窓から差し込む光で自然と目が覚める。
襖を開けると、万事屋は柔らかな朝の光に包まれていた。少し古ぼけたレトロな黒電話、傷だらけのテーブル、わずかにヒビの走った壁、糖分の額縁に、積み上げられたジャンプ。柔らかい光のおかげか、それとも、そもそもがそうなのか、とてもやさしい空気に包まれていた。
ソファーで寝る、新八君と銀さん。銀さんの白髪が窓から差し込む光に反射して、銀色に見えた。
L字の指を窓に見立ててその風景を切り取る。赤が足りないなと思ったけれど、その為だけにまだ寝ているであろう神楽ちゃんを起こす事はできず、両手を下げる。きっと沢山の機会が今から訪れるだろうから、それを待つことにする。
否応なしに変わっていく未来。背負い過ぎず、逃げ出さず、そんな事が私に出来るであろうか? 少し前の私であれば、即座に否定していた問題。けれど、この温かな空気と一緒歩んでいく事を考えると、大丈夫……そんな気がした。
「あれ、キリさん起きてたんですか? って起きて大丈夫なんですか!?」
身を起こした新八君が慌てる。その声に銀さんが起きて、神楽ちゃんも釣られて起きてくる。
「おはようヨ~」
「おはよう、神楽ちゃん」
寝癖がピンピン立っている神楽ちゃんの髪をなでつける。
「お前大丈夫なのか、起きて」
あえて答えなかった新八君の問いを、今度は銀さんが口にする。
少し眠そうな神楽ちゃんの頭に置いた手。その体温が手のひらを伝わって、心臓に届いた気がした。
「大丈夫。ご飯にボンドかけて食べてるから、もうくっついちゃった」
「寝ぼけてんのか? 聞かなかった事にしてやるよ」
「銀ちゃん、何言ってるアルか、きーやんはいつもこのちょーしヨ」
「ツッコむ気も起きないですね」
見事なダメ出し。止めは新八君が刺してくれた。
「皆酷いなぁ~。銀さんもボンド食べてる癖に」
「何を……言って、アレ? くっついてる。って!」
自分の胸元を見た銀さんは、次の瞬間驚いた様にこちらを見つめる。払いそこねたいつかの依頼料代わりだと
「本当に大丈夫なんだ。ねぇ神楽ちゃん、今度はいつ野球やるの? 一緒に混ぜてよ」
再度そう言って笑うと、赤い弾丸特急が飛び込んできた。足りないと思っていた赤はとても温かくて、子供特有の甘い匂いがした。
だから……沢山の「ごめんね」の代わりに、「ありがとう」と口にすることが出来た。
傷だらけのテーブルの上に、甘い卵焼きと、白いご飯が並ぶ。
「お前、これからどうすんだ?」
「……今まで通りだよ?」
口の中のご飯を飲み込み、銀さんの問いに答えるが、今までというのがどの事を指すのか、流石に説明不足だったと思い付け足す。
「偶に遊びにきてぷらぷらと? あ、ちょっと玉子焼き!!」
隙をみせた瞬間、神楽ちゃんに三つしかない玉子焼きの一つをかっさらわれた。くそっ……。大きな口に放りこまれる玉子焼きを恨めしげに見つめても、ニシッという笑いしか返ってこない。可愛いなコンチクショー。
「うち来るか?」
諦めて次の玉子焼きを取ろうとした赤い塗り箸が止まる。視線を上げられなかった。こんな時、どういう顔をすればいいのかわからないの? って奴? 笑えばいいと思うよって言われても、上手く笑う自信がなくて、本当困る。
半分の半分の半分に切った、黄色い玉子焼きは、茶色の平皿の上でぐしゃっと潰れてしまった。
「大丈夫ですよ、一人ぐらい無駄飯喰らいが増えたって大して変わりませんから」
「そうヨ。銀ちゃんが無駄飯喰らいなのは今に始まった事じゃないネ」
「ちげーよテメーの事だよ。この胃拡張娘」
ワイワイギャーギャー騒ぎ出す三人が眩しくて、本当に困る。
ようやく自信を取り戻した私は顔を上げる。
「折角だけど遠慮しておくよ。銀さんが私の魅力に惑わされて、うっかりジョイスティック突き立てちゃっても困るしね?」
「生言ってんじゃねーよ。そーいう事はあとツーカップ底上げしてから言いやがれ」
「ワンカップって言わない所が生生しくて嫌だ。変態」
「男はいつだって変態なんだよ! アレ?」
「自爆?」
「アンタ等朝から飛ばし過ぎだから!! ツッコミ追いつかねーよ!」
傷つけない言葉を選んだつもりだった。それでも、青い瞳は揺れる。
「玉子焼きみっけ」
「あっ! きーやんそれ私の!」
行儀悪く刺し箸で玉子焼きを一つ掠め取る。
「食卓は戦場なんだよ、神楽ちゃん」
そうやってニシッて笑うとようやく笑ってくれた。
でも、そうやって油断していると、無事な玉子焼きを一つ掠め取られて、ぐしゃぐしゃになった玉子焼きだけが残った。可愛いは正義とか言ったの誰だよ……。くそっ。
長々と居座ってしまったが、そろそろ帰る事にする。「今日ぐらい泊まって行けヨ」という言葉に、また明日遊びに来るからと約束し、その言葉を
長居した分際で言うのもなんだが、あまりズルズル居座ってしてしまっては、出れなくなってしまいそうだから。
玄関に立つ私を、三人が
「本当いいのか? お前」
繰り返される銀さんの言葉。
そもそもだ、いい年の男女が一つ屋根の下で? 銀さんがそーいう事はちゃんと弁える人で、私がそーいう物の対象だと思われていないとは分かっているが、なんかこう、色々面倒臭そうじゃない? 世間の目とかさ。
それにさぁ……なんだか……混ざれない。そんな気がした。ここは綺麗で、温か過ぎて、ぐずぐずに溶けて、甘えるだけの存在になってしまいそうになる。でも、そんな理由は傷つけるだけだから、言葉を半分に割って崩す。
「しつこいよ、銀さん。えっ、何? 本当に体目当て? うわー引くわ。神楽ちゃん、気をつけてね。今だけだから安全なのは」
「わかったアル!」
「ちげーよ! てめーは、何教えてんだよ!!」
声を上げて怒る銀さんから、ガラガラと戸を開けて逃げ出す。「またね」という言葉に神楽ちゃんが、『万事屋銀ちゃん』の看板の上から手を振ってくれた。
夕焼けが道を染める。赤い道に長く影が伸びる。見上げると赤と青が混じった空に一番星が光っているのを見つけた。
隕石降ってこないかな~と呟いたら、きらりと流れ星が流れた。なんだかとても良いことがありそうな気がした。
――ピンポーン
数日後、約束どおり今日も万事屋へ遊びにきていた私。ヘッドフォン越しにドアベルが鳴るのを聞いた。
私が
「私が出るアル!」
トタトタトタと軽い足音を響かせて神楽ちゃんが駆けて行く。
「なんだよありゃ、キリがいるからっていい子ちゃんになりやがって」
銀さんがつまらなさそうに鼻をほじくりながら、消えていった廊下に目線だけ向ける。
「キリさん戻ってきて嬉しそうですね。神楽ちゃん」
和室で洗濯物を畳んでいる新八君がにっこり笑いながらそう言う。
私はソファーで新八君から借りたお通ちゃんのCDを聞いている。
元の世界で聞いたことあるのは、「浮世のことなんて今日は忘れて楽しんでいってネクロマンサー」収録曲だけだったから、知らない曲がいっぱいあってとっても楽しいです。今度つんぽ――
「銀ちゃんお客さんアル」
そう言って神楽ちゃんの後ろから現れたのは鉄子さん。
耳元でなる賑やかな音も、暖かい日差しもなくなってしまったように感じた。
「xxxxx」
口だけが動き、聞こえない声に、我に返る。慌ててヘッドフォンを外して居住まいを正した。
「久しぶりだなー」
ジャンプを閉じて、立ち上がった銀さんはソファーに座るよう、鉄子さんに勧めながら自身も向かい合う位置に座る。
つまり私の隣へ。
お茶淹れてきますと、新八君は台所へ向かった。
残された神楽ちゃんは、私を銀さんと挟み込む様に腰掛ける。
「あの節は大変お世話になりました」
愛想のないというと語弊があるかもしれないが、いつも通りの無愛想な顔で、鉄子さんはペコリとお辞儀をする。
「世話なんてしてねェよ。勝手にこっちが首突っ込んだだけだ」
そう言って銀さんはペラペラと手を振る。
「それでも助かったのは事実なので、今日はお礼に。色々ありましたが、今は元気でやってます。本当にありがとう」
そう言ってくれるのか……。救えなかったのに。
穏やかな雰囲気を壊したくなくて、叫びたいのをこらえ、静かに膝の上で手を握る。
「で? うるさい兄貴の方はいつ退院すんだ?」
「来週頃には退院できそうです。ただ……もう刀を打つことは……」
「生きて……いるの?」
にわかには信じられなくて、思わず言葉を挟んでしまった。それにびっくりしたように、鉄子さんと銀さんがコチラを向く。
「私……殺してしまったと……思って……」
ボロボロ溢れる涙の向こうで、銀さんが慌てているのが見えた。
「わっ、キリさん! ど、どうしたんですかコレ!」
戻ってきた新八君が、心配そうに身を乗り出す。
「銀ちゃん言ってなかったアルか!?」
「こ、こういうのは新八お前の仕事だろ」
「どういうことですか!? ってか何!? 何の話!?」
生きてた……生きてたんだ……。
良かった……。
しどろもどろになりながら銀さんが話してくれたのは、銀さんが突き刺したのは紅桜の本体だったこと。
鉄矢さんは救急搬送されて一命を取り留めたこと。侵食がもっと進んでいれば危なかったこと。
片腕をなくしたこと。攘夷志士の内部抗争に巻き込まれた一般人として罪には問われないこと。
最後に鉄子さんから言伝を貰った。
『お前等の言葉届いた。刀は失ったが大事なものは失わずに済んだ。ありがとう』
その言葉にまた涙が止まらなくて、あやすように銀さんが背中を撫でてくれた。