戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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三章と四章のプロットをちょっと改造
とは言っても大きな変更はなく三章と四章の区切りをズラしてエピソードの順番を変えただけですが

余談ですが、個人的にはこの時期藤尭さんは二課にまだ所属してないと思ってます。まだ五~六年前ですしね


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 ―――シンフォギア。

 

 またの名を対ノイズ兵器、アンチノイズプロテクター、FG式回天特機装束。

 名は多くあれど、基本的には一貫して『シンフォギア』と呼ばれる。

 天才・櫻井了子が提唱する『櫻井理論』に基づき、聖遺物の欠片から作り上げられた、人間がノイズに対抗しうる唯一の武器……と、言われている。

 

 普段は聖遺物の欠片から作られた赤いペンダントの形状をしているが、集音マイクの役目も果たしているそれが装者の歌に反応することで起動。

 特別な人間の歌に含まれる特定振幅が、聖遺物の持つ波形と共鳴し、そのエネルギーを増幅。

 そして聖遺物ごと一旦エネルギーに還元し、装者が纏う装束へと形を変える。

 それが、ゼファーがセレナの姿と重ねた、あの翼の姿というわけだ。

 

 シンフォギアは装者の身体能力を飛躍的に向上させ、生命維持機能や通信機能など様々な機能を持ち、また、人の天敵であるノイズの更に天敵となる二つの機能を備え付けられている。

 

 一つは『バリアコーティング』。

 これは装者の歌を音波の障壁として、肌の表面に纏う不可視のバリアとするシステムだ。

 「音楽のバリアよーん」とは櫻井了子本人の言。

 このシステムの恐ろしい所は、ノイズの「触れたら死ぬ」と言われる『炭素転換』能力を、完全に無効化出来る、という一点にある。

 理屈は簡単。「音楽は炭素化出来ない」ということだ。

 ノイズはこの音の壁を貫くことができず、肌に触れることが出来ないために、シンフォギア装者を炭素化することが出来ない。

 それどころか、このバリアコーティングは装者の歌が届く範囲でならば、周囲の物質全てに纏わり付き、炭素転換率を強制的に引き下げる。

 つまり、シンフォギア装者の歌の届く範囲で戦う者は、ノイズに炭素化されにくいのだ。

 副産物的な効果ではあるが、戦術レベルでも無視できない要素である。

 

 もう一つが『調律』。

 この世界に存在する比率を下げ、自身の存在のほとんどを別世界にまたがらせることで、攻撃の瞬間以外はほぼ攻撃が通用させないという、ノイズの『位相差障壁』。

 現行の軍隊や兵器がほぼ無力化されているのは九割以上この能力が原因だ。

 触れれば死ぬだけの化け物なら、離れた位置から銃弾やミサイルをぶち込んでおけばそれで済むのだから、楽なものだろう。一番厄介なのは、この位相差障壁であることに間違いない。

 そして、調律はそれをも無効化する。

 このシステムは、簡単に言えばノイズを「こっちの世界に引きずり出す」システムだ。

 ノイズをこの世界に単独で存在するよう、音楽という波動を用いて『調律』し、攻撃の瞬間に「この世界に100%存在する」ようにする。

 これにより、ノイズはシンフォギアによる攻撃を軽減することが出来ないのである。

 

 ノイズが『炭素転換』という最強の矛と、『位相差障壁』という最強の盾を持つように。

 シンフォギアは、それを超える『調律』という最強の矛と、『バリアコーティング』という最強の盾を引っさげてやって来た。

 最強の矛と最強の盾は、どちらも一人で持つのであれば永遠に矛盾はしない。

 ノイズの矛盾は、シンフォギアの矛盾により、その強さを否定されるのだ。

 

 加えて言えば、シンフォギアは単独でそのほとんどの機能にロックがかかっている。

 ロックがかかっていてすら、これなのだ。

 バリアコーティングは銃弾や戦車砲もポンポン弾くし、地面を時速数百kmで走り回るし、ノイズの装甲をただのパンチでぶち抜き吹き飛ばす。

 このロックは外部からのゲイン供給、装者の技量や戦法、成長などに応じて開放される。

 つまり、装者の気合でシンフォギアはパワーアップするのである。

 

 じゃあ最初からロックかけなければいいじゃんとも言われそうだが、ロックがない状態でのシンフォギアはあまりにも装者に負荷をかけ過ぎるということで、櫻井了子が思いつきで付けたギミックの数々と共に封印されたのであった。

 ちなみにロックが開放されると、言葉無くとも会話ができる念話機能や、力場の簡易操作による物理法則を超越した飛行機能、核の一発や二発ではおっつかない大火力などが実装される。

 そのロックの総数、実に3億165万5722個。どんだけだ。

 この膨大なロックが尽きない限り、シンフォギアはどこまでも強化されるというわけである。

 

 シンフォギアが装者にかける負荷は無視できない。

 しかしながら、それを軽減できるものがないわけではない。

 それが『アームドギア』だ。

 

 アームドギアは、「装者の心象を形にした武器」と言われている。

 シンフォギアが発するエネルギーを、装者が武器の形に固定化したものだ。

 幼少期のトラウマ、信条、使い慣れた武器の記憶、憧れ、自分の中の強さのイメージ。

 これらが聖遺物の特性に沿って武器の形に形成される、シンフォギアの矛である。

 

 他人を傷付けたくない人間は、そもそも武器の形に形成されない。

 槍が出てきたとしても、ビームを出すかドリルのように回転するかの違いがでたりもする。

 銃を使い慣れた人間は、弓の聖遺物から銃のアームドギアを作ることもあるだろう。

 その形状は、個人個人によって全く違う形に形成される。

 

 シンフォギアの攻撃や特殊能力の多くはこのアームドギアを介して行われ、聖遺物が発するエネルギーの反動の大半をこれが受け止めてくれる。

 更にビームや衝撃波といった一般的に思い浮かべられるファンタジーな攻撃が、これを通すことで破壊力や制御力が飛躍的に向上するのである。

 ただ、アームドギアの生成にも才能やそれなりの修練は必要だ。

 シンフォギアを手に入れれば、すぐにアームドギアを形成できるというわけではない。

 

 アームドギアにしろ、シンフォギアにしろ、つまりは才能が最重要となる。

 努力に意味が無いわけではない。

 しかし、他の分野と比べれば、才能が要求される度合いが桁違いである。

 才能が足りなければそもそもシンフォギアは起動できない。

 そしてその中でも才能がない者はアームドギアは形成できない。

 更に、そこから戦うための才能が……と、実に狭い門なのだ。

 

 そうして、シンフォギアを扱うことが出来る才能を持つ者は、『適合者』と呼ばれている。

 

 風鳴翼は適合者だ。

 そして、狭き門と呼ばれるのにもここに理由がある。

 日本国内で老若男女問わず、秘密裏に適合者を探した結果。

 ……現在生存を確認されている適合者は、ゼロ。

 一人見つかり、一人死に、現状ゼロ。絶望的な数字であった。

 だからこそ日本政府は、適合者でなくともシンフォギアを扱えるようにと、二課を相当に頻繁にせっついているのである。

 

 適合者についてオチが付いた所で、もう一つオチを付けよう。

 

 シンフォギアシステム、実は未だ起動も安定してしない未完成品である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十話:シンフォギア 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風鳴翼は、二課に用意された自室で櫻井了子に正座させられていた。

 

 

「反省してる?」

 

「はい、すみません……」

 

 

 考えるまでもなく、理由は先刻の無茶である。

 シンフォギアの無断起動、その状態での高所からの落下。

 どちらも命に関わることだ。

 了子は翼の血液等を調査して体にかかった負担を調べていたようだが、奇跡的に負荷はかなり軽微に収まったようだ。少し気分が悪いだけだと、翼本人は言っている。

 まあ、だからといって了子が笑って許すわけではないのだが。

 

 

「何度も言ってるけど、シンフォギアは未完成なの!

 問題なく稼働させるにはあと三年は要るって何度言ったら分かるのよこのあんぽんたん!」

 

「あ、あんぽんたん?」

 

「もう、ジェネレーションギャップ!」

 

 

 普段から飄々としている陽気な了子が怒っている、という意味を翼はちゃんと分かっている。

 彼女が誰のために怒っているか分からないほど、彼女は愚昧ではない。

 了子が言わずとも、危険なことをしでかしてしまったことを、翼はきちんと反省している。

 それでも了子が怒っているのは、きちんと怒るべき時に怒ってやらないと、それがその子供の将来のためにならないと知っているからだ。

 

 

「あの、了子さん……もう一つ謝ってもいいでしょうか」

 

「なぁに? くだらないこと言ったら私の手が誤って滑るかもしれないけど」

 

「もう一度あのような状況になれば、私は何度でもこのシンフォギアを使います。

 成功する、失敗するに関わらず。

 私はきっと、私を思って言ってくれた貴女の忠告を無視して、使ってしまいます。

 そんな恥知らずな自分で居ることを、謝らせて下さい」

 

 

 だが、翼は「もうしません」とは口にしない。

 感情的にやったことではなく、彼女は明確な意志と覚悟の下に行動を選択した。

 彼女は素直だが、同時に年齢不相応に頑固だ。

 そしてその行動が信念に基づいたものである限り、翼は同じ状況に百回放り込まれたとしても、百回ゼファーを救うために同じ行動を取るだろう。

 今回の件が、百回に一回あるかないかの奇跡であったにも関わらず。

 

 そして忠告をしてくれる了子に感謝して、けれどその忠告を実行に移せないことを謝って、自分の本心の全てを明かして頭を下げる翼。

 なんという不器用さ。適当に頭を下げて乗り切ろうという気がまるでない。

 どこまでも彼女は誠実で、愚直で、嘘をつくということができない人間であった。

 

 

「……ほんっとに真面目ねぇ、いつものことだけど」

 

 

 了子もそれが分かっているからこそ、忠告を無下にされたことを怒るに怒れない。

 この少女は、目の前の人間を救うことに全力を尽くすタイプの人間だ。

 了子が作ったシンフォギアで人を救おうとする姿勢は製作者冥利に尽きるのだが、それで彼女が個人的に好ましく思っている翼に危険が及んでしまうのなら、元も子もない。

 溜息を吐いて、眉間を揉み、了子は翼の手の平からペンダントをつまみ上げる。

 

 

「とにかく、貴女のシンフォギアは預かるわ。

 しばらくは触れないと思っておいてね」

 

「お手数かけて申し訳ありません」

 

「いーのよ、それにね」

 

 

 まあ、子供を叱って躾けるというのも了子のキャラではないわけで。

 それまでの雰囲気を投げ捨てて、了子は翼をギュッと抱きしめた。

 

 

「私個人としては、『よくやったわね』って褒めてあげたい気持ちもあるものー!」

 

「わ、わ、ちょっと了子さん!?」

 

「このこのー!」

 

 

 人の命を助けたことを褒めてやりたいという気持ちも、当然大人側にはあったのだ。

 危険なことをしたことは叱らなければならないが、褒めるべき所は褒めるべき。

 了子の胸のどでかい双丘に顔を埋められて苦しそうにしているが、翼も認められたことにどこか嬉しそうな、ホッとした顔をしている。

 皆怪我一つ無かったんだから、結果オーライ。

 シンフォギアを取り上げたとはいえ、実はそれが了子の本音であったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ゼファーの状態ではあるが。

 日本に来るまでのアメリカでの数日の状態はひどいものだった。

 意識がない状態で、薄ぼんやりと脳が意味もなく稼働する。

 やがて脳が疲れると気絶するように寝て、そこで悪夢を見る。

 それも彼の心の復活には全く貢献しない、死人が彼を責める悪夢。

 クリスが、セレナが、彼の友や仲間や家族が彼を責める夢だ。

 当然、彼は夢の途中で跳ね起きるように意識を覚醒させる。

 

 しかし、短い睡眠では疲れが取れるわけがない。体も、脳もだ。

 そうして疲労が溜まったままの脳は、短時間でまた眠りに誘われ、再度悪夢を見せる。

 二時間か三時間悪夢を見て飛び起きて、数時間生きた屍のようにボーっとして、脳の疲労が限界に達した時点で気絶するように眠り、また悪夢を見て飛び起きる。

 それを何度も何度も、憔悴しながら繰り返す小さな子供。

 傍で見ていた弦十郎も相当にキツかったことだろう。

 放置していれば、ただそれだけで衰弱して死んでしまう可能性とてありえた。

 

 だが、医学というものは日進月歩だ。

 精神的な症状も、ある程度であれば薬で対処することができる。

 心を落ち着ける薬や、夢を見なくなるくらい深く眠らせる薬というものは、こういう時に役に立つ。無論、過剰な投与や常習化は避けなければならないが。

 その上、ゼファーがかろうじて意思を取り戻したのも大きかった。

 心が壊れていた時には、まっとうな食事も口にしてくれなかったからだ。

 人間、専門医の診断と処方・心の力の元にもなってくれる食事を食う気力・周囲の暖かい気遣いが揃っているならば、多くのことを乗り越えられるものである。

 特異災害対策機動部 二課の医療チームは、その点実に優秀であった。

 

 まあ、それでも。

 どんな人間の心の傷をも癒せる医者なんてものは、この世界のどこを探したって居ないわけで。

 結局は時間をかけること、きっかけを探すこと、個人個人で違う『立ち直り方』を探すこと。

 その三つが重要だ。

 心が傷付いた人間、疲れた人間、病んだ人間に対する万能の特効薬はない。

 現にゼファーは、元気だった頃と比べれば目も当てられないくらいにダウナーになっていた。

 

 

「……」

 

 

 目の開きが小さく、そこに宿る光も弱い。

 目の下のクマやこけた頬がどことなく不健康な印象だ。

 戦場、研究所で付いた傷はほぼ全て古傷にはなっているものの、痛々しい。

 ゼファーはぼんやりと、なくなったはずの左腕を掲げる。

 左腕と同じように痛々しい火傷を刻まれた右腕を掲げると、まるで鏡合わせのようだ。

 この火傷はセレナが光に還った時には無かった。

 付いたとするなら、その後に付いた傷なのだろう。

 

 セレナを守れなかったという過去の証が、そこに刻まれているかのようだった。

 罪科を彼に思い出させるかのような、二本の傷だらけの腕(ワイルドアームズ)

 

 

「……!」

 

 

 ぼうっとしていたゼファーが、突然の頭痛に頭を抱えてうずくまった。

 物理的な痛みすら伴う心的外傷(トラウマ)

 吐き気やめまいが精神力と体力を削ぎ、視界を揺らす。

 彼はそこから立ち上がるまでに数分を要した。

 人は、そう簡単に過去にあったことを無かったことにできはしない。

 けれど立ち上がった。彼は自分一人の力で、立ち上がったのだ。

 その事実が、彼の中にある成長の全てがリセットされたわけではないのだと、ただ証明する。

 

 ゼファーが頭を振って体調を戻した頃には、翼が彼に会いに来る時刻になっていた。

 

 

「おはよう、元気にしてた?」

 

「……それなりに」

 

 

 地下の二課本部にゼファーが連れて来られてからはや数日。

 ゼファーと違い、翼には小学校があるために朝から晩までここに居るわけにはいかない。

 それでも彼女なりに頻繁に顔を出してはくれるのだが、彼の対応は変わらなかった。

 出会い頭に挨拶をする翼に、ゼファーは彼らしくもなく淡白に返す。

 かつての彼なら、それなりに人当たりのよさを見せていただろうに、今ではそれがまるでない。

 

 暗い。というか雰囲気が淀んでいる。

 「影のある少年」で済む範囲に収まってはいなかった。

 これでゼファーが一番良い対応をしているのが翼なのだというのだから、どうしようもない。

 翼相手以外は話しかけても反応がないことすらある。

 彼の心は、未だ半死半生の状態なのだ。

 

 そんな翼だが、今日は一人で来たわけではないようだった。

 ゼファーが翼の後ろに立つ男に気付くと、その男はゼファーの意を汲んだかのようにするりと一歩前に出て、静かに名を名乗る。

 

 

「初めまして、『緒川 慎次』と言います。これからよろしくお願いしますね」

 

「……どうも」

 

 

 黒髪に次いで日本人のベーシックな髪色である、染めた色とは違う自然な茶色の髪。

 同じく黒目に次いでベーシックな鳶色の瞳。

 顔立ちは整っている……が、それも平凡の域を出ていないように見える。

 ここまで『平凡』という言葉が似合う男を、ゼファーは生まれてこの方見たことがなかった。

 

 しかし、その時点でこの男の術中にハマっていると言っていい。

 よく見ればこの男は相当な美形であるし、身長も180cmを超えている。

 きっちりとしたスーツ姿であるが、その下には鍛え上げられた筋肉が秘められているだろう。

 「普通の人だ」と印象を受けた時点で、どこかおかしいのだ。

 素朴な印象を受けさせる柔らかい笑み、隙の無さを相手に印象付けない立ち振る舞い、すっと相手の意識の警戒の網をくぐり抜ける行動の選択。

 只者ではないと気付かせないことが、この男の最たる脅威であった。

 

 そして、ゼファーには『直感』がある。

 今現在も進化を続けている目、経験、感性からなる無意識の感覚機構だ。

 緒川慎次がどれだけ巧みな隠蔽を施そうが、ゼファーの精神面がどれだけボンクラな状態だろうが、この直感は常に働き、彼を死から遠ざける。

 その直感が、緒川を「とてつもない強者である」と判断し、ゼファーに警告を伝えている。

 自然とゼファーは身構えた。

 

 

「ああ、すみません。驚かせてしまいましたね」

 

 

 緒川は一礼して、一歩下がる。

 それだけでゼファーの警戒は幾分和らいだ。

 それはイコールで、ひと目でゼファーのパーソナルスペースと警戒圏内を見抜き、その外側に出たということなのだが……そういった技巧は、理性の目ではどこまでも見抜けない。

 彼のそれは隠密という分野において、プロと言っていい域にある立ち回りであった。

 

 

「……ね、ゼファー君。緒川さんはね……なんと、『忍者』なのよ!」

 

 

 翼のズバババーン!と効果音が付きそうなくらいの身振り手振りを加えたドヤ顔が披露される。

 発言の前に溜めを作っていたあたり、相当に自信のあるネタだったのだろう。

 ゼファーが驚く様子を見たい! という意志が、ありありと見える。

 

 

「NINJA……?」

 

 

 しかし反応は薄かった。そりゃそうだ、心がゾンビ状態なのだから。

 ゼファーとてNINJAの存在を耳にしたことはある。

 かつてバル・ベルデの政治を完全に手中に収めていた経験のあるジェイナスから、「SAKIMORIとNINJAは敵に回すな」と忠告された時の知識が、おぼろげながら残っているためだ。

 成程、ゼファーの理性が平凡な男と判断し、直感が強者と判断したのも当然と言えるだろう。

 つまりは、「平凡な男という皮」を被った狼なのだ。この男は。

 ……まあそれは実力面での話なので、人格的には平々凡々であるという可能性までは否定できないが。

 

 

「(どういうことですか緒川さん、ガイジンには忍者ネタは鉄板じゃなかったんですか?)」

 

「(知りませんよそんなこと。というか誰にそんな話聞いたんですか?)」

 

「(了子さんです)」

 

「(ああ、なるほど……)」

 

 

 ほぼ無反応だったゼファーに一旦背を向けて、翼と緒川はひそひそと作戦会議を始める。

 どうやら翼も翼なりに、ゼファーを元気にさせる方法を考えていたようだ。

 それが有効かどうかは置いておいて。まあ、小学生の考えることなんてこんなものだろう。

 外国人に忍者が大人気、という考えもあながち間違ってはいないのだし。

 問題なのは、元気一杯状態のゼファーに忍者ネタを振った所で、ゼファーは翼の望む「どっひゃー」みたいな反応を返しはしないという、無情な一点に尽きる。

 

 

「ええと、今日は私と一緒に健康診断です。寄り道とかしないように」

 

「わかった」

 

「(翼さん、これはゼファー君にお姉さんぶってるのかな……?)」

 

 

 温度のない返答しか返してこないゼファーに対し、翼はその手を引いていく。

 物理的な話ではない。精神的な話だ。

 流石にこの年頃の少女ともなれば異性と手を繋ぐというのは気恥ずかしいのだろう。

 それでもゼファーの前を歩き、道の分からない彼を先導していく。

 普段の翼の姿を知っている緒川からすれば、それは少し新鮮な光景だった。

 

 緒川慎次の風鳴翼への印象は、叔父の後ろに隠れていることが多い子、というものだった。

 良い言い方をすれば、しっかりしているが恥ずかしがり屋。

 悪い言い方をすれば、堅物で臆病で弱気。

 周囲が彼女よりもずっと年上の大人ばかりだった、というのもあるのだろう。

 大人の邪魔をしないようにと縮こまっていた普段の姿が、翼の普通の姿であると、緒川は誤解してしまっていた。

 

 しかし同年代の少年と並んでいる今の翼は、緒川の持っていた印象を一変させる。

 今の翼は年長者としての責任を果たしているというより、背伸びした子供が頑張っているように見えて、実に微笑ましい。

 大人に迷惑をかけないように、ではなく同年代の前で格好つけよう、といったスタンスが普段の風鳴翼とのギャップを生み出していた。

 無論、こういった一面は以前からあったのだろう。

 緒川が知らなかっただけで。

 

 

「翼さん、今日の診断はそっちの第一医務室ではなくて第二医務室ですよ」

 

「え゛っ」

 

「……」

 

 

 この施設では珍しい同年代の前で浮かれているのか、ドジッて振り返る翼と無反応なゼファーの後に続いて、微笑む緒川はゆっくりと歩み出した。

 とりあえずは、子供達の小さな歩幅に合わせよう、なんて思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうこうして、地下では見えない夕日が半ばほど地平線に飲まれかける頃。

 

 

「お疲れ様です、司令」

 

「おう、おつかれさん」

 

 

 風鳴弦十郎と緒川慎次の男二人は、二課の一室で机越しに額を付き合わせていた。

 翼の言った通り、緒川は正真正銘本物の忍者の末裔だ。

 『赤影』で有名な飛騨の忍軍、豊臣秀吉に仕えた忍の末裔にあたる。

 明治維新の後から日本政府を影から支える『緒川家』と言えば、裏の世界では知らぬ者が居ないと言っていいほどの、超一流の忍者集団を指す。

 風鳴家が防人ならば、緒川家は忍者。

 両家が揃ってこその防諜組織、風鳴機関というわけだ。

 古くから風聞操作・隠蔽工作・情報収集は、忍者の役目であるのだから。

 

 緒川慎次は現当主・緒川総司の弟であり、その才を認められたことで二課に所属している政府直属のエージェント、という経歴を持つ男であった。

 ものっそい世知辛い話をすると、高等学校在籍中にコネと推薦で内定を貰ったとも言う。

 ちなみに緒川慎次の更に弟、三男の緒川捨犬は新宿歌舞伎町のホストクラブ『絶対隷奴』(アブソリュートゼロ)のNo.4ホストとして働いているらしい。

 やはり忍者は、夜の闇に生きたがるものなのだろうか。

 

 そんな緒川慎次であるが、当然弦十郎の信頼も厚い。

 風鳴弦十郎は『司令』と呼ばれた通りに、この特異災害対策機動部二課のトップであり、同時に総責任者でもある。

 彼は一流の忍者として、そんな弦十郎の懐刀として動く者でもあるのだ。

 遊びで動かされる者ではない。

 ならば当然、ゼファーと翼に付き添ったのにも意味がある。

 

 

「ですが、驚きましたよ。まさか『記憶喪失』とは」

 

「医師の話によれば、悪夢を見ている間だけは記憶が戻るらしいがな……何の救いにもならん」

 

 

 緒川が命じられた任務は、ゼファーの監視と状態の確認。

 主に一流の忍者としての視点から少年の状態を判断させ、その意見を聞かせるというものだ。

 弦十郎も彼なりの見解を持ってはいるのだが、そこで信頼している部下にも意見を聞き、自分一人の考えで何かを決めようとしないのが、彼という男なのだろう。

 

 医務室に向かう途中にも違和感はあった。

 それが健康診断の最中、問診を受けているゼファーを見て、緒川の中で確信に変わる。

 会話が不自然だ。それもどこか噛み合わないというか、所々で空振っている印象。

 診断が終わった後に医師を捕まえて聞けば、案の定『記憶喪失』ということだった。

 

 だが、世間一般に言う記憶喪失とはまた違うらしい。

 記憶の想起……つまり過去の出来事を思い出す機能に軽い障害がある、ということだった。

 どちらかといえば、記憶障害と言う方が正しいのだろう。

 知識は使える。技術も使える。なのに、思い出だけは取り出すことができない。

 無意識下の精神的な逃避行動なのではないかと、医師は仮説を立てているようだ。

 

 だから、記憶の整理である夢の中ではごく普通に悪夢を見る。

 いっそ全てを忘れていれば悪夢なんて見ないのだろうが、それもない。

 彼が記憶を取り戻すには、記憶を引き上げる『きっかけ』が必要なのだと医師は言う。

 一つのきっかけにつき一つの記憶を取り戻すことをひたすら繰り返す、そんな冗長な作業であっても、とにかく時間をかけて下さい……と、医師はそう言った。

 そうして全ての記憶が戻ってこそ、元の少年に戻れるのだと言っていた。

 

 

「他にはどうだった?」

 

「僕も信用されていないですね。翼さんも例外のようで例外ではないようです」

 

「不信か」

 

 

 その記憶障害が原因か、どうにもゼファーは周囲から距離を取っているように見えた。

 弦十郎は緒川だけではなく、了子や医師や翼からも同じようなことを聞いている。

 一定の距離を空けて接されている、と。

 しかし、忍者の裔の慧眼は、そこに一つ違う見解を落としてみせる。

 

 

「信用されていないのは接している人の人格ではありません」

 

 

 二課の司令に信頼されるほどの男は、この一日で少年の内面をしっかりと見抜いていた。

 

 

「僕らが明日も、生きているかどうかということです」

 

 

 この人もどうせ死ぬ。

 あの人もどうせ死ぬ。

 だから深く関わるのはやめよう。心に踏む込む、踏み込ませるのはやめよう。

 ずっと他人で居よう。親しくならないようにしよう。

 そうすればきっと、その人が死んでも傷付かないで済む。

 そんな、少年の自覚しているかも分からない本心を。

 

 

「あの少年の目、病院で見たことがあります。

 明日にも死ぬであろう病人に、家族が向ける諦めの瞳……

 まさか、自分が向けられる日が来るとは思ってもみませんでしたが」

 

「目の前の人間が明日生きていることを信じられない、か……」

 

 

 彼は目の前の人間の心を信じられないのではない。

 目の前の人間が明日も生きていることを信じられないのだ。

 親しくなって裏切られるのではなく、親しくなって死別することを恐れているのだ。

 だからこその、不信。

 

 フィフス・ヴァンガードで、背中を預けていた戦友達も皆死んだ。

 F.I.S.で、ゼファーより圧倒的に強かったノイズロボが、次元違いに強かったネフィリムが、そんなネフィリムにも迫る力を持っていたセレナまでもが、皆死体すらも残らなかった。

 彼の大切な人達は、その過程で皆遠くに行ってしまっている。

 こんなトラウマが刻まれるのも当然と言えよう。

 周りの人間が生きていける明日を、生き残ってくれるという希望を、彼は信じられなくなっていた。

 

 

「参ったな。面倒だ」

 

 

 そう、ゼファーは基本的に面倒くさいのだ。

 その面倒臭さが彼のせいだけに出来ないのが倍増しに面倒くさい。

 そもそも子供の面倒を見ることが、根本的にめんどくさいんだ……なんて言う者も居るだろう。

 そこで損得抜きに子供の面倒を見てやれるのが、彼という大人の良点なのだろう。

 この手の問題に必要なのは頭を使うことであり、基本的に頭を使うことがそんなに得意じゃない弦十郎は、しこたま頭を悩ませる。

 

 

「何か思いつかないか?」

 

「荒療治の上に賭けになりますが、一つだけ」

 

 

 だが、自分一人で解決策が思いつけないのなら周りを頼ればいい。

 彼はこの組織のトップだ。考えることが苦手なら、部下の力を使えばいい。

 緒川を始め、弦十郎を慕う部下達の力は、そのまま弦十郎の力となってくれるのだから。

 要所で迷いなく部下を頼れるのも、また上に立つ者の資質である。

 

 続けて緒川が口にした提案に、弦十郎は思わず聞き返してしまったのだが。

 

 

「……とんでもないことを思い付くな、慎次」

 

「自分も成功率は低いと思います。無理には……」

 

「いや、やろう。成功率が低いなら、手を尽くして上げればいい話だ」

 

 

 ワイルドな笑みを浮かべて、弦十郎は緒方の案を採用する。

 細かい所を煮詰めようと口を開くが、そこで鳴り響く携帯端末。

 弦十郎が画面を見ると、了子からかかってきた電話であった。

 

 

「は、もしもし、何用……ちょっと待て、了子君。順序立てて話してくれ」

 

 

 櫻井了子は、ジョークじみた連絡をすることも多い。

 電話を取った弦十郎も、それを見ていた緒川も、大して緊張感は持っていなかった。

 しかし弦十郎は了子の様子から表情を引き締め、緒川もそれに続く。

 通話を続けながらも、二人揃って部屋を出て、走る。

 

 

「融合、症例……?」

 

 

 向かう先は、更に地下深くの最重要研究区画。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男どもがあーだこーだと頭を悩ませている間に、女性陣も色々やっていた。

 とは言ってもこっちは「色々と話してみる」以上のことはしていない。

 そういうことをしているのは、主に了子と翼の二人であった。

 どうにもこの二人、ゼファーの件を抜きにしても仲が良いらしい。

 

 

「それにしても、ゼファー君は日本語が上手いよね」

 

「そう?」

 

「翼ちゃんの意見に同意ね~。見るからにガイジーン!って感じなのに」

 

 

 どこかの部屋で椅子に腰掛けりんごを剥いている了子を、ソファーに座るゼファーと翼が見つめながら、三人はほのぼのと会話している。

 ゼファーも情動が薄そうな状態でありながら、りんごを食べたことはないようで、どこか興味津々なように見える。翼発案の、食事で記憶を刺激してみようという案らしい。

 果物ナイフがシャリシャリと剥いていくりんごの皮は、ものの見事にひとつながりであった。

 

 

「日本語は……教わったんだ」

 

「誰に?」

 

「……だれだっけ」

 

 

 翼の問いかけに、ゼファーは曖昧に答える。

 記憶を探るも、靄がかかったように何も思い出すことができない。

 彼にとってもそれは、きっと大切な思い出だっただろうに。

 

 

「でも彼、『です』とかにちょっと変なイントネーションがあると思わない? 翼ちゃん」

 

「あ、確かに! 流石です了子さん!」

 

 

 彼女らの言葉に、何かの記憶が出てきそうになる。

 きっと大切な何かの記憶。もうどこにも居ないのだと、彼の中で喪失に繋がる記憶。

 それでも大切で、暖かったはずの記憶。

 

 

「……ダメだ、思い出せない……」

 

「そっかぁ……あ、そういえば。私とセレナって子が似てるんだよね?

 もしかしたら、その子との思い出だったりするのかな?

 私をその子の代わりみたいに思ってみれば、何か思い出せるかも……」

 

「―――」

 

 

 翼が妙案だと言わんばかりに、ゼファーが震えて自分を抱きしめていた時に何度も何度も呟いていた名前、彼が自分と間違えていた子の名前を挙げる。

 実際には、翼とセレナは外見的には全く似ていない。

 ゼファーは聖遺物を纏った彼女らの姿の似た部分を見て、曖昧な意識で勘違いをしただけだ。

 だが、その言葉は思わぬ形でゼファーの心中を揺らす。

 

 

「違う」

 

「え?」

 

「似てなんかいない。代わりなんていない。ツバサはツバサで、セレナはセレナだ」

 

 

 記憶の靄の向こうから、懐かしさを感じさせる声が届く。

 他の誰でもなく、翼が『自分が代わり』と口にしたことで、彼の記憶が蘇る。

 出会えた友を死んでしまった友の代わりにするなど、ゼファーはもう二度としようとはしない。

 

 

――――

 

「だったら! なんであたしのことを一度もあたしの名前で呼ばないんだッ!」

 

「あたしは、あたしは、死んだどっかの誰かの代わりかよ……」

 

「お前が守れてれば満足できるお人形かよ!」

 

――――

 

 

 それがきっかけで、一人の友を傷付けた記憶があるから。

 ゼファーは一つ、失われた自分の欠片を取り戻す。

 焼き尽くされた灰の中から、燃え残りの欠片を拾い集めるように。

 死んだ奴の代わりを生きている奴に求めるなと、友にそう言われた気がした。

 

 

――――

 

「もう逢えないことよりも、出逢えたことが嬉しかったから」

 

「もう逢えない悲しみより、怖さより、出逢えた嬉しさの方がずっとずっと大きいから……

 だから私は笑えるの。楽しかった日々を、思い返しながら。

 出逢えた大切な人を、守れたなら、私は、笑えるよ……」

 

――――

 

 

 もう逢えない人を理由に落ち込んで、出逢えた人を蔑ろにするなと、そう言われた気がした。

 また一つ、彼は自分の欠片を取り戻す。

 何かが彼の内から、彼の心に力を注いでいる。

 彼の背中を押そうとしている。

 立ち上がれ。もう一度、立ち上がれ。……と。

 

 

「ツバサはツバサしか居ない。

 ツバサは誰の代わりもできないし、誰もツバサの代わりにはなれないんだ」

 

「……そうだね。うん、そうかも」

 

 

 ゼファーの中で、何かの歯車が噛み合った。

 それは彼と話している最中の翼にも伝わるほどに、何かが明確に変わっている。

 燃え残りの灰の中に埋まっている欠片の数は、まだまだ数え切れないほどあるのだろう。

 緒川が見付けた、目の前の人間が明日生きていることを信じられないという歪みもある。

 欠片を拾い集めた所で、それだけでは絶望した瞬間のゼファーが戻るだけだ。

 彼がまた誰かに希望を見せられるかなんて言うのは、今は夢物語でしかない。

 それでも、まだ。

 彼の心は足掻いている。

 

 

「いーこと言うじゃないの少年……あっ、やば」

 

 

 そんな二人の会話に気を取られたのか、了子の手から果物ナイフが滑り落ちる。

 少量の果汁が手とナイフの間で潤滑油の役目を果たしてしまったのだろう。

 ナイフは一直線に彼女の足に向かって落ち……なかった。

 そのナイフは、空中で横から飛んで来た手に掴み取られる。

 

 

「……」

 

 

 その反応は、当人の了子よりも、彼の隣に居た翼よりも早かった。

 むしろ果物ナイフが手から滑り落ちる前に飛び出していた。

 直感を持つゼファーには、それができる。

 無言で飛び出し、無言でインターセプト。

 了子の足にナイフが刺さるその前に、その刃を掴み取ってみせた。

 

 刃の部分を、素手で。

 

 

「ちょ、ちょっと!」

 

「血! 血!」

 

 

 無反応なゼファーより、むしろ二人の方が大騒ぎだった。

 刃を握り締めるゼファーの左手から血が(したた)る。

 見ているだけで痛い。死人の顔でぼやっとしているゼファーの顔を見ると全然痛くなさそうにも見えるが、痛覚までなくなっているわけがないのだ。

 そのくせ、

 

 

「怪我はありませんでしたか?」

 

「怪我してんのはアンタでしょーが!」

 

「はい」

 

 

 第一声が了子の怪我の有無の確認だ。

 もうどうしようもない。一刻も早く精神的な復帰が心待ちにされることでしょう。

 翼がナイフから手を離させて、了子が救急箱を取りに行く。

 運動不足の了子がぜーぜー息を切らしながら戻って来ると、彼女はまたしても面食らう。

 翼が傷口を心臓より上に上げさせるなど、軽い対処をしているだろうと了子は思っていた。

 なのに、そうなっていない。

 翼はゼファーの手の平を見て、呆然としたまま固まっている。

 

 

「翼ちゃん、どうし――」

 

「傷が、無いです」

 

「――え?」

 

「彼の左手の傷、もう、無いです……治ってます……」

 

 

 救急箱をソファーに投げ捨て、了子はゼファーに駆け寄って行く。

 そして少年の手を取って、メガネを押し上げてから凝視した。

 確かに傷はあったはずだった。

 流れ出していた血の量と勢いを見れば、刃は相当に深く刺さっていたはず。

 一週間や二週間で治る傷ではなかった。

 なのに……彼女が見ても、そこには血塗れではあっても、無傷の少年の手の平しか見えない。

 

 

「これは……まさか……」

 

 

 ゼファーは感情が非常に薄い、熱のない顔を浮かべている。

 翼は信じられないようなものを見る目でゼファーを見ていた。

 了子は彼の手を取ったまま、空いた手で携帯端末を取り出し、どこかへと通話する。

 繋いだ先は、風鳴弦十郎の携帯端末だ。

 

 

「もしもし、弦十郎君? 緊急事態よ。直接会って話したいんだけど」

 

 

 そこからは皆忙しなかった。

 ゼファーも血を取られ、レントゲンを撮られ、髪の毛を一本取られたりもした。

 意識が弱りに弱っていたゼファーは逆らうこともせず、流されるまま山ほどの実験を終える。

 研究員に連れて行かれた先でまた実験かと思いきや、そこには弦十郎、翼、緒川、了子と彼の知るメンツがズラリと並んでいた。

 いや、正確にはそれ以外の人間が追い出されていたと言うべきか。

 

 

「こっちの、覚醒(アウフヴァッヘン)波形に関する調査は後日の予定だったんだけどね」

 

 

 どこか他人事のような顔をしているゼファー以外は、皆真剣な顔をしている。

 ゼファーのレントゲンが貼られているシャウカステンや、脳波測定表や各測定数値が貼られているホワイトボードの前で、了子が椅子をくるりと回して振り向いた。

 ゼファーにはそれらの調査結果の意味は理解できない。

 しかし、大事な話がされようとしているということだけは、理解できた。

 

 

「よく聞きなさい、ゼファー君」

 

「はい」

 

「今、あなたの肉体の中には、何かしらの『聖遺物』が融合していると推測できるわ」

 

「……え?」

 

 

 ゼファーの思考が停止する。

 今、彼女は何と言ったのか?

 

 

「励起状態にあるわけではないから、まだ聖遺物の種類は特定できていないわ。

 だけど異常な回復能力、波形の波に同調する脳波、微弱なアウフヴァッヘン反応……

 あなたの肉体のどこかに、融合した聖遺物が溶け込んでいることは間違いない」

 

 

 聖遺物だけが発する特殊なエネルギー反応。

 それを、アウフヴァッヘン反応と言う。

 聖遺物それぞれが持つ固有の波形パターン。

 それを、アウフヴァッヘン波形と言う。

 それらが観測されるということは、そこに聖遺物があるということだ。

 

 今、ゼファーの肉体からはアウフヴァッヘン反応が確認されている。

 それも波形を見るに、彼の精神状態や脳波とも連動しているという。

 傷が一瞬で治る肉体の異常な再生能力も、これで理由が判明した。

 今のゼファーは、普通の人間のように、純粋に血肉だけで構成されている生命体ではない。

 

 その体は既に、生粋の人のものではなくなっていた。

 

 

「生体と聖遺物の『融合症例』。やだ、また仕事が増えちゃうわねぇ」

 

「融合、症例……」

 

 

 呆然と呟くゼファーに、祝福するように、了子は笑って現実を突きつける。

 

 

「現生人類初の新霊長(ノーブルレッド)……おめでとう。あなたが一号よ」

 

 

 ゼファーの傷一つない左腕を見て、人知れず了子は溜め息を吐いた。

 弦十郎と緒川は眉をひそめ、翼は呆然としている少年の背中をじっと見つめている。

 その日を境に。ゼファーの呼び名に、「融合症例一号」という呼称が加わった。

 そう名付けられた理由が、遠い未来に一つの騒乱を引き起こすことになるなど、この時は誰も想像すらしていなかった。

 




 
技の一号、力の二号ってフレーズが大好きです
こう、肩を並べて……ね!?

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