天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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小晴日和

 洋装ばかり好んでつけている己が悪目立ちしている。そう気付いたのは少し前で、締め付けられるのが嫌だとか、動きにくそうだとか、銀さんや神楽ちゃんも洋装っちゃあ洋装だしとかとか、色々言い訳はあるけれど仕事中ぐらいはと諦めた。

 ゴリラにでも覚えられる着付けの本。そんなものに助けられながら小物は揃えたので、一番の大物、着物を買いに街へと足を向ける。

 

 折よく晴れてくれたバイト休みの日。商店街の『着倒れ通り』と呼ばれる呉服屋が立ち並ぶ通りを私は歩いていた。

 日除けが掛かった軒先や、ガラス張りのショーウィンドウには、可愛らしい浴衣から豪華絢爛な振り袖まで、色取り取りの着物や反物が飾られている。

 仕事着だから、地味すぎず派手すぎず無難な物をと、お店を覗くが、ちっともさっぱりとも分からない。現代っ子ですからねと呟き、客層でお店を選ぶ事にした。

 若い女の子が多く出入りする比較的大きめのお店。賑わいの見せるそんなお店に立ち入り、棚の前に立つ。

 

 さてどれにしようか。

 コンペイトウを散りばめた様な棚の中から、淡い藤色の一振りを手に取る。

 これでいいかなぁー? 気になった帯と重ねて見るが、着慣れぬせいでイメージが湧かず苦戦する。こういう時こそプロにお任せすべきでしょうと、店員を探してみるが、別の客を相手にしていてこちらに気付く素振りも見せない。

 どうしよう? そうやってしばらく悩んでいると、背後から柔らかく声を掛けられた。

 

「その帯に合わせるなら、こっちの方がいいと思うわ。それだと柄合わせが悪いから……」

 

 振り向けば、はしばみ色の髪と琥珀の瞳。春の日差しを集めたその人は……ミツバさん。

 私はからっぽの表情を飾る事もできず、息を止めてしまった。手に持っていた着物に僅かな皺が寄る。

 そう遠くない未来にある程度覚悟をしていたとはいえ、まさかこんな所で出会うとは……。

 

「ごめんなさい、お節介が過ぎたわね」

 

 しかしそんな私の行動を勘違いしたミツバさんは、申し訳なさそうに顔を曇らせ、頭を下げてしまう。

 善意からの行動であるのはきっと確かで、だからこそ、一方的な思いでそんな表情をさせてしまう訳にはいかず、私は首を振り、否定の為の愛想を(つくろ)う。

 

「いえ、少しびっくりしてしまって……ごめんなさい。丁度迷っていた所なので、もし良ければ選ぶの手伝って貰えませんか?」

「私も田舎から出てきたばかりだから江戸の流行りは分からないけれど、それでよければ」

 

 善意に対する行為としては卑怯だけれど、言い訳の為にその勘違いを利用すると、ミツバさんは再び顔をほころばせてくれた。

 選んでくれたのは、白い牡丹(ぼたん)が可愛らしく飛んだ、撫子色(なでしこいろ)の着物。

 鏡の前に立つ私に、ミツバさんが優しい手つきで合わせてくれた着物は、特別美しく思えた。

 

「本当助かりました」

「いいのよ。私も楽しかったわ」

「もしお時間があれば、一緒にお昼でもどうですか?」

 

 丁寧に包装された着物を抱え、せめてものお礼にと、お昼に誘う。

 

「そうね、少し弟にも聞いてみるわね」

 

 ん?? 弟さんもご一緒だったんですか? 浮かんだのはミツバさんと本当に血が繋がってるのかと疑いそうになるサディスト沖田で……。

 迂闊だったと思いはしても、飛び出した言葉は戻らない。

 

「姉上、買い物はすみましたか?」

 

 そして時は、店先で黒い隊服姿の沖田さんが、ミツバさんが買った着物を持つために手を伸ばしているところだった。

 あどけないと言っても過言ではない笑顔を浮かべている沖田さん。

 

「これぐらい大丈夫よ」

「そんなこと言ってお体に障ったらどうするんですか」

「もう、心配性なんだからそーちゃんは。じゃあ……折角だからお願いね」

 

 荷物を預けられ嬉しそうにしている沖田さんを見ていると、なんだか見ているこっちがむず痒くなるが、それだけ大切な人なのだろう。

 

「ねぇ、この方がお昼ご一緒しないかって、そーちゃんどうかしら?」

 

 ミツバさんの声に、沖田さんがこちらを振り向き顔をしかめる。

 

「酢昆布、なんでテメェがこんなところに居やがるんでィ」

「あら、そーちゃんの知り合いなの? お友達?」

「誰がこんな奴。野良猫みたいなもんです。近づいちゃいけません。変な病気が伝染りますよ姉上」

「そーちゃんったらまたそんな事を言って……」

 

 私は検疫が済んでない動物か何かか! けどまぁ……それならそれでいいけどね。

 

「すみません、姉弟水入らずの所を邪魔してしまった様で……また機会があれば」

 

 折角お近づきになれそうだったけれど、飄々(ひょうひょう)としたいつもの態度を崩し甘える沖田さんを見てしまえば、諦めもつく。

 

「ごめんなさい。この子照れてるのよ。大丈夫だから」

 

 そのまま帰ろうとした私に、ミツバさんは少し困った様に笑い、首を振る。

 

「姉上!」

 

 その姿に、沖田さんが抗議と懇願を織り交ぜたような声を上げた。

 

「そーちゃん駄目よ? 人との縁は大切にしなさいって教えたでしょう?」

「……はい」

 

 しかし、ミツバさんに優しく諭され、沖田さんはその僅かな抵抗すら止める。

 

「それでどこに連れて行ってくれるのかしら?」

 

 にっこりと手を合わせるミツバさんの背後から、沖田さんに睨まれた。

 それに気づかないフリをして冗談めかせて笑う。

 

「それは着いてからのお楽しみって事で」

「ふふ。何かしら。楽しみにしているわね」

 

 のけものにされた沖田さんが少しつまらなそうな顔をしていた。

 

 

 

 

 落ち着いたレンガの壁が特徴的な、少しレトロなお店。通された席でミツバさんと向かい合う形で座る。

 沖田さんは、ミツバさんの椅子を引き、先に座らせるというサービスを付けた上で、その隣に腰を下した。

 照れのないシスコンっぷりには頭が下がる。

 けれど、そんな態度に一つの可能性が頭に浮ぶ。もしかして、既にミツバさんの病状に気付いている?

 僅かにくすんだ目の下。眠れずに土方さんの死体を数えた理由がそれだとしたら……?

 

「流石江戸ね、武州にはこういうお店はなかったから、楽しみだわ」

 

 オーダーを取ってくれた店員にメニューを返しながら、ミツバさんが楽しそうにしている。

 

「こちらに住むんでしょう? これからは、いつでも僕が連れてきてあげます」

「そうよね……これからは江戸に住むんですもの。いつでも来れるわね。その時はお願いね?」

「はい」

 

 少し気負う様な沖田さんにイタズラめいた瞳を向けるミツバさん。

 これから、いつでも……ね。

 

「最近引っ越されたのですか?」

 

 どこまで誰が何に気付いているかは知らないけれど、未来の話を今はしたくなくて、素知らぬフリで話の方向を変える。

 

「引っ越し……近いわね。この年で恥ずかしい話なのだけれど、今度結婚するのよ」

「それはおめでとうございます」

「ありがとう」

 

 祝福の言葉なんて思い浮かばず、テンプレートに則った言葉を送る。

 笑う二人。その笑顔に陰りは見つからない。

 沖田さんは裏が表の様な人間だからともかくとして、ミツバさんは?

 ずっと疑問だった。聡明と称されるミツバさんがどうして蔵場の本性を見抜けなかったのか……。死を間近にした焦りが瞳を曇らせたのだろうか?

 

「どうかしたかしら?」

「いえ、花嫁姿きっとお綺麗だろうなぁーと思って」

 

 その疑問への回答を探りそこね、見つめ過ぎてしまったと気づいた時にはミツバさんから不思議そうな目を向けられていた。

 とっさに返した言葉は、大嘘というわけではないけれど隣に想定したのは……。

 

「おまたせしました」

 

 そんな思考は、湯気を立てて運ばれてきた皿に中断される。

 コトンと置かれたタンポポ色の太陽は、自信を持ってお勧めする大江戸一番のオムライス。

 

 

 

「本当に美味しいわね」

 

 嬉しそうなミツバさんが手に持つスプーンには、真っ赤に染まったオムライスが一盛り。

 それを染め上げているのはケチャップ……ではない。机の上にコロンと転がるタバスコの瓶。向こう側が透けて見えるガラス瓶に、窓から差し込んだ日差しが反射して輝く。

 そして……私の前にも三倍速で人を殺せそうな真っ赤な山が一皿。重要なので繰り返すが、これは私が自信を持ってお勧めする大江戸一番のオムライス……だったものだ。

 柔かい、それでいて断ることのできない、不思議なミツバマジックを回避し損ねた道の果て。

 未来を知っているのに、何でも出来るはずなのに、無力感しか感じなかった。

 

「箸が進んで無いようだけど辛いのはお嫌い?」

「……そんな事はないデスヨ?」

 

 こちらを見つめるミツバさんの目に、逃げられないと諦め、ゴクリと喉を鳴らす。

 昔読んだことがある、辛味というのは本来は味覚ではなく、痛覚を刺激するものであると……。つまりは痛覚を絞ればなんとか……?

 恐る恐るスプーンに盛られた殺戮兵器を口に運ぶ。

 

「……新鮮な味わいですね」

「そうでしょう? 気に入ってくれたようでよかったわ」

 

 そう言ったものの、何故か味がしない。味蕾が死んだのかこれは……?

 喉元を通る熱と吹き出る汗。抑える事のできない生理現象に、認識できなかった不安を掻き立てられる。

 そうやって戦々恐々としながらスプーンを動かす傍らで、姉弟の和気あいあいとした会話は進む。

 

「そーちゃんとこうしてのんびりご飯を食べるのも久しぶりね」

「そうですね、離れてから随分と立ちますから……。でも僕、姉上の事を忘れたことは一日足りともありませんよ」

「ふふっ、嬉しいわ」

「ですがやっぱり記憶の中の姉上より、本物の方が何十倍も綺麗です」

「もう、そーちゃんったら。お世辞が随分と上手くなったじゃない?」

 

 上がった体温は、タバスコのせい? それとも目の前のラブラブな会話のせい?

 頬を染めるミツバさんに、更に沖田さんが追い打ちを掛ける。

 

「世辞なんかじゃありません。本当の事です」

「じゃあ、そーいう事にしておくわ。ありがとう」

「もう、違うって言ってるのに。でも、僕、姉上のそういう謙虚なところも素敵だと思うんです。将来お嫁さんを貰うんだったら、姉上の様な人がいいな」

「私なんて……でも、そーちゃんだったらきっと素敵な花婿さんになるわね」

 

 あれ、これ何ルート? 沖田さんは何のフラグを立てようとしているの?

 それは私がスプーンを置いてもなお続く。

 

「やだ、もー。そーちゃんったら」

「ですが、姉上……」

 

 おっかしいなぁー。きゃっきゃうふふのガールズトークが繰り広げられる展開を予想してたんだけどなぁー。

 届けられない会話とキャッチ出来ないボールに、孤独な侍の歌を脳内ループさせる。

 お熱いのはお好きですかって? 今の私にそれは皮肉にしかならない。

 

「それより姉上、これからどうされますか? どこか行きたい所はありますか? どこへでも連れて行ってあげますよ」

 

 ようやく終わりを見せた会話に思考が戻ってくる。

 

「そうね……江戸のことは良くわからないから、そーちゃんのいつも行ってる所に行きたいわ。いつもお友達と何処で遊んでいるの?」

 

 口元に手を当て悩むミツバさんの出した答えに、押し黙る沖田さん。

 このボッチめと蔑もうかと思ったが考え直す。今のタイミングで言うとなんだかアレだ。(ひが)んでいる様な響きになりそうで嫌だ。

 

「私、いい場所知って「もしもし? あ、俺です、沖田です。……ちと頼みがあって」」

 

 仕方なしに、助け舟を出そうと口を開いた瞬間、見越したように沖田さんは携帯を取り出し、携帯相手に喋りだす。

 視線が合うと、ミツバさんからは見えない角度でふっと笑われた。

 うわっ、何それ、ものすっっごい腹立つ! あれですか? デートを邪魔した腹いせですか? このシスコン野郎がぁあああーあ???

 んん?? もしかして……今までの会話も含めてワザとだったりする?

 沖田さんの背に黒い翼が見えた気がした。

 

 

 

 電話のかけ先は万事屋だった様で、呼び出された銀さんが、私の隣に腰を降ろす。

 

「大親友の坂田銀時君です。さぁ旦那、ちょっと小粋な遊び場に繰り出しやしょうか」

 

 前振り無しでいきなりそう告げる沖田さんに、銀さんは腕を伸ばしその頭を掴むと、問答無用で机に打ち付けた。

 鈍い音を立てて震える机にザマーミロと、私はほんの少し溜飲を下げる。

 

「何コレ、どういう集まり?」

 

 「大丈夫?」と心配するミツバさんに「大丈夫です」と返す沖田さん。

 そんな背景を小気味良いほど無視し、銀さんは眉に皺を寄せこちらに疑問を投げつける。

 

「友達のいな……あー栄光ある孤立(沖田総悟)同盟を結ぼう(友情を深めよう)の会?」

 

 ここまでされてもミツバさんを気遣い、言葉を濁す私を誰か褒めて欲しい。

 けれど、銀さんは褒めるでもなしに、聞き終わるやいなや立ち上がり、入り口に向かい歩いて行こうとする。

 すかさず着流しを掴み引き止める。そうは問屋が卸さない。

 銀さんは露骨に嫌そうな顔を向け、着流しを引っ張る。引っ張り返す。

 

「銀さん忙しいの。友達いないもん同士、仲良く遊んでなさい」

「冗談でも、そーいう事言うの止めてくんない? 古傷が痛むから」

「勝手に古傷にしてんじゃねーよ。真実ってのはな、常に耳にも心にも痛ェんだよ」

 

 だから! そういうの本気で止めてよね!

 ほら、ミツバさんが「まぁそうなの?」とか言っちゃってるじゃない。違うからね!

 

「こんのクソ天パ。じゃあ銀さんにも耳の痛い話してあげようか? 千円この前貸したよね?」

 

 私は最終手段を講じる。

 すると銀さんは、(しか)めていた顔を一転、真面目な顔をして椅子に座り直す。

 

「……ダチってのは貸した借りたの算段を超えた所に成り立つもんだと、俺は思うわけだよ」

 

 あーあ、なんだかここへ来て見たくもない姿ばっか見ている気がする。

 まあ、こんなんだとは知ってたけどさ、知ってたけど……ねぇ?

 色々と開き直った銀さんが、行儀悪くテーブルに肩肘を付き、胡散臭そうにこちらを見つめる。

 

「にしても……なんかお前、今日は珍しく積極的じゃねェ? なんか企んでんの?」

「企むなんて人聞きの悪い。友好の輪を広げよーと思っただけですよ」

「友好の輪ね……」

 

 常に受け身である私が、強引な手段まで使って引き止めた事が腑に落ちないのだろう。

 友達なら艱難辛苦(かんなんしんく)、人生の(から)さも一緒に味わうべきでしょ? 別に、自分一人が貧乏クジを引いたのが許せないだとか、そんな子供地味た事なんて考えちゃいない。新しい糖分の味わい方を伝授してあげようという親切心だ。

 銀さん御用達の団子屋もまだ見つけれてないしね。

 そんな本心を押し隠し、疑いの眼差しに、にっこりと微笑む。なんと言いくるめて連れて行って貰おうか。

 

 

 

 それから、腹ごなしにゲーセンに行って、久々に腕がなるぜとガンシューにコインを入れれば、ドエスにフレンドリーファイアの猛火を浴びせられ、いい加減堪忍袋の緒も限界だったので、そろそろ決着をつけようかと誘った格ゲーで無限コンボに嵌めてやる。

 そうして腹とストレスを消化した所で、団子屋に向かえば、ミツバさんを前に銀さんが火を吹いて……日は暮れる。

 

「へへー。お揃いですねぇー」

「そうね」

 

 帰り道を歩きながら、クレーンゲームで勝ち取ったお揃いの熊のキーホルダーをミツバさんと二人見合わせて笑う。

 

「何が嬉しいんだか、女ってそーいうの好きだよなぁー」

 

 銀さんは相変わらず捻くれたことを言いながら、それでもその行為を否定することなく、横目に揺れるキーホルダーを見ていた。

 

「姉上、月が綺麗です」

「ほんとう。まんまるだわ」

 

 沖田さんが空を指差す。

 差した方向では建物に隠されていた月が顔を出していた。ミツバさんの言葉通り本当にまぁるく明るい月。

 その月明かりに照らされながら大きな屋敷の前に辿り着く。

 

「送ってくれてありがとう。今日は楽しかったわ」

「いえ、こっちこそ楽しかったです。また遊びましょうね。そうそう結婚祝いになるかどうかは分かりませんが」

 

 ミツバさんの目の前に握った手を差し出す。

 

「何かしら?」

 

 じっと見つめるミツバさんに、「よーく見ていてくださいね」と片目を瞑る。

 クルリと回した手に生み出したのは、一輪の白い牡丹。

 

「まぁ!」

「稀代の魔術師キリちゃんからのプレゼントです。見た目も綺麗ですけど、香りもいいんですよ?」

 

 その花にも負けない笑顔を浮かべたミツバさんの手にそれを渡すと、確かめる様に鼻を寄せる。

 沖田さんですら驚いた顔をしているので、全くもってしてやったりという感じだ。

 

「本当いい匂い。なんだか、心なしか呼吸も楽になった気がするわ。それに、お揃いね?」

「そうです、お揃いです」

「ふふっ、ありがとう」

「どーいたしまして」

 

 着物の柄を覚えていてくれたのだろう。男二人が分からないといった顔をしているのを、ミツバさんは秘密めいた顔で笑う。

 その笑顔から生まれた、冷たく重い鉛を押し隠す為に私はへらりと笑った。

 

「それじゃあ、姉上これで」

「あっ……そーちゃん」

 

 惜しむ頭を下げた沖田さんに、ミツバさんは惑う様に声をかける。

 しばしの無言の後、続けられた言葉に沖田さんは分かりやすい程、表情を強張(こわば)らせた。

 

「……あの人は?」

「あの野郎は」

 

 沖田さんの言葉は車のエンジン音にかき消される。

 

「オイお前ら、ここで」

 

 十メートル程離れた場所に止まったパトカー。その扉を開けて降りてきたのは黒い隊服に身を包んだ山崎さんと……土方さん。

 満月とはいえ、ヘッドライトに慣れた目には私達が良く見えなかったのだろう。数歩歩いたところで土方さんは声をかけた人間が誰かという事にようやく気付く。

 そして――影縫い――影の代わりに黒い姿を琥珀色の瞳に縫い付けられる。

 

十四郎(とうしろう)……さん?」

 

 ミツバさんの手が僅かに震えるのが見えた。

 全ては動きを止め月の光さえ硬く凍りつく。

 

「姉上、夜は冷えます。早く中へ」

 

 鋭く尖った沖田さんの声がそれを打ち砕く。

 再び動き出した世界で、土方さんは開いた瞳孔を結び、縫い付けられた体を引きちぎるかの様に背を向ける。

 

「山崎、出直すぞ」

「えっ、でも副長」

 

 鈍い音を立てて閉められた車のドアが意味するものは拒絶。

 もう一度車内から響いた「山崎!」という声に、山崎さんは二人を交互に見つめ、結局はぺこりと頭を下げ車に乗り込んだ。流れ去る赤いテールライト。

 それを見送るミツバさんの横顔は深く傷ついた様な、愛おしむ様なそんな表情を浮かべていた。

 

「そーちゃんの言うとおり日が暮れると少し寒いわね」

 

 ミツバさんは今しがたの出来事など何もなかったかとでも言うように、そう言って笑うと、「じゃあまたね?」と別れを告げる。

 僅かな軋みを上げて閉ざされた門。

 

「もしかして昼ドラ的な展開?」

「そんなんじゃねーです」

 

 空気を読んでくれお願いだから。怖いもの知らずな銀さんから吐き出された言葉に、沖田さんは嫌そうに顔を歪める。

 

「旦那、今日はありがとうございやした」

「ねーちゃん……大事にしてやれよな」

「言われるまでもねーですぜ」

 

 去っていく沖田さんの後ろ姿が、道の向こうの暗闇に混じり消えていった。

 後に残されたのは私と銀さん。

 

「じゃあ俺等もけーるとすっかね」

「そーだねぇー」

 

 方向的には一緒なので、途中まで同行する事にした。

 繁華街から離れたここは車の通りも少なく、虫の音だけが響く。

 満月に照らされた木々は影を作り、夜だというのにこぼれ落ちる木漏れ日が幻想的な美しさを作り出していた。

 

 空に浮かぶ綺麗な月がミツバさんの横顔と重なる。

 このまま二人は相容れないまま終わるのだろうか? 例え今回の嫁入りが上手くいかなかったとしても、次は? そうしていつかミツバさんは私の知らない誰かに嫁いで行くのだろうか?

 そんな事を考えていた私は、「あれなんなの? 略奪愛?」なんていいながら歩く銀さんに、うっかりと「そんなんだったらいいんだけどねぇー」と呟いてしまい、怪訝そうな顔をされる。

 

「お前なんか知ってんの?」

「……知らないけど、まぁ、女の勘って奴ですよ」

「女の勘ねぇ~。お前にも女の部分なんてあったんだなぁー」

 

 わざわざ足まで止めて、頭の先から爪先までをじっと眺めた銀さんは関心するかの様な口調で人の事をこき下ろす。

 

「ありますよそりゃぁー、乳は無いですけどね」

 

 もうなんだか色々疲れてしまって、そんな銀さんへの対応もいつにも増して投げやりになる。

 八つ当たりの意味も込めて、晴れない気分を空に向って放つ。

 

「天パに隕石降ってこーい!」

 

 唐突に叫んだ私に銀さんは少し驚いた後、片眉を上げて「お前、天パに恨みでもあんの?」と、いけしゃあしゃあと(のたま)う。

 

「嫌だなぁ、恨みがあるのは天パの下にある頭にですよ」

「そーいう無差別テロは止めろよな。全国の天パが眠れない夜を過ごす事になるじゃねーか」

 

 にこやかに笑う私の攻撃対象を不特定多数に水増しした銀さんは「隕石なんかより、餅でも降ってこねーかなぁー、餡子の入ったあんまい奴」と空を見上げぼやく。

 視線の先は餅のように丸い月。

 

「月、本当に綺麗だねぇー」

「そーだなぁ」

 

 餅でも何でもいいから降って来ればいいのにな。


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