戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
緒川慎次は極めて有能だ。
任せれば大抵のことはできる上、二課の職員からの信頼も厚い。
漫画に出てくる忍者のようなことは大抵できるし、戦闘力も二課では弦十郎に次ぐ。
帳簿から不審点をさらっと見付けるなど、頭脳労働も完璧だ。
しかもイケメン高身長。しっと団がゲロを吐くレベルの完璧超人である。
「っと、危ない」
「……!」
そんな緒川の凄まじさは、今こうして行われているゼファーとの模擬戦でもよく分かる。
「なんで当たらないんです!?」
「かわしてるからですよ」
緒川はスポーツシューズにジャージのゼファーに対し、動きにくいスーツに革靴というハンディを背負い、更に武器と忍術の使用も無しというハンディまで追加している。
対しゼファーはゴム弾の銃装備、新生直感、絶招と全て無制限だ。
なのに何をしても当たらない。服の端っこにすらかすらない。
緒川は速度まで手加減しているのかそれほど速く動いていないというのに、それでもゆらゆらと攻撃をかわしていく。
「要は攻撃の点と線に触れないよう体をずらすことですから」
「勉強になりますッ!」
緒川は動きを誘い、かわし、受け、流し、闘いながらも指摘を続ける。
形式こそ模擬戦だが、これは立派な稽古だろう。
拳の弦十郎や剣の翼とは違い、緒川は忍術に銃等の近代武器もきっちり併用する。
使えるものは全部使っていくタイプの人間だ。
だからこそ、実践形式での稽古ではゼファーの指導者にかなり向いている。
「絶招は強力ですが、司令のように全ての技が強力というわけではなく、正拳限定です」
「ぐっ」
「モーションと前兆が分かりやすすぎるのがネックですね」
ゼファーは絶招を撃つも、緒川が大きく右腕を振る。
ただそれだけで、少年の拳は横から肘鉄で押されて流され、緒川の右の手刀がゼファーの首にピタリと添えられた。攻防一体の技を、緒川はさらりと見せていく。
どこかでゼファーが真似して使えるように、技を見せて教えていく。
手加減されているのはゼファーもよく分かっているから、手刀を寸止めされたことにもゼファーはうろたえず、後ろに跳んで距離を取った。
「ゼファーさんの反応は飛び抜けて早いと思います。
ですが、それに頼り過ぎで技の組み立てが雑になる時も多いですね。
慣れるまでは難しいとは思いますが、戦いながらも考えましょう!」
「はい!」
褒める所は褒め、指摘する所は指摘する。
緒川の声に、ゼファーは腹から声を出して応えた。
実際、緒川は少年の実力を確かに認めていた。
直感と跳躍力を組み合わせ、精神的なしぶとさを反映したような粘り強さ。
当たれば一撃必殺の絶招。銃など武器の扱いの経験も豊富。
土壇場での発想力も悪くはない。
直感でとことん粘ってしぶとく喰らいつき、絶招や踵落としなどのワンチャン一撃を決める戦闘スタイルが完成しつつあった。
翼が鍛錬で一段一段堅実に強くなるタイプなら、ゼファーは鍛錬での伸びが悪い代わりに実戦の土壇場で色んなものが噛み合い、爆発的に強くなるタイプ。
ジャイアントキリングはするものの、平時の実力が足りないタイプであると、緒川は感じた。
何度か手合わせをしただけで、すでに緒川はゼファーの特性を見抜いていた。
翼がサイコロで常に5を出すタイプなら、ゼファーは1と時々6しか出ないタイプだ。
「もう一本お願いします!」
「はい、何本でも付き合いますよ」
ただ、そういう分析はおまけのおまけだ。
緒川がゼファーの戦闘スタイルを改善するためにしたことの一つにすぎない。
分析のために模擬戦に何時間も付き合ってやれるほど、緒川は酔狂な人間ではないのだ。
ただ彼は、頑張るゼファーに好感を持っていた。
自分を頼ってくれた子供に応えようと思ってくれるくらいには人格者だった。
そしてそのためならば、忙しい中でも時間を作ってくれる大人であった。
緒川慎次は、穏やかで静かな気性の人間であるとよく言われる。
しかし、男だ。男の熱さを解せぬような人間ではなく、静かに内で燃える人間だ。
だからこそ、彼は少年の熱さを無下にはしない。
第十三話:灼光の剣帝×小さな花×心気絶招 4
日本人が義務教育で習う知識を宝、と例えた人間が居る。
自国の文学、英語、四則演算に専門分野に踏み込んだ数学、道徳、化学物質の取り扱い、料理、武道、歴史、などなど数え切れない貴重な知識を九年かけて叩き込まれるのだ。
その価値と量は計り知れない。
自覚は薄いだろうが、日本人は皆知識面でかなり優れたスタートラインを貰っているのだ。
翼も、未来も、響も、二課の大人達のほとんども。
ゼファーはそういうものを一切与えられていない。
日本の常識もまだ不完全だし、使える漢字も少なく、カードを使ったこともない。
紛争地域の子供と日本の子供の間には、そういう目には見えない差があるのだ。
ただ、それは総合的な知識量に差があるというわけではない。
生まれた場所が違うということは、学んできたことが違うというだけのことなのだ。
子供が生まれた場所の劣悪さで、その人生を無駄であったと断じられるわけがない。
どんな人生にも無駄はない。無駄な命なんてものが存在しないのと同じように。
過去を活かせる人間は、自らの人生の全てを無駄にしないものだ。
「へぇ、バイクの整備できるんだ」
「いえ、実際に弄るのは初めてです。
昔友人がメンテしてるのと、運転してるのを見ていたことがあって……」
「ふぅん」
「俺がその友人から教えられたことがあるのはバイクの盗み方くらいです」
「ガラにもなく本気で忠告するけど、ダチは選びなよ」
カチャカチャといじられるバイクに、その前に座るゼファー、その後ろに立つ甲斐名。
二課の内部にある訓練室の一つにて、二人は駄弁りつつバイクを修理していた。
ゼファーにそんなことができるのかと思われるかもしれないが、思い出して欲しい。
この少年、フィフス・ヴァンガードに居た時期に、車両のタイヤ点検・エンジンオイル補充・ブレーキやクラッチなどの具合の調整・部品交換や発注などもやっていた。
やり方はジェイナスのバイク点検を見て覚えただけとはいえ、車で要領を覚えていた以上、大きな失敗をすることはあるまい。実際にやっていけば色々と覚えられるはずだ。
甲斐名の指示でパーツを交換するだけなら、壊すこともないだろうし。
「パーツ交換だけなら、そう難しくないですね」
「そうそう、上等上等」
「溶接してる所を開くのは、よく知ってる車種じゃないと怖いのでちょっと……」
「中古車のメンテにんなめんどくさい行程はないっての」
ゼファーが頼んで、甲斐名は面倒くさそうに応えた。
そしてその頼みを果たすために、彼は二課が今は使ってない死蔵バイクを引っ張り出してきた。
そしてメンテから、逐一ゼファーに教え込んで行く。
少年が彼に頼んだこととは、つまりそういうことだった。
「よし、終わりました! それではご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」
「はいはい、熱血は肌に合わないからよそでやってね」
ニヒルというより、素で煽ってくる皮肉屋のような性格の甲斐名。
彼も自覚してはいるのだろうが、直す気は全くないのだろう。
真っ直ぐな少年の視線に照れたのか、よそを向いてひらひらと手の平を振っている。
そして手早くバイクに少年を跨がらせ、ブレーキなど各種操作を教え始める。
「ま、でも、そうだね。それが正解だ」
ゼファーが甲斐名に教えを請うたのは、バイクの運転方法だった。
「死なせるのが嫌なら、戦う力だけじゃなく逃げる力ってのも要るもんだよ」
響を背に隠し逃げ惑った経験がゼファーに教えた教訓は、「逃亡手段の足りなさ」であった。
ノイズが相手なら、守るためには逃げなければならない。逃さなければならない。
そのために何の技能も持っていなかったことに、ゼファーはようやく気付いたのだ。
そこでゼファーが思い出したのが、一課二課との共闘の時の甲斐名のドラテクである。
ノイズの隙間を余裕を持ってくぐり抜けるだけの彼の腕に、疑いようはない。
師と仰ぐには悪くない人選だ。
「ぬわー!?」
「あ、コケた」
が、かなりスパルタなのが玉にキズか。
転ばないよう十分に下積みを積ませるより、短期間に仕上げることを重視してガンガン実際に乗せて走らせる。そして、当然コケる。
バイクはどこかに滑るようにすっ飛んで行き、ゼファーはゴロゴロ転がって行った。
年間の交通事故死亡者数の1/4がバイク事故というのは伊達ではなく、大して速度を出していなかったというのにゼファーのどっかの骨がボキっと折れる。
まあ、あっという間に治ったのだが。
「おー、すごいすごい。便利だねえ、ソレ」
「ええ、まあ、あづっ、バイクが壊れない限りは練習できる体ですので」
「これは予想以上に筆記に時間取れそうかな」
最初はただひたすら、長方形の道筋を走らせるだけ。
甲斐名のような曲芸じみた動きはまだゼファーには早い。
じっくりと基礎から固めていてって、まずはそれからだ。
道筋をゆっくりなぞろうとして、逆に速度が出なくて安定せずまたステーンと転ぶ。
「いぢぢ、づっ、と、そういえば、免許? ってやつは大丈夫なんでしょうか」
「あぁ、大丈夫大丈夫。二課ってなんだかんだ公的機関だし。
風鳴司令が元公安警察っていうコネもあるしね。
実年齢誤魔化して、取ろうと思えばすぐ試験受けて免許取れるよ」
「権力すごいですね」
ゼファーは日本人には年齢が読みづらい外国人だが、16歳に見えるかどうかはギリギリだ。
だが実年齢がハッキリしていない以上、二課の権力でどうとでもなるだろう。
覚えたての免許という言葉を使うゼファーだが、これが日本で最初に手に入れた身分証明書になるということには気付いていない。
この国にまた一つ受け入れられたという証明を手にするということに、気付いていない。
まあ仕方ない。彼は免許証が身分証明書になるという文化に馴染みがないのだろう。
「根詰めてもしょうがないし、そろそろ休憩にしよう」
「すげえ剥がれた爪もう生えてきた……あ、はい、休憩ですね」
「……もうちょっと安全運転を心がけない?」
ちょっとグロいことを始めたゼファーを見て、甲斐名が頬をひくつかせる。
甲斐名はグロ耐性はある方だが、流石に目の前でそういうことをやられれば動揺もするだろう。
休憩を指示されたゼファーはバイクを降り、壁に背を預けて座る。
甲斐名は何か用があったのか、ゼファーに一言告げてから部屋を出て行く。
その際に、彼のポケットから何かが滑り落ちた。
「……?」
閉まる自動ドアの向こうに甲斐名が消え、滑り落ちた何かをゼファーが拾いに行く。
拾い上げたそれは、ロケットペンダントだった。
落ちた衝撃で蓋は開き、中の写真が覗いている。
そこには甲斐名に似た小さな子供と、甲斐名の面影のある中年の男性が写っていた。
「カイーナさんと……そのお父さんかな」
ゼファーの脳裏に、自分を育ててくれた老人の姿が蘇る。
二人で立てた親の墓標とクリス。ナスターシャとマリア。翼の母と翼。
そして先日の、ゼファーが響をノイズから守り切った後の話。
家に響を送っていった時、ゼファーは響を迎え入れた響の両親の涙を見た。
あの日、川に落ちた後の響を見舞いに行かなかったせいで結局見ることがなかった、響の生還を喜ぶ響の両親と、両親に抱きしめられる響の笑顔を見た。
避難していた人達の中に、響の姿が見えなかったことが両親の心配を倍加させていたのだろう。
ゼファーが響を連れてくると、真っ先に母親が彼女に抱きついた。
涙ながらに、心配をかけたことを怒り、無事だったことを喜んでいた。
そして力一杯響を抱きしめる母親と、響を一緒くたに父親が抱きしめる。
響の祖母は遠巻きにそれを見守りつつも、その目尻に涙を浮かべていた。
そしてその後、ゼファーはたくさん礼を言われる。
それこそ、響を危なっかしい守り方をしていた自覚があった、彼がちょっと気が引けてしまうくらいに。
次々と蘇る人の触れ合いの記憶は、彼が目にしてきた親子の絆。
短い人生の中で彼が覚えてきた、友が親より受け取っていた愛だった。
彼はずっと、血の繋がった家族というものに憧れていた。
根拠も保証もなく、それが幸せなものなのだと無自覚に信じていた。
そんな繋がりを欲しいと、そう願っていた。
だからゼファーは、そのロケットの写真をどこか眩しい物を見るように見る。
「お茶自販機で買って来……って、あれ、それ落としてたんだ」
「あ、すみません! 落ちた時に蓋が開いてて、勝手に見るつもりはなくて、その――」
「いーよいーよ、見られて困るもんでもないし」
慌てて謝り始めるゼファーの言葉を手で制し、甲斐名はひょいとロケットを摘み取る。
「自分を虐待してた親の写真を、いつまでも未練たらしく捨てられない僕も僕だし」
「え?」
そして甲斐名の言葉に、思考が停止した。
その時のゼファーの表情は、対面していた甲斐名にしか見えていなかった。
鏡がない以上、その表情はゼファー本人にも見えてはいない。
だが甲斐名が表情を歪めたことから、ある程度の推測はできる。
「何その顔? そういう親だって居るのさ」
甲斐名がロケットを開き、ゼファーに見せる。
その中の写真の子供と父親はとても仲が良さそうに見える。
なのに、彼は虐待されていたと言う。別に甲斐名はゼファーに対し悪意があるわけではない。
ただ、教えようとしているのだ。
社会を生きていく上で、この少年がいつかつまずくかもしれない小石の存在を。
血の繋がった親がいたとしても、時に愛を注がれない子供も居るのだと。
甲斐名は近畿のとある田舎に生まれた子供だ。
彼にとって駅の周りの賑やかな町並みは都会。自分の住むボロアパートや古びた学校、ボケの始まった婆さんの駄菓子屋の周辺は全て田舎だった。
たまに駅周りに遠出したことで都会に行った気分になり、テレビや雑誌で見る東京の町並みに興奮して、「いつかこんな所を出て行って都会でビッグになってやる」と息巻く子供であった。
ここではないどこかに夢を見る、そんなごく普通の子供だった。
彼の両親は普通の男女であった。
強いて言えば母には少しだけ神経質な部分があり、父は少々煽り屋気味のムードメーカーで、それでも社会の中で生きていける程度には真っ当な人間だった。
甲斐名は大人になった今もこの二人の気質と、二人の苗字を受け継いでいる。
ただ、この両親は人気者でもなければ、格別周囲に慕われていたわけでもなかった。
理由はただ一つ。
どんな人間の中にもある「他人に見下されたくない」という当たり前の感情。
この二人のそれが、普通の人よりも少し大きかったという点に起因する。
集団の中でいじる側はいいがいじられる側に回るのは嫌、なんていう一部の人間が持つ性質。
それが彼らの人生に見えない地雷のごとく埋没していて、ある日爆発したのだという話。
甲斐名は詳しい経緯は知らない。
けれど父が周囲から退職を強制されたこと、その時に同僚に口汚く罵られたこと、そのきっかけが父の大失敗であったことだけは、後に人伝に聞くことが出来た。
けれどその結果どうなったかという結果だけは、身をもって嫌というほど知ることが出来た。
父は退職してから一週間ほど経った日から、家族に暴力を振るうようになったからだ。
甲斐名の記憶の中では、そんな父の手にはいつも酒瓶があった。
「クズが」「何の取り柄もないガキのくせして俺を見下すな」
「なんも出来ねえカスのくせに」「てめえみたいな底辺は俺とは違うんだ」
「お前の価値なんか無いし誰も認めない」「無能」
父は甲斐名を殴る度、罵倒の言葉をぶつける。
息子だけではなく、その内その魔手は妻にまで伸びた。
甲斐名は何度も何度も、母が殴られて血と涙を流す光景をぼーっと眺める。
繰り返す内その光景は目に焼きつき、今でも彼はそれを夢に見てしまう。
母が家を出て行き、壊れた父と甲斐名だけがその家に残されるまで、時間はかからなかった。
人間は、自分を特別な存在ではないと大人になる過程で知り……けれども、「全人類の半分くらいは自分より下だろう」と無自覚に認識していることが多い。
自らの価値を相対価値を用いず、絶対価値のみで評価できる人間なんて極めて珍しいのだ。
父は息子を見下すことで自分の価値を保とうとした。
家の中という狭い世界の中で、自分より弱い奴をいたぶって、その世界の中で最強の自分という現状に酔い、アルコールに酔い、現実から逃げ続けた。
そんな父に見下され続け、痛め続けられる現状から母は逃げた。
辛く貧しい生活には耐えられても、家族に見下されることには耐えられなかった神経質な女は、息子を置いて一人逃げ出したのだ。
そして、家庭内暴力に走る父と、幼い頃の甲斐名だけが残される。
誰も指摘しない。だから甲斐名の父は気付かない。
「俺は底辺じゃない」「俺よりクズで弱い奴も居る」「俺はこいつより偉い」
そんな風に自分に言い聞かせるために、甲斐名の父は子を傷めつけた。
自分のみじめさから逃げるために、自分の偉さを、自分の価値を証明するために。
子供は「えらいえらい」と褒められるだけで大いに喜ぶ。
それはその言葉が何よりも純粋に、その子供の価値を認める言葉だからだ。
大人は他人の価値を認めることを子供に教える。
子供は自分の価値を認められる嬉しさを覚える。
けれど甲斐名の父はもうそんな子供ではなく、そんな大人にもなれなかった。
他人を偉いと褒める大人ではなく、他人を殴って自分の方が偉いと叫ぶ大人になった時点で、もうどうしようもなかったのかもしれない。
「昔さ、所謂虐待されてる子供ってやつだったんだよ、僕」
甲斐名がそんな父の話をしたのは、いつかゼファーが『そういう問題』を抱えた子供と出会った時のことを思ってが半分、後悔が1/4、自分語りが1/8、期待が1/8。
ゼファーがそんな境遇の子供と出会った時、その人物を無神経に傷付けないように。
それがきっかけで、ゼファーが誤解されないように。
この手の問題を抱えた子供がもし、ゼファーの前に現れた時。
何かしらの形で、助けるなり守るなり救うなりしてくれないかと、そう期待して。
後悔と期待を混じえて、出来る限り感情を漏らさないように、茶化すような口調を意識して心がけ、彼は少年に昔の思い出を語る。
「酒飲んで平日の昼間からグダグダやってる親父と、そんな親父に愛想つかして出てったお袋。
残された僕は毎日アルコールくせえ部屋で殴られててさ。
そんな親父でも、好きだったのか、唯一の家族だったからなのか……見捨てられなかった」
いつかこんな所出て行ってやる、とここではないどこかを夢見ながら、たった一人の家族を見捨てられず、自分の生きる狭い世界から逃げ出せない。
当時の彼は小学生。
親から離れる、なんて選択肢が選べるわけがなかったのだ。
「アルコール抜ける度にごめん、ごめんとか言う親父を許してさ。
それでアルコールが入る度に俺をクズだクズだと罵る親父に泣いてさ。
アホみたいにそういうのを何回繰り返したかも覚えてない。
そのくせ、いつかの未来に全部解決してくれるだろ、なんて思ってた」
憎くて、好きで、許せなくて、離れられなくて、悲しくて、怒って、虚しくて。
どうしようもない親と、そんな親にか細い希望を持っていた子供。
家事も食事も全部一人でやるようになり、時折自分が買いに行かされた酒を飲んだ父親に殴られて、いつかぶっ殺してやると殺意を抱く。
けれど酒が抜けた父親に謝られると、昔のまだひょうきんでからかい癖があって、優しかった頃の父親の姿が蘇って、いつかまたあの頃に戻れるんじゃないかと、そんな幻想を抱いてしまう。
何度も何度も繰り返し。
それが終わったのは、彼が中学校に上がる直前だった。
「そしたらアルコール中毒とやらでポックリ。
笑えばいいのか泣けばいいのか、もうさっぱり。
『いつかの未来』は、来なかった」
いつかの未来に期待することを彼は否定しない。
彼もそこに見た希望で立っていた人間だから。
ただ、それに寄りかかり過ぎることの危険性も知っている。
彼は心待ちにしていた『いつかの未来』に、裏切られた人間だから。
「田舎だったからさ、虐待がバレてからの周囲の視線がウザいのなんの。
で、ぼんやり偏差値だけで決めた高校に進学とかして……
そしたらなんか、同じこと繰り返してる気がしたんだよね。
昔と変わらず僕は決断を先延ばしにしてるだけだな、って思ったらなんかクソ苛立ってさ。
んで、高校出たら即自衛隊入ったね」
迷ったり、悩んだり、傷付いたり、絶望したり。
そうなった時に違う自分、ここではない場所、知力にしろ腕力にしろ力を求める、というのは別段珍しいことではない。それは、現状を変えようとする意志の表出なのだろうから。
かつて彼がそう望んだように、甲斐名は電車に乗って故郷を後にする。
けれどもう、ここではないどこかに夢見る心は失っていた。
「自衛隊から林田さんと一緒に一課に転属。
天戸さんに目ぇ付けられて二課に引き抜き。
それで今は二課に居るってわけ」
「……波瀾万丈ですね」
「よくある話だよ、よくある話。
僕みたいなのが世の中には一杯居るって覚えておいた方がいい。
何しろ、日本でも児童相談所が対応した虐待の件数は年間七万超えてるんだから」
「ななまっ……!?」
「ま、一部には躾でしかないのもあるんだろうけどね。地雷は踏まないに越したことはない」
それだけ教えておけばこの少年には十分だと、甲斐名は結論付ける。
事前にそういう知識があれば、この少年は気遣う気持ちで十分地雷をケアできるだろう。
自分は繰り返してしまったから、そのせいで終わってしまったから、もしこの少年がどこかでそんな悲しみと出会った時に、繰り返さない選択を選んでくれるように、そう彼は願う。
「誰かを愛してる、誰かを憎んでる。
それが原動力だった奴には気を付けた方がいい。
愛憎の対象がなくなって気持ちが空振りしたやつは、危険なくらいに不安定だからさ」
「……それって」
「僕も林田さんや天戸さん、風鳴司令には随分迷惑かけてきた気がするよ。
あ、あの人達の前では言わないでよ? 絶対面倒くさい絡み方してくるから」
「はい、絶対に言いません。男の約束です」
「うん、それならよし」
ついでの忠告は経験談。
家族が源泉である愛憎に浸かって居た彼の口から吐かれる、実に実感に満ちた言葉だ。
「感情が空振りした後、新しい愛憎を手に入れた奴はもっとどうしようもない。
愛の代わりの愛、愛の代わりの憎悪。
憎悪の代わりの愛、憎悪の代わりの憎悪。
代替だから、本人の中でも決着が付けられない気持ちだってのが最悪だ」
血の繋がった家族の間に、愛がないことが悲劇に繋がることもあるように。
愛があったことが原因で、悲劇に繋がることもある。
愛と憎悪は表裏一体。あってもなくても裏表、ささいなきっかけで裏返る。
そして元になった感情が大きければ大きいほど、生まれてしまう感情も大きい。
『家族の復讐』のような感情ならば、その最たるものであると言えるだろう。
愛していたから憎い、というシンプルで強力な感情の反転なのだから。
「そういう人間が居たら距離を取った方がいい。ロクな人間が居ないから」
僕も含めて、と彼は言外に含んで言った。
「忠告ありがとうございます、カイーナさん」
そんな言外の言葉も読み取って、ゼファーは「はい」とは答えなかった。
ゼファーは甲斐名が嫌いじゃない。だから答えははいではなく、ありがとう。
彼は少年の気遣いに気付いたようで、後頭部をガリガリと掻いている。
子供の純粋な好意と気遣いに気付けないほど、彼はバカな男ではない。
「あー、変なやつだよお前は……って、もう時間か。悪いけど僕、そろそろ仕事だから」
「今日はありがとうございました。また今度、よろしくお願いします」
「礼なんかいいっての。ほら、バイク僕が返さなきゃいけないんだから渡しな」
ゼファーからバイクを受け取ると、甲斐名はそれをカートに乗せる。
廊下を汚さないための気遣いだろう。
そのままカートを押して訓練室を出る甲斐名に、ゼファーが続いていく。
「僕はこのまま倉庫行ってから詰め所行くけど、そっちはどうするの?」
「夜に一課の人から誘われてるノイズの研究会があるので、それの準備を。
とは言っても書類とかそういうのは何故かリョーコさんが全部仕上げちゃってて……
自分は読み返して、想定されてる受け答えを覚えて、言うべきこと考えるだけなんですけどね」
「相変わらずあのおばさん過保護なことで」
「本人の前で言わないでくださいよ?」
分かれ道で頭を下げ、再度礼を言って去っていくゼファーの背中を見送る甲斐名。
「で、何用?」
「うっ、気付かれてましたか」
「いや、まあ、ねえ」
そんな甲斐名が声をかけると、曲がり角の向こうから翼が姿を見せた。
甲斐名は今気付いたが、もしかしたらゼファーはもっと前から気付いていたのかもしれないと思うと、甲斐名は少し首を傾げる。
あのゼファーが彼女をスルーした理由が、甲斐名には少し検討がつかない。
「あの」
「うん? で、どうしたのさ」
「バイクかっこいいですね」
「は?」
「それだけです。それじゃ」
それだけ言って、翼は立ち去っていた。
いや、走り去っていった。50m6秒前半くらいの速さで。
「……いや、いやいや、まさか……
バイク好きで、女の子だからそれが恥ずかしかったから影からずっと見てたとか……?
だからあいつはあの子に気付いてたけどスルーしてた……? え? マジで?」
なお、大正解の模様。
子供のノリ二連発をくらい、甲斐名はすっかり毒気を抜かれてしまった。
今のどころか、昔の『毒気』まで結構抜かれた、そんな気分になるくらいに。
なんとなく、いつか翼にもバイクを教えるハメになるような、そんな気がした。
バイク話があの子らにとってのポケモンになったりするんだろうか、なんて考えながら。
「ふぅ、だからガキは面倒で嫌いなんだ」
バイクを乗せたカートを押しながら、甲斐名はグチグチとぼやいていく。
「……たまには、盆以外にも墓参りに行くかな」
次の休暇の使い道を、こっそり心中で決めながら。
愛情と憎悪は裏表。
その人のためなら死んでもいいという愛が、その人を殺したいという憎悪に変わる時もある。
心優しい人間も、家族を目の前で殺されれば銃を取るだろう。
「ここがくっせえ……臭う、臭うな」
昔、あるところに死刑反対派の弁護士が居た。
けれど身内を殺人犯に殺された途端、死刑賛成派に転向したという。
「そいつを死刑にしろ」と、とても人らしい気持ちを抱いたのだろう。
身内を殺されても死刑反対派のままで居た弁護士もいる。
けれど人が皆、そう生きていけるわけではない。
その人が優しければ優しいほど、愛が深ければ深いほど、きっと痛みは大きい。
失ったものが大切であればあるほど、痛みは大きく深くなる。
そして自分が痛ければ痛いほど、加害者を許すこと、妥協することは難しくなる。
だからこの世から、復讐というものは無くならない。
この星の上に争いは無くならない。
いつの時代も、復讐者は存在する。
「地下、だな。さあ、どこだ……?」
彼女は復讐者。大切な家族の命を奪った怨敵の喉笛に食らいつく餓狼。
「ノイズをぶっ殺すための、あたしの絶対たる力はどこにある……!?」
名を、『天羽奏』。
世界を変え、人を変え、運命を変え、後にゼファーから「最強」と称される少女。
出会うべくして、彼らは出会う。
ここから三章折り返しです。プロット上の区分けだと全体の1/3終わりましたね
ちょうど作品の文字数も100万字超えました
計算したら大体一ヶ月20万字ペースで書いてるっぽいのでどっかしらペースアップを図りたいと思っています