天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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指を斬る

「新八くーん」

「うわっ……な、何するんですか!?」

 

 ソファーの上で折り目正しくテレビを見ていた新八君の首筋に腕を回し、横から抱きつく。するとワタワタと所在無(しょざいな)く手を動かし、耳から、首筋から、おおよそ染まりやすい所は全て真っ赤にして面白い程焦り出す。

 予想通り過ぎる反応に、私はにまりと顔の締りをなくした。

 

「銀ちゃん。きーやんと新八が嫌らしいことしてるアル」

「ほっとけほっとけ。そのうちメガネをケツに二、三匹連れて歩き回るだろーよ」

 

 神楽ちゃんと銀さんが、テーブル向こうのソファーに並んで、鼻を穿(ほじ)りながらこっちを見ていた。

 公開プレイ……興奮するじゃないの。

 

「新八君、メガネの生産……しちゃう?」

「な、なななに言ってるんですか!」

「それとも私じゃ嫌?」

「キ、キキキキリさんンンン!?」

 

 耳元で(ささ)やけば、生産される物がメガネで有ることへのツッコミも忘れた悲鳴が上がる。

 

「良かったアルな。夫婦仲良くメガネ屋でも始めるヨロシ」

 

 言葉と口を尖らせる神楽ちゃんだけれど、その目は面白くもないニュースを垂れ流すテレビに向けられていた。

 んー……。これはアレですかね。

 

「神楽ちゃんもやーらしいことする?」

 

 笑って聞けば「きーやんがどうしてもって言うならナ」と言っておずおずと近づいてくる。

 そんな神楽ちゃんを新八君と一緒に腕の中に閉じ込め、抱きしめる。

 神楽ちゃんの華奢な肩に腕を回すと、丸い形の良い頭が鼻先を(かす)め、ふわりとお花の様な匂いが漂う。使っているシャンプーはきっと銀さんも神楽ちゃんも一緒なのだろうけれど、糖分を大量摂取する白髪侍よりも、神楽ちゃんは甘く香る。

 

「触りすぎアルヨ。これ以上は有料ネ」

 

 照れくさそうな顔に頬を寄せ「酢昆布一箱でいかがでしょうかお姫様?」そう問えば「二箱アル」と顔を染めながら抱きついてくる。

 先ほどまで逃げ出そうと身を(よじ)っていた新八君は諦めたのか、されるがままに黙りこくり、それでもこちらを見る勇気は無いのかそっぽを向いていた。

 新八君は牛乳石鹸だ。

 

「銀さんもくる?」

 

 流石にこれ以上は腕が回らないけれど、頑張ってみましょうかと、誘う。

 

「おめーのチチがもうちっとあればなぁー。あとケツと色気も」

 

 一言も二言も多い言葉に俄然(がぜん)、闘志を燃やす。

 

「リーダー。反逆者に対する刑はくすぐりの刑が妥当だと思いますがどうでしょうか?」

「甘いアルな。圧殺の刑も追加するヨロシ」

 

 にやりと二人で顔を見合せると、ほんのり汗を流し、銀さんは腰を浮かす。

 

「銀さんほら、アレだよ。用事思い出した……」

「問題無用アル!」

「いや、それを言うなら問答って、や、やめろ。そ、そこは! ギャハハっ」

 

 神楽ちゃんが逃げようとした銀さんを床に取り押さえ、すかさず私は抱きつき脇腹をくすぐる。阿吽の呼吸が織りなす連係プレー。

 それに乗じて、新八君も悪い顔をしながら脇を担当する。日頃の鬱憤(うっぷん)が溜まっていたのだろう。容赦のない責めに、声を上げて銀さんは悶え、苦しむ。

 一通りくすぐったあと、息もたえだえな銀さんに追い打ちをかけて、三人でのしかかる。

 

「ぐえっ……キリ……テメェ後で覚えておけよ……」

「乳の事? 尻の事? ちゃんと覚えてますとも」

「じゃあ、追加しておけ。乳も尻もねぇーくせに体重だけは……ぐはっ」

 

 失礼な! 誤解を招くような銀さんの発言に腹を立てた私は、鳩尾(みぞおち)に拳を突き立てた。

 

「馬鹿アルな」

「懲りないですね」

 

 ノックダウンした銀さんを下敷きに、神楽ちゃんを背負って、新八君を右腕で抱き込んで、少し高めの温度に幸せを感じた。

 

 「熱ィー」そう言いながら銀さんがソファーの上で寝転び、私は神楽ちゃんに並んで、新八君は「お茶入れますね」なんて台所へ。

 コトンとテーブルに置かれたお茶に「ありがとう」と返す。

 

「急にどうしたんですか?」

 

 新八君が私の前に立ち、そう言う。

 神楽ちゃんも同意する様な目でこちらを見ていた。

 

「何が?」

 

 確証を持った問いに素直に応える訳にはいかず、問い返す事でそれを回避する。

 

「何がってまた、そーやって……。大体キリさんはいつもいつも……」

「なんのことやらさっぱりですねぇ。天気もいいしちょっと運動でもしてこようかなぁ?」

 

 その先を遮る様に立ち上り、壁に立てかけられた竹刀を手に取る。

「まったくもう……」

 

 ため息混じりの声を後にし、靴の踵を潰して外へ出る。

 少しだけ甘えて見せれば、そこに付け入れられる。そんな隙を見せてしまっている自分の弱さを棚に上げたままに、本当に良く出来たコピーだと文句を垂れ、振り返った万事屋銀ちゃんの看板。なんだかキラリと光った気がした。

 

 

 

 

 新八君から逃げ出しやってきたのは、かぶき町から程近い河川敷。

 ザリッと粒の大きい砂を踏みしめながら、竹刀袋から竹刀を取り出す。握りの部分が黒く汚れた使い古された竹刀。新八君からの借り物であるこの刀はきっと色んな人の手に渡り、今ここにある。

 志村剣(しむらけん)――新八君のお父さん――、尾美一(おびはじめ)塾頭、その他の門下生達。

 その人達みたいに強くなりたい。

 丁寧に構え、無心になるまでじっと動かず心を鎮める。

 そして教えてもらった型を丁寧に繰り返す。

 汗ばみ、呼吸が上がってきた頃、ゆっくりと竹刀を降ろす。

 

「あら、もうやめるの?」

 

 気がついたらミツバさんが、土手から降りる階段の丁度真ん中辺りに立ち、こちらを見ていた。

 

「こんにちは。今日はこの辺で……。バイトもありますし」

 

 いつから見られていたんだろうか。長いことあの三人を見てきたこの人に竹刀を振るう姿を見られるのは、なんだか恥ずかしかった。

 お世辞にも上手いとは言えないし……。

 布でざっと汚れを拭った竹刀を袋に仕舞う動作で、照れを不自然じゃない程度に紛らわす。

 

「そうなの残念ね。結構好きなのよ、見てるの」

 

 そう言いながら階段を降りてきたミツバさんは、キラキラ光る川の先に目を細めた。

 近藤さんや、沖田さん……土方さんを送った目。

 

「好きですか……」

「ええ、好きよ」

 

 風がミツバさんの髪を巻き上げる。着物の袖がたなびき、その姿がセピア色に染まる。

 

「武州、帰るんですってね」

 

 沖田さんから聞いた話。

 

「出戻りって恥ずかしいわ。あの人もあんな事になってしまって……。なんて、キリちゃんにこんな事を言っても仕方ないわね」

 

 どこか寂しげに笑う姿に罪悪感が(よぎ)る。

 何を言えばいいのだろうか?

 

「……見送り、行きますよ」

 

 迷った末に口に出来たのは別れの言葉だけだった。

 慰める権利すら失ってしまった私は、この人の背を送り出す事しか出来ない。

 

「いいの? そーちゃんも送ってくれるって言ったんだけど、仕事あるじゃない? 断っちゃったのよ。しょぼくれて可哀想な事をしたわ」

「私は大丈夫です、予定必ず開けておきますから」

「ありがとう。一人で行くのはちょっと寂しかったから、嬉しいわ」

 

 あの屋敷で一人暮らすのだろうか……。

 病室で来るはずのない人を待っていた己と重なる。

 

「じゃあ、約束ね」

「はい」

 

 けれど、笑って小指を差し出すミツバさんに、重なっていた幻影はかき消され、指に指を絡ませ、約束とした。

 

 

 ミツバさんと別れてから数日後。

 武州行きの電車が出る駅前。青い瓦屋根が付いた銀色時計の下が、待ち合わせ場所だった。

 枯れ木も山のなんとやらの精神で、ダメ元で銀さんを誘ってみると、「暇だしなぁー」なんて(ひね)た事を言いながら付いて来てくれた。

 他人ならばちゃんと見送れるというのがなんともこの人らしいと、少し呆れる。

 

「ミツバさん遅いなぁ」

「時間か、日にち間違えたんじゃねーの?」

「いや……そんな事は……」

 

 取り出した携帯のスケジュールを確認する。うん、間違いない。

 それから体内時計で小一時間、それでもミツバさんは現れなかった。

 

「何かあったのかな?」

「実は嫌われてんだよお前。可哀想に、銀さんがチューペット奢ってやっから元気出せ」

「そんな訳ないじゃん。ミツバさんと私はラブラブなんですぅー。ヤキモチ焼かないでくれますぅー?」

「誰が!」

「銀さんがだよ。今何時?」

 

 もう一度、頭上の時計を見上げる。念の為に確認した携帯の時計とも合っていた。

 約束をすっぽかす人じゃない、事件とか事故とか……。

 丁度、目の前。ショッピングモールの壁に設置された巨大モニターに、緊急速報と赤いテロップ付きで映像が流れる。

 

「銀さん……あれ」

 

 指さした方向を見た銀さんの眉が険しくなる。

 モニターに映し出されたのは、病院の窓から顔を出した一人の男と、喉元に刀を突きつけられた人質。

 画像が荒くてはっきりと顔の判別は付けられなかったが、髪の色や、背格好がミツバさんに良く似ていた。

 

「私、行ってくる」

「オイ、待て!」

 

 後ろから銀さんの声が聞こえたが構わずに走りだす。なんで? 歴史のぶり返し? 世界の修正力とか何か? いや、それはない。だって鉄矢さんは大丈夫なんだ。

 跳んだ先では病院の入り口に立つ警官の姿。入り交じるのは真選組。

 

「ざけんな!」

 

 一般人の立ち入りを禁止するポールの向こう側に、土方さんの胸ぐらを掴んでいる沖田さんの姿があった。

 

「頭を冷やせ、状況を見ろ。あれは人質を開放する気なんてねぇ、テメーごと吹っ飛ばす気だ。避難を優先させろ」

「うっせーそんなのわかったもんかよ! 今すぐ突入させろ!!」

「総悟!」

「もういい。テメェの許可なんて要らねぇ、俺一人で行く」

「待て総悟」

 

 胸ぐらを離し行こうとする沖田さんの肩を土方さんが掴む。けれどそれを振り払い、まるで親の敵であるかの様な瞳で沖田さんは睨みつける。

 

「離せよ。なぁ、土方さん。アンタは、そーやって士道だがなんだかしんねーもん掲げる振りして、結局のところテメェや、隊士(アイツ)等の命惜しさに斬り捨て……ッッ!?」

 

 鈍い音と共に、沖田さんの頬に土方さんの拳が飛ぶ。派手な音を立てて吹き飛ぶ沖田さんに、一瞬注目が集まるが、土方さんに睨まれ、その視線は四散した。

 

「痛えじゃねーかよ。図星つかれて拳振り上げるたー……」

「オイ、原田。コイツの代わりに持ち場につけ」

「テメッ!」

「総悟。お前はもう帰れ。邪魔だ」

 

 倒れこんだ沖田さんが土方さんを睨みつけるが、土方さんはそれを振り返る事なく、次々と指揮を飛ばす。

 慌ただしく動く現場。病院の入口から次々と患者や、医療関係者らしき人達が出てくる。悲鳴と怒号が入り混じり、騒然としていた。

 子供が転び、手を離してしまった母親が叫ぶ。点滴を吊り下げた台車が倒され、溶液がぶちまけられる。

 それなのに、なんだよこれ……こんな沖田総悟を私は知らない。

 駄々っ子の様に周りを見ずに当たり散らし、指示を無視し、無茶を……我儘を口にする沖田総悟なんて私は知らない。

 

「クソッタレ」

 

 沖田さんは唾を吐き捨て立ち上がると、服についた汚れを払うことなく、ポールを飛び越えこちら側へやってくる。唾には血が混じっていた。

 視線が合う。

 

「へっ……笑いたきゃ笑やーいい。身内一人救えない無能なお巡りさんってなァ」

 

 あれはやっぱりミツバさんなのか……。でも……。

 

「まだ助からないと決まった訳じゃ」

「時間がねぇーんだよ。奴ァ爆弾もってやがる。時限式だとよ。四半刻もすりゃぁーこんな建物なんて木っ端微塵でェ。なのにアイツは……一般人(たにん)の避難だ? んなの糞食らえてぇーんだ」

 

 苛立ちの中に見え隠れする悲痛な思い。

 

「お前も巻き込まれる前にどっかに避難しな」

「沖田さんは……?」

「俺ァ行くぜ、アイツの言う事なんか聞くかよ」

 

 人でごった返す正面玄関以外の進入路を探すつもりなのだろう。

 ダメだ……行かせてはダメだ。だって沖田総悟は、真選組は……そんな存在じゃないだろう?

 

「沖田さん!」

「聞いてねーのかィ? とっととどっか行けつってんだろ!」

 

 怒声と震える肩。

 沖田さんも少なすぎる残り時間にそれが無理である事を分かっているのだ。

 

「私、約束したんだ。ミツバさんの見送りに行くって」

「何言ってやがる」

 

 振り返った沖田さんは迷子の子供の様に見えた。

 

「その時、聞いたんだ。ミツバさんはちゃんと伝えた筈だよ。自分の事より仕事を優先してって」

「うっせー黙れ!!」

 

 歪め見開かれた目は怒りと迷い……。最後になるかもしれない願いが沖田さんを縛り付ける。

 その絆でもって沖田総悟をたぐり寄せる汚さを私は()とした。

 

「黙らないよ。ねぇ、沖田さん。私、沖田さんとも約束するよ。貴方の代わりにミツバさんを助けるって」

 

 振りほどけない糸に絡み取られ、沖田さんの燃え立つ様な姿が揺らぐ。

 

「んな戯言俺ァ信じねーぜ。いざとなりゃーテメェ可愛さにケツまくって逃げ出すのが人間だ」

「そうかもしれない。でもそんな人間ばっかじゃないってことは貴方の方がよく知ってる筈でしょ?」

 

 ミツバさんが見つめてきた背をその側で見てきた沖田さんなら、誰よりも知っている筈なのだ。

 それを敢えて知らぬ振りで押し通そうとするのは、失いそうなモノを己が手で取り戻すため。だから、私はその建前を打ち崩す為に言葉を尽す。士道なんぞ知らねェと背を向けながらも、建前がなければそれから逃れられぬのが沖田総悟なのだから。

 

「……んな事は……」

「知らないとは言わせない」

 

 逃げ道を塞げば、悔しそうに言葉を迷わせる。

 

「だからつってどこの馬の骨とも知れねーテメーがそうだなんて事を俺ァ……」

「信じろよ! ぐだぐだと屁理屈捏ねないで今は信じろよ! 私は……私は沖田ミツバの友達だ!!!」

 

 豪語した言葉の重みに心臓が早鐘を打つ。

 沖田さんからギシリと歯が鳴る音が聞こえた。硬く握り込まれる拳。

 薄い瞳は、爛々(らんらん)とギラつき、骨の一本一本、筋肉の軋みも、心さえも見透かす様に私を探る。

 瞬き一つで殺される様な心持ちで、だが負けじとその視線を受け止める。

 息を止め見つめる先で、ゆっくりと、口の形を変えるのがハッキリと見て取れる程ゆっくりと。

 

「……認めねぇーよ。テメェみてーなのが姉上の友人なんて俺ァ認めねェ……だが……破ったら針一万本飲んでもらうから覚悟しろィ」

 

 瞳は強い光を宿す。

 

「沖田さんもサボんないで仕事するって約束してね。破ったら針一億本だよ」

「飲むかよ。俺を誰だと思ってる」

「「真選()組一()番隊()隊長沖()田総悟()()ぜィ()」」

 

 黒い隊服の裾をたなびかせ、もう一度向こう側に戻った沖田さんは「そこは俺の場所だ」と言いながら、原田さんに蹴りを入れる。

 それでこそ沖田総悟だ。


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