新八君が
「まあこんなもんでしょ……借り暮らしでしたし」
「はいはいそうだったアルなー」
「いつまで言い張るんですか、それ」
神楽ちゃんはホコリだらけの手にうぇと顔を
「買い物行くとき付き合いますから言って下さいね」
「お願いするね」
「泊まりにきていいアルか!」
「しばらくは無理だけど、落ち着いたら来てね」
夕飯を一緒に食べる約束をして、後で行くねと伝える。
手を振って玄関から送り出せばもう本当に終わり。
ざっと眺めると6畳の部屋が広く感じた。
諦めるのには慣れていた。大切なモノは作らない様にしてきた。諦める為の努力をしてきた過去の私。
それでも大切なモノを作ってしまうのが人間で、それを失って……もう一度大切を作るには、まだ時間が必要だった。
失う時、失わない為の努力をする必要性を感じるモノ。
それが大切なモノの定義だとすれば、私の大切は、一振りの着物と温かい体温、ダンボール一箱には収まらないおっきな白い犬。それだけだ。
いつか二人の様に
けれど、それが願望なのか、羨望なのか判断はつかなく、『人は急には変われない』その言葉の正しさを知る。
何もない流しに、ダンボールから洗面具を取り出して並べる。
コップ、お皿、買わないと行けないものをメモ帳に書いていく。
窓から見えるのは知らない景色で、聞こえてくる音さえも知らない音に聞こえた。
――ブー……ブー
聞きなれない音に、一瞬遅れて玄関ベルの音だと気づく。はいはいと言いながら出ると、ダンボールを抱えた銀さんがいた。
「あれ? サボりじゃないの?」
いつの間にかいなくなっていたから、てっきり引っ越しの手伝いが面倒臭くてサボってるのかと思った。
「お前なー。何だと思ってんの俺のこと」
「マダオ」
「帰る!!」
「嘘嘘、ごめんごめん」
手を合わせて謝ると、銀さんは玄関にブーツを脱ぎ散らかして、ダンボールをドサッと置く。
「神楽ちゃんと新八君、先帰ったよ」
「途中で会ったから知ってるよ。アイツ等もお前と同じ様なこと言いやがった。お前等が普段どういう目で銀さんを見ているのか、良ーくわかりました!」
「何これ、見てもいい?」
不機嫌全開の銀さんに話題を変える。
ぷりぷり怒りながら目だけで返す合図。テープの張られていないダンボールの蓋を開くと、お皿やコップ、お鍋。
「気の利く銀さんがご近所さんから貰ってきてやったんだよ。感謝しろ」
「おー。銀さんやる時はやるんだね」
気遣いが照れくさくて、ついつい逸らした話題に戻ってしまう。
「もっと感謝しろつーんだ」
ぶつくさ言いながら、銀さんは何もない畳のにゴロンと寝そべると、腰いてーと全然痛そうにもない腰を気遣う。
うっかりと出そうになった、マッサージしてあげようか? という言葉を飲み込む。
大切なモノをもっと大切にしてしまいそうで。そうして、結局のところ諦められる距離を計っている自分に気付く。
「お前はさー、もう少し自分を大切にしなさいな」
持ってきてくれたものを仕舞っているとそう言われた。
振り返ると、銀さんは片肘を枕にしながら、一箱のダンボールを見ていた。目は相変わらず死にっぱなし。
大切にね……。
死んでもその大切さが分からなかった私は、つまるところ手遅れで、「無理だよ」と答えればこの人はどんな顔をするのだろうか? 未来予知は働いてはくれず、ぼやけた白い姿しか思い浮かばなかった。
「そう思うんだったら少し手伝ってくれませんかー? そこの戸棚、手が届かなくってさ。踏み台買わなきゃな」
どちらにせよ、それが他人を傷つけるだけの代物だと知ってはいるので、答えにならない答えを返すに留める。
「人使いの荒い依頼人だこって。依頼料もっとふんだくっておけば良かったなァ」
体を起こし、銀さんは、貸せよと言って、ひょいっと鍋を戸棚の上段に仕舞う。
「これもお願いね」
「そーいやさ、貰ってきて気付いたんだけど、お前コレ使えんの?」
フライパンを手渡すと、思いついた様にそう漏らした。
いや、だから上段に仕舞おうとしてるんですけどね?
視線を逸らした私に何かを悟った銀さんはふかーいふかーい溜息をつく。
「……お前それどうなの? 女としてどうなの? チチもねーし」
「チチの大きさで女の価値量るとか最低~」
胸を隠して軽蔑の眼差しを向ける。
「すげーイラッとするから止めてそれ。大体、隠そうとしても、隠すもんねーから! それに女じゃなくて、人間としてもダメだから!」
「うわっ、銀さんに人間としてはって説教されるとは思わなかった。あ、ヤバイなんか急にヤバイ気がしてきた。どうしよう、新八君に今度料理習おう。うん、そうしよう」
「そうしろそうしろ、あーあ、もうなんか色々疲れた」
そう言うと銀さんは、空になったダンボールを足で寄せ、両手を伸ばして畳に倒れこむ。
「マサージしてあげようか?」
『大切にする努力始めました』そんな看板でも出してみようか。
「出来んの?」
疑いの眼差し。
「性感マッサージなら?」
「……」
「……」
沈黙に耐え切れず手をわきゃわきゃ動かすと、
「はー。お前ダメ! 色々ダメ! 全部ダメ!」
どたりと寝がえりを打って銀さんは本格的に寝始めた。
隕石ふってこーい。投げやりに窓から叫んだ午後三時三十分。