天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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AからBへの手紙

 目を覚ますと、見たことのある天井だった。

 途端に襲う痛みに神経を絞る。

 万事屋……? 白いシーツと掛け布団。傷んだ箇所を触ると、包帯のサラリとした感覚がした。

 血が足りないせいか、少しフラッとする。

 

「キリ!」

「きーやん!!」

「キリさん!」

 

 起き上がると三者三様の声がして、赤いチャイナ服が飛び込んできた。倒れながら抱き止める。

 ちょっ、けが人にこれやったら普通死ぬよ!?

 

「か、神楽ちゃん!!」

「ご、ごめんヨ。大丈夫アルか?」

 

 新八君の声に慌てて温もりが遠ざかる。

 枕元に膝をついて神楽ちゃんがこちらを覗きこんでくる。

 その心配そうな顔に、大丈夫だよと笑い、頭を撫でる。温かな安心するような、そんな気持ちが湧く。陽だまりの中にまろび出たような、久方ぶりの感覚だった。

 

「これ痛み止めです、あとコレは化膿止めと……」

 

 再び起き上がると、新八くんがザラザラとお薬を掌に載せてくれた。「はい」と言って渡してくれた湯のみには、人肌に暖められた白湯が入っていた。

 全て私には不要なものだけど、その優しさを断れなくて、飲み干す。

 

「お久しぶりです」

 

 視線を上げ、空になった湯のみを抱えたまま、柱にもたれている家主に頭を下げた。

 

「久しぶりたー水くせェな」

「そうですよ」

「ただいまって言えヨ」

 

 二人の太陽の様な笑顔。銀さんですら、口角を片方上げ、薄っすら笑みを浮かべている。あの日見た、煌きを思い出す。混じることの出来ない、遠い煌き。

 

「どうかしました?」

 

 新八君がそう聞いてくるが、なんでもないよと笑って返す。

 

「傷、大丈夫ですか? 痛みませんか?」

 

 湯のみを返すと、新八君は受け取りながら気遣ってくれる。『大丈夫ですか?』その言葉に一瞬手が固まった。似蔵に刺された傷が無いことに気が付いているだろうか……。

 

「んー。大丈夫。多分? きっと、おそらく?」

 

 恐怖を押し隠しへらっと笑ってみる。

 とたん、頭を後ろから抑えられ、わしゃわしゃとかき混ぜられる。何!?

 

「キリもこういってるんだ。お前らもう寝ろ。昨日から寝てねェだろ」

 

 続けて降ってきた万事屋社長の声は絶対で、「嫌アル」とか、「もう少し大丈夫です」という声は蹴散らされ、二人は部屋から追い出された。

 

「何かあったら遠慮なく銀さんに言ってくださいね」

 

 新八君の言葉を残して、襖が閉じられた。

 

「本当に大丈夫なのか?」

「怪我なら大丈夫」

「そうか……なら良かった……良かった」

 

 布団の傍に胡座をかきながら、銀さんは前髪をバリバリと掻く。

 その声にどれだけ心配を掛けたのかが分かった。

 

「ごめん」

 

 言った後に気付く、何のための謝罪? けれど銀さんはそれに対しても何も言わず、何も聞かなかった。知っている筈の似蔵から負わされた怪我の事も、突然現れた私の事も、なぜあの時、高杉の船にいたのかも。

 

「……何も聞かないの?」

 

 恐怖に耐え切れず、自分から切り出す。

 

「聞きたいか、聞きたくないかつったら、聞いておきたい。でもお前が無事であれば、別にいい」

 

 『聞いておきたい』その言葉に銀さんの優しさが詰まっていた。神楽ちゃんを傷つけ、勝手ばかりする私をまだ護ろうとしてくれてた。

 

「銀さん。あのね……怪我治せちゃうんだ私。しかも結構簡単に。似蔵に人間辞めたのかって言われちゃった」

「人間だよ」

「そーだよね。失礼しちゃうなーもう」

 

 へらへらと笑う私に、笑うなと言うだけで、本当に何も聞かない。その優しさに胸が苦しくなる。

 

「神楽ちゃんや、新八君も知ってる?」

 

 動揺が悟られないように慎重に発音する。

 

「ああ。神楽も知ってる。傷の手当の時、新八の奴が騒いだからな」

「そっか~」

 

 銀さんは視線を逸らさずに、別だん大した事ないという風に答えてくれた。

 

「銀さん……。私には地球がちょっと狭いみたい」

 

 星海坊主(うみぼうず)さんにしたのと同じ言い訳。

 

「テメーみたいなちんまいのが何言ってやがる」

「ちっこくても夢がいっぱい詰まってるんですよって何言わすんですか」

「テメーが勝手に言ったんじゃねーか」

 

 じっと胸周辺を見てそういう銀さんに、思わずノってしまった。緩む空気に、胸に詰まったつっかえが和らぐ。

 

「また行くつもりか?」

「……うん」

 

 冬の寒い朝、布団からなかなか抜け出せないように、温かいこの場所から抜け出すのは少しだけ辛くて、回答がワンテンポ遅れた。

 一度だけ助けると決めた、私がしでかした何かから生まれた台風から。まさか護るためのお守りがそうなるとは思わなかったけれど、一度は一度。後は銀さん達の運命だ。それ以上は例え私のせいで何かが起こっても手出しはしないと決めた。それが私のボーダーライン。

 けれど、必要以上に羽ばたきたくはないから、行こうと思った。

 その答えに「少し待ってろ」と言って銀さんはタンスを漁りだす。餞別でもくれるつもりだろうか? その考えはある意味合っていて、ある意味間違っていた。

 

「ほらよ、お前宛だ」

 

 ぽんと投げ渡されたそれは、クッキーの缶。糖分? 受け取った瞬間、中で紙のようなものがカサリと動くような音がした。外見と中身は違っているようだ。

 開けてみるとそこには「きーやんへ」と書かれた色とりどりの便箋が入っていた。「き」の字が鏡文字になっているそれは、差出人なんて見ずとも、神楽ちゃんからの物だという事がわかる。

 

「これ……」

「ったく、切手も貼らず、宛先もかかねーでどこに送ろうとしてたんだろうなぁー。毎回宛先不明で戻ってきやがる。飛脚の連中も困っただろうよ」

 

 開くと、「きょうはよっちゃんとやきゅうをしました……」「あしたは山にきゃんぷにいきます……」「きのうは銀ちゃんが……」そんな便箋と同じような色とりどりの言葉で綴られていた。けれど、最後は必ず「今度はきーやんも一緒に……」で締めくくられている。

 

「泣かねぇんだな」

 

 それを黙って見つめる私に、銀さんはそう聞いてくる。

 

「ねぇ……私が今泣いたら何の為に泣くんだろう?」

「テメーの為だろうよ」

「そうだね」

 

 何を当たり前の事をというように答える銀さんは、それがそんなに悪い事だとは思ってないようだった。

 何度も口にした「ごめんなさい」。改める事ができないその言葉に、怒りもせずこんな手紙を神楽ちゃんは届けようとする。泣く権利なんて私にはあるのだろうか?

 

「銀さん、私はさ、神楽ちゃんを傷つけたくなくって護りたいと思ってた」

 

 本当は誰も傷つけたく無かった。でも私のせいで似蔵は救われなかった。鉄矢さんは救えなかった。

 銀さんは次の言葉を促す様に、黙ってじっと見つめていた。

 

「銀さんが言ってた『膿を持つ』って意味がようやく分かった気がするよ。感情ってのはスライド写真みたいなもので、連続してはくれなくて、その場その場でちゃんとその理由をはっきりと示さないと、後から見たらそれが何から発生したモノなのかわかんなくなるんだ。私はさ……誤魔化してばっかいたせいで、それが今では良くわかんなくなっちゃった。護りたいものがあった気がする。でもそれは本当は、背負い込みたくなかっただけなんじゃないか? って今は思うんだ。だからこうして結果的に神楽ちゃんを傷つけることになってしまった」

 

 口にすることで、ぼんやりとしていたものが形を作る。護ろうとした思いは嘘じゃないと思っていた、でも本当は私が存在する事で変わってしまった未来を背負いたくなかった。ただそれだけだったのかもしれない。

 フラフラとその場その場の感情を誤魔化して、痛くない方法ばかりを気にしていた私は、もうそれが何処から来た何の為のものだったのか、分からなくなってしまった。真選組の件も、壊れた銀行の件も、えいりあんも、似蔵も鉄矢さんも……全部全部背負いたくなかっただけなのかもしれない。

 

 田宮の一件を探る内に偶然、帰り道を知ってしまった。結局行き止まりの道ではあったけれど、なんで私はそれを積極的に探さなかったのか、もう今は知る術はないと思った。

 帰りたくないから探さなかったのか、帰れないと知るのが怖かったからなのか。私だけが分かる普通の物達を探そうと思った時、子供の時行った遊園地を思い出した時、私は何を思ったんだろう? 後から推測すると悲しかったとか、寂しかったとか、帰りたかったとかそんな理由が浮かぶけれど、それは粘土を型枠に嵌めて形作る様な行為で、本当の形を歪めてしまうだけの行為にしかならない様な気がした。

 私にはもう何も分からなくなってしまった。誤魔化した代償だと思えば自業自得のそれだが、なんだかとても苦しかった。

 

「お前は神楽を大切にしてたよ、ちゃんと。見送りに行ったのも、頼まれたのもそーいうことだろ?」

「違うよ、それは弱さなんだよ私の。傷つける事で、傷つきたくなかった」

 

 私には、脳天から股間まで突き抜ける器官なんて存在しない。だから一度決めたことも守れず、フラフラと迷う。何度も呟いた『触れてはいけない』という言葉と、綺麗な煌きその間で迷い、手を伸ばし、つけてしまった傷を埋めようとしただけ。

 

「前にお前は言ったろ? 認めないとかなんとかさ。傷つきたくないんだったら神楽を否定すれば良かったんじゃないか? でもそーしなかった。いつだってお前が否定してたのは、お前の中に存在するものだけで、他人を否定しなかった。それは弱さじゃなくて、優しさって言うんじゃねーかな」

 

 優しい人間になりたかった。誰も傷つけない様な優しい人間に。少しはそうなれていたのだろうか。

 

「優しさかな」

「わかんねーんだったらそうしておけばいいじゃねーか」

 

 粘土を型枠に嵌めるどころか、粘土を投げ捨てる様な言葉だけれど、銀さんがそういうと、なんだか正しくそうであったように聞こえるから不思議だった。

 

「銀さん。私、寂しかったのかも」

「あ?」

「ちょっと迷子になっちゃっててね、神楽ちゃんがあんまりにも優しいから頼っちゃったのかもしれない」

 

 手をのばそうとした煌き。その理由。

 

「お前がそう思うんだったら、きっとそーじゃねーの?」

 

 今度はそうだと断言してはくれなかったけれど、そうであった気がした。

 

「今はどう思うんだ」

「今は、背負い込みたいとか、護りたいとかよりなんだろう、一緒にいたいって思うんだ。ダメかなぁ~」

 

 優しい人間になりたかった。誰も傷つけない。ほんのり温かい気がするクッキーの缶を握りしめる。

 

「テメーがそーしたいならそうすりゃぁいいじゃねーか。誰に断りが必要なんだよ」

「誰だろう? 偉い人?」

「誰だよ偉い人って」

「誰だろう?」

「お前……時々電波だよな」

「えー、そうかな?」

 

 「そーだよ」と言われるとそうである気がするかぁあああ!!! 全力でそれを否定して不貞寝する。

 電気をパチリと消す音、布団の合間からこっそりと顔をだすと、襖の間にひらひらと揺れる、白い着流しが消えていった。


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