モンスターとボール
ピーカンの青空、沸き立つ入道雲、そびえ立つ高いフェンス。
土煙が立ち込める。
遠く離れた赤は二度首を振り、頷く。その顔は目深に被った帽子の影に隠れ、表情を読む事はできない。
これは女の意地を掛けた一対一の勝負。
「きーやん! いくアルヨ!」
「おっしゃこい!!」
――ブンッ! ボスンッ
「スリーストライク! アウトォオオオ!」
「ありゃ」
「この下手くそぉおおお!!!」
キャッチャーミットを振り返り、見事に吸い込まれた球を見ていると、背後から盛大にツッコまれた。少し小太りな、
そんな元帝王が帽子を地面に叩きつけて怒りを表している。もともとが色白なので、怒ると直ぐ顔が赤くなるのが面白い。
現在、神楽ちゃんと一緒に野球中。
「お前これで空振り三振何回目だよ!」
「んー。三回目?」
「真面目に答えてるんじゃねーよ! 少しは進歩しろ! 遅いんだよ、もっとバットは短く持て! 飛ばなくてもいいからせめて当てろよ!!!」
指導一本入りました~。
いやぁ~。だってねぇ? 野球なんてしたことありませんよ。ルール知ってた事を褒めて欲しいぐらいなんだけど?
「了解キャプテン、次こそは必ず!」
「テメーに次なんてねーよ! チェンジだチェンジ!!」
そんな言い訳を並べ立てるのも、大人としてどうなの? と熱意をアピールしてみたが、余計に怒らせてしまったようで、ぷんすかと怒ったよっちゃんは、ビシッとベンチを指さす。ところどころ赤いペンキが剥げ、茶色い木目がむき出しになったベンチ。戦力外通告を受けた私は哀愁ただようソコに座る。
カキーンとかっこ良く、左右間? なんかそんな名前だった気がする場所に球を飛ばしたよっちゃんは、塁を回る。いいなー、私も白いベース踏んでみたい。
「きーやんへたっぴアルな」
よっちゃんの活躍を見ていたら神楽ちゃんが戻ってきた。神楽ちゃんの球は余りにもアレなので、1ゲーム5回までという取り決めがあるらしい。子供も色々考える物ですね。
それに対して、どうせ誰もまともに打てないからと、代打を許された私の立場。世知辛い。
「神楽ちゃんの豪速球を打てる人なんていないよ」
悔し紛れの台詞。
「あれでも手加減してるつもりヨ? 他の子なら当てるぐらいはしてるネ」
「全力で投げると誰も取れないからナ」と言いながら、木陰に入った神楽ちゃんは帽子をパタパタうちわの様に仰ぐ。どうやら十分に手を抜いてくれてたらしい。神楽ちゃん……そーいう事はいっちゃいけないってのが世の中なんですよ。
「くそっ……こうか? こうなのか?」
ベンチから立ち上がり短くバットを持ち、二三度素振りをしてみる。心なしか、早く振れる様になった気がする。
「脇があめーなぁー。もっとしめろー」
こうか? こうか!? ん?
「銀ちゃん!」
神楽ちゃんが嬉しそうに立ち上がり手を振る。その先には鼻に指をつっこんだ銀さんが、ベンチの裏にあるフェンス、その向こうに立っていた。いつもの様に着流しから片腕を抜き、気だるげだ。
「銀ちゃんも一発どうネ?」
色々アウトな発言に聞こえたのは、私の脳みそが腐っているだけなのだろう。
バットをくるくる回している所を見ると、どうやら野球の誘いらしい。
「俺が打つのは銀色の玉だけだ、白い玉にゃ用はねーよ」
「なんかわからんけど、白より銀の方がかっこいいアルな。私も銀の玉欲しいネ」
「ダメダメ。銀の玉は大人になってからだって」
「何言ってるアルか。私もう立派なレディーヨ!」
「神楽ちゃん騙されちゃダメだからね。かっこ良く言ってるけどそれ単なるパチンコだから」
片方だけ口角を上げ、無駄にいい表情を浮かべる銀さんに、目を輝かせる神楽ちゃん。
『の』を抜けば世界を示す単語になるのにおしいなぁ~なんて思いながら、その会話を見ていたが、耐え切れなくなりツッコむ。
「まじでか! 銀ちゃんまたパチンコアルか! 給料ろくすっぽ寄越さない癖に!」
「まぁまぁ、神楽ちゃん。意外と下手くそだったりするんだよこーいう人に限って、そーやって誤魔化そうとしてるんだよ。ここは誤魔化されてあげよう?」
何でも卒なくこなす銀さんが野球ベタだとは思わないが、万が一という事もある。
私以上の野球ベタを探すべく、神楽ちゃんを宥めながら、銀さんに挑発を飛ばす。
「ばーか、そんな挑発乗るかよ」
しかし、そんな安すぎる挑発は銀さんの鼻息でもって弾き飛ばされる。
その回答に神楽ちゃんは不満そうな表情を浮かべる。
それに気づいたのか、銀さんは抜いていた腕を着流しから出し、頭をボリボリと掻く。
「だけどまぁ……たまにゃいいだろう」
「玉だけに?」
「「……」」
ツッコミの不在というのは、かくも悲しいものなのか……。
ぐるっとフェンスを回ってきた銀さんは、「代打~坂田銀時~」と自分で名乗りを上げながら、断りもなく、神楽ちゃんが立つマウンドに向かい合う。よっちゃんやその他の子供達は慣れているのか、天パがきたぞーとか、打て~天パ~とか声を上げている。
「見せてやる! 代々坂田家に伝わる一本足打法!」
ホームについた銀さんは、色々怒られそうな事を言いながら片足を上げ、ギッと神楽ちゃんと向かい合う。
なんだかんだと言いながらノリが良い。
「フフン、この神楽にそんなものが通用すると思ってるアルか! 夜兎秘伝のトルネードハリケンサイクロンジェット大リーグボール……なんたらかんたら魔球を受けてミロ!」
対する神楽ちゃんもノリノリである。台詞はグダグダであるが……。
皆が固唾を飲む中、神楽ちゃんの目がキラリと光る。フンッという掛け声と共に放たれる白い球。先ほどの球とは比べ物にならない球速。
「どるぁあああああ!!」
ミートした瞬間、摩擦で煙が上がる。拮抗する木刀と野球ボール。
鈍い音と共にボールが競り負け飛んで行き、ガシャンとフェンスにぶつかる。
「ほーむらん」
格好を付けて銀さんはビシッと木刀をフェンスに向けて指す。何度も言うが『木刀』である。
「ハイ退場~」
審判役の子から退場命令が出た。
「なにやってんだよクソ天パ!!! なんでバットじゃなくて木刀で打ってんだよぉおおお!!」
「侍はなぁ、獲物をそう簡単にかえたりしねーんだよ、覚えとけ坊主」
なんだか格好いいことを言っているが、ルール違反はルール違反である。よっちゃんに怒られながら、銀さんもベンチ入りを果たした。
「こんなところで会うなんて奇遇ですね~」
「くそっ、子供の癖に頭固すぎだろう。バットだろうと木刀だろうと同じ木じゃねーか。最近の子はゲームばっかやってっから、柔軟性がなくなんだよ」
「いや、銀さんのは柔軟じゃなくてフリーダムって言うんですよ」
そうやって二人寂しくベンチを温めていたら、マウンドはいつのまにかゲームそっちのけで、いかに神楽ちゃんからヒットを取れるかという遊びに変わった。
よし、いっちょ私も練習の成果を見せてやりますかね! 再び混ぜて貰えそうな雰囲気に、意気揚々と席を立つ。
列に並び、しばらく待つと打順が回ってきた。
「きーやんも懲りないアルナ、打てるようにゆっくり投げて欲しいアルか?」
馬鹿にする様に笑う神楽ちゃん。
それを睨み返す私。
「抜かせ! 栄光の星に! 私はなるっ!!」
「よくぞ言ったネ! それでこそ我がライバルきーやん! この魔球受けてみるアル!」
「よっしゃこい!」
――ブンッ! ボスンッ
「まだまだ!」
――ブンッ! ボスンッ
「くそっ! 次こそは!」
――ブンッ! ボスンッ
「スリーストライク! アウトッ!」
「よし! 皆、私の屍を越えて行くんだ!」
「じゃねーよ!! 何も変わってねーよ!!」
よっちゃんの声が響き渡る。まあ、世の中そんなに甘くないよね。
赤焼に空が染まる。
銀さんは頑なに木刀にこだわり、折れた子供達が最後は木刀を許すという事態に……。まったくどっちが大人か分からない。
でも、その御蔭で熱くなった神楽ちゃんにキャッチャーが二人倒された。ナンマイダー。
そして私は、最後まで神楽ちゃんの球を打てることは無かった。
そんなグダグダな野球もどきであったが、とても楽しかった。
「お腹ぺこぺこアルヨ~」
「確かにお腹空いたね~」
何を食べようか、バトルロイヤルホストのオムライスも、でにいすのオムライスも、ボムの木のオムライスも食べたし。
脳内の大江戸オムライス観光マップに残った場所を検索する。
「ウチきて食うか?」
万事屋が一件ヒットしました。って違う。
見上げた銀さんは、神楽ちゃんを首にぶら下げながら「重いんだよテメーは」と言って「レディーに重いとは何言ってるアルか」と自分の首を締めていた。文字通り締まっているソレは本当に自業自得である。重なり合ったせいで、二人の影はいびつな形を取り、まるで一匹のモンスターだ。
頷こうと思ったが、なぜか素直に頷けなかった。
前よりは縮まったとはいえ、ある一定の距離を保っていた筈の銀さんとの距離。こんなストレートな親切を施されるような距離ではなかった筈。せめて「どうせまた外食だろ? 太るぞ」とか、「神楽と比べりゃ一人ぐらい増えたって一緒だよ、この際纏めて面倒みてやるよ」とかなんとか、上手く浮かばないけれどその辺り。小馬鹿にするか、神楽ちゃんをダシにして誘ってくれるような感じ。
思えば、うちに来るか? とかなんとかも……銀さんらしくないっちゃ、らしくない気がする。私が考える様な、世間体がどうのとかそーいう事も、銀さんだったらちゃんと織り込み済みの筈。それを踏まえなお誘う事が、なんだか変。
私の知る坂田銀時という人物と、目の前のこの人との行動に差異を覚え、消化不良を起こす。消化しきれなかった何かは、甘いモノを食べ過ぎた時の様な胸焼けをおこし、居心地の悪さを感じてしまう。
「ん~、たいようけんのオムライス、開店十周年とかで割引今日までだった気がするからいいや」
「またオムライスかよ。お前どんだけオムライス好きなの」
そんなにオムライス、オムライスしてたっけ? あーでも昨日会った時、なんかの話題でオムライスを昼飯に食べたとか言った気がする。
一人歩く私の影は、きちんと人型を保つ。
「銀ちゃん! 私もオムライス食べたいヨ~」
神楽ちゃんが脅すように絞める首に、銀さんはぐぇと声を上げる。
「分かった分かった。今日はオムライスな! いいから首離せ!」
「ひゃっほい!」
どうやら今日は銀さんが食事当番だったらしい。
銀さんの首から飛び降りた神楽ちゃんは、嬉しそうに私の手を掴みくるっと回る。
人型を保っていた影が合わさり、なんだか良く分からないものに変わった。
万事屋の夕食メニューを変えることに一役買った私は、途中で道を別れ、どこのオムライス食べようかな~と再び脳内検索を始める。たいようけんは昨日行ったし。南極星……まだ行ってなかったっけ? 行く店を決めた私は、そこへ向かい方向を変える。
もう一度人型に戻った影は太陽を失いかき消える。
パチパチと音を立てて街灯が灯る。二重三重に灯されたその光源により、かき消えたと思ったそれは、影分身を始めた。