戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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細かい所は想像補完にお任せです。それと久々にちょっとグロ注意


二章エピローグ

 

 

 

 

 運命が変えられるものであるのなら。

 必然的に、変えられる前の運命というものも存在する。

 その運命が幸か不幸か。

 変えられた後の未来しか目にすることのできない人の身では、知りようがない。

 

 

 

 

 

第二章:F.I.S.編:エピローグ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ……これ……」

 

 

 ゼファーの目の前に、『ダルマ』になった人間が居る。

 体格からして少女だろうか? 手足が根本から無く、凄惨以外の言葉が当てはまりそうにない。

 包帯で止血していなければ、とうの昔に死んでしまっていただろう。

 それほどまでに、全身が傷だらけだ。

 

 

「……この子は、今日新しく仲間になるはずだった子じゃ。名を『雪音クリス』という」

 

「どうして、こんな」

 

「ここに来る前に、誰かに絡まれたそうじゃ……ワシの見通しが甘かった……」

 

 

 痛ましげに少女を見やるバーソロミューからは、ゼファーの背中しか見えていない。

 今のゼファーの表情が見れているのは、片目しか残されていない少女だけだ。

 包帯にグルグル巻きにされた頭部。油をかけられて火を付けられて、髪すら残っていない焼けただれた顔の中で、唯一無事だった片目がゼファーを見据える。

 

 

「う……ぁ……えぅ……」

 

 

 少女は喋ろうとした。

 しかし、そこにはあるべき舌がなかった。

 刃物で切り取られた、無残な跡があった。

 

 

「……ふ……ぅ……ふぁ……」

 

「大丈夫、無理に喋らなくていいよ。ちゃんと伝わってるから」

 

 

 バーソロミューの立ち位置からは、角度的に少女と向き合うゼファーの表情は見えない。

 ただ、聞いたこともないくらいに優しい少年の声色だけが耳に入ってくる。

 『こう』なってしまったのなら、少女の幸を望むなら、選べる選択肢は一つしかない。

 ここからこの少女を幸せにするような魔法は、この世界のどこにもないのだから。

 

 

「ゼファー、ワシが」

 

「俺がやる」

 

「……しかし」

 

「やらせて欲しい。きっとこれは、俺がしないといけないことだから」

 

 

 少年と老人の会話の中身が見えなくて不安になったのか、少女の瞳が揺れる。

 

 

「大丈夫。俺を信じて、目を閉じてくれ」

 

 

 それでも、その少年の声色が、とても優しかったから。

 初めて『自分を傷付けようとしない人』に会えた気がして、少女は瞳を閉じる。

 安心して身を委ねた……というより、安心して身を委ねたくて仕方ない、そうでないともう気を張り続けることに耐えられない、安心したい……なんて思考。

 安心できるからではなく、安心したかったから、安心して身を任せた。

 壊れた少女の心が見せた、壊れた選択だった。

 

 

「次に君が目を開けた時、そこはもう優しい世界だ。

 もう誰も君を傷付けない。もう誰も君を苦しめない。もう誰も君から奪わない。

 ……だから、もう休んでもいいんだよ」

 

 

 ゆっくりと、ゼファーは少女の額に銃口を向ける。

 彼女が瞳を開けてしまう前に。彼女が安らかな表情で瞳を閉じている内に。

 そんな風に言い聞かせて、震える指で引き金を引いた。

 

 そしてその時、リルカという少女が死んだ時の、原初の絶望がフラッシュバックして。

 

 二度目の絶望が、少年の心にトドメを刺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手を伸ばした。救おうとした。

 ゆえに、ゼファーとジェイナスは揃って瓦礫の下に居た。

 

 

「ふざけるな、クソ、死ね、死んじまえテメエ……!」

 

 

 ジェイナスがゼファーを罵倒する。

 彼は生きたかっただけだ。助けられたいなどと思ったことは一度もなかった。

 まして後に何も残らない心中など、自らの死にも増して苦痛だった。

 

 

「こんなこと誰が望んだ、願った、祈った!

 そうしてくれといつ俺が頼んだッ!」

 

 

 二人で押し潰される絶望、痛み、命の喪失感に呑まれ、ゼファーはジェイナスより一足先に死の暗闇に呑まれていく。

 瓦礫に呑まれた時点で、既に少年は喋れないほどに致命傷を負っていた。

 瞳を閉じて、これが正解だったのかを考える。

 その答えが出る前に、脳は活動を停止した。

 

 

「てめえは無駄死にだ、このバカヤロウッ……!」

 

 

 後に何も残らないことが。

 助ける側にしろ、助けられる側にしろ、誰も生き残れなかったことが。

 人がただ死ぬ以上の絶望を、己が死ぬ以上の絶望を、人の心に刻むこともある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーは白と灰の部屋で、誰も来なくなった部屋に閉じこもっていた。

 もう誰も彼を傷付けない。

 希望を抱くこともなければ、絶望を感じることもない。

 枯れた木のように静かな心で、彼は今日も壁を見続ける。

 彼の心は、死んでいた。

 

 

「……」

 

 

 いつからか、誰とも会わなくなった。

 いつからか、誰とも話さなくなった。

 なら、傷付いた心が平穏を求めるのも当然で。

 人伝てにセレナが死んだと聞いた時は心揺れたものの、それを最後に彼の心には波風一つ立つこともなく、日々を無感のままに過ごしている。

 何も感じない。何も考えない。何も思わない。

 山も谷もない、心の調子が上がることも下がることもない、静寂の心。

 オートメーション化された施設に与えられる食事を、ただ死なないためだけに口に運ぶ日々。

 

 彼がこの施設に生きている人間がもう誰も居ないと気付くまで、後どれほどかかるだろうか。

 

 

「……」

 

 

 静かで、穏やかで、何もない。

 死んでいない代わりに、生きてもいない日々。

 そんな毎日の中で、『生きたい』だなんて気持ちが形を保っているわけもなく。

 音もなく、兆候もなく、心が徐々に死んでいく。

 形のない絶望。透明な絶望。染み込んでくる絶望。静かなる絶望。

 

 就職のあてがない者、進路にこれでいいのかと悩む者、やらないといけないことから目を逸らし娯楽に耽る者、そんな人間が自分の将来をふと考えた時に実感する不安に似た、そんな絶望。

 未来が見えない、絶望。

 

 

「……」

 

 

 希望があれば、絶望はその痛みを倍加させる。

 けれど希望が欠片もなければ、いずれは未来の欠けた穴から透明な絶望がやって来る。

 静かに、わけもわからぬ絶望にその心を蝕まれ、少年は震えながら膝を抱えて丸くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は負けてしまった。負けてはならない戦いに。

 カルティケヤは処罰され、けれど彼に潰された生命は全て戻っては来ない。

 月読調も、ベアトリーチェも、マリエルも、もうこの世には居ない。

 

 

「あたしが」

 

 

 なのに、彼女は彼を責めなかった。

 彼女は自分を責め、自責で少女達を死なせてしまった彼より、深く絶望してしまっていた。

 誰が何を言おうと、彼女の心の奥底には拭い去れないトラウマがある。

 

 

「あたしが、バカだったんだ」

 

 

 周囲にずっと言われ続けた『死神』という呼称、その傷跡。

 そこに居るだけで周囲の人間に死を振り撒くという根も葉もない噂。

 けれど、暁切歌という少女は、ずっとそのレッテルを振り切ることができていなくて。

 

 

「みんなが正しかったんだ」

 

 

 大親友である月読調の死が、彼女の心にトドメを刺した。

 

 

「あたしは、周りの大切な人を死なせるだけの死神なんだ」

 

 

 少女が手に刃を握る。

 少年が止めようと手を伸ばす。

 なのに一瞬、ほんの一瞬、少女がその刃を己の喉に押し込んでいく方が早くて。

 

 

「キリ―――」

 

 

 少年の目の前で、少女は首から鮮血を吹き出し、その血が少年の全身を血に染める。

 血に濡れた顔で、血に濡れた足元を見て、倒れた少女を見て、血塗れの両手を見て。

 声にならない叫びを上げて、少年は両の手で自身の醜く歪んだ顔を覆った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は負けてしまった。負けてはならない戦いに。

 機械式の災厄に傷付けられた身体はズタボロで、一生歩けないと宣告された。

 片足は脛の半ばまで、もう片方は膝上までもぎ取られたのだから仕方がない。

 片腕もない。内蔵も二つ摘出された。

 なのに彼は、まだ生きている。

 死ねもせず、自分らしく生きることもできないままに。

 

 

(……違う……)

 

 

 周りの様子から、なんとなく全部バレてるんだなと、ゼファーは感じ取っていた。

 特に切歌の甲斐甲斐しさが段違いだったからだ。

 彼女はゼファーが「誰のためにこうなったか」を理解していた。

 その負傷に、喪失に、責任と罪悪感を感じていた。

 ゼファーは彼女に、そんな風に考えて欲しくないと思っていたというのに。

 ただ喜んで欲しかっただけで、そんな風に思われることも、甲斐甲斐しく世話をされるということも、望んでいなかったというのに。

 欠損した身体で友に支えられるだけの日々は、感謝の気持ちと共に、彼の心の表面をヤスリを掛けるようにじわりじわりと削って行った。

 

 

(……俺が望んだことは、こんなことじゃ……)

 

 

 何故か、憔悴している子供を見舞い客の中によく見るようになった。

 「頑張るよ」と、顔を合わせた時に奮起していく友の数が増えた。

 怪我している知り合いを見る機会が、日に日に増えていった。

 暗い顔をして会いに来て、少し元気になって帰って行く知人が何人も居た。

 いつからか、来なくなった顔ぶれが増えた。

 その原因を、一人では歩くことすらできないゼファーが知ることは出来なかった。

 皆の顔に希望はある。彼ら彼女らは希望を胸に抱いて戦っている。

 なのに。

 ゼファーはその戦いを知ることもできず、その戦いの結果を知ることもできず、共に戦い手を貸すこともできず、希望を見せた責任を取ることすらも許されなかった。

 

 

(……見てるだけ……見てるだけって、こんなに辛いのか……)

 

 

 警報が鳴って、慌ただしく人が廊下を走る人の足音がたくさん聞こえて。

 施設が大きく揺れて、静かになって。

 彼は何故か、とても大切なものを失ってしまった気がした。

 自分の知らない所で、何もかもが終わってしまった気がしていた。

 それが悲しくて、怖くて、嫌で。少年の体が震えていく。

 

 

「……私は」

 

 

 いつの間にか開いていたドアの向こうに居た、マリアの絶望の表情を見て。

 

 

「……なんで……セレナ……」

 

 

 ゼファーは何が起こったのかを理解し、とうとう心折れて絶望した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほんの少しだけ、届かなかった。

 

 

「が、ぁ……!」

 

『未熟、未熟、未熟。……私に挑むには、まだ早かったな』

 

 

 剣を手にし、立ち向かい、そして負けた。

 こんなにも早く幼い内に挑んできたことが敗因であると、魔神は嗤う。

 成長が足りなかった。

 積み重ねが足りなかった。

 背負う想いが、背負う命が足りていなかった。

 たった一人の最弱では、この宇宙における最強には敵わない。

 

 人類はこの宇宙という広大な世界で見れば、最弱に近い知性体だ。

 そしてこの魔神は、無限に広がる多元宇宙にすら収まらないほどに強大な生命体。

 そんな那由多の彼方の最強に打ち勝ちたいのなら、まずは70億の最弱を束ねなければならない。

 その時初めて、勝利の可能性は見えてくる。

 

 

『あっけないものだ』

 

 

 魔神が指をパチンと鳴らす。

 火柱が剣と少年を飲み込み、悲鳴が外に漏れることすらも許さず、焼き尽くす。

 後には何も残らなかった。

 

 

『さあ、ヒトよ、"英雄"のいない時代を嘆けッ!』

 

 

 魔神が空に舞う。

 これより一昼夜の後に、人類という種はこの世界から消え去ることとなる。

 

 

『そして、為すすべも無く焼き尽くされるお前たちの未来に恐怖するがいいッ!!』

 

 

 長きに渡る希望と絶望の戦いは、世界が終わる前の日に、世界の命運と共に、決着した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、ありえた可能性。

 そして既に踏破された絶望だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中で、小さく灯る焔が瞬いている。

 そこにはその焔と、無残に打ち捨てられている『人型の灰』しか存在しなかった。

 マッチに灯る火のように、時折その空間になんらかの映像が映し出され、マッチが燃え尽きるようにフッと消え、また新しい映像が映し出されていく。

 明らかに現実の世界ではない空間にて、小さな焔は声を発した。

 

 

『ほう、これが"直感"というものか。内側からこうして見るとよく分かる』

『未来を無自覚に感じ取り、その中の最悪を徹底して回避し続ける……

 絶望を踏破し、自覚無自覚を問わずに他者に望まれる未来へ導き続ける』

『ただ生きているだけで、世界と人を救う才覚か』

 

 

 ただ生きているだけで因果を歪め、"自分を倒す可能性を持つかもしれない者達"へ悪性の運命を押し付ける、そんな魔神と対極に立つ力。

 

 

『私が一度は負けるわけだ』

『だが所詮は一発芸、それも未完成品。種が割れれば造作もない』

 

 

 しかし、完全でも完璧でもない。

 未来を思うがままに改善できるのであれば、彼の大切な人は誰も死ななかったはずだ。

 彼を嫌う研究者も居ないはずで、彼が肉体的精神的に苦痛を背負わされる事もなかったはずだ。

 これはどこまで行っても、未来を好きなようにできる権利ではない。

 押し付けられた運命に抗う権利である。

 

 まして、周囲が望む最善の未来と、彼が望む最善の未来が噛み合う保証なんてないのだから。

 他人を救う才能と、自分を救う才能はイコールでは結べない。絶対に。

 

 

『しかし、あの女。この一万年でよくぞここまで練り上げたものだ』

 

 

 小さな焔は身をよじる。

 すると、その動きを阻害するように、夜の月のような色合いの糸が焔に絡んでいく。

 その声には、この上ない感嘆と不快が込められていた。

 

 

「僕の姉さんだからね」

 

 

 暗闇の中には、小さな焔と打ち捨てられた人型の灰しか見えていない。

 なのにどこからか、澄んだ青年の声が聞こえてくる。

 

 

「それは姉さんが一万年近くの時間をかけて仕込んだ封印。

 世界各地の地脈に数千年溜め込まれたエネルギーによる、星の楔。

 君が復活すると自動で起動し、君をいと高き月へと縛り付ける。

 たとえ君がかつての自分を超える力を手にしていたとしても、

 復活直後に貴種守護獣以上のエネルギーを持つこれを食らえば、数年は出てこれないさ」

 

 

 足音が響く。

 コツ、コツと、革靴が石畳を叩くような音。

 その声の持ち主は、そんな何気ない音ですら、耳にする者に安心感を与えてくれる。

 

 

「君は負けたんだ、魔神よ。君の望みは叶わなかった」

 

 

 その声はよく通り、耳を澄ませなくてもすっと頭の中に入ってくる。

 言動からしてその声の持ち主は、そこにある焔の敵対者なのだろう。

 

 

「あの日、降魔儀式により君はその少年の中に封じられた。

 君は力を取り戻さない限りはその封印を破れず、少年の髪は君の影響で黒くなる」

 

 

 降魔儀式は器に物質的でない存在を封じ込め、蓋をするシステム。

 ゼファーの髪は青から環境のせいで白に、そして遺跡での出来事により黒に。

 器は少年。入れられたものは魔神。

 

 

「だからこそ君は運命をねじ曲げ、彼を絶望させようとした。

 積み重ねられたストレス、鬱憤、負の感情は彼の中の君に力を与える。

 だから姉さんは彼を死体も残さず殺すか、凍結し生きも死にもしない状態にしようとした。

 君が力を取り戻す前に外に出すか、彼が君に復活する力を与えないように」

 

 

 魔神は少年の絶望を喰らい、かつての自分を超える形で復活しようとしていた。

 当然、それを読んでいたフィーネは策を練る。

 焼却処理すれば、不完全な状態の魔神を別の封印に移し替えられる。

 凍結処理すれば、肉体的に限界が来るまで降魔儀式の封印を維持できる。

 何にせよ、負の感情を魔神に喰らわせないままに、封印を延命することができる。

 それが最も無難な選択肢達だった。結局、そのどちらも実行されることはなかったが。

 

 

「だが、どんなに運命をねじ曲げようと……彼は、絶望に呑まれはしなかった」

 

 

 絶望という餌よりも、希望という毒の方を多く食わされる日々が続く。

 それは魔神に力を与え、同時に魔神に傷が刻まれる日々でもあった。

 心強くもない彼は魔神にとって宿主として好ましい人物であれど、彼も成長する。

 絶望が踏破される度、魔神の復活は遠ざかる。

 

 

「君にとって、天より堕ちたる巨人は最後のチャンスだったんだろうね。

 それを逃せば最悪、この少年が天寿を全うするまで待たなければならなかった。

 君の存在を感知すれば敵意を向けるネフィリムの性質は、願ってもないものだっただろう」

 

 

 時間は魔神ではなく、少年に味方する。ありとあらゆる要素において。

 ゆえに、その流れに沿って魔神は己が全力を注ぎ、運命をねじ曲げた。

 

 

「そして運命に干渉し、あの研究所の全員をあそこで死に至らせようとした。

 全ての喪失と死を目の当たりにさせ、彼を絶望させ、それを食らうために。

 セレナという少女の存在を、最後の絶望の引き金として仕立て上げるために。

 封印を破るだけの力を、彼の絶望から得るために。

 君は舞台の上で踊る演者達に、一流の悲劇の脚本を演じさせようとした」

 

 

 もしもセレナが最初から単独で挑んでいれば、未来の光景は変わっていただろう。

 セレナが失敗し、誰もが死に、それを目にしたゼファーが絶望し、その絶望を食らうことで魔神が復活し、世界が滅びるという結末に至っていたはずだ。

 誰かが保身と打算を選べば、それら全ての選択が裏目に出ていたはずだった。

 

 

「けれど、そうはならなかった」

 

 

 しかし、魔神の定めた運命は覆される。

 

 

「全員が足掻いた。抗った。諦めなかった。

 君が曲げた運命に後押しされたネフィリムでも、殺し切れないほどに。

 少年が、機械の災厄が、少女達が、ネフィリムのエネルギーを削りに削った。

 本来ならば、少女の命一つと引き換えに消えるはずだったエネルギーを、幾度となく」

 

 

 勝利はない。無傷でもない。苦はあれど楽もない。

 けれど積み重ね、積み重ね、積み重ね、それら全ては無駄にはならなかった。

 無理に挑んで、無茶を通したのだ。

 一人の少女が皆を守るための生贄に、犠牲になるという運命は覆され、皆が力を合わせて運命に抗うという光景がそこに現れる。

 絶望を乗り越えようとするその背中にこそ、希望はあった。

 

 

「削られた分、余裕ができる。

 彼女は生き残ることも可能だったかもしれない。

 だけど、彼女はその余裕を全て自分のためにではなく、彼のために使った」

 

 

 本当にギリギリの場所で、彼女は生存ではなく、救済を選んだ。

 

 

「君が彼の蓋をしていた記憶を全て呼び起こし、絶望させようとしたために。

 彼を内から燃やし尽くし、復活しようとしたお前の干渉を極限まで削ぐために。

 あの研究所の全ての人間のあがきが、あの少女の献身が、少年が繋いできた絆が。

 最後の最後で、彼を守ったんだ」

 

 

 その声は、少女の起こした奇跡を賞賛する。

 やがて暗闇の中から、一人の青年が姿を現した。

 青く短い髪。少しボロっちい赤い服。只者ではない存在感。

 好青年が服を着て歩いているかのような、そんな風貌。

 

 

『……ロディ・ラグナイト』

 

 

 小さな焔は、その青年の名を忌々しげに口にした。

 

 

「これが敗北でなければ何なのか。君は負けたんだ、ロードブレイザー。

 ちっぽけで、か弱くて、それでも消えることのない、人の意志に」

 

『私の敗北? 人間の勝利? 笑わせる。結局あの娘は死に、あの童は絶望したのだ』

 

 

 焔が口にしたことも事実だろう。

 人の死は覆せない。どんな慰めがあろうと、死が死であることに変わりはない。

 セレナは死に、ゼファーは絶望した。

 それは覆しようのない真実だ。

 

 

「命は尽きて終わりじゃない。それが分からないのなら、君は彼らには永遠に勝てないよ」

 

 

 だが、ロディはその言葉を否定する。

 彼はそこにずっと打ち捨てられたままの、人の形をした灰の塊に目をやった。

 ロードブレイザーに肉も、心も、魂も、全てを焼き尽くされ灰になり、けれども……全てを焼き尽くされてはいない、そんな燃え残り。

 何もかもが終わったわけではない。

 皆が諦めずに足掻いた結果が、諦めない気持ちが残したものが、そこにある。

 

 まだ全てが終わったわけではない。

 そんなことは、少年を『完全には殺し切れなかった』魔神が、一番良く分かっていた。

 体は灰に、魂は燃え尽き、けれど全てが終わってしまったわけでもなく。

 焔が瞬き、燃え尽きかけの灰へと殺意を向ける。

 

 

『英雄が聖剣を手にする前に殺しきる。私としてはしない理由はないのだが』

 

「それは、僕がさせない」

 

『だろうな』

 

 

 魔神は嗤う。

 予想外のことすらも楽しんでいる。人間の足掻きを楽しんでいる。

 それは、自分の勝利を微塵も疑っていないから。

 無駄な足掻きだと、人の諦めない心を嘲笑しているから。

 

 

「あがくな、魔神よ。君はまたしても仕損じたんだ。

 彼の生きて生かす意志と、姉さんの意地にまたしても負けたんだ」

 

『この程度のことで勝敗など笑止。貴様らは詰みを避けただけではないか』

 

 

 先史の時代に、戦いにおける決着がそうであったように。

 この二人は舌戦においてもどちらかが勝つということはなく、平行線のまま拮抗する。

 

 

「僕の銀の腕(アガートラーム)を受け継ぐ者が居る限り、人はお前になど負けはしない」

 

『人が絶望を知る限り、人が私に勝てる道理はない』

 

 

 青年は人の希望を語る。魔神は人の絶望を語る。それが人の未来であると。

 

 

「未来永劫敗れ続けろ、魔神」

『未来永劫死に続けよ、人間』

 

 

 魔神は人を嘲る。人は魔神に宣う。これまでも、これからも、ずっとそうなると。

 

 

『さて』

 

 

 フィーネの封印に抗うのも限界に達したのか、夜の月のような色合いの糸が焔を引き上げ、どこかへと連れて行こうとする。

 魔神は人の形に残った燃え残り、少年であった灰を見つめる。

 そして、いつの日にかやって来るであろう、直接相対する日に思いを馳せた。

 

 彼らの決着がつくその日は、その戦いから明日へと繋がるかが決まる日であると言える。

 人が勝てば平穏な明日。魔神が勝てば滅びの明日。

 人が明日世界が終わるという運命に抗い、立ち向かうための日ということとなる。

 それこそが、『世界が終わる前の日』だ。

 

 

『さらばだ。世界が終わる前の日に、また相見(あいまみ)えよう。

 我が親にして、子にして、未来永劫相容れぬ兄弟よ』

 

 

 希望がなければ人は強く絶望などしない。

 絶望がなければ人は強く希望を抱かない。

 希望を得たせいで絶望し、絶望の中で希望を絞り出したゼファーこそ、その体現だ。

 

 絶望の魔神が居なければ少年はここまで成長できなかった。

 希望の西風が居なければ魔神はより強く復活できなかった。

 人という命が生まれたその瞬間から、時には人の心の中で、時には世界の中で繰り返され続けてきた、勝者なき希望と絶望の戦いの連鎖。その一つの最後の形がここにある。

 絶望は絶えることなく生まれるというのに、希望は未来永劫勝ち続けねばならない。

 希望が絶望を産み、絶望が希望を生み続ける限り。

 

 ゆえに、互いが親であり、子であり、兄であり、弟でもある。

 そしてこの時代においては、ロードブレイザーはゼファーの絶望が産んだにも等しい。

 そこに、魔神の作為があったとしても。

 

 

『次は殺す』

 

 

 焔はそうして、灰になった少年に言い残し、消えた。

 

 

「……さて、僕もそろそろ限界かな」

 

 

 溜め息をつき、ロディは自分の手の平を見る。

 いかなる理由か、その手の指先がほどけ、淡い光に還り始めていた。

 彼に残された力はほんの微量。

 何かをする力もなく、せいぜい魔神に対しハッタリを決めるのが関の山。

 そんな自分の現状を見て、現実でやらかしていた銀一色の騎士の姿を思い浮かべ、ロディは難しい顔で眉間を揉んでいる。

 そして、少年の燃え残りの灰に向かって、声をかけた。

 

 

「君はどうする?」

 

 

 いや、灰に向かって声をかけたのではない。

 灰に寄り添うように小さくきらめく、本当に小さな光の粒が、そこにあった。

 光の粒は灰から離れようとせず、その場でくるりと一回りする。

 言葉は発せなくとも、ロディにはそれで意思を伝えられたようだ。

 

 

「そう……ずっと傍に居る、か。幸せものだね、その少年は」

 

 

 ロディは優しく微笑んで、光をからかう。

 恥ずかしげに光が瞬いた。今度は光に向かってではなく、灰に向かってロディが語りかける。

 

 

「世界は変わり続ける。時は誰をも待たず、どんなに大切な人でもいつか別れの時は来る」

 

 

 語りかけながら、青年は手を振りかざした。

 

 

「でも。それなら、きっといつか」

 

 

 かざした手に呼応するように、灰がうごめく。

 木々が燃やされ灰になる光景を録画した映像を逆再生するかのように、灰になっていたものが集結・変化・再生していき、人間の形を取り戻す。

 燃え残りの灰は、元の小さな少年の形に蘇っていた。

 

 

「君の望む、平和で幸せな世界だって来るはずだ」

 

 

 パチン、とロディが手を合わせる。

 すると肌に体温が戻り、少年が浅い呼吸を取り戻した。

 小さな光が嬉しそうに、そっと少年の頬に寄り添って行く。

 

 

「その世界は永遠に続く……なんてことは、言えないけれど。

 君が望むなら、いつかその世界はやってくる。絶対に、絶対にね」

 

 

 力を使い果たしたのか、ちょっとドヤ顔している青年は、身体の全てがほどけ始めていた。

 水に溶ける砂糖のように急速に、溶けるようにほどけるように消えて行く。

 神ならぬ身で、彼は蘇生ではなく、『もう一度』の機会を少年に与えた。

 

 

「……頑張れ。ゼファー・ウィンチェスター」

 

 

 やがて、その姿は消えて。青年の声だけが、その場に響く。

 

 

「いつの日か。君達が剣を手放して、幸福を手にするその日まで」

 

 

 焔が消え、青年が消え、暗闇の世界が終わる。

 世界を塗り潰し、少年を飲み込む大きな光を目にしても、小さな光の粒は、少年の傍を決して離れようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男が居た。

 女が居た。

 二人は揃って、アメリカの大地を踏みしめ、光に満ちた夜の街を歩いている。

 上を見上げれば確かに夜空であるのに、昼と勘違いしてしまいそうなほどに人の生み出した灯りが満ちていて、足元を照らさずとも転ぶ心配もない。

 そこは世界で一番明るいかもしれない国の中で、一番明るいかもしれない街だった。

 またの名を、ワシントンとも言う。

 

 

「全く、お上も俺達を気軽に使ってくれる」

 

「仕方ないでしょ、他の誰かにできることでもないもの。

 核兵器持った人間が来るより、あなたが来る方が怖いと思う人間だって居ると思うわよ?」

 

「狐に虎、スネ夫にジャイアンってか? 俺程度じゃ威を貸すにも限度はあると思うがね」

 

 

 男の名は『風鳴 弦十郎』。女の名は『櫻井 了子』という。

 二人は日本の政府機関である『特異災害対策機動部』に所属する、映画や漫画によくある特務機関の一員……に、限りなく近い人物達だ。

 公務員であり、エージェントであり、優れた能力を持つひとかどの人物でもある。

 二人は海を越え、はるばるアメリカの研究者の一人とコンタクトを取っていた。

 内容は、最近アメリカを中心として動いている、不自然な聖遺物の流通の流れについて。

 日本の懐に入る予定だった聖遺物までが行方不明になったことで、日本政府も重い腰を上げた。

 二人をこうして公式に動かし、多方面に圧力をかける気なのだろう。

 

 『犯人』に見当がついていながらも、決定的な証拠が無いために追求しきれず、安全保障条約を始めとする諸々で泣き寝入りを余儀なくされる、日本なりの精一杯の抵抗だった。

 

 

「聖遺物を米国も集めてる、ということは……」

 

「十中八九あちらさんも聖遺物の転用研究を進めてるってことでしょうね。

 ま、可能性の高い推論が確信に変わったってだけの話だけど」

 

「ったく、アメリカの国営秘密組織なんざ映画でも何番煎じか分からんな」

 

 

 男は声も体つきもがっしりとしていて力強く、逆に女は声や雰囲気が飄々として掴み所がない。

 並んで歩き、話しているだけでどこか対照的だ。

 男の方は筋骨隆々としていて身長は2m弱と『男』を絵に描いたような、大抵の男が憧れるようなワイルドな容姿。女の方はボンキュッボンという死語がそのまま当てはまる、『女』を絵に描いたようなこちらも大抵の女性が憧れる魅力的な容姿。

 身長差が30cm以上あるのもあって、並んでいるとまさに美女と野獣だ。

 容姿が東洋系でなければ、街と合わさって実にアメリカンな印象を受けさせるのだが、あいにくとこの二人は共にごく普通の日本人である。

 

 どこかこの街にも馴染めていない二人は、ホテルに向かう帰り道の途中であった。

 

 

「ん?」

 

 

 そんな中、了子が何かに気付く。

 視界の端に、何か見覚えのあるものが映った気がしたのだ。

 

 

「どうした、了子君?」

 

「今、あそこに何か……」

 

 

 そちらに二人が視線を向けた瞬間、フッとそれは現れた。

 半透明な、輪郭や髪だけがかろうじて見える幽霊のような、そんな人型。

 目にした瞬間、弦十郎は了子を庇うように彼女の前に立つ。

 敵意は感じない。けれど万が一ということもある。

 その幽霊は、二人に手招きし、路地裏へと歩き出していった。

 

 

「なんだ、今のは……?」

 

「―――ロディ」

 

「何? おい、待つんだ了子君!」

 

 

 弦十郎が庇うも、彼の後ろで了子は何かを呟き、その声を上手く聞き取れなかった彼を置いて、その幽霊もどきを追いかけて走り出してしまった。

 男として黙って見送るわけにも行かず、昼間よりやや治安が悪くなる裏路地に向かって彼も駆け出し、彼女の後に続く。

 幽霊が移動し、彼女がそれを追い、彼がそれを追う。

 やがて路地は終わり、少し開けた広場のような場所に出る。

 広場の端に転がっているドラム缶やお菓子のゴミ、空き缶、空き瓶、煙草の吸殻、やけに使い込まれたバスケットゴールなどが実にアメリカンだ。

 

 そんな場所に。

 バスケットゴールの下に、銀一色の騎士甲冑が立っていた。

 

 

(……こいつ、強いな……)

 

 

 弦十郎の目が細められる。

 鍛え上げられた肉体に相応に彼は強者であり、他者を見極める眼力を持っている。

 そんな彼の洞察力は、その騎士の只者ではない強さをひと目で見抜いていた。

 自然と彼の眼は細められ、高まる緊張感と共に、彼は精神的な戦闘態勢を整えていく。

 

 騎士は少年を抱いていた。

 横抱きにされている少年は意識が無いようで、ぐったりとしている。

 了子の方を向き、騎士は少年を抱く腕を伸ばす。

 まるで、「受け取れ」とでも言っているかのように。

 

 了子はそんな騎士に歩み寄る。

 弦十郎が彼女を背後から呼び止める声を上げるが、彼女は聞こえていないかのように歩を進めていく。そして、騎士の前に立つ。

 騎士は優しく、壊れ物を扱うように、少年を彼女に手渡した。

 彼女が少年を受け取ると、銀色の騎士の輪郭が揺らいでいく。

 

 煙が風に吹かれて消え去る時のように、役目を終えた騎士は、その場から姿を消した。

 

 

「何だったんだ、今のは……? 了子君、その子はどうだ」

 

「眠ってる……のかしら? ただ、呼吸が浅いわ。相当弱ってる」

 

 

 了子が軽く診断した所、その少年は服装こそズタボロ、身体も相当に弱ってはいるが、"目立った外傷は身体のどこにも見当たらなかった"。

 目も、鼻も、耳も、腕も、足も、何も欠損していない。

 強いて言うなら『両手の火傷』を中心に、全身に怪我をしてから何年も経っているであろう、銃創などの古傷が目に見えるくらいか。

 ただ、左肘より少し上の部分を綺麗に焼き切ったかのような袖口があるのに、ほぼ無傷の左腕。

 服も身体も全身血まみれであるというのに、外傷のない身体。

 それらにどうしても違和感が拭えない。

 

 肌を出していない防御服を着ているからこそ、横たわっている少年の全身を見下ろすと、怪我のない露出した左腕が特に浮いて見える。

 

 

「……連れて行きましょう。手当てが必要よ」

 

「ああ。見捨てて行くのも寝覚めが悪い」

 

 

 了子から少年を受け取った弦十郎は、少年を軽々と抱え上げる。

 二人は裏路地を戻り、元来た道へと帰って行った。

 燃え尽きかけの、全てを失った少年と共に。

 

 運命は、交差する。




三章からようやっと日本編です

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