長谷川さんにも出来るのだからと舐めて掛かったバイト。だが世の中そんなに甘くなかった。意外と覚える事が多く、苦労する。幸いにして物覚えが悪くない事を自負する私は、大きな失敗をすることなく、なんとかこなすことが出来ている。今後長谷川さんを馬鹿にするのは控えよう、その内、特大のブーメランで返ってきそうだ……。
そんな事を思いながら、バックヤードにある、取り置き商品棚の整理をしていた時だった。
乳白色の液体が入った、おしゃれなお酒の様な瓶。聞きなれない商品名に気になり後ろをくるりとひっくり返し、原材料表記を見ると、名称:調味料、原材料:食酢、水、塩、カプサイシン水溶樹脂。んー? カプサイシンって確か唐辛子に含まれる成分だよね?
「すいやせーん、取り置きして貰ってる商品取りに来やしたぁ~」
「これはこれは、いつもご贔屓にして頂いて……」
「長ったらしい挨拶はいいんで、とっとと商品出してくんなせェ」
「し、失礼しました!」
店内から聞こえるそんな声に改めて取り置き人の名前を見る。
「店長、そのお客様の商品ってコレですか?」
ダースで揃えられたソレを箱ごと抱えてレジに向かう。あまり待たせると面倒臭いことになるに違いない。だってこれは……。
「お前、何やってんでィ」
「見て分かりませんか? お仕事ですよ、隊長殿」
沖田総悟。そう書かれた伝票をペラリと剥がし、レジを打つ。
先日の件は不本意な事に違いないのだから何もなかったという顔を作る。沖田さんもそれに合わせてくれているのか、そもそも覚えていないのか、いつものポーカーフェイスでそれを見ている。
隊服を来てこんなスーパーに来る理由なんてさっぱり分からないが、十中八九サボりに違いない。かごの中に入れられた大量のマヨネーズとカプサイシンたっぷりの調味料。この組み合わせで公務だというのならば、真選組は副長の胃壁強化に向けた、新たな修行方法でも思いついたに違いない。
「領収書、土方で切ってくれィ」
「承知しました」
しがない店員である私はお客様に逆らうことはできない。たんたんと領収を切る。自腹で自分の腹を痛める土方さんに合唱。あれ少し上手いこと言った私?
割れないように袋に詰める。犠牲者は土方さん一人だといいんだけど……。しばらくは食べ物の出処に注意する事を心に決め、袋詰した大量のマヨネーズと、瓶をカートに乗せる。
「君、お車までお運びしなさい」
へこへこと腰の低い店長に促され、内心ため息をつきながら、カートを駐車場まで押す。勤め人というのは辛いんだなぁー。そーいえば昔隣のベッドで寝ていたおっさんが言っていた「仕事が楽ならお金なんて貰えないんだよ。辛いからお金が貰えるんだよ」と。等価交換の法則はこんな所でも働いてるんですね。
駐車場に止められたパトカー、そのトランクに購入した商品を収める。何気なく見えた鞭や鎖が何に使われるかなんて私には分からない。だって私、少女ですからね。
パタンとトランクを閉め、一礼。店に戻ろうとしたらグイッと髪を引っ張られた。痛いのですが。
「お前どうやって戻ってきたんでィ」
「何の話?」
痛む頭皮を抑え、振り返ると冷めた目でこちらを見つめる沖田さん。
「宇宙。行ってたんだろィ」
「そりゃ、宇宙船で戻ってきたに決まってるじゃないですか、何言ってるんですか?」
ヘラリと笑うが、薄い瞳はその温度を変えない。紅桜の事件後、気づけば着くようになった監察――
誰かに聞いたのか、調べたのか。どういう気まぐれだろう? 沖田さんが真面目に仕事するとか、明日の天気は槍でも振るのだろうか?
「テメーの入国手続書類が一切ねぇーんだよ。ターミナルの監視カメラにも映ってねぇ。なあ、アンタ本当にナニモンだ?」
周りくどい事が嫌いなのだろう。沖田さんらしいストレート直球勝負。
「一般市民ですよ。今はスーパーで働くね」
それ以上の回答方法なんて知らない私は、お決まりのパターンを繰り返す。「運転お気をつけて」そう笑えば、諦めパトカーの運転席に乗り込んだ沖田さんは、そのまま車を発進させる。シートベルト、いいのかなぁ~お巡りさんなのにね。
監察のお陰で桂さんと鉢合わせしないようにしたり、色々と面倒臭かったんだけど。なんでこーも真選組ってしつこいんだろう? ああ、あれか
万事屋から近いという事は、まあ普通に銀さん達も買い物に来るわけで……。
「何してんのお前」
何してんのブームですか? ってか私が働いてるのがそんなにダメなんですか? かごいっぱいに豆パンを詰め込んだ銀さんが不思議そうな顔で聞いてくる。
「お仕事ですよ、見て分かりません?」
いい加減飽きて来る。ピッとバーコードを通し、半額の値札を見ながら割引操作を行う。
「今日の夕飯豆パン?」
「しゃーねーだろ。今月ピンチなんだよ」
「今月『も』ね」
訂正を一つ入れ、袋にパンを詰めていく。そーいや私、本当にタダ飯喰らいだ。袋に入れる手を止める。
「ねぇ、銀さん。あと少しで仕事終わるからちょっと待っててくんない?」
パンパンに膨らんだスーパーのビニールを銀さんに持たせ、私は手ぶらでその後を追う。歩道に敷かれた色違いのタイル。同じ色だけを踏む遊び。幾何学模様を描くそれは幅が不規則で、時折軽く飛ぶ。
「~♪~♪」
機嫌よく鼻歌でリズムを刻みながら踏み外さない様注意する。がさりと音を立て、銀さんが振り向く。緩んだ歩調に危うくぶつかりそうになる。踏み外すタイル。チャレンジ失敗。赤いタイルはマグマだ。キリは30のダメージを受けた。
「お前働いてたんだなぁー」
「何それ、私が働いちゃ悪いか!」
先週からという期間は敢えて伝えずに悪態をつく。
一度失敗するとどーでも良くなり、普通に歩く。それでもタイルの繋ぎ目を踏まないような悪あがきをするぐらいはいいだろう。
「いや、悪くねーけどさ」
歯切れの悪い銀さんの回答。地面ばかり見ていた視線を上げる。その御蔭で悪あがきすら失敗する。
「じゃあ、その不思議そうな顔はなんなんですか」
「なんつーかさ、お前ってフラフラしてっから、そーいう姿見ると、なんか普通に生きてんだなぁーって思った」
普通に生きる。銀さんも私と同じだ。
いつの間にか夕食を一緒に食べることが当たり前になった。
気になっていた、違和感の正体。それは私が外側から見た『坂田銀時』しか知らないわけで、内側から見た『坂田銀時』を知らないから。距離感を測りそこねたのは銀さんではなく、私だ。
刀の届く距離。それが銀さんの世界で、私は私の物差しでその世界観を測ろうとして失敗しただけ。
「銀さんと違って私は一般市民ですから、そりゃ普通に生きますよ」
もう普通がゲシュタルト崩壊を起こしてる様な有り様だけれど、それでも私の普通は私の物差しで測るしかなく、『坂田銀時』の内側に入るなど想定外でしかなく、距離を測り間違えるのも仕方ない。そもそも、三十センチ物差しで銀さんを測ろうとする行為そのものが間違っている。そんな身も蓋もない意見もある。
「それは俺が普通じゃないみたいな言い方だな、オイ」
「パチンコに明け暮れて、糖尿病一歩手前の大人を普通っていうんですかー、ほうほう」
「そーいうテメーこそ、住所不定の無職じゃねーか」
「無職はこの前までですよ」
マグマ認定した赤いタイルだけはなんだか踏むのが嫌で飛び越える。
「銀さーん、それで何作れるのー」
パンパンに膨らんだスーパーの袋の中身は言われるがままにカゴに投入した食材もろもろ。豆パンはご返却した。マダオ辺りが買ってくれることを祈ろう。
「ハンバーグか、肉豆腐か、ロールキャベツか、その辺」
「じゃあハンバーグがいい」
「新八に言えよ、今日はあいつが当番だ」
は、ん、ば、ー、ぐ。ケンケンパの要領でタイルを踏む。
「お前さっきから何してんの」
「マグマに落ちないゴッコ」
一瞬怪訝な顔をしたが、私が赤のタイルを避けていることに気付いた銀さんは、ああと納得した様な表情を浮かべる。
「危なっかしいから普通に歩けよ」
「はーい」
私は再び、タイルの線を踏まないよう歩く。銀さんはそんな事お構いなしに自分の歩調でスタスタ歩いて行く。私と銀さんは同じだと言ったけれど、きっと私と違って銀さんは何の影響も受けずに、ただ自分の信じる道をそうやって歩いて行くのだなと思った。それがなんだか羨ましくて、私も真似して、タイルの線も、赤いタイルも全部無視して普通に歩く事にした。
本来重ならない筈の世界を擬似的に重ねあわせて、私はここに生きているんだと体に覚えこませる。うっかりと道を踏み外さないように。