戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
GXは地域によって見れるタイミングが違うと思うので、ニコニコ配信(=誰でも見れる)のタイミングまでは感想で最新話の話題を出さないようお願いします。感想欄でネタバレ喰らったーなんて悲しいですからね
どうしても何かしら伝えたい場合は、活動報告の方で放送後に作者が各話の感想と当作品への影響などを書く予定なので、そこでお願いします
……だから先行上映会のネタバレとかやめてくださいよー(本音)
とあるテレビ局のカメラマンが失態を犯した。
後にそれは、そのカメラマンが大出世する大手柄へと変わったと言われている。
彼はノイズを恐れ、商売道具であるカメラを投げ捨てて逃げ出したのだ。
電源を切ることすら忘れ、快楽殺人鬼の群れと変わらないノイズに背を向けて。
「こええ、こええ、見つかったら逃げられず殺されるって怖すぎるっす……」
カメラマンは不思議な光景を見た。
普通、こういう被災時は『どこに逃げればいいのか』が分からない人によりごった返し、道は車が渋滞を起こし、パニックを起こした人が乱闘を初めたりするものだ。
ノイズ災害は能動的に人を殺しに来る存在が居るために、なおさらその傾向が強いのだということも、カメラマンは知っている。
なのに一度もトラブルに遭うことなく、避難所に辿り着くことが出来たのだ。
「妙っすね……ん? げっ」
カメラマンは馴染みのある着信音に気付き、携帯の画面を見てそれが己の上司からのものであることに気付き、嫌そうに表情を歪める。
日本においては近年、ノイズ災害対策として特異災害対策機動部主導による、非常時用携帯電話回線の補強が進められてた。
ゆえに、被災時でもメールや通話は問題なく行えるようになっているのだ。
カメラマンは、今この時はそんなお上の治世を恨んでいたのだが、まあこれは例外だろう。
周囲を見渡し、避難所のそこかしこで家族の安否を電話で確認する、あるいは家族から安否を確認されている者達を見て、溜め息一つ。
この現状で取材しろと言われる覚悟を決めながら、カメラマンは電話に出た。
「はい、もしも――」
『よくやった! 大金星だな!』
「はい?」
しかし、上司の開幕一声に目を丸くする。
「あの、話が見えねっすが……それとすみません、カメラ落としたっす。
逃げるのに必死だったというか……今から撮れと言われても無理っすよ」
『ん? ああ、送られてきた映像が上下逆さだったのはそういうことか。
上下反転してから放映すんのは中々に骨で文句の一つも言ってやろうと思ってたんだが……
それならまあいい。どこよりも先に、とっておきのカメラも回せそうだ』
「最近風景撮る用に買ってたやたら高いアレっすか? いったい何が……」
『うちの局を見てみろ』
カメラマンはバッグの中からタブレットを取り出し、アンテナを伸ばしてTV機能を起動。
すると、そこには緊急速報と銘打っての生中継が放送されていた。
彼には分かる。カメラを投げ捨てた場所を覚えている彼だからこそ分かる。
自分が投げ捨てたカメラが偶然捉えた映像が、それを映しているのだと。
「なんすか、これ……?」
画面の中で、炎を纏った黒い騎士が戦っている。
騎士は両の手に焔を宿し、暴風の中で雨粒を弾きながら突っ走る車のごとく、ノイズという暴風雨の中を一直線に突き進んでいた。
ノイズは人類が抗うことのできない災害である。
出会えば死あるのみと誰もが知る災厄である。
そんなノイズを、その騎士はなんてこともないように、息をするように片っ端から蹴散らしていく。ノイズが人にそうするように、いともたやすく崩壊に至らしめていく。
まるで、人の天敵たるノイズの、更にその天敵のようですらあった。
カメラマンが顔を上げてあたりを見回せば、携帯用テレビやワンセグ機能などで多くの人間が同じものを凝視している。
そして周囲の人までもがそれを覗いて見ていて、避難所の多くの人間が今や同じ局の同じ映像を見ているようだ。
画面の中でノイズと戦う、特撮番組のヒーローのような黒騎士を。
そうしてカメラマンが画面を見ていると、画面が一瞬ブレて切り替わった。
映像が鮮明になる。
この避難所の中において、カメラマンだけは自分が落としたカメラから、別のカメラへ切り替えられたのだと解する。
カメラマンが落としたカメラによりかの黒騎士の存在に真っ先に、かつ現段階では唯一気付いたテレビ局が、後発の撮影班を送り込んだのだろう。
おそらく現段階ではノイズの危機がない場所、避難誘導がなされている地域の外側から超高性能カメラで撮影しているのだろうが、命知らずにも程がある。
相変わらず無茶ぶりをしているであろう上司を思い浮かべつつ、カメラマンの目はテレビの画面に釘付けになっていた。
昔、彼が日曜日の朝に毎週見ていた、真っ赤な色の仮面のヒーローを思い出す。
そのヒーローが、まるで画面の中から出て来て戦ってくれているようで。
自分達を守るために戦ってくれているようで。
彼の胸の奥に、子供の頃には確かにあった、けれどいつの間にか失っていた熱い気持ちが溢れ出す。
【敵か味方か。テレビから飛び出してきた正義のヒーロー!?】
差し込まれたテロップですら、彼の目には入っていなかった。
「オレは、夢でも見てるっすか……?」
画面の中に、子供の頃は彼も夢見た、正義の味方がそこに居た。
第十八話:そして罪人は英雄に至る 2
今回動員された避難誘導の人員は、日本史上最大クラスの規模である。
特異災害対策機動部二課、一課、それに加えて警察官に自衛官。
この日本を守るため銃を握った男達の陣営が、ほぼ全て揃っていると言っても過言ではない。
無論、警察官の銃の使用は制限され、自衛隊は素手かつ私服で協力しているだけである以上、総力戦と言うにはほど遠い。
されど、かつてないほどの規模と人数による避難誘導であることに変わりはない。
該当地域の人口密度を考えれば奇跡的な出来で避難は進み、犠牲者はいまだゼロであった。
が、それでも次第に取り零しは出始める。
それほどまでにノイズは多く、強く、広範囲に出現していて。
それほどまでに東京都という人口密集地は、避難させるべき人間が多かった。
「お母さん!」
「弓美……私はいいから……逃げなさい……」
ノイズは恐るべき戦闘能力を持つ。
それは炭素転換能力と位相差障壁だけに留まらない。
生命力、数、そしてナイトブレイザーと戦う際に発生する流れ弾だけで周囲の建築物を破壊し、その瓦礫で人の命を危うくさせるだけの攻撃力。
固有の能力を差し引いても、それは圧倒的脅威であった。
今、ゼファーがかつて助けた、けれど彼は覚えていない母娘の片割れが、瓦礫に挟まって逃げられなくなっているように。
「置いていけるわけないじゃん! 何言ってるのよ!」
「ワガママ言わないで。あなただけでも……」
「嫌!」
二人に怪我はないようだが、母の方が瓦礫に足を挟まれてしまっているようだ。
娘の方は小柄な体で、細い腕で、必死に母を助け出そうと瓦礫に手をやっている。
されど、手をやってはいるものの瓦礫は微塵も動きそうにない。
テコの原理で動かそうと考えるだけの冷静さもその少女にはなく、そもその少女の力ではテコの原理を用いても動かせそうにない大きさの瓦礫であった。
ビルの破片で最も危険なのは窓ガラスだが、こうした大きな瓦礫も十分に人を危うくさせるものなのだと、知らしめるかのように頑としてそこを動かない。
「逃げなさい!」
「いやだってば!」
そして、ビルが砕けて瓦礫が落ちてきている、ということは。
その周辺は次の瓦礫が落ちて来る可能性の高い場所であるということである。
母の方はそれを分かっていたし、母だけを見ている娘とは違って、母には娘の頭上に降り注ぎそうなビルの崩れた姿がちゃんと見えていた。
娘の頭上のビルの崩れた部分が、戦闘の余波である地鳴りによってまた崩れ、何の力も持たない少女と母の上に降り注いでいく。
「なんでそんなこと言うの? 見捨てて行けるわけないじゃない!」
「弓美……!」
だが、それでも、娘が母を見捨てられるわけがない。
年端もいかない少女であるのなら尚更だ。
少女と母の頭上に、無慈悲に大量の瓦礫が降り注ぎ――
「ッ!?」
――その二人を守るように覆った焔の壁が、降り注ぐ瓦礫を全て焼滅させた。
(……綺麗……)
その焔が湛えるのはこの世のものとは思えない、見るだけで背筋が寒くなるような美しさ。
少女が振り返ると、そこには片手を自分達の方へと向ける漆黒の騎士が佇んでいて、まばたきをしたその瞬間には彼女の隣に移動していた。
「え?」
空気に波一つ立たせず、瞬間移動の如き速度で騎士は母親を押え込んでいた瓦礫をひょいと持ち上げ、投げ捨てる。
状況が一瞬飲み込めていなかった母娘だったが、すぐにはっとして互いの無事を喜び合い、抱きしめ合った。
「弓美!」
「お母さん! よかった……!」
「避難所はあっちです。落ち着いて、転ばないように移動してください」
「喋ったぁぁぁぁぁぁ!?」
「……いや、普通に喋るから。ゆっくり走るくらいの気持ちで移動してな」
騎士の姿をした怪物とでも思っていたのか、彼が喋ると娘の方が大声を上げる。
その声に引き寄せられるかのように――実際はノイズ特有の人の存在を探知する能力を使い――この母娘を追い詰めた、その元凶が姿を現す。
ビルを破壊し、人を殺すために進撃する
それが片車線だけで四車線、合計八車線の大通りにズラッと並び、まるで大雪崩が街道に雪崩れ込んだかのような光景を作り上げながら、彼女らに向かって駆けて来ていた。
「の、ノイズ……!」
怯え、一歩下がる娘。
そんな娘を庇うように抱きしめ、守ろうとする母はまさに親の鑑といったところか。
愛がある。
こんな窮地でも互いを思い合う、確かな親子の愛がそこにある。
ゼファーはそれを見て、仮面の下で誰にも見せずに微笑んだ。
「大丈夫だ。ゆっくりでいいから、怪我しないようにゆっくりと逃げな」
ナイトブレイザーが右足を引き、左足を踏み込み、上半身を捻る。
格闘技で言う、脇腹を蹴るミドルキックに近い動き。しかしそれとは違い、体ごと力強く回りながらの横一直線に薙ぐような蹴りであった。
されど、格闘技のミドルキックとの最大の違いはそれではない。
その右足から放たれた、三日月型の巨大な炎の刃だ。
刃は巨大化し、八車線にズラッと並んだノイズ達を文字通り一蹴。
一匹残らず真っ二つにして、全ての上半身と下半身を生き別れにさせた。
そして街の建造物をほとんど破壊することなく、エネルギーベクトルを操作して炎刃を空へと舞い上げて、そこから小型ノイズを投下していた空母のようなノイズを一刀両断。
たった一撃。ほんの一瞬。
まばたき一度ほどの時間で、騎士は恐ろしい怪物達を蹴散らしてみせたのだ。
「君達には俺が指一本触れさせない。
安心して、できれば他の人を助けながら逃げてくれると嬉しい」
その場のノイズを一撃で全て撃滅し、騎士はその場から消える。
後に残されたのは逃げ道を示された母娘のみ。
消えたのではなく、あまりにも速く走り去って行っただけなのだと、彼女が気付くことはなかった。
「……ヒーローだ」
だって、その娘は騎士を目で追おうともせず、呆けた顔でそんなことを呟いていたのだから。
特異災害対策機動部二課本部、作戦発令所。またの名を二課司令部にて。
「あの馬鹿野郎! 帰って来たらゲンコツ落としてやる!」
「ゲンコツで済ませるんですか、風鳴司令」
「あのバカが何時間説教しようが自分曲げるタマか! 時間の無駄だ!」
風鳴弦十郎はデスクに拳を叩きつけ、デスクを粉砕し、たいそうご立腹だった。
その怒りの源泉が言うことを聞かなかった子供の生意気に対するものではなく、ゼファーへの心配なのだというのが実に彼らしい。
オペレーターの何人かはそんな弦十郎の様子に、背を向けたまま口角を少し上げる。
そして各々が彼への尊敬を新たにし、己の職務を果たし始めた。
「各班報告上がりました。軽症者は確認されていますが、死者は現在ゼロです、司令」
「この状況下で犠牲者がいまだゼロか。これだけで偉業になりそうなもんだ」
オペレーターからの報告を聞き、弦十郎はあごひげをいじりながら思案する。
司令部の超巨大ディスプレイに映されたノイズの反応は、右端が消えたと思ったら左端が消え、下方に集められたと思ったら今度は反転して上方へと向かわされている。
この奇妙な動き反応の原因は、この戦場においてノイズを引き付ける特性を持ち、高速で戦場を駆け巡っているナイトブレイザーに他ならない。
「速いですね、ゼファー君。櫻井女史のデータよりずっと速い」
「その上、ノイズを誘導してる」
「ああ、この動きって避難所と避難誘導地点避けてるのか? それにしても速いな」
オペレーター陣はゼファーの動きを評価しつつ、その動きの速さに瞠目する。
何しろレーダーに表示されるアウフヴァッヘン波形・アガートラームの表示点が、時折ジェット戦闘機か何かかというレベルの速度で移動しているのだ。
今のところ被災者が一人も出ていないのは、そのおかげと言っていい。
彼らが抱いたその速さへの疑問に答えるべく、ヒールを鳴らしながら司令部に入って来た女性がヒールを鳴らし、口を開いた。
「
自分の体に流れる時間ではなく、あくまで概念的な『自分の体内の時計』を操作する能力よ。
一部の聖遺物に搭載されていて、翼ちゃんの天羽々斬にも簡易版だけど搭載されているわ」
「櫻井先生!」
二課の誰かが疑問を持った、困った困ったそんな時。
彼女に聞けばだいたい応えてくれるお助けウーマン。
人類屈指の頭脳を持つ、とさえ呼ばれる了子による『アクセラレイター』の解説が始まった。
「今の彼には、自分以外の全てがゆっくり動いているように見えているはずよ。
創作によくあるような時間的矛盾や加齢などのリスクもない。
今の加速度合いは……1.5倍から2倍くらいかしら」
「すごいじゃないですか! これならノイズがどれだけいても時間内に倒しきれますよ!」
「じゃあ、なんでゼファー君は常時加速していないのかしら?」
「え?」
されど、彼女の説明を聞いて興奮する二課局員とは対照的に、了子は難しい顔をする。
ノーリスクで常時加速できるのならばそうすればいい。
だが、現実にゼファーが常時加速していないことはレーダーの中で"時折"しか加速していないことからも明白である。
なればこそ。そこには、常時使わない確固たる理由があるはずである。
「シンフォギアの『機能ロック』があるでしょ?」
了子がそこで例えに挙げたのは、二課の誰もが知るシンフォギアのロックシステムだ。
シンフォギアシステムには、総数3億165万5722種類の機能ロックが施されている。
このロックを全て外してこそシンフォギアは全ての機能を発揮することができるが、全てのスペックを開放したシンフォギアの出力は、人体に耐えられるものではない。
ゆえに、その性能を億単位の機能制限で抑えているのだ。
彼女はそれを、ゼファーがアクセラレイターを多用していない理由と同じであると言う。
「シンフォギアの機能ロックの存在意義は簡潔。
強大過ぎる力をフルに使えば、人体の方が保たないからよ。
じゃあ、あの鎧が最初からアクセラレイターを使う機能を発揮していなかったのは?
使えるようになったゼファー君が、今でもフルに使っていないのはどういうことかしら?」
「あっ」
「負荷が大きいんでしょうね。……8分、保つかしら」
了子がナイトブレイザーの戦闘可能時間を安全圏8分、限界10分と計算したのは、アクセラレイターという消耗要素を抜いた上での話だ。
そして不安要素は了子の懸念だけに留まらず、更に増えていく。
「2分経過しました。ゼファー君の変身時間の安全圏突破まで、残り6分!」
「ノイズ撃破数いまだ一割弱、出現地帯がやはり広すぎます!」
「観測班より報告! 大型、飛行型の割合が前回よりも増えているとのこと!」
ゼファーは既に持ち時間の25%を使い切ってしまっていた。
その間に倒せたノイズの数は10%。どう考えても時間が足りていない。
避難誘導は徐々に進んではいるが、数万単位のノイズともなれば二課の戦闘部隊を投入しても焼け石に水、完全に人での無駄遣いであり、対ノイズの戦闘状況は最悪の方向に転がりつつあった。
「あの黒騎士はいくら強くても、飛べなければどうしようもない。
加え、街の被害を気にしながら戦っていては勝てるものも勝てん。
騎士の力で街を破壊すれば、人が巻き込まれる可能性がある以上、当然と言えば当然だが……」
そして弦十郎は、ゼファーがアクセラレイターという新たな武器を手に入れたにも関わらず、ノイズの撃破数を伸ばせていない理由に気が付いていた。
まず単純に敵の数は前回のままで、質がかなり向上していること。
大技を思うように振るえない街中という状況。
その街の中に人がたくさん居るという現状。
ノイズの数が多い方に向かえず、ノイズに殺されそうになっている人の方に向かわなければならない、ゼファーの信念の問題。
「……これは完全に想定外だったな。
ゼファーが人命救助に使った時間の分、ノイズの掃討が間に合っていない……!」
歯ぎしりする弦十郎。
この街には、ゼファーが守りたいと思うものが多過ぎた。
前回のように守るべき者が未来一人だけだったなら、こんなことにはならなかっただろうに。
「司令、どうします?」
「……土場。天戸さんに連絡を。三分以内に派手に動くぞ」
「了解です」
だが、やれることをやるしかない。
最悪ゼファーが途中で力尽きた場合、二課の部隊はゼファーがやられる前に回収しつつ、予定していたノイズの誘導を引き継がなければならない。
(どうする……予想されていた展開より、かなり不味いぞこれは……)
弦十郎の戦術的得意分野は、普通の幕僚がそうするような理屈と数字で戦いの潮勢を見極めることではない。もっと脳筋な、なんとなくで戦いの流れを読むことだ。
そんな彼の感覚で言えば、今の流れは非常によろしくなかった。
流れを変える何かが必要だ、なんて思っていたそんな時。
二課本部のスピーカーに、そこに繋げるコードを知らなければ繋げられないその受信機に、電波に乗せられた言葉が届く。
『こちらゼファー。二課本部、聞こえますか』
「! こちら司令部。弦十郎だ。ゼファーだな?」
『はい。インカム付けたまま変身したら通信も出来るみたいです』
流れが変わった、と弦十郎は直感する。
ひとたび騎士の姿になってしまえば、燃える腕が電話を掴むことすら許されないゼファーは、他人と通信することができないデメリットを抱える……と、二課では推測されていた。
通信可能という予想外の事実は、この現状に風穴を開ける可能性。
そしてゼファーが戦闘開始から間を置かずここに通信してきたということは、それ以上に大きな意味があった。
「……」
弦十郎は脳筋だ。
しかし司令官として無能な人間ではない。
脳筋であることと、愚かであることはイコールではないからだ。
「ゼファー、お前の今の行動方針はどうなってる?」
『勘で危なそうな所に優先的に回ってます』
「よし、分かった。予定進路を常にこっちに送れ」
『?』
男の価値は決断にあり。
そう昔の人が言ったことがあるほどに、大切なのは決断に踏み切る勇気、決断の正しさは重要である。
足りない知恵は、仲間に補ってもらえばいい。
「お前の思う通りに、思う存分お前の好きなようにやれ。足りない分は、こちらで補ってやる!」
弦十郎も、ゼファーも。
その知恵を補ってくれる仲間が、たくさん周りに居るのだから。
「行けるな、お前達!」
「「「 はいっ! 」」」
二課のブレイン達がその頭脳を発揮し、ゼファーに足りない部分を補う。
今のゼファーに必要なのは直感で組み立てられる短期目標を見据えての戦いではない。
理屈と計算によって成り立つ、時間をフルに使う長期目標を見据えての戦いだ。
どうすればいいのか。
どこに行けばいいのか。
どこで戦えばいいのか。
どいつと戦えばいいのか。
それを『ゼファーより頭のいい十数人の頭脳』に補助してもらうなら、ゼファーは今よりもずっと効率的に、かつ他部隊と連携を取りつつ戦うことが出来る。
「ノイズを避難経路から離れるよう誘導しつつ、一箇所に纏めるプラン上がってきました!」
「ゼファー・ウィンチェスターの戦闘を前提とした避難誘導を各部隊に通達!」
「天戸部隊長の前線部隊、半数を避難誘導からノイズ誘導に配置換え完了しました!」
オペレーター人が声を上げる。
作戦担当の人間達がゼファーの助けとなる作戦案を組み立てる。
二課の部隊を含む全ての部隊の連携をスムーズに行うため、何人かが通信機に張り付いている。
頭脳を担当する作戦発令所においては、非番の人間も集めるだけ集め、普段のローテーション勤務をガン無視した総動員体制をフルに稼働させていた。
当然前線部隊もフル動員、かつ聖遺物の探索担当の人員も事前に全て呼び戻して避難誘導部隊への編入も行い、今や流動的に避難誘導とノイズをゼファーへ誘導する任務をこなす。
そこに、特異災害対策機動部一課・警察・自衛隊といった面々が加わる。
それらの誰もが、大なり小なりゼファーを助ける。人々を守る。
一人一人の頑張りが、どれ一つとして無駄になることなく、この戦場で命を守る。
"自分が一人で戦っているのではない"ということを、ゼファーに知らしめる。
「ゼファー! 帰って来たらゲンコツ落としてたっぷり叱ってやる!
だから必ず帰って来い! 叱られたくないからって死ぬのは許さんぞ!」
全員の動きを噛み合わせるために総指揮を取る弦十郎が、これだけは言ってやる! とばかりに通信機の向こうのゼファーへと叫ぶ。
『はいっ!』
通信機越しに返って来た少年の声は、とても力強かった。
「おい、テレビ付けてみろよ」
「もう特番やってんの? まあ大事件っぽいしな」
「ちげーよ。ヒーローだよヒーロー! 他の人が携帯で見てたんだよ!」
「ヒ~ロ~?」
様々な避難所で、避難所の中の所々で、まばらな人の集まりの中のいくつかで、同じような話題が繰り広げられている。
彼らの手には小さな画面と、そこに映されている生中継。
「この避難所の中学校、四階まであるんだから屋上登れば双眼鏡で見えるんじゃね?」
「ひゅー、天才か?」
「屋上鍵かかってたよ。そういえばどこの学校もそうだったね」
「はぁ? マジかよ」
避難誘導の最中に歩きながら見ている者が居る。
座り込んで額を突き合わせて見ている者が居る。
そもそも被災していない、安全圏でその生中継を見ている者が居る。
「これ誰なんだろ? 政府の秘密兵器?」
「ノイズはノイズにしか倒せないって常識だろ。これもノイズで仲間割れとかじゃね」
「ノイズは人しか襲わないだろ? じゃあやっぱ違うんじゃないか」
誰もが、その焔の黒騎士を見る。
誰かは無責任に煽りながら、誰かはそれがノイズを蹴散らしてくれるのを望みながら、誰かは興味本位で眺めながら、誰かはどこかの誰かの陰謀を想像しながら。
ほんの少しの期待を抱き、黒騎士を見る。
「ま、できれば勝って欲しいよね」
どこか、他人事のように。
ナイトブレイザーが腕を伸ばす。
その腕に沿った形で、『自分の腕を大きくするイメージ』で、ゼファーは巨大な焔の腕を形成。
100mは離れた位置に居た、人間を襲おうとするノイズを伸ばした腕で握り潰した。
「ひ、ひぃ!?」
襲われていた男性は、一も二もなく駆け出していく。
これでノイズの密集地にでも向かっていたならばゼファーも止めたが、大通りの避難誘導班に向かって行ったことから、まだちゃんと正気が残っていると判断し、スルー。
すぐさま次の目標地点に向かって跳び出した。
(うわぁ、あれヒビキのお父さんだったな……知った顔が居ると肝が冷える)
ゼファーがこの街に来てそこそこの時間が経っている。
当然ながら、戦えば戦うほど知り合いを目にする機会が増えてきた。
強化された騎士の目は離れた人間の顔を容易に識別させ、助けを求める声を聞き届ける
仕事中にノイズに襲撃され、家族を心配しながら急いで帰ろうとしたところノイズに襲われた立花家の大黒柱の気持ちを思えば、少年の胸中には本当に気の毒に思う気持ちしか湧いて来ない。
「……はぁ、はぁ……ちょっと、バテてきたか……」
ゼファーの全身を包む、とてつもない疲労と倦怠感。
毎日何時間もの全力疾走をトレーニングとして続けているはずのゼファーが、ものの数分で疲れを意識してしまっている消耗。その時点で尋常ではない負荷であることは間違いない。
それがアクセラレイターのものであるということは明白で、けれどゼファーはアクセラレイターの使用を節約することも出来やしない。
そんなことをしていたら、どこかの誰かの危機に間に合わなくなってしまう。
「……、ぐ、また遠い……! アクセラレイターッ!」
遠方の誰かの危機を事前に察知し、助けを求める声を聞き届ける。
『ARM』と名付けられたその時から、ゼファーの直感はずっとそういうもののまま。
ゆえにゼファーは見捨てない。
どこかの誰かの声を聞き届ける力、駆けつける力、戦う力。
それが揃っているのなら、迷う暇などあるわけがない。
「うわっ!?」
ナイトブレイザーが駆けつけ、間一髪ノイズに殺されそうになっていた老人を庇う。
人型ノイズの刃腕といえど、ナイトブレイザーの頑丈な鎧を傷付けられるはずもない。
防御された、とノイズが判断したその次の瞬間。
その場に居た十数体のノイズの首が、ゴロンと落ちる。
一瞬で消え、一般人目線で消えたのだと錯覚するほどの速度で移動したナイトブレイザーの焔の手刀が、その場の全ての敵を斬首したのである。
(! この人……)
その場のノイズを全滅させ、ゼファーは助けた人の無事を確認しようとする。
その人が毎朝走る時に出会っていた老人であると気付き、ゼファーは息を呑んだ。
「おお……どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます」
自分の手で避難させてあげたい。老人を一人で放置しておくのも危険過ぎる。
そう思いながらも、今のゼファーには余分なことを喋っている体力的余裕も、一人にかかりっきりになれるだけの時間的余裕もなかった。
二課からの通信がひっきりなしに届き、ゼファーに早期の決断を促していく。
(……キツいッ……!)
時間もキツい。体への負担もキツい。
そんなゼファーは、少し離れた所からこちらへと向かってくる父娘に気付くと、その目の前まで一瞬で移動した。
「うおっ!?」
驚かせてしまったようだが、今のゼファーには細かいことを説明する時間さえ惜しい。
ゼファーは老人の方を指さし、父親の方に理解を求めた。
父親の方はそれだけで彼の言わんとした所を理解したようで、多少驚きつつつも力強く頷く。
ゼファーは老人を助け起こしに行った父親を見やり、自分のことを呆けた顔で見つめている娘を無視し、アクセラレイターを次の現場に間に合うであろうギリギリの加速率で発動、その場を走り去っていった。
「あの走り方の癖……まさかな」
「パパー、おもわせぶりなこと言っても私さっぱりわかんないよ」
助ける。
まだ助ける。
自分に限界が来るその時まで、全力で助ける。
ノイズと戦いながら助け続ける。
ゼファーは直感が知らせる全ての危機を見過ごすことなく、全ての人に手を伸ばし続けた。
それゆえに、すぐに体の方にガタが来る。
「……ッ!」
焔が腕を焼き、アクセラレイターの負荷が全身を蝕む。
肉体に再生能力があるというのに、負荷のせいで全身重度の筋肉痛と変わらない状態だ。
頭の中までぼーっとし始めていて、ゼファーは強い意志力で己の体を叱咤する。
自分に守れるのだろうか、と僅かな弱気が思考をよぎる。
本当に時間制限内にノイズを倒し切れるのだろうか、と小さな不安が胸中に生まれる。
幼少期からの戦闘者であるゼファーの心に、戦闘時は不動の強さを誇るその心に、ほんの一瞬生まれ落ちた小さな負の感情。
それは過度の疲労が彼の心に産んだ、人として当然の弱気と不安であった。
されど、魔神の焔はそんな小さなものですらも見逃さない。
「!? え、な、があああああッ!?」
ボッ、と焔が一気にその火勢を増す。
その光景にゼファーは見覚えがある。
最初にこの姿に変身した時の最後に、焔が自分の制御を完全に外れ、暴走させようと体内を暴れ始めたあの時と同じ現象だった。
その肉体を、精神を、喰らい尽くさんと焔が勝手に蠢いている。
「じ、ぎ、ぃ、っ……! あああああッ!」
先史の時代、ロディ・ラグナイトの仲間の一人が言った言葉がある。
『肉体というフィルターを通しているから鈍っているだけであって、人の精神は直接傷付けられる痛みに耐えられない』という、考察に似た言葉であった。
先史の時代、その言葉は後に科学によって証明されたという。
火傷の痛みは、他の何よりも長く苦しく続く怪我である。
まして、ゼファーの腕を焼いているのは肉も精神も魂も纏めて焼いて苦しめる魔神の焔。
その痛みは想像を絶する。痛みだけで人を殺しかねない、それほどの痛みであった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」
肉を抉られる痛みにも、大切な人を失う痛みにも耐えてきたゼファーが、その焔から与えられる痛みにかつてないほどの絶叫を上げる。
加え、痛みと苦しみだけではない。今は、壮絶な痒みまでもが走るようになっていた。
栄養失調、寄生虫、病気。
様々な理由で発生する痒みは人を容易に発狂させ、死に至らしめると言われている。
蚊や毛虫が与える微弱な痒みにすら、少なくないストレスを感じる人は居るだろう。
普段の人間は自分の肌を皮が剥けて血が出るまで掻きむしるなんてことはしない。そんなことを容易にさせるあたり、『痒み』というものはごく自然で恐ろしい狂気を孕んでいるのだ。
焼かれる腕を高速で修復しようとする聖遺物の作用が、痛みに勝るとも劣らない痒みを生む。
そして、それは鎧に阻まれて掻くことも許されない。
もしもこの焔が更に成長しもっと大きな力を持ったならば、痛みと苦しみと痒みだけではなく、更に多様な苦痛をゼファーに与えるようになるだろう。
人を心的ショックのみで発狂させるほどの激痛と痒苦の二重奏がゼファーに膝を付かせ、彼は両腕を抱え呻き声を上げる。
「ぎ、が、づッ……!」
体が焼かれる。精神が侵される。魂が咀嚼される。
その痛みは肉体だけの痛みならば、どんなものであっても比較することすらおこがましい、それほどの苦痛だった。
ナイトブレイザーは両腕をもう片方の腕で掻きむしり、撫で、掴み、擦り、地面に叩き付け、燃え盛る焔が与えてくるものから逃げようとする。
誰が見たって、それは自分の腕に火が付きながらも戦っていたヒーローが、その痛みに耐えられなくなりとうとう倒れたのだ、と理解するには十分で。
二課や民衆の中に画面越しに悲鳴を上げたものがいるほど、壮絶で痛々しい光景だった。
(まだ……五分ちょっとしか……経ってないのに……もう限界……!?
痛い痒い痛い痒い苦しいあああああああ、クソッ! まだ、まだ、俺は……!)
膝をつき、腕の苦痛を何とか抑えこもうとするナイトブレイザー。
その周囲を数千のノイズが完全に包囲していることに。
二課から大声で危険を知らせる声が届いていたことに。
ノイズの攻撃がゼファーの眼前にまで迫っていることに。
攻撃に吹き飛ばされるまで、悶えるゼファーは終ぞ気付けなかった。
「ウィンチェスター君のアウフヴァッヘン波形、乱れています!」
「アウフヴァッヘン反応の方は数値増大!」
「サーモグラフィーからのデータ受信! 炎の外側に熱が漏れ出しているようです!」
司令部がまた騒々しくなり始めた。
アクシデント込みで作戦を立て直す作戦チームの方も騒がしいが、ゼファー周りのデータを集めている観測班、及びそのデータを受け取っているオペレーター陣はもっと忙しい。
波形の乱れ、エネルギー値の上昇、そして外部に無駄な熱を漏らしていなかった焔の異常。
全てが、焔の暴走という事実を指し示していた。
このままではゼファーが危ない。
それだけでなく、最大8000万℃とも言われていたネガティブフレアが制御されずに解き放たれてしまえば、どれだけの被害が出るか想像もしたくない。
オペレーター陣は細かな異常も見逃さないよう、データを収集。
それらを取り纏めて今は不在の友里あおいを始めとするメインオペレーターに転送。
上の人がそれを用いて最善の手を打ってくれると信じ、職務に徹する。
そんな中、信じられている上の人筆頭の櫻井了子は、あくまで冷静に現状起こっている問題の原因を考察していた。
(アクセラレイターの連続使用でアガートラームの方が弱っていた?
いや、それにしたって早過ぎる。第一ネガティブフレアの出力が上がってるからこうなっ――)
そして、瞬く間に結論に至る。
この地上で櫻井了子より聖遺物に詳しい人間など存在しない。
ゆえにこそ、彼女は誰よりも先に真実へと至っていた。
「――まさか」
それは最悪の証明だった。
もしも戦闘時に誰かを守れなかったなら。
もしも戦闘時に仲間を守れなかったなら。
そうでなくても、『そうなるかもしれない』と少しでも心揺らいでしまったならば。
「あの焔、『弱気』や『不安』にさえ反応して、喰らって、使い手を浸食するの……!?」
そんな些細なことでも焔はゼファーの命を脅かすのだという、最悪の事実の証明だった。
その地域の避難所には、一つだけテレビがあった。
今ではそれに気付いた人達が群がっていて、集団の外側には人の多さに辟易し、テレビを見るのを諦めて去っていく人影もちらほら見える。
そんな多くの人々の視線の先、画面の向こう。
痛々しい様子で焼かれ続ける腕を抱え、跪く黒騎士の姿があった。
「うわ、すっげえ痛そう」
「やっぱりダメか……」
「結局負けるのか。ノイズやばすぎんだろ」
人々の間に、不安が広がる。
「クソが、カッコつけて出て来るならしっかり勝てや!
てめえが負けたらノイズがこっち来るかもしれねえんだぞ!」
粗暴そうな男性が、無責任に悪態をつく。
かの騎士が負ければノイズがこっちに来るかもしれない、と聞いて、人々の間に蔓延していた不安がその濃度を一気に引き上げた。
考えなしの言葉が、人を殺すためだけに存在する怪物の存在が、人の心を追い詰める。
「もう、やだよ……」
「おかーさーん!」
「どうで皆死ぬんだよ、無駄にあがくのやめようや」
嘆く成人女性。母親にすがりつく幼い少女。
死にたくないくせに現実逃避の言葉をひたすら重ねて自分を騙そうとしている男。
避難所にそんな悲嘆の声が次々と上がり、人々の間に絶望が広がり始める。
そんな中、親から離れて勝手にテレビを見に来ていた、一人の少年が悲しそうな顔をして、ビニール製のヒーローの人形を握り締めながら、隣に立っていた大人の袖を引き、語りかける。
「あのまっくろさん、負けちゃうの……?」
それは子供が不安から、大人にすがろうとした行為。
いかな偶然か、その子供が話しかけた相手はナイトブレイザーの存在を人々に知覚させた原因である、カメラを落としてきたカメラマンその人であった。
カメラマンは子供の手をぎゅっと握り、ニカッと笑う。
子供を安心させるために。そして、自分は何も不安に思ってなんかいないことを伝えるために。
「大丈夫」
直接話したことがなくとも、他者を変える。影響を与える。
人はそういう"強い"人種を、『英雄』と呼ぶ。
英雄、それは人から勇気を引き出す者。皆が振り絞る決意の体現。
何故自分が、子供の手を振り払わなかったのか。
何故自分が、こんなにも強く"大丈夫"と断言できたのか。
何故自分が、あの騎士の勝利を信じているのか。
その理由を自覚できないまま、カメラマンは子供に向かって言葉を紡ぐ。
幼い頃、テレビの向こうの『彼ら』に向けていた感情を思い出しながら。
「ヒーローは負けない。最後には必ず勝つ。だから、信じて応援してやるっすよ」
それは、戦う焔の黒騎士が、懸命に戦う彼の背中が。
ゼファー・ウィンチェスターが初めて他人に吐かせた、子供のための本気の嘘だった。
彼女は祈る。
「未来……」
「大丈夫。絶対に絶対、大丈夫だよ響」
彼女は信じる。
(ゼっくん……)
「私は信じてる。約束を破るような人じゃないって……絶対に」
「未来……?」
画面を見ながら、少女二人は互いの手を握る。
二人の少女の家族らは全員揃っておらず、避難所で心細いままに身を寄せ合い、画面の向こう側で戦っている騎士の奮闘を見守っていた。
未来は響の、響は未来の手を握る。
互いの不安を薄れさせるように。
(負けないで)
皆で生きて、皆で一緒に明日に行ける未来を祈りながら。
きっと今の彼の腕の痛みは、油を敷いて数百度に加熱した鉄板の上で腕を無理やり転がされたとしても、到底届かないほどの痛みだろう。
肉体と精神を同時に焼き焦がされる痛みなど、共感できるはずがない。
肉が解け、骨が融解し、神経も一緒に焼き溶かされる痛みを先日実感していたはずのゼファーですら、その痛みに心を折られかけている。
「……ぃ……ぁ……」
ドン、とナイトブレイザーが殴り飛ばされ転がされる。
手が刃ではなくスタンプ型の人型ノイズだ。
そのパワーは車も容易にひっくり返すようなパワーが込められており、ナイトブレイザーは吹っ飛ばされていく。
「……っ、く、そっ……!」
痛みのせいで集中が途切れ、アクセラレイターも焔による攻撃もおぼつかない。
それどころか立ち上がることすら困難だ。
頼りになる無意識下のエネルギーベクトル操作も、ゼファーの身を食らう焔を食い止めるので精一杯なのか、まるで機能していない。
そんなナイトブレイザーを狙い、十や百では収まらない、数千のノイズらが群がり始めている。
今は包囲に留まっているが、じきにゼファーへと群がり、その身を食い千切るだろう。
(……諦めるか……俺は、俺は、こんな所で……!)
立ち上がるための力をせめてと、全身の力を振り絞るゼファー。
這いつくばるナイトブレイザーを焔が侵し、容赦なくその絞り出した力すらも喰らっていく。
画面の向こうで、もう駄目だと多くの人間が頭を抱えた。
鎧の内で、まだだとゼファーは歯を食いしばった。
その時。ゼファーの視界に、一輪の白い花が映る。
可憐な花だった。花屋に並ぶような、傷や汚れのない花ではない。
道路の合間に立って咲く、排気ガスや泥に濡れた白い花。
それでも、美しかった。
こんな場所で強く生きようと咲くその姿には、儚い強さと美しさが宿っていた。
その花を見て、おぼろげなゼファーの意識は、何故か立花響の笑顔を思い出す。
彼の人生の中で『花』は格別特別なものではなく、されど思い入れのあるもので。
苦しみから逃れるように、痛みから逃げるように。
混濁する意識の中、無意識の内にゼファーはその花に向けて手を伸ばしていた。
なのに、目の前でその花は踏み潰される。
ゼファーが戦いの中で価値はなく、平和の中でこそ価値を認められると考えていた、彼の中の平和の象徴が踏み潰されていた。彼の伸ばした手の先で、彼の目の前で。
「───」
ゼファーが顔を上げれば、そこには彼の周囲をぐるりと囲むノイズの群れ。
その中の一体が、白い花を無残に踏み潰していた。
無価値なものを踏み潰したかのように、無造作に、無慈悲に、無自覚に。
道端のゴミも、道端の花も、道端の人も同じように、ノイズはあるがままに踏み躙る。
それを、彼の眼前の光景が思い出させてくれた。
「……ふっ、ざけんな……!」
その光景が、ゼファーの中の正しき怒りを呼び覚ます。
義憤が心を奮い立たせて、ゼファーは顔を上げて周りを見る余裕が甦る。
煙を上げて壊される町、人気もなくなりノイズ達に侵略された『街』という名の人々の居場所、子供が避難の途中に落としたのだろう片腕の取れたクマのぬいぐるみ。
人々の帰る場所が、大切なものが、蹂躙された跡がある。
人々の居場所を、守りたかったものを、幸せを奪い未来を略奪する者達がそこに居る。
それらの光景に高まっていく感情と、不意に思い出した一つのこと。
立って咲く花、心に響く思い出、小さな日向のような暖かさ、守りたい未来。
彼の中で平和の象徴である、争い事とは無縁の二人の友達の姿と名を彼は思い出す。
ゼファー・ウィンチェスターがナイトブレイザーの力を手に入れたあの時、その力を求めた初心は『友達を守りたい』というシンプルなもの。
高まる感情の熱は、その一つの意思によって昇華する。
"守る。守りたい。守らなければ。"
「失われちゃいけないものが、ここには多すぎる……そうだろ、俺ッ!」
立ち上がるナイトブレイザー。
たとえどんなに傷付いても、たとえどんなに苦しくても、たとえどんなに辛くても。
倒すべきと守るべき人が居る限り、彼は何度でも立ち上がる。
「アクセラレイターッ!」
ナイトブレイザーが再度加速すると、その姿が掻き消え、次の瞬間ナイトブレイザーを囲んでいたノイズの内千体近くが爆散。
炎の塵となって、パラパラと雨粒のように降り注いでいく。
一般人には、今の瞬間何が起こったかさっぱり分からない。
されど精密な記録を取っていた側の二課には、その動きが見えていた。
ゼファーはアクセラレイターで三倍以上の過剰加速を実行。
近場のノイズに焔の飛び蹴りをかまし、そのノイズを踏み台にして別のノイズに向かって跳躍、そのノイズに焔の飛び蹴りをかまして踏み台にして、以下繰り返し。
これを一秒か二秒かの間に、千体の敵相手にかましたのだ。
ナイトブレイザーの飛び蹴りと焔を喰らって、生き残れるノイズが居るわけがない。
更に他のノイズを踏み台にすることにより、空中戦ができなくともナイトブレイザーの格闘技を用いて、空を飛ぶノイズのほぼ全てを撃墜することに成功していた。
格闘技一回では仕留め切れない大型ノイズは一体も落とせていなかったが、一瞬で千体。
その鮮やかな、かつ圧倒的な技に画面の向こうの民衆はにわかに沸き立つ。
やせ我慢で腕の苦痛を抑え、ピンチに追いやられても立ち上がる騎士の姿は、人々に僅かながらも希望を与えるに十分な姿だったのだ。
「負けない、負けられない……
流れが変わる。
いい方向にも、悪い方向にも。
その始まりはゼファーの鈍り始めた直感ではなく、通信機の向こうからの弦十郎の声だった。
『ゼファー! 聞こえるか! デカい反応が来てる! 気を付けろ!』
「!? このタイミングで……!?」
空が割れる。
世界と世界の境界が割れる。
ノイズは別の世界から来たものだ、というのは櫻井理論を知るものの間では周知の事実である。
だが、考えても見て欲しい。
その『別の世界』には、本当にノイズしか居ないのか?
世界を渡る力を持たないだけの、ノイズよりもっと恐ろしい怪物がそこにいる可能性は?
二度の万単位のノイズの出現により揺らいだ世界の境界から、本来世界を渡る力を持たない怪物がこちらの世界に渡って来ないなどという確証が、どこにある?
「身も蓋もないが、出てくる前にやってやるッ!」
ゼファーは拳を引き絞り、撃ち放つ。
焔を圧縮して拳より撃ち放つ、ナイトブレイザーの技の中でもバニシングバスターに次ぐ威力を持つ必殺技、焔の『絶招』だ。
耐久力の高い大型ノイズですら跡形も残らない威力の焔の竜巻が放たれ、空が割れた部分に向かって飛んで行く。
アニメで言えば登場シーンの途中に攻撃を仕掛けるような卑怯じみた奇襲が成立し、絶招は新たに戦場に現れた存在へと直撃する。
『やったか!?』
通信機の向こうから聞こえてきた土場の声に、ゼファーは冷淡に答える。
「……いえ。効いてません」
焔の中から、焔によって発生した煙の中から、"それ"は姿を現した。
『……なん……だと……!?』
長い首、屈強な胴、太く長い尾、紫を基調とした全身の色合い。
鋭い牙、大きく頑強な角、恐ろしい爪、金属光沢のある鱗。
一対の翼、亀のような甲羅、六本の足。
閉じられた口から漏れる毒々しい色の煙は、おそらくまだ吐いていないであろう毒の
その姿は、まさしく。
「……『ドラゴン』。冗談じゃない、この状況で……!」
伝説に語られる竜、そのものだった。
竜は明確な敵意をもってナイトブレイザーを睨み、咆哮。
世界の全てを揺らがすような竜の声を、天地の間全てに轟かせるのだった。
先程までの二課の喧騒が、今度は動揺と叫喚に塗り潰される。
二課の多くの人間が、己の目を疑っていた。
伝説、神話の中にのみ語られる存在がそこにいる。
加え映像を見る限り、ドラゴンはナイトブレイザーを明確に敵視している。
つまりこの竜は、人間の敵なのだ。
彼らはまるで夢を、悪夢を見ているかのような気分だった。
「皆知らないの? あのドラゴン、映画で見たことない人はほとんど居ないと思うけど」
そんな彼らに、了子はあっけらかんという。
すると何人かは気付き始めたようで、その顔色を青ざめさせる。
『その物語』の中で竜は"人食いの竜"であり、卵を産んでその数をどんどん増やしていく、一人の英雄と二人の姫によって倒された本物の化物だったから。
「……まさか。いやいやいや、ないないないですよ。だって、あれはフィクションで……」
「完全なフィクションじゃないってことぐらい、知ってるでしょ?」
物語の名、舞台の名は『エレシウス』。
其の物語の中で討たれるは、人を滅ぼす一歩手前まで行った最悪の怪物。
「胴を覆う亀のような甲殻。刃のような背ビレ、灼熱の糞。
一対の翼、紫の体色、六本の足、石をも溶かす猛毒の息と体液。
エレシウス伝承に語られ、今でもフランスにその姿が語られる獣魚の亜竜」
お伽噺の中で国を脅かし、世界を滅ぼしかけた一体の竜。
「鎧殻亜竜『タラスク』。……気合入れなさい、ドラゴンに自壊はないわよ」
了子が見上げる画面の中で、ナイトブレイザーは空を見上げて構えていた。
ナイトブレイザーの周囲には、彼を包囲する数千のノイズ。
見上げる先には、絶招を平気で耐えた30mほどの大きさの鎧殻亜竜。
街を壊しすぎてはならず、住民の避難も完了していない。
そんな現状を確認しながら、了子は時計を確認し、ゼファーが変身してからどれほどの時間が経ったかを確認し、その表情を険しく歪める。
現在、戦闘開始から8分50秒経過。
『怪物』