天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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命と選択を

 くわっと大きな口を開け、欠伸をする。並んだ大きな牙が肉食獣だと言う事を思い出させる。

 

「君、絶滅危惧種の肉食系男子?」

 

 そう問えば「わふっ」と答える定春。

 言葉分かってるのかなぁー。背伸びしてようやく届く頭に手を伸ばし、わしゃわしゃと撫でる。

 

「お前は素直でいい子だねぇー。どっかの肉食系を気取ってるマヨネーズ系男子とは大違いだ」

 

 うっかりすると噛み付かれそうなので、そこは注意する。

 

「何がいいてーんだよ」

 

 煙草を噛み締め、睨みつけるマヨネーズ系男子に「別にぃ~」とゆるキャラ系女子を気取った返事を返す。

 カモメが甲高い声を上げて頭上を飛び回る。

 錆びたコンテナに紛れたマヨネーズは至極苛ついた様に、まだ長い煙草をもみ消すと、場所を移そうとする。

 その後をついていく私。早まるマヨの足。負けじとペースを上げる。

 

「ついてくんな」

「土方さんが私の前を勝手に歩いてるんじゃないですか」

「じゃあ、先を行けよ」

 

 足を止めた土方さんに促される。

 

「え? ヤダッ! それ、レディーファーストのつもり? き~も~い~」

 

 ギャル系女子の仮面を被れば、土方さんは刀の柄を抑えた手を震わせ「抜いたら負けだ、抜いたら負けだ」と自己暗示を繰り返す。どうやら精神攻撃は良く効いている様だ。

 深く息を吸い、精神の均衡を取り戻した土方さんは一拍置いた後振り向く。

 

「どーいうつもりだ」

「どーいうつもりも何も意味なんてありませんよ。ただの散歩なんですから。ねぇ定春?」

「わふっ」

 

 首を傾け定春を見上げれば合いの手を入れてくれる。本当にいい奴だ。

 潮騒に沈む港。諦めたのか、再び手に取った煙草の煙が海に流れていく。

 

「結婚式明日なんだって」

 

 ミツバさんの病状の回復。原因不明のそれに、誰もが首を傾け、けれど良かったと喜んだ。

 そんな中で弾かれた蔵馬のソロバン。原因が不明ということは、再び病状が悪化する可能性もあるということ。

 早まった結婚式の日程に、利己的な思惑が見えた。

 

「だからどーした」

「別にぃ~」

 

 土方さんの米神の血管が一瞬、イラッとした様に震えた。

 咥えた煙草の先がジワリと灰となって落とされる。

 

「私、猫の手ぐらいにはなるよ?」

「何の話だ?」

 

 微動だにしない表情に青写真を透かして見せれば土方さんは眉を寄せる。

 

「喧嘩の話」

 

 開いた瞳孔、ザリッと足元のアスファルトを鳴らし重心を変える。からかい巫山戯ていた時とは違い、副長としての顔がこちらを見つめていた。

 結婚式の為、取引を部下に任せ屋敷に留まる蔵場。取引現場を直接抑えようと考えていた土方さんの計画は変更を余儀なくされた。

 もし今日それを行うのであれば……屋敷への討ち入り、暗殺。そーいう類の手段しかなく、現に山崎さんが進入路の確保の為に駆り出されている。

 カモメの鳴き声が高く高く響く。

 定春の頬を両手で撫でながら私はその遠い声を聞いた。

 

「テメェは何を知ってるんだ?」

「何にも知らないよ。何で沖田さんがサドなのかも、何で近藤さんがケツ毛ゴリラなのかも……何でどっかの馬鹿は一人、勇み足を踏もうとするのかも、私には何に一つ分かりゃしないんだ」

 

 山崎さんは、土方さんが一人で乗り込む気でいるなんてこれっぽっちも思っちゃいないだろう。無謀過ぎるからだ。戦術家である土方さんを信頼している山崎さんはその可能性を否定するだろう。

 でも、私は知っている。土方さんは沖田さんに刀を砥げとは言わなかった。

 

 ミツバさんの目の前であろうと斬り殺す気だ。

 

 その業を全て一人で背負って、それで護れるとでも思っているのだろうか? 侍ってのは本当に馬鹿な生き物だ。

 胸の鉛の重さが増した気がした。

 

「お前は……何だ?」

 

 引き絞られた矢の様な瞳に、潮の匂いすら薄れ、空気は停滞する。

 敢えて私はそれには応えず、建て前を口にする事で青写真に修正を加えようとした。

 

「沖田さんに借りがねぇ、あるんですよ。私は真選組でもないし万事屋でもない。だからっ!」

「だからなんだ? テメーの貸し借りに人を使おうとすんじゃねぇよ。んなもんはテメーで返しやがれ」

 

 けれど土方さんは続く言葉の先を拒絶し、背を向ける。黒いその背には何が乗っているのだろうか? ちっぽけな鉛など及びもつかない様なものを乗せながら、それでもただこの人は行くのだろう。

 ミツバさんがその背を諦めなければいけなかった理由が分かった気がした。

 

「土方さん!」

 

 掛ける声にすらもう足を止めることなく、私はその背を追うことが出来なかった。

 

「定春……大人って面倒臭いね」

 

 不思議そうに首を傾ける定春に抱きつく。獣臭い。

 

「きゃうん?」

「心配してくれてるの? ありがとう。でも大丈夫だよ」

 

 鳥と一緒に飛んでいけなかった海、拾った犬。

 諦めましたよどう諦めた、見捨てられぬと諦めた。そんな唄を口ずさむ。

 

 

 

 

 再び月が空に上がる。(かんばせ)は僅かに陰り、それでも白く美しい。

 月に照らされ影は濃く深まる。

 

 影を体現したかの様な黒い姿。

 刀を吊り下げ、静かに歩く。

 一軒の大きな屋敷の裏手。

 

 土方さんが、本来閉ざされているべき勝手口に手を掛けると、オープン・セサミの合言葉も不要で、戸は音もなく開いた。

 

「お巡りさんが不法侵入とは世も末ですなぁ」

 

 弾かれる様に振り向く。

 手から離れた戸がパタンと軽い音を立てて閉まった。

 

「何しに来た」

「んー。しにというか、どちらかと言えば帰る感じかな?」

「ならとっとと……」

 

 帰れと言おうとした言葉は私が持っているモノを見て吐息となって消えた。

 

「お巡りさんがお探しなのは、金の首ですか? 銀の首ですか? それとも汚ねェーこの首でしょーか?」

 

 蝋で出来た人形。そう思わせる程に冷たく白くなった蔵場の首を掲げる。

 

「何でテメェーが!」

 

 続かない無音の怒りが黒く鋭く、心を(えぐ)る。

 

「怖いなぁー。勘違いしないで下さいね? 拾ったんですよ。そこの道端で。びっくりですよね、暗がりの中におっさんの首がポーンと一つ。ホラーですよ。あ、こういう話ヘーキでしたっけ? 失礼、聞く必要も無かったですね、鬼の副長さんがホラー苦手とかどんな冗談かっていう話ですよ。で、どうしたもんかと思っていたら、土方さんの姿が見えたんで、もしかしてこの首落としたの土方さんだったりするのかなぁーと思って後を追いかけたって訳なんですよ。どちらにせよ落し物はお巡りさんにって相場が決まってますしね?」

 

 量を増すことで軽さを増した言葉は届かず、憐憫(れんびん)と後悔で研ぎ澄まされた瞳が濁る。

 

「ガキがンなもんぶら下げてんじゃねェ」

 

 そして、低く絞り出される様な声に闇が深まる。

 

「んなもんって仏さんに失礼でしょーに。ああ、ついでにこんなメモも拾っちゃいました。なんか幕府の要人らしき人の名前がつらつらと書かれた取引書類? まあガキには良く分かりませんね。これもお渡ししときます。ちゃんと仕事して下さいよ? 税金泥棒さん」

 

 返される言葉はなく、その軽さをもって濁りを薄めようとした行為は失敗に終わる。

 しかたなくそれ等を押し付けるように渡すと忌々しげに舌打ちを返され、本当に嫌になる。

 

「それじゃあ私はこれで」

 

 けれど、それ以上引き止められなかった事が幸い。

 闇に紛れ私は海へ跳ぶ。

 代わりに鳴いてくれるカモメは夜の海にはおらず、薄い雲が月を隠す。

 光を失い、のっぺりと墨を流した様な海に全てが流れれば良いと願った。

 


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