久しぶりに見上げる万事屋銀ちゃんの看板は相変わらず眩しくて、その階段を登るのに苦労する。
「銀さんが帰りましたよー」
そんな戸惑いを無視するかのように、銀さんは躊躇なくガラガラと引き戸を開けてしまう。このクソ天パめ。本日何度目かになる悪口を呪詛の様に唱える。
「きーやん!!!」
飛び込んできた赤い固まりを、咄嗟に抱きとめる。空気が全て吐き出されるような勢いに、肋骨が軋む。
痛みを伴う抱擁。けれど、あれだけ避けていた筈なのに温かく、心地良いとすら思えた。
「神楽ちゃんごめんね」
「全然、気にしてないネ。いい女は心も広いアルヨ」
抱きしめる力が増す。冷たい雫が服を通して肌に触れる。
「本当にごめんね」
許して欲しいそんな気持ちではなく、悪かったと心底思えた。傷つけてごめん、頼らなくてごめん、何も言わずに避け続けてごめん。色んなごめんを込めた謝罪を神楽ちゃんは「酢昆布一年分献上するヨロシ」と笑って受け取ってくれた。
いつまでも玄関口にいるのも迷惑なので上がらせて貰う。
「どうぞ」
「ありがとう」
コポコポと音を立てて、新八君が淹れてくれたお茶を啜る。なんだか憑き物が落ちた様な、どこか照れ臭い様な、そんな気持ちで改めて万事屋を見渡すと、机についた傷や、白い定春の巨体が胸にほっこりと跡をつける。
「んで、テメーは何にそんなに困ってたんだよ」
「え? あ、いや、言われてみれば特には何も?」
「はぁあ!?」
盛大に驚いてくれるところ悪いが実際の所、何かに困っている訳ではないのだ。
「きーやん……」
青い瞳がこちらを見つめるが、本当に何もないのだ。ただ、僅かに胸に引っかかるそれを言葉にするとすれば――。
「んー?? しいて言えば、神楽ちゃんと友達になっても良いかな? と」
伺いを立てるように神楽ちゃんに顔を向ける。
「きーやん……お前馬鹿ダロ。とっくの昔にきーやんと私はともだちんこヨ」
「とっくの昔にともだちんこデシタか」
「そうヨ」
ニヤッと笑う神楽ちゃんに私もニヤリと笑い返す。あーあ馬鹿らしいとばかりに銀さんはジャンプを読み始め、新八君は良かったですねと目を細めていた。
「ねぇ、二人とも友達になりたいって言ったらダメかな?」
「とっくに僕は友達だと思ってましたけど?」
「何いってんだばーか、ダチってのは宣言してなるもんじゃねーんだよ」
小馬鹿にした口調で銀さんはそう言うと、鼻くそを飛ばす。汚いなもう。
新八君は「良かったら一緒に夕飯食べていきません?」と誘ってくれた。万事屋の台所事情を考えると、きっと遠慮すべきなのだろうけれど、そうはしたくなくて「いいの?」と聞けば「大したものはできませんけどね」と少し恥ずかしそうに笑ってくれた。
傷だらけのテーブルに、白いごはんが並べられる。おかずは具なしの味噌汁と、もやしだけ炒め。
数少ないおかずを銀さんと神楽ちゃんが奪い合い、新八君が煩くてごめんなさいと謝る。久しぶりに食べる誰かとの食卓はなんだかとても美味しく感じられた。
「ご馳走さまでした」
手を合わせて頭を下げ『ご馳走さま』の意味を胸に刻む。
「折角遊びに来てもらったのに、こんなんで済みません。何せウチはいつも開店休業状態な上、碌に仕事もしない社長がいるもんですから」
新八君は眼鏡の下からじっと銀さんを見つめるが、銀さんはまったく意に介さず「違いますぅ、お金がないのは、大飯喰らいを抱えてるからですぅ」と懐事情を神楽ちゃんと定春に擦り付ける。
確かに神楽ちゃんの食べっぷりには、幾ら稼いでもブラックホールに吸い込まれるが如く、食費が消えていくとは思いはするも……きっと原因は二人と一匹の相乗効果なのだろうと思う。
「ぜんぜん。本当に美味しかった。ありがとうね」
質素な食事だったけれど、どんなご馳走よりも美味しく感じられた。素直にそれを伝えれば、銀さんが呆れた様に「どういう食生活してたの今まで」とジト目でこちらを見つめる。
「聞いちゃいけないね銀ちゃん。きーやんはホームレスアルヨ? 残飯あさったり、腐った飯食ってるに決まってるネ」
「ゴホッ……ゴホッ……神楽ちゃ……待って」
危うくお茶を吹く所だった。
それなのに、咽る背を新八君が撫でてくれながら、「そんなドストレートに言っちゃダメですよ」なんて言うものだからダメージが倍でドン。
「誰がそんな事を!!」
「クソサドが言ってたネ、ホームレスが一人問題起こして引き取り手がいないからお前等引き取れよって」
「まさか若い身空でホームレスしてるとはなぁー」
沖田さんか! 沖田さんなのか!? あのクソドエスなんつー置き土産を残して行きやがった。ってか何処から漏れた! 土方さんか!? 土方さんだろ! 土方さんしかいない! 二人共次会ったら覚えておけよ!!!
「違うんですか?」
私が心の中で二人を血みどろ祭りに祭り上げてるなんて知らない新八君は「失礼な事を言って済みません」と見つめてくる。そんな純粋な瞳で見られたら嘘も付けず……。
「ホームレスなんて呼び名止めて欲しいんだけど? 借り暮らしですよ、借り暮らし」
「なーんだ合ってたんじゃないんですか」
「きーやん、言い方変えても結局は一緒ネ」
「何カッコつけてプライド護ろうとしてんだよ。そーいうのが一番恥ずかしいんだよ」
三者三様に馬鹿にする。いやいやいや、お前等も一遍世界超えるような体験して見ろよきっとホームレススタートだから!! なんて事は言えず、私が悪うございましたと拗ねるしか手は無かった。
新八君は姉上が今日は休みなんで先に帰りますねとあの後直ぐに帰ってしまった。
そろそろお暇すべきなんだけど、なんだかこの温かい空間から出たくなくて、ぐずぐずと神楽ちゃんにひっついてテレビを見ていたら、いつの間にか神楽ちゃんは寝てしまった。風邪を引かさないうちにと抱き上げ押入れに寝かす。
「いっちょ前に悩んでやがったぜ」と寝てしまった原因を教えてくれた銀さんに、ごめんと謝る。
「お前……結局行くのか?」
『三日後』そう告げた銀さんの言葉が蘇る。
「そうだね……行くよ」
温かい三人と一匹が笑う未来、そんな『絶対的』な未来が欲しい。それを誰も望まなくても私はそれを欲しいと思ってしまう。ここに居てはいつか私はそれを壊してしまうだろう。
「俺等はやっぱり頼りになんねーか?」
「そうじゃないよ。別に困り事って訳でもないし、それは解決すべき問題とかそういう類の物でもないし。ただ単に私がそうしたいってだけ」
「そうか……それなら俺はもう何も言わねェよ……神楽を頼まァ」
ハッキリとした事は何も言えなかったけれど、それでも銀さんは分かってくれた。
少し寂しそうに笑う顔に、海で見た銀さんが重なる。
「しかと頼まれたよ」
作り物じゃない笑顔を浮かべて請け負う。ちゃんと貴方の腕の中に戻るように頼まれた。背負い込んだずっしりとした重さの重要性を噛みしめ、言葉にできない思いを大切に受け取る。
鈍い痛みを誤魔化す術はないけれど、その温かさを知ったから、もう誤魔化さずとも平気でいられる気がした。
天人や、地球人、色とりどりの人々が行き交う。真っ白な磨き上げられたタイルにそれが映りこみ、左手の明るい大きな窓からは飛行船が上下に行き交う様子を見ることができた。
そんなターミナルのロビーで、一際目立つ砂色のマントを見つけた。
「星海坊主さん!」
私の声に振り向いたその人は、厳つい顔を少し綻ばせ「来たか」と返答を返す。
神楽ちゃんは照れが勝ったのか気付いている筈なのにそれを無視して「いい年こいた大人がはしゃいでんじゃねーヨ」と大きな旅行かばんを引いた観光客相手に毒舌を撒き散らしている。
そんな素直じゃない神楽ちゃんの背を少しだけ押す事にした。
「神楽ちゃん、あそこでいい年こいた大人が寂しがってるよ。ここは神楽ちゃんが大人になってあげるべきじゃないかな?」
「ふ、ふふん。しょうがないアルナ」
それでも、駆け出したい足を堪え、ゆっくりと傍に寄り手をつなぐに留める神楽ちゃんを笑う。
「羨ましいですね」
一瞬心を読まれたのかと思った。隣を見ると私と同じく、新八君が羨ましそうに二人を見ていた。新八君も幼い頃に両親を亡くしていたんだったな……。
障子から覗く青い空と飛行船の映像と共に『侍の国。僕らの国がそう呼ばれていたのは、今は昔の話』そんな言葉を思い出す。きっともう一度呼ばれる様になる未来、そんな未来を願う。
星海坊主さんは繋がれた手に、嬉しさをこらえるような挙動不審な態度をとっていたが、やがて、回りを見渡しもう一人の姿を探す。
「あいつは来てないのか」
「仕事とかで……ったくあの人は……」
雑踏の中でも目立つ白髪。それを見つけきれなかった星海坊主さんは、やっぱりかという様な口調でそう言うと、「まだまだ青いな」と鼻を鳴らす。
「銀ちゃんは、髪の毛と同じで性格がねじ曲がってるアル」
「素直じゃないんですよね、本当」
神楽ちゃんと新八君も、それを分かっていてしょうがないと笑う。
そんな理解者を迷いなく手放す、相変わらずの右から左っぷりに、私が少し嫌がらせをしてやろうと思ったのは仕方がないことだと思う。
「少し、う◯こ行ってくる」
「キリさんンンン!? なに突然爆弾発言してんですか」
「爆弾の様に産み落とされる事にかけてるの? 上手いねぇ新八君」
「違いますから!! ってかそんな事大声で言わないでいいですから!」
「う◯こ如きで狼狽えるなよ。だから新八なんだよお前は」
「なんで標準語!? そして新八って何!? 悪口なの!? 新八って悪口なの!?」
ギャーギャーと騒ぎ出した二人を置いて自販機でいちご牛乳を買う。
ガコンと音がして出てきた冷たいパックを手に、少し離れた観葉植物の影に座る、スーツ姿のサラリーマンに声をかける。
「こんな所で覗き見とはさてはポリゴンですかね?」
「ポリゴンじゃねーよ、ただのリーマンだよ」
「ハイハイ。髪の毛と同じで性格がねじ曲がってる銀ちゃんでしたね」
気まずそうに新聞を下ろした先にあったのは、髪をオールバックに撫でつけて、メガネをかけたサラリーマン銀さん。んだよと悪態をつくも、その気まずそうな目が全て台無しにしている。
「そんな事を神楽ちゃんが言ってたよ」
「あの怪力娘……銀さん髪の毛は天パでも、心は素直な少年なんだつーの」
いちご牛乳のパックからベリッと音を立ててストローを剥がすと、プツッとそれを突き立てる。
「あ? くれんの?」
「嫌ですねぇ、これは私の分ですよ」
チュゥーとこれみよがしに目の前でそれを飲み干す。
「……普通、銀さんへお礼に~って差し出す所じゃないの、それ」
「お礼なんてすべき事、何かありましたっけ?」
恨めしげなその目を笑い、握りつぶした紙パックをゴミ箱に放る。
「どいつもこいつも恩を仇で返しやがって、碌な奴じゃねーな、くそ」
「そりゃー銀さんが碌な奴じゃないですからね、まあ一宿一飯の恩ぐらいはあるんで、これ差し上げますよ」
手のひらサイズの銀細工が施された丸い円盤。
それを受け取った銀さんは、留め金部分に指をかけ開く。
「なんだこれ?」
「鏡……だったもの。荷造り中に割っちゃってね、いらないから上げる」
「ただのゴミじゃねーか! いらないもん押し付けんじゃねーよ!」
黒く何も映しだすことのなくなったそれに銀さんはゴミ認定を下す。
「いらなかったら捨ててもいいよ」
それは一度だけ銀さんを護ることができるお守り。私が起こした何かで変わってしまったであろう未来から銀さんを護るもの。捨てられても、返されてもどちらでも良かった。銀さんはそれが何であろうと別に困らないのだろうから。
「ったくよ……まぁただでくれるって言うんだったら貰っといてやるよ」
それでもそう言ってくれる銀さんに笑い手を振る。気だるげに挙げられた手がそれに応えてくれた。
それで十分だと思った。