戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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長らくお待たせしました。すみませぬ
割烹でも書きましたが色々溜めていた別作品も色々同時に纏めて出していきます



3

 緒川慎次は風鳴弦十郎が最も信頼する部下である。

 統計を取ってみれば、弦十郎が何かを相談する相手はまず緒川という場合が多いことが分かるだろう。それはイコールで、彼が弦十郎に信頼されるに足る能力を持っているということでもある。

 

 

「どうだ?」

 

「どちらも限界……に見えますが、劇薬は効いたようです。

 ゼファーさんも奏さんも、最近はいい影響を与え始めているように見えます」

 

「俺も同意見だ」

 

 

 ゼファーと奏を接近させよう、そう考えたのは弦十郎である。

 無論弦十郎が、ゼファーが奏に何かしら言われることを予想出来ていなかったわけがない。

 周囲の他の大人もその可能性を考えたからこそ、ゼファーに監視させることを反対したのだ。

 だが、弦十郎は信じていた。そしてゼファー本人以上に分かっていた。

 ゼファー・ウィンチェスターの心のしぶとさ、というものを。

 

 そして復讐の修羅道から別の目的を見出し、別の道へと進むことができたゼファーだからこそ、いや、ゼファーでなければ奏を引っ張り上げられないと彼は思っていた。

 自分のように、上から頭ごなしに言いつけるだけではどうにもならないと思っていた。

 対等の立場で肩を並べ、同じ方向へ向かう道を進んでくれる誰かでなければ、天羽奏を救うことはできないと思っていた。

 

 だからこそ、弦十郎は自分の姪を当てることも考えはしたのだが……

 

 

「ただ、僕の私見を述べさせていただけるなら……翼さんの方が限界です」

 

「だろうな。奏くんと翼、あそこまで正反対だと何が起こるか分からんから正直避けたい所だが」

 

「翼さんからは奏さんが『友達をいじめる悪い奴』に見えるのだと思います。

 ただ、なんとなくそれ以外の理由でも執着しているようにも見える気が……」

 

「ああ、アレはな。同族嫌悪の丁度反対にある感情だろうよ」

 

「……?」

 

「隣の芝生は青く見える、ってやつだ」

 

 

 自分と似ているから嫌い、という感情の正反対にあるということは……

 

 

「ともかく監視を絶やすなよ。何かあれば止める前に、俺に連絡を頼む」

 

「了解しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十四話:アヴェンジャーズは正義か悪か 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天羽奏が風鳴翼に呼び出され、その意図に応えたのは昼頃のこと。

 偶然ではあったが、シフトと休憩の関係で、二課の人間が本部に最も少ない時刻のことだった。

 

 

「なんだ? お友達が傷付いたツラしてたからお冠ってか?」

 

「……それもある。ゼファーは、私の友達だもの」

 

「そうやって後生大事にしてるシンフォギアとをあたしが手にするのも気に食わねえんだろ?」

 

「それもあるかな。危険な人に大きな刃は与えたくないから」

 

「人を守るために使えとかそういうこと言いたいんだろ? 世間知らずのお嬢様。お断りだ」

 

「……救いようがないわ、貴女」

 

 

 誰も居ない訓練室。

 その中央で、翼と奏は構えを取らず、されどいつでも殴り合えるだけの臨戦態勢を整える。

 気を抜けば、一瞬で地に組み伏せられてしまうだろう。

 

 

「模擬戦をしましょう。私はゼファーほど甘くないわ」

 

「ハッ」

 

 

 鼻で笑いながらも、奏は面白そうだと言わんばかりの顔で応える。

 翼の表情が武人であるなら、奏の表情は猛禽。表情の時点で対照的だ。

 翼は感情で気に入らないと思い理性的な表情を浮かべ、奏は理性でそれを受けつつ感情的……いや、猛獣的な表情を浮かべている。

 この二人は対照的だが、特定の部分は似ているどころかほぼ同一である。

 その一つが、力で他者を叩き伏せる選択肢を選べるということと、拳と拳で語り合うといったような時代錯誤的な相互理解を行おうとする人間であり、それができる人間であるということだ。

 

 

「正直に言えよ、いい子ちゃんのお嬢様。あたしが気に入らないんだってよぉッ!」

 

「……貴女と一緒にしないで!」

 

 

 

 

 

 二人がそうして殴り合いを始めるのを、緒川は苦い顔をして見ているしかなかった。

 すぐさま弦十郎、そして二人と接点を持ち仲裁できるかもしれない了子へと連絡を飛ばし、本当に最悪の結末に至りそうであれば指示を無視しても割って入る、と心に決める。

 奏が監視の網を抜けて翼に売られた喧嘩を買ったのも、生真面目でルール第一な翼がそのために監視の網を抜けるのを手伝ったのも、完全に緒川の予想外だった。

 唯一の幸運は、いつもは部下に任せている二人の監視を今日は緒川自身が行っていたことで、普段よりもずっと迅速に対応できたということか。

 

 

「マズいですね……、!」

 

「緒川さん、どうしました?」

 

「……あなたは本当に、間がいいのか悪いのか。ゼファーさんはどうしてここに?」

 

「カナデさんが居なくなったと聞いて、勘で探していました」

 

 

 そこに、このタイミングでここに来てはいけない人間筆頭が現れる。

 奏と翼の喧嘩のきっかけとなってしまった、奏と傷付け合う関係で翼と友人関係にある、仲裁できる可能性があったとしても緒川が絶対に呼ぶまいとしていた人物。

 日々進化する直感を持つ、ゼファー・ウィンチェスターその人だった。

 

 

「! あの二人、まさか!」

 

「待って下さい、ゼファーさんまで参戦してしまうと収集がつかなくなります。

 あなた達が束になってしまえば、それこそ司令以外の誰にも止められなくなってしまう」

 

 

 緒川がゼファーとの訓練で彼を評価したのはお世辞ではない。

 翼が格闘戦ならばこの施設でNo.3の位置に入る実力者であるのも揺るぎない。

 ゆえに、風鳴の武術を収めた翼、絶招まで習得したゼファーまでもが混ざる混戦になってしまえば、流石の緒川でも一人で収拾が付けられなくなってしまう。

 最悪の事態になりそうになった場合割って入ろうとしている緒川からすれば、それだけは避けなければならない。ただでさえ、今の二人が自分達の喧嘩をゼファーに止められた場合、どうなってしまうか分からないのだから。

 

 

「ですが……」

 

「翼さんの実力ならば、最近まで一般人だった少女に負けるわけがありません。

 ここはほどなく来るであろう決着を待ち、奏さんを介抱しましょう」

 

「……ああ、緒川さんはカナデさんの戦うところを見たことがないんでしたっけ」

 

 

 だが、緒川のその判断の根幹には、奏の実力を知らずに判断した力量差が存在する。

 天羽奏の強さの本質を知る者は直接拳を交えたゼファーのみ。

 ゆえにか緒川とゼファーの判断は食い違う。それにゼファーは納得した様子を見せた。

 逆に緒川は、弦十郎が緒川の目を信じたように、自分も同じように信じるゼファーの目が見たものを聞かんとする。

 

 

「……詳しくお願いします」

 

「簡単な話です。ツバサは厳密に言えば俺やシンジさんと同種の戦闘者ですが」

 

 

 ゼファーは覚えている。

 完全に意表をついた奇襲からの発砲であったのに、あっさりと麻酔銃をかわした奏を。

 転がった体勢から立ち上がる最中という隙を付いた鳩尾への攻撃をかわした奏を。

 奇襲、奇襲への対応共に頭一つ抜けた強さを持つゼファーが、圧倒的優位からの奇襲を行ったにも関わらず、初手からの二手を凌がれたという事実。

 人間が鳥を殴ったり蹴ろうとしたとしても、人間よりも優れた感覚とスピードを持つ獣には敵わず、それは決して届かない。

 

 根本的な部分で違う、境界線の向こう側の生き物。

 

 

「カナデさんは、ゲンさんと同種の人間です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度めの交錯だっただろうか。

 奏が仕掛け、翼が防ぎ、翼が逆にカウンターを決める。

 翼が攻め、奏が防ごうとし、翼がその防御を綺麗に崩す。

 その繰り返しだ。その構図だけはずっと変わっていない。

 圧倒的かつ絶対的な技量と練度と自力の差。

 

 なのに、翼は奏に対しただの一度もクリーンヒットを決められずに居た。

 

 

「ッ!」

 

 

 奏のテレフォンパンチ気味な右ストレート。

 凶悪な意志が込められたそれを翼は悠々とかわし、その右腕を取って流れるように一本背負いに移行。奏の重心の動きに沿って、流れに逆らわず、そっと押し出すように。

 あまりにも無駄のないその投げは、はたから見れば奏が自分から跳んでいるように見えた。

 だが、翼が人間の技術の行き着く先を見せるのに対し、奏はどこまでも獣じみている。

 

 奏は一本背負いで背から叩き落とされ……ることはなく、なんと空中で下半身を跳ねさせ加速の大半を殺し、ブリッジのような姿勢で着地した。

 

 

「!?」

 

「おらァ!」

 

 

 一歩どこかで間違えば身体の筋を痛め、下手すれば背骨が折れていた無茶苦茶な動きだ。

 だがその結果、奏はほとんどダメージを受けず、かつ翼の想定よりも一瞬早く着地する。

 そしてそのまま翼の腕を掴んで体ごと回転し、投げに使われた腕をへし折ろうとする。

 

 そうはいくかと、翼は経験に基づいた超速反応。

 一本背負いのために掴んでいた奏の腕を離し、一瞬で奏の腕が自分の腕を掴んでいる部分を技量のみで引き剥がす。

 投げ飛ばされた直後で隙だらけの奏も、何をしてくるか分からない奏との密着を嫌がった翼も、示し合わせたように同時に後方に跳び距離を取る。

 翼は夫婦手に近い構えを取り、奏は四つん這いで獣のような姿勢を取り、互いに向き合った。

 

 ここに来て、互いの弱点が分かりやすく露出し始めていた。

 

 翼は道場の大人との修練で鍛え上げられた箱入りの武闘家だ。

 本来の気弱な性格もあり、なんでもありの実戦を仕掛けてくる人間の洗練されたハチャメチャな我流の攻撃に、どうしても反応が一手遅れてしまう。

 それはゼファーとの鍛錬でいくらか埋められた弱点であり、それがあったからこそ翼は奏からラッキーパンチを一発も貰わずに済んでいたのだが、それでも僅かな隙は残る。

 その隙を見逃さないのが、天羽奏という異端の天才であった。

 

 まして、天羽奏の動きは圧倒的な天賦の才にあかせた喧嘩殺法に近い、原始の体術。

 大昔に人間が獣の一種の域を脱していなかった時代の、獣の戦い方だった。

 虎は虎だから強い、という言葉がある。

 本当に強い者は、生まれ落ちたその瞬間から強いのだ。何も学ぶ必要など無く。

 

 ゼファー・ウィンチェスターは、だからこそ強くなるために学ぼうとする。

 風鳴翼は己を鍛え上げ、技を磨いたからこそ強い。

 風鳴弦十郎は生まれ落ちたその瞬間より強く、そこから鍛え上げたことで何よりも強くなった。

 ならば、天羽奏は?

 

 彼女はまだ何も鍛え上げてないないが、それでも翼が振り切れないほどに強い。

 

 

(なんて、デタラメ……!)

 

 

 翼の心奥に、特に努力をせずとも自分と並ぶほどに強い奏への黒い気持ちが湧き上がる。

 それも当然だろう。

 天羽奏の存在は、現段階では努力する者、研鑽するものへの冒涜に近い。

 何も頑張らなくても頑張った誰かと同じくらい強い人間であるということは、何年もかけて武を磨いてきた人間にとって最大の屈辱だ。

 初めて会ったその時から感じていた違和感の正体はこれだったんだと、翼は歯噛みする。

 

 攻めても攻めても乗り切られる。

 明確に上を行っているのに仕留め切れない。

 それどころか戦いの中で新たな何かを学び、加速度的に進化している。

 上っ面だけ見ればゼファーの直感を利用した戦い方と似て見えるかもしれない。

 が、根本的な部分で似て非なる。

 

 ゼファーのそれはしぶとくしぶとく泥臭く生き残るものであるが、奏のそれは無才の人間の創意工夫を、才能一つでねじ伏せていくものであったから。

 

 

(負けられない……負けたくない……!)

 

 

 また攻める、また凌ぐ。また反撃する、またかわされる。

 幾度となく繰り返される攻防だったが、気付く者は気付いているだろう。

 弦十郎を例に出されるほどの天才である奏が、いつまで経っても上を行かれたままであるということに。その差が一向に埋まっていないということに。

 天羽奏はハイエンドの天才である。

 だが、風鳴翼が彼女に現段階で見劣りするなどということはありえない。

 彼女の中には連綿と受け継がれてきた防人の血と、絶え間なく磨き続けた技術がある。

 

 努力はその人間を決して裏切らない。

 奏の人体限界を超えた動きによる奇襲を、何万回と繰り返してきた型が防いでくれる。

 何千回と繰り返した組手の中で学んで来た奇襲が、効果的な対処の仕方を思い出させてくれる。

 弦十郎に鍛えてもらった日々が、奏のデタラメさに対処する余裕をくれる。

 ゼファーと肩を並べて切磋琢磨した楽しい毎日が、翼に新たな強さをくれた。

 

 そも、拳法とは生まれながらの弱者が生まれながらの強者に勝つために生み出したもの。

 生まれながらの強者は自分を鍛える必要性を考えもしないし、その強さを前提として編み出した拳法は他の誰にも真似できず、受け継がれないまま消え行く運命にあるからだ。

 奇しくも、奏と翼の戦いは人類史の再現となっていた。

 

 生まれながらの天才に、血脈と鍛錬でそれを凌駕する武人の構図。

 

 

(次から次へと、新しい技ポンポン出しやがって……いくつ引き出しがあるってんだ!)

 

 

 奏の心奥に、自分の内から生み出した意志もないくせに強い翼への黒い気持ちが湧き上がる。

 それも当然だろう。

 風鳴翼の存在は、現段階では何らかの強靭な意志を持って進む者への冒涜に近い。

 おそらくは物心ついた時から、なんとなくあるいは当然の常識のように、風鳴翼は防人としての在り方をすべきことだと心に定め、それをずっと揺らがせていないのだ。

 初めて会ったその時から感じていた違和感の正体はこれだったんだと、奏は歯噛みする。

 

 奏が翼に嫉妬するように、同じく翼も奏に嫉妬している。

 その理由の一つが、天羽奏は『自由』であるということだ。

 翼には奏があまりにも自由であるように見えた。

 自分で勝手に枠を決めてしまい、その中に閉じこもりがちな自分と違って、他人の迷惑すら省みることなく自分勝手に、自由に生きている少女である、と。

 だがそれを口にすれば、奏は鼻で笑うだろう。

 

 奏には分かる。翼は、単に『自らに由を求めていない』のだ。

 由とは『理由』。自由であるということは、全ての由を自らの内に求めること。

 自分で考え、自分で動き、自分で自分の責任を持つということ。

 そしてその果てに、自分の存在……その瞬間の自分を創っていくことなのだ。

 

 翼が戦う理由は、己の意志で固めた覚悟で出来ているのだろう。

 けれどもそれは先祖代々受け継がれてきたものでしかなく、翼が己の心の底から絞り出した、いわば渇望の如き強靭な意志ではない。

 それはどこまでも借り物で、貰い物だ。

 そんな人間が自分よりも明確に強い人間であるということが、奏を苛立たせる。

 

 負けられない理由がある者、その自らの由より生まれた意志が相手より強いはずの者が、借り物の意志と貰い物の覚悟で戦う人間に負ける。そんな現実を奏は許せない。

 

 

(負けられない……負けたくない……!)

 

 

 何故探さなくても、求めなくても、強くなれる環境にある自分の幸福に気付いていない。

 そう思い、奏は歯ぎしりする。

 きっとこれまでの人生、仮に何も考えずに言われるままに修行を続けていたとしても、おそらくは風鳴翼はこの時点で奏よりも強い人間でいただろう。

 反吐が出るような思いで探し続け、ようやく力を得られる場所に辿り着いたと思ったら、そこでぬくぬくと強くなれる環境に居た少女が立ち塞がっている。

 お前の所業で傷付いた少年に謝れと、お前にあの力を渡してなるものか、と。

 強くなれるという、その幸福への無自覚さ。

 それが、奏の頭の中を掻き毟るように怒りを循環させるのだ。

 

 

「ふざけないで」

「ふざけんな」

 

 

 シンフォギアはノイズに対向する唯一の武器にして、多くの人の希望の結晶だ。

 

 翼はその開発過程を最初からずっと見てきた。

 徹夜で研究をする研究者達も、自分には全く理解できない理論で頭を悩ませる学者達も、辛くても笑顔で頑張る了子の姿も、資金調達のために頭を下げる叔父の姿も、ずっと見てきた。

 そんな人達を支える人達の頑張りを、ずっと見てきた。

 皆と一緒に唯一の適合者として、二人三脚で足並み揃えて頑張ってきた。

 だから翼にとってはシンフォギアは特別なものであり、シンフォギアを使って人を守ることは特別なことであり、絶対に蔑ろに出来ないものなのだ。

 もしもこの想いが翼の戦う理由の中で最も大きなものであったなら、奏は今ほど翼に対し敵意を持っていなかったかもしれない。

 

 だから、翼は奏を認めない。

 シンフォギアを、人を守るために生み出された力を復讐の道具にするなど、認めない。

 

 奏は家族を愛してきた。

 いつでもどんな時でも優しかった父、いつかの未来にああなりたいと憧れた母、最近生意気になってきたけれど可愛くてしょうがない妹。

 旅行の思い出があった。一緒にお風呂に入った思い出があった。絵本を読んでもらった思い出があった。一緒に夜遅くに外食に言った思い出があった。並んで座って映画を見た思い出があった。誕生日プレゼントに喜んだ思い出があった。家族全員で一緒にベッドで寝た思い出があった。

 でも。

 もう二度と、あの大好きな家族に会うことは、言葉を交わすことは、抱きしめてもらうことは、頭を撫でてもらうことは、できなくなってしまった。

 

 だから、奏は翼を認めない。

 こんな人間が自分の道の前に立ち塞がることを、邪魔者の存在を認めない。

 

 この構図は天才と武人の対立構造であり、同時に復讐者と守護者、攻め滅ぼすものと攻め滅ぼされないよう守る者の構図でもある。

 二人の想いは口にした所で、その全ては伝わるまい。

 相互理解にはまだ程遠く、二人は自分が見てきたものを理由に、相手の思いを否定する。

 だからこうして拳を交えているのだ。

 今日ここでぶつからなくとも、いつかどこかでぶつかり合うのは必然だっただろう。

 

 

「あなたなんかに、負けてたまるかッ!」

「てめえなんかに、負けてたまるかッ!」

 

 

 風鳴の武術、原始の体術。

 技術は風鳴翼が遥かに上回る。

 鋼鉄の復讐の意志、先祖より受け継いだ守る意志。

 意志の強さは天羽奏が遥かに上回る。

 

 なればこそ成立する、奇妙なバランスがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼の『早撃ち』。

 剣を手にしていればほぼ確殺と言っていい必殺技は、相も変わらず手刀であっても恐ろしい威力と速度を発揮し、奏の首筋へと向かって放たれた。

 が、奏は受けもせず、かわしもしない。

 肉と肉がぶつかり合う音がするかと思いきや、それよりもっと鈍い音が響く。そしてどちらが倒れることもなく、『両者』が同時に跳んで距離をとった。

 翼は手首から、奏は指先から血を流しているようだ。

 

「気に入らない、気に入らないんだよ、お高く止まったいい子ちゃんが……!」

 

「何で殺すこと、壊すことだけで、何かを守ろうとしないのよ……ゼファーみたいに……!」

 

「あいつと、あたしを、一緒にすんなぁッ!」

 

「ゼファーが引きずられてまたあなたみたいに戻ったら、どうするのっ!」

 

 

 恐ろしいことに奏は翼の早撃ちの手刀に対し、その手首に超反応で爪を突き刺したのだ。

 下から手首の内側に突き刺さるように突き上げ、早撃ちの速度と威力を逆に利用し、リストカット気味に翼の手首を切り裂いたのである。

 無論、奏であってもただで済むわけがない。

 動物的な感性で絶妙な差し込み具合を成したものの、指関節は完全に外れてしまっており、ベリっと剥がれた爪は翼の手首に突き刺さったままだ。

 

 爪を剥がす痛みは、軍人への拷問に使われるほどのものである。

 嫌な汗が流れるのを感じつつも、奏は獰猛な野獣のように口角を吊り上げ、腰を捻って真横に頭突き。そこには爪を突き刺された時に僅かに軌道をズラされた手刀があった。

 翼から見れば手刀を放ったと思ったら、手首を爪で引き裂かれ、下から突き上げられた手刀を頭突きで強烈に迎撃され、痛みと出血で片手を封じられた状態だ。

 対する奏も、爪が剥がれた痛みからか片手が使えなくなっているように見える。

 

 互いに片手が封じられ、血まで流れ始めた現状。

 されど二人は止まらない。翼は拳を引き絞り、腹に向かって打たんとする。

 奏は五指を揃えないままに力を込め、翼の目に指を突き刺さんとする。

 互いの腕が伸び、けれど互いの攻撃は目標に当たらず見切られかわされる。

 

 そんな戦いを、ゼファーが黙って見ているだけなんてこと、あるわけがなかった。

 

 

「もう、こんな……!」

 

 

 ゼファーは翼を好ましく思っている。

 奏に対しても複雑ではあるが、好ましく思っている。

 だからその喧嘩を前にして、ゼファーが飛び出そうとするのは必然だった。

 だがその肩を、背後から現れた誰かが掴んで抑える。

 

 

「待て、ゼファー」

 

「! ゲンさん!?」

 

 

 駆けつけようとするゼファーを抑えたのは、弦十郎だった。

 緒川からの連絡、血をまき散らしながらもそれをなんとも思っていないかのような二人を見ることで状況を察したのか、その表情に既に驚きはない。

 しかしながら、その表情には思案の色がありありと見えた。

 ゼファーは何故止められたのか分からないために、弦十郎に問いかける。

 

 

「何故、止めるんですか」

 

「全部吐き出させるんだ」

 

「え?」

 

「ゼファー、翼も奏くんも、今思いついたことを適当に言ってるんじゃない。

 あれは二人が心の奥に秘めていたものだ。ずっと積み重なってきたものだ。

 目につく所で吐き出させておかなければ……最悪の場面で、最悪の形で噴出する」

 

「ガス抜きでもある、ということですね。司令」

 

「そうだ、緒川。人間、一生悪口や愚痴を言わないなんてことはできないもんだ」

 

 

 確かに、弦十郎ほどの実力者であれば本当に取り返しがつかなくなる寸前で、二人の間に割って入って止めることも出来るだろう。

 了子達研究チームと連携した今の医療班の超技術であれば、よほどの重傷でもなければ大抵の怪我はすぐに治すことが出来るだろう。

 なにせ、翼と奏は相手を拒絶してはいるものの、殺意までは抱いていない。

 それは二人の間で交わされているものが、悪意だけではないということの証明でもある。

 

 だが、それでもゼファーは納得しきれない。

 喧嘩などしないで、言葉を根気よく交わしていけばいいじゃないかと。

 好ましく思っている人達が傷付け合う光景は、いつとて彼の胸の内を苛む。

 大抵の人は簡単に好きになってしまうゼファーだから、どうしても今すぐあの二人の間に割って入って、その争いを止めたいと思ってしまう。

 

 

「けど……」

 

「ゼファー、お前は全部吐き出した後の仲直りの時に手伝ってやれ」

 

「え?」

 

「日本にはな、喧嘩した後にする前よりも仲良くなる、みたいな話も多いのさ」

 

「……あ」

 

 

―――ごめん、ごめん、あたし、あんな風に言ったのに……

 

 

「ああ、喧嘩して、仲直りして……友達になって……」

 

 

 ゼファーの脳裏に蘇るのは、クリスと喧嘩をして、何の遠慮もなく自分の思っていたことを全部吐き出して、謝って、仲直りして、友達になったあの日のこと。

 そうだ。そうだった。

 他の誰かが否定したとしても、ゼファー・ウィンチェスターがそれを否定できるわけがない。

 ぶつかり合う果てに芽生える絆の存在を、彼は知っている。

 

 諦めない者が手を繋ごうとする限り、誰かと繋ぐためのその手が多くのものを壊したとしても、いつかはその手は繋がれるはずだ。

 それはゼファーの過去においてもそうであり、これから先シンフォギアにまつわる物語が紡がれて行く中でも然りである。きっと、ここではないどこかの世界でもそうだろう。

 奏か、翼か、せめてそのどちらかが相手を受け入れたならば。

 いや、並んで共に戦うことを許容できたなら。

 

 いつかのゼファーとクリスのように、二人は最高の相棒となれるはずだ。

 

 

「あの二人には寛容さが足りん。ゼファーには我儘が足りん。

 ゼファーと翼には自分を優先する考え方が足りん。奏くんは周りを見る意識が足りん。

 ゼファーと奏くんには職業意識が足りん。翼には己の内から生まれる由が足りん。

 足りてないんだ、お前達は。だから補いあって欲しいと……少なくとも、俺は思っている」

 

 

 ゼファー、奏、翼。

 弦十郎から見ればどいつもこいつも目が離せない、危なっかしい子供達。

 それでいて信じられる、彼が認めた強さも持っている大切な仲間だ。

 だからこそ支え合い、補い合い、助け合い、共に戦って欲しいと思っていた。

 

 そのために弦十郎が誰に取り纏めを頼むかを考えれば、答えはおのずと分かる。

 

 

「ゼファー、お前が間に入ればあの二人は上手く行くと俺は思ってる。

 まあ最初だけだ。互いへの理解が進めば、正反対なやつほど上手く行くもんさ。

 お前なら、あの二人が正しさと義を見失わないように、きっと導ける」

 

「正しさと義……正義、ですか?」

 

「おうよ」

 

 

 大人が頭ごなしに言うのではいけない。

 あの二人の友となれる人間が、友として言葉を尽くさなければならない。

 それが出来る人間であり、翼と奏の両方から本音を引き出せる人間であり、二人を許容し語り合わせるきっかけになれる人間であり、翼と守るための意志を共感できる人間であり、奏と同じ修羅道から這い上がってきた人間がやらなければならない。

 そうでなければ、役者として不足する。

 

 

「闇に迷い、その人間が安易な道に堕ちそうになったそんな時。

 自分の中の義と向き合い、『こうするべきだ』と正道を見失わない人間。

 どんな状況でも揺るがない、自分の義を持っている人間。

 人としての『正義』を裏切らないで居られた、お前に任せたいんだ」

 

 

 弦十郎にも期待をし過ぎている自覚はある。

 が、それはゼファーを軽んじているからではない。

 彼を一人の男として信じているからだ。

 

 翼にそういう人間もいる、ということも知って欲しい。

 そういう人間は一概には悪であるとは言えないのだと、潔癖なあの子に知って欲しい。

 清濁合わせて受け止めるだけの人間になって欲しい。

 でないと、新しく仲間が入ってくる度に一悶着起こしてしまう面倒くさい人、あるいは新入りと仲良くできない面倒くさい先輩になってしまいかねない。

 弦十郎は、翼に対しそう思っている。

 

 そして奏にも、ゼファーのように復讐心や憎悪を忘れることはできなくても、それを一旦脇に置いてその力を正しく使うことを選べる人間になって欲しい。

 今は復讐を何よりも優先しているのだとしても、いつか他人の命や自分の幸せを復讐よりも優先できる人間になって欲しい。

 でなければきっと、彼女は復讐心の果てに無残な死を迎えてしまいかねない。

 弦十郎は、奏に対しそう思っている。

 

 悪い大人……悪と定義される大人とは、義を守り切れない弱い人間のことだ。

 義を守り切れない大人は、それを子供に守らせるために色んなことを考えようとしない大人は、大人として格好悪い。少なくとも、弦十郎はそう考えている。

 

 正しさと義。

 創作の中ではよくよく間違ったものとして扱われる『正義』という言葉だが、その本質は人が生きていく上で貫かなければならないものだ。

 正しくなければ間違ってしまう。義がなければ外道になってしまう。

 風鳴翼に、天羽奏に、ゼファー・ウィンチェスターに、それを守ってもらおうと苦心する弦十郎は、本人が考えるのが苦手なこともあって心中は結構苦労していたりする。

 

 

「ま、あれだ。二人と友達やってれば、お前はきっとそれでいい。それだけでいい」

 

 

 責任の重大さから自分にはできる、とも言えず。

 あの二人に対し無責任で居たくないがために自分なんかにはできない、とも言えず。

 言葉を選んでいるゼファーの頭を、弦十郎は返答も聞かずぐしぐし撫でる。

 彼自身は細々としたことを考えてはいるが、ゼファーに要求することは至極簡潔だ。

 

 子供の集団の中で一番視野の広い年長の子供に、他の子供が問題を起こさないように面倒を見てやってくれ、と親が言う時の意向と同じ。

 たとえ途方もなくメンドくさい子供だったとしても、結局の所最終的な結論としては、子供は子供と関わり合いながら成長していくのが一番健全だったりするのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少しだけ巻き戻る。

 

 一目見た時から、奏は鮮烈に『自分とは違う』と感じた。

 それは磁石のように、翼に向かう心の引力と斥力を奏の心に植え付ける。

 大人の影に隠れる翼を見たのが、奏の記憶の中で最も古い翼の姿だった。

 

 世間というものでスれていない、純粋培養の大人しさ。

 それがどうにも、親の悲劇的な死による世間の注目や周囲の人々の豹変を目にしたことで、軽く人間不信になりかけていた奏には、甘っちょろい世間知らずな人間の有り様に見えた。

 そして、それは二課でいくらか過ごしている内に膨らんで行く。

 

 

「奏ちゃん、落ち着いて聞いて頂戴。あなたは現状、シンフォギアの装着には耐えられないわ」

 

「……は? なんだそりゃどういうことだよ!」

 

「おーちーつーきーなーさーいー。適合係数が足りてないのよ。

 つまり、シンフォギアを操る才能が足りていないのね」

 

「なんだ……なんだよそれ! ここまで来て、ようやくこれを見付けて、なのに、なのに……!」

 

「まーまー落ち着きなさい。私にいい考えがある!」

 

 

 ある日櫻井了子より告げられた、絶望的な現実。

 シンフォギアは融合係数により操るもの。それが規定値に届かないということは、つまりプロサッカー選手を目指しているのに両足がない、というようなものだ。

 だが、ゼロではない。

 そこに了子は目を付けて、奏の希望は首の皮一枚で繋がった。

 要するに、足がないならば義足を付ければいい、ということだ。

 

 

「じゃじゃじゃーん、適合係数制御薬『LiNKER』!

 生体内で構造が変化するまでの時間制限付きだけど、適合係数を引き上げることが出来るの!」

 

「それを使えば、あたしもシンフォギアを使えんのか?」

 

「さあ、分かんないわ。そこはあなたの体に合わせた調整含む要実験ね。

 ……それも、あなたの体を使った命がけの、成功する保証もない実験よ」

 

「―――っ」

 

 

 あまりに適当な言い草で、成功の保証のない、それでいてリスクの大きな実験。

 逆に言えば、そんな綱渡りをしなければ彼女は力を得られないということ。

 「ふざけんな」と思い奏が拳を握り、立ち上がりかけるも、了子の横でこれ見よがしに壁から背を離したゼファーを見て、思い留まる。

 「その先をやらかすなら撃つ」とでも言いたげだ。

 その威嚇で気勢を削がれたのか、奏は舌打ちをして椅子に座り直した。

 無言でコミュニケーションをこなすゼファーと奏に了子は何を思ったのか、「無言で通じ合って仲良いわねえ」と煽るように楽しげに爆弾発言。

 奏は更に舌打ち一つ。ゼファーは曖昧に笑った。

 

 

「でも、奏ちゃんは恵まれてる方よ?

 適合係数って人類平均で3くらい、私で5、ゼファーくんで1と仮定するわよ?

 奏ちゃんだと大体1000ぐらいあるもの。10万くらいあるとシンフォギアが使えるわね」

 

(俺低い……)

 

「あいつは? あの青い髪の奴は?」

 

「え? 翼ちゃん? えーと……500万くらいかしら」

 

「……」

 

 

 今度は舌打ちすらしなかった。

 血を吐くような想いで力を求めた奏に対し、習慣や常識として力を磨く翼が生来これだけのどうしようもない資質の差を見せつける。

 奏はどう足掻いても最終的に翼の足元にも及ばないと分かった上で、命がけの実験に挑み、これから危険な薬品を常用し平行して肉体も鍛えていかなければならない。

 シンフォギアを操る才能、という一点において。

 風鳴翼はどうしようもなく天才で、奏はどうしようもなく凡才だった。

 

 

「……行くぞ、ゼファー。トレーニングルームに行きたい」

 

「……分かった。失礼します、了子さん」

 

「あいあい。あ、クリーンベンチ空けておくから今日中に培地20作っておいてくれない?」

 

「はい、分かりました」

 

「ありがとねー」

 

 

 ひらひらと手を振る了子を置いて、二人は隣の部屋へと抜ける。

 扉が閉まり、了子の視界の外に二人が出て、二人きりになったその途端。

 奏は拳で壁を叩いた。それこそ、床まで軽く揺れるくらいに力を込めて。

 

 

「……ッ!」

 

「行こう、カナデさん」

 

「……」

 

「壁を叩いても、俺達は強くなんてなれない」

 

「……ああ、分かってるよ」

 

 

 慰めもせず、責めることもなく、現実を突き付けることもせず。

 ただ『強くなる』ことを奏に示すゼファーは、奏のことをよく分かっている風だった。

 彼が自分のことを理解しているからそういう言葉が出るのだと、そう理解できてしまったから、ことさら奏の内心に悔しさがにじみ出てしまう。

 ゼファーに理解されることも、翼に圧倒的な資質の差を見せつけられることも、奏にとっては悔しさを覚えることだったから。

 

 

 

 

 

 一目見た時から、翼は痛烈に『自分とは違う』と感じた。

 それは磁石のように、奏に向かう心の引力と斥力を翼の心に植え付ける。

 手負いの獣の如く周囲の全てに噛み付いていた奏の狂態が、翼の記憶の中で最も古い奏の姿だった。

 

 まるで手負いの獣。血に飢えた狼。

 人間的な理性や倫理が吹っ飛んでいて、行き過ぎた復讐心で限りなく獣に近付いている。

 天羽奏は翼がこれまでの人生の中で一度も出会ったことがないタイプであり、国民という枠で人を守ろうとしていた彼女が、初めて守る気が起きなかった相手だった。

 

 

「ゼファー、大丈夫……?」

 

「ん? ああ、大丈夫」

 

「そうならいいけど」

 

 

 そして、翼の友達をイジメる相手だった。

 まだまだ中学生になったばかりの翼の感覚からすれば、それは許されざる敵の条件である。

 守らなければ、と思うも、ゼファーが奏と交流を持つのは叔父の指示。

 翼一人でどうこうできる問題ではない。

 しかもゼファーから言質を取って止めようとしても、ゼファー本人が奏を庇うのだ。

 

 

「あの人、ツバサが思ってるほど悪い人じゃないぞ」

 

 

 またこれか、と翼は思う。

 二課の皆が奏に気を使う。その将来を心配している。

 けれど翼からすれば、奏よりも二課の皆の方がずっと偉いに決まってるのだ。

 皆真面目に頑張っていて、他の誰かに迷惑をかけないようにしていて、復讐のような私情にかまけることはなく、他の誰かを守るために頑張っている。

 それはゼファーや翼も同じ。

 なのに、周囲から一番気遣われているのは奏なのだ。

 

 いい子よりも、悪い子が構って貰える。頑張っている子より、ダメな子ほど助けて貰える。

 正道に戻そうと手を尽くしてもらえる。

 それは世の中の真理でもある。

 ダメな人間ほど周りに助けられ、社会の制度というものに助けられ、立派な人間で居ようと目指す人間ほど周囲に放って置かれてしまう。

 それが翼には、我慢ならない不公平と理不尽に見えた。

 手を尽くされている当人、一番気遣われている当人が、周囲の全てを疎ましがっているのもその感情に拍車をかける。

 

 翼の周囲の多くは大人で、ゼファーを含む彼らは自分の行為に持て囃されるという対価などは求めてはいないのだが、それを翼が実感できているわけもなく。

 大人は手のかかる子供も手のかからない子供も共に好意的に見ていて、平等に扱う結果手のかかる子供に構うことが増えてしまうだけなのだが、それが分かる翼でもなく。

 周囲の大人が、友達のゼファーが、あんな問題児を自分より優先して色々と手を尽くしている様子を見てしまえば、まだまだ大人には遠い翼も色々と思うところが出てきてしまう。

 

 まして、翼がゼファーを罵倒した奏の悪口を言って、ゼファーが奏をかばったりなんかした日には、「あなたはどっちの味方なの?」と翼が口にせずとも思ってしまうのは必然で。

 自分が嫌いな人は周りの皆も一緒に嫌いであって欲しい、と無意識下で思ってしまうくらいには風鳴翼は子供であった。

 

 寂しいのに。

 頑張ってるのに。

 もっと自分を見て欲しいのに。

 その気持ちを自覚すれば枕に顔を埋めてジタバタしてしまうであろう気持ちの群れが、翼の胸中を無自覚なままに駆け回る。

 

 そんな気持ちを主に汲んでくれるのは、叔父の弦十郎と友のゼファー。

 皮肉にも、奏を気遣っている度合いで計れば二課でワンツーフィニッシュを狙えそうな、そんな二人であった。

 弦十郎はある日の朝に、翼を気晴らしのドライブに連れて行き。

 ゼファーはある日の晩餐に、雑な味付けながらも翼の好物を一品増やしていた。

 

 

「お前が赤ん坊の頃から見てるんだ。お前が寂しがりやなことくらい、知ってるさ」

 

「なんでって……いや、うーん……なんとなく? ツバサがなんだか、不機嫌そうだったから」

 

 

 翼が結果爆発してしまったとはいえ、ある程度は我慢出来ていたのもこうして周囲がちゃんと翼を見てくれていることを示していたからだろう。明確な行動にこそ移していなかったが、了子や緒川など、二課の他の数人の大人も気付いていたフシはあった。

 だから、彼女は思う。

 彼らに迷惑をかけている天羽奏が、今のままで居ることには耐えられないと。

 奏に否定の言葉をぶつけられる度に傷付いている友人のために、心配そうに気を揉んでいる大人達のために、自分も何かするべきなのだ、と。

 

 

 

 

 

 総じて言えば、奏と翼は互いに対し最大限の拒絶を向けている。

 だが、それと同時に敬意や好意というものも持っていた。

 彼女ら二人は磁石のように反発し合い、磁石のように引き合っている。

 

 ある時、翼は血反吐を吐きながら実験に参加する奏の姿を見た。

 周囲の研究者達が顔色を変えて救命行動に走り回る中で、奏は真っ青な顔を血化粧で染めながらも、それでも膝を付くことすらしていなかった。

 おそらくは両足の骨を折られた人間よりも立ち続けるのが困難な体調。

 それでも彼女は、負けてたまるかと言わんばかりに立ち続けていた。

 

 どこまでも真っ直ぐに目的に向かう、その意志は誰かの真似をしたものではない――むしろ、周囲からの反発を跳ね除けつつ抱いた――正真正銘、彼女自身の意志なのだと言えるもの。

 それが翼には、目が潰れそうなくらいに眩しく見えた。

 多くのものを貰い、多くのものを受け継ぎ、多くのものを生まれつき持ち、かつ大切なものの喪失を味わっていない、強くはあっても研ぎ澄まされてはいない翼の意志。

 意志という牙の鋭さにおいて、どうやっても翼は奏には敵わない。

 

 その心の在り方を否定しつつも、その意志と戦いにおける才能に翼は敬意を感じる。

 

 ある時、奏はひたすらに素振りを続ける翼の姿を見た。

 人を守る。それは翼が本心から望んでいるものであっても、彼女の内側に由を求められるものではないのだろう。だから奏には、意味が分からなかった。

 自分が本当にやりたいこと、やらなければならないことだと思ったものでもないのに、他人の受け売りのような主義と主張を迷いなく、本心からの行動として行える翼が。

 そのために必死になれる、強くなれる、そんな生き方がまるで理解できなかった。

 

 人の死という傷が一つもなく、人を助けるのに理由はいらないと言わんばかりで、ただひたすらに強くなることと人を守ることだけを考えている、そんな顔をしていた翼。

 それが奏には、目が潰れそうなくらいに眩しく見えた。

 ノイズに両親が殺される前の自分なら無邪気に尊敬していただろう、ということが分かるから。

 翼のようなキャラクターが活躍する漫画が好きだった昔を、思い出したから。

 そして、昔は好きだったそういう『綺麗な何か』に自分が忌避感を感じるようになってしまった理由にも思い当たってしまったから、胸の奥が締まるように痛む。

 そういう理由で、翼の強さに苛立ちを感じると同時にその強さを認めてもいるのである。

 戦闘力という牙の鋭さにおいて、どうやっても奏は翼には敵わない。

 

 その心の在り方を否定しつつも、その清廉さと戦いにおける強さに翼は敬意を感じる。

 

 他にも多くの感情が二人の間には渦巻いているが、二人を語るならばこれで十分だ。

 つまり、二人はマイナスの方向の大きな感情、それに少し及ばないプラス方向の大きな感情により、互いに対して無視できないほどの大きな感情を抱えているのである。

 

 それは子供の頃に純粋に大好きだったヒーローが、大人になったら残酷で無慈悲な茶番劇の人形にしか見えなくなってしまうのと似ている。

 どうでもいい人間に裏切られるより、恋人に裏切られる方が悲しいのと似ている。

 ファンだったスポーツ選手が、晩節を汚しているニュースを見てしまうのと似ている。

 

 それを好ましく思った気持ちが混ざるからこそ、拒絶と嫌悪の気持ちは大きくなってしまう。

 例えば、『愛憎』という言葉がある。

 愛と憎悪は裏表で、いつでもどちらに反転しうる感情であり、同時に同じ対象に抱くこともある混ざりかねない感情だ。

 混ざり合った混沌とした感情は、時にシンプルな好意や悪意のそれを上回ってしまう。

 

 まあ彼女らはまだ中学生なので、例えるとしたら『好きな異性ほどいじめてしまう』などのテンプレート的行動の方が例えとしては適切かもしれないが。

 なんにせよ、二人は自分がどうして相手を殴りたいと思うのか、自分の気持ちを半分ほど理解しつつ半分ほど理解できないままに、目の前の少女を打倒せんとしているのである。

 

 

「―――!」

「―――!」

 

 

 羨ましい、目障りだ、自分にないものを持っている、許せない、好ましい。

 ああはなりたくない、ああはなれない、もしも自分がああだったら。

 それはある意味、月読調が発症していた『安易なヒーローアレルギー』に似たようなものであったのかもしれない。

 天羽奏と風鳴翼はどこまでも正反対だ。

 なればこそ優劣は語れず、対等とも語れず、対極という表現こそが相応しい。

 

 

「なんで、貴女みたいな人に、それだけの戦う才能が……!」

「なんで、お前みたいな甘ちゃんにだけ、シンフォギアの才能が……!」

 

 

 相手の目が、自分と同じ目をしているから。

 相手の目に映る自分が、相手と同じ目をしているから。

 尚更に彼女らは激昂してしまう。

 

 自分にはお前に羨望されるようなものはない。

 自分にはお前に嫌悪されるようなものはない。

 だからそんな目はやめろと、理性ではなく感情が叫ぶ。

 

 心からの叫びが、二人の間で何十何百と交わされていく。

 

 

「貴女なんかに、私のやり方を否定されたくないッ!」

「お前なんかに、あたしの復讐を否定されたくないんだよッ!」

 

 

 もしも奏が翼のように振る舞おう、と思う時が来たならば。

 もしも翼が奏のように振る舞おう、と思う時が来たならば。

 そう在ろうとする少女は、最強のシンフォギア装者となるに違いない。

 

 だが、それは今の段階では夢物語。

 どこまでも二人は相反し、対極で、正反対かつ相容れない。

 

 翼が腕を振る。

 何の変哲もないその動きで、もう何度目かも分からない光景を繰り返すように、奏が床に転ばされる。翼は自分の足捌きと身体捌きで奏の重心を意図して誘導し、重心が傾いたところで残された片腕で押し、最小限の力ですっ転ばせたのだ。

 そして翼は奏の後ろに回り、首を絞め上げんとする。

 首の血管や気道の位置を熟知した人間による首絞めは、ほんの数秒から十数秒もあれば確実に相手を気絶させることが出来、その倍の時間があれば容易に死に至らしめることが可能。

 

 

「これで……!」

 

「ッ!」

 

「!?」

 

 

 が。

 恐るべきことに、「首を絞められる」と獣そのものである直感を働かせた奏は、自分の頭を動かして首元に差し込まれようとする腕に口元を当て、その腕の肉を食い千切ろうとした。

 人間の戦い方ではない。

 肝を冷やされた翼が瞬時に反応、腕を引っ込めたからこそ無事だったものの、もしも翼が腕を引かなければフライドチキンのごとく骨以外の全てを食い千切られていただろう。

 心胆寒からしめる戦い方だ。

 おそらくは肉に歯が食い込み、翼の動き次第で歯が根元から引っこ抜かれることも承知の上で、その上で噛み付いたに違いない。

 信じられないくらいに捨て身で、攻撃的なそのスタイル。

 

 

「ほらほらどぅしたぁッ!」

 

「なんでもかんでも噛み付く獣が!」

 

 

 だが、翼もこの程度で攻め手を緩めるほど甘くはない。

 奏の動きは直情的で読みやすい部分と、奔放で全く読めない部分が織り交ざっている。

 後者は天衣無縫、どうしようもない。

 しかし前者であるならば、翼にもある程度の先読みが可能だ。

 そして首絞めを噛み付きでかわしてからの奏の立て直しは、前者であった。

 

 今日一度も見せずに温存していた、翼の得意とする技の一つ、切り札の一枚が放たれる。

 天と地を逆転させる、逆さにて舞う羅刹の奥義。

 足が残像も残さないほどの脚技『逆羅刹』が、奏の頭部へと繰り出されていた。

 

 動きを先読みしきった上でなければ放てない、最高のタイミングと最高の位置での蹴撃。

 おそらくはとびっきりのしぶとさと進化した直感を持つゼファーでも、このタイミングと位置で放たれたならば防御&回避成功率は二割を切るだろう。

 ここで終わりよ、と翼は思った。

 ここで終わるか、と奏は思った。

 肉と肉がぶつかり合う激突音がして、奏が吹き飛ばされ……いや、二人は同時に吹き飛ばされていた。

 

 

「……っ!?」

 

 

 逆羅刹は、翼が最も得意とする技の一つだ。

 ゼファーに凌がれたことはある。

 弦十郎に通じた記憶はない。

 それでも、にわかには信じられなかった。

 足に走る痛みが、それを事実だと告げているのだとしても。

 

 

「へっ……どーだい」

 

 

 目で追えないほどの速度の逆羅刹の軌道を見切り、翼の蹴撃に合わせ肘打ちを打ち下ろし、肘先でピンポイントに翼のくるぶしを打ち抜くなど、誰が真似できるというのだろうか?

 

 まして、初見の技に瞬時に対応してそれを成すなど最早人間技の域を超えている。

 いや、技ではない。それは本能的に繰り出した一撃でしかない。

 その動きのどこにも技がないというのに、ここまで強い。

 それこそが、天羽奏が真に恐ろしい部分であるのだ。

 

 だが、翼はそんな強さの多寡に興味はない。

 翼の目につくものは、そんな表面的な強さよりももっと本質的なもの。

 奏は肘打ちで逆羅刹を迎撃した。防御ではない、攻撃で防いだのだ。

 そこに、天羽奏の本質がある。翼が認められない本質がある。

 

 

「貴女がせめて、ほんの少しでも、守ることを考えてくれる人だったなら……私は、私は……!」

 

 

 この戦いの中、ずっと。戦いが始まってから今に至るまでずっと。

 天羽奏は一度たりとも『防御』を行っていなかった。

 自分の体も、自分の命も含め、彼女は何一つとして"守っていなかった"。

 

 

「守る? 守るだ? 一体何を守れってんだ?

 あたしが守りたかったものを奪われたから、あたしは……

 誰もあたしの守りたかったものを守ってくれなかったから!

 ノイズどもがあたしの守りたかったものを奪ったから! あたしはここに居るんだろうが!」

 

「!」

 

「もう全部置いて来た! 奪われなかったものは置いて来た!

 妹も、迷いも、未練も! あたしに守りたいものなんてもう何も無いんだよ!」

 

 

 きっともう、奏にとっては自分の命ですらも守るべきものではないのだろう。

 復讐のために使えるのなら、いくらでも使い潰してもいいものなのだろう。

 奏にとっては既に自分の明日も、未来への希望も、復讐の炎にくべる薪でしかない。

 そこに翼も気付けないような、本人が置いて来たと言っている『迷い』が本当に僅かに、毛の先ほどに混じっていることに、外野に居た同類のゼファーのみが気付いていた。

 

 

「復讐だけに生きるなんて……」

 

「てめえらみたいないい子ちゃんには分かんねえだろうよ……

 復讐ってのはな、脇に置いておくだけでも罪悪感で苦しくなるんだよ!

 何よりも誰よりも優先しておかないと、削られてるみたいに痛くて苦しくなるんだよ!」

 

「だからって!」

 

「余計なお世話だってんだよ!

 気遣ってくれてるのは分かる、あたしのことを思ってくれてんのも分かる!

 今のあたしが気に入らないのも、どうにかしてあたしを受け入れようとしてんのも分かる!

 影でひそひそやってる大人どもよりかは不器用に真正面から言ってくる分ありがてえさ!

 だけどな! あたしが望んでないあたしの幸せを、あたしに押し付けるな!」

 

「―――っ」

 

「みじめに死のうが、それが自分の決めた道で、あいつらを皆殺しにできる道なら―――!」

 

 

 弦十郎があの日奏を二課に受け入れるか迷った理由を、この日翼はようやく理解する。

 その人の未来を優先するべきか、その人の意志を優先するべきか。

 それは答えの出ない命題だ。

 不器用で、真っ直ぐで、鋭く綺麗な日本刀のような生き方しかできない翼には、奏の生き方をシンプルに肯定することも、説得して幸せに向かわせることもできない。

 一度進む方向を決めたなら。最速で、最短で、真っ直ぐに、一直線に目標に向かって突き進んでいく槍のような生き方しかできない奏を、止められない。

 

 だが、それは奏が正しいということにはならない。

 意志の強靭さでは奏が上回っている。翼は彼女を説得できるだけの口の上手さを持っていない。口論でも負けが込んでいる。だが、それだけだ。

 それは奏の在り方が正しいということを、証明するものではない。

 

 

「貴女の妹のことは、もういいの?」

 

「―――」

 

「守りたいもの、あったんじゃないの!?

 家族だって、将来だって、家族が守ってくれた貴女の命だって!

 貴女は自分の中の復讐心が揺らぐのが嫌だ、なんて理由で……

 奪われていなかった大切なものを、全部捨ててしまったんでしょう!?」

 

「黙れ!」

 

 

 いくつもの道があった。

 幸せになれる道なんて、いくらでも残っていた。

 だが奏は、かつてのゼファーのように憎悪こそが今は亡き大切な人への愛の証明だと思い、それが薄れてしまうことを恐れていた。

 恐れたから、捨てた。

 妹と共に二人三脚で生き、幸せで過去の悲劇を乗り越えて、両親の死という傷を癒してたまにしか思い出さない記憶に変える……それが、とてつもなく恐ろしいことであるように見えたのだ。

 大切な家族の復讐のために大切な家族を切り捨てる、矛盾する復讐鬼。

 

 それは翼にだって気付けるもので、周囲の大人は皆気付いていた矛盾。

 いや、それは正確には矛盾ではなく、そうでもしなければ立っていられない弱さ。

 天羽奏という人間が、復讐心を薄めないようにと必死に無理をしている証であり、復讐だけを心の中に据えて置かなければ『こう』在れないという証明でもあった。

 

 

「バカ、バカ、分からず屋!」

 

「てめえの方がどう見てもあたしよりバカだろ!」

 

「そんなことない! 貴女の方がバカだ!」

 

 

 奏は翼へ抱えていた心の鬱憤を全て吐き出した。

 翼は奏へ抱えていた心の鬱憤を全て吐き出した。

 もはや彼女らが抱えていた年齢不相応の歪んだ思い、背負った責任、平穏な世界からは遠く離れた悩み、互いへ向かう尊敬と劣等感は一つ残らず対手へとぶつけられている。

 奇妙なことに、二人は分かり合えていないだけで相手のことをよく分かっているという、なんとも不思議な状態に陥っていた。

 自分の中の不満を粗方吐き出してしまったせいで相手にぶつける言葉も尽き始め、いまや二人の闘いながらの口論も子供の口喧嘩と変わらない。

 

 何も変わってはいない。

 翼も奏も、自分の在り方と相手に求めるものは何一つとして変わっていない。

 奏は力を復讐のために使おうとして、翼は力は人を守るためにあると譲らない。

 なのに、何故だろうか。

 互いに包み隠さず本音の全てを吐き出した後の二人の間には、何かこの喧嘩を始める前にはなかった、不思議な感情が芽生えつつあった。

 喧嘩を始める前にあった相手への黒い感情が、彼女ら自身も気付かぬ内に薄れていた。

 

 抱え込んでいた全てを当人に向かって吐き出し、相手の本音を聞くことで相手への理解を深め、拳と拳で語り合う。二人は共に、根本的な部分に良心の根を持つ人間だ。

 相手を知れば知るほど、色んなことを棚に上げて相手のことを憎む事が難しくなってしまう、そういう人間だった。

 

 二人の心、相手に求めるものは何一つとして変わってはいない。

 ただ、ぶつかり合ったことで二人の関係、互いに向ける感情には変化が生じ始めていた。

 

 

「……」

「……」

 

 

 圧倒的な技量と戦闘経験を持つ翼、天才的なセンスに獣じみた直感と原始の体術を持つ奏。

 戦闘力で言えば、翼が一回り上を行く。

 口論と全力の戦闘を平行して続けた二人の息は絶え絶えで、それを相手に悟られないようにと絶妙に息の音を隠しながら息を整えている。

 野獣の如き体力の奏と、十年近くトレーニングで体力を付けてきた翼。

 体力の総量でも、翼が一回り上を行っている。

 トリッキーな予想できない動きをする奏と、単純に技の引き出しが多い翼。

 技のパターンの総量に差がありすぎて、攻防を繰り返せば繰り返すほどに奏の動きは翼によって見切られ始めていた。

 

 長引けば長引くほど翼が有利。それは互いが共通する認識だった。

 

 すり足で構えの防御に僅かな隙も作らぬまま、翼が一気に距離を詰める。

 詰め切られてはたまらない奏は、ハイキックで迎撃。

 しかしながら純粋な経験値で圧倒する翼に当たるはずもなく、体を前に屈めるだけでかわされてしまう。が、奏もそれは承知の上。

 翼の振り上げた拳が放たれ、それに一歩遅れて、ハイキックの勢いで一回転した奏の拳が放たれる。翼の右ストレートを奏の左ストレートが迎撃する形。

 つまり、クロスカウンターの形であった。

 

 

「ッ!」

「ッ!」

 

 

 洗練された技巧の一撃と、捨て身の反撃の交差。

 互いの顔面へと向かった拳はどちらも目標へは届くことなく、拳を打ちながら顔を逸らす回避を互いが同時に行ったことで、二人の顔のそばを拳が同時に通り抜けていった。

 必然、二人の体は至近距離まで近付く。

 

 

「「らぁッ!」」

 

 

 示し合わせてもいないのに、そこで奏と翼が取った選択肢は同一であった。

 頭突き。頭突きである。

 互いが互いの頭をかち割ってやると言わんばかりに強烈に額を打ち付け、衝撃で互いの頭が後方に仰け反る。頭の中身がぐわんぐわんと回る中、次の一手を先に打ったのはやはり翼であった。

 至近距離ということで、奏の鳩尾に全力の膝をカチ上げる。

 しかしながら奏もさるもの。一瞬出遅れたものの翼の膝を足裏で抑え込み、翼の膝蹴りの勢いを体に乗せて跳躍、一気に距離を取った。

 

 

「ハァー、ハァー、ハァー……」

 

「……ふぅ」

 

 

 相も変わらず主導権を翼が握り、奏が超人的な動きでしのぐ流れが続く。

 だがその内実は、相当に奏が不利な方向へと傾いていた。

 時間が経てば立つほど奏の動きの精度は鈍り、翼は的確に奏の動きを読めるようになり、翼の攻撃は奏を仕留められるラインに届くようになって行く。

 努力は人を裏切らない。たとえ、努力が勝利に直結しないのだとしても。

 翼が連綿と続けてきた努力の日々が、最後の最後で彼女の身体を支えてくれていた。

 

 

(もう次からはあたしもかわせる自信はねえ……なら……)

 

 

 長引けば不利。

 ならば奏は、短期決戦を挑むしかない。次の一撃に全てを賭けるしかない。

 捨て身の一撃に全てを懸けて、そこに勝敗を委ねるしかない。

 奏の構えからそれを読み取ったのか、翼も拳を引いて攻撃の構えに移行する。

 技量は翼が上。体力の問題で動きの精度も翼が上。結果は決まり切っているだろう。

 

 

(決めるしかねえんだ……ここで……!

 あたしの復讐を、決めた道を、こんなところで否定されてたまるかッ!)

 

 

 防御などない。

 守るものなど何もない。

 全身全霊を、敵を打ち倒すために。それが天羽奏のファイトスタイル。

 待ち受ける翼に向かって奏は駆け出して、防御も回避も捨てた拳を撃ち放つために体を捻る。

 その時翼の向こう側、壁際に居る男達三人が偶然彼女の目に入った。

 

 緒川慎次が居た。

 彼は自然体で、身構えているのかどうかすらも分からない自然過ぎる姿勢を保っている。

 風鳴弦十郎が居た。

 彼は何かを信じる視線を翼と奏に向けていて、ゼファーを抑え込んでいる。

 ゼファー・ウィンチェスターが居た。

 少年は弦十郎に抑え込まれていなければ今にも飛び出して行きそうで、奏と翼の血みどろの戦いを見ているのが辛そうで、無事に終わって欲しいという切実な願いと心配が入り混じった瞳を二人に向けている。

 そう、二人にだ。

 

 奏は、ゼファーは翼の心配だけをしていると思っていた。

 今日までの間に何度もゼファーと翼が楽しげに話しているのを目にしていたし、親しい友達で同じ目的に向かっている仲間なのだと、そう考えていた。

 だから奏は、ゼファーが翼の無事と自分の負けだけを祈っているのだと思っていたし、それだけの友情をゼファーと翼の間に感じていた。

 

 

「―――」

 

 

 なのに、ゼファーは奏の無事を祈っていた。

 どちらか片方の無事ではなく、どちらか片方の勝利でもなく、両方が無事であることを祈っていた。この喧嘩が、取り返しの付かない所にまで行かないようにと祈っていた。

 出会ってから罵倒しかされていないような奏の無事すら祈っていた。

 

 

(……バカじゃねえの)

 

 

 その瞬間、奏は何故か、心のどこかが冷めていくような感覚を味わった。

 自分を駆り立てる不可視の熱が抜けて行き、普通の少女だった頃の奏の心が顔を出す。

 カッとなっていた頭が、すっと冷えていく。

 翼が奏の鬱憤を全て吐き出させ、ネガティブな感情が空っぽになったところに、ゼファーという奏の気持ちを理解できる者が引き出させた、この瞬間の奇跡の一手。

 それは気まぐれ。それは思いつき。それはなんとなく。

 

 祈りを聞き届け、"思わず"、奏は翼の攻撃を『防御』した。

 

 

「え?」

 

 

 その声は、誰のものであっただろうか。

 奏は『守った』。

 翼に全ての歪みを吐き出した後、ゼファーに促されるような形で、本当に無意識下の行動で。

 奏の攻撃は放たれず、翼の攻撃は綺麗に受けられ、誰も意図しないままに最高の奇襲として機能する。翼は不意を打たれ、信じられないものを見たような顔で止まってしまう。

 それは一瞬の硬直。けれど身体的・精神的な隙が合わさった、決定的な隙だった。

 

 

「……どらぁッ!」

 

「! しまっ―――」

 

 

 幾度となく放たれた奏の攻撃が、とうとう翼へと届く。

 固く握りしめられた右拳が、吸い込まれるように翼の平たい胸の中心に叩き込まれる。

 後方に吹っ飛ばされ転がる翼。

 息を切らして、肩を上下させ、叩き込んだ右拳を空に掲げる奏。

 ここにようやく、勝敗は決した。

 

 

「あたしの、勝ちだ……!」

 

 

 風鳴翼と天羽奏の初めての喧嘩は、こうして終わりを迎えたのであった。

 

 

(あたしが勝ったけど……強かった。きっと、あたしよりも……)

 

 

 汗を拭う奏は、勝利の余韻に浸るでもなく、心中で言葉にしない翼への賞賛を呟いていく。

 気に入らない、という翼への感情を彼女は今はほとんど感じていない。

 殴り飛ばされた翼を見れば、痛そうに胸を抑えて座り込んではいるものの、骨が折れた様子もなさそうだ。

 ただそこからが奏の想定外で、翼は自分の後方に居た叔父へと話しかける。

 

 

「叔父様、そこに居ますか……?」

 

「ああ。どうした、痛むのか?」

 

「痛みますが、今はそれは関係ありません。

 あの日の、ゼファーと叔父様が模擬戦をした日の前日の話を覚えていますか?」

 

「ああ、覚えているとも」

 

 

―――追い詰められたギリギリの場所でこそ、人の本質が出るとお父様から教わりました。

―――彼はボロボロでした。体も、心も。彼の手を取った私には分かるんです。

―――なのにあの一瞬で、彼は自分の命を省みず、私に手を伸ばしてくれました

 

 翼は高所から落ちそうになり、そこで自我を喪失しかけていた状態でも手を伸ばしたゼファーに助けられ、その後シンフォギアで助け返した。

 その時に、翼はゼファーの本質を垣間見たのだ。

 最後の最後で露わになった、誰かに手を差し伸べるというゼファーの本質を。

 

 追い詰められたギリギリの場所でこそ、その人の本質が出るというのなら。

 最後の最後で捨て身になるでもなく、翼の攻撃から逃げるでもなく、『守り』勝とうとした奏の本質は、翼の目にはどう映ったのだろうか?

 

 

「天羽さん」

 

「あ? んだよ」

 

「最後に、何故"守った"の?」

 

「……なんとなくだよなんとなく。大怪我すると、後で煩そうなのが居たからだ」

 

「……ふふっ」

 

「なにいきなり笑ってんだ? 気持ちワリィ」

 

「なんでかな。私、そんなに貴女のこと嫌いじゃないのかもしれない」

 

「はぁ?」

 

 

 そんなものは、決まっている。

 

 

「私達、友達になれると思うんだ」

 

「―――」

 

 

 "あ、この人、ゼファーと同じだ。ならきっと、友達になれる"。

 

 

「……やっぱお前、バカだわ」

 

「バカって言う奴がバカなのよ?」

 

「安心しろ、それはバカしか使わねえ文句だ」

 

「!?」

 

 

 毒気を抜かれたというか、翼のどこかズレたノリに調子を崩されたというか。

 翼に対する奏の態度が、びっくりするくらい軟化している。

 二人が男子でここが河原であったなら、少年漫画そのものの光景だっただろう。

 殴り合って全部ぶつけ合って仲が良くなるなど、二人とも男らしすぎる。

 

 あるいは、奏の中に生まれた翼に向かう善意は、妹への愛があった心の場所から生まれた本人も自覚していない感情であるのかもしれない。

 翼と奏の妹は、歳が一つしか違わなかったから。

 

 

「とりあえず、二人ともそこに座ってくれ。救急箱持ってきたから」

 

「あ、ゼファー」

 

「は、こんなのツバ付けとけば治るっての」

 

「爪剥がれてる人がよく言うよ……応急手当したら医務室連れて行くから、じっとしててくれ」

 

 

 翼とゼファーは模擬戦を通して仲を深めて友人となり。

 ゼファーと奏は戦いこそが初対面であり。

 奏と翼は戦いを通して正反対ながらも互いを受け入れた。

 本当に現代社会に生きているのか分からないレベルの、戦いで語る子供達だ。

 

 この日のことを、翼と奏は何度も何度も思い出す。

 すぐに仲良くなれたわけではない。

 これから先、彼女らは何度も意見をぶつけあい、時には喧嘩もするだろう。

 

 けれど『友達になれた』のはこの日なのだと、二人はこの日のことを何度も何度も思い出す。

 

 




ツヴァイウィングは喧嘩したことないタイプのコンビじゃないよね、なんて思ってます

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