戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
発売決定! 表紙めっちゃエロいですよね
とある総合病院に少年少女は救急車で運ばれた。
この辺りでもそこそこ名を知られている病院……と、表向きにはそう扱われてはいるが、実はこの総合病院、数ある二課と繋がりのある病院であったりする。
二課は特異災害対策の名の通り、ノイズについての研究も主としている。
必然的に、ノイズ被害による負傷者や死亡者も研究対象であるのだ。
そのため、都内の病院の幾つかは二課と協力関係にある。
二課の医療施設も実は地上に総合病院の形をとって設立されており、地上での二課の負傷者やシンフォギア装者の緊急事態に即時対応ができるようになっている。
ノイズの炭素転換は、あくまで同体積の人間に対してのみ作用する。
例えば体積100のノイズが体積99の人間を炭に変え、そのノイズの残りカス1が体積100の人間に作用した……なんて状況になったと仮定すれば、患部を切除すればギリギリ助かる可能性はある。
そういった、病院でしか取れないノイズのデータというものがあるのだ。
臨床と研究の両立という意味では、大学病院の同類と言っていいかもしれない。
緒川が救急車に同乗していたのにも、その辺りに理由がある。
各病院は二課の要望に応える形で聖遺物を操る特殊な才能を持つ人間、『適合者』を探しているのだ。検査自体は簡易にかつこっそりと行えるため、そう難しいものでもない。
今でこそ小中学校にて適合者探しの検診は秘密裏に行われているが、それが始まったのは十年前からであり、大人の才覚を調査するには病院の協力が必要不可欠なのである。
各病院を回って集められたそのデータを回収していた最中の緒川が、二課本部からの連絡を受けて救急車に同乗した……というわけだ。
結果として、それはいい方向に転がったと言えるだろう。
「もういいんですか?」
そんな病院の入口を出てすぐの場所。
自然体で病院から歩き出して来たゼファーは、背後から声をかけられた。
振り向けばそこには、壁に寄りかかる緒川の姿。
「シンジさん」
「あなたは最初からかなり平気でしたから、まあ退院するのはよしとしまして。
あの子のお見舞いに行かなくていいんですか? 女の子と仲良くなれるかもしれませんよ」
「何故そんな本心を欠片も込めていない小粋なジョークを……
看護師の人によると今日一日様子を見て、それから退院だそうですよ、あの子。
後遺症とか残らなくて本当に良かったです」
ゼファーは川の鋭い石で切った手に絆創膏を貼っている程度で、他はなんともない。
立花響も救急車で運ばれたものの、命に別状はなかったそうだ。
それを聞いたゼファーは安心し、病室を勝手に抜け出してきた模様。
二人に名乗りもせず、名も聞かないままに。
もう二度と会うこともないだろうと、根拠もなくそう思いながら。
「顔くらい出してあげればいいでしょうに」
「んー、無事ならそれ以上望むものとかありませんし……
それじゃ、俺帰ります。今日は本当にありがとうございました、シンジさん」
礼も要らない。見返りも要らない。
でもありがとうと言われれば嬉しいし、笑顔で居てくれるならそれが十分過ぎる報酬になる。
人に手を差し伸べる理由は、彼にとってはそれで十分だった。
ゼファーはあれだけ破天荒なことをした直後でありながら、また体力作りを兼ねて走る。
この病院から風鳴家までは20kmは余裕であるのだが、地図を見ながら走って帰ろうとしているようだ。そのくせ、走り出したら病院の方を一度も振り返りすらしない。
緒川はそんなゼファーを見送り、今病室で一人娘を叱ったり怒ったり生存を喜んだりしているであろう、立花一家が居る病室の辺りの窓を見上げ、一つ溜息を吐いた。
つまり、「ありがとう」と言うこともできなかった少女達のことを思っていた。
「人助けは、『ありがとう』と言われるまでが人助けなんですけどね……」
こればっかりは自分で実感しないと治らないと、緒川は常に崩さない丁重な口調に、露骨に呆れをにじませていた。
第十一話:受け止めて、呼び覚ませ 2
「強くなりたい? ならここで一番強い弦坊あたりに師事すりゃいいんじゃねえの」
「ゲンさんに、ですか」
「つうかお前いつの間に弦坊をそんな呼び方するようになったんだ」
「『ゲンジュウロウさんって呼び方が堅苦しくてしょうがない』と言われまして……」
「ほーん」
ゼファーはその日、天戸と塩ラーメンを食べていた。
少年は小盛り。大人は野菜チャーシュー大盛り二玉ヴァージョン。
ややちぢれた麺に旨味のあるスープが絡み、日本でも有数の人気食『ラーメン』の偉大さをゼファーの舌に教え込む。スープの飲みやすさを始め圧倒的な癖の無さこそが塩の良点だ。
数あるラーメンの中で嫌いな人が最も少ないタイプと言っていいだろう。
唐突に「強くなりたい」と相談してきたゼファーに、天戸は無難に答えた。
実際に強くなれるかどうかではない。
この手の問題や相談を一番無難に終わらせられそうな答えを返したのだ。
一定の成果が見込めてゼファーの手綱を握れる人間に振った、とも言う。
「しかしどうした、またそんなこと聞いてきてよ」
「思い出したんです」
チャーシューと麺を一緒に食べ、飲み込みながらゼファーは思い返す。
心を突き動かすものは、憎しみだけではなかった。
後悔も、笑顔も、決意もあった。
憎悪も含めたそれら全てが、ゼファーの折れた心を継ぎ接ぎ支えてくれる。
今、立っていられる力をくれる。
「理由を」
そして戦う理由は、ほぼイコールで力を求める理由にもなる。
戦えればそれでいいという人種には力を求める理由など無いが、彼はそうではない。
大切なのは、最後に守れたという事実が残ることだ。
戦いにおいて、負ける、勝てない、守れない。この順に失敗であると言えるだろう。
負けない奴に守ってもらうのが、人は一番安心する。
負けてもいい。次に勝てるなら、それで守れるのならそれでもいい。
勝てなくてもいい。最終的に守れたのならそれでもいい。
だが、守れないのは最悪だ。守れなかった命に、次など無いのだから。
負けないために、勝つために、守るために。人には力が必要だ。
「ま、頑張りな」
天戸に向かってではなく、自分に向かって言い聞かせているようなゼファーに、天戸はそっけなく返す。若いな、なんて考えながらチャーシューでもやしとメンマを巻いて口に放り込んだ。
動機や過去はともかく、ちょっと危なっかしいくらいに目標に突き進んでいく姿は、暗い様子でずっと下を向いているよりもずっと歳相応の少年に見える。
面倒事を全部後輩兼上司の弦十郎に丸投げした天戸は、何故最近のラーメンにはナルトがめったに乗っていないのか、とどうでもいいことを考えだした。
「ここ空いてる?」
「お、ツバサ。勿論」
ついついレンゲをスープの中に落としてしまい、焦って箸で拾おうとしていたゼファーに翼が声をかけ、その隣に座る。翼は弦十郎や了子と一緒に食事をとることが多いが、同年代のゼファーと食べるのもその次くらいには多い。
翼はトレーを持ち、その上にラーメンの入ったドンブリを乗せているのだが、歩いている最中にスープの水面が全く揺れていないのはどういう技術なのだろうか。
そして麺を口にしながらどうでもいいことを考えていた天戸は、どうでもいいことを言う風に、事実彼にとってどうでもいいことを口にした。
「翼ちゃん、いっつもゼファーの倍くらい食ってるな」
その瞬間、時が止まった。
風鳴翼は少女である。そしてクソ真面目である。
誘われなければ間食は絶対にしない。するとしても、三時のおやつの時だけである。
夜九時以降はお腹が減っても何かを口にすることはない。
太るからだ。太るからだ。
その心は精神修行によって鍛え上げられていて、我欲に流されることはない。
間食で腹を満たして、三食の食事を疎かにするなどもっての外だ。
欲に流されての栄養の偏りなど、あってはならない。
それは自己管理すらできていないという事実を彼女に突きつけ、膝を折らせるだろうから。
たとえそれがあらゆる意味で彼女に余分な肉を付けないのだとしても、彼女は自分を曲げはしない。
風鳴翼はよく動く。そして動いた分食べる。
ゼファーもよく動く。しかし少量食えばそれでいい燃費の良さがある。
翼が同年代の異性の倍の量を常時食べているというわけではない。
しかし現実に、二人の食べる量には倍近い差があった。
翼は自分のどんぶりの1.5玉ラーメンを見た。ゼファーの食いかけの、0.7玉ラーメンを見た。
そして天井を一度見上げて、深く息を吐き、白々しい言葉を吐き始める。
「……今日はあんまりお腹空いてないわねー」
そんな謀る主を裏切り、翼の腹がくぅと鳴った。
「腹鳴翼」
「ぶっ」
天戸が一言呟き、ゼファーは吹き出し、翼は轟沈した。
翼は激怒した。
必ずやあの自分を笑った面交薄情の少年に思い知らせてやらねばと決意した。
翼には策謀が分からぬ。陰湿なやり口も向いていない。
しかしこと戦闘力に関しては、人一倍高い。
なお、機会は割と早くやってきた。
「弟子入りぃ?」
「はい、お願いします」
風鳴の道場に翼と共にやって来たゼファーは、早速弦十郎へと申し出た。
頭を下げてくる少年を前にして、弦十郎は後頭部を掻いてどうしたものかと悩む。
少年の後ろに居る翼は何故かムスッとしていて、こちらも随分面倒そうだった。
強くなりたい、というのなら大歓迎だ。
風鳴の道場は今は新規の門下生を取っていないだけで、弦十郎にも指導の経験は大いにある。
大抵の人物なら心身ともに鍛え上げ、ひとかどの人物に育ててやるくらいは容易だろう。
しかしながら、この少年相手では話が別だ。
弦十郎はゼファーの瞳を覗く。
そこには濁りと輝きが混ざることなく、喰らい合うことなく、共存していた。
今のゼファーは、白黒、善悪、光陰の境界線上に立っている。
どちらにも転びうる。どちらに寄っているかは問題ではない。
それが両立されているのなら、白黒の比率はいつでも逆転する可能性を持つだろう。
憎悪、怨恨、後悔、絶望。
意思、覚悟、前進、希望。
自らを鍛えるという過程は、その人間の心の持ち様を強くする。
いい方向にも、悪い方向にもだ。
復讐のために力を求める者も、誰かを守るために力を求める者も、力を求める過程で自分の中の意志を確固たるものにしていくことがままある。
だからか、弦十郎は判断に迷う。
ここで彼の選択如何によっては、少年の未来が決まってしまう可能性もあるからだ。
できれば、少年の未来は少年自身に決めさせてやりたい。
しかし目の前で地獄に堕ちる可能性をむざむざ見過ごしてしまうというのは、大人としてどうなのだろうかとも思う。
子供の安定しない職業に就きたいという意志を、子供の意志を尊重してやるか、子供の将来的な生活の安定性を考えて反対するべきか迷う親に近い心境、とでも言うべきか。
まして。今のゼファーは、一つの気持ちだけで力を求めているのではないのだろうから。
(さて、どうしたもんかな)
だが、弦十郎の心中はどちらかと言えば受ける方に傾いていた。
まず一つ、ゼファーはこれから復讐がどうという話で危険な目に合う可能性が高いこと。
その時に自衛出来るだけのモノは身に付けていた方がいい。
ゼファー・ウィンチェスターという人間が自分の過去に決着を付けたいのなら、その過程で人を殺した騎士と相対することになるのは必然であり、絶対に危険な橋を渡ることになる。
そして仇を憎む気持ちが、今少年が立つための力の一つとなってくれていることも事実。
ならば、あと一つ。
弦十郎は最後の判断材料が欲しかった。
なんでも良かったし、彼からすれば遊びの一環のようなものとしか思ってはいなかったが……
「叔父様」
「うん?」
弦十郎は話しかけてきた翼の表情を見て、彼女の意をだいたい察する。
親代わりに翼のおしめを替えたりと、伊達に赤ん坊の頃から面倒を見てきたわけではないのだ。
翼にしてはそれなりに珍しい表情ではあったが、それでも彼が意を汲めないほどではない。
「新規の門下生の実力を見る、及び入門生を絞り込むための最初の試合がありますよね?
恒例のあれを、私に任せてくれませんか」
「ふむ……まあ、いいか」
二人の間では通じているようだが、ゼファーにとってはよく分からない会話だ。
それを察した弦十郎が、ゼファーに軽く説明をする。
時間無制限、武器の使用はなし、急所攻撃などもなし。
かなりルールがガバガバだが、試験管となる人間が怪我をしないさせない自信があるのだろう。
それで新規の入門生の能力、クセ、長所や短所などを見極めるのだという。
(バル・ベルデの正規軍の入隊試験みたいなものかな)
「どうする? 心の準備が欲しいなら、後日に回すが」
「いえ、やります。やらせてください」
ゼファーに格闘の心得はあれど、格闘技の心得はない。
一番得意なのは急所をナイフで切る動きだが、そもそも対ノイズ戦が多く、体格の問題で大人に組み伏せられると即アウトなゼファーは近接戦を好まない。
多少喧嘩慣れしている、程度の技量だ。
銃を使わなければ、ゼファーの持てる武器は直感のみとなる。
それでもゼファーは自分の心配より、むしろ翼への心配の比重の方が重かった。
怪我をさせないようにしないと、という優しさ。あるいは甘い見込みからくる驕り。
(……でも、相手はツバサか)
「ツバサ、よろしく」
「……」
(無視されると傷つくんだけどな……)
道場の真ん中、線が引かれた開始地点に両者は立つ。
互いに踏み込まなければ手も足も届かない距離。
ゼファーは声をかけるも、翼は応えてはくれなかった。
何で怒らせたんだろう……とゼファーは考えるも、答えは出ない。
しかし、その思考はてんで的はずれだ。
翼が黙っているのは、戦闘の直前であるということ以外に理由はない。
彼女はゆっくりと彼に向き合い、片足を引く。
「ああ、そうだ。翼相手に油断していると、怪我するぞ」
そうして構えた瞬間、彼女の雰囲気は一変した。
「……」
「ッ!」
ゼファーは翼がシンフォギアを纏った時の戦闘力を目にしている。
普段の立ち姿や歩く姿から、翼がただ者でないことにも薄々感づいてはいた。
ただ、ピンと来ていなかったのだ。
どちらかと言えば内気で、荒々しさや力強さを感じさせない、戦闘者とは程遠い雰囲気を纏っていた翼が、生身で戦うとなればどういう風になるのかということ、そこがピンと来ていなかった。
戦闘となれば、スイッチが入れば、意識を切り替えれば。
今こうして、構えただけでゼファーを威圧する強さがあったというのに。
(まるで、別人……)
向き合い、構えた瞬間、風鳴翼はまるで別人になったかのように変貌を遂げた。
雰囲気に混じっていた弱々しさが弾け飛び、内側から清廉な強さが滲み出る。
普段の雰囲気を、子供が好む色合いの鞘と例えるとするのなら。
ひとたびその鞘から抜き放たれた刀の刃紋が、その鋭さと輝き、鍛え上げられた刃の強靭さを余すことなく見る者に伝え、死を覚悟させるかのよう。
翼が構えたことで気圧され、ゼファーは一瞬で『構えさせられた』。
普段の彼女は揺らぐことがあれども、今の彼女に揺らぎはない。
まるで剣。人の形をした剣のようだ。
鍛え上げられ、磨き上げられ、どこまでも真っ直ぐで、鋭く、美しい。
彼女が今纏っている空気に触れただけで肌が切れてしまうと、そう錯覚するほどに。
翼は真剣だ。その視線はしっかりとゼファーを捉えている。
ならばゼファーも、本気で応えなければならない。
翼は受けに秀でた構え。
それに対しゼファーは足の親指の付け根に重心を乗せた、瞬時に跳べる構え。
最大限まで直感の感度を引き上げ、彼女の一挙一動から情報を収集し始める。
目と直感で翼の動きを見ると同時に、ゼファーは耳で弦十郎の開始の合図を待っていた。
冷や汗が背中に流れ、服が張り付く。
呼吸を意図して制御し、意図しない隙を完全に潰す。
自然体で隙のない翼に対し、一々意識しないと隙を潰せないゼファーは荒削りにもほどがあったが、それでも実戦経験で上回っているという点は戦いの中で効いてくる。
「始めッ!」
弦十郎の合図。
双方、開始と同時に動……きは、しなかった。
開始の合図からワンテンポ遅れて、ゼファーが斜め後方に跳ぶ。
そして互いに動かないまま止まる。
一見、ゼファーが動いただけで、何が起こったのか分かる者はそうそう居ないだろう。
しかし翼は微塵も動かさない表情の中で驚き、弦十郎は「ほぅ」と感嘆した様子を見せた。
(予想以上にやるじゃないか、ゼファー・ウィンチェスター)
開始と同時に動いていたら、その動きに対応して踏み込んだ翼に一撃で仕留められていた。
かといって翼に先手を譲れば、ゼファーは一撃で倒されていた。
直感により無意識下で多くの情報を得ていたゼファーは、翼と自分の明確過ぎる実力差と、選択肢を間違えれば一手で勝敗を決められる現状をきっちり理解する。
そして、わざと開始直後に動かなかった。
ゼファーが動かないと判断した翼は、受けの構えから攻めの構えへと流れるように移行。
構えを変えつつ踏み込んで、少年に先手の一撃を加えようとする。
だが、それこそがゼファーの誘いであった。
構えを変える隙、防御から攻撃に移行する意識の隙、踏込直前の重心移動の隙、呼吸の隙間。
その瞬間、ゼファーは跳んだ。
翼は反応するどころか、完全に意表を突かれたことで一瞬姿勢が固まってしまう。
そうしてゼファーは、翼が踏み込み一歩では詰められない距離へと逃げた。
今のゼファーに翼が攻撃を届かせるには二歩は必要だ。
それだけあればゼファーは十分に翼に対し対応できる。
こうしてゼファーは主導権を握ったが、反応速度や跳躍力や技巧が優れていたわけではない。
あらかじめそのタイミングで跳ぶと決めていた判断力とそこに全てをかける胆力、そのタイミングを見逃さない直感の合わせ技だ。
弦十郎と翼の中で、ゼファーの評価が少々上がる。
斜め後ろに跳んだゼファーに合わせて、翼が足の位置を変え、立ち位置を変える。
それよりほんの一瞬早く、ゼファーが立ち位置をずらす。
翼が攻めにくい相対位置に常に立ち、それを維持するようにゼファーは動く。
非常にやりにくいと、翼はそのやり口に心中で眉を顰めた。
例えば左足を前に出している場合、自分から見て左足より外側に居る人間には非常に対処がしにくい。そうした場合は足のどちらかを動かして死角を隠さなければならない。
しかしゼファーは翼の筋肉の動き、目の動き、何となく感じる意識の向きを察知し、常にあと一歩で翼の死角を取れそうな少し離れた距離を動き回ってくる。
二人はまだ直接拳を交わしていない。
しかし戦いはとっくに始まっていて、ゼファーは「圧倒的格上」と判断し、翼は「とても戦いづらい」と評し、互いが強敵であることに疑いを持ってはいなかった。
(……ツバサ、こいつ、銃を持てても安心できないタイプだ……)
特にゼファーは、風鳴翼の脅威を十二分に理解できていた。
雰囲気が違う。構えの隙の無さが違う、一挙一動の完成度が違う。
ジャンルは違えど、正統派に成長した雪音クリスを思わせる。
風鳴弦十郎や、ビリー・エヴァンスへ向かう途中の人間だという確信がある。
今はゼファーがイニシアチブを握れているように見えるが、実際は違う。
イニシアチブを彼女に取られた時点で、ゼファーは一瞬で敗北するのだ。
(呼吸を切らすな。深くもなく、浅くもなく……さあ、どう来る?)
このまま持久戦に持ち込んで集中力が切れるのを待つ……という勝機も、あると言えばある。
しかしゼファーは、そんな結末は絶対にないと確信していた。
翼より自分の方が先に集中力が切れると分かっていたし、何よりこのまま時間が過ぎるのを待つしかないほど、翼の引き出しは少なくないと、勘ではあるがそう思っている。
そして事実、彼女には切っていない奥の手が幾つもあった。
翼が構える。
ゼファーが立ち位置をズラす。
しかし彼女のその一撃は、読んでいた所で、生半可な小細工でどうにかなるものではなかった。
風鳴翼には、友達がいない。
それは彼女の意地が悪いとか、周囲からいじめられているとか、そういうことではなく。
周囲の子供と比べれば、彼女が少しだけ精神的に大人びていたからであった。
防人は、精神的な修練を幼少期から積んでいく。
それは軍人が受けるような人の個としての主義主張をへし折り、何事にも動じない従順な駒へと変化させていく訓練ではなく、むしろ武人として主義主張の塊とするものである。
そう両親に鍛え上げられ、他の大人の門下生に個人として尊重され、その内二課の大人達とも関わりを持つようになり、幼少期から家族ではない大人達と触れ合う機会が多かった翼。
彼女はそうしている内に、同年代の子供に対し違和感を抱くようになっていた。
「子供っぽ過ぎないか?」という違和感。
それはその年頃の子供が持っていて当然の幼さであり、むしろその歳でそういう幼さを卒業しかけていた翼が変であるのだが、彼女の視点でそういうことには気付けない。
彼女は既に大人達とのコミュニケーションに慣れきってしまっていて、幾多の人生経験を経て大人の会話ができるようになる前の、同年代の子供との会話に常に違和感を感じるようになってしまっていた。
同年代の子供も、どこか大人びていて凛とした美人の翼には近寄りがたいと思ってしまう。
「気取ってるヤなやつ」という陰口を叩かれもするし、「違う世界に生きてるみたい」と憧れを向ける女子も居たし、翼が初恋だった男子も居たりした。
話しかけてはみたものの「なんか風鳴さん凄い言語感覚だった」と翼の存在感、緊張から来る翼の厳格な話し方、互いに距離感を測りきれないことなどが悪影響となって上手く行かない。
自然と、いじめられるほど嫌われてもいない、無視できるほど存在感も薄くない、けれどクラスの誰にも歩み寄って来ない、そんな微妙なポジションの少女が完成する。
だからか、翼は同年代の友達が一人もいなかった。
しかし、そんな翼にも転機がやって来る。
今、眼前で構えている彼がまさしくそれだ。
翼に友達ができない要因に、彼女の周囲の同年代は皆翼よりも弱いというものがある。
彼女は防人だ。弱者は守るべし、と教えられ育てられてきた翼にとって、自分の視点で『守るべき弱者』という認識が固定化されてしまうと、どうにも対等の友人という気になれない。
同年代の幼さが気になるのも、こういう相手と自分が戦闘力で対等でないことが気になるのも、時間が解決してくれる程度のことだろう。しかし、今はそれが問題だった。
彼女も彼女なりに憧れるものがある。
例えば同年代で自分に迫るくらい強い友人ができて、その友人と切磋琢磨することなどだ。
自分より弱い人を滅私奉公で守ることも、自分より強い大人に指導して貰って強くなることも、嫌いではないが何か違うと彼女は思う。
欲しいのは対等の友人。切磋琢磨できるライバル。肩を並べられる仲間。
上にも下にも、前にも後ろにも要らない。隣に居る友達がいい。
それが風鳴翼という幼い少女が、こっそり胸の奥で願っていた友達だった。
そして同年代で、これだけ自分と渡り合えるであろう者は滅多に居ないと翼は確信した。
他の誰でもない。目の前で翼の動きを完全に先読みしているゼファーに対してである。
翼が修練と試合でのみ自分を鍛え上げた、防人の少女であるのなら。
ゼファーは実戦と殺合でのみ自分を鍛え上げた、戦士の少年。
翼には実戦経験が皆無であり、ゼファーには伝授された技術が皆無である。
二人は実に対照的だった。
だから翼には、自分の体と意識の呼吸を読み直感でありえないほど早く反応してくるゼファーの凄さも、その拙い足さばきなどの欠点などもよく見えている。
だからゼファーには、立っているだけでどこがどう凄いのかすら分からないくらいに洗練されている翼の技量も、命の取り合いを経験していないがための甘さもよく見えている。
そして、一拍。
たった一度だけ両者が何もしない一瞬が過ぎ、ゼファーが避けに動く。
ゼファーは「本気で来る」と判断した。0.1秒の後、翼が「本気で行く」と決断する。
翼はこれまでずっと、自分より強い相手の胸を借りる形でしか本気を出してこなかった。
自分より格段に弱い相手に本気を出すなどもっての他。
自分と翼の間にある実力差をゼファーは明確に理解している。
しかし翼は、自分とゼファーの間の実力差をかなり小さく見積もっていた。
それこそ、自分が全力を出しても問題無いと考えるほどに。
事実、翼が手を抜いていればゼファーはいつものしつこさと粘り強さで、強者である翼相手にもかなり食い下がってみせただろう。
しかし、翼が本気を出すとなればそうはならない。
別の言い方をすれば、翼はかなりテンションが上がっていた。
同年代で初めて出会った、父や叔父と同じ戦場の匂いを漂わせる少年。
その少年に対し、子供が友人に自分の自慢のゲームのコレクションを見せびらかしたくて仕方がない、というような気持ちで翼は自分の本気を見せたがっている。
自分の全力を受けて貰いたがっている。
もはや、この試合が始まった当初の「怪我はさせずにちょっとビビらせてやろう」というジャイアンじみた思考はどこかに失せて消えていた。
(構えた……え? 笑った?)
ゼファーの視線の先で翼が構える。
少年はその一撃をくらってたまるかと立ち位置をズラすが、翼が一瞬楽しそうに笑ったのが見えて、僅かに戸惑うがそれを表には出さないようにこらえた。
翼は右手を手刀の形に変え、左腰に添えるように構え、その手に左手を添える。
まるで時代劇の殺陣直前の、武士が抜刀する直前のような構えだ。
右手が刀。左手が鞘。
ゼファーが日本人であれば、『抜刀術』を連想していたかもしれない。
(何が来る……?)
風鳴の一族に伝わる基本中の基本にして、秘奥中の秘奥と呼ばれる剣技がある。
この技によって風鳴の一族は最強の剣とも、至高の盾とも呼ばれ続けたほどのものだ。
その名も『早撃ち』。
何故、銃ではなく剣技であるのに早撃ちなのか?
それはこの技が、かつて暗器の投擲術であったことに由来する。
『公家の頂点』の側では、目立った武器を持つことは許されない。
しかし、それでも彼らは狼藉者からその御方を守らなければならない。
そこで袖の下に暗器を持ち、狼藉者を討つ技を鍛え上げた。
これが『早撃ち』の原型と伝えられている。
時代は流れ、風鳴の一族は帯刀したまま守るべき者達の側に立つ。
それは将軍であったり、それは大臣であったり、時には平民であったりした。
しかし、彼らが本懐を忘れたことは一時たりとてなかった。
彼らの役割とは、義務とは、使命とは、どこまでも『守ること』である。
そのために彼らは一歩出遅れ守れないこと、手遅れとなることをどこまでも嫌った。
暗殺、奇襲、不意打ち。襲撃者達は能動であるために常に先手を取ってくる。
守るべきものを守りたいのなら、襲撃者達からの攻撃への反応が遅れては意味が無い。
ゆえに、受動の側の防人達は考えた。
『武器を抜くのに時間を使っては間に合わない』
『殿中で許されるのは帯刀のみ、ならばこれを極めよう』
『天子をも守るために、手刀にても再現すべし』
零時間抜刀、瞬間剣閃、一撃必殺。
初太刀に限定し、『先んじて襲われても守るべき対象が傷付けられる前に一太刀にて両断する』という異次元の奥義。
出来ることを極めた果ての奥義、ではなく。
『やらなければならないこと』が先にあり、それを成すために人間の限界を超えた結果生み出された人の
防人の一族が、誰かを守るために、人を傷付ける技を昇華させた偉業。
そしてその意志は、覚悟は、使命は、あまりにも強烈だったせいか、血を介して血脈によって受け継がれ、人伝によって受け継がれる。
血と技の継承により成り立つ、一振りの護国の剣。
その一族の末裔が、風鳴翼である。
見よ、この一閃を。
稲光より疾く、最速なる風斬の一閃を。
防人の四剣、風林火山の初太刀を成す速度において究極の一閃を。
遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ。
これが、『早撃ち』だ。
「―――」
踏み込みも見えなかった。尋常であれば三歩は必要だった相対位置が、一瞬で詰められる。
抜刀も見えなかった。ゼファーの視点では、踏み込みと同時に右手が速すぎて消えていた。
初動も見えなかった。目に頼っていれば、ゼファーは確実に仕留められていた。
手刀であるのに「斬られる」と感じ、動く前に直感が働き、ゼファーのガードが上がる。
しかし頭の右側に固めた右腕のガードごと、ゼファーの右側頭部がぶっ叩かれる。
ゼファーは当たる直前に重心を動かし左に傾いて打点をずらしたが、焼け石に水。
少年の体が吹っ飛び、空中で270°回転し、身体の側面から道場の床に落っこちる。
頭を強打されたことで、ゼファーの意識は強制的に刈り取られていた。
(―――なん、つー)
筋力ではない、90%技量で打たれた手刀による神速の抜刀術。
こんなものを見せられては、ゼファーもただ感嘆するしかない。
戦いの相手としての立場から見ていたのでなければ、彼も見とれていたかもしれないほどに、その一撃は美しくも鮮烈だった。
少年の薄れていく意識の中、ボヤける視界の中で、「やり過ぎた」とでも言わんばかりに慌てる少女の顔が見えた。
かくしてゼファーは一撃で気絶させられたわけだが、起きてからも大変だった。
「あの、その、ごめんなさい……」
「いいっていいって、同意のもとの試合だったんだからさ」
気絶したゼファーを介抱していた翼は、彼が起きるなり一気に謝りだした。
彼は全く気にしていなかったが、彼女は電車の中で誰かの足を踏んでしまった時に謝り倒すタイプである。知り合い以上友達未満の相手であったこともあって、本気で謝っていた。
それも、またしても力加減を謝っての失敗だ。
戦いの時の鋭く強い刀のような雰囲気はもうどこかへと行ってしまい、内気気味で気にしいな風鳴翼が戻って来てしまっていた。
「ツバサは謝った。俺は許した。それでいいだろ?」
「……うん、わかったわ」
どことなく納得していないというというか、申し訳無さからか表情が晴れない翼。
ゼファーからすれば「こんなに弱くて期待はずれですみません」な気分なのだろうが、翼も本気を出した結果弱い者いじめのようになってしまった現状に罪悪感を感じている。
それを見ながら、弦十郎は思案する。
自分がすぐ指導するにはこの少年は少しもったいないかもしれない、なんて考えていた。
(一ヶ月くらいあれば十分か? 二週間……いやそれは流石に……)
考えを纏めつつ、弦十郎は立ち上がる。
「翼! まだ身体を動かし足りないだろう。稽古を付けてやる」
「あ、はいっ!」
ゼファーから見れば、弦十郎はどれだけ差があるのかも分からない次元違いの強者。
翼はその差が朧気に見える、雲の上の強者だ。
その二人の試合となれば、ゼファーが興味を抱くのは当然だろう。
まだふらつく体で無理をせず、道場の壁に寄っかかって観戦に回る。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
(さて、どんな試合に……)
開始地点で互いに一礼。そして、開始の合図と同時に開幕一閃。
ゼファーを仕留めた『早撃ち』が初っ端から放たれ、弦十郎の首に向かう。
前兆動作ゼロ、所要時間ゼロの高速抜刀。
手刀ですらこうなのだから、実際の刀であればどれほどの技なのか。
腕が視界に残らないほどの高速手刀はしかし、弦十郎にたやすく防がれる。
翼は防がれたことを当たり前の事のように受け止め、姿勢を変える。
(……)
翼の視点で、天地が逆転する。
彼女は逆立ちのような姿勢となり、両足を開いて回転を始めた。
それだけなら大道芸か何かかと思わせる動きだが、その回転がどんどん加速していき、足が二本の棒ではなく軌道が繋がって漏斗のように見え始めた頃には、これが攻撃であると理解できる。
開始から一秒か二秒で、逆立ちしながらの回転速度は、一撃で人を昏倒させる威力に至った。
遠心力を用いての独楽のような破壊の嵐。
風鳴翼が最も得意とするこの奥義の名を、『逆羅刹』という。
(……!)
ゼファーもここまで突飛な技を、先の早撃ちと同格の完成度で見せられれば驚嘆しかない。
この回転は、股関節と膝の使い方次第でロー・ミドル・ハイのどのキックも放つことができるのだろう。人間の身体の構造上、上中下の三ヶ所を同時に防御はできない。
遠心力を利用して破壊力を増し、腕よりも長い足で常時連続攻撃を維持することで、結果的に急所が多い胴や頭部への攻撃を困難にさせている。
攻防一体ではあるが、見ているだけで目が回りそうになる奥義であった。
しかし、それも弦十郎は難なく捌く。
流れるような動き、流す防御を両立し、柔拳を用いて蹴撃の連打を流していく。
銃弾を弾いていた時の剛拳とは正反対の、研鑽された技術による美しい防御だ。
それだけでなく、防御の際に足に添えた手の平をそっと押し、バランスを崩し始めた。
回転がぶれ、攻撃の姿勢が崩されていく。
(……ツバサですら、赤子扱いなのか……)
違う次元では目に見えない。しかし雲の上ならば目に見える。
ゼファーがその力量を実感できた時点で、翼が弦十郎に届かない実力であることは少年にも分かっていた。だが分かっていても、この光景には強い感情を抱かざるをえない。
先ほどゼファーは、その翼に格の違いを見せ付けられたばかりなのだ。
弦十郎に奥義を受け切られていた翼だが、それだけで終わる彼女ではない。
逆羅刹で回転しつつ、再度接近。
迫る蹴撃に弦十郎が防御の手を合わせる……まさにその瞬間、跳躍した。
両の腕だけで体全体を跳ね上げる。
そして防御のために突き出された弦十郎の腕に全身で跳びつき、腕ひしぎ十字に固めた。
奥義でも何でもない、ただ研鑽されただけの基本的な関節技である。
「むっ」
「っ」
しかし基本であるだけに、強い。
奥義を囮にして腕を突き出させ、そこから関節技に繋ぐという見事な連携だ。
生半可なかけ方ではなく、翼も折ってやるくらいの気持ちで技をかけている。
今や翼の工夫に奇襲された弦十郎の右腕は、完全に固められて動かない……ように、見えた。
(これは、簡単に外せない)
少なくともゼファーは、この関節技は有効打になるはずだと感じていた。しかし。
「把ッ!」
弦十郎は、それを真正面から打ち砕く。
右腕を除いた全身が、ベーシックな正拳突きの動きを始める。
何をしようとしているのか理解出来ないゼファーや翼を尻目に、弦十郎はそのまま両の足からひねり出した力を膝と腰で増幅し、上半身を捻って収束し、肩を押し出し右腕から吐き出す。
右腕をほとんど動かせない状態での右腕の正拳突き。
しかしその衝撃は、右腕に組み付いていた翼をふっ飛ばして関節技を解除させたのだった。
「きゃっ!?」
最も使い慣れた全身の力を使う動きこそ、最も大きな力を全身に働かせる……という拳法の考え方が存在するという話を、聞いたことはないだろうか。
例えば全身を抑え付けられた時、サッカー選手なら足を中心にもがくのが一番効果的だろうし、ボクサーなら腕を押す動作が、野球選手なら腕を振る動作が一番効果的だろう。
それが一番力が入るからだ。
そして自分の体を抑え付けられた場合は、それを外すためにどうやって大きな力を生んでぶつけるかか、その関節技に効果的な外し方があるかが重要となる。
今回の場合は、外し方がなかった。
だから弦十郎は、自分が最も得意とする技、自分が最も身体に染み付かせている技、自分が最も大きな力を発せられる正拳突きを放ち、翼の関節技を強引に外したのだった。
右腕は動かせなくとも、それ以外の全身の力は乗っていた。
ならば弦十郎の筋力も相まって、関節技を外す程度の威力は生み出せて当然。
正拳突きは逆の手で撃つの格言通り、片腕を封じた所で威力を完全に殺せはしないのだ。
勿論、普通の人間相手であれば翼のこれで完全に勝敗は決められはするのだが。
(……すっげ)
ゼファーが弦十郎の拳を見たのは、これで二回。
自分の胸の前で寸止された時と、今回を合わせて二回だ。
しかしどちらも、目にするだけで魅入られるような力強さがある。
正拳突きという基本中の基本の技でありながら、それは既に『必殺技』だった。
吹っ飛ばされた翼と、弦十郎が試合の開始地点に戻り、また互いに向き合った。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
開始の礼と、終わりの礼。
ここまでやってこその試合なのだと、礼節を疎かにしない二人を見て、ゼファーは思う。
自分はしなかったことが、無性に申し訳ないような気持ちになっていく。
ゼファーが気にしているだけで、今度は逆に翼は全く気にしてはいなかったが。
「おつかれさん」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
弦十郎がかけた声を皮切りに、互いへの労をねぎらう三人。
しかし労とは言っても、汗一つかいていない弦十郎、汗だくの翼、汗はすっかり引いているがダメージでフラフラのゼファーでは労の意味が結構違うかもしれない。
「どうだ、感想は」
「正直、身の程を知ったって感じですね」
弦十郎の問いかけに対するゼファーの返答は本心だ。
今の自分がどれだけ弱いか、どれだけ鍛える余地があるのか、十分に思い知らされた。
ゼファーは今自分の弱さと、自分が将来的に翼のようになれる可能性を見つめている。
が。
弦十郎は、そんなものは見ていなかった。
ゼファーの力量的な弱さも、ゼファーが翼のようになれる可能性も見ていなかった。
むしろ、もっと別の『可能性』を少年の中に見つけていた。
「よし」
弦十郎は、その可能性を試してみたいと考える。
「二週間以内に本気の翼に一撃を当ててみろ。
それができたら、正式に入門を認めるとしよう」
「え?」
「え?」
「手は抜くなよ翼。俺の目を誤魔化せるとは考えないことだ」
そして放たれる唐突な無茶振り。
声を揃えて驚愕する少年少女。
どう考えても不可能な条件に、真っ先に叫んだのはゼファーではなく、翼だった。
「無理です叔父様! さっきの手合わせで感じた実力差は、二週間では埋まりません!
時間をかけるならともかく……二週間では、短すぎます!
本気で強くなりたいと思っている人に、それはあんまりにもいじわるです!」
「俺は埋まらないとは考えていない」
「……え?」
「埋まるかもしれんと、そう考えてるのさ」
翼にそう言い捨てて、弦十郎はゼファーに向き直る。
弦十郎はもとより、翼の意見を聞いていたわけではない。
聞きたかったのは、試したかったのは、ゼファーの意志だ。
「お前が望むならもっと簡単なのにしてもいいが、どうする? 決めるのはお前だ」
試されていると、ゼファーは感じた。
男として挑発されているとも感じた。
事実、弦十郎にとってはゼファーを弟子に取ること自体は大歓迎なのだろう。
しかしこの機にかこつけて、少年の可能性を見極めたいとも思っている。
弦十郎はゼファーが二週間で翼に一撃を入れられるほどに、両者の間にある差を埋められると考えているし、見込んでいるし、信じている。
彼は、少年を試すと同時に信じてもいる。
目標を与えてやれば、このくらいは達成できるはずだと、そう信じているのだ。
できない可能性の方が、できる可能性よりずっと高いことを知りながら。
弦十郎はその砂粒のような小さな可能性を信じ、無茶を振る。
振られた無茶に、向けられた信用に、ゼファーは応えんとする。
信じられたなら、ゼファーは応える。
「やります」
「よし、やるんだな」
「はい」
自分の勝ちの目が全く見えない現状で、自分が翼との差を埋められると信じられる根拠を言わない弦十郎の言葉に応え、それでも弦十郎が適当なことを言っていないのだと信じ。
かつてジェイナスがゼファーに対し感じた、理由なく全幅の信頼を向けられる精神性を発揮し、弦十郎の言葉を信じて受けた。
無謀と言われるかもしれない。しかし、こんな戦いは今更なのだ。
ノイズに、ノイズロボに、ネフィリムに。
ゼファーは常に、自分の勝利の可能性がゼロかゼロに近い敵と戦い続けてきた。
勝ち目のない戦いなど今更だ。いつものことだし、慣れきっている。
ゼファーはそれらの戦いを何度も何度もくぐり抜け、時に打ち勝ってきたのだから。
だから、また勝てばいい。
自分より絶対的に強い敵にまた挑み、また戦い、また勝てばいい。
ゼファーにとっては、それだけの話でしかない。
彼は全力で挑むことで、覆せるものがあることを知っている。
翼からすれば、そんなゼファーの精神性は分からないだろう。
まだ彼女は、負ければ死ぬ戦場に立ったことがない。
勝っても負けてもそれが死に繋がらない場所で強くなった彼女と、大切な人の死と喪失がモチベーションの根底にある彼は根本的な部分が違う。
どちらが上だ、下だという話ではなく。ただ違うのだ。
翼は生きるということが、イコールで守るために強くなることである。
そしてゼファーは、死ぬ気で守るために強くなる。
ごく短期における伸びしろだけで見るのなら、両者には絶対的な差があった。
弦十郎は、そこに一つの可能性を見た。
「二週間後、朝九時にもう一度試合をする。励めよ、少年」
その日から、ゼファーの二週間に及ぶ厳しい修行が始まった。
レッツ修行回