夕方というには早く、昼というには遅い。屯所の門から出たのはそんな時間だった。
舗装されていない砂利道。万事屋への近道である細い筋道を、銀さんの後について歩く。
銀さんは私がその後をついて歩く事を疑いもせずに、スタスタと歩いて行く。
「俺はお前の保護者じゃねーんだけどなぁ」とか、「意地はらずに素直になってりゃこんな面倒臭い事になりゃしねーんだよ」とかそういった類の事は何も言わなかった。
そういう建前上の口上を必要としなかったのだろう。私はそんなもので誤魔化されやしないのだから。
「坂田さん、あいつに何頼まれました?」
言葉は濁していたが、結局は何かを頼まれたのだろうという事は察しがつく。
くるりと跳ねた白い一房。丁度後頭部のど真ん中辺りで跳ねた、寝癖なのかパーマなのか分からないそれを見ながら問いかける。
「何も頼まれちゃいねーよ。ただ野良猫が一匹迷い込んだつーんで見に来ただけだ」
通りがかった三毛猫がニャァと声を上げる。白髪頭がそちらを向き、それに合わせて、跳ねた髪も左から右へと移動する。
まるで最初からそうであるかのような、今思いついたであろう
真実を少しばかり捻じ曲げた弁解を信じてくれたのかは分からないが、結果だけを見れば私は桂さんを庇ったのだ。無条件でこうもあっさりと開放される訳がない。保護者という名の身元引受人か、そういった類のものをきっと頼まれたのだろう。頼りたくはないのに。
沖田さんには前貸し分があったからいいとして、この人には何を返せるのだろうか。
「宇宙……結局、神楽ちゃんも行くんですか?」
「知ってたのか?」
顔だけをこちらに向け、僅かに片眉を上げた銀さんは、それなら話は早いと「三日後だ」と出立の日を告げる。
「お礼という訳ではないんですが、神楽ちゃんの事頼まれてあげますよ」
空っぽの手にはそれぐらいしか返せるものは見当たらなかった。神楽ちゃんがちゃんと戻って来れるように。誰の為かなんて事よりも、それで返せる借りの方が今は重要だった。
「頼まァと言いてーとこだが、お前には少し荷が重すぎんじゃねーのか? 俺にはお前にアイツを背負い込めるとは思えねーんだがな」
けれど、そんな想いはあっさりと切り捨てられる。
最初に距離を置いたのは自分なのに、突き放された様で――息継ぎを忘れ、溺れる。それを、一呼吸だけに押し留め、余裕を取り繕う。
「見損なわないで欲しいですね、神楽ちゃん一人ぐらいちゃんと面倒見れますって」
首だけを回した格好だった銀さんが、ゆっくりと体をこちらに向けた。
「ぐらいねェ……」
分かってんのお前? そんな事を言い出しそうな表情で、銀さんは目を細めていた。
護るという事をお前は何も分かってない。そう言いたいのだろうか……。それはまるで、お前に出来るわけないだろう? と遥か頭上から未熟な己を馬鹿にされてるようで悔しくなる。
歩みを止めた頭上を、飛行船がゴォオオと鈍い音を立てて飛んでいく。
「自分の事すら手に余ってんのに他人を背負い込もうなんざ、甘いんだよ。チョコレートパフェより甘い、激甘だ」
暗く淀んだ路地裏で、銀さんの着流しだけが白く、絶対的な正しさの証明のように浮いていた。
「良かったじゃないですか、好きなんでしょ甘いの」
その正しさを否定したくて、口が動く。
自分の事ぐらい自分が良く分かっている、余らせてなんかいない。迎えに来てくれた事は感謝しているが、それを捉えて手に余ってるなどと言うのは勘違いも甚だしい。一人でだって、どうにでもできたのだから。
続けて喉元まで出かかった言葉の数々を飲み込む。そんなものを漏らしてしまえば、己が未熟である事を認めるにも等しく思えた。
じっと見つめる灰色の瞳をへらりと笑って
「作り笑い。全然上手くねーんだよ。鏡貸してやろうか?」
「やめといた方がいいですよ? 鏡割れますから」
咄嗟に返せたのは使い回しの台詞。心の余白が使い潰されていく――それを錯覚だと打ち捨てる。
「割れるかよ。そうやって何もかもから必死に目ェ逸らして、自分自身の事すら見ないふりしてるテメェにゃ、誰も助けらんねーよ」
「そんな事ない!」
やってしまった。思わず上がった語尾に口元を手で抑えた。
「いや、違うんです、ただ少しほらえっと……飛行船が煩かったから」
愚にもつかないみっともない言い訳。ますます墓穴を掘る行為に焦りが生まれる。
「お前が何抱え込んでるかなんてしんねーけどな、テメーがテメーを見てやらねーでどうすんだよ。そんな不細工な
「……」
全てを見透かすような言葉に、誤魔化そうとした言葉は続かず、顔が
いやいや、だからそれじゃあ認めてるも同然じゃない。一拍も二拍も遅れて感情に思考が追いつく。少し冷静になれよ、そういうの得意でしょ? 誤魔化し、見ないふりをするのは得意だったじゃないか。大丈夫、「言うに事欠いて、そんな事言うからモテないんですよ」今からでもそう言って笑えばいい。自己暗示をかける。
「また誤魔化そうとしてんだろ? 見え見えなんだよ」
生暖かい視線で薄っすらと笑う銀さんに、グルグルと胸の内で獣が鳴く。
貶す様な言葉に対抗するための、攻撃的な衝動。それを抑えこみ、バレないようにゆっくりと息を
慎重にへらりと笑う。
「誤魔化してる訳じゃないんですよ」
一歩だけ踏み込んだ。ミリオーダーの難しい位置調整。踏み込み過ぎず、踏み込まれないそんな距離を探る。
「じゃあなんだってんだよ」
「コギト・エルゴ・スム、我思う故に我ありって知ってます?」
「なんだそりゃ、中二の夏かよ」
「そう、真夏真っ盛りの言葉。だけどね、世界で唯一の真実なんだって。世界は夢かもしれないし、幻かもしれない、けれど考える私だけが唯一の存在証明」
「そりゃ単なる妄想だよ」
「そうかもしれない」
口では肯定するものの、この世界に来てしまった私には妄想と現実の堺が酷く曖昧に思えた。
しかし、それは今この場では重要ではないし、私以外にその感覚を分かって貰おうと言葉を浪費するのは無駄な行為と思えたので、それを認め、代わりにその本質の為に口を開く。
「だけど重要なのはそこじゃない。そうであっても誰も困らないって事が重要なんですよ。貴方は貴方が信じる物を信じればいい。私は私が存在して欲しいと思うものだけを世界だと認識して、それ以外は夢かもしれない幻かもしれないと信じる。それって誰か困ります?」
「それのどこが誤魔化しじゃないつーんだよ」
「それを信じても誰も困らない、否定する要素なんて何処にもないって事が重要なんですよ。だから、私はそれを信じる事ができる。そうすればそれはもう誤魔化しじゃない。嘘から出た真って言うでしょ? さっきのを逆説的に言えば、私は、私にとって都合の悪い物の一切を信じない。そーいう事にしてるんです。便利な考え方だと思いません?」
へらりと笑う。
冷静になってみれば、なんでこんな事を銀さんが言い出したのかが分かる。きっと私の為だ。
社交辞令のそれでもいいから単に頼むと銀さんは言えば良かった。それだけでこの面倒臭いやり取りは発生しない。
銀さんは優しい人だから、むやみに人を傷つける様な言い方はしない。それに器用だから拒絶したければ、傷つけぬようにやんわりと拒絶する術だって持っている。それをしなかったのは、私が意地を張り続けるから。
それに気付いてしまえば後は簡単だ。大丈夫な理由を証明し、笑えばいい。
「だから私は大丈夫なんです。神楽ちゃんの事、勝手に頼まれましたから。それじゃあ、また会う機会があれば」
へらりと笑って、手を振り背を向ける。
「馬鹿だろお前、そんな理屈こね回しても、あるもんがなくなりゃしねーんだよ」
真実を告げるような声に、絶対だと信じていた魔法が
聞き流せ、聞こえないふりをしろそう頭が警告を発する。
「大体その言い分じゃあ、テメーはそれが単なる言い訳だって事に気付いてるって言ってる様なもんじゃねーか。必死に目を逸らして、蓋をしてりゃあやり過ごせると思ってんだろ? そんな事できやしねーよ。結局は単なる誤魔化しだよ。賢いフリしてテメーは何もわかっちゃいねーよ。そーやって傷口を変にこね回すから、傷が膿をもっちまうんだよ」
「そんなこと!」
思わず振り向いてしまい、後悔をする。薄っすらと馬鹿にするように笑っていればよかった、それかせめて、引っかかったなとニヤリと笑ってくれてれば良かったのに……。
薄い灰色がまるで私を可哀想な奴だというかの様に見つめている。止めてよ! そう思われたら、まるでそうなってしまいそうじゃないか!
「そういうの止めて貰えませんか……」
誤魔化せなくなった軋みが悲鳴を上げる。
「認めろよ」
「だって……そんなのは」
どこか心の片隅で、誤魔化しだと分かっていた事を突きつけられ否定出来なくなる。本当に信じていたのは嘘じゃない、でも、それが真実であれば、私の世界はとても冷たくて苦しいのだ。
神楽ちゃんの悲しみが、銀さんの優しさが、新八君の気遣いが全部夢や幻で存在しないと否定するのは、とても苦しいのだ。
誤魔化す為には、その苦い物を飲み込まないといけない。嘘であってほしいと願う気持ちが、世界を真実から嘘に変えようとする。
でもそれを認めてしまうには私は……。
「怖いのか?」
怖い? そりゃそうだ。
永遠に隔離された檻の隙間から、届かぬ温かなモノを見つめ続けなければいけない絶望と、解決する術を持たない閉塞感に恐怖しないモノなどいるだろうか?
だけどそれを怖いと認めてしまう事はどうしてもできなかった……。それは私が弱い事を認めるに等しかったから。
「怖くなんかないよ」
まったく誤魔化せてない怯えを含んだ声に、銀さんはせせら笑うかと思った。
笑ってもいいのに、こんな惨めな自分なんて笑い飛ばして馬鹿にすればいい。そうすれば拒絶できるのに……なのに……鈍い灰色の瞳が温かい色を灯す。
「そうだよ怖くねーよ。ちゃーんと見りゃあそんなもんかって思うものなんだよ。変に怖がって見ないふりをするから、枯れた尾花も幽霊に見えるんだよ」
細められた目と、僅かに上がった口角。そんなのズルいだろ……。
ピキピキと世界が割れる。
「それになぁー。無理して片意地張って一人で生きてく理由なんてどこにもねぇーんだ。それはお前が勝手にそうしなくちゃいけないって、思いこんでるだけなんだよ」
銀さんにしか出せないようなゆるい調子。
それはまるで一人で孤独に怯えてる必要なんてないんだと言ってるようで、縦横無尽にはしったヒビに耐え切れなくなった世界は砕け散る。対して、冷静な頭の一部は溢れかえる感情を抑えこもうと必死で色々な言い訳を撒き散らす。
「だから、いい加減言えよ『助けて下さいお願いします』って」
「嫌だよ……そんなのだって」
そんなのは嘘だ。だって……そんなのは嘘なんだ。今まで、誰も助けてくれなかったじゃないか! 他力本願で、温厚無知で、浅ましい、醜い自分が顔を出す。そんな自分でいたくない。とっちらかった心のまま、経験と記憶がそれを嘘だと決め付け、感情がそれを嘘じゃないと求める。
「お前は……。本気で世界に自分一人しかいないとでも思ってんのか?
酷く柔らかい口調で追加された「俺だってな」という言葉。今までずっと否定し続け、それでも求めていた冷たくない、温かい世界がそこにはあった。
とうとう最後の一欠がパリンと乾いた音を立てて砕ける。
好き勝手暴かれて、弱い自分を無理矢理引き出された挙句の今だが、せめて情けない顔だけは見られたくなくて背を向ける。
「お前本当に馬鹿だなぁ」
ニヤリと笑うその顔をきっと赤くなっているであろう瞳で睨みつける。このクソ天パ! なんてことをしてくれたんだ。二度と魔法が使えなくなってしまったじゃないか! 冷たいけれど傷つくことのない幻想の世界は砕けて散ってしまった。
「神楽待ってっぞ」
「銀さんのクソ天パ」
強力無比な絶対魔法を封じ込められた私は感謝の言葉なんて言えなくて、返事代わりの憎まれ口を叩く。