戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
「マム、まだダメなの?」
「分かっているでしょう、セレナ。あれはまだ未完成品です。
あなたの適合係数だからこそ扱えるものの、バックファイアの軽減等は目も当てられない……
未調整で使えば、最悪反動で死体も残りませんよ」
ゼファーとの通信に平行して各所に指示を出していく作業の中、どこか焦りを見せ始めたセレナをナスターシャが諭す。
マリアはそわそわと分かりもしないのにあちらこちらに目をやって、常に現状を把握しようとしている。人の声からかろうじて現状を理解してはいるようだ。
ウェル博士はずっとキーボードを叩き、時折部屋から出て別室の調整室に向かい、またここに戻ってはキーボードを叩いている。
キーボードを叩く指の動きどころか、眼球の動きまでもが人間離れしているように見える。
研究者はPCにかじりついている者、慌ただしくずっと走り回っているもの、調整室等にこもっている者、この部屋とそれらの部屋を何度も往復している者、自分の研究室にて全力を尽くしている者、その他諸々の人間が居て全く統一性がない。
頭に相当するナスターシャが居なければ、空中分解していてもおかしくないレベルだ。
「避難完了まで大雑把にあと一時間半……もっと急げないのか!?」
「Dr.トカから入電!『間に合ったトカ間に合わなかったトカ』……どっちだよ!」
「無理言うな! 無理したら廊下で渋滞が発生するぞ! 何百人居ると思ってんだ!」
「政府からの通達です。例の槍の方は使用許可が下りませんでした」
「ネフィリムエネルギー値上昇……しかし、質量が減ってます。限界はありますよこれ」
「トカ博士のそれは『間に合った』でいいんだよマヌケ!」
「聖遺物、ゴーレム、データの八割の移送終了です。今ここで使ってるの以外は移送完了ですね」
「Mr.アートレイデから連絡。聖遺物の調整にもう少し時間か人手をくれと」
研究員達の怒号、連絡、報告がしっちゃかめっちゃかに飛び合っている。
それでも会話が成立し、個人個人の全力が一つの流れとしてスムーズに噛み合っている辺り、流石F.I.S.に集められたエリート達といったところか。
そして、彼らが眺める画面の中に、一際目立つ画面が一つあった。
画面には銀の剣、赤の剣、緑の剣のアイコンが縦に並んでおり、横に謎のゲージと%の数字が表示されていた。表示されている数字は徐々に上昇しているが、どれも60~70%のようだ。
研究者の一人がその画面に目をやり、苛立たしげに舌打ちした。
「ゼファーくん……」
それとは別のモニターには、中央実験室の戦いが映し出されている。
持ち堪えてはいる……だが、圧倒的に劣勢だった。
ガングニール持ちのゼファーが積極的に囮を買って出た上で、全ノイズロボが連携し、それでようやく劣勢以上には押し込まれず、ギリギリ踏み留まっている。
だが片腕の欠けたゼファーの顔色は、モニター越しに見てもひどい有様だ。
それがまた、研究者達やセレナ達を焦らせる。
セレナは胸の前で手を重ね、ゼファーの一挙一投足から目を離さない。
彼の無事を祈りながら、彼が傷付く度に声を上げそうになっている。
普段、ゼファーに全幅の信頼を寄せ、勝利を信じるセレナがそんなだから、彼女とゼファーの関係をよく知る一部の研究員の焦燥も増して行く。
焦りで処理能力が落ちるような二流はここには一人も居ないが、追い込まれているという危機感は皆が共通して胸に抱き始めていた。
走り回る人々の喧騒の中、一人立つマリアが、ポツリと呟いた。
「なんでよ……」
画面の向こうで、ゼファーが血を流し、汗を流し、とうとう俯いて吐瀉物を吐いた。
ネフィリムが跳ね飛ばした石が腹に当たったのだ。
ただそれだけ。息を吐くように何気ない行動の余波だけで、ネフィリムは彼を死に至らしめる。
それだけの絶対的な力の差を目にしても、彼は折れない。諦めない。
ノイズロボのカバーで得た僅かな時間で立ち上がり、また駆け出した。
「なんでそんなに、死にたがりでもないくせに、命がけで守ろうとするのよ……
あなたが好きじゃない人だって、あなたを好きじゃない人だって、居るでしょう……?
戦ってないと生きてられないって、なんなのよ……」
その直前でゼファーの歪みを目にしていただけに、マリアは握った拳を震わせる。
ゼファーの日常も、ゼファーの異常も、どちらも彼女は目にした。
それを知った上でも、彼女は彼の戦う意志に全く共感できない。
生きたいくせに、死にそうな場所に進んで向かう彼の気持ちが。
「姉さん」
「セレナ……」
「例えば、だけどね。もしも私のことを好きじゃない人達が居て……
その人達のせいで起こった事件があって、その人達の命が危険に晒されてたら……
私はそれでも、その人達を、命をかけて助けるよ。
それで私が死んで、『実験サンプルが一つ減った』くらいの反応しかされなかったとしても」
「……なんでッ!」
そんな状況になってしまったら、マリアは許せる気がしない。
その人物達への怒りと不信から叫んでしまうはずだと、彼女は思う。
妹が誰のために死んだのか教えてやる、とすら思ってしまうかもしれない。
「完全に悪い人なんてどこにもいないよ。きっと、悪い所も良い所も誰にでもあるの。
それで、同じ人間に見えない人に対しては、悪い人よりずっと悪いことができるだけなの」
なのに、そんな姉をよそに、セレナはそんな理屈で許せるという。
他人の悪行に不快感を覚える感覚も、死にたくないという人並みの感覚もあるはずなのに。
それでもなお、自分に対し実験を押し付けた者達をも救おうとしている。
「ここの施設の大人の人も、いい人ばっかりじゃない。それは私も姉さんもちゃんと分かってる」
「だったら!」
だからマリアは、初めて見る妹の本音の一角に、食い下がろうとして――
「だけど、いい人になれなかった人はみんな悪い人なの?」
――息が、詰まった。
「いい人になれなかった人も、悪い人になれなかった人も。
悪い人に『なってしまった』人もきっと居るよ?
……私は。そんな人達にも、幸せになって欲しい」
世の中に「自分はいい人だ」「自分は悪い人だ」ときっぱり言い切れる人が、何人居るのだろうか? 誰だって、自分が完全な善と扱われることにも、自分が完全な悪として扱われることにも、反論し反発するに違いない。
そして完全な善人でないのなら、気の迷い、魔が差した、周囲に流され、自分の弱い心に負け、欲望に膝を折り、後悔や執着から間違ってしまうこともあるだろう。
完全な悪人でないから、少年に呼びかけられ、相対し心と心で真正面からぶつかり合い、懐かしい気持ちを呼び起こされれば、気まぐれのように善行を行ったりもする。
セレナはそんな人達に、皆幸せになって欲しいと、そう願っているのだ。
「私にとってはいい人でも、他の人には悪い人かもしれない。
私にとっては悪い人でも、他の人にはいい人かもしれない。
もしもそうだったら、って考えたら……
私にとってのいい人だけ幸せになって欲しいなんて、身勝手に思えないよ」
祈りに応えるためにゼファーが走るように。
セレナは人のために祈り、その幸せを願う。
そして二人は、共に祈りを実現させるために立ち向かう者である。
「私はいい人だから守りたいんじゃない。
その人がそこに生きているから、この世界で息をしている命の一つだから、守りたいの。
私のこの想いは、きっとゼファーくんも抱いてる想いだよ」
生きていたい。生かしたい。
その根底には命の尊重がある。
優しく寛容だから抱ける、そんな祈り。
彼の祈りを彼女は聞き届け、彼女の祈りを彼が聞き届ける。
二人の心は、接し続ける内に相乗効果のように、その強さを増していた。
ゼファーは接する人間を少しづつ変化させていく。大抵の場合は、いい方向に。
相手の良邪、善悪、好嫌、それら全てを寛容に受け止めて接し続ける。
セレナにも似たような性質はあった。
二人はいい意味でも悪い意味でも相乗効果を発揮したのだろう。
血を分けた姉妹の姉が、自分の妹に「ここまで寛容な子ではなかった」と思うくらいには。
ゼファーは優しく、セレナは寛容に。
親友は互いに影響し、与え合う。
かつての日々の、ゼファーとクリスのように。
「セレナ……それは優しい、優しい理由だけど……」
けれど、マリアの知る限り。
優しすぎる人は、厳しい現実の中では生きてはいけなかった。
一人の姉として、妹のそんな姿には、少し不安を覚えてしまう。
「自分を省みない優しい人は、すぐに死んでしまうのよ……」
マリアが願っているのは、妹を始めとする者達の無事だけだ。
聖遺物に見せられた未来の光景により、目にしたセレナの末路により、マリアはその者達の中でも殊更にセレナの無事を渇望している。
長い間ずっと一緒に生きてきた、救い救われ、守り守られ、支え支えられてきた半身とも言っていい大切な妹を、ただ一人の肉親を、守りたいと思っている。
彼女は優しいから。優しいからこそ、望むのは他人の無事だけで。
「セレナ、あなたは行かないで」
祈りのために胸の前に重ねられていたセレナの手の片方を取り、マリアはぎゅっと握る。
繋いだ手は離さないと、言わんばかりに。
「姉さんとゼファーくんは、似てるんだよ」
「え?」
「欠点も、長所も、他人思いなのが原因。
頼りになる時は頼りになるけど、そうじゃない時はダメダメで、支えてあげたくて……
強がりで、無理しがちで、誰かが傷付くことが許せなくて、頑張り屋で、優しくて。
面倒見がいいから子供にも好かれるし、言葉に人の心に訴える何かを込められる。
寂しい気持ちでいる人の、居場所になってあげられる。寄り添おうとしてあげられる」
いつかの日に、切歌は言った。ゼファーとマリアは似ていると。
この施設の大半の人間は、そんなことに気付きもしないだろう。
この二人の内面を覗くことができなければ、その真偽は分かりもしない。
彼女の妹で、彼の親友であるセレナは、二人の目に見えない部分をたくさん知っている。
だから分かる。
だから理解している。
だから似ていると知っている。
『そんな人』が、セレナは大好きだから。
「だから私は二人が大好きで、二人とも守りたいの」
ゼファーを行かせるとしても、セレナは一人で行かせる気はなかったのだろう。
彼女は彼と共に戦おうとしている。
その心根が、戦いを嫌う穏やかで心優しいものであったとしても。
その果てに、自分が死に至る未来が待っている可能性があったのだとしても。
彼女は立ち上がる。
力を望んだことなんてない。戦いなんて望んだこともない。
けれど皆を守れる力があるのなら、彼女は誰かを守ることを望むだろう。
心は戦う者としては最弱の部類でも、きっとその意思は誰にも折れない無敵の強度。
人はそれを、優しさから生まれる勇気と言う。
「彼は自分が生きていることを許したくない人だから……だから、死なせちゃいけないの。
私は……ゼファーくんの友達だから。
あの人が『ここに居ていいんだ』って思えるまで、そばに居てあげたいの。
私には生まれた時から姉さんが居てくれたけど、ゼファーくんには……」
セレナには自分より先に生まれて、ずっとそばに居てくれた姉が居た。
ゼファーには誰かが居ても、その誰かとは必ず死別してしまっていた。
どんな時でも一人ではなかった少女と、いつか必ず一人になる少年。
そんな相違も、二人が惹かれ合う理由になっていたのかもしれない。
「私は隣に居てあげたい。ゼファーくんが、自分を好きになれるまで」
セレナはマリアの目を真っ直ぐに見て、言う。
マリアはまだセレナの手を強く握っている。
それを離してしまえば、セレナの命と未来まで離してしまうと言わんばかりに。
離して欲しい、行かせて欲しいと、セレナは目で訴える。
セレナの本音を聞いて、マリアの心が揺らぐ。
未来を知り、ゼファーの本音を知り、セレナの本音を知り、二人を信じ任せるべきなんじゃないか……なんて思って、それでも。
マリアは、繋いだ手を離さなかった。
「ダメよ! あなたが、もしあなたが死んでしまったら……! 行くのなら、私が行くわ!」
妹の死の可能性を、何があろうと絶対に認めることはしなかった。
日和らず、流されず、妥協せず。
それが一人の姉として、彼女が選んだ選択だった。
「……そっか」
セレナはどこか寂しそうに、それでいて嬉しそうに、うっすらと微笑む。
そして、キーボードを嵐のような勢いで叩くウェル博士の背中に声をかけた。
「Dr.ウェル」
「はーい、なんですか? くだらない用だったら無視しますよ」
「マリア姉さんをどこかの部屋に閉じ込めておいて欲しいって言ったら、聞いてくれますか?」
「……え?」
セレナがウェルに発したあまりに過激な言葉に、マリアはまず耳を疑い、次に頭を疑い、最後にその現実を疑った。
だが、疑ったところで現実が何も変わるわけがなく。
面白そうだという表情を隠さないウェル博士が、椅子を回してセレナに向かい合う。
「ほう。で、僕がそれで得られるメリットは?」
「あなたの未来を教えます」
「―――」
その言葉の意味を理解できたのは、この場に三人だけ。
マリアと、ナスターシャと、そしてウェルのみ。
真偽も、経緯も、証明も必要ない。
彼女が未来を語るということは、そういうことで。
「ドクターの『本当の夢』は叶います。六年ほど後の日に」
ウェルはその返答が真実であるかどうか、問い質すことはしなかった。
ただ、とても醜く、とても純粋に、表情を笑みのような形に歪める。
そして右手を上げて、
「警備員の皆さん。マリアくんを連れて行きなさい」
「!? ドク――ッ!?」
セレナとの取引に応じたことを、行動で示してみせた。
壁際に居た警備員が駆けて来て、無言でマリアの腕を掴んで連れて行こうとする。
マリアはもがこうとするも、少女と成人男性の体格差と筋力差はいかんともしがたい。
「離しなさい、離してッ! セレナ、あなた、こんな――」
「姉さん」
そしてセレナは、暴れつつも腕を引かれ連れて行かれる姉の前に立った。
呼びかけ、口にする言葉は、先刻のゼファーの言葉をなぞる。
「私がダメだった時は、後をお願いね」
ゼファーがセレナに頼んだように。
「私、歌うよ」
信じている人だから、後を託すことができる。
「私がどうにか出来なくても、その時はマリア姉さんがどうにかしてくれるって、信じてるから。
だから姉さんも、私がどうにかできるって信じて。私も姉さんを信じてるから」
セレナは自分がどうにかすると信じて欲しいと、そう言う。
それを信じたいとも言っている。
マリアがどうにかしてくれると信じていると、そう言う。
それを信じて欲しいとも言っている。
それは両立しない『信じる』だ。
「姉さんが私がどうにか出来るって信じてくれるなら。
私も……きっと、自分がどうにか出来るって信じられる。
私は姉さんがどうにかしてくれるって信じるから……姉さんも、姉さん自身を信じて欲しい」
けれど彼女は、その二つを共に信じている。信じさせようとしている。
「全ての『信じる』は両立できないけど……私は全部、本気で信じたい」
それは時に矛盾する戦う者の心構えと、どこか似ていた。
自分一人での勝利を信じ、窮地で仲間が助けてくれて勝利することを信じる。
勝算の高い戦法を選択し、奇跡のように低い勝算にも懸ける。
一撃一撃を必勝必殺と信じながら放ち、それを幾度と無く繰り返し重ねていく矛盾。
信じることは時に矛盾する。
しかし矛盾したとしても、それが間違いとなることはない。
「皆で力を合わせて頑張れば……きっと、なんだって守れるんだって。
ギアを纏う力は私の望んだものじゃないけど……
この力で皆を守りたいと望んだのは、私なんだから」
信じることが、強さに変わることもある。
「この想いがあれば、運命だって変えられる。……私は、そう信じてる」
警備員に連れられて行くマリアが次にその部屋から出られるのは、避難をする時か、セレナに何かがあって彼女に『役目』が回ってきた時だけだろう。
何にせよ、全てが終わるまで、もうマリアにできることは何もない。
マリアはセレナに手を伸ばす。
その手を掴もうと。妹を離したくないと。彼女を死地に赴かせたくないと。
けれどその手は、届かない。
「セレナぁッーーーー!!」
扉の向こうに、マリアと警備員が消えて行く。
……姉妹のどちらかが間違っているというわけでもない。
二人が取ろうとした行動のどちらが正解なのか、それは全てが終わってみなければ分からない。
ただ、マリアはセレナを守ることに全てを尽くすことを諦めなかった。
セレナは、ゼファーを守ることに全てを全てを尽くすことを諦めなかった。
ただ、それだけの話。
そんなセレナの背に、ウェルが煽るように言葉を投げた。
「そんなに、姉に彼を取られるのが怖かったんですか?」
「―――」
「まさか今更、そんな意図は混じらせてないぃー……なんて、言いませんよね?
ま、私情混じりでも現状選択肢は最善に近いですし、とやかくは言いませんけど」
他の選択肢もあった。別の展開もあった。こうではない未来もあった。
セレナがゼファーとマリアの仲立ちをすれば、二人が仲良くなることもあっただろう。
彼女も考え、祈り、思い、最善の選択肢を選んできたつもりだ。
その選択が他人の危機の可能性を高めてしまうと気付いたのなら、それが自分のためであってもその選択肢は選べない。
けれど、全ての選択に、彼女が私情を交えなかったわけでもなく。
少しだけ、少しづつ、その思いは積み重なって。
片鱗ではあるが、悪徳の研究者の目にすら見えるようになっていた。
「私が……」
セレナは自分の手の平を持ち上げて、じっと見る。
傷もなく、血に濡れてもいない、汚れてもいない手。
親友の手を握る度、セレナは二人の手の違いを、何度も何度も感じていた。
「私が姉さんに勝ってるところなんて、一つもないもの」
ずっと他人に姉と自分を比べられてきて、姉と自分を比べてきて、姉のいいところは分かってるのに自分のいいところが分かっていない妹は。
『取られたくない』と、そう思った。
彼女は別に聖人君子でもなんでもない。
ほんの少しであっても、醜い利己的で自分本位な感情だって持っている……そんな、他人より少しだけ優しいだけの、普通の少女だ。
「だから、せめて、『それ』だけは……」
自分を一番に見てくれる大切な人を想い、絞り出すように口にする。
それはもしかしたら、生まれて初めて彼女が私欲から発した『祈り』だったのかもしれない。
セレナが広げた手の平を握り締める。
それと同時に、部屋のドアが勢い良く開き、二つの人影が部屋に飛び込んできた。
第九話:Bloody Serenade 3
ネフィリムが飛行型のノイズロボに喰らい付く。
そして、咀嚼。
ゴギリベギリと、プレス機に大型の電化製品が潰されるような音が口内から漏れ出してくる。
口の中で全てのエネルギーを絞り出され、ペッとガムのように吐き出された飛行型の残骸は、姿までもが金属製のガムのごとく、歯型の付いたクシャクシャのゴミとなっていた。
空中を三体でバラバラにアトランダムに動き狙いを絞らせず、時速数十kmの速度で立体飛行し囮の役目を果たしていた飛行型も、また一体姿を消した。
もう空を飛んでいるノイズロボも一体しか居ない。
ノイズロボを一体捕食したというのに、それでも得られたエネルギーは微量だったのか、まだまだ足りないとばかりに、ネフィリムは世界を揺らがす咆哮を放つ。
『おいおい、今首伸ばして喰ったぞあいつ……ハハッ、モンスター映画かよ』
「今の俺達の仕事は怪物退治でしょうにッ!」
ネフィリムはただ咆哮するだけで、近くに居るゼファーの鼓膜を破りかねない声量を放つ。
しかしそれでむざむざとやられてしまうゼファーではない。
首を傾け右肩で右耳を塞ぎ、右手の指で左の耳の穴を塞いでかわす。
そして反撃の準備を整えんと腰に手を伸ばした。
そこに備え付けられた手榴弾を掴み、投擲。
また餌だと嬉々として食い付くネフィリムの鼻っ面の前で、拳銃でそれを撃ち抜いた。
命中、破裂、そして吹き出す白煙。
発煙手榴弾……リン酸化物の白い煙幕を発生させ、目視の妨害や遠方への連絡に用いられる、スモークグレネードとも呼ばれる携行武器である。
ネフィリムはあっという間に煙幕に包まれ、視界を塞がれる。
「■■■■■■■ッ」
しかしゼファーや、ノイズロボを個別に操作している研究者達は違う。
彼らは今戦場となっている中央実験室の検査機器、観測機器、つまり温度センサーや赤外線センサーの恩恵を十分に受けられるのだ。
周りが見えていないのはネフィリムのみ。
そこに、ブドウのノイズロボが飛び込んだ。
「―――」
力強い駆動音。
エンジンが回り、ギアが噛み合い、バネが機械の体躯を跳ね上げる。
初見ではゼファーも目で追えなかった速度の跳躍を見せ、戦車の装甲を損壊させる強靭な脚力をもって、ネフィリムに空中回し蹴りをお見舞いせんとした。
この場で最も肉体強度がネフィリムに近いであろう機械の怪物が、白亜の怪物に迫る。
紫の蹴撃が、強く鋭く喉元へと叩き込まれた。
「■■■■■■?」
しかし、揺らがない。微塵も揺らがない。
人間が全力を込めてビルを蹴ろうが、ビルは揺れもしないように。
数千トンの体重が、次元違いの耐久力が、エネルギーの総量の差が問題になりすぎる。
これまでの戦いで実は一度見せてしまっていたせいか、ネフィリムに全く通じていない。
衝撃のエネルギーの大半が皮膚からすっと吸われて、吸収しきれなかった分のエネルギーだけでは、この巨体の防御力は抜けず、その重量は揺らがせられなかったようだ。
キックの直後でふわりと浮いたブドウに、今度は逆にネフィリムの大口が迫る。
「足元ガラ空きだ」
だが、そうは問屋がおろさない。
ゼファーが手にした拳銃弾が、フルオートでネフィリムの足元……正確には、その足の下にあった瓦礫に殺到する。
人間が鉄の棒で殴ってもそうそう砕けないであろう、石材の瓦礫が銃弾に砕かれ崩壊。
当然ながら、その上に立っていたネフィリムは体勢を崩す。
体が傾いたせいで、ネフィリムの歯の断頭台はブドウの目の前でガチンと噛み合わされ、咀嚼ならず。そのまま、怪物は横倒しにずっこけた。
『……まったく、時間稼ぐだけしかしてねえのに、ぽんぽんこっちの駒減らしやがって』
基本は時間稼ぎのために複数で連携し、回避に専念。
ネフィリムの行動誘導、及び一方的な消耗戦にならないように適度に攻めて出鼻を挫く。
そんな消極的で王道な時間稼ぎをしているだけなのに、もはやノイズロボの残数は五、ゼファーも相当に危険な域まで消耗してしまっていた。
完全聖遺物相手にここまで食い下がれた彼らを褒め称えるべきなのか、完全聖遺物の恐ろしさに震えるべきなのか。いずれにせよ、力の差は絶望的。
『ヤバいですよ、ウィンチェスター君呼び戻して逃げに入ってしまった方が……』
ゼファーの耳に届く、機械越しの研究員達の弱気な声。
しかし、ここで引くわけにはいかない。
まだまだ避難完了まで時間が必要なのだ。その時間を稼がなければならない。
絶望的な力の差があれど、ゼファーはまだ絶望していない。
「夜の闇に子が迷う時、親が歌を灯すように。
日が沈み、深い闇に呑まれた人を照らす月があるように。
悲しみの時間、夜の闇に終わりを告げる暁があるように」
静かに、歌うように、彼は言葉を紡ぐ。
「どんな絶望にも終わりはあり、闇を照らす光はある。諦めなければ、それはきっと来るッ!」
あがき続けたゼファーの下に、研究者達のノイズロボが駆け付けてくれたように。
「絶対に絶対、最後まで諦めるなッ!!」
諦めなければ、奇跡だって起こるはず。
そんな子供の言葉は、英雄の卵の言葉は、不思議と機械越しにでも、研究員達の心に届く。
『来ますッ!』
ネフィリムの内包熱量を観測していた研究員が、ゼファーや他の研究員に向かって叫ぶ。
怪物は一直線にゼファーに向かって跳び、食いつかんとした。
速度ゼロから、時速数百kmへ一瞬へ移行する跳躍。
ネフィリムの数千トンはあろうかという体重から考えれば、信じられないような光景。
水上戦艦と同重量のものがこんな動きをすれば、大抵のものは触れただけで質量差に潰される。
現に、ネフィリムが踏み込んだ床は、危うく底が抜けそうになっていた。
「引いて!」
『了解!』
しかし、それもゼファーの想定内。
ネフィリムの目の前で、ゼファーは突如消失した。
普通なら見失い、戸惑うような速度とタイミング。
しかしネフィリムの優れた身体スペックを支える眼は、その動きを見失ってはいなかった。
体を伸ばしていたカエル型ノイズロボが、ゼファーにその端を掴ませ、元の形状に戻すことで反作用で彼を引っ張るように高速移動させたのだ。
このノイズロボの元になったカエル型ノイズは、ノイズの中でも最弱と言われている。
体の伸縮以外には目立った特徴がなく、人一人を炭素転換したらそれで終わるからである。
しかし、それでもノイズはノイズ。
体の伸縮はコンクリートを粉砕する速度と力強さと破壊力を持ち、現にそれを再現したノイズロボは子供一人を軽々と引き寄せ、体表を柔らかく変化させることでやんわりと受け止めていた。
バカもハサミも使いよう。
このノイズロボもまた、ゼファーの緊急回避などに役立ってくれていた。
「―――」
そして、他のノイズロボもタイミングを逃さない。
ネフィリムが跳躍した時点で動いていたナメクジ型ノイズロボが、ゼファーが移動した先を確認しようと首を傾け始めたネフィリムの死角を取る。
数秒というには長すぎる、まさに一瞬一瞬の攻防の積み重ねだ。
更に言えば、死角を取るためのその移動がまた凄まじい。
時速数十kmという速度で『壁』を走っている。
ナメクジが壁を這っているのはよく見る光景だが、どんな技術で仕上げたのだろうか。
トカ博士の異端技術は恐ろしい。
『(時間稼ぎなら、こいつで動きを止めれば……!)』
そして、ナメクジ型ノイズは研究員の操作に従い、八本の触手でネフィリムを縛り付ける。
最大まで強度を上げれば、一本で10t以上もの重荷に耐えうる強度可変触手である。
更にそれが八本。
理論上、太古に存在したとされるブラキオサウルスを吊り下げても余裕があるほどだ。
100tや200tの荷重をかけたとしても、千切れることはないだろう。
『よしッ! やったか!?』
だが、甘い。
ノイズロボは現代の技術や兵器を遥かに超えた恐ろしい兵器なのだろう。
しかし、ネフィリムは『完全聖遺物』なのだ。
文字通り、ノイズロボとは年季が違う。
『……は、ぁ?』
ネフィリムがその場でギュオン、と一回転。
内包熱量を消費しての身体スペックの底上げをしたのだろう。
聞こえた音からして、その速度はただ回転しただけだというのに、音速を超えている。
その回転で生まれた衝撃波が周囲の小さな小石を吹き飛ばし、遠く離れていたはずのゼファーの額を薄く切って、血を流させる。
そして、凄まじい回転は一瞬で触手に凄まじい重量をかけ、千切れさせる。
それだけに留まらず、切れるまでの一瞬で触手を巻き取るように引っ張られたことで、ナメクジ型は壁から引き剥がされてしまっていた。
回転の衝撃はあまりにも強く、なすすべもなく宙に舞うナメクジ型。
それに、ネフィリムは手を伸ばす。
文だけを見るならば、単純で、陳腐で、なんてことのないような行動に見えるかもしれない。
だが、シンプルに基礎スペックだけが段違いだった。
ネフィリムは手を伸ばし、ナメクジ型ノイズロボを掴み取っただけ。
ただ、手を伸ばす速度が音速を超え、掴む力が一万トンを超えただけの話。
機械で出来たナメクジは耐久力を上げて防ごうとするも、人に握り潰されるトマトのようにぷちゅりと潰され、怪物の拳の隙間から四方八方にパーツが飛んで行く。
それはゼファーにも向かって行くが、インターセプトに入った人型ノイズロボが彼の前に立ち、破片をその体で受け止め庇ってくれたことにより、事なきを得る。
ネフィリムは手の平の上に残ったノイズロボを咀嚼し、エネルギーを吸い、数瞬後にペッと吐き出した。ナメクジ型ノイズロボだったものが、中央実験室の床に転がって行く。
消費したエネルギーより得たエネルギーが少なかったのか、飢餓感が増しているように見える。
ノイズロボ、残り四体。飛行型、人型、カエル型、ブドウ型のみ。
「■■■■■■■ッ!!」
空腹に騒ぎ出す子供のように、もう我慢できないとネフィリムが大口を開ける。
怪物の全身が赤熱化し、真っ白な身体のいたる所が赤く染まっていく。
気温が一瞬で二度は上がったと、ゼファーは肌で感じ取っていた。
不気味な熱ではもう抑え切れないほどに成長した直感が、最大級の警鐘を鳴らしている。
ヤバいのが来る、と、その場の誰にも伝わった。
「総員、回避ィッ!!」
『ネフィリム内部の熱量、大量に体表に移動! 来ますッ!』
ゼファーの警告と、研究員の警告は、ほぼ同時であった。
瞬間、世界が赤く染まる。
「―――ッ!!」
ネフィリムの全身から、赤いレーザーが発射される。
その数十六。絶え間なく照射されるレーザーが四方八方に向けられ、全てを焼き尽くしてやるとでも言わんばかりに動き回り、目につく全ての空間をなぞっていく。
どんなに速く動く的であっても、追ってレーザーの向きを変える方が速いに決まってる。
当たらないなら、レーザーを上下左右に適当に振れば絶対に一度は当たる。
威力も申し分なく、触れれば鉄も、鏡も、水も一瞬で蒸発する莫大な熱量のレーザービーム。
それが十六……なんという、凄まじい攻撃方法だろうか。
彼らに幸運があったとすれば、ネフィリムがそれらの軌道を計算して放つことができない程度には、オツムの出来がよろしくなかったということか。
子供がクレヨンで線を適当に引き、真っ白な画用紙を真っ赤な色で埋め尽くすように、熱線が世界の全てを焼き尽くしていく。
『ざっけんな、なんだこれ……!』
機動力に劣る人型ノイズロボ、カエル型ノイズロボが落ちる。
ブドウ型も回避はしているが、それに手一杯になって他のことにまで手が回っていない。
ゼファーは直感で、飛行型は飛行能力の優位を生かして回避。
しかし今、飛行型もかわしきれずに撃墜された。
ゼファーも体力が限界だと伏せてやり過ごす決断をし、近場の大きな瓦礫の影に飛び込み、瓦礫に身を寄せてその場に伏せる。
しかし、熱線の一つが偶然そちらを向き。
瓦礫をゼリーのように容易に切り裂き、片耳に付いていたインカムにかすって溶解させる。
そしてその奥の耳とその周辺の肉を、熱の余波だけで焼き落とした。
「ず、ぎぃ、あ、がぁぁぁッ……!」
痛み止めのお陰で痛みは鈍い。
しかし痛みは痛み。ここに来てインカムを喪失。
溶けた肉やインカムの一部が耳の穴を塞ぎ、片側の耳までもが聞こえなくなってしまった。
『ゼファー! 聞こえますか、ゼファー!』
インカムが壊れたことを確認したのか、実験室備え付けのスピーカーからナスターシャの声が聞こえる。どうやらネフィリムの全方位攻撃は終わったようで、熱線が何かを焼く音は聞こえなくなった。ゼファーは身を起こし、瓦礫に身を隠しながら周囲を確認。
唯一残ったブドウ型ノイズロボが足止めをしている光景と、聖遺物に対する嗅覚でもあるのか、真っ直ぐにこちらに向かってくるネフィリムを確認する。
ゼファーは歯を食いしばり、銃を片手に、ネフィリムに向き合ってしっかりと立つ。
その眼はいまだ死んでおらず、何も諦めてはいなかった。
「来いよ……まだまだ、勝負はここからだ」
その時、換気扇か、エアコンの誤作動か。
地下であるというのに、大気を舞う小さなゴミが西から東へと流れていく。
ゼファーの背を押すように。まるで、西風が吹いたかのように。
「俺はあの子達の明日を守る。
そう決めた、そう定めた、そう誓ったんだ。
この胸の誓いは、誰にも奪えない」
その場にあった不気味な熱が、希望に押される西風と拮抗する。
「それは……絶対に、絶対だッ!!」
そして、ありとあらゆる意味でここまでの流れと関係のない、第三者が介入する。
研究員達の中の、外部観測班が声を上げる。
「高エネルギー反応、施設外部、高度3万フィートより接近ッ!」
ネフィリムが暴れた影響が外に出ていないか、それを確認するだけの役目のはずだった。
だというのに、そこに『ネフィリムと同等のエネルギー反応』が発見される。
更に最悪なことに、その反応はこの施設に向かって一直線に向かっていた。
「このエネルギー量……間違いありません! 完全聖遺物ですッ!」
「なんですってッ!?」
空から何かが降ってくる。
銀色のそれは、雲を裂いて、大気を裂いて、流星のように落下した。
F.I.S.の研究所に向かって、一直線に。
「全員、何かに掴まりなさい!」
轟音、衝撃、粉砕。
銀色のそれは施設の中央部分を突き砕きながら貫通し、地下深くへと向かう。
「……ぐ、ぁ……」
ネフィリムの咆哮が収束された衝撃波に、ゼファーはとうとう捕まってしまった。
吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられる。
身体は積み重ねられたダメージでもう動かない。
血を吐いてしまっているのを見るに、体の内側もそうとうに傷付いてしまっているようだ。
銃ももはや残弾がない。
……かつてないほどの、絶体絶命。
「……へっ」
だが、ゼファーは腰から取り出したナイフを取り出し、片手で構える。
もう立ち上がる力もないというのに。
腕にすら力が入らなくて、ナイフを持つ手も震えているというのに。
なのに、まだ諦めて居ない。
ブドウ型ノイズロボが彼を守ろうと跳び、ハエを払うような仕草で振るわれたネフィリムの手に叩き落とされた。仕草は何気なくとも、その腕の動きは亜音速。
叩き付けられたブドウノイズが、数百kgはあろうかという重量と金属材質がなんだとばかりにバウンドし、宙高く舞っている。
落下し、ガシャンと音を鳴らした後は、ピクリとも動かなくなった。
もうゼファーに、戦場で肩を並べる味方は誰一人としていない。
「いきてるうちは……まだ、まだ……ッ、なに……!?」
まだだ、とゼファーが気合を入れ直そうとした瞬間、天井が崩壊する。
銀色の何かが突き抜けてきて、それと一緒に中央実験室を一つ丸々埋め尽くすだけの瓦礫が落下し、歩く余裕もないゼファーを押し潰さんとする。
泣きっ面に蜂とはこのことか。
ゼファーに、それを回避する手段はない。
「ぜっ、たいに………ぜったい……」
それどころか、壁に叩き付けられたダメージと、限界を超え過ぎた身体の自己防衛本能からくる作用で、こんな時であるのに意識が飛んで行く。
彼には感覚でそれが分かる。気絶するまであと数秒。
だが、今気絶するわけにはいかないと、歯を食いしばって意識を保ち、這ってでも逃げようとする。どんな時でも、彼は絶対に生きることだけは諦めない。
「あき、らめ、るッ……か……ッ!!」
目の前にはネフィリム。頭上からは瓦礫。時間経過で死にかねないボロボロの身体。
絶体絶命。……それでも、最後まで諦めなかったから、繋がってくれた希望もある。
空から迫る瓦礫の中で、薄れ行く意識の中。
「
「
「
瓦礫の吹き飛ぶ音と、聞き慣れた三人の友の声を聞いた気がした。
次回、二章最終話