天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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へびのあし

 シトシトと朝から振り続ける雨。傘の先から水滴がつーっと垂れる。わずかに傘を傾け空を見上げると分厚い雲。

 こりゃ午後になっても晴れないなぁー。

 少し憂鬱になりながら、薄汚れた水たまりを避ける。

 バイトは休み。それなのに、雨が振っていれば暇つぶしの手段も限られていて、定例と化した暇つぶし場所、万事屋へと向った。

 

「ごめんくださーい」

「勝手に上がれ」

「上がれヨ~」

 

 面倒くさそうな銀さんの返事と、神楽ちゃんの返事だけが返ってきた。一つ足りない。

 買い物にでも言ってるのだろうか? この雨の中を一人で? 手伝ってあげたらいいのに。

 けれど、私も面倒臭いのが勝って迎えになんて行かない事に鑑み、まぁ、万事屋のお母さんだしなと、理由にならない理屈をこねる。

 

 投げやりな返事の元、勝手に上がらせて貰い、居間に行くと、銀さんと神楽ちゃんは向い合ってオセロをしていた。銀さんがカチャッと白を置く、パタパタと返される黒に、神楽ちゃんの顔が引きつる。

 

「新八君は買い物?」

 

 迎えに行くつもりは無いが、興味本位で一応聞いてみる。

 

「あァ? 知んねェよ。無断欠勤だ。クビにすんぞ……。ったく」

 

 無断欠勤? あの新八くんが? いや、神楽ちゃんとオセロやってる場合じゃないんじゃない? 何かあったのか? あ、いやでも、何かあったのならそれこそ本当に銀さんはここでオセロをやっている筈はなく……。

 

「ねェ、銀ちゃん。アネゴもう帰ってこないアルか? アレから一度もウチに帰ってきてないって……なんか修行しているから帰れないって手紙がきたんだって」

 

 神楽ちゃんが不安そうに銀さんを見つめる。対する銀さんはいつものごとく、死んだ魚の目で碁盤を見つめながらダルそうに、カツカツと白黒の石で机を叩く。次の一手を考えているのだろうか? それとも別の何かを?

 

「花嫁修業。嫁ぐ前に色々勉強しなきゃならねーんだろ。なんせ柳生家っちゃ名家中の名家だからな、玉の輿だよ」

 

 カチャと石を置いた銀さんは、「肩凝った」といいながら、いつもの椅子をギシッと軋ませ座った。その隙に神楽ちゃんが、パタパタとルールを無視して白を黒にひっくり返す。

 

 妙さん、花嫁、柳生家。あーこれは例のアレか。

 柳生九兵衛(やぎゅうきゅうべえ)――九ちゃんからお妙さんをぶんどるお話。ようやく思い至ったそれに、しまったなと一人焦りを浮かべる。先日の豆パン、フラグだったのかぁー。気づけなかったそれを回収してしまった事に不安を覚える。そう言えばこの前、どっかの料亭の屋根直すって言ってたから、あれがバブルス女王の件だったのだろう。

 

 オセロの碁盤を全て黒にした神楽ちゃんは、満足気に笑うがその笑いに無理が混じっている気がした。

 雨の音だけが響く万事屋。

 

「ジャンプ買ってくる」

 

 もう一度椅子を軋ませ立ち上がった銀さんはそう言って出て行った。

 ソファーに放り投げられた今週号のジャンプ。

 

「ちょっと散歩いってくるアル」

 

 「雨、面倒臭いアルなー」と先程までため息をついて、窓の外を見ていた神楽ちゃんが出て行った。

 私はどうしよ? 結論を知っている身としてはどうしたら良いのか。

 参加するには人数の問題があるし、大体わざと負けなきゃいけなくなるようなもんに手出しもできない。銀さんがいるんだし、私なんて手出ししなくてもきっと上手に纏めてくれる。頭で考える言い訳のオンパレード。

 だけど……。プリン一つに申し訳無さそうな顔を浮かべる新八君。いつもこんなのでごめんなさいと言いながら、質素な夕飯を作ってくれる新八君。美味しいお茶を淹れてくれる新八君。

 

「私にも……何かできることあるかなぁー」

 

 感情のままに、一歩だけ進めた世界。

 かつて観光目的に辿った道を、記憶を頼りに歩く。石積みの階段、大きな門構え。

 けれど記憶と違い、他者を拒絶するかの様に閉ざされていた門は大きく口を開けていた。

 もう、始まってるのか。二段飛ばしで階段を駆け上がり、門の影から中を覗き込む。

 近藤さん、土方さん、沖田さん……銀さん、神楽ちゃん、新八君。

 間違いなく、みんな揃っている。

 帰ろうか、一瞬そんな事を考えた。

 

「キリさんまで!」

 

 新八君が振り向きざまに、柳生流の門下生を倒す。

 見つかってしまっては仕方ないと諦め、徒手空拳のまま、新八君の後ろから襲いかかってきた門下生の腕を取り……足を払い転がす。今一イケてない。

 でも、鳩尾やら顔面やら急所を狙って大怪我をされても困るし……。力任せに投げ飛ばして、固い地面に打ち付けて無事かどうかの判断もつかない。手加減も効かない。しまったなぁー。やっぱ来なきゃ良かった。

 横を見ると、神楽ちゃんが、傘で相手を受け、力任せに吹っ飛ばしていた。

 銀さんも危なげなく、相変わらず、どうやったらそうなるのか分からない動きで相手を翻弄し、倒していく。

 その動きを真似しようかと、見つめるが直ぐに諦める。一朝一夕でできるもんじゃない。

 

「テメーなに、サボってんだ!」

 

 仕方なく奪いとった刀で、避けたり受けたりしながら誤魔化していたら、とうとう土方さんに目を付けられ怒られた。

 

「生理痛が酷くて」

「オィイイ!」

「三十路のおっさんが顔赤らめない。キモいよ」

「赤らめてねぇーし! まだ三十路じゃねェエエ!」

 

 ツッコミと共に五、六人まとめて吹っ飛ばす。

 

「流石副長殿、やりますねぇー」

「だからテメーも働けよ!!」

「か弱い乙女なんで、こーいう荒事は少し苦手で……」

「さっきと言ってることちげーだろうがよぉおお!!!」

 

 そうやって土方さんをからかいながら誤魔化すうちに、柳生流はその数を減らしていく。

 そして残った手勢も敵わないと悟ったのか、伸された仲間を背負い退いていった。

 

「なんで……」

 

 新八君に、近藤さんに理由を問われ、皆それぞれ捻くれた言い訳を口にする。温かな思いが、信念が伝わってくる。

 私は……明確な理由なんて見つけきれなかった。それでもここに来てしまった。それは理由になるだろうか?

 

「銀さん」

 

 それぞれの言い訳に答えるように、呟かれた新八君の声は少し震えていた。

 

「僕は、姉上が幸せになれるならだれだって構やしないんです。送り出す覚悟はもうできているんだ。泣きながら赤飯炊く覚悟はもう、できてるんだ。……僕は仕方ないでしょ。泣いても……。そりゃ泣きますよ。でも……泣いてる姉上を見送るマネだけは、まっぴら御免こうむります。僕は姉上にはいつも笑っていてほしいんです。それが姉弟でしょ」

 

 雨でごまかせない涙を流しながら悔しそうに語る新八君……。

 ちらりと沖田さんを見る。相変わらずのポーカフェイスでその考えは読めないけれど、人一倍自分勝手な言い訳裏には、ミツバさんへの思いが隠されてるのではないかと、そう思った。笑った姉上を送り出す。叶わない願いにこの人は何を思うのだろうか。

 

「銀ちゃん、アネゴが本当にあのチビ助に惚れていたらどうなるネ。私達、完全に悪役アル」

「悪役にゃ慣れてるだろ。新八覚えとけよ。俺達ゃ正義の味方でも、テメェのネーちゃんの味方でもねェよ。テメーの味方だ」

 

 少し惑うような神楽ちゃんの言葉。

 けれど、銀色の侍は相変わらずの調子で、一寸の迷いもなく先陣切って歩いて行く。

 その後ろに見える気がした真っ直ぐな道。

 皆好き勝手な事を言いながら、その道に続いていった。

 一人取り残された私は……私も私の味方になっていいのだろうか?

 

「ぼさっとしてんじゃねーよ」

「あ、うん」

 

 飛んできた銀さんの声。良く見ていらっしゃる。

 けれど、それはその迷いすら見透かされている様で、振り切る様に迷い戸惑う足を一歩進める。

 侍に成り切れない私は、侍の作った道を歩く事で侍に近づこうとした。

 

 

 道場の戸を開けた瞬間、卵かけご飯が飛んできた。

 一番槍に名乗りを上げた神楽ちゃんはモロにそれを被り、服に生卵が垂れる。

 

「オイ、チャイナ股から卵たれてるぜィ。排卵日かィ?」

 

 何かが切れる音がした。怒りに任せて頭を掴まれた沖田さんは、神楽ちゃんにぶん投げられる。沖田さん……意外と後先考えないよなぁー。

 投げられた先にいるのは、東条さん、北大路さん、西野さん、南戸さん。柳生流四天王の面々。

 そのまま、四人に沖田さんが人質に取られてしまう。

 

「……オラ、獲物捨てな。人質が……」

 

 南戸さんが言い終わらないうちに、一斉に沖田さんに向かって武器を投げ放つ、皆。

 真剣が含まれてるのに、躊躇ない。沖田さんはこれを期に、少し日頃の行いを改めるといい。大量購入された調味料を思い出す。

 私は後が怖いので徒手空拳を理由に何も投げなかった。大量のアレが既に使い切られたとは思えないし。

 

 ギャーギャー騒ぐ皆を一歩離れて見ていたら、入り口に人影が差す。

 黒い絹のような髪、白い羽織。凛とした佇まい。空気が変わる。『清廉』そんな言葉が浮かんだ。

 九ちゃんだ。

 

「やめろ! それは僕の妻の親族だ。手荒な真似はよせ」

「若!!」

 

 その言葉に沖田さんがこちらへ返される。

 土方さんから飛ぶ小言に耳に指をつっこんで聞こえぬフリをする沖田さん。悪びれない飄々(ひょうひょう)としたその態度は暖簾に手押し、糠に釘そんな言葉が相応しい。

 私はその姿を見ながら、そっと姿を消す事にした。私にできることは、ここには無い気がして……。

 

 

 

 

 広い屋敷。いや本当に広い。東京ドーム、行ったことないけど、それと比較してもいいぐらいに広いのではないだろうか? 鳥を飛ばし、自身の足でも探しまわり、ようやく見つけた離れの奥座敷。

 

「こんにちは、お妙さん」

 

 障子を開け、中を覗き込む。

 ヒックリ返された机、爆心地と揶揄された料理の数々。見渡すと敏木斎(びんぼくさい)さん――九ちゃんのおじいちゃん――はいない様で、もう出た後なのだろうか?

 茶碗を拾い集め、荒れた部屋を片付けていたお妙さんが顔を上げた。

 

「あら? 貴方は確か……」

「キリです。いつも新八君にはお世話になっています」

 

 何度か顔を合わせた事はあるけれど、直接話をするのは実は初めてだったりする。

 

「なんで貴女がここに? まさか忍び込んだんじゃあ」

「まあ、色々と。大丈夫ですよ、ちょっとした裏技使ってますから」

 

 心配そうに落とした眉にヘラリと笑う。その言葉に、「変な人」と、優しく笑うお妙さん。

 強いなぁーと思う。

 

「まあ、汚い所だけど、上がってちょうだい」

 

 そう言って部屋の片隅に置かれた、被害を受けていない座布団を払い、出してくれる。

 

「それじゃあ失礼して」

 

 座ると、机を元に戻し、お茶を淹れてくれた。恐る恐る口をつけると一応まともな味だったので、ほっと一息つく。

 

「どうしてこんなところに?」

 

 開け放たれた障子から見える庭を眺め、優しく問いかけるお妙さん。

 

「散歩してたら、ついうっかりと迷い込んでしまいました」

 

 何か助けになりたかったけれど、できる事が見当たらなくて、ついつい顔を覗きに来ました。

 そんな心情を暴露するのはいささか情けなくて、へらりと笑い誤魔化す。

 

「ふふっ。帰りは迷わない様にね」

 

 けれど、お妙さんは、そんなあからさまな嘘も、弱さも全部笑って受け止めてくれた。

 

「ねぇ、新ちゃん……新八は元気にやってますか?」

 

 ほんの少し、影が混じった笑い。元気でやってますよ。そう答えようとして、一つ思いつく。

 

「お妙さん……もし、ですよ? もし過去に戻って、一つだけ何かをやり直せるとしたらどうします?」

 

 唐突な、質問とまったく関係のないその言葉に、お妙さんは戸惑いを浮かべるが直ぐに強い笑いを浮かべる。

 

「そうねぇー。近藤さんに尻毛ゴリラは愛せませんと言い直すかしら」

「お妙さん……私が言いたいのは……」

「キリさん」

 

 優しく強い瞳が、諭すようにこちらを見つめる。

 

「過去というのは現在に続く大切なものよ。その御蔭で今、私はここにいるの。だから、今更それをどうこうってのは特に思わないのよ」

「……強いですね」

「私は全然強くないわ……」

 

 全てを受け入れ強く生きる人だ……。そう感じた。

 

「お茶ご馳走様でした、そろそろ行きますね」

「そうね、見つかったら大変よ。気をつけて帰ってね」

「新八君、元気にいつもどおりにやってます」

「そう、良かった」

 

 閉じられる襖。最後に見た笑顔だけは、嘘の混じっていない本当の笑顔だった気がした。

 

 

 

「銀さんみーつけた」

 

 迷いながら歩いた屋敷の一角。母屋から離れた別棟の台所で、何かを探している銀さんを発見した。

 人様の家の冷蔵庫を勝手に開け、首を突っ込んでいた銀さんは、私の気配にその首を冷蔵庫から引き抜き振り向く。

 

「なんだお前か」

 

 けれど、それが私だという事を認識した銀さんは、冷蔵庫を閉じ、茶箪笥を漁りだす。

 

「何探してんの?」

「糖分」

「さいですか」

 

 銀さんらしい回答に笑いながら、その姿を見つめる。銀さんは……戦わないのだろうか? 九ちゃんが女の子だと知っているから? 見えない未来に不安はないと言ったら嘘になる。けれど平気だと今は信じている。

 

「お妙さん元気そうだった」

「そうか……」

 

 一瞬止めた手。節くれだって傷だらけで、お世辞にも綺麗とは言えない手だけれど、沢山の物を護ってきた手。私の知らない沢山の傷跡。それが信じるに足る証拠(あかし)

 

 一緒に糖分を探してあげるために、下段の飴色の引き戸を開ける。

 

「お前、何で参加しなかった?」

 

 逃げ出したことを咎めるような響きは混じっていなかった。単純な疑問なのだろう。

 銀さんはその身長をいかし、上の棚を探る。

 

「んー。生理痛が酷かったから」

「バファリン飲んどけ」

「薬ってなんか飲むの躊躇するよね」

「わがままだなテメーは」

 

 結果が同じでも、押し付ける行為がどうしても正しい事だとは思えなくて、皆の思いを知っていながら逃げ出した。

 それを誤魔化す為のあからさまな言い訳を、銀さんは否定することなく、しょうが無い奴だとでも言う様に笑ってくれた。

 

「ねぇ銀さん。私にできる事、一つ見つけたんだ。でもそれが正しいかどうか分かんない。誰も求めてなくても、それを押し付ける事は正しいかな」

「正しさなんて人に聞くもんじゃねーよ。テメーがそうしたいなら、そうしりゃーいいじゃねーか」

「……」

 

 思わず黙りこんでしまった。私は……どうしたいのか? どうすべきなのだろうか?

 

「ただ、まぁ……覚悟がねぇーならやめておけ」

 

 手を止め銀さんがこちらを向くのを視界の隅に捉える。ガリガリと頭を掻きながら付け加えられた言葉。

 覚悟、背負い込む覚悟は未だ決められない。侍にはなれない。

 そして、エゴの押し付けを肯定する理由も見つけられない。宇宙に行った時はそれが正しい事だと信じていた、でも今はもう……。

 混ざれないそう思った、あの時の判断が今正しかった事を認識する。混ざってしまえば綺麗な煌きが濁ってしまう、そんな妄想。

 

「……なぁお前は」

 

 灰色の目がじっとこちらを見つめている。

 何かを言いかけて、それは言葉にならずに消える。口の回る銀さんにしては珍しく、私は黙ってその続きを待つが、銀さんは諦めたようにそれ以上何も言わず、再び糖分探しを開始した。

 

「饅頭発見!」

 

 引き戸の奥、お茶っ葉の袋に紛れ見つけた箱を取り出す。

 

「お、いーもん見つけてんじゃねェか」

 

 まるで、それが自分の口に入る事が当たり前の様に、ニヤニヤ笑う銀さん。

 

「ねぇ、銀さん……やっぱやめた」

「あ?」

「食べ過ぎに注意してね、血糖値上がっちゃうよ?」

 

 一瞬細工しようかと考え、取りやめ、そのまま渡す。信じているから。

 腐った豆パンを食べてトイレに引きこもる本来の道。それから逸れた道筋。

 

「じゃあ、私行くね」

「オイ!」

「大丈夫、また後でね」

 

 侍の道は、侍に任せ、何も見えない道を一人で歩く。それが強さだと信じて。

 

 

 

 銀さんと別れ再び歩く柳生流道場の敷地。鬱蒼とした木々、時折、羽虫が横切り、鳥の鳴き声すら聞こえる。

 一見平和そうなその奥。

 

「はっ!!」

「がっ……!!」

 

 交差する黒と白。ガンッ……ガリッと木刀が打ち合わせられ削られる音が響く。

 防戦一方の土方さんと、超人的とも言える剣速で相手を翻弄する九ちゃん。

 額から流された血、打ち付けられた青あざ、荒い息。それらは全て土方さんの物で、九ちゃんはその白い羽織を汚すことなく立っていた。

 

 ザリッとわざと足音を立てて近づくと、双方気付いた様で一瞬だけこちらに目を向ける。

 

「こんな所でどつき合いとは若いっていいですねー。青姦? 私も加えて3Pのマニアックなプレイに挑戦しませんか?」

「巫山戯た事を!」

「テメーは自分で何口走ってるか良く考えろよぉおお!? くっ」

 

 軽口を叩くがまったくもって手は止まってくれない。

 私と違って、二人共無駄がなく、綺麗な剣筋をしている。

 

「あーあ、フラレちゃったってことで、2Pですかね。土方さん少し眠っててくださいね」

 

 間に割り込み両手で双方の木刀を受け止める。

 

「なっ」

「テメーっ……」

 

 九ちゃんの瞳が未開かれ、土方さんから鋭い視線が飛ぶ。込められる力を受け流し、木刀を受け止めていた手を離す。

 地面に叩きつけられる刀。

 再びその刀が上がる前に、土方さんに電撃を打ち込む。

 

「おまっ……」

 

 ずるっと倒れこむ土方さんを受け止め、そっと寝かせ、皿を割る。これ以上の戦いは意味が無い。とは言え……倒れこむその前に見た瞳は怒りに満ちていた。後が怖いなぁーとぼやく。

 

「なんのつもりだ」

「少しお話しません?」

 

 切っ先を油断なくこちらへ向ける九ちゃん。

 敵意がないことを示すために両手を上げると、ゆっくり刀を下ろしてくれた。

 

「ねぇ、九ちゃん」

「どうして僕の名を……それに君は」

「九ちゃんの名前は……あー、お妙さんに伺いました。私は新八君に色々お世話になってる身で、キリと言います。今日は付き添いみたいなもんです」

 

 うっかりしていた。それっぽい言い訳を口にしながらチラリと土方さんを見ると、納得した様な顔をしていたので大丈夫だろう。

 

「私は刀で語るとかそういう器用な真似は出来ないので、普通にお口でお話にきました」

 

 へらりと笑う私に、怪訝な表情を浮かべる九ちゃん。

 

「私は、正直、愛とか恋だとかさっぱり分かりません。何それ美味しいの? って感じです。でも、本当に好きだったらこういう手段じゃなくてきちんとした形で、向き合って、妻問いするのが正当なんじゃないかなぁーって私は思うんですよ」

 

 「違います?」と笑う私に、鋭い視線を向けてくる九ちゃん。

 

「君に何が分かる!」

「偉そうにいえるような事は何も知りません。でもこの行為が間違ってるってのは分かります」

 

 私は何も分かってはいない、九ちゃんの思いを汲める程、人生経験がある訳でもないし、話は知っていても、それは表面上の事で、こうやって向かい合うと伝わってくる熱気や、信念そういったものは何も解っていないのだ。

 それでも……影を落としたお妙さんの顔。これが正しいとは思えない。

 

「九ちゃん……私は何も貴女の思いを否定しに来た訳じゃないんです」

「……」

 

 侍はやはり刀でしか語れないのだろうか。揺らがない瞳に諦め、一つだけ私に出来る事を問いかける。

 

「九ちゃん。もし過去に戻って、一つだけ何かをやり直せるとしたらどうします?」

 

 お妙さんに問いかけた問答を繰り返す。

 

「僕は、僕のやったことを後悔したことはない。だからその質問は無意味だ」

 

 九ちゃんも強い人だ。私が立ち入る事のできない、絆。眼帯に覆われた古傷。

 エゴイズムの元に癒やそうとした傷。

 一切の迷いを含まない答えに、物理的にできる唯一の手段を封じられ、私はなす術なく敗退した。

 

「ありがとうございます。色々済みません。あ、土方さん預かっていきますね」

 

 このまま放置して、地面と顔面をヤスリがけされるのも少し可哀想なので、拾っていく。

 

「僕も聞いていいか? 君は強い。なんで参加しなかったんだ?」

 

 悔しそうに見つめる目は、強さへの憧憬か……。誤魔化しだらけの私に向けられるその視線は居心地が悪くて、土方さんを抱き起こす事にかこつけて、その視線から逃れる。

 

「私なりのルールがあるんですよ。よっこいしょっと。それと私は強くないよ……」

 

 道に迷い、何一つ決めきれない心。剣筋もクソもない滅茶苦茶な剣。それが私の持ってるもの全てだ。強さなんて一滴も混じる余地はない。強さを手に入れたなんて勘違いだ、未だに私は独りで立つことすらできやしない。

 そんな考えを振り払い、土方さんを抱き上げる。

 お姫様だっこって身長差があると間抜けだね。特に男女逆だと。

 

「私は九ちゃんの事、かっこ可愛い素敵な女の子だと思ってるよ? だから今回の事は別として応援してるから」

 

 驚いたような顔をする九ちゃんを後に、土方さんを連れて母屋の方に歩いて行く。

 

 

 

 

「土方さん!?」

 

 こちらを向いた新八君が、驚いた様な表情を浮かべる。

 傍に立つお妙さんもその声に、顔を僅かに上げてこちらを見る。

 目尻に僅かに浮かぶ涙。誰も泣かせたい訳ではないし、その涙が必要な物だなんて言うつもりもないけれど……。

 迷いのない黒い瞳を思い出しその考えを振り払う。

 

「ごめんね、私がやっちゃった」

「何してんのぉおお!?」

「ごめん、ごめん」

 

 鋭いツッコミが返ってくるが、それも笑って誤魔化した。

 縁側に土方さんを下ろし、改めて新八君に向き合う。

 

「そうそう、新八君。九ちゃんが可愛いからって、あんまり虐めちゃ駄目だよ? 好きな女の子虐めて許されるのは小学生までなんだからね」

「知っていたの?」

「どういうことですか姉上!」

 

 お妙さんの言葉に、声を荒らげる新八君。

 

「そういう事だ……」

 

 玉砂利を踏みしめる音に振り向くと、木刀を片手に、九ちゃんが立っていた。

 

「オイ、左目ってどういうことだ! それに女って……」

 

 激高した新八君が九ちゃんに突っかかる。

 どう話を振ろうかと思ってたけど、自分から聞いてくれて助かる。

 

「お妙ちゃん、そんな事をまだ、気にしていたのか。新八君、君は知らないと思うが、幼い頃僕は左目を失ってね。そこにお妙ちゃんも居合わせていたんだ。責任を感じる必要はないといったのに。僕はむしろ感謝している位なんだ。あの時があったから今の僕はある。左目と引き換えに僕は強さを手に入れた」

 

 凛と胸を張り、左目を失った痛みなど感じられない姿。

 私の言葉に対しても迷いを持たない強い心。頑なと言い換えてもいいかもしれないが、それですら私には羨ましく思えた。

 

「オイ」

 

 傍らから上がる声、未だ流れる血を拭い、ゆっくりと土方さんが身を起こす。

 

「起きました?」

「テメーどういうつもりだ」

 

 立ち上がって、木刀を構える土方さん。

 

『アレは人一倍負けず嫌いだ手ェなんて出したら殺される』

 

 近藤さんの台詞を思い出す。一発殴られるだけで許してくれるかなぁ。

 それに……仕方なしに使ってしまった裏ワザをどう誤魔化そうか。

 

「お詫びに、膝枕でもしましょーか?」

 

 挑発をかまして、裏ワザが有耶無耶になることにかける。

 それには答えず無言で木刀の先が上がる。フッと消えるような、剣先。

 しかし、風切り音を立てて迫った木刀は、寸前で止められる。

 

「どういうつもりだ」

「ハンデとして一発入れさせて上げようかと」

 

 ヘラリと笑い、再び挑発する。けれど土方さんは、舌打ちして背を向ける。

 そーいやフェミニストだったっけ、失敗したなぁ。冷静になったとき、思い出さないでくれるといいけど……。

 そんな淡い希望を抱く。

 

「チンカスじゃぼけぇえええええ!!!」

 

 振り向くと、銀さんが、塀を飛び越え、重い一撃を敏木斎さんに入れる。思わず吹き飛ぶ……いや自ら飛んだのか。塀の此方側へ軽やかに着地する敏木斎さん。

 不思議とその姿を見て安堵するような気持ちは湧いてこなかった。というよりも、そうなる事を当たり前の様に受け止めている自分がいた。

 

 

 

「貴様らァアアア!! バカ騒ぎは止めろォ!! これ以上柳生家の看板に泥を塗ることは許さん!!」

 

 唐突に障子が開き、輿矩(こしのり)さん――九ちゃんのお父さん――が門下生を引き連れて、こちらへけしかける。

 時を同じくして、雪崩れ込んでくる、近藤さん、沖田さん、神楽ちゃん。

 

 それをフォローしながら横目で、銀さん達の試合を盗み見る。

 本当に綺麗な太刀筋だ。

 敏木斎さんと、九ちゃんはまるで舞を踊っているようで、銀さんも押されてはいるが、なんでそう受けたのか? と思ったら、それが次の動作に繋がっていた。

 新八君は基本通りお手本見たいな動きで……。

 けれど、分が悪い事は否めなく、とうとう新八君が障子を砕き、屋敷の中に吹き飛ばされる。

 

「大将撃沈。これで終わりじゃ」

 

 終わったとばかりの敏木斎さん。それに、鼻でもほじりそうな態度で銀さんが向き合う。

 

「バカ言ってんじゃねーよ。じーさんよ……アンタの孫は護りてー護りてー自分の主張ばかりでテメーがいろんな誰かに護られて生きてることすら気付いちゃいねェよ。そんな奴にゃ誰一人護ることなんてできやしねーさ」

 

 その姿に何かを感じたのか、吹き飛んだ新八君の方向を向く敏木斎さん。

 その勘は正しかった。止めを刺す為、後を追った九ちゃんが、今度は逆に吹き飛ばされ、白い羽織を汚す。

 

「新八テメーにはよく見えるだろ護り護られる大事なモンがよ」

 

 その声に応える様に、飛び出してくる新八君。

 それからの一合一合は本当に綺麗で、力強くて……。

 最後に立っていたのは新八君。

 かっこいいなぁと思った。

 

「アンタは結局何しにきたんだ?」

 

 片足を庇うようにして、沖田さんが興味のなさそーな、どうでもいい様なそんな口調で尋ねてくる。

 

「んー。野次馬かな?」

「そうかィ」

 

 結果的にそうなってしまったそれを伝えると、蟻の触覚程しか無かったのであろう興味を失い、「土方さーんおんぶしてくだせェ」と行ってしまった。

 しょうがねぇなとブツクサ言いながら、それでもまんざらでも無さそうな土方さん。

 しかし沖田さんは「こりゃぁ楽でいいや。そのまま一生俺の足として働いてくだせェ」と捻くれた事を言って振り落とされそうになっている。きっと照れ隠しなのだろう。

 

「オラ、行くぞ」

 

 もう仕事は終わったとばかりに、ダルそうに声をかけてくる我らリーダー。

 

「お腹減ったね、今日は何?」

「お前食ってばっかだな、たまにはテメーで作れよ」

「銀ちゃん、そんなんしたら大爆発アルヨ」

「えーそんなこと無いよ。精々小爆発で終わるって」

「結局爆発するんかい!!!」

 

 九ちゃんを泣きながら抱きしめるお妙さんをチラリと振り返る。

 結局何も出来なかったなと思いながら、白い着流しを追う。

 

 

 近藤さんの結婚式はバイトで行けなかった。

 お妙さんが乗り込んで阻止したみたいだけど、バナナ入刀みてみたかったなぁ。


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