天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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虹のたもとの銀の鍵

 バイトは午後からだったので、時間を潰すために寄った万事屋。

 

 朝は晴れてたのに……。どんよりとした空が広がる。

 降りそうで降らない。降ればいいのに、それか晴れればいいのに。開けた玄関から空を見上げ、雨に怯える弱虫の歌を思い出す。

 こういうどっちつかずの空は中途半端で面倒臭い。傘を持って行ったらいいのか、降らない事にかけて持たずに行くか迷う。持って行って降らなかったら損した気分になるし、持って行かなくて降られたら後悔するし。

 指針のためにツバメを探す。

 

「早くしねーと、バイト遅れんぞ」

 

 傘を借りようかどうか悩む私に、見かねて銀さんが口を挟む。左手で原付きの鍵をちゃりちゃりさせながら、右手でヘルメットを器用にくるくる回す。

 屋根のない原付きで送ってくれると言うからには、きっと銀さんは降らないと踏んでるんだろう。結野アナの天気予報が曇りと言っていたから。

 

「よし! 降らない方にかける! 降ったら降ったで銀さんのせいにできるし」

「なんなのその決め方。仮にも送ってってやろうという人間に対する態度かそれは」

 

 ツバメに八つ当たりするよりも、銀さんに八つ当たりした方が心が汚れずに済む気がする。呆れた目でみつめてくる銀さんに「早く行かないとバイト遅れちゃう」と自分のことは棚上げして足音を立てて階段を駆け下りた。

 

 結果的に行きは銀さんの想定通りだった。けれど帰りは――。

 ザーザーとまでは行かないが、シトシトでもない……かと言ってザーでも行き過ぎる。サーぐらい。そんな雨に二の足を踏む。

 もう少し待てば雨足は弱まるかもしれないし、逆に強まるかもしれない。

 一瞬跳ぶかという考えもよぎるが……あれは日常で使うようなもんでもないと思い直す。

 

 分厚い雲が陽の光を遮り、町が灰色に鈍く見える。視界は雨に遮られ、霞がかった景色が、かつてブラウン管越しに見た京都に似ているなと、記憶を呼び覚ます。

 余りにも似ていたから、このまま歩いていけばなんだか素敵な事が起こって、向こうの世界に繋がるんじゃないか。そう思って一歩踏み出した。

 けれどそんな事はなくて、冷たい雨がただ体を濡らすだけ。

 なーんだと、安心したのか、残念に思ったのか分からない心のままゆっくりと雨に打たれて歩く。もしかしたらもう一歩だけ進めば繋がるかもしれない。そんな事を思って。

 

「お前なにやってんの」

 

 突然呼び止められて、振り向くと、呆れた様な顔で二本の傘をもった銀さん。閉じた傘の柄をこちらに向けて、ずいっと差し出される。

 受け取った傘を開くとバリッとビニールが剥がれる音がした。

 

「鞄を頭に抱えるとか、ダッシュするとか、少しはそーいう濡れない努力しろよ」

「いや、なんか、雨に打たれるのも気持ちよさそうに思えて。それより迎えにきてくれたんだ?」

 

 努力をしたくなかった理由が上手く説明できないから、話を逸らす。

 

「勝手に俺のせいにされたらたまったもんじゃねーからな」

 

 出掛けにそういえばそんなことも言ったなと思い出す。

 

「思い出した。あーあー、もうビチョビチョだ。銀さんのせいだよ。早く迎えに来ないから」

「なんなのこの子はもー。世界はお前中心にまわってねーんだぞ」

 

 ブツブツ言う銀さんがうっとおしくて、受け取った傘をくるりと回す。跳んだ水滴が銀さんの着流しに吸い込まれ、更に嫌そうな顔をされる。

 今更傘を被った所で意味が無いほど濡れてしまった体は乾く訳もなしに、でも文句を言う割に銀さんの目が余りにも心配そうだったから、日常で使うもんじゃないという言葉を翻し、体を乾かす。

 

「迎えにくる必要無かったみたいだな。つか最初からそーしとけよ」

「言ったじゃん、気持ちよさそうに思えたんだって」

 

 突然の出来事に驚くような素振りも見せず、憮然とした表情を浮かべられる。

 親切を無駄にする様な行為が気に入らなかったのだろう。

 

「ま、銀さんが来なかったらきっと濡れて帰ってたから……ありがとうね」

「結局そーやってお前は何でもかんでも俺のせいにする訳ね」

 

 寛大な世界観に掬われた心。

 それを「ありがとう」という安っぽい言葉にくるみ、取り繕う様に言葉に添える。

 けれど、それが軽く引き伸ばしたお礼混じりの謝罪である事を見ぬいた銀さんは、不機嫌そうな表情を浮かべる。

 

「まぁまぁ、拗ねない拗ねない。銀さんのおかげって事で」

「へいへい、感謝するならもう少し有難がれつーんだ」

 

 不機嫌な銀さんを相棒に帰り道を歩く。

 もしかしたら後一歩で帰れたかもしれない。そんな根拠もない事を考える。

 銀さんが迎えにこなかったら帰れなかったかもしれなかった。あと一歩あと一歩と町を彷徨う自分を想像し、それはなんだかとても痛くて、わざとパシャンと水たまりを踏んでかき消す。

 サーと降っていた雨がザーに変わる。

 

「流石にこれは気持ち良くはなさそーだねぇー、ありがとね、銀さん」

「雨に濡れて気持ちいいとか発想がガキすぎんだろ。そーいうのは神楽ぐらいの年で終わらしとけ」

 

 何度目かの謝罪でようやく臍の曲がりを解いて、代わりに呆れた顔を浮かべる。

 

「いいじゃん、子供は雨の子元気の子ってね」

 

 もう一度わざとパシャパシャと水たまりを踏み抜くと、「跳ねんだろ!」とブーツで水たまりを蹴り上げられる。

 仕返しに私もやり返して、やり返され、二人共ずぶ濡れになって帰ると、「傘持ってましたよね?」と新八君に不思議そうに言われた。

 

 

 

 

 

 雲ひとつない青空! そういう事はできないけれど、八対二ぐらいの割合で青空と雲が広がる空はとても奇麗だった。

 

「布団干して貰っていいですかー?」

 

 台所から新八君の声がした。「了解です。隊長!」と戯けながら神楽ちゃんと銀さんの布団をベランダに干す。

 欄干から望む江戸は、昔ながらの瓦葺きの屋根と着物。色とりどりの天人達。未だに慣れないそれらに戸惑う事も多い。

 銀さんの布団の上に肘をつき、憧憬と感傷を混ぜこぜにした感情のままに目を細めてしばらくそれを眺める。

 

「何か見えるアルか?」

 

 窓枠に手を置き、青い瞳が不思議そうに此方を見つめていた。

 ガラスに写った群青色の空と、サーモンピンクの髪の対比が、綺麗に映る。

 

「んー。天気がいいなーって。後で定春のお散歩、一緒行こうか」

「いいアルヨ」

 

 欄干から手を離しその綺麗な物を腕の中に閉じ込め、ぐしゃりと頭を撫でる。

 

「わっ、何するアルか!」

 

 突然の事に、目を閉じ、ほんの少しくすぐったそうに身を捩る神楽ちゃん。

 その暖かさに傷がゆっくりと埋められる。トロリと溶かされた飴。そんなイメエジ。

 なんだか無性に甘いモノが食べたくなってきた。

 

「神楽ちゃん。公園にさ、美味しいクレープ屋さんがあるんだって、一緒に食べよう?」

「やっほい! 破産させてやるから覚悟するヨロシ!」

 

 腕を離しそう言うと、にやりと笑われ、びしっと指を刺される。

 

「三つ! それ以上はご勘弁を! 工場長!」

「しょーがないアル。それで勘弁してやるネ」

 

 治療費だと思い、両手をぺしんと合わせて頭を下げれば、ふわりと笑う神楽ちゃん。釣られて私も笑う。

 

「お前等なに悪巧みしてんの?」

 

 神楽ちゃんの頭上から頭をのぞかせる銀さん。おおかたクレープという単語に釣られてやってきたんだろう。

 

「女の子同士の秘密デスヨ。エロい顔して近づかないでくれますぅ」

「そうアル。銀ちゃんには関係ないネ」

 

 必要以上に財布の中身を減らす理由はない。

 それを死守すべく、神楽ちゃんと一緒に蔑んだ目で見てやる。一蓮托生。いいコンビになれそうだ。

 

「お前等なぁ! 傷ついた! 銀さんは傷ついた! 慰謝料としてクレープ一年分を請求する!」

 

 やっぱりクレープ狙いで来やがったかコンチクショー。

 

「銀さんのハートがそんなもんで傷つく訳ないじゃん」

「まっさらな少年ハートだから! ガラスのハートだから!」

「ガラスはガラスでも、防弾ガラスの癖して」

 

 口ではそういう物の、果たしてそうだろうか、チラと紅桜に貫かれた私を見つめる銀さんの目を思い出す。これでいて何かと繊細なんだよな……。

 

「クソ! 鳥頭の鶴でももう少し恩返しすんだぞ!? お前一応それでも哺乳類だろ!? 冷血動物か!? ウーパールーパーの仲間だったか! 似てるのは顔だけにしろよ、コノヤロー」

「誰がウーパールーパーだ! はぁ……もーしょうがないなー。一個だけだよ? それ以上は予備軍昇格しちゃうからダメだかんね」

 

 不器用代表各のこの人を少し甘やかしたいという思い。それも一種の甘えなのだろう。

 グズグズに溶けて甘えるだけの存在になってしまう。そんな危機感を胸に抱きながらも、とろけきった心のままにそれを許す。

 私が折れる事など期待してなかった銀さんは、なんだか気まずそうな表情を浮かべる。それをニヤっと笑ってやると、試合に勝って勝負に負けた気がするとブツクサいいながら部屋に引っ込んでった。

 神楽ちゃんと二人でそれを見てケタケタ笑う。

 

 

「僕まで本当に良かったんですか?」

「ま、あの二人だけって訳にもねぇ?」

 

 こうなったら新八君を置いていく訳にもいかず、三人揃えて面倒を見て上げようという事で、クレープを食べに三人と一匹を連れて公園までお散歩。

 先頭を歩くは神楽ちゃんと定春。遅れて銀さん。その後ろを二人でついていく。後ろから見る白い髪の毛は、相変わらずのハネ具合。

 

「あんまり遠慮とかしなくていいんですよ? あの二人見境ないんで……」

 

 済まなさそうな顔をする新八君。自業自得なんだけど、それを正直に伝えられる筈もなく、幾つか言葉を選んだ末「ま、偶にはいいんじゃないの」と濁した。

 

「キリさんって……時々人が良いですよね」

「時々って……キリさんはいつもいい人じゃないですか、新八君」

 

 微妙に褒めているんだか貶してるんだか分からない言葉に、へらりと笑って返す。

 

「まったく……口が減らないですね。キリさんはね、微妙に食い意地張ってるところとか、そういうどうでもいいところでしかムキにならない所とか、本当に譲れないところは笑って誤魔化すところとか……それを悪いと思ってるのに改めないところとかが悪い人なんですよ」

 

 私なんかよりよっぽど人が良いと思っていた新八君にチクリと刺される。どう返すべきか……しかたなしに、上手く回らない口で、「そうかなー」と視線を逸らし嘯く。

 まったくもって誤魔化せていないそれは新八君を傷つけるだろうか? そんな不安と共に返した言葉。それなのに――。

 

「そうですよ。それよりトッピングは幾つまでって指定なかったですよね」

 

 にこやかに笑われた。

 「お財布ピンチなのでお手柔らかに」と、困った顔の理由をとぼける私に上手く誤魔化されてくれる新八君。

 まったくもって甘えっぱなしの私は年上だとかそーいう威厳を取り戻せないまま、公園にたどり着く。


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