戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 執筆エンジンを動かすガソリンが何故か常時満タン状態なので続けられるだけこのペース続けようかなあと思います


2

 ゼファーはあの日、弦十郎に「あなたみたいな人が居たなら自分なんか要らなかったのに」と言った。その気持ちは今でも否定されていないし、消えてなくなったわけでもない。

 その根本は劣等感。

 次いで、「本当に強い人間ならば何も取りこぼさず、犠牲にしない」という思い込み。

 これが転じて、「強くなれば何も失うことはない」という考え方に繋がっていく。

 そんな保証はどこにもないが、それでもそれを信じていたいという、子供の考え方がある。

 

 弦十郎は自分が好む生き様の中に、自然と彼を鍛えあげる項目が入っている。

 人を助け、戦いの中に身を置き、生きているだけで彼は己を磨いていく。

 翼は鍛錬が幼少期から続けている習慣、当然のこととして身に付いている。

 彼女にとって己を鍛えることは一種の義務であり、歯を磨く習慣に近いものなのだろう。

 

 この二人は生き方に鍛錬というものが根付いている。

 生きることと強くなることの間に、歩調の差が存在しない。

 焦って強くなろうとすることや、怠けて弱くなるということがほぼないのだ。

 生き様が、地に足をつけている。

 

 

「……」

 

 

 なら、ゼファー・ウィンチェスターはどうなのか。

 その辺りに、最近ゼファーを悩ませているものの原因がある。

 強いて別のものに例えるのなら、勉強を頑張ってるのに学年一桁台の同級生達にどうしても勉強で勝てない、そんな勤勉な学生のジレンマに近いかもしれない。

 今日もゼファーは、いつもの空き地で拳を的に叩きつけている。

 

 

「……! ……!」

 

 

 ゼファーは早くも、自分の壁にぶち当たっていた。

 当然のことだが、武術というものは習い始めが一番伸びやすい。

 基礎すら身に付いていない、身体もロクにできていないことも多いからだ。

 彼もそう。最初は二週間で翼に一撃を当てられるくらいの伸びを見せていた。

 

 しかし、そのツケがここに来てやって来る。

 超回復能力による肉体再生、それにより彼は短期で肉体改造を行った。

 逆に言えば他の人間よりも早く、自分の改善の余地を使い切ってしまったということだ。

 あとは自分の技を磨いていくしかない。

 なのに、ゼファーの正拳突きの威力は、彼自身が自覚している通りに伸び悩んでいた。

 踵落としや身のこなしよりもはやく、伸びが止まっている。

 他の技も同じくらい早く伸びが止まってしまえば、本当にどうしようもなくなってしまうかもしれない。弱いままで、成長が止まってしまうかもしれない。

 

 そんな不安が、ゼファーを焦らせる。

 

 

「……落ち着け、俺。技が荒くなってる」

 

 

 誰しもいつかはぶち当たる壁だ。

 現に翼や弦十郎も、現在はそこまで極端に伸びているわけではない。

 弦十郎は既に成長を終え、その強さは完成している。

 翼も緩やかな右肩上がりの成長と研鑽を続けているが、短期に爆発的な成長はしていない。

 無制限に成長を続けられる人間など、存在するわけがないのだ。

 

 だが、彼の自認識では、ここで伸びが止まるのはあまりにも早すぎた。

 目指す強さの高さと、現状推測できる彼が到達できる高さの間に、あまりにも差がありすぎた。

 一言で言えば、強くなる前に弱いままで止まってしまいかねなかった。

 例えば、先ほど例に挙げた正拳突き。

 

 

(なんで、俺の方はこんなに弱いんだ……?)

 

 

 ぱぁんと的を打つ音が響く。

 弦十郎の動きを真似た正拳突き。

 今や完璧にコピーした、と言ってもいいクオリティに至っている。

 なのにその威力は、以前の翼との入門試験の時から少し上がっただけで、普通の人間にはこなせないような密度の訓練を数ヶ月続けた今となっても、ほとんど威力が変じていなかった。

 弦十郎が使っているような、次元違いの威力がまるでない。

 

 模倣することで強くなっていた実感が、模倣しても近づかない焦りへと変わる。

 それどころか模倣すればするほど、ゼファーの中で『この正拳突き』に対する違和感が増えに増え、無視できない大きさに膨らんでいっている。

 その違和感の正体がまるで分からないのも不気味だった。

 

 

(……何が足りないんだろう)

 

 

 弦十郎と翼の背中が遠い。

 なまじ強さを得た分だけ、ゼファーは二人の強さがしっかりと分かるようになってしまい、その遠さと間にある壁の高さが理解できてしまっていた。

 その二人ですら、勝てない敵は居るというのに。

 

 

(このままじゃ、セレナを殺したあいつに、落とし前をつけさせることも……

 あいつがもしもまた来たら、俺がまた誰も守れないなんてことにも……

 どうする、どうする、どうする……!?)

 

 

 その焦りの原因の一つに、先日の一課と二課と共に戦った件があった。

 ゼファーが知る限り、最高と言っていいくらいの連携。

 ノイズに対し絶対的な弱者であるはずの人間が、ある程度対抗してみせた光景。

 その上で、ノイズに蹂躙された結末。

 本当にギリギリの勝利であった。

 毎日弛まぬ訓練を続けてきた数十の男達の誰一人が欠けても得られなかった勝利で、そうでなければどこかで確実に死人が出てしまっていたに違いない。

 

 ゼファーの中で、その連携が見せた強さは今日に至っても色褪せず輝いてた。

 もしかしたら、風鳴弦十郎に見たものをそのまま見ていたかもしれない。

 その強さ。風鳴弦十郎の強さ。それがあっても、シンフォギアに頼らざるをえない現状。

 

 

(……災害に人は抗えない。生物でもなく、害獣でもなく。

 あれを『特異災害』と認定した人の気持ちが、俺達にはよく分かる……)

 

 

 皮肉にも。

 個人として人類最強の男と、最高の連携を見せた男達の強さが、ゼファーを追い詰めていた。

 あれだけの強さを持っていても、ノイズに拮抗することもできないのか、と。

 自分自身を鍛えても、仲間との連携を極めても、あそこが限界なのか、と。

 それは男達への賞賛であり、改めて実感したノイズの恐ろしさへの驚愕でもある。

 

 別に、彼はノイズを鼻歌交じりに蹴散らす強さが欲しかったわけではない。

 彼が弦十郎や、男達の強さを見くびっているわけでもない。むしろ尊敬している。

 ただ、「誰を模倣すればいいのか?」という疑問が浮かび、彼の中の信じる気持ちが揺らいでいた。ただそれだけだ。

 この国でゼファーがまず始めた強くなる方法は、強い誰かの真似をすることだったから。

 全ての創造は模倣から始まる、とはよく言ったものだ。

 

 ゼファーの悩みは、「自分の師匠は一番強い」「師匠には自分じゃ敵わない」と思い込んでいた弟子が、師匠がどこかの誰かに負けるのを見てしまったために受けた衝撃、それに近い。

 別にその強さを、絶対に負けないくらいに強いと思い込んでいたわけではないが、それでもその強さよりも上にいるものを直接比較で目にしてしまい、揺らいでしまったのだ。

 その結果、自分がどう頑張っても『それ』の上には行けないのだと、現実を突きつけられる。

 自分の可能性を無邪気に信じる権利が失われる。

 俗に言う、「自分の天井を見てしまった」ような思い込みに囚われる。

 

 ゼファーは風鳴弦十郎より自分が強くなれるとは思っていなかったし、かの男達の連携を超える連携なんて想像することもできなかった。

 それこそが自分の中の「もやもや」の原因になっているのだとゼファーは気付けない。

 「あの人達は超えられない」という尊敬、「あの人達は災厄には打ち勝てない」という事実、「絶対に自分は災厄よりも強くなる」という覚悟。

 

 それらの気持ちを自分の中に共存させる答えを、ゼファーは持っていなかったから。

 だからそのもやもやを、八つ当たりのように拳に乗せて、ただひたすら打ち込んでいる。

 

 

「まだやってる……」

 

 

 そんなゼファーを、小日向未来は見守っていた。

 表情は見えないのに、彼がどんな顔をしているのか手に取るように分かる。

 そのぐらいには、未来はゼファーの友達をやっていた。

 呆れと心配が半々に混じった表情で、家屋の隙間から見える彼の影を見つめる。

 

 頑張ってるなあ、とも思う。

 怖いなあ、とも思っている。

 哀れだ、とも何故か思ってしまった。

 何が辛いんだろう、と核心に近付いてもいる。

 それの感情の前提に、「いい人なのに」という認識が付く。

 

 そんな未来だから、響との間に、彼に対する認識の食い違いが出る。

 未来は「いい人だけど、頑張ってるけど、どこかが壊れている友達」という認識。

 響は「影のあるヒーローみたいな友達」という認識。

 夜に度々彼の壊れた裏側を見ている未来は彼のその側面が強く印象に残ってしまうし、それを未来から又聞きするだけの響は表側の顔を主体に考えてしまう。

 未来は彼の裏側を本質と見て、響は彼の表側を本質と見る。

 

 それはどちらも正解であり、どちらも正解ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十三話:灼光の剣帝×小さな花×心気絶招 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、そんなゼファーだが。

 彼がめんどくさいのは幼少期にいい子に育てられすぎたのと、そこからの人生がびっくりするくらい人死にまみれていたのと、現在思春期であるからだ。

 反抗期のエネルギーが誰にも反抗しない形でねじ曲げられて発散されている。

 まあ、思春期の子供なんて大抵は面倒くさいものなのだが……

 

 

「なるほど、わかったわ」

 

 

 しかしながら、それが改善されていないかというと違う。

 彼は周囲に頼ることを覚えている。

 素直に教えを請うことを学んでいる。

 そして、友を頼りにすることを知っている。

 今こうして、翼に全てをあけすけに話して、相談を持ちかけているように。

 

 翼は頼られて嬉しい。

 ゼファーは迷いを断つための答えが欲しい。

 Win-Winの関係だ。事情は少し特殊だが、よくある友達関係の一つだろう。

 

 

「『守破離』は知ってる?」

 

「いや、初めて聞いた」

 

「我が家の道場でも教えていることの一つよ。

 教えられたことを『守』る。

 教えられたことの枠を『破』る。

 そして師の教えから『離』れる。

 この三つの段階を、師事と鍛錬の中で重んじることを言うの」

 

 

 教えられたことをしっかりと学び、身に付け、その道筋を離れないようにする。

 教えられたことに縛られず、その技を自分に合わせたり、応用技を開発したりする。

 やがて、そこから自分だけの新しい境地を創造する。

 守破離は武道や芸術における基本中の基本であり、日本ではよく知られている概念だ。

 この三段階は、「生きることそのもの」と時に形容される。

 

 

「私が今『破』。ゼファーはちょうど『守』の上限に来た……って、ことかな」

 

「俺はまだ教えられたことの枠も破れてない、ってことか」

 

「私も『離』には向いていない、と言われたことがあったなぁ。

 でもほら、叔父様はもう私と同じ流派とは思えないくらいに自分の技を磨いているでしょう?」

 

「確かに……」

 

 

 翼は保守的で、風鳴の技の範囲の中から出ようとはしない。

 その範囲で研鑽を続ける、そういう強さもあるのだろう。

 弦十郎は明らかに我が道を自由気ままに進んでいる。

 しかしその強さの根底には、この家で教わった戦闘術の基礎があるに違いない。

 

 

「教えられたことだけを何も考えずに繰り返してる内は、教えてくれた人は超えられないもの。

 出藍の誉れと言うように、師を超えることが弟子にできる最大の恩返しと考える人も居るのよ」

 

 

 ゼファーが自分の力量の天井だと思っていたのは、守と破の間の壁だったのだ。

 何をどうすればいいのか、明確に分かったわけではない。

 しかし翼がこの考え方を教えてくれたことが、ゼファーに光明を見出させてくれた。

 

 力量の天井だと思っていたものが、彼と天井の間にある壁だった。

 ならばその壁を超えられれば、まだ強さに伸び代はある。

 弦十郎のように天井すらぶちぬいて、青天井に強くなった者だって居る。

 師より強くなることが恩返しという考え方を翼が知っていたのも大きかった。

 藍より青し、とはよく言うが、それはゼファーの知らない概念だったから。

 

 

「俺は、どうしたら……」

 

「ごめんなさい。それは自分で見付けないといけないと思うわ」

 

「え?」

 

「『破』も『離』も、その答えは自分で見付けなければならない……と思う、よ?」

 

 

 最後はちょっと自信なさげだったが、翼の言っていることは正しい。

 言われたことの枠を破るのも、そこから離れるのも。

 自分なりの何かを見付け、貫き、形にするのが重要なのだ。

 それは教えられるものでも、教われるものでもない。

 

 

「難しいな」

 

「難しいのよ」

 

 

 ゼファーが翼に悩みを相談していた……はずだったのだが。

 気付けば、どうしたものかと二人で膝を突き合わせてうんうん頭を悩ませていた。

 ミイラ取りがミイラとなってどうするのか。

 

 ……しょうもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし無駄ではなかった。

 最終的に「守破離とは何か」と答えの出ない考えのループに陥り、二人揃って明後日の方向に話が飛んでしまったものの、彼の問いに彼女は正しく答えを返してくれた。

 彼一人で頭を悩ませていても、絶対に得られなかったであろう回答。

 回答だけで、その回答に辿り着くまでも道筋は分からなかったものの、それで十分だ。

 ゼファーはまたあの空き地で、今日は試行錯誤しながら拳を打ち付けていた。

 

 

「……うーん? いや、ダメだ。やっぱり動きを丁寧になぞってたのが一番強いな」

 

 

 が、そう簡単に行くわけもなく。

 そもそも、ゼファーが動きをなぞっていた相手が相手だ。

 極限まで無駄を省いた至高の一撃であることには間違いないのだし、改善という方向でゼファーが手を加えられる余地は全くない。

 彼が弦十郎の正拳を最初に模倣の対象として選んだのは、間違いなく正解だった。

 だが、その分工夫の余地も存在しなかったのだ。

 

 弦十郎なら、ゼファーが殴っている丸太の的など一撃で粉砕できるはずだ。

 それどころか飛び散った破片が向こう側の塀に突き刺さっても不思議ではない。

 しかし、現在のゼファーでは的を揺らすのが精一杯。

 何か、何か壁があるのだ。

 ゼファーと弦十郎の間に存在する、明確な何かが。

 それに気付ければ、何か変えられる……と、ゼファーは考えている。理由は勘。

 

 

「大変みたいだねー」

 

「大変なんだよ」

 

 

 そこに横合いからかかる声。

 土管の上に座り、足をぶらぶらさせている響だ。

 響と未来は家族のように見えるくらいの絆があるが、それでも幼馴染。

 家族の用事があれば、当然そちらを優先するものだ。

 しかしそうして未来に置いて行かれてしまった響は、当然暇になるわけで。

 友人の少年に、ちょっと茶々を入れるくらいしかすることがないのであった。

 

 

「こう……ジャンプしてー、回転して、両手でパンチとか! 12倍くらいになるかも」

 

「ほとんどいつもの俺の踵落としだな」

 

「あー……うーん、ダメだ。何にも思いつかない、私ダメな子だぁ」

 

「それなら、同じく何も思いつかない俺もダメな子だな」

 

「え!? あ、いやそういう意味じゃなくて!」

 

「冗談だよ。ヒビキがダメな子じゃないことは、俺もよく知ってる」

 

「……そ、そっかなー」

 

 

 相手が友人なら、ゼファーは基本的にそこまで気を使わない。

 セーラー服を見て海兵隊だとか言うし、自称でも友達をダメな子なんて言わせない。

 口から出るのはそのまま本心だ。

 そして弱音のように、その口から出にくいものもあることを響は知っている。

 「大変だ」とこぼすゼファーを、照れる響は初めて見た。

 

 

「うーん……よし! 遊びに行こう!」

 

「え?」

 

「こーゆー時は、気分転換! バッティングセンターとかさ、そういうので!」

 

 

 ゼファーの悩む様子や、深刻な雰囲気に気付いていながらも、こうして誘えるのが立花響だ。

 普段は空気が読めないだとか、さぞバカにされたりもするのだろう。

 しかしそれは、彼女だけが持つ強さの証でもある。

 笑顔でゼファーの手を引っ張る響に、ゼファーは逆らう気を見せない。

 代わりに、一つ言葉を投げかけた。

 

 

「ヒビキはいつも笑ってるな」

 

「そっかな?」

 

「ああ、そうだよ。今でも覚えてる。

 川から引き上げられた時も……溺れてた時は泣きそうな顔してたのに。

 ミクの前では、ミクを安心させようと笑おうとしてたのを、俺は覚えてる。

 ヒビキは辛い時でも笑おうとしてる。表情を貼り付けるとか、そういうのじゃなくてさ」

 

 

 そう、あの時。

 ゼファーは響が未来に笑ってみせたのと、未来が響の生還を喜んでいた時のことを覚えている。

 その笑顔に、何故か強さを感じたことも。

 

 

「だって、皆が笑ってなかったら、そこから誰も笑おうとしなかったら。

 もう、誰も笑えなくなっちゃいそうじゃない?」

 

 

 立花響は、自分がヒーローになんかなれるとは思っていないし、なりたいとも思わないだろう。

 事実彼女はごく普通の少女だ。小日向未来と同じように。

 彼女に重荷と責任を背負わせようとするのなら、そいつは大馬鹿者の誹りを受けるべきだ。

 けれど、その心根には正しさがある。

 誰にも真似できない強さがある。

 それこそ、生来の資質で言えば、ゼファーよりよっぽどヒーローに向いているくらいに。

 

 

「私はいつも笑ってるよ。辛くても、笑えなくなっても、いつかきっと笑う。

 へいき、へっちゃら! ってバカみたいに言ってさ!

 だから笑って。ゼっくんも。……仮面みたいな笑顔は、私あんまり好きじゃないよ」

 

「―――」

 

 

 響の周囲の人間は、響をあまり物事を考える子じゃないと思っている。

 知らず知らずの内に、ゼファーも無自覚にそうなのだと思い込んでいた。

 先程、思い悩む彼を彼女が唐突に遊びに誘った時もそう。

 けれどそれは、彼女が空気を読めない子であるからではない。

 

 確かに彼女は、他人の心の機微に疎い面も持っているだろう。

 けれど、例えば、二人の人が喧嘩しているとして。

 響はその間に割って入って「話し合おう」と主張するタイプだ。

 その後、喧嘩している両者に怒鳴られて、それでも仲を取り持とうとするまでが一連の流れ。

 彼女は彼女なりに、色んなことを考えているのだ。

 

 その手を拳に使うより、花を手渡して心に響かせる方がずっと価値があると、彼女は考える。

 立花響は、そういう少女だ。

 

 言われ、気付かされ、色んなことを思わされ、彼は伝えられる。

 その場しのぎの笑顔でなく、本当の気持ちで向き合って欲しいという、彼女の気持ちが伝わる。

 ゼファーは拳を叩き付けていた。

 響はそんなゼファーの手を取り、手を繋ぎ、笑顔でいようと口にした。

 

 二人は似ているのかもしれない。けれど、どこかが決定的に違う。

 

 

「……こうか?」

 

「なんかひきつってるー」

 

「ははっ、難しいな」

 

「あ、今できてたよ」

 

「マジで?」

 

「まじまじです」

 

 

 ゼファーは思う。

 きっと、立花響は太陽なのだと。

 響は他人の心を照らす輝きを、生きているだけで放っている。

 未来はその輝きに照らされて、暖かい誰かの居場所に、陽だまりになる。

 響は未来を照らし、未来は響の小さな日向になる。

 だから二人は、きっと唯一無二の親友なのだろう。

 

 

(……ああ、だから、二人と一緒に居ると、こんなに居心地がいいのか……)

 

 

 だから、暖かい。

 ゼファーも自然と心から笑って、響に手を引かれていく。

 未来はきっと、誰かの心の傷に気付き、その傷を癒やすことができる。

 響はきっと、辛いことを乗り越えられる強さを、笑顔を、その人から引き出せる。

 輝かしい太陽と陽だまり。

 ゼファーはその二人に、目も眩むような光を見た。

 

 

「あ、猫ちゃんだ」

 

「塀に上がって降りられなくなったんだろうか?」

 

「ほら、こっちおいで、こっちおいで、受け止めてあげる……って逃げたーッ!?」

 

「どうする? ヒビキ」

 

「ほっとけないでしょ! 追おう!」

 

「あいよ!」

 

 

 人でなく猫に対しても優しいあたりに、この少女の生来のお人好しっぷりが見える。

 先を行く響の歩調に合わせ、ゼファーはその後を付いて行く。

 猫はどんどん塀の上を走って行って、住宅地の奥へと向かって行く。

 この辺りは結構入り組んでいて、空き家やボロアパート、建築途中のマンションなど人が住んでいない建物もかなりある。

 典型的な、都心の外側にある住宅地といった感じだ。

 この辺りの道はゼファーも記憶するまでに時間がかかった覚えがある。

 

 そんな道を、響は猫を追ってどんどん進んでいく。

 猫のためなら道に迷うことも厭わないのか、それとも何も考えていないのか。

 ほぼ確実に後者だろう。

 

 

「あ、止まった。よしよし、怖くないよ、私怖くないよー」

 

「猫に日本語って通じるものなんだろうか……」

 

「こういうのは気持ちを伝える姿勢が大事なの」

 

 

 ようやく猫に追いついて、響が猫に手を伸ばす。

 ゼファーは響のスタンスにちょっと敬意を覚えつつ、空を見上げた。

 雲一つない綺麗な青空だ。

 空に輝く、二つの太陽が眩しく輝いている。

 見ているだけで心地いい空を十分に堪能した後、ゼファーは響達に視線を戻した。

 

 

「え? 二つ?」

 

 

 そしてすぐさま、太陽に視線を戻す。

 太陽が二つ……いや、違う。片方は太陽ではない。

 太陽と同じくらいに輝く何かだ。

 ゼファーが直感により、AW波形の警戒網を形成。

 それとほぼ同時に、その偽太陽は彼らに向かって飛んで来た。

 

 

「ヒビキッ!」

 

「え?」

 

 

 ゼファーが大声を上げ、猫がびっくりしてどこかへ駆けて行き、響が驚いて振り返る。

 その次の瞬間には、『それ』は二人の目の前にいた。

 波動の警戒網を持つゼファーに反応すらさせずに。

 遠く離れていた時から、その光から片時も目を離していなかった彼の目すら欺いて。

 

 

「ッ!」

 

「え? な、なにこれ?」

 

 

 その光は、翼の生えた人型の機械人形だった。

 光の羽、光の関節、カメラアイも光で出来ていて、体の各部が光で出来ていた。

 それは形容ではなく、実際に固形化された光で形成されていた。

 知識のない者にも『それは固形化された光なんだ』とひと目で分かる、そんな輝き。

 

 装甲のラインにも光が走っていて、まるで光を動力源にしているかのよう。

 浅葱色の光と金色の光が、紫色の装甲にとても綺麗に映えている。

 特に金色の光で出来た翼は、見る者の心を魅了する。

 大きさは5mといったところだろうか?

 腰に吊られた銃のようなもの、剣の柄のようなものは、武器のように見える。

 

 神々しさと邪悪さの融合は、堕天使を機械で表現しようとした意匠が見える。

 

 

(……まさか、ゴーレム……!?)

 

 

 その堕天使が目の前に降りて来た、そのほぼ一瞬後に、直感の波が返って来る。

 波の反射で計測している以上、反射してきた波を精密に感じ取ることができるなら、今この堕天使がどのくらいの速さで近付いて来たかが分かる。

 遠い場所の波は遅く返って来るし、近い場所の波は早く返って来るのだから。

 空間転移などのデタラメをしてきたのだとしても、その場合は波が帰って来ないので分かる。

 だが、それは更なる驚愕を呼び起こす。

 

 

(え? ただ……速いだけ……?)

 

 

 計測できた限りでは、この機械人形は十km以上の距離を一瞬で飛んできたようだ。

 それも、ゼファーには『どのくらい短いのか分からない』くらいの一瞬で。

 一万分の一秒なのか、一億分の一秒なのかも、ゼファーには分からない。

 だがそのどちらもあり得ると、ゼファーの頬を冷や汗が伝う。

 

 

「ヒビキ、俺の後ろに……変に動くなよ」

 

「う、うん」

 

 

 ゼファーの質問も許さない、余裕のない緊張した声。

 そのただならぬ様子に響も何かを察したのか、ゼファーの後ろの素直に隠れる。

 機械人形……『ルシファア』は、何故かそこに立ったまま、カメラアイを二人に向けていた。

 何かを見定めるように、二人を見つめそこに立っている。

 ゼファーには、そいつが何を目的としてここに来たのかさっぱり分からなかった。

 だが、事態は二転三転する。

 

 

「ノイズ!?」

 

「えええええええっ!?」

 

 

 ルシファアの背後から、無数のノイズが現れた。

 その数、数十体。中型も混じっていて、家屋を飛び移りながらこちらに向かっている。

 任務時以外の銃の携帯は許可されていない。

 ゆえに、今のゼファーは丸腰だ。

 ただでさえどうしようもない上に、今は響という足手まといすら居る。

 

 

(まさか、こいつがノイズを連れて……!?)

 

 

 目の前の名も知らぬ巨人、ルシファアを睨むゼファー。

 そうだとした絶体絶命だ。せめて、響を逃がす手立てを……と、考えた所で。

 彼は、現実とは思えない光景を見た。

 

 視界内の数十体のノイズが、一瞬で一匹残らず両断されたのである。

 

 

「……え?」

 

 

 信じられないのは、視界内の数十体のノイズ全てが一瞬で両断されたからではない。

 それだけなら、超高速移動の一言で片付けることができる。

 だが、違う。違ったのだ。

 

 視界の中で、一瞬ルシファアがノイズと同じ数だけ分裂して見えたからだ。

 視界の中に、一瞬そのルシファアと同じ数の影まで見えたからだ。

 ノイズが一斉に両断されるその過程の中で、空気が全く動かなかったからだ。

 ルシファアが影すらも増えて見えたのは一瞬だけ、それも攻撃の瞬間だけ。

 だからこそ、たった一つの答えが導ける。

 

 ルシファアは、『光速』で動き攻撃を仕掛けた。

 それも、空気にさざ波一つ立てることなく、ひどく静かに。

 

 

「……味方?」

 

 

 ルシファアが攻撃する瞬間の一瞬の停止すら見えていなかった響が、それでも全滅したノイズ、目の前に舞い降りてきたルシファアを見て、ポツリと呟く。

 そうなのだろうか、と彼は考えて。

 そうかもしれない、と彼は考えて。

 直感に聞けば「分からん」と返答が返って来る。

 

 戸惑い、様子を見るゼファーに、ルシファアは歩み寄ってきた。

 身構える少年の目の前に跪き、騎士としての敬意を表してみせる。

 中に人が入っているのではと、そう思わせるくらいに。

 

 ルシファアの行動に混乱するゼファーに対し、ルシファアは片手に何かを乗せ差し出す。

 

 

「鍵、か……? これ」

 

 

 逆らったら何をされるか分からないからと、ゼファーはそれを受け取る。

 機械の手から少年の手に移ったそれは、鍵だった。

 青色の鍵。

 透き通るような青ではなく、深みのある深海を思わせる青。

 

 

「って、うわっ!? 溶けた!」

 

「ええっ!? だ、大丈夫なの!?」

 

 

 しかし手の平に載せた途端、鍵は溶けてしまう。

 光の液体とでも表現すべき形状に変化し、ゼファーの手の中に吸い込まれていってしまった。

 スポンジに水が吸われていくかのような光景だった。

 

 

「……入っちゃった」

 

「……入っちゃったね」

 

 

 ゼファーと響は、この状況の説明を求めてルシファアを見る。

 ルシファアはあいも変わらずそこに跪いていた。

 その仕草からは隠しきれぬ敬意が見え、その視線はゼファーに向いている。

 しかし、鍵が溶けたと見るに、ルシファアは即座にその翼を広げる。

 もうすべきことはしたと、そう言わんばかりに。

 

 

「あ、ちょ、待て!」

 

 

 ゼファーの制止の声も聞かずに、ルシファアは飛翔。

 風も起こさず、周囲に影響も与えぬままに、光の速度で飛び立った。

 当然、どっちに飛んで行ったのかも分からない。

 目にも留まらぬどころの話ではない、光の速度であるということは、目にも映らぬ速度の世界の住人であるということなのだから。

 

 

「……なんだったんだ、本当に……」

 

「私が聞きたいよ、もぅ」

 

 

 その場にへたり込む響と、考え込むゼファー。

 ゼファーは直感の網を広げ警戒を緩めぬまま、自分の左手を見る。

 その左の手の平に、青い鍵が吸い込まれていったのを見た。

 彼は自分の体が特殊であることを自覚している。

 鍵が消えたことが自分の体のせいなのか、それとも鍵の特性だったのか、彼には判別できない。

 今日中に二課に行って検査してもらおうと、そう判断する。

 

 

「とりあえず帰ろう、ヒビキ。俺が送るから」

 

「そ、そうだね。ノイズまで出ちゃったんだし、外出は危ないかもね」

 

 

 ゼファーは響に手を貸し、へたり込んでいた彼女を引っ張り上げて立たせる。

 もう当初の目的だった猫も居ない。

 今日は散々だなぁ、と響は立ち上がり、ゼファーの横顔を見て。

 今日の不幸が、まだ終わっていないことを認識した。

 

 

「走れ、あっちにッ!」

 

 

 自分達が来た方向と逆方向を指差し、叫ぶゼファー。

 何事かと戸惑う響の視界の先に、何かが映る。

 

 うねうねと動く触手。

 ぬめる体表。

 生物と非生物の気持ち悪さを集めたかのような気持ちの悪さ。

 原色をモザイクのように絡み合わせた体色。

 声ならぬ声。

 

 ノイズ。人類の天敵が、道の向こうからこちらに向かって来ていた。

 

 響の反応が遅れたのは、その直前の件で感覚が麻痺してしまっていたから。

 ノイズが堕天使に一蹴される光景が、目に焼き付いてしまっていたから。

 だからほんの数秒、ノイズに対する恐怖を感じられなかった。

 

 響が反応できたのは、その直前の件との違いを認識できたから。

 彼女は気付いたのだ。ノイズ達が『自分』を見ていると。

 先程ノイズを恐ろしく感じなかったのは、ノイズが堕天使を見ていて、堕天使にだけ襲いかかって、堕天使に一蹴されていたから。

 けれどノイズは今、立花響を確かに見ている。

 彼女を殺したくて殺したくてたまらないと、そんな視線を向けている。

 パソコンのプログラミングのごとき無機質な殺意に、響は震え上がった。

 

 

「や、や、わああああああっ!」

 

 

 そしてゼファーの言う通りに、ノイズに背を向けて走る。

 死の恐怖に、殺意に感じた恐ろしさに身を震わせて。

 自分よりも多くのものが見えているゼファーが、何を見ているのかも気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは、自分の迂闊さに舌打ちする。

 気付くべきだったのだ。あの機械人形の背後にノイズが出現した瞬間、あの日感じたノイズ出現の前兆を全く感じなかったことに。

 機械人形が飛び去ったと同時に、響の手を引いてこの場を離脱するべきだったのだ。

 で、あれば、前兆のないノイズ出現に対応しきれない、なんて今はなかったろうに。

 

 

「この、ノイズ……!?」

 

 

 現状が最悪な理由は多々ある。

 装備がゼロ、素手しかない、戦場で拾うことも出来そうにない。

 立花響という保護対象が居る。派手に動いて避けられない。

 敵ノイズは小型のみだが五体。銃があっても打倒は放棄する数。

 二課も一課も遠い。すぐに援軍は期待できない。

 住宅街のど真ん中にノイズ出現。それだけで大騒ぎ、玉突き事故などの二次災害もある。

 

 更に、それらが霞む事実がまだ並べられている。

 このノイズ達が自分達しか狙ってこない。

 響が逃げるまでに戸惑ったおかげでかなり距離を詰められた。

 

 そして、この道の先は分かれ道はあるが、その先は全て行き止まりという最悪の事実。

 

 

(ヤバい、かなり地味に、地味に、詰んでる……!?)

 

 

 行き止まりということは、逃げられないということ。

 ノイズとの戦いは、自壊時間までひたすら逃げる戦いだ。

 逃がすための時間稼ぎ、行き止まりに追い込まれないよう先を読んで動く立ち回り、仲間の逃げ道を作るサポートなどが重要となる。

 一対一での戦いでゼファーが敵の攻撃を避けられない状況を徹底して避けようとするのは、彼の根底に染み付いたそういう戦いの基本があるのだ。

 

 逃げ道がなくなれば、逃げるスペースがなければ、対ノイズは詰む。

 ゼファーだけなら、いつもの跳躍や三角飛びで塀を越えてどこかに逃げられるだろう。

 しかし、響が居る。

 ゼファーも響を抱えて塀は跳び越えられない。

 そしてこのノイズは、何故か響も狙っている。

 ゼファーが囮になろうとしても、彼が一人で逃げるのならば、それは響の死を意味する。

 

 

「うおッ!?」

 

 

 ノイズの攻撃が迫り、ゼファーが跳躍してかわし、更にそのまま塀を蹴って飛んで二撃目をかわし、反対側の塀近くにあった電柱を蹴って三撃目をかわし、地面を転がるように四撃目をかわす。

 普通のノイズの数倍、このノイズ達は厄介だった。

 このノイズは、ゼファーと響だけを狙っていた。

 住宅街で辺り一面に家屋があるにも関わらず、二人だけを狙っていた。

 

 他の人間には見向きもしない。

 だからゼファーが振り切ろうとした所で、このノイズ達は自壊までの時間の全てを使い、ゼファーと響だけを地の果てまでも追ってくるだろう。

 ゼファーが逃げても、響を狙うだろう。

 ゆえに、彼が選べる選択肢の幅は著しく制限されていた。

 

 その行動はノイズとしては異常。

 その異常が行動パターンに微妙な変化を生じさせ、それがまたゼファーを追い詰める。

 予想外の動きが、先読みのできるゼファーでなければ即死に至りかねないほどに、ノイズに触れられない人間に対する奇襲として機能する。

 ゼファーの直感が、その異常に何かを感じ取る。

 目には見えない情報を、物質ではない波動を媒介として感じ取り、それが形のないままに一つの形として形成され、彼の脳にそれを伝える。

 

 それは意志。

 今まで一度たりとも感じたことのなかった、ノイズの中に内包された人の意志。

 

 

「……まさか。まさか……いや、まさか……」

 

 

 ノイズの攻撃をかわしながらも、ノイズの中に感じるそれを鮮明にするため感覚を集中させる。

 そうであって欲しくないという彼の意志とは裏腹に、感じられるその意志は明確になっていく。

 その意志が、ゼファー達の方に向いていた。

 感じる意志の流れが、殺意が、ゼファー達の方に向いていた。

 その意志こそが、ノイズを内より突き動かしていた。

 

 

「ノイズを操れる人間が、居るっていうのか!?」

 

 

 自然に出現するノイズなら、ゼファーはその前兆を感じ取れる。

 それが感じ取れなかった時点で、何か変だとは思っていたのだ。

 ノイズの異常行動。ノイズの行動パターンの変化。それらに彼は違和感しか感じなかった。

 だが、ノイズの中に人の意志の残滓を感じ取れたことで答えは出た。

 

 ノイズを自在に出現させ、ノイズを操る事もできる人間の存在。

 直感の波動を媒介に感じ取れた意志の持ち主は、大人の男性の形に見える。

 それ以上は、ゼファーにもかすれて読み取れない。

 しかし、これだけ情報があれば、その男が黒幕であるのだと推測できる。

 

 近年のノイズの出現率の異常上昇、ノイズの正体、あるいはそれらについても知っている可能性が非常に高い。予想外の『黒幕』の存在に、ゼファーは平静さをわずかに失う。

 

 

「ッ、あぶねッ!?」

 

 

 拙い連携で攻めてくるノイズの攻撃が、集中が疎かになったゼファーの上着をかする。

 ゼファーは炭素化が始まった上着を慌てて脱ぎ捨てた。

 炭素転換を早めていなかったのか、かすっただけだったからか、上着はゼファーが脱ぎ捨てるまでの間彼の皮膚を巻き込むことなく炭化し、脱ぎ捨てられると同時に砕け散った。

 ゼファーは再生する肉体を持つとはいえ、炭素転換を喰らえばさすがに即死する。

 危うく三途の川を渡りかけたことにゾッとし、彼は気を引き締め直した。

 

 

「……ノイズに人の意志が加わったら、もう誰も勝てないんじゃないか……?」

 

 

 ゼファーの体表で、体温の上昇に伴う汗と人知れず流された冷や汗が混じる。

 人がノイズに対し持つ優位性は、知恵、連携、研究。

 ノイズの情報を集めて研究し、連携を磨き、知恵をもって対抗する。

 それが人の持つ、ノイズの持たない知的生命体の牙だ。

 

 だが、ノイズを操る者が居るということは、ノイズもまたそれを持ちえるということ。

 ノイズに命令という形で、それを与える者が居るかもしれないということだ。

 それがどれほど絶望的なことか、ゼファーだからこそよく分かる。

 

 ゼファーはそれでも諦めない。

 だがこの事実を知って、打ちのめされる者は居るかもしれない。

 それほどまでに最低最悪の絶望だった。

 災害に混じって殺人を犯していたものが居て、それに誰も気付いていなかった、これからも気付けない……なんて最悪な可能性の提示でもあるのだから。

 

 

「あ」

 

 

 考えながら戦う内に、ゼファーの背後、すぐ近くから声が聞こえる。

 ゼファーは人の意志が加わったノイズに対し常に劣勢のまま、一本道の中でどんどん後方に押し込まれていた。そうしていれば必然的に、響に追いついてしまう。

 ゼファーが視線をやれば、そこには転んでしまったのか、膝をつく響が居た。

 その目には、大きな二つの感情が見える。

 彼女はノイズを恐れていた。

 異形の無差別殺人犯に向けるような目をノイズに向け、年頃の少女相応の感性で恐れていた。

 彼女はゼファーを信じていた。

 そんなに恐れているノイズを前にしても、彼が助けてくれるのだと信じていた。

 

 体を震わせ、死を前にして恐れに呑み込まれようとも。

 彼女は誰かを信じる気持ちだけで、泣かず嘆かず俯かず、そこに居た。

 何の保証もなく、人に踏まれても己が生きていくことを信じる、路傍の小さな花のように。

 その『誰か』は、ゼファーだった。

 

 あの冬の川で救われた日から、彼はずっと彼女のヒーローだったから。

 

 

「あああッ!!」

 

 

 ゼファーはノイズの攻撃を頭を下げてかわし、同士討ちを誘う。

 彼の頭上でノイズが互いの手をぶつけ合うも、ノイズの破壊には至らない。

 だが、それでいい。

 ほんの一瞬の、切望した隙を作り出したゼファーは跳躍し、駆け出す。

 そして響を助け起こし、その手を引いて走り出す。

 

 

「大丈夫だ、ヒビキ。絶対に守るから、絶対にッ!」

 

「―――」

 

「俺が守るから、だから、今は俺を信じて走ってくれ!」

 

「……うん!」

 

 

 分かれ道はあれど、その道の先は全て行き止まり。

 後方から迫る、人の意志を付随されたノイズ複数体。

 助けが来る可能性ゼロ。装備ゼロ。シンフォギアなし。

 

 ゼファーが響にかけた言葉の保証すら存在しない。

 彼の頭の中に想定されている生き残る道筋もない。

 希望もない、勝機もない、でも諦めない。

 諦めなければ、きっと繋がる何かがある。

 そう信じてひたすら走る。

 

 ゼファーは響の手を引いて、底なしの闇の中に踏み込むような心持ちで、ただ走る。

 自分を信じてくれている少女の体温が手の平に感じられる限り、諦めるわけにはいかない。

 彼にとって己の手は、醜くただれた傷だらけの腕(ワイルドアームズ)でしかない。

 それでも、彼に手を引かれ、彼の背を見ながら走り、彼の背中を信じる少女にとっては違う。

 

 それはきっと、何よりも力強い腕(ワイルドアームズ)に感じられたはずだ。

 

 絶対に助かると、少女が彼の言葉を心から信じられるくらいには。

 信じたならば。

 彼は、応える。

 





・豆知識
『小さな花』というのは、ワイルドアームズシリーズの幸運の象徴みたいなアイテムです
初代では少女からしか手に入れられない、2では『Zephyrs's』の歌詞を参照
プレイしたシリーズによっては内で燃えている(デトネイション)モードの起動キー、
主人公専用装備の印象も強いと思います

立花響ってそういう

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