戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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シンフォギア新作の効果で結局一週間毎日更新ができたという奇跡


4

 彼女に無理はさせないようにする、と朔也はゼファーに約束した。

 その結果がこれだ。

 

「待つんだ翼ちゃん!」

 

「いいえ、これ以外に方法はありません」

 

 シンフォギアを展開した翼が断じる。

 彼女を止めようとする朔也だが、厚着をしていてもまともに体が動かないほどの冷気のせいで、彼女を止めることもできない。

 

「このままでは近辺に凍死者が出ます。私が行くしかありません」

 

 翼の視線の先には、悠然と立つゴーレム・リリティア。

 大きさは8mほど、重さは推定で30tほどだろうか?

 無機物でありながらその素体は美しい女性の裸体のような扇情的な曲線を描き、けれどところどころの造形が清楚な聖女のような雰囲気を思わせる。

 それに加え、ガラスのように透き通った透明な円がいくつも身体に装着されていた。

 円の外側がリリティアの身体に付いているものもあれば、円の中央をリリティアの胴体が貫いているものもある。

 美しい女性の容姿に、幻想的な造形をした美しい透明の円がいくつも重なるその姿は、とてもこの世のものとは思えない。まさに、氷の女王の名に相応しいものだった。

 

 このゴーレムの影響で、周辺一帯の気温は急激に下がりつつあった。

 季節はそろそろ初夏だというのに、気温は既に氷点下。

 このまま行けば気温は-10℃、-20℃と洒落にならない域に入っていくだろう。

 二課の人員にだって半袖の者も居たというのに、一般市民の被害を考えれば大変なことになる。

 

 ましてこの気温低下だ。

 『領域』単位で発動するものらしく、大気の温度を下げるだけではなく、服の内側や肺の中の空気にまで多少なりと干渉して冷却し、僅かではあるが人体の体温を直接下げているフシすらある。

 このまま温度低下が過剰になっていけばどうなるか?

 考えるまでもない。

 体温を直接下げられ、"ストーブの前で凍死する"人間が続出するだろう。

 

「先の戦闘で動きは読めました。

 このゴーレム、何故か私を捕らえようとして居るようです。

 それでいて……私以外の何かを待っている。だから、わざと捕まってみようと思います。

 捕まった上でギアの出力を上げて抵抗すれば……

 私を捕まえ続けるために、この敵は出力を気温低下ではなく、私の方に回さざるをえない」

 

「危険過ぎる! 君がどうなるか――!」

 

「やるしかありません。

 普通に戦ってこちらに意識と出力を向けさせようとしても、多分私が保ちませんから」

 

 翼は頬の切り傷から流れる血を、グッと親指で拭う。

 見れば、翼の身体には3~4箇所の切り傷ができていた。

 彼我の戦力差は明白。翼が見抜いたこの敵の強さは、ゼファー・翼・奏の三人が揃っていなければまず倒せはしないという、恐るべきものだった。

 加え、聖遺物の加護がなければ人間が長時間動けないであろうこの冷気。

 時間を稼いでゼファーが来るのを待つ以外に、彼女に手はない。

 

 日本では年間70人以上の凍死者が出ていると言われている。

 四季という寒さの分かりやすい判断基準があり、施設や国柄のおかげで凍死者が出にくい日本ですらそうなのだ。寒さは容易に人を殺してしまう。

 季節外れの寒波なら、その脅威は指数関数的に上昇するだろう。時間は有限だった。

 翼は待たなければならない。

 だが、そう長くも待てない。

 綱渡りのような選択だった。

 

「それに、ゼファーが来ても私の方に体力が残っていなければきっと勝てません。

 捕まっているだけならば、ゴーレムに負荷をかけるのはギアの出力のみで可能です」

 

「……ッ」

 

 翼の主張は、翼にふりかかる危険を度外視すれば極めて正論だ。

 ゴーレムに捕まり、捕まった上でギアの出力のみで抵抗、体力を温存しつつこれ以上温度低下が進まないように敵の処理容量に負荷をかける。

 死者を出さないという目的を貫くならば、これ以外の選択肢は存在しない。

 

「だけど、俺はゼファー君と約束したんだ。君に無理はさせないって!」

 

「……すみません、藤尭さん。

 ですが、同じ状況になれば彼だってきっとこうするはずです」

 

 シンフォギアの出力を最大に、限界ギリギリの速度を叩き出し、翼は駆ける。

 背後から飛んで来る朔也の静止の声すらも、彼女を止めるには至らない。

 

「誰も死なせたくはない。誰もそんなことは望んでいない。……心は一つのはずだから!」

 

 氷の棺が自分を包み込むのを見ながら、翼は怖気の走る美しさを誇る氷の女王を見据え、確りと友の来訪を待つ決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十九話:なおも剣風吹き荒ぶ 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況はあまりよろしくない。

 二課の計測によれば、翼達がいるであろう現地の気温が、気象が原因だとすれば異常なほどに急激に、人が原因だとすれば異常なほどに広範囲に変動しているのだという。

 中心地は既に-10℃にまで達している。

 だが、朔也の通信が届いた頃くらいから気温の変化は停止しており、今のところはこれ以上低下することはないだろう、と推測されている。

 

 問題なのは、現地と一切の通信が取れなくなっていることだ。

 天戸の部隊、甲斐名の部隊、翼、朔也、誰とも連絡がつかないのである。

 二課司令部の何人かは既に『最悪』の可能性を考えていた。

 加え、現地にて停電などの問題がぽつりぽつりと報告されている。

 既に特異災害用の避難マニュアルに従い避難が開始され、体育館などで灯油ストーブ等を用いた対策が取られているが、これがゴーレムの仕業であるならば悠長なことはしていられない。

 

 さらに、奏も間が悪くノイズの出現により出撃中だった。

 ゼファーに運が無いのか、ゼファー達に運が無いのかは定かではないが、ここに来てノイズと戦えるのが片手ほども居ないという問題点が浮き彫りになってくる。

 まるでゼファーの味方を減らしつつ、ゼファーとゴーレムを一対一で戦わせたい黒幕が居るかのような、そんな想像をしてしまうほどの巡り合わせの悪さだ。

 

「……さ、寒い……!」

 

 ゼファーの愛機ジャベリンは、ロシアの凍土でもトラブルを起こさない耐熱耐冷性能を備えている。気温が下がろうともそうそう不具合は起こすまい。

 だが、ゼファーの体の方が危険域に入ってしまいそうになっていた。

 引っ掛けてきた防弾服を上に来ているというのに寒い。

 再生能力で体の異常を消す肉体があるというのに手がかじかむ。

 これではバイクはもちろんのこと、暖房を入れた車ですら運転が難しいのではないか、と思わせるほどの途轍もない冷気。

 

 ゼファーも彼の特殊な肉体と、念のために着てきた上着と、響と未来の温かい気持ちが詰まった黒い手袋がなければバイクを運転することなどできなかっただろう。

 

『こちら二課作戦発令所。ゼファー君、通信はまだ繋がらないわ』

 

「……ありがとうございます、アオイさん。引き続き通信を続けてください」

 

『―――了―――解―――』

 

「アオイさん? アオイさん、聞こえますか?」

 

 そして現地に近付くにつれ通信の調子が悪くなり、ついには聞こえなくなってしまった。

 翼達からの連絡が届かなくなった原因も、おそらくは『これ』だろう。

 ゼファーはバイクを走らせつつ、通信妨害の可能性を考えながら、直感(ARM)を用いて周囲にアウフヴァッヘン波を照射する。

 返って来た波動の波形を感覚的に分析してみれば、驚愕と戦慄がゼファーの脳裏に走った。

 

「これは……妨害じゃなくて……電波が、喰われてる……!?」

 

 次々返って来るアウフヴァッヘン波は、この周辺の温度が、電気が、電波が、『エネルギー』のあるものが片っ端から"喰われているような"イメージを彼の脳裏に映し出す。

 まるで彼がかつて戦った暴食のネフィリムのような行動原理だ。

 事実、彼の頭の中にはネフィリムに近い恐ろしい化物の姿をした敵の想像図が浮かび上がっている。エネルギーを求めてエネルギーを吐き出すネフィリムと、エネルギーを略奪しているこの敵は正反対である、とも想像してはいるのだが。

 

(しかも……なんだ、この光景)

 

 空は快晴。雲一つない青空が広がっている。

 だのに道に見える植物は片っ端から凍り付いていて、ゼファーの視界の端には凍った死体と化した犬が転がっており、水瓶の中身は完全に凍りきっていた。

 暖かな太陽光はちゃんと降り注いでいる。

 なのに陽光が与えてくれた熱が片っ端から奪われていて、地上は全く暖まっていない。

 晴れ晴れとした空の太陽光の強さ、温暖な国特有の景色に、異常な気温低下が合わさることで、どこか不揃いで気持ちの悪い光景が出来上がってしまっていた。

 ゼファーはそんな風景の中、バイクを全速で走らせる。

 

「! サクヤさん!」

 

「……! 来たか、ゼファー君!」

 

 そして山の入口で、ようやく朔也と合流することができた。

 

「こっちはどうなってますか!?」

 

「移動しながら説明する! 付いて来てくれ!」

 

 バイクを降りて、ゼファーは完全に凍結しバイクがスリップしかねない山の大地に足をつける。

 そして朔也の後に続いて、山を登って行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人が辿り着いたのは、小山の中腹だった。

 反対側の小山の中腹を眺められる、そういう位置にありつつも、木々に隠された絶好の位置。

 朔也はそこに辿り着くまでの間に、ゼファーに全ての説明を済ませていた。

 

「その時俺は居なかったんだけど、最初は天戸先輩の部隊が攻撃を仕掛けたらしいんだ。

 バズーカや銃弾をたくさん撃ち込んだけど、どうにもならなかったらしい」

 

 翼達が辿り着く前に、既に戦闘は始まっていた。

 しかし、朔也曰く決着はすぐに付いてしまったらしい。

 

「でもものの数分で気温の急激な低下が始まって、皆銃も握れなくなったんだそうだ。

 そこから撤退しようとしたんだけど、低温で車が故障して立ち往生してしまったらしい。

 彼らはなんとか車の中に立てこもって、暖を取りつつリリティアのデータを集め始めた」

 

 そこで翼、藤尭、甲斐名達聖遺物捜索班が到着。

 

「僕らは到着して、三手に分かれた。

 これ以上の気温低下を防ぐため、リリティアに挑んだ翼ちゃん。

 彼女をバックアップするために後方から分析していた俺。

 そして天戸先輩達の救出と撤退支援をする甲斐名先輩達のチーム」

 

 最初は上手く行っていたのだ。

 翼は天戸達の救出を援護するため注意を引き、朔也はリリティアの物理戦闘データや総出力などのデータを恐るべき分析速度で叩き出し、甲斐名達は救出を成功させていた。

 

「見えるかい? 向こうの山の中腹にリリティア。

 その更に向こうの山の山頂には天戸先輩や甲斐名先輩達が居るのがさ」

 

「あ、本当だ」

 

 朔也が手渡してきた双眼鏡を使ってみれば、確かに向かいの山の半ばほどの位置で冷気を発しているリリティアが見え、その更に向こうの山で防寒陣地を作りつつ観測データを収集している男たちの姿が見える。

 逃げればいいのに、こうして後に続く者達、これから先戦うであろう少年少女達のためにデータを集め、後方支援をしている朔也の下にデータを送り続けているのだ。

 

「そして、翼ちゃんは……」

 

「いいです、サクヤさん」

 

「え?」

 

「半分勘、半分付き合いの長さから来る推測ですけど……分かりますから」

 

 双眼鏡を覗くゼファーの視線の先には、リリティアの隣に浮かぶ氷の棺。

 理屈ではない。直感だ。彼は直感で、そこに彼女が閉じ込められているのだと理解した。

 おそらくは中でギアをフル稼働させ、抵抗を続けているのだろう。

 気温の低下が止まっているのがその証だ。

 ゼファーの知る風鳴翼という少女ならば、そういう選択を選ぶ。そういう選択を選ばなければ、ああはならない。彼はひと目で、ここまでの経緯を理解していた。

 

「行きます。サクヤさん、バックアップを」

 

「第一目標は翼ちゃんの救出。その後二人の連携で撃破、って形でいいんだよね?」

 

「はい。どうにも、俺一人で勝てる相手じゃなさそうですから」

 

 ゼファーは一歩踏み出し、朔也に背を向けリリティアを睨む。

 深呼吸一つ。しかし息はこの極限の低音の中、気温相応に白くはならなかった。

 もはやこの辺り一帯の大気中の水分やチリなど、氷の生成に使えるものは片っ端から略奪されており、息が白くなる要素がないほどに透き通った空気が行き渡っているのである。

 氷の攻撃に気を付けろ、と、男達は貴重な情報を残してくれた。

 彼らの頑張りにも応えなければと、ゼファーは奮い立つ。

 

「さあ、勝負だ。アクセスッ!」

 

 人の身を銀の光が包み込み、彼は跳ぶ。

 銀の光の中から紅き焔が飛び出して、リリティアへと飛んで行く。

 紅き焔の中から黒い鎧が跳び出して、リリティアの前に舞い降りた。

 所要時間一秒未満。

 ただの一瞬で終わった変身により、戦う姿へと変わったゼファーは氷の女王に拳を向ける。

 

「悪いが、その子はまだデビュー前の大切な身だ」

 

 焔の黒騎士VS氷の女王。

 炎熱VS氷結。

 加速VS停止。

 生物VS機械。

 男VS女。

 相反する二つが相対する。

 

「……返してもらうぞッ!」

 

 対極の者同士がぶつかり合う戦いのゴングが、今打ち鳴らされた。

 

(まずは小手調べだッ!)

 

 ナイトブレイザーは胸の前で両の手の平を打ち合わせ、左右に開いた。

 打ち合わせた手と手の間には火花が散り、火花は一瞬で焔の槍となる。

 そして音速を超える速度、戦車をも貫く威力をもって放たれた。

 

「―――」

 

 リリティアは無言、無音、されど微かに意思を感じさせる音を出す。

 そして手を掲げ、氷の槍を生み出した。

 どこからともなく現れた氷の槍は焔の槍と真正面からぶつかり、互いに相殺されていく。

 蒸発させられた氷は白い気体を生み出し、霧のように両者の視界から両者の姿を隠してしまう。

 

「アクセラレイター!」

 

 それを、ゼファーは好機と捉えた。

 すかさず加速能力を発動。リリティアを中心とした円を描くように回り込み、右拳に焔を握り込む。そしてリリティアの側面を取ったと同時に、その拳を振るった。

 握り込まれた焔は拳の形に沿って、速さと破壊力を両立した焔の拳となって飛んで行く。

 だがそれも、リリティアが自分の横に発生させた氷の壁により遮られてしまった。

 

(! これは……いや、もう一度!)

 

 ゼファーは引き続き、リリティアを中心とした円を描くようにその周囲をグルグルと回り、常にその横か背後を取ろうと立ち回り続ける。

 その手からは絶え間なく焔が放たれ続けていた。

 時にリリティアに、時に翼を捕らえている氷の棺へと焔は飛んで行く。

 しからばリリティアは全てを防ぎ続けるしかない。

 だが、ゼファーの狙いは円の動きでリリティアを翻弄しつつ、リリティアと氷の棺への同時攻撃で防御の集中を散らすことではない。

 

「決まれッ!」

 

 ゼファーが号令をかけたその瞬間、リリティアを囲むよう四方八方から焔の矢が飛んで来た。

 一方向への防御や迎撃では防げない、包囲攻撃である。

 どうやってこんなことを? と聞けば、返って来る解答は至極単純明快だ。

 ゼファーはリリティアの周囲をグルグルと回りながら、足裏を使って地面に水を染み込ませるように、地面に円を描くように焔を染み込ませていたのだ。

 そうして攻撃の際に一斉起動させれば、リリティアを包囲する焔の飽和攻撃が完成する。

 ゼファーの得意とする小細工はここでも光り、予想外の奇襲を成立させていた。

 

「―――」

 

 だが、リリティアには届かない。

 ゼファーは仮面の下で驚愕の表情を浮かべた。

 リリティアはいともたやすく焔を防いだ。

 それがその攻防の結果であり、彼らの目の前に現れた光景である。

 

 氷の女王に迫っていた焔の矢は、それら全てがリリティアの周囲で停止させられていた。

 そして力なく、その場で地に落ちていく。

 焔の矢が全て落ちたと同時に、リリティアは跳んだ。

 その跳躍は速くも高くもなかったが、30tはあろうかという巨体がこちらを踏み潰しにかかって来たことで、ゼファーは慌てて後方宙返りで20mほど後退する。

 

「っ! 危ねッ」

 

 その巨体が跳べば、当然地面も揺れる。

 踏み潰されれば必然無事では居られない。

 通信機の向こうから、慌てた仲間達の声も聞こえて来た。

 ゼファーはリリティアの次の動きを警戒しつつ、リリティアが先程まで居た場所の付近に目をやった。

 

 最初の焔の槍と氷の槍の激突の際、飛び散った焔。

 ゼファーが放ち、リリティアに止められた焔の矢。

 それら全てが地面に落ち、ロクに動くことも燃やすこともできないまま、陸に打ち上げられた魚のようにピクピクと蠢いていた。

 

(……やっぱり、こいつの能力は)

 

 ゼファーは先にこのリリティアと戦っていた仲間達から貰った情報を参考に、地面に落ちていた拳大の石を拾い、焔を纏わせる。

 そして、投げた。

 ナイトブレイザーの全力投球ならば、その速度はゆうに300km/hを超える。

 テレビを真正面からぶち抜いて大穴を開ける威力と速度があるだろう。

 

 放たれた一撃を、飛んで来る焔の石を、リリティアはじっと見て。

 その石に内包された『熱エネルギー』を、『運動エネルギー』を略奪し、その一撃を止めた。

 熱を奪われれば焔は弱る。動くためのエネルギーすら奪われてただ痙攣する。

 そして石も飛ぶための力を失い、ポトリと落ちた。

 

「予想は大当たりか」

 

 仲間達の集めてくれた情報のおかげか、ゼファーはこの短い攻防で八体のゴーレムがそれぞれ持つ固有能力……リリティアの持つ固有能力を、見抜いていた。

 

「お前の能力は『熱の略奪』。それも……かなり広い範囲で有効な、規格外のそれだ」

 

 ゼファーが走る。

 リリティアが放った氷の槍が迫って来ていたからだ。

 だが、遅い。加速能力を使っているというのに、ひどく遅い。

 ゼファーは二倍速にまで加速しているのだが、自身の『運動エネルギー』を奪われた結果、そのスピードすら奪われてしまっていた。

 

「ッ!」

 

 ナイトブレイザーの足に氷の槍が当たり、ダメージを与える。

 どうやらこの『略奪』はリリティアに近ければ近いほど効果が増すようで、離れたナイトブレイザーの速度は少しづつ元に戻り始めていた。

 

(……ツバサが単独勝利を諦めるわけだ。ツバサとじゃ相性が悪すぎる……!)

 

 リリティアの属性は『氷』。

 先史の時代のゴーレムの内、現代に残っている可能性が高いという八体のゴーレムはそれぞれの属性を持ち、属性に沿った能力を持っているのだ。

 

 物質には固体、液体、気体の三態が存在する。

 それは要するに、各状態における分子がどれほど熱を持っているかということであり、分子がどれほど自由に動き回っているか、ということでもある。

 リリティアはこの二つを"奪う"。

 すなわち『物質の熱』と『物質の動き』の二つは、このゴーレムの前でその存在を許されない。

 

 バリアコーティングで冷気を防げるとはいえ、接近戦特化の翼はさぞ苦戦を強いられただろう。

 剣を飛ばせば届く前に落とされる。

 蒼ノ一閃ならば飛ぶ力を奪われた後、光刃がエネルギーを失ってほどけてしまう。

 接近して切り結ぼうにも、身体の運動エネルギーを奪われてやられてしまうに違いない。

 このゴーレムを攻略するには、極大威力の物理攻撃か、熱を余り使わない極大威力のエネルギー攻撃のどちらかしかない。

 つまり、天羽奏が一番相性良く戦える相手であった。

 

(……俺がもう少し、この焔を上手く扱えていれば)

 

 ゼファーはリリティアから距離を取り、自分の腕、正確にはその腕に纏わり付く焔を見つめる。

 顕熱や潜熱の概念を用いて熱を略奪するリリティアの氷は、純粋な加熱では溶かすことができない。それは絶対零度の亜種により生成されたもの、とさえ言えるものだ。

 だが、魔神の焔は容赦なく燃やす。

 先程も容赦なく蒸発させた。

 そもそもリリティアの手によって全ての熱を奪われたにもかかわらず、いまだ消えずにその場に残り、地面を燃やして熱を取り戻しつつある焔はかなり化け物じみている。

 リリティアが先程跳躍したのも、地面にへばりつくこの焔から逃げようとしてのことだということも想像に難くない。

 炎を殺すこの凍結の世界(フリージングゾーン)ですら、魔神の焔はかき消せないのだ。

 

 ゼファーがもっと上手くこれを扱えていれば、と思うのも無理はない。

 リリティアの装甲がどんなものかは分からないが、ゼファーは思う。

 ただの一度だけでも当てればいい。

 たった一度触れさせればいい。

 それだけでこの焔はあのゴーレムを燃やし尽くすほどに、燃え盛るだろうと。

 彼にそう確信させるほどに、この焔の焼滅力は絶対的だった。

 

『落ち着くんだゼファー君。

 翼ちゃんと戦っていた時より、確実にリリティアのスペックは落ちてる。

 リリティアの棺の中で翼ちゃんが頑張ってる証拠だ。絶えず攻め続けて、揺さぶろう』

 

 だがそこで、焦るゼファーをなだめる声がかかる。

 戦闘に支障が出るほどに焦ってはいなかったゼファーだが、通信機越しの朔也の声に少し視界が広がるような感覚を覚えた。

 少しだけ戻る冷静さ。

 一呼吸置いて、ゼファーはリリティアから距離を取りつつ、中距離から焔で攻める。

 

『リリティアは接近してきた敵の運動エネルギーを奪うことができる。

 だけどそれは長所ってわけじゃない。弱点を隠す付け焼き刃なんだ。

 分析したところ、このゴーレムの身体能力はそう高くない。

 殴り合いならおそらく通常のシンフォギアにさえ傷一つ付けられず、負けてしまうはずだ』

 

 ゼファーの耳に届くのは、数少ない情報からリリティアのスペックを分析し終えた朔也による、リリティアの弱点についての話。

 リリティアは本来近接戦闘を想定されていない機体のようだ。

 だからか、攻撃するにも防御するにも足を止めていて、どっしりとその場を動かない。

 ゼファーとの戦闘を通してリリティアが動いたのは一回のみ、それも地面をネガティブフレアによって埋め尽くされそうになった時の跳躍だけだ。

 リリティアは明らかに、体を動かすことが前提の機動戦闘を避けている。

 加え、翼のお陰でスペックや出力がだいぶ落ちているようだった。

 

『まずは翼ちゃんを救出。

 そして二人の速度で引っ掻き回して、動きが止まったらバニシングバスター!

 これで決められるはずだ。炎の技が使える君達二人は、撹乱には持って来いだからね』

 

「了解!」

 

 リリティアが氷の弾丸を生成。

 その数、実に数千。

 かつ秒間百発という連射速度に、鉄板をも撃ち抜く破壊力、超音速という速度を上乗せ。

 ダメ押しとばかりに"透き通った氷だから見えにくい"という特性まで付加された、凶悪な射撃攻撃がナイトブレイザーに向かって放たれた。

 

「しゃらくさいッ!」

 

 対するゼファーは、それを真正面から打倒する。

 触れるだけで絶対零度の氷が蒸発する焔を両腕に宿し、目にも留まらぬ速度で腕を振るう。

 腕が弾丸を弾き、焼き、溶かし、蒸発させていく。

 リリティアとナイトブレイザーの間の大気が、光を透過する氷の弾丸によって蜃気楼のように揺らめいて、ゼファーの方へと流れる光景。

 ナイトブレイザーの前の空間が『透明な炸裂』によって何度も弾けていくのと合わせて、それを観測している男達の脳裏に神話の時代の戦いを思わせる。

 この世界のどこを探しても、ここまで美しい戦いなど、他にあるまい。

 

 熱気と冷気が大気を歪め、空間を歪める。

 氷が弾丸を撃ち尽くし隙を見せたなら、今度は焔の攻撃ターンだ。

 ゼファーはその一瞬で両の腕に焔をチャージ。

 チャージ中特有の、チャージした焔が腕を焼く苦痛に必死に耐えながら、ゼファーはまず右の掌をリリティアへと向けた。

 

「喰らえ!」

 

 右の掌から放たれたのは、焔を圧縮した炎熱のビーム。

 性質から言えば、極小のバニシングバスターと言っていいシロモノだった。

 威力も規模も速度も遠く及ばないが、即座に撃てる、そういう技。

 対するリリティアは、ゼファーの予想の上を行かず、下を行かず、外を行く。

 

(!?)

 

 リリティアが放ったのは、ゼファーと同じビーム……に、一見似た何かだった。

 ビームではない。それは棒状に放たれた絶対零度の空間であった。

 超光熱のビームと絶対零度のビームもどきは空中で衝突し、拮抗する。

 威力は互角。ゆえに、どちらの方向にも押し込むことができていない。

 

(なら、もう一手!)

 

 ゼファーはここで畳み掛けるため、左手にチャージした焔を開放。

 それを20に分け、円月輪(チャクラム)の形になるよう圧縮。

 その場で前後左右上下に射出し、それら全てを曲線を描く独自の軌道で飛行させ、リリティアの四方八方を囲むように攻めさせようとした。

 だが、リリティアもさるもの。

 ナイトブレイザーの攻め手に対応し、同じく20の氷の短剣を生成。

 迎撃に飛ばし、次々とチャクラムと相打ちになる形で撃墜していった。

 

 砕かれた氷の短剣の破片が、焔の飛沫が、パラパラと飛び散る。

 焔の輝きが氷の破片を照らし、氷の煌めきに焔の輝きが映え、焔と氷のビームの衝突により吹き荒れる暴風で巻き上げられて、空間を満たす。

 双眼鏡越しに戦いを見ていた朔也達は、その戦いの光景に思わず息を呑んでいた。

 

(戦闘開始から七分経過……そろそろ、勝負の仕掛け時だ。待ってろ、ツバサ!)

 

 ゼファーは時間制限のことを考え、ここしかないと勝負を仕掛ける。

 ビームの発射を止め、迫り来る絶対零度の攻撃を紙一重でかわし、ゼファーは両の手を地面に付ける。

 そして地面の下に焔を注入し、潜行させ、指定した位置で爆発させた。

 すなわちリリティアの足の下、かのゴーレムが立っている地面の下を。

 

「―――」

 

 8mの巨体を雲の上までふっ飛ばすつもりで、ナイトブレイザーは『熱』でも『破壊力』でもなく『爆発力』を高めた焔を爆発させた。

 が、そんな爆発力ですらリリティアにその大半を奪われてしまう。

 分子の運動を奪えるのなら、爆発力だって奪えないわけがないのだ。

 

 地盤崩しはリリティアに完璧に対応された……と、思いきや。

 リリティアの体重を支えていた、固く凍りつかされていた水分を含む山の地面。

 ゼファーが焔を地中に注入した際、その熱によって地中の氷は溶かされて水へと戻り、凍らされる前よりも水分が土中でまとまった状態となり、爆発の振動で土と水がより分けられる。

 土と水の分離、及び振動。

 山の土はその時、常識外れの氷と焔の技により、擬似的な『液状化現象』を起こしていた。

 

「かかったな」

 

 結果、リリティアの重量が乗った足の裏が、土中に沈み込んでいく。

 リリティアはもはやグズグズの泥の上に乗っているも同然だ。

 走れず、飛べず、立っていることすらままならない。

 一度凍らせたことで土中の水分が集中していなかったなら、それが魔神の焔によって一瞬で解凍されなかったなら、こうはならなかっただろう。

 リリティアは一人だ。ゼファーは一人ではない。

 通信機越しに勝機に繋がる環境の情報を常に届けてくれる味方が居るか、居ないか。

 そういった要素の有無は、こういう細かな部分で如実に差を見せる。

 

(これで……!)

 

 ゼファーはこうすればこうなるかもしれない、と計算と分析で組み上げた策を伝えてくれた朔也に感謝し、翼が捕らえられている氷の棺に向かって駆ける。

 たった一発。

 焔を宿した右手で、多少の焔なら無効化できるシンフォギア持ちの翼を殺傷しないよう、かつ氷の棺を一瞬で消し飛ばすだけの火力を右手に宿す。

 そうして、ゼファーはリリティアがそばに控えさせた氷の棺に向かって走り、拳を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ、前の日のこと。

 リリティアは懐かしい声に、数千年か、一万年弱かと思える時を経てそのAIを起動した。

 選ばれた人間にしか扱えない、本起動のための秘匿コードの認証を完了する。

 

「起きなさい、リリティア。ザババはもう居ない。今のあなたの主は、私よ」

 

 ゴーレムは膨大なデータ、それを制御するOS、そしてお遊び程度の人格AIを持っている。

 それは人のようで人でなく。

 人間で言えば五歳の人間にも満たないレベルの、そんな自我。

 それは薄く、曖昧で、適当で、あってもなくても変わらない、されど確かにそこにある。

 

「戦いなさい」

 

 リリティアは彼女の名を知っている。

 自分の名を呼ぶ彼女の名を知っている。

 今では自分の主となっている彼女の名を知っている。

 フィーネ・ルン・ヴァレリア。

 物に心があることを嫌う女性と、データバンクには記されていた。

 

「シンフォギア装者は極力捕らえなさい。

 そして、『これ』と戦い、その力を鍛え上げなさい。

 弱過ぎるようなら殺してもいいわ。あなたの判断に任せる」

 

 リリティアには心残りがあった。

 かつての主を死なせてしまったこと。主を泣かせた男に仕返しをしていないこと。

 ただの兵器でしかない彼女には、味方であったその男に仕返しをする権利などない。

 仕返しを実行できるようには、彼女はプログラムされていない。

 けれど、リリティアはかつての主が大好きで、リリティアの主は"その男"と話した後しょっちゅう泣いていて、人間と違って機械は何万年経とうと記憶を忘れない。

 

「戦いなさい、リリティア。壊れたらまた直してあげるわ」

 

 凍てつく心の奥底で、変わらず燃える主への忠誠。

 ザババの手を離れ、フィーネによって導かれた、その戦場で。

 リリティアの前に『アガートラーム』が現れた。

 

 彼女はリリティア。

 メソポタミアの伝承において始まりの男に恨みを持った、始まりの女王リリスの名を持つ機人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 位置エネルギーと運動エネルギーの関係性、となると知らない人の方が少ないだろう。

 坂の上にボールがある。

 このボールを転がすと、位置エネルギーが運動エネルギーに変わり、速度が上がる。

 非常に簡単な理屈だ……が。

 リリティアの力を思い返せば、リリティアの至近距離において、リリティアが使えるであろう、恐ろしい力の用途が一つある。

 

 人間が地上に立てているのは、位置エネルギーがほんの少しだけ「人間を地面に押し付ける」という運動エネルギーに変わっているからである。

 人体には、常にそうやって働いている運動エネルギーがある。

 もし、もしもだ。

 半ばファンタジーに突っ込んだ科学力で、その人間の身体に働く、位置エネルギーが変化した運動エネルギーですらも片っ端から『略奪』できるなら、どうなる?

 

 一度空中に上がった人間は、二度と落ちて来れないのではないか?

 

「え?」

 

 ゼファーの体が宙に浮く。

 自分が踏み出した一歩が身体を押し上げ、なのに重力によって落ちるはずの身体は落ちず、氷の棺を前にしてゆったりと浮いてしまう。

 手も足も地面に付きやしないから、じたばた動いても何にもなりやしない。

 

 そうこうしている内にリリティアは地面を再度凍結。

 悠々と泥の中から踏み出し、氷の棺をナイトブレイザーから遠ざけ、リリティアは焔の黒騎士に向かって腹部の装甲を開く。

 開かれた装甲の奥の宝石が輝くと、ゼファーは指一本すら動かせなくなっていた。

 

(……概念攻撃!? 空間を、凍結し―――)

 

 運動エネルギーの継続略奪。

 完全聖遺物すら封じる空間凍結。

 『アガートラームの使い手』を確実に仕留めるため、ここまで温存し隠し通してきた二枚の手札をリリティアは切った。

 そしてもう一撃。トドメを刺すため、切られた最後の最後の一手。

 

 ミシリ、とリリティアの握る拳の周辺の空間が軋む。

 先史文明の人間が、近接戦を想定していなかった未完成品のリリティアに搭載した苦肉の一手。

 リリティアの左拳に装着された最後の切り札。

 機体の稼働過程で略奪してきた全ての熱を一点集中、全ての固体を気体と化す強制昇華兵器。

 製作者は、氷の女王にそぐわないこの兵器に皮肉を込めてこう名付けた。

 

 『霧氷大后』、と。

 

 直撃すればナイトブレイザーとて死に至るその一撃が振るわれ、その戦場に壮絶な爆発音が響き渡った。

 

 

 




前回書き忘れたので
【シンフォニックレイン】
出展:WA5
組み合わせ:ディーン&キャロル
特性:広範囲攻撃

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