天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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花束の女

 病院を見上げ、一気に跳ぶ。

 ミツバさんに刀を向けている男の背後に立ち、その手首を刀ごと抑え、電撃を打ち込む。

 

「なっ……」

 

 ビクリと体を震わせ、ズルリと滑り落ちた。

 ミツバさんを傷つけぬ様注意を払い、力の抜けた手から刀を取り上げる。

 

「キリちゃん……いつの間に??」

「秘密です。魔術師(マジシャン)はタネを明かさないもんですよ」

 

 不思議そうなミツバさんににっこりと微笑みながら室内を見渡す。けれど、爆弾らしき物は見当たらない。外からは未だに人々の声が絶えず聞こえてくる。寝ている男をチラリと見るが、目を覚ます気配はなかった。

 しまった、順序を間違えたな……。

 

「後はどうにかするんで、帰りましょうか?」

 

 取り敢えずミツバさんだけでもと、手を差し出すがフルリと首を振る。

 

「どうしたんですか? 先に逃げるのが申し訳ないとか? いやいや大丈夫ですって。こー見えてもちゃんと後片付け出来る子なんですよ?」

 

 思い至った理由に、それが不要である訳を説明しながら一歩近づく。

 けれど、ミツバさんは同じだけの距離を後退(ずさ)る。

 

「ミツバさん?」

「違うのよ、キリちゃん」

 

 トンと窓枠に背をついたミツバさんが、そっと着物の襟元を広げる。その隙間から見えたアクセサリーというには無骨過ぎる鈍色(にびいろ)の首輪。

 つるりとした装飾のない『輪っか』という表現が似合うそれは、ぴっちりと隙間なくミツバさんの首を回っていた。

 無骨さにダサさを加えているのはペンダントトップに代わりの、デジタル表記でカウントダウンされる数値。

 見つからない爆弾とその輪がリンクする。いやいやいやいや……。

 

「一度()めたら取れないんですって、そこの人が言ってたわ。ねぇキリちゃん、出口から一番遠い所ってどこかしら?」

 

 窓の外を覗きこむミツバさんの肩は震えもせず、明るい口調にはどこか慰める様な響きすら篭っていた。

 

「ミツバさん冗談きついですってば……」

 

 甲子園の決勝戦で一発逆転ホームランを打たれた投手というのはこんな気分なのだろうか?

 無理やり壊す? そんな考えが頭に思い浮かぶが、それで爆発しないという保証はない。

 なら、首輪だけどこかへ……だけど少しでも位置がズレたら? 首から吹き出した血に染まる己が見えた。

 正しい選択肢はミツバさんを遠いどこかへ連れて行く事……。冷たい計算に裏打ちされたそんな考えを否定しようと、約束を思い出す。ミツバさんと同じ琥珀色に揺らめく瞳を、握りしめた拳を。

 口の中はカラカラに乾き、反対に手の平はじんわりと気持ちの悪い汗を掻く。

 

「いいのよ。キリちゃんも逃げて」

 

 柔かい微笑みはいつかの着物を差し出す時と変わらず、窓の外からは赤子の泣き声が聞こえる。

 私は……背負いたくないだけなのだろうか? その責を、咎を、命を。

 

「心配しないでください。稀代の魔術師に出来ない事はないんですよ?」

 

 表層だけで、へらりと笑う。

 

「いいのよ、大丈夫。きっとバチがあたったんだわ」

 

 窓枠から離れたミツバさんは、そっと私の頭を撫でる。

 バチって……何の? 心当たりがあるとすれば受けるべきは私で……。

 戸惑う私の表情を見て取った様にミツバさんは言葉を続ける。

 

「私、本当はもっと前に死ぬはずだったの。随分前からお医者様からもう長くないって言われてたのよ」

 

 知っているだってそれは……私が変えたんだ。

 

「だから今死ぬのも大丈夫だって言うんですか! それは違う!」

 

 優しく頭を撫でるミツバさんを強く否定する。

 それに対してミツバさんは柔らかく、その否定も全て優しく包み込む様にコクリと頷いた。

 

「そうね、折角助かった命だもの大切に生きなきゃダメよね。でもそうじゃないのよ。死ぬって聞かされた時、私思ったの、不幸な私のまま死ぬ訳にはいかないって。そーちゃんの為にも幸せにならなきゃって……。だけど……」

 

 言葉をそこで区切ったミツバさんは顔を少し(そら)し、遠く、何か綺麗だった物を探す様な目で淡く微笑む。

 

「当馬さ……蔵場が手を差し伸べたのは、善意からだけじゃないって事、なんとなく知ってたのよ。でも長くないのだから大丈夫ってそう思ってた。だから、病状が改善したって言われた時ね、私……どうしようって。覚悟していた筈なのに。でも、今更取り止める訳にもいかず……。そしたらあの人が死んで……私、私……ほっとしてしまったの。酷い話よね」

 

 ミツバさんの透明な肌に一滴流れた涙。

 ミツバさんの頬に伸ばそうとした己の手が止まる。べったりと付いた赤い錯覚が見えた。

 私が汚してしまったモノ。

 

「だからいいのよ」

 

 綺麗に笑い、犯人が取り落とした刀に手を伸ばす。

 あまりにも綺麗だったから、私はその手を掴む事を躊躇してしまった。

 

「来ないで」

 

 自ら刃を首に当てて。じりじりとドアに向って下がる。

 その刀を取り上げる事は簡単だけれどその後は?

 ミツバさんは後ろ手で扉を開ける。

 

「待ってください!」

 

 迷いを含んだ声では制するには力が及ばず。

 

「さようなら、そーちゃんによろしくね?」

 

 閉じる扉。追いかけられなかった。

 なぎ倒された診療器具、跳ね上げられた布団が並ぶベッド。壁に掛けられたモノトーンの時計が針を刻む。

 私は……何を選ぶべきだったのだろうか。

 右手で救って左手で殺す事の無意味さと残酷さに一歩も動けなかった。

 

 

 

 

 不意にドアがバタンと開く。

 ビクリと体を震わせ見るのは、扉に片手を置いて肩で息をする……銀さん。

 

「てめェ……はぁ……はぁ。勝手に先走ってんじゃねーよ」

「……残念ながら先走れる様なモンなんてついてないよ」

 

 今は会いたくはなかった。だって……。

 

「アイツは?」

 

 護ろうとするだろうこの人なら、届かない物を背負ってしまう。

 逡巡する私に何かを見て取ったのだろう。

 

「答えろ!」

 

 強く、拒否できない力強さで問われる言葉に、私は鳥を飛ばす。

 院内を巡る鳥が見つけたのは屋上で遠い、黒い背を探している姿。

 

「屋上に。でも、首に爆弾が……外せなくって」

 

 心の底に銀さんならどうにかしてくれるだろうという思いが隠されていた事を知る。

 天下無敵の銀髪侍。いつだってこの人は私のヒーローだったのだから。

 でも……。

 息を荒げる姿に、汗を垂らす姿に、必死で駆け抜けて来たであろう姿に、ああ……この人も人間なのだと今更ながら認識する。

 救えない物を拾って歩くただの人間だ。

 

「そうか」

「待って!」

 

 それだけを言って再び走りだそうとする姿を引き止める。

 

「行って、行ってどうするの?」

 

 こちらを振り返った銀さんは、澄んだ灰色の目でただ笑う。

 

「知らねーよ……お前、先帰ってろ」

 

 積み上げたジェンガの一番の底。私が今指を掛けている物の正体を知る。

 

『そーちゃん……近藤さん……』

 

 鳥が拾った声。続く名前は誰も聞いていないというのに音にすらせず、ただ思いだけを抱えて……。

 私は。

 

「万事屋さん、依頼だよ。この人、警察に突き出して来てくれないかな?」

 

 よっこらせと、伸びた男を引きずる。

 銀さんは浮かべた笑いを収めて、こちらをじっと量る様に見つめる。

 

「……依頼料は?」

「激辛せんべいなんてどうでしょう?」

人助け(ただ働き)よかはなんぼかましか……なぁキリ」

「あと一つ頼んでもいい? 大丈夫だって言って?」

 

 遮り伝えた願いを銀さんは迷っていた。

 口にすることで、私が何かを選ぶことを感じ取ったのだろう。

 

「万事屋さん?」

 

 私は断れない重りを付ける。

 

「でーじょうぶだ」

「ありがとう」

 

 ひたっとこちらを見つめ、ハッキリと迷いなく口にした言葉に勇気づけられ、私は跳ぶ。

 

 

 

 

 びゅうびゅうと風が鳴る中、ミツバさんは一人、金網に指をかけ見ていた。

 人の顔の判別なんてつかない遠くの一点を見つめて。

 

「ミツバさん」

「キリちゃん……逃げてって言ったのに。今からでも遅くはないわ」

 

 沖田さんにそうするように、困った様に眉を下げ、優しく諭す様な口調でミツバさんは私を(おもんばか)った言葉を発する。

 いつだって最後までこの人はそうなのだろう。

 

「もう、逃げません。私、沖田さんと約束したんです。貴方を助けるって」

「キリちゃん……」

 

 金網にかけていた手を取ると冷たく震えていた。怖くない筈がないのだ。

 一人……ただ一人逝くことが怖くない筈がないのだ。

 

「だからミツバさん。私に命、預けて下さい」

 

 その日、江戸に汚い花火が上がった。

 

 

 

 

 剥き出しの鉄筋が飛び出たコンクリート片。割れたガラス。汚れたヌイグルミ。

 かつて病院だった瓦礫の山に持ってきた花を添える。

 手を合わせ、何を祈ろうかと思ったけれど、相変わらず死の向こう側を知らない私は何に祈れば良いのか分からず、結局形式だけの黙祷を捧げた。

 砂利を()る音がした。

 

「そりゃ、何の為の花束でィ」

 

 目を開けて振り向くと、いつもの気だるさを(まと)った沖田さんがいた。今日は非番ではない筈なのに、現に隊服を身に着けている。

 

「そりゃ……鎮魂の為にきまっているじゃない」

 

 そう口にしたものの、魂の存在を信じていない私の言葉は薄っぺらく感じた。

 実は二つ在った爆弾。

 緊張で震える手を叱咤し、「でーじょうぶ」という言葉を糧に処理した終えた一つ目の爆弾。

 二つ目、気を抜いていた私はそれに対処出来なかった。

 ミツバさんを連れて逃げる事が出来たのは、爆発箇所が一階で、その余波が来るまでに僅かばかり時間があったというだけの事。

 銀さんや、真選組、その他大勢の人達の事を思い出せたのは、その後。

 

「この辺で交通事故が起きたなんて話、俺の耳には入ってきちゃいねーがねィ」

「そりゃそーでしょうとも」

 

 理解不能だと、沖田さんは(いぶか)しげな顔をする。

 煙と埃で真っ白な着流しを黒く染めた銀さんは、それでも犯人をちゃんと連れだしてくれた。

 そして、沖田さんも約束をちゃんと守ってくれた。

 

「人は死んでなくても、窓辺に飾った鉢植えとか、祈りを込めて折った千羽鶴とか、そーいうのあるでしょ?」

 

 私は汚れたヌイグルミを拾って叩き、申し訳程度にその汚れを落す。薄茶けた埃が舞う。

 そして、花束の隣に添えた。

 

「てめぇーは一々そんなモンに花供えて回ってんのかィ。そんなんじゃ、江戸が花畑になっちまわァ」

 

 馬鹿にした様な言葉で、けれど銀さんに少しだけ似た、澄んだ瞳でそれを見つめていた。

 

「流石に全部にって訳じゃないよ。昔ね……私、大人になれないって言われてたんだ。それで結構長い事、病院にお世話になっていて。だからかな、病院ってのは私にとって家みたいなもんだったから、そこに在った物ってのが人ごとには思えなくて」

 

 再び瓦礫の山に視線を移したせいで、沖田さんがどういう顔をしてその言葉を聞いているのかは分からなかった。

 残してきた冷蔵庫のプリンや、ゲームのセーブデータ、きっと私は今、そういう物の為に祈っているのだろう。

 

「今は平気。奇跡が起こって、私はここにいる。つまりはさ……ミツバさんを助けたのは、ミツバさんに私を重ねてたってだけなんだよ」

「んでィそりゃ」

 

 苛立った様な声だった。

 

「お礼とかそーいうのは要らないって事だよ。借りも在ったし、何より私は、寸前で迷った。だからそーいうのは要らない」

 

 振り返ると案の定、沖田さんは苛立った表情をしていた。

 

「馬鹿だろィ、お前。たとえお前が何を思ってようが俺は知ったこっちゃねーんだよ。そもそもだ、テメェに礼なんてするかよ」

「そうだね」

 

 へらりと笑った私に沖田さんはもう一度「馬鹿だな」と嫌そうに顔を歪めた。

 きっと沖田さんは礼を言った所で、私がそれに意味を見出せないという事を知ったのだろう。

 彼も優しい人間だ。

 それを黙って受け取れる強さがあれば良かったのだけど、そうはできなくて、私はいつだって優しい人間を傷つける。ここの所は、そうしないで済む様に生きていたつもりだったけれど、結局の所、人間の本質というものはなかなかに変えられない。

 

「沖田さん、一つだけ教えておいてあげる。土方さんの煙草、火、ついてなかったよ」

 

 謝罪の代わりにあの日気づいた事を伝える。

 

「はっ、んなの知ってらァ。ついでに言うと奴の足元、火もつけちゃいねぇー煙草の吸殻で山が出来てたぜ」

 

 けれど、沖田さんはそれを鼻でふんと笑った。てっきり気づいてないと思っていたのに。

 

「なーんだ知ってたのか。あれ? でも、私が見た時はそんなもの……沖田さんがそれに気づいたのっていつ?」

「あ、そろそろ仕事の時間じゃねーかィ。今日はどうやって土方の野郎をぶっ殺そうか」

「いや、沖田さん、それ仕事じゃないから。ってかアンタが仕事する所この前見たのが初めてな気がする」

 

 付けてもいない腕時計を見る振りをした沖田さんは、私のツッコミを無視して背を向ける。

 

「総悟でィ」

 

 聞き間違えかと思った。けれど追加された「姉上も俺も同じ沖田なんで、紛らわしいや」という言い訳が、聞き間違えではない事を証明した。

 礼の代わりにそう呼ぶ事を許してくれたのは彼の優しさなのだろう。

 

「了解、そーご……さん?」

 

 去っていく筈の背が振り向き刀を抜いた。よほど嫌だったのか、眉間に皺を寄せ、眉がハの字になっている。

 いや、私もどうかと思ったんだよ? でも一応礼儀的にはと思って……しかし、口にして気付くその破壊力。

 ゾワッと気持ちの悪いものが私の背を走り抜けていった。

 

「人間に首って必要だったっけなァ」

「いや、絶対的に必要だと思いますよ、総悟」

 

 言い直すと「そーいやそーだったな」と白々しい事を言って、今度こそ路上駐車していたパトカーがサイレンを鳴らし走りだす。

 

「総悟……ね」

 

 もう一度、口の中で転がした名前は、それはそれでむず痒いものではあるが、まあその内慣れるでしょうと、首を必要とする私は、彼の優しさを受け取った。


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