天国には理想郷がありまして   作:空飛ぶ鶏゜

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閑話 バタフライ・エフェクト

バタフライ・エフェクト1

 

 かぶき町をアテもなくぷらぷらと歩いてる時だった。ふと見ると、道端のダンボールにうずくまり、ブツブツ何かを呟き、肩を震わせてるホームレスもとい長谷川さん。

 

――俺は何も見てない。

 

 けれど無視してその脇を通り過ぎ立ち去ろうとしたら、ムズっとダンボールから腕が伸び、着流しを掴まれた。

 

「酷いよ銀さん」

「離せよ」

「そうなんだよ、酷い話なんだって。先日さァ」

「その話せじゃねーよ、離せつってんだよ」

「そんな事言わないで聞いてくれよぉおおお!! もう俺には銀さんしかいないんだぁああ」

「気持ち悪いこというんじゃねぇえええ、いいから離しやがれ」

 

 結局押し問答の末に「酒、奢るからさァ。話、聞いてくれよォ」という言葉に負けて付き合うはめになった。

 場末の安い屋台。軒に吊るされた赤い提灯は、色が滲み破れており、ザラついたカウンターからは釘が飛び出している。一応気遣ってか無理矢理曲げてあるが、曲げ方が雑なせいで、うっかりすると着物の袖口でも引っ掛けてしまいそうだった。「この寂れ具合が愚痴をこぼすには丁度いいんだ」と強がる長谷川さんに、「へーへー、アンタの財布の中身にもな」と、自分の財布の中身を棚に上げてそう言うと「それは言わない約束だよ銀さん」なんて泣きつくもんだからもう面倒臭くて、ちびちびと黙って酒を舐めることにした。

 

「で、どうしたの今度は」

 

 いい感じで酒も入り、聞く体制ってのが整った所で水を向ける。

 

「それがさァ。俺がいつも寝ている公園あるじゃん? そこの真ん中の小山分かる?」

「あのコンクリートで出来た、ペンキが所々剥がれてる奴だろ? それがどうしたんだよ」

「そーそー、子供達が良く秘密基地作ってる小山、何べん俺のダンボール取るなつっても聞かねーんだよアイツ等。じゃなくて、先日の台風の後、それの穴ん中で女が転がってるのを見つけてさァ」

 

 女ねぇ……。手ェ出したとか言われても知らねぇぜ? そんな事を思いながら話の続きを促す。

 

「何があったのか知らないけど、びしょ濡れで倒れててこりゃやばいと思って、ゆすり起こしたんだけど……起き抜けの挨拶が『おはよう、マダオ』って。なんで見ず知らずの女にマダオって言われなきゃいけないの!? あれ銀さんの知り合い!? 知り合いなんでしょ!! グラサン=マダオって町内に触れ回ってるの!?」

「うおぉ……零れる零れるって。グラサン・マダオいいじゃねぇか今度からそんな名前で売りだしてみれば? 大体なにそのダメそうな女。アンタよりダメそうな奴なんて俺ァ知らねーよ」

「嘘をつけぇええ、そうやって皆、俺の知らない所で俺の事馬鹿にしてんだろぉおお」

 

 襟首を捕まれ、危うく零しそうになった酒を遠ざけると、両手でガクガク揺すぶられる。

 

「苦しい、苦しいって」

「俺の苦しみが分かるか銀さん」

「分かった、分かったから手ェ離せ」

 

 それから長谷川さんをどうにか宥め、ひたすら愚痴のオンパレードに付き合い、気がついたら万事屋の布団に寝ていた。

 昨日どうやって帰ったんだっけ? やたら痛む頭を抱えながら襖を開ける。

 

「……新八ィ……いちご牛乳くれェ……」

 

―――――――――――――――

バタフライ・エフェクト2

 

「そっちの様子はどうだ」

 

――問題ありません……ザー……逃走経路封鎖……ザー……見張りと思しき者、三名確保済み……ザー……

 

 情報通りに潜伏していた奴等を一網打尽にする為に、包囲網を張る。無線から聞こえてきた声はそれが終わったという意味。

 通称十六番街と呼ばれる倉庫街。その一角にある一見、他の倉庫と何ら変わりのないソレ。けれど、分厚い防弾仕様の扉、巧妙に隠蔽された下水に伸びる地下通路、見張りと思わしき怪しい浪人。全てが黒だと物語っている。

 

「いくぞ」

 

 ヌラリと刀を抜き、合図を飛ばす。その合図に暗がりに紛れていた黒服が音も立てずに姿を現す。

 

「御用改である! 神妙にしろ!」

 

 用意しておいた爆薬を使って扉を吹き飛ばし、飛び込んだ先には二十と少しの浪人。油断していたのだろう。ダラシなく木箱や、壁に持たれた格好で突然響いた爆音に凍り付いている。

 だが、直ぐに体勢を立て直し「真選組だ!」「どっから漏れたんだ」と声を上げ、手に手に武器を取る。迷いのない訓練された動作――間違いない――疑う余地はなかったが実際目にしてみるまでわからないのが現場という奴。そこから始まるのはいつも通りの()()

 

「首実検用に幾つか死体引っ張っていけ、あそこに転がってんのが多分主犯格だ、下手に傷つけんじゃねーぞ」

 

 一瞬の遅れが生死を分けた。血に塗れた現場を確認しながら指示を飛ばす。何名か背後関係を洗うために生かしておいたが、それもパトカーに押し込められ、現場調査の為に数名の隊士を残し、引き上げていく面々。

 潮が引くように静かになる現場。共鳴するかの様に、胸に溜まった鈍い熱もゆっくり引いていく。いつもより高ぶることなく終わった。いつもより遥かに楽な仕事。

 外に出ると真っ暗な空に、糸の様な細い月が浮かんでいた。鉄臭さに錆びついた鼻が、僅かな潮の匂いを捉える。埠頭が近かったっけなと脳裏に地図を描く。

 

「土方さんあいつ何者でさァ」

 

 掛けられた声に振り向くと、総悟が僅かに跳ねた返り血とは対照的に、つまらなさそうな顔をして立っていた。

 

「総悟か……。さぁな、少なくとも今回の件は白って所だな。仲間を売ったともあの感じじゃ考え難い。つーかお前何持ってんだ?」

 

 暗闇に紛れ初めは何か分からなかったが、どこから見つけてきたのか手榴弾を三つばかりお手玉にしている事に気づき、「ピン抜くんじゃねーぞ」と念を押す。

 

「だからいったじゃねーですか、アイツには無理だって。血の匂いがしねェ」

 

 その忠告を聞いてるのか聞いてないのか、器用に総悟は危なげなくそれを次々と放る。言いたい事は分からなくもない。こういう仕事をしていると何となく分かる匂い。

 

「そんなあやふやな勘で白とか黒とか決めつける訳にはいかねーんだよ」

 

 口ではそういうものの、本当は殆ど手掛かりもなく、錯綜する情報に追わざるを得なかったと言うのが実情だった。田宮と言ったな……それが全て、いけ好かないあの幕臣の手によるものかと思うと腸が煮えくり返る。

 改めて手元の紙を見る。いつの間にか証拠書類に紛れた『おまけです』と少し丸い字で書かれたそのメモには、メンバー構成、所持している武器の種類、倉庫内の見取り図そう言ったものが逐一細かく書き記されていた。明らかに素人が書いたといったそれだが、十分に役に立った。というか本職の監察を動かしても事前にここまで調べきれる事は少ない。総悟の台詞ではないが、本当に何者なのだろうか? 

 

「総悟、そーいやお前アイツに名前聞いてたな。何つーんだ?」

「酢昆布でさァ」

 

 スコンブ? 酢昆布? 何度唱えても人の名前には聞こえずどうしたって、チャイナ娘が咥えている赤い箱しか思い浮かばない。

 

「ふざけてんじゃねーぞ、どこのチャイナ(むすめ)二号だ、オイ」

「俺じゃねェですぜ、本人が言ってたんでさァ」

 

 舌打ちし、煙草に火をつける。

 

「あ、手が滑った。土方死ねコノヤロー」

 

 視線を上げるとピンの抜かれた手榴弾。やると思ったが本当にやりやがった。

 

「お前が死ねぇえええ」

 

 慌てて避けると遅れて聞こえる爆音。そーいやアイツと合ったのも総悟のバズーカが原因だったな……。

 

―――――――――――――――

バタフライ・エフェクト3

 

「きーやあああん!」

 

 夕日に一人でいるきーやんに駆けていくと少し困った様な顔をして手を上げてくれた。きーやんはいつもそう。何か困り事アルか? と聞いても、大丈夫だよと言いながら、笑いながら酢昆布をくれる。

 今はその顔を別の物に変えたくて、勢いにまかせ突撃する。

 

「痛いよ、神楽ちゃん」

 

 痛みに顔を歪めながらも笑う顔は、さっきの困った顔より大分いい。

 

「パピーと何の会話してたアルか?」

「ん~……今は内緒。後でね。ちゃんと教えるから待っててね」

「わかったアル」

 

 困った顔を浮かべて柔らかく笑う。けれどその理由は先ほどの困った顔とは別の理由。何となくだけどそう思った。

 だからそれはいいと自分のルールで見逃してやる。それでも助けに来てくれたお礼に「あげるネ」と酢昆布を差し出すと、「それ私があげたやつだよね?」と苦笑しながらも受け取ってくれた。

 

「貰ったもんは全部テメーのモンって言うネ。この神楽様が酢昆布をあげるなんて光栄に思えヨ」

「ははー。ありがたき幸せ」

 

 おどけた調子で笑うきーやん。今は笑ってるといいネ。きーやんが何か深い悲しみを抱えていてそれに手を出して欲しくない事もグラさんは全部分かってるヨ。全部話してくれる時まで私は一緒にいるネ。だから心配しないでもヨロシ。トモダチンコだからナ。

 ニシッと笑うと、ニシッと笑い返してくれた。今はそれでいいネ。

 

―――――――――――――――

バタフライ・エフェクト4

 

 薄曇りの空の下、一匹の犬が舗装されてない道を歩く。薄汚れた身なりの犬は野良犬なのだろうか? 時折眉を顰められながらも気にする風もなく、テクテクと歩く。

 

「あれ? あの犬ご隠居の所の犬じゃない?」

 

 長屋の前で井戸端会議をしていた一人の中年女性が声を上げる。小太りなその女に対して、背の低い女が、不思議そうな顔で「ご隠居?」と首を傾げる。

 

「ああ、アンタは来たばっかりだからわかんないんだね。ほら、あそこに住んでいる……って、それより早く知らせて上げなきゃ」

 

 そう言うとその女は「ご隠居! お宅のワンちゃん見つかりましたよ!」と、一軒の長屋に駆けて行き大声を上げる。

 けれど、その犬は余計なお世話とばかりに、自分の足で戸の前まで歩いて行くと、ワンと鳴き声を上げ、ぺたりと座る。薄汚れ、どこか疲れきった体をなしながらも、頭をきちんと上げ、犬は真っ黒な瞳をじっとその戸に注ぐ。大人しくそれが開くのを待つその姿は、自分が帰らなければ()()()()場所がちゃんと分かっているかのようだった。

 しばらくして顔を出した初老の男は、犬を見るなり顔を綻ばせて、「どこへ行ってたんだお前」と自身が汚れるのも構わず、その犬を抱きしめる。

 嫁と娘を相次いで亡くし、男に唯一残された家族だというのを背の低い女が聞いたのは、その後の話。


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