カルーセルとエルドラド
ターミナルからの帰り、つい万事屋連中の後ろをついて来てしまったが、別に帰る道が同じというわけでもなく、というか帰る道なんてあってないようなものなので適当な言葉で別れる事にした。奇跡はもう期待できなかったので、「送りますよ」という新八君の言葉を「途中で買い物あるから」と予め用意していた言い訳で断る。
疲れて寝てしまった神楽ちゃんを背負い、無表情を取り繕う銀さんをこっそり笑いながら。
人のいない場所、人のいない場所へと流れていけば、手入れのされていない並木道。
江戸の街では珍しい洋風の赤レンガが敷き詰められた道。その脇は、元は白樺だけだったのだろうか? 立ち枯れた灰色の街路樹に代わり、野草が青々と生い茂っている。
そんな並木道の終着駅、有刺鉄線が巻かれたフェンスの向こうに見えるは、今にも倒壊しそうな観覧車と、色あせたメリーゴーランド。ゴーカートの広場には、タイヤと壊れたままのカートが散乱している。それら全てが長らくここに人が訪れていない事を示していた。
いいじゃんここ。
誰もこんな所に用事は無いだろうし……。それに、少しだけ子供の頃に行った遊園地に似ているような気もした。
ここから先私有地につき侵入禁止、許可無く侵入したした者には――を申し受けます。肝心の金額が掠れ見えなくなった看板を尻目に、フェンスを乗り越え、割れたレンガの間から飛び出した草を踏みつける。
「しばらく厄介になるね」
目星を付けたその場所までそうやってたどり着くと、元の色が分からなくなった馬に声をかける。白く日に焼けたメリーゴーランド。
ようやく見つけた仮住まいに機嫌を良くし、箱馬車の中を住み心地良く飾り付ける。なんだか少しだけ離れがたくなってしまった気もしないでもないが、許容範囲だろうと、そんな気持ちを笑い飛ばした。
「ごめんくださーい」
相変わらずベルが壊れたままの万事屋の戸を叩く。昨日の今日で、連絡が来ているかは分からないが、郵便ポスト代わりにした事すら伝えていないので、それも踏まえ、こうやって足を運ぶ。
あ、これも依頼になるのか? 依頼料について考える。払えるものであればいいけれど。
「はいはい、あれキリさん?」
ガラガラと開いた戸を開けたのは新八君だった。「こんにちは」「まぁまぁ、玄関先でもなんですし、どうぞあがってください」という日本的な会話の末に居間に招かれる。
「どうしたんですか? あ、神楽ちゃんなら遊びに行っちゃって、今はいないですよ」
「んー、そうじゃないんだけどね、坂田さんは?」
見渡す限りそれらしき姿は見えない。
「銀さんなら多分パチンコか……いや、依頼料入ったのずいぶん前だから、どっかぶらついているのかも」
こっそり見えた苦労の跡に、思わず色々大変だね。と分かっているかの様に相槌を返す。んー、困ったなぁ……。出直すか? そう思った時、玄関が開く音がした。「けーったぞー」間延びしたかったるそうな声に、「噂をすればなんとやらですね」と新八君は笑う。
噂をすることすら羽ばたきになるのか……考え過ぎだとは思うが一瞬、そう思ってしまった自分に、イカンなぁーと溜息を付く。
「どーしたんだ?」
「あー、依頼……デス」
銀さんの顔をみてほっとしたというか、終わりなんだなと思ってしまったというか、少し気が抜けた返事をしてしまった。そして結構気合いれちゃってたんだなという事に気づく。なんだかなぁー。万事屋への依頼ってそんな気張るもんじゃないっしょ。「空耳か?」とでも言いそうな銀さんに、ヘラリと笑う。
「それじゃあ僕買い物行って来ます、今からタイムセールなんで」
そう言って新八君は出て行ってしまった。銀さんと二人っきりというのは距離感に迷うのでやめて欲しいのだが、新八君を引き止める術は見当たらない。仕方なく黙ってそれを見送った。ポップコーンじゃ釣れないよな……。
「お前が依頼ねェ……」
疑うような目つきで見られる。
「
「んな面倒臭い事しねーで、自分で受け取れよ」
「商売っ気がないですね。そんなんだから新八君も苦労するんですよ」
面倒臭そうな銀さんに笑いながら「私、一人暮らしなんで、男性が訪ねてこられるとご近所の目が煩くて」と言い訳を付け足す。白いお馬さんの目を思い出し、彼等が生きていたら何を言うのだろうかと思う。メルヘンに生きる彼等だから、はしたないとか、破廉恥だとかそーいう乙女チックな事を言うのだろうか? 依頼料と聞いたら後払いでいいと言われた。
「大体な……」
気まず気な空気を消したくて、へらりと笑ってみても、銀さんは死んだ魚の目を崩さず、こちらを見つめる。
「なんつーか、アンタが素直に
「碌なもんかどうかは……でも受けてくれるんですよね?」
相変わらず敏いなぁーと思う。けれど、依頼料を受け取るつもりでいてくれてるのだ、それを考えればそう恐れる事はないかもしれない。
「で、なんなんだその伝言とやらは」
「宇宙に行く日を……。私、
「お前が行くつーなら俺は止めねェけどな、神楽が泣くぞ」
「泣きますか」
「多分な……」
自信を持って今度は怒るとは断言できなかった。でも、きっと銀さんがそう言うって事は泣くのだろう。
追加で依頼を……泣いた神楽ちゃんを頼むとはいえなかった。
「アンタは距離の取り方が下手クソなんだよ」
少しだけ自信のあるソレを、自分以上に卒なくこなす人に貶された気がして、少しだけ心がザラついた。
「そんな事はないと思いますよ、そもそも距離なんて取ってるつもりはないんですが」
だから、回答が少し硬くなってしまったのも、しょうが無いと言い訳をする。泣かせてしまう事になるなんて思ってもいなかった。そうなってしまったのは結果論であって、下手を打ってしまったと言われればそうだが、だからといって全面的に私が悪い訳じゃない。
「そういうところが下手くそなんだよ。やりたくもねーことをしようとしている様な違和感つーの? わざとだろ? 遠ざけようとしてんのは」
真っ黒な海に浮かぶ白い月を思い出す。確かにあの日私は今より銀さんに近かった。再び距離を取ったことで漏れてしまった心。嘲り笑いながら、しょうがないと自分を慰める。
「坂田さん私は……」
「その坂田つーのもな、なんだかわざとらしいんだよ。名前で呼べよ」
言い訳を思いつけないまま、否定だけを口にしようとした私。それを遮り銀さんは挑むような目でそう言った。けれどそう呼べない私に、銀さんはそらみろと言わんばかりに鼻を鳴らす。それがもう全てを物語っている様で、空気の粘度が増し、苦しくなる。
「それを変えない限りアイツは泣くよ」
黙ってしまった私にかけられる銀さんの言葉。それは神楽ちゃんの為でもあり、私の為でもあるのだろう。結局、そこに行き着くのか。酢昆布の付属品、もしくは、いちご牛乳のおまけ、それでもいい。今更ながらそうなりたいと願う。
「坂田さんと私は神楽ちゃんを通した知り合いですよね?」
言外に踏み込むなと釘を刺す。そうやって神楽ちゃんの為だという行為は、巡り巡ってそうではなくなるのだから。
「お前はさ、何をそんなに怯えてんだ?」
灰色の瞳がどこまでも見透かすようで怖くなった。
「いちご牛乳」
「あ?」
「私、いちご牛乳が怖いので、そろそろお暇しますね」
これ以上はもう誤魔化しきれる自信がなくてそう言って立ち去る。それ以上銀さんは追ってはこなかった。その距離感に安堵する。誰か枕元にいちご牛乳を沢山置いてくれればいいのになぁー。
結論から言うと、神楽ちゃんは泣かなかった。銀さんも私も外した予想。けれど、それに予想よりも深く傷つけた事を知り溜息を付く。
引きこもるべきではあるのだけれど、傷つけた事に対する対価を支払う為にはそうも言っていられなくて……。
「坂田さん、神楽ちゃん泣きませんでした」
結局この人を頼ってしまう。
今日もやっぱりお金がないのか、公園のベンチでぼけーっと銀さんは座っていた。
「そうか」
やる気のない返事は、そういうフリ。それを知っているから安心して言葉を続ける。
「自分で言っていればマシだったんでしょうか」
「さぁなぁー。でもテメーがそうである限り大なり小なり一緒だっただろうよ」
私が言う前に星海坊主さんから私が宇宙へ行くと言うことを神楽ちゃんは聞いてしまった。
『黙って行くつもりだったアルか?』
表情を凍らせて、泣きもせずじっとこちらを見つめるその問いに、即答出来なかった。言う機会は何度かあったにも関わらず私は言わなかったのだから。そう出来ない事を
『きーやんはいつもそうアルな、私が何も知らないとでも思ってるアルか? 私も万事屋ヨ、なのに何で何も言ってくれないアルか?』
そのまま振り向きもせず神楽ちゃんは去っていった。無力な己に傷ついた様なその姿。胸を刺す鈍痛を誤魔化すために「痛恨の一撃。キリは致命的なダメージを受けた」そう茶化して呟いてみても上手く笑えず困ってしまった。
「知られなければそれが一番いいと思ったんですけどね」
「お前は馬鹿だろ。そーいう気遣いが一番相手を傷つけんだよ」
ぐさりとくる言葉で、心底馬鹿にした様に銀さんは視線だけをこちらに向ける。それに思わず「最後までバレなきゃいいじゃないですか」と言おうとした口を閉じる。そう出来ないことはなにより私が知っていた。
「坂田さん……もしですよ。六が出ると決まったサイコロがあって、それを蹴飛ばしてそれ以外に変えてしまう人間がいたらどうします?」
「あ? どうもしねーよんなもん」
突然変わった話にようやくこちらを向いて、突然何を言い出すのだとそんな表情を浮かべる。例え方が悪かったのか、イマイチ要領を得ない回答に更に条件を付け足す。
「六が出たらイチゴパフェが貰えるとしても?」
「六以外が出たら何が貰えるんだよ」
「何が貰えるんでしょうね……」
そして失敗する。や、私銀さんみたいに口回らないからね。上手い喩え話なんて知らないんですよ。
「大体決まりきったサイコロなんて八百長だろ。んなもんいらねーよ」
その答えに違和感を覚えた。その違和感は銀さんに対してじゃない私にだ。喉に何か小骨が引っかかるような、大切な何かを見落としてるような。
「で、そのサイコロ蹴飛ばすのはテメーなのか?」
「いや、サイコロじゃなくてアミダだったのかも、イチゴパフェじゃなくていちご牛乳の方だったかも」
「はぁ?」
色々と面倒臭くなったので、相変わらず敏いこの人を置いて、公園を出る。
結局私は何のためにそれを忌避しようとしていたのだろうか?
結局頼った割には何も解決していなくて、取り敢えず謝ろうと思い神楽ちゃんの元まで歩いて行く。でも、謝るって何を? 知られなければいいと思った事は嘘じゃなくて、優しい彼等に頼りたくはなくて、その上で何を謝るというのだ? 『
鳥が拾ったのは、河川敷で傘をさして座り込む神楽ちゃんの姿だった。
「神楽ちゃん、ごめんね」
記号だけの謝罪をその背にかける。口にして気付いた『許して欲しい』という感情を見なかった事にする。
「もういいネ」
無理に笑って振り向いた顔に、もう一度「ごめんね」と繰り返す。
「私はきーやんが思ってるよりも丈夫ヨ。安心するヨロシ」
「夜兎だしね」
「そうヨ」
ニカッと笑った顔は本当の笑顔。太陽の様な笑みに、ふわりと心を引き上げられる。「酢昆布買いに行こうか」というお礼と謝罪が入り混じった言葉に、神楽ちゃんは「ひゃっほい」と嬉しそうに声を上げる。
「そうと決まれば善は急げネ」
「それ、正しいけど微妙に使い方間違ってるよ」
土手を駆け上がる神楽ちゃんはそう言うと、笑いながら私の手を取り引っ張る。温かな体温に、私はこんなにも冷たくなっていたのかと気付いてしまった。