天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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もののけ侍

 ケチャップのかかったオムライスが食べれなくなるだとか、サスペンスドラマが見れなくなるだとかそーいう事を少し恐れていた私は、一切変調をきたさない己の図太い神経に呆れ果てる。精々、バイト先でレジを二重に通してしまったり、釣り銭を間違えたりその程度。日常の範囲を超える事はなかった。

 そして気になった事件の行方は、闇取引の利益を発端とした仲間内の犯行という事で手打ちとなった。

 結婚前夜に何者かに殺害された蔵場、捜査線上に浮かび上がる不正取引。マスコミが群がりそうなネタだけれど()()()騒ぎにはならず、税金泥棒も仕事をするんだなぁーと納めたこともない税金の使い道に関心を寄せる。あ、消費税ぐらいは払ってるっけ?

 

 けれどまあ、それで全てが丸く収まったという訳でもなく……。

 

「定春借りるね」

 

 ソファーで寝そべりながらジャンプを読んでいる銀さんに声を掛けると、身を起こし、こちらを向いた。

 

「最近定春とやけに仲いいな。神楽が拗ねてっぞ」

「ペットブーム再来中なの知らない? 流行に敏感なんですよ女の子は」

 

 頭をぼりぼりと掻きながら問われる言葉の返事を、先日やっていたテレビの中に見つけ出し、答えとした。

 己が定春を連れ歩く理由がそれだとは明言してはいないから、まるっきりの嘘という訳でもない。

 

「俺ァ嫌いだね。そーいうペットをアクセサリーか何かと勘違いして連れ歩く様な風潮。大体、テメーのモンじゃねーんだよ。金とるぞ、レンタル料」

「あげてるおやつ代請求するよ?」

「銀さんとしてはやっぱり、勝手に住み着いた野良犬見てぇなモンに金取るってーのは」

「がふっ」

 

 無駄口を叩く銀さんが定春に噛まれた。中々に賢い。

 

「定春ー行くよー」

「わん」

 

 「テメー、今日こそはどっちが上か分からせてやるよ」と息巻いてる銀さんを置いて私は定春の縄を取り階段を駆け下りる。

 

「定春ー、今日は何処に行こうかー」

「わん」

「そっかそっか、じゃあそこに行こうかー」

 

 分かりもしない返事に適当に目的地を決めてぶらりと徘徊。一本杉の立つ江戸が見渡せる丘。

 少し歩くには遠いけれど、天気が良い日は風が気持ち良い。

 

「定春、天気いいねぇー」

「わふぅ」

 

 少し眠そうな定春の頭をかき混ぜると迷惑そうに首を振るい、手を払いのけられた。

 

「なんだよケチィなぁー」

 

 だらりと寝そべる定春を見習って、その腹に私も背を預ける。

 見上げた空。雲が流れていく。

 

 水、三十五リットル。炭素、二十キログラム。アンモニア……それら全てを足せば命の重みになるのだとしたら人の命のなんと軽い事か。

 この手で奪った命の重み。

 

「定春ー、人間って怖いねぇ。つい最近の事なのにもう忘れちゃいそうになるよ」

 

 忘れちゃうと口には出したものの、それは嘘だった。はなから分かっちゃいないというのが正直な所。けれど、それを認めるには(はなは)だ私の精神は脆弱(ぜいじゃく)で、言葉の分からない獣に愚痴る事すら出来なかった。

 薄れつつある記憶を反芻(はんすう)して思い出そうとする。砂袋に粘土を詰めた様な重み、冷たいゴムの様に感じた皮膚……。

 ぺしっとしっぽで叩かれる。

 

「なに? (うるさ)いって?」

 

 しっぽを動かす事すらもう面倒臭いのか、身を少し(よじ)って返事を返す。そーいう所は飼い主によく似てる。白い姿も。

 少しゴワゴワしている真っ白な毛を撫でながら獣の匂いを嗅ぐ。

 私も少し寝ようかなぁー。体を白い毛に埋めると、その白に侵食される様な妄想を抱き、それが本当ならばいいのにと、生命の鼓動と温かさに安心して目を閉じる。

 ぽかぽかの日差しに微睡(まどろ)むここは、平和の象徴だった。

 

 

 

 覚醒する意識の(はざま)で、陽だまりの匂いを嗅ぐ。太陽に干された獣の匂い。

 目を覚ますと、丁度、太陽が西に沈んでいく所だった。

 立ち上がり、「帰ろっか」と定春を振り返ると、反対側を気にするような仕草。回りこんで見てみると、白い毛に保護色の様に沈み込んだ銀さんが寝ていた。

 後をつけてきたのだろうか? でもさ、普通、寝るかなぁー。もうちょっと隠れたりしない? まぁこんだけ堂々としてくれると、こっちも気を使わなくていいんだけど。

 私の気配を感じたのか、その瞼がぴくりと動く。

 

「銀さーん、帰るよ」

 

 その声に銀さんは、一度硬く目を絞ったのち、目を覚ます。

 

「ふゎー。よく寝たな。お前、いー場所知ってんじゃん。流石ホームレス」

 

 大きく開いた口と空に向って伸ばされた腕。銀さんは、ぐるりと首を一周させると寝起き特有の少し柔かい目で、こちらを見上げた。

 

「借り暮らしだよ借り暮らし」

「どっちでもいいじゃねーか」

「横暴だな。銀さんは」

 

 なんだかその柔かい仕草が銀さんの優しさを表している様で、苦笑しながら、距離を取りたくなる足を押し留める。

 

「にしても……こんなとこまで来て昼寝とはいい身分だなぁー」

 

 一本杉の根本、白い獣、太陽。風に吹かれそよぐ草。

 銀さんの言葉通り最高の贅沢だろう。けれどそれを享受(きょうじゅ)したのはなにも私だけではない。

 

「そうですねぇ、銀さんの可愛い寝顔も見れましたし?」

「エロいなお前」

「今更? 遅いよ銀さん」

 

 いつものペースを取り戻しながら、追ってきてしまったこの人に何を返せるのかを考えるが、返せるものなど何もない事に諦め、手を貸す事にした。

 

「銀さん行こうか」

 

 銀さんは、差し出された右手にニヤリとイタズラを思いついた様な顔をする。

 私がそれに疑問を覚える前に、右手は銀さんの大きな手の平に掴まれ、ぐいっと予想外の力で引っ張られた。

 

「わっ」

 

 視界が真っ白に染まる。鼻孔を(くすぐ)るのは獣とお日様と……少し汗臭い銀さんの匂い。

 飛び込んでしまった銀さんの胸の中。引かれた腕の力強さに、私と銀さんの性別の違いを改めて認識する。

 そんな事を意識した途端、なんだか恥ずかしくなってしまって、慌てて体を起こそうと背筋に力を込める。「びっくりした、急に止めてよね」と照れを誤魔化す準備をしながら。

 けれど、起き上がろうとする私の努力は腰に回された腕に邪魔をされ、ついでに反対の手が頭を押さえつけるように髪をかき混ぜるせいで、ますますもって思考は混乱をきたす。

 

「意外と髪、柔かいのなぁー」

「ぎ、銀さん?」

 

 何!? 冗談? 嫌がらせ?? 疑問符と感嘆符に侵された私が上げる声はみっともないほど上ずり、逃げ出そうとひねる体は上手く動いてくれない。

 

「それになんだ? 獣臭い」

「ッッ!?」

 

 スンと鼻を鳴らす音が耳の傍で聞こえた。本当何!? 性的な嫌がらせ?

 

「銀さんもだよ!」

「え? 何嗅いでんの? エロぉー」

 

 叩き付ける様に上げた声は、気の抜けた平坦な声に相殺され、そこでようやくからかわれている事に気付く。

 なんだか一人だけ意識している事がバカバカしくなって、強張らせていた体の力を抜く。

 

「そっくりそのままお返ししますよ」

 

 腹筋だけで支える上半身は中々に辛く、姿勢を少し直し、迷った末、腕を銀さんの首に回す。

 何か惑えばいいと仕返し的な物を考えたが、意に反して一ミリ足りとも動揺を見せない姿に、何か……尊厳的なものが死んだ気がした。

 まあ、そんな物を見せられても困りはするのだが。

 定春の匂いなのか、銀さん匂いなのか、私の匂いなのか、もう誰のものかも分からなくなった獣の匂いに包まれる。

 

「獣もいいけど、人間だって悪かねーぜ?」

 

 声が振動し私の内側に直接響く。そうあからさまでは無かったけれど、避けてしまったのは確かだったから、聡いこの人が気づかない訳はないのだ。

 あーあ、銀さんの手口にまんまと引っかかってしまった。

 そう自覚はあるけれど、押し売りを専売特許とする悪徳業者から逃げる事は難しく、諦め混じりに口を開く。

 

「人間はきらい」

「おめーも人間だよ」

「嘘。銀さんがきらい」

「ちょっとちょっと何かしたっけ俺?」

「セクハラ、現在進行形で」

 

 温かな体温が私を溶かしてしまう。

 縋り付きたくなる様な温度と、優しさ。

 顔を埋めた肩が私を背負ってくれようとしているのだと思うと嬉しくて、反面、苦しくなる。

 

「本当はね、私、優しい人間が嫌いなんだ」

 

 優しい人間は、傷ついた私を見て傷つくでしょう? 獣は心配はしても傷つきはしないから、獣がいい。種族の違いに救われる物だってあるんだ。だから、獣がいいんだよ、銀さん。

 僅かに残された芯の硬さで、弱さを押し曲げる。

 

「残念だったな。人間ってーのは優しさだけで出来ちゃいねーんだよ」

「そうだね、銀さんの半分はマダオで出来てるしね」

 

 低く、囁くように。回した腕に力を込めれば、無理に言わなくてもいいとでも言うように、背を優しく叩いてくれる。

 

「ちげーよ、何かもっとこう燃えるもんで出来てんだよ」

 

 ふわりとした、諦めの篭った遠い響き。そんな声だった。

 無理に引き出そうとしない優しさと、それに耐えうる強さを銀さんに感じた。

 

「燃えるねぇ……ジャンプとか?」

 

 ジャンプの主人公らしくない、それでいて誰よりも主人公らしいこの人が愛おしくなる。

 

「確かにジャンプは燃えるけど、お前ぜってー違う意味で言ってるだろう」

 

 そんな本心を押し隠した言葉は伝わる筈もなく。

 

「バレましたか」

「バレバレだよ」

 

 ああ、銀さん。無理に背負わず温度を分けてくれるだけの行為が、どれだけ私を救っているか分かるだろうか? 私がどれだけその優しさに感謝しているのか、ちゃんと伝わっているだろうか?

 私、今、とっても幸せだ。

 自然と込み上げる笑い。

 

「人間も悪かないねー銀さん」

「だろ?」

 

 顔を上げると、綺麗な灰色の虹彩まではっきりと分かる距離に、少しドキリとする。けれど、それすらなんだか可笑しくて、クツクツと体が揺れる。

 

「いつまで笑ってんだよ。オラ、行くぞ」

 

 私を持ち上げ立たせてくれる銀さん。それはまるで、立てなくなっていた私を助けてくれた様で、全てを吹き飛ばす様な風が心に吹いた。

 それに返せるものなど何もないので、私はただ「ありがとう」と口にする。

 

「わんっ」

「おわっと」

 

 後ろから定春に頭で押され、私は無様に転ぶ。そのまま定春に伸し掛かられ、顔を舐められる。

 

「ごめんごめん、忘れてないよ。定春もありがとうね」

 

 何度転んだって助けてくれる物がこんなにも沢山ある。

 重さは分からないけれど、その温もりだけははっきりと分かった。

 だから、それでどうか許してはくれないだろうか?


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