戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 エルフナインがキャロルと瓜二つということは、キャロルから見れば『自分と同じ容姿をした人形が自分の裸体を世間の人達に見せて回っている凄まじき羞恥プレイ』ということになり、「ああ、だから必死になって捕まえようとして……」と納得しました。どうでもいいことですね


2

 彼はおたま片手に、一日だけ借りたウィークリーマンションの台所で肉じゃがを作っていた。

 先払いで借りた部屋はそこそこ清潔で、料理をするには十分な広さがある。

 彼の舌は文句なしに壊滅的だ。

 味見含む料理の基本が全部入っている初心者料理として有名な肉じゃがは、最近まで彼にとって高いハードルであったが、今では「ちょい雑」で済ませられるくらいの味に仕上げられるようになっていた。

 風鳴家伝統の味の味噌汁も隣の鍋で仕上げつつ、ゼファーは味見をする。

 

「……うん、美味い。さすが俺の舌。全く信用ならないな」

 

 そこからご飯をよそり始めたゼファーの背中にかかる声。

 間延びしているが、天羽奏の声だ。

 

「ゼファー、風呂上がったぞー」

 

「ご飯はもうちょいで出来上がるからテレビ見ててー」

 

「あいよー」

 

 ゼファーが肉じゃが、サラダ、味噌汁、ご飯の茶碗をテーブルの上に並べて行くと、扇風機の風に当たっている奏が目に入った。

 風呂上がりでほんのり赤らみ、貼り付く髪と肌から雫が滴り、扇風機で薄手の服がパタパタとはためく。扇情的、という言葉を形にしたようなスタイルだ。

 が、ゼファーが思春期の少年らしい反応を見せるわけもなく。

 湯冷めして風邪引かないように後で注意しておこう、程度にしか思わないのであった。

 

「カナデさん」

 

「ん? お、出来たんだ。そんじゃいただきます!」

 

「どうぞ召し上がれ」

 

 先に食べ始めた奏に続き、ゼファーも箸を取って食べ始めた。

 まるで同棲を始めた男女のような、そんな光景。

 ゼファーは肉じゃがのジャガイモを刺し箸しないよう箸で挟んで、口元に運ぶ。

 そんな平和な光景の中で、ゼファーは思った。

 

(……どうしてこうなった……)

 

 なんでこんなことになってるんだろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十話:遠い日の、遠いあの場所で 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少々遡る。

 

 はてさて、今日もゼファー達は三人揃って聖遺物の確保へとレッツゴーしていた。

 今回は前回のスケベ本とリリティアの強さも考慮した上で、三人セットの運用である。

 本来ならば東京にノイズに対応できる者を一人残しておく方が安定はするのだが、今回は東京と近い場所に先史の遺跡が確認されたということで、三人が同時に投入されていた。

 サポートには恒例の藤尭朔也。

 今回は甲斐名とは別のチームが、地道に文献を漁って見つけ出した遺跡へと向かうことになる。

 

 その場所は、神奈川県海老名市国分南・相模国分寺跡の地下深く。

 西暦741年、スサノオの遺産である聖遺物の力を危惧した時の天皇により、国分寺という蓋をされて封印されていた聖遺物がそこにある……とのことだ。

 二課の聖遺物捜索チームにより場所自体は分かっていたのだが、文化庁の陰ながらの反対により今日まで実行に移せていなかった。

 本日聖遺物の確保に動けたのは、ナイトブレイザーやシンフォギアの登場による二課の立場の向上、弦十郎やあおいなどの根強い交渉の結果であった。

 

「相模国分寺……他の国分寺にも聖遺物があるのかしら」

 

「それの可能性は低いらしいよ、翼ちゃん。文献で事前に調査された範囲ではね」

 

 翼の疑問に答えつつ、朔也は周囲一体を見渡した。

 スケベ本の時のこともあり、既にこのチームの四人以外の全員が退避済みだ。

 時刻は夕刻。何かあれば周辺の住民をすぐさま避難させる用意が二課にはある。

 日が沈みかけているために、機密保持にも都合のいい時間帯だ。

 

「じゃ、予定通りでいいかな。俺がここで待機しつつ通信でサポート。

 翼ちゃんが退路確保兼、もしものための入り口の護衛。

 ゼファー君が最深部の聖遺物の確保。奏ちゃんはそのサポートで」

 

「はい。バックアップは任せます」

「行ってらっしゃい、ゼファー、奏」

「あいよ。ま、あたしらの心配とか要らないけどね」

 

 そうして、ゼファーと奏が遺跡へと続く道を踏み出そうとしたその瞬間。

 

「……ん? ! 避けろッ!」

 

 空より、暴風が舞い降りた。

 

「―――!」

 

 奇襲という概念全ての天敵であるゼファーが、『それ』の襲来に真っ先に気付いた。

 ゼファーは朔也を抱え跳ぶ。

 そして、翼と奏もゼファーとの付き合いはそこそこ長い。

 彼がこういう風に叫ぶ時、それがどういう時なのか。二人はよーく理解していた。

 翼はバック転をほんの数秒間にて信じられない回数繰り返し回避。

 奏はもっとシンプルに、後ろを向いて駆け出した。

 四人が三方向に逃げてから十秒ほどおいて、そこに何かが落下……否、地面に衝突する。

 

「な、なんだ……!?」

 

 戸惑う朔也が落ちてきたものを見れば、そこには真紅の機械人形が立っていた。

 その姿はまるでヘビー級のボクサーをモチーフにしたような、スマートかつ流線型のフォルムでありつつも、全身が明確に人間の筋肉を連想させるものだった。

 拳には黒のナックルガード。

 全体的に赤色、所々が茶という二色で構成されており、上半身は分厚い筋肉を見せつける裸体のようで、下半身は軽い布が付いているだけのように見える。

 だが、あくまで『よう』だ。

 その姿は人間を模しているだけで、じっくり見れば人間に似せた人形と言うより、むしろSFの無機質なアンドロイドに近い印象を受けるだろう。

 その上でその機械の巨人に一番近い人間の姿を挙げるなら、『ローマの拳闘士』だろうか。

 身長はゴーレムにしては小柄で、約3m。

 

「なんだこいつ!?」

 

 奏の驚愕の声に反応し、機械の拳闘士は彼女の方を向く。

 三方の人間から警戒されつつも、その目に気後れといった人間らしい感情は微塵も見えやしなかった。身長は翼の倍くらいであり、大きさに寄らない独特の威圧感をその身に纏っている。

 

「今、回避の途中で俺の側からは足首に刻まれた型番が見えた。こいつ、『ディアブロ』だ」

 

「ディアブロ? 了子さん曰く、確か……異名は、真紅の暴風」

 

 ゼファーは朔也を庇うように彼の前に立ちつつ、先程一瞬だけ見えたゴーレムの足の部分、そこの型番と識別用シリアルネームのことを口に出す。

 先史文明の文字の読み方ならば、櫻井了子にみっちり叩きこまれているのが彼だ。

 このゴーレムの名はディアブロ。了子が彼らに教えた、真紅の暴風の異名を持つ戦士だ。

 

「!」

 

 ディアブロは足元にあった成人男性の頭ほどもある石を拾い、投げる。

 その動きは凄まじく流麗かつ速かったが、ゼファーの直感相手には通じない。

 

「アクセス!」

 

 所要時間100万分の1秒(マイクロセカンド)

 瞬きの一瞬よりも短い時間にて、ゼファーは変身を終え、投げられた石を右手で受け止める。

 その石の速度と威力、計算されたジャイロ回転にゼファーは仮面の下で息を呑む。

 ディアブロの投石には、明らかな『技術』が見られたからだ。

 

(この石の回転……!?)

 

 だがナイトブレイザーの装甲をただの石が抜けるわけもなく、石はほぼ一瞬でネガティブフレアによりその身を蒸発させられる。

 そして、ディアブロの敵意を確認してからの翼の行動は速かった。

 

羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)

 

 ゼファーがディアブロを牽制するために前に出て、ジリジリと間合いを調節しているのを見、翼は朔也の下へ駆け寄った。

 そして彼を抱え、シンフォギア最速を誇るスピードをもって、彼を安全な場所まで運ぶ。

 

「藤尭さんは離れていて下さい」

 

「分かった。三人とも気を付けて!」

 

 そして翼は走り出す。

 彼女の視線の先では既に、ナイトブレイザーを注視し構えるディアブロの背後を取って、今にも奇襲せんとしている奏の姿が見えていた。

 

人と死しても、戦士と生きる(Croitzal ronzell gungnir zizzl)

 

 奏は走ると同時に聖詠を口ずさみ、踏み込むと同時に腕を振るった。

 すると"腕が振られた後に槍が形成される"という、槍の軌道を読ませないフェイントが完成するのである。非常に受けにくい、厭らしい一撃であった。

 ディアブロはナイトブレイザーには背を向けず、ステップで移動しつつガングニールとナイトブレイザーを同時に視界に入れつつ、それに冷静に対処する。

 

(……! ダメだ、こいつ……一撃では仕留められない! あたしの勘がそう―――)

 

 奏のずば抜けた戦闘本能が敵の力量を見抜き、彼女の槍がディアブロに迫る。

 それに対し、ディアブロは拳を軽く振るう。

 対応はただそれだけだった。それだけだった、というのに。

 奏の槍先が右のジャブで弾かれて、そこから1/100秒と経たない内に、左のジャブが奏に迫る。

 

「―――!」

 

 奏は弾かれた槍を、弾かれた力に逆らわないようにぐるりと回し、石突の側で左のジャブを見事に弾いた。

 そして右のジャブ、左のジャブに続いて来た右ストレートを後ろに跳んで必死にかわす。

 

「こいつ……!?」

 

 文字にすればシンプルだ。

 左右のジャブからのストレート。お手本のような綺麗な基礎連携である。

 だが、この三人の中で最も強い天羽奏が、こんなつまらない技で一瞬ヒヤリとさせられていた。

 小難しい理屈はない。

 単純にディアブロの攻撃は巧く、速く、重かった。それだけの話。

 

「防御シフト3ッ!」

 

 ゼファーの声に従い、三人がフォーメーションを組み替える。

 ノイズ相手に多用する、広域の敵を殲滅するための攻撃フォーメーションではなく、単体の敵を相手にすることを想定した防御用フォーメーションの内の一つだ。

 三人の中で最も硬いナイトブレイザーが最前衛。

 その右後方に天羽々斬、左後方にガングニールが待機し、付かず離れずでゼファーをカバー。

 盾となる騎士を、剣と槍が守る形だ。

 数の有利の全てを防御面に割り振った形とも言える。

 

 ナイトブレイザーは腕を伸ばし、初手から魔神の焔を槍のようにして伸ばそうとした。

 だが、ひどく地味な技で対応される。

 ディアブロはナイトブレイザーの足を払い、体ごと腕が向く方向を90°上方向に回したのだ。

 すると焔は必然的に、ディアブロではなく空へと向かい飛んで行ってしまう。

 

「!? うおっ!」

 

 単なる足払いで宙に浮かされ、隙を晒してしまうゼファー。

 ディアブロに今追撃されれば、痛烈なダメージを受けてしまいかねない。

 

「させるか!」

「させない!」

 

 そこに割り込んだのが奏と翼だ。

 翼は小太刀サイズの小さなアームドギアを連続生成、奏は大槍を四つ生成、同時に射出した。

 正面から小威力と大威力を織り交ぜる連携攻撃を仕掛けつつ、回り込んで左右から挟み撃ちを仕掛けるという、翼と奏のコンビネーション攻撃であった。

 

「なっ……!?」

 

 だが、ディアブロは器用に対応してみせる。

 両の腕の拳先、肘先、そして両膝の六点。

 これらを速く、力強く、かつ計算された軌道を走らせることで、ただそれだけで真正面から迫る剣と槍の群れと、左右からの奏&翼のラッシュを捌き切ったのである。

 

「なんだこいつ!?」

 

 立ち位置を変え、立ち回りを選び、攻防を華麗に組み立てるその戦い方。

 それはまぎれもなく計算・技術・修練の果てにしか得られないものであった。

 

「気を付けろ、ツバサ、カナデさん!

 こいつ……『ゴーレムの武術家』だ! ただの機械じゃない!

 総合的な技量で言えばシンジさん以上、ゲンさんに瞬殺されないレベルにあるぞ!」

 

 足を払われたゼファーはアクセラレイターで加速しつつ、叫ぶ。

 アクセラレイターの時間加速により、ナイトブレイザーはディアブロの計算よりも早く地面に落ち、体を曲げた倒立のような姿勢で着地。

 そのまま腕の力で跳ね上がり、全身の力で回転し、カカト落としを振り下ろす。

 

 ゼファーの絶招、カカト落としは直接当たりさえすればその威力は絶大だ。

 だが、ディアブロは軽やかなステップでかわしてみせる。

 左右からの奏と翼の攻撃を捌きながら、軽やかにゼファーのカカト落としを回避し、余裕綽々にバックステップで距離を取るなど、まさに人間離れした動きと言えよう。

 足さばき一つにも、洗練された技量を見せる真紅の機械人形(ゴーレム)

 三人は一旦体勢を立て直し、また先程までの防御に特化したフォーメーションを組み上げる。

 

「武術を学んで、研鑽する機械人形……!?

 あたしらのご先祖様達は何を考えてそんなもん作ったんだ!」

 

「奏、私には分かるわ。きっと自分を高みに導く強者が欲しかったのよ」

 

「そうだな! お前みたいな天然が居たんだろうね、翼!」

 

「話はそこまでにしろ二人とも、来るぞ!」

 

 身構える三人に向かい、ディアブロは奏では追いつけないほどの速度で踏み出した。

 無駄な音、無駄な力、無駄な隙が一切存在しないその歩法に、翼は思わず感嘆の声を漏らしてしまう。機械とはいえ、まさしく武人のそれであったから。

 それに対する三人の反応は早い。

 真っ先に迎撃に出るはゼファー。

 そしてゼファーのコンマ数秒後にズラした迎撃で連携を組もうとする翼。

 奏はシンフォニックゲインを高め、最後に大技を決める姿勢だ。

 

(……やりづらいな、これッ!)

 

 ゼファーは魔神の焔さえ当てられれば、と思考する。

 対するディアブロも「アレに触れればその時点で終わる」と認識しているようで、何が何でも触れないようにしているようだ。

 そんな両者の間に交わされた初手は、ゼファーの右ストレートだった。

 左手に焔をチャージしつつの右ストレート。右ストレートにディアブロが対応したその瞬間に、左手の焔をぶち込むつもりなのだろう。

 

 が、ディアブロは技量においてゼファーの遥か上を行く。

 ディアブロはゼファーの右手に対応するでもなく、左手に対応するでもなく。

 意識の隙間に潜り込むような静かな歩法で一瞬にて距離を詰め、ゼファーが殴るために踏み込んだ左足と地面の間に、右のつま先を差し込んだのだ。

 そうしてディアブロが足を蹴り上げれば、ゼファーは180°引っくり返されてしまう。

 

「ッ!?」

 

 足が上に、頭が下に。無防備な背中をディアブロに晒したナイトブレイザーは、ディアブロのミドルキックでサッカーボールのように蹴り飛ばされてしまう。

 

「―――♪」

 

 だが、ナイトブレイザーが吹っ飛ばされたにもかかわらず、少女二人は動じない。

 年齡不相応に二人の心は一人前の戦士のそれだ。

 翼は地面に刀を突き立て、デコピンの要領で擬似抜刀術を仕掛けて振るう。

 無論『早撃ち』だ。

 下から上へと切り上げる剣術のデータは少なかったのか、ディアブロは反応が間に合わず、顔面の装甲に縦一直線の切り傷を付けられてしまう。

 

(決まれっ!)

 

 続いて奏がチャージしたシンフォニックゲインを解き放ち、大きな槍をドリルのように回転させながら、嵐を纏わせ突き出す『LAST∞METEOR』を発動。

 ガングニールは膨大なパワー・出力に加え、爆発的な瞬間出力が売りのシンフォギアだ。

 それを分かっているのか、ディアブロは突き出された槍を飛び越えるように、奏の頭上を越えるコースで跳び上がる。

 突き出された槍はディアブロには当たらず、その攻撃は無意味に終わった……かに、見えた。

 

「!」

 

 ディアブロが飛び上がった先、奏の頭上には先客が居た。

 奏の両肩に手を乗せ逆立ち、『逆羅刹』の姿勢を取っていた翼である。

 宙に浮き上がったディアブロに向け、翼は奏の肩を土台にして高速回転。

 それと同時に両足に付随する刀剣を形成・延長し、ディアブロに回転斬撃を叩き込んでいた。

 

(……!)

 

 過剰に前に出て、敵の攻撃と隙を誘発し、攻撃を受ける役目のゼファー。

 そんなゼファーをカバーしつつ、反撃も行う奏と翼。

 ディアブロは彼らのコンビネーションを高く評価し、じっと見つめた。

 対し翼は、逆羅刹にてディアブロを蹴り飛ばしたものの、着地と同時に足の痛みに顔を顰める。

 

(剣の内、足の部分を受けられた……!)

 

 翼は現段階では、シンフォギアの方向性を固めきっていない。

 彼女の現段階のメインの技は蒼ノ一閃。

 そして逆立ちしての回転蹴撃である逆羅刹の威力が増減するため、変身の度に両足に武器となる剣を常時形成するか、攻撃時のみ形成するスタイルかを選んでいた。

 その理由は常時形成はエネルギーを食うからだが、翼はこれからはずっと常時形成を維持しようと心に決める。

 まさか両足に剣を形成する一瞬のタイミングで接近され、剣よりもっと内側の翼の足部分にディアブロが腕を叩き付けてきて、防御と攻撃を同時にやってくるなどとは思いもしなかった。

 

 剣ではなく足を防御したため、ディアブロはほぼ無傷。

 対し翼は瞬時に足回りのバリアコーティングを強めて防御したものの、少し痛みが残っていた。

 蹴り飛ばされていたゼファーが二人に合流し、翼と奏は歌を一旦中断して、離した間合いを保ちつつ、勝つための話し合いを始める。

 

「気付いてるか、ツバサ、カナデさん」

 

「ええ」

 

「舐められてるみたいだな、あたしら」

 

 たとえ喜ばしい情報はほぼなく、舌打ちしたくなる情報ばかりだったとしても、だ。

 

「こいつ、ゴーレム固有の特殊能力を一切見せてない……!」

 

 真紅の暴風、ディアブロもゴーレム特有の特殊能力を持っていることは確定だ。

 ゼファーは光の速度で動くルシファア、氷を操るリリティアの力をその目で見ている。

 なればこそ、その二体に匹敵ないし次ぐ力があるはずなのだ。このゴーレムには。

 なのに、ディアブロはそれを一切使って来ない。

 それが何とも不気味だった。

 考えてもその答えが出ないために、奏は直感持ちのゼファーに問いかける。

 

「どう思う、ゼファー?」

 

「……あのゴーレム、さっきから技を見せるたびにじっと見てる。まさかとは、思うけど……」

 

 踏み込んで来るディアブロ。

 受けの姿勢を取るゼファーと、カウンターの構えを取る奏と翼。

 ディアブロが攻撃してくるのは予想通り。

 だが予想通りでなかったのは、ディアブロが先程ゼファーが使ったカカト落としを、そこそこの再現度で放って来たということだった。

 高度な見よう見まねで放たれたそれは、ゴーレムの体重により威力を増してゼファーに迫る。

 自分の技を自分で受けるという皮肉にゼファーは舌打ちしつつ、頭上で腕をクロスし受け止め、自分の足が足首まで地面にめり込むのを感じた。

 

「こいつ……俺達を追い詰めて技を全部学習してから、なぶり殺しにする気だ!」

 

「ああ、そうかい、どうりで強いわけだ! どうりで能力を使ってこないわけだ!」

 

 ゼファーにカカト落としを見舞ったディアブロに対し、翼は跳び上がってその首を跳ねる斬撃を放ち、奏はシンプルに腰辺りを突く刺突を放った。

 首と腰を狙う二つの刃。

 ディアブロはナイトブレイザーの体を蹴り、その反動で僅かに空中を移動。

 すると、ディアブロの体の位置が絶妙な位置に収まった。

 ディアブロの腹の上を翼の斬撃が素通りし、ディアブロの背の下を奏の槍が素通りする。

 

 そうして二人の攻撃をするりと避けて、ひらりと体勢を立て直し、すたっと華麗に距離を取りつつ再度構える。

 真紅の身体を翻し、暴風のように攻め立てて、迎撃しても風を叩くような手応えしか残らない。

 真紅の暴風の名に相応しい、悪魔(ディアブロ)のごとき立ち回りであった。

 

「……っ、強い!」

 

「どうしたもんかな……」

 

『こちら藤尭、敵分析完了! 分かる範囲の情報をそっちにこれから口頭で伝えるよ!』

 

「! いいタイミングです、サクヤさん!」

 

 朔也から伝えられたデータは、ゼファーの推測が正しかったという証明でもあった。

 推定最大出力値はリリティアよりやや高いが、それを機体の稼働に回しているため、能力そのものの脅威度はリリティアより低く見ていい、とのこと。

 技は見れば見るほど再現度が上がり、一回だけでも劣化コピーは出来るらしい。

 携帯できる観測機から得られた情報だけで、これほどの分析ができるのは流石としか言いようがない。藤尭朔也というブレインは、すっかりこのチームに必要不可欠な存在となっていた。

 

「長期戦は……マズいか?」

 

「私は敵が能力を使って来ない内に片付けるべきだと思う。防御力もそう高くはなさそうだし」

 

「あたしも長引いてパクリ野郎に真似されるのはゴメンだな」

 

 少年少女達の考える方策は短期決戦。

 敵が余計なことをしない内に、敵がこれ以上強くならない内に、敵が全力を出していない内に倒してしまおう、という考えだ。

 それ自体は何も間違ってはいない。

 が、頭脳担当の朔也には、三人とは別のものが見えていた。

 

『聖遺物だけかっさらってまともには戦わないってのはどうかな?

 周囲に被害を与えてるようにも見えないし、風鳴司令を呼び出して任せて倒してもらおう』

 

「えっ」

「えっ」

「えっ」

 

 だからこういう発想が出て来る。

 

「ここと二課本部間は距離40kmも無いから、名案なのか……?」

 

 忘れてはならない。

 この敵はノイズでも何でもないし、ノイズでないのなら二課の指揮系統が一時的に本来の機能を果たさなくとも問題はないし、この位置なら二課本部との往復にもそこまで時間はかからない。

 時間経過で周囲に多大な被害を出すような敵でないのなら、それが許される。

 炭素転換を使えない敵、それも近場に居る敵ならば弦十郎が助走つけてワンパンで殴り倒し、さっさと二課本部に帰っていけば誰にも迷惑はかからないのだ。

 聖遺物を取られないよう確保しておけばなお隙はない。

 弦十郎召喚攻撃作戦の唯一の不安は、三人がディアブロに強行突破され、聖遺物を持ち逃げされることだけだ。

 

「ゲンさんなら……」

「叔父様なら……」

「弦十郎の旦那なら……」

 

 うん、楽勝。と三人は声を揃えて言った。

 

「それで行きましょう、サクヤさん」

 

『油断せずに行こう。翼ちゃん、しんがりを頼めるかな?

 先史文明の知識が多少なりとある奏ちゃんとゼファー君を行かせたいんだ』

 

「分かりました」

 

『ゼファー君と奏ちゃんは出来る限り急いで遺跡最深部の聖遺物を確保。

 ナイトブレイザーの腕だと聖遺物が持てないから、奏ちゃんの速度に合わせてね』

 

「了解です!」

「あたしらの電光石火っぷりにビビんなよ?」

 

 ディアブロは"技を学ぶ"過程の間は、全力を出してこない。

 そして聖遺物の確保には、先史文明の知識を持つ人間が効果的だ。

 三人の中で最も多彩かつ高等な技を持つ翼をディアブロに当て、聖遺物の確保に罠避けの直感と了子直伝の知識を持つゼファー、考古学者の両親とそれなりの知識を持つ奏を当てる。

 朔也も遺跡探索と地上の戦闘のサポートの二足のわらじとなるが、全員がここで全力を尽くさなければ後が厳しい。

 

「ツバサ、ここは任せた!」

 

「三分以内に帰って来るからさ。気張れよ、翼!」

 

「ええ。二人も気を付けて」

 

 一刻も早く戻らなければ。

 そう考えながら、ゼファーと奏は遺跡の中に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディアブロは先史文明期にて、剣の英雄ロディの八人の仲間の一人、弓神ウルの相棒として名を馳せたゴーレムである。

 フレームレベルでの見直しと改造を繰り返し、ウル専用にカスタマイズされた一品物だ。

 当然、その戦闘能力はウルの欠点を埋めるためだけに特化している。

 ウルは聖遺物イチイバルを用いる遠距離火力型の戦士であり、ディアブロはイチイバルの弱点である近接戦闘技能を埋めるため、その格闘能力を存分に伸ばされた。

 

 求められたのは高い戦闘技能と、敵を倒せずとも寄せ付けない圧倒的技量。

 そのために付けられたのが、学習機能と学習用行動パターンである。

 先史の時代、無価値に人を傷付けることを嫌ったウルは、暴徒となった民衆を取り押さえるためか、あるいはロードブレイザーを倒すためだけにしか戦わない男であった。

 そのため、今発覚しているような『初めて戦う相手に全力を出しきれない』という、ディアブロの弱点には気付きもしなかったのだろう。

 

 しかしその分、ウルとディアブロのコンビネーションは、吟遊詩人の歌に謳われるような素晴らしいものであったという。

 ウルはイチイバルの赤色を好み、自身も赤を基調とした服装を身に纏い、ディアブロにも赤いペイントを施した。

 ディアブロは赤く塗られた体を見せつけながら、戦場を暴風のように駆け抜ける。

 つまるところ、それが『真紅の暴風』の名の由来だ。

 ディアブロの赤色は、イチイバルの赤色なのである。

 

 そんな真紅の暴風に全力を出させないまま、勝つことを彼らは望んでいた。

 既に朔也は弦十郎に連絡を取っている。

 人類最強はこちらへと向かっていて、後は到着まで聖遺物を確保しつつ逃げ回るだけだ。

 翼が持ちこたえられている間に、二人が聖遺物を確保できればそれは成される。

 

 弱い罠は全てナイトブレイザーとシンフォギアの防御力で防ぎ、遺跡を自壊させたり通路を塞いだりする罠は直感で避け、二人は一分と経たずに聖遺物の場所にまで辿り着いていた。

 

「……こいつ、時計か?」

 

「時計っぽいな。臨時呼称……ええっと、『大きなのっぽの古時計』でいいか」

 

 そこにあったのは、大きな古時計。

 一見骨董品店に並んでいるただの年代物の大時計にも見えるが、ゼファーはその時計から聖遺物特有のアウフヴァッヘン波形を感じ取っていた。

 ただの聖遺物ならばただそこにあるだけでアウフヴァッヘン波を発しはしない。

 つまりこれは、ある程度は起動状態にある完全聖遺物なのだろう。

 

(……この感じ、ギリギリか……)

 

 だが、感じられる波形が弱々しい。

 おそらくはあと十年も経てば、経年劣化で完全に機能を停止していたのだろう。

 完全聖遺物は経年劣化で聖遺物となる。

 この大時計は、もう少しで聖遺物に成り果ててしまう完全聖遺物なのだ。

 奏はこの完全聖遺物を抱えて運ぼうと、大時計をとりあえず掴もうとする。

 

「とにかく急いで……」

 

「! 触れるな!」

 

「え?」

 

 その瞬間、ゼファーは奏からシンフォニックゲインを吸い取る大時計の作動、"誰も死なないが少しマズいかもしれない"程度の危機感を直感で感じ取る。

 声を上げたがもう遅い。

 大時計は奏のシンフォギアから少々のシンフォニックゲインを吸い上げて、起動。

 目も眩むような光を発し、奏を呑み込んでいった。

 一瞬躊躇うことすらもせず、奏の手を取り共に光に飲み込まれていったゼファーも一緒に。

 

 

 

 

 

 光が消え、ゼファーと奏が目を開けると、そこは屋外だった。

 真夏の陽気と日差しがやたらめったらに暑い。

 後ろを見れば雑木林が、前を見ればなだらかな下り坂に沿って広がる町並みがある。

 

「ここは……どこだ? えっと、俺達は大時計の光に飲み込まれて、それで……」

 

「……」

 

 直感は危機を知らせていない。

 ゼファーはARMによる周囲への警戒を怠らないまま、周囲を見渡した。

 ある程度の安全を確認した後、戦闘可能時間の限界により変身を解除。

 一旦藤尭と連絡を取ろうと、ゼファーは携帯端末を取り出し、その日付を見て目を丸くした。

 

「あれ、日付が『8月32日』……?」

 

 言うまでもないが、どの月にも32日などという日付は存在しない。

 まして今日は8月でもなかったはずだ。

 壊れたんだろうかと、アンテナが一本も立っていない携帯の上部分を見て、ゼファーはポケットに仕舞い込む。

 

「……ここは……そうだ、間違いない」

 

「え? カナデさん、どうし――」

 

「あの頃の……あたしの……!」

 

「!? カナデさん!?」

 

 奏はゼファーの存在を認識しているかどうかも怪しい様子で、どこか遠くを見るような目で、シンフォギアを解除しつつ走り出す。

 その形相は必死の一言に尽きる。

 ゼファーは現状を把握しないままに走り出した奏を止めようとするが、瞬発力の差でどうしても追いつけない。何が起こるか分からないというのに、無謀が過ぎる。

 

「あそこにマンションがない……あそこの駄菓子屋がまだある……じゃあ、12年以上前だ!」

 

「カナデさん、待てってば!」

 

「じゃあ、じゃあ、じゃあ、まだ、この先に……!」

 

 ゼファーに振り向きすらせずに、奏は恐ろしい早さで吹っ飛ぶように駆け抜けて行く。

 短距離走の速度なら、奏>翼>ゼファーだ。

 我慢強さと集中力と走り込みの量の差で、長距離走ならばゼファーが一番になるのだが、こうなるとゼファーの足では追いつけないのである。

 と、思われたその瞬間。

 

「!」

 

 奏は曲がり角を前にして急ブレーキ。後から続いてくるゼファーの体を抱きとめるようにして止めて、二人で物陰に隠れるような姿勢になる。

 

「いい加減、なんで走り出したのか説明を……」

 

「シッ、喋るな。頼むから……今だけは、バレないように隠れるのを手伝ってくれ」

 

「……?」

 

 何が何だか分からないが、とりあえずは奏を信じることにしたゼファー。

 曲がり角からこっそり覗きを始めた奏に倣って、同じように曲がり角から向こう側を覗く。

 すると、小さな女の子と、その両隣でその手を握っている両親が見えた。

 三人で手を繋いだまま歩く光景は微笑ましく、仲睦まじい家族であることが見て取れた。

 

 そこで、ゼファーは気付く。

 小さな女の子は奏に似ていて、母であろう大人の女性は奏にそっくりで、父であろう男性は目元などが奏に似ているのだ。

 

「父さん……母さん……」

 

「え?」

 

「見間違えるもんか……あたしが見間違えるもんか……!」

 

 奏は自分が隠れている曲がり角の塀を掴むと、込めた握力でそこからミシリと音を立てる。

 

「あたしと、妹の愛歌を守るためにノイズに殺された、父さんと母さんだ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神の奇跡か、悪魔の悪戯としか思えない邂逅。それから二日が経った。

 

「この世界に来てから時間経ち過ぎだけど、翼の方は大丈夫かね……」

 

「ああ、それは大丈夫。俺が体内時計加速能力(アクセラレイター)を使ってるのは知ってるよな?」

 

「そりゃもう」

 

「俺の体内時計がズレてる。

 俺達、この世界で真っ当に時間が流れてる存在じゃないみたいだ。

 この感じだと、おそらく向こうはまだ30秒も経ってないと思う」

 

「まあ、一日が終わると同時に一年の時間がかっ飛んでて、まともなわけないか」

 

 二日間ゼファーがしたことと言えば、何度も暴走しかけた奏を取り押さえて説得すること、この世界が何なのか確かめること、この世界で生きるために衣食住を確保すること。

 一日だけ部屋を借りられるウィークリーマンションを拠点に選び、ゼファーは服を買ったり材料を買って食事を作ったり、地道な調査や検証を重ねたりと大忙しだった。

 ゼファーはこっそり心中で生活力をくれた二課の大人勢、調査力をくれた聖遺物捜索班や本部研究班に感謝しつつ、手足を走らせる。

 その甲斐あってか、ある程度この『大時計が自分達を飛ばした過去の世界』の特性が理解できるようになっていた。

 

「分かったことはあと五つ。

 ここは紛れもなく俺達の世界の過去であり、作り物でもなんでもないこと。

 俺達の目には日付だけが『8月32日』に見えること。それは他の人には認識できないこと。

 一日が終わると、次の年の『8月32日』に移ること。

 この世界で俺達に出来ることには制限があること。

 そして、最後に」

 

 ゼファーが窓の外を見れば、そこにはカンカン照りの猛暑の世界が広がっていた。

 

「俺達が現状渡ってる過去は、カナデさんの過去の『夏』だけだってこと」

 

 ここは十年以上昔に、天羽奏が過ごした夏の世界。

 それもゼファー達が生きていた未来に繋がる、過去の世界そのものだった。

 今は6月末かも知れない。7月半ばかもしれない。夏の終わりかもしれない。

 されど日付は変わらず『8月32日』と表示されていて、彼らがまだあの大時計の聖遺物の力の干渉下にあるのだと、彼らに見せつけているかのようだった。

 

「……なあ」

 

 過去の世界。

 そう言われれば、平和と幸福だけを知り健やかに育った子供でもなければ、誰もが思うことがある。大切な人と無慈悲に死に別れた者が、誰しも思うことがある。

 "もしも、あの時"。

 ゼファーも奏も、何度そう思ったことか。数えきれないほどに、そう思ってきた。

 

「そのさ、もしあたしらがここで、誰かが死ぬ場面に介入して、死なせないようにしてさ……

 そうやって生かせば、過去と未来は変わるんじゃないか?

 お前にだって、あたしにだって……死んで欲しくなかったやつはいるだろ?」

 

 奏の言葉は彼女にしては弱々しく、僅かな望みをかけた懇願のような響があって、ありもしない希望にすがりつくような、溺れる者が藁を掴んでいるかのような哀れさがあった。

 ゼファーは閉じた口の内で歯を食いしばり、ほとんど誰にも理解されない、泣かない泣きそうな顔をして、絞り出すような声で答える。

 

「……ああ、居るよ。居た。死んで欲しくなかったんだ。本当に……」

 

 彼の脳裏に移る人影。

 その姿が、彼の胸の内をきゅっと締め上げる。

 彼だって、叶うなら……彼女らを救いたい。救いたいに決まってる。

 自分を守って死んだ大切な人も、その手で殺した大切な人も居たのだから。

 

「なら」

 

「だけど、無理なんだ」

 

 もしも、この過去の世界に希望が残っていたならば。

 ゼファーとて、奏のすがるような思いを否定しなくとも済んだだろうに。

 

「俺達、最初携帯端末の電子マネーも使えなかったよな?」

 

「ああ」

 

「俺は今、『現代に戻ったら今回使用した分の金銭データの動きを二課に消してもらおう』

 って思ってる。上辺だけで考えてるんじゃなくて、これは実際に実行するであろうことだ」

 

「……うん?」

 

「そうしたら俺達はすぐ携帯端末の電子マネーが使えるようになった。たぶん、そういうことだ」

 

 この世界において電子マネーで全ての買い物ができるようになったのは、十何年も前のことだ。

 当然、過去のこの時系列でも携帯端末の中のお金は使うことができる。

 ……はずだったのだが、何故か何度やっても電子マネーを使うことはできなかった。

 認証をしようとしても、リーダーが反応しなかったのだ、

 

 ところがゼファーが仮説を立て、『後でこの時代で使った金の動きの痕跡を消す』と強く決意してから金を使うと、いとも容易く使うことが可能となった。

 ゼファーは自分の立てた仮説が、実証されたことを確信する。

 要するに大切なのは、"時系列に矛盾を生じさせない"ことだったのだと。

 

「俺達は『過去にありえた範囲』で過去に介入できるんだ。

 あくまで、ありえた範囲。俺達の現実に矛盾が出る形には出来ないし、ならない。

 逆に言えば未来に辻褄が合う形であるならば、何を変えることだって出来る」

 

 例えば奏の過去の中で、奏の背後で未来のゼファーが何かをしていても、奏がゼファーを認識しなければ時系列に矛盾は生じない。

 シュレディンガーの猫の理屈だ。

 開けていない箱の中で猫が死んでいようと、未来から来た猫が寝転がっていようと、猫が超進化して化け物になっていようと、そこに矛盾は生じない。

 そこには無限の可能性が存在するからだ。

 ゆえに、『過去にその場所でそういうことがあったとしても世界は矛盾しない』という範囲の中でのみ、彼らは行動を許されるのである。

 

 例えば今の奏が昔の奏に会い、自分が未来から来たことを教えることはできない。

 昔の奏には未来の自分と会った記憶などないからだ。

 そのため、今の奏が昔の奏に会おうとしても、様々な要因が働いて、結局会うことはできないはずだ。

 

 今のゼファーと奏が誰かに会ったとしても、それは彼らの未来に続く過去の中で本当にあったことでしかなく、未来と過去は変わらないまま矛盾しない。

 過去か未来を変えようとしても、確定された運命がそれを阻んでしまう。

 それゆえ何も変わらない。

 時間軸の変動性を固定し、確定された過去と未来の因果律の川を上り下りする聖遺物。

 それが、仮称『大きなのっぽの古時計』という完全聖遺物の持つ力だったのだろう。

 

 この聖遺物は、過去も未来も変えられない。

 

「だから、誰かに目撃された人の死は変えられない」

 

「―――っ」

 

 だから、ゼファーと奏に変えたい過去があろうとも、それは絶対に変えられない。

 奏は俯き、無言で部屋を出て行った。

 ゼファーは片手で顔を覆い、部屋で一人何かを堪えるように歯を食いしばる。

 

(……変えられない……変えられない……)

 

 奏はふらふらと街を彷徨い、やがて幸か不幸か二人揃って公園のベンチで笑い合う、天羽夫妻の姿を目に入れてしまった。

 

「―――」

 

 奏は木陰に隠れながら、もう二度と会えないだろうと思っていた二人の笑顔に、その幸せそうな様子に、胸の奥からこみ上げてくるものを抑えることが出来なかった。

 次第に、その瞳から涙が溢れる。

 奏は知っているからだ。

 この幸せな時間が長く続く物ではなく、いずれ壊されてしまう物なのだと知っているからだ。

 

「父さん……母さん……」

 

 奏は目元をごしごしと拭うが、溢れる涙は止まらない。

 ゼファーの言が本当であることなど、奏はとうに理解している。

 この世界で自分がしようと思ったことが『偶然』でことごとく達成できなかった時点で、奏は自分が過去と未来を変えられないことをちゃんと分かっているのだ。

 それでも、納得はできない。

 愛した父と母の死の運命が覆せない。

 今、そこに生きているのに。走って行けば抱き締められそうな距離にいるのに。

 

 救うために手を伸ばそうとすれば、その距離は宇宙の果てよりも遠くなってしまう。

 

「なんで……なんでなんだよ……そんなのないよ……!」

 

 天羽奏は、ただ涙を流す。

 救いたい。救えない。両親は。

 もう会えない。けれど会えた。両親と。

 愛していた。愛している。両親を。

 

 無情な現実(かこ)を突き付けられ、奏は人生の分岐点へと立たされていた。

 

 

 


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