戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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フルアーマーゼファーくんは二章限定モデルです


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 異端技術者(ブラックアーティスト)

 聖遺物を研究する者の呼び名であり、一流の研究者の称号でもある。

 希少な聖遺物を手にできるほどのスポンサーが付いている実績、その一握りの枠に加われるだけの実力、そして教科書などない手探りの聖遺物の知識の蓄積。

 ブラックアーティストの呼び名は、本当に一部の天才にしか与えられないものだ。

 トカ博士もそう呼ばれる者の一人。ウェル博士と同じ、キチガイ枠の天才である。

 

 彼の専門は機械工学。

 ただ分類的にここに割り当てられているだけで、彼の本質は『ロボット研究』である。

 素材開発、新機構考案、設計、実装、プログラミング、果ては試作の組み立てからお偉いさん向けのプレゼンまでやる、「お前本当に研究者?」とすら言われるスーパーエンジニアもどき。

 それでいてウェル博士とは別方向に頭おかしい、とまで言われるのだからどうしようもない。

 要約すればロボ専門の天才研究者。

 F.I.S.においては完全聖遺物『ゴーレム』の解析を主に行っている。

 

 そんな彼が完全聖遺物『ゴーレム』から得られた技術、各種聖遺物から抽出された構造・素材・技術などの要素を組み合わせ、認定特異災害『ノイズ』を再現しようとした機械人形。

 それが"ノイズロボ"だ。

 「対ノイズ訓練を安全に積む方法はないか」「ノイズのあの圧倒的な能力を兵器として再現し、量産することは出来ないか」というお偉いさんの無茶ぶりに、「異星人じゃねえのあいつ」と言われるほどの変態的な発想力と技術力でトカ博士が応えた結果であった。

 

 この模造品の最大の欠点は、位相差障壁と炭素転換能力が再現できなかったことにある。

 その二点が再現出来ていなければどんなに出来が良かろうと失敗作だ、と思う人も居るだろう。

 実際、『ノイズ対策・研究の一環』を目的として開発されたこのロボは、ノイズの最強の矛と盾を再現できなかった時点でどうしようもない失敗作には違いない。

 

 しかし、欠点だけでこの傑作を評価するのはあまりにも愚かしい。

 この模造品の最大の長所は、それでも本物に極限まで性能を近付けられた、という点にある。

 毒、通電、高熱といった各処理を装甲表面に施すことで『触れたら死ぬ』という特徴を再現。

 無論、武器越し装甲越しに触れても死ぬという点も然りだ。

 素の装甲で銃弾を防ぐ耐久力、戦車や戦闘機に迫る攻撃力や機動力も再現。

 本物のノイズの素の耐久力を計算し、それよりいくらか頑丈にすることで、位相差障壁によるダメージ減少を再現するという逆転の発想も行っている。

 

 聖遺物の研究で生成可能となった新物質『ドラゴンフォシル』を始めとし、異端技術や最先端技術、そしてトカ博士の新技術をふんだんに使用。

 世界各国のノイズのデータを元に、行動パターンをトレース・プログラミング。

 ノイズの生物的な動き、悪魔的な戦闘能力、機械的な行動パターンを完全に再現。

 既存兵器のあらゆる概念を無視した、恐るべき兵器なのだ。

 

 その上でどうしようもない点があるとすれば一つ。

 単品のコストが異様に高くなってしまい、量産に向かなくなってしまったことだ。

 素材も貴重で構造も複雑なため、長期運用やメンテナンスも難しい。

 一研究所の中で研究に使う、あるいは素材を使い回して壊れたものを修理して作り出す、これはそういった局所的な運用しかできないだろう。

 つまり現状は、データ取りか倉庫の肥やしにしかならない置物と成り果てている。

 天災的な技術と金をかけたフィギュア作っただけだったトカ、とは本人の談。

 

 しかし、それでもその実力は折り紙付きだ。

 中型ノイズロボであれば、単騎で戦車小隊を撃破すらしている。

 無双と無敗という形で、対ノイズドクトリン構築のためのデータを米軍に蓄積させた武勲は伊達ではない。最新式でなければ、戦車数台を単独で相手取ることが可能だろう。

 人一人では到底敵うはずもない、模造の災厄。

 

 それが今立ちはだかる、ゼファーが生きるために越えねばならない壁だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七話:Hero/Heroine/Sunlight 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーがベアトリーチェの死を知ってから十日。

 切歌の窮地を知ってから一週間。

 そして、切歌の誕生日。

 切歌の実験の代わりにゼファーがノイズロボと戦う予定日、それが今日この日であった。

 そんな日の朝に、ゼファーはとある部屋の前に立っていた。

 

 

「よし」

 

 

 ドアの横の電子ロックセンサーにウェル博士から貰ったICカードをかざす。

 すると、ゼファーを受け入れるように扉が左右に勝手に開いていった。

 ゼファーが一歩踏み込めば、そこには銃、銃、銃の山。

 銃だけではない。爆弾やボディアーマー、多種多様な武器防具の山がそこにはあった。

 

 

「あと何手か小細工を思いつければな……」

 

 

 ここは警備員が使うための武器の予備の保管庫であり、研究者達が作ったはいいものの成果として認められず、捨てることもできない発明武器を放り込んでおく物置でもある。

 警備員用の主要保管庫は子供が入れない上層区画にちゃんとあるため、この部屋に置いてあるものは自由に使っていいとカードキーを渡されていたのだった。

 ウェルとしても、素手であっさりなぶり殺しにされては面白味がないということだろう。

 

 ゼファーは自分用に勝手に占領したロッカーを開け、その中身を確認し始めた。

 軽度の防刃、防弾、防破片弾効果のある軽い戦闘服。

 ゼファーが時間をかけ、銃の山から選別した拳銃とアサルトライフル。

 銃の要素を信頼性、口径、軽さ、装弾数、集弾率、その他の順に彼は評価する。

 ノイズと戦っている内に、彼は自然とそうなっていた。

 

 乱暴に扱っても壊れない、位相差障壁を抜ける、子供の身でも扱いやすい。

 それが第一だった。

 ゼファーは身体がまだ成長しきっていないため、装弾数が多くとも大量の弾薬を持ち運ぼうとすると、弾の重みで動けなくなってしまう。

 年齢不相応に鍛えてはいるし、この一週間で鍛え直しもしたが、その点はどうにも変わらない。

 口径が大きすぎると、反動が大きすぎてまともに撃てないことすらあるのだ。

 

 腰から吊ったホルダー、薄目の防弾チョッキに据えられているマガジンの数も抑えられている。

 ホルダーもチョッキもマガジンの固定法が特殊なものを選んでいた。

 ぶつかっても簡単には外れないが、強く引っ張ることでマガジンが外れるタイプ。

 服のボタンのような留め具をイメージすればいいだろう。

 マガジンの上半分も露出している、珍しいタイプだ。

 

 ホルダーはあくまで腰から吊るだけで、足には付けないようにしていた。

 ゼファーは経験上、太ももにであっても長時間重しを付けておくと、いざという時の動きは鈍る上に動けば動くほど体力を持っていかれるのだと知っていた。

 ジャケット前部にもマガジンを装着。

 これは弾薬の確保という面もあるが、意外とバカにならない『服の重さ』を考慮して軽い戦闘服を選んだ結果、下がった急所の守りという意味もある。

 飛んで来た破片をマガジンがある程度弾いてくれる、という気休めだ。

 ハサミと針と糸で大人用の戦闘服を切り詰めないとまっとうに防御も固められない、そんな子供体型のゼファーの苦肉の策とも言う。

 

 そんなオーソドックスな工夫を一通り前日中に終わらせていたゼファーは、研究者達が思い付いては作って捨てた武器の区画に入っていた。

 勝利を掴むための小細工を何手か見繕うためだ、

 正道で出来る事前準備はもうやれるだけやった。あとは、時間まで足掻くだけ。

 

 

「ん?」

 

 

 ゼファーが見つけたのは、白色のマント。

 ここの管理者はマメな人間なのか、既成品の銃にも発明品の数々にも説明書が付けられている。

 そのマントの説明を見たものの、にわかには信じられなかったゼファーは、この部屋に備え付けの射撃訓練場へと向かう。そこで的の前にマントを吊り下げ、離れてから撃った。

 アサルトライフルの機構が唸りを上げ、鉄の嵐がマントへと向かう。

 しかし、まるで風に吹かれる柳のようにマントを揺らすだけで、弾丸は一発も貫通しなかった。

 銃弾は一発も的へは届かず、その場に落ちる。

 

 

「……すげえ、しかもこれで軽いのか」

 

 

 カーテンに向かって消しゴムを投げたことはないだろうか?

 思いっ切り投げたのに、消しゴムは少しカーテンを揺らしただけでその場に落ちる。

 このマントは聖遺物から得られた技術を元に作られた、繊維質・分子構造・編み方その他諸々をふんだんに導入されており、恐ろしいほど高い防御力を誇っている。

 マントが身体に密着していれば拳銃弾でも打撲、アサルトライフルでも骨折はあるが、逆に言えばその程度。密着していなければ更にポテンシャルは上がるという、ひらりマントもどきだった。

 しかし性能が高いのに比例し、案の定値段も高い。

 現場から上がってくる風ではためく、ひっかかりやすい、もう少し重くしていい、などなどの反省点を生かし、製作者は新しいモデルの開発に着手した。

 その結果このマントは試作品として、この倉庫に投げ捨てられていたという経緯があった。

 

 銃弾を撃ち込めば螺旋状に布を巻き込み止まる。

 フレシェットも刺さるだけで止まる。散弾もホローポイントも止められる。

 それでいて、相当に破損もしにくい。

 聖遺物の知識がなければ訳の分からない不思議マントだろう。

 ボディアーマーを体格的に付けられないゼファーにとって、この防御力は非常にありがたい。

 自分自身の防御力が薄ければ、手榴弾を使うにも距離を考えなければならないのだし。

 

 

「あとは……」

 

 

 ゼファーは銃弾の棚を見る。

 銃の種類を決めた以上、口径とサイズは変えられない。

 ショットガンのシェルが一番種類が多いのだが、ゼファーはショットガンを好まない。

 自然、拳銃とアサルトライフルのためのオーソドックスな仕様の弾丸へと目が向く。

 

 しかし、事実上の失敗作置き場というだけあってラインナップがひどい。

 実戦に配備できないのもむべなるかな、といった感じだ。

 一番マシなものでもアサルトライフル用ので二つ。

 片や炸薬を改良し増大させ破壊力を大幅に上げたもののチェンバーの熱で暴発の可能性があるマグナム弾、片やHEAT弾のメタルジェットを参考に圧力ではなく人を焼き殺すことだけに注力した結果貫通力ゼロ熱量莫大という使い道のない榴弾もどき。

 前者を使えば暴発、後者は相手がロボであればかなり効果が薄い。

 失敗作には失敗作なりの理由があるんだな、と、思うゼファーの頭に一つの閃きが走る。

 

 

「そうだ、あっちに……」

 

 

 狩猟に使う弾丸は、伝統的に鉛弾である場合が多い。

 しかし近年は回収が難しい鉛の散弾を始めとして、自然や生物に悪影響を与える弾丸は規制の対象として厳しく取り締まられている。

 武器にもエコロジーが求められているのだ。

 そういう発想から、研究者が生み出したものも幾つかある。

 ゼファーが手に取っていたのは、自然に還る有機マガジンだった。

 簡単にペキッと割れて自然に還るが、マガジンである以上そこまで強度は求められてないため、完全に使い捨てとして割り切って使う軽いマガジン。

 軽いことはゼファーが選ぶ利点となるが、いくらなんでも脆すぎるということで不採用だった。

 ゼファーはそこに、暴発マグナム弾を詰め込んでいく。

 暴発マグナム弾は既製品を改造したハンドロードに近い。

 改造元の弾丸は『.308 ウィンチェスター』。

 マガジンの規格が多少合わないが構わない。

 どうせ、ゼファーにこのマガジンを撃つつもりなど無いのだから。

 そして既製品を改造した榴弾もどきを、アサルトライフルのマガジンの一つに押し込む。

 こちらは規格が合ったからか、綺麗にはまってくれたようだ。

 二つの仕込みを終えたマガジンを、耐火ケースに入れてからポケットにしまう。

 

 

「……こんなもんか」

 

 

 腰から吊ったホルダーに複数のマガジン、腰後ろに手榴弾五個、右腰に拳銃。

 肩から斜めに下げたスリングでアサルトライフルを吊り、チョッキにもマガジンを装着。

 その上からマントを付け、使い慣れないアイガードやヘルメットは無し。

 ロボの性能が分からないということで、普段の対ノイズ仕様とそうは変えていない。

 強いて言うならば、乱戦にはならなそうなので簡易地雷などはオミットしている。

 しかしこれでも、万全とは言いがたい。

 

 ゼファーが一対一で勝てるのは一部の小型ノイズのみだ。

 中型以上はかなり難しく、大型には勝ち筋が完全に存在しない。

 本物に限りなく近付けている、とウェル博士が言っていた以上、厳しい戦いになるだろう。

 しかし、生きるために。

 皆で笑って明日を迎えるためには、ゼファーはその壁を越えなければならない。

 

 

「勝つ」

 

 

 身体が重いのは武器の重さか、背負ったものの重さか。

 しかしどんなに重くとも、彼は力強く戦場へと向かい踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、一番困惑していたのは誰だったろうか。

 何の事情も聞かされていなかった調か、マリアか。

 とうとう運命の日が来たと怯え、連れられた先が予想外の場所だった切歌か。

 全てをゼファーから聞いていたセレナではないことは、間違いない。

 少女四人は、Dr.サーフの研究室ではなく、別の場所に連れられて来ていた。

 

 

「ようこそ、その辺に座っていて下さい」

 

 

 彼女ら四人を呼び寄せたウェル博士は、普段の三割増しに気持ち悪く笑っていた。

 そこではウェルだけではなく、何人もの研究員がキーボードを叩いている。

 ウェルに促されるままに、四人は透明なガラスのような何かの前にあった椅子に座った。

 そのガラスのような壁の向こうには、見下ろせる形で広い空間が広がっている。

 

 その場所を、四人はよく知っていた。

 この施設は円筒状の26階層構造となっている。

 そしてその中央部分に、床と天井の開閉が可能な広い空間が存在する。

 これを開閉し地上から見て大穴のような形にすることで、戦車すら搬入することが可能なのだ。

 強度も十分、広さも十分。

 聖遺物の暴走・爆発も許容範囲として受け止められる上、いざとなれば爆風を上に逃がせるという優れ物。子供達の居住区画では遊びの広場として解放もされている。

 

 そして立体映像の投影なども可能であり、擬似市街戦の訓練ですら可能。

 聖遺物を使った戦闘実験などにはもってこいの場所なのだ。

 だからこそ研究者達が見るため、データを取るために、この広大な実験室を見渡せる、見下ろせる場所が存在する。セレナ達が居るのは、そんな場所の一つだった。

 見れば、透明な壁越しにその空間を見下ろしているセレナ達と同じように、反対側の壁の一部に透明な部分があり、そこにまばらに人影も見える。

 

 

「では、これを」

 

 

 ウェルが手で示せば、それに応えるように彼の助手の一人がカートを押してくる。

 手慣れた様子で、セレナ達はカートの上に乗せられたものを取る。

 宝石と硝子の中間の輝きと透明さを持つ、赤い石のようなペンダントがあった。

 三つあったそれを、セレナと切歌と調が手に取る。

 暗い色合いの、桁違いの存在感を誇る一振りの槍があった。

 それを、マリアが手に取る。

 

 

「なんであたし達、ここに呼ばれたんデスか?

 ドクターの実験の予定はしばらくなかったはずデスけど」

 

「おや、ご存じない? なるほど、彼は余計なこと知らせないようにと気遣ったんですねえ」

 

 

 セレナが目を細めた。

 この場でウェル博士の戯れの悪意に気付いているのは彼女だけだろう。

 ゼファーの「知らない方が、良かったって気持ちにケチがつかないだろうから」という気遣いを踏み付け、踏み躙り、踏み潰すウェルの悪意。

 しかし、セレナにできることはない。

 そんなセレナの様子から、マリアも何かを察したようだ。

 訝しんでいる切歌と調に対し、ウェルはニッコリと微笑む。

 

 

「今日ここで、最高のショーが見れるんですよ」

 

 

 ウェルは全てを語る。

 ゼファーが切歌の無事と引き換えに、何を差し出したのかを。

 今日あるはずだった絶望を、誰が代わりに引き受けたのかを。

 零の勝率を、二割を切る生存率を。

 今日ここで行われるという、ショーの演目を。

 貼り付けた微笑みのまま、笑顔で語る。

 

 笑顔のウェルとは対照的に、子供達の顔色はどんどん悪くなっていく。

 セレナが顔を背けているだけなのは、彼女が隠そうとしていた側だったからだろう。

 調は思わず口に手を当て、マリアは歯を強く食い縛った。

 そして切歌は顔を真っ青にして、唇を震わせている。

 それも当然だ。彼女が何よりも恐れることは何か?

 

 自分の周りの大切な人が、死んでしまうことだ。

 その原因が自分であることで、自分が『死神』であると証明してしまうことだ。

 それは死を恐れる彼女が、死よりもなお恐れることでもある。

 

 

「……ろ」

 

「はい?」

 

「やめさせろ、デスッ!!」

 

 

 このままでは、ゼファーは死ぬ。ウェルの口ぶりから察するに、ほぼ確実に。

 切歌が「助けて」と、そう口にしたせいで。

 他の誰がそう思わなくとも、切歌はそう思う。

 ゼファー・ウィンチェスターが自分のせいで死んだのだと、そう疑わない。

 

 だから切歌はウェルに掴みかかる。

 それを止めたせいで自分の実験が再開され、自分が死んだって構わないとすら思っていた。

 自分が死んだ後に自分を覚えていてくれる、誰かが生きてくれればいいと思っていた。

 死んだ後に残る何かがあればいいと思っていた。

 大切な皆に生きて欲しいと思っていた。

 

 それが、切歌の願い。

 迫る死の恐怖を前にしても、彼女に強さをくれるもの。

 

 

「とは言っても、もう止められませんよ。

 そろそろ時間ですからゼファー君も入ってくるでしょうし……

 ちなみにゼファー君が殺される前にロボを止められるのも僕だけです。

 君達が余計なことをした場合にあの中を『加熱殺菌』するボタンを押せるのも僕。

 分かったらその握った拳、さっさと下ろしてくれませんか?」

 

「……ッ!」

 

 

 もう手遅れだと、ウェルは言う。

 自分を殴れば本当に可能性はゼロになると、笑って言う。

 ゼファーを救うも殺すも、彼の手の平の上だ。

 ロボを止める特殊コードの送信も、本当にもしもの場合を想定し戦場となる空間を焼却処理するボタンを押すのも、ウェルにしかできない。

 自分がどうなったっていいから、殴ってでも止めてやると、息巻いていた切歌の拳が落ちた。

 彼女はそうして、膝から地面に崩れ落ちる。

 

 

「どうしよう、どうしよう、あたし……あたしのせいで……!」

 

「きりちゃん、落ち着いて!」

 

「あたしのせいで、あたしの友達が、また……!」

 

 

 しかし、時は待たない。無情に世界は進んで行く。

 透明な壁の向こう、見下ろされる空間にノイズロボが現れた。

 この場に集った人間はウェル以外は誰も知らないが、今回ウェルが用意したノイズロボは、現在保管されているロボの中でも『最強』に数えられる一体。

 ウェル博士がこの実験に加えた手心など、微塵もなかった。

 崩れ落ちる切歌も、切歌に寄り添って支えようとしている調も、ウェルを睨むマリアにも目もくれず、彼は壁の向こうの模造災害を食い入るように見つめ始めた。

 どちらが勝ってもいいと、彼は考えていた。

 どちらに勝って欲しいのか、彼自身にも分かっていなかった。

 

 そんなウェルから目を離し、マリアはセレナに話を聞こうとして、

 

 

「……? セレナ?」

 

 

 その時初めて、いつの間にか妹が姿を消していたことに気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フルアーマー形態となったゼファーは、指定された場所へと進んで行く。

 既に観客席には少女達も研究者達も入場しており、彼が最後の入場者にして主演となるだろう。

 そんなことも知らずに、ゼファーは不思議と静かになって行く心を感じていた。

 緊張もなく、高揚もなく、動揺もなく。

 ここから戦っていく内に少しづつ熱くなることを考えれば、最高のコンディションと言っていいだろう。心も体も装備も、現在彼が用意できる最高に近い。

 何のアクシデントも起こらなければ、彼は最高の状態で戦場に臨めるはずだ。

 何のアクシデントも、起こらなければ。

 

 

「!」

 

 

 立ちはだかるように、ゼファーの前に立つ少女。

 

 

「……マリ、エル……」

 

 

 それはゼファーが破ってしまった約束を、守ると誓いながら守れなかった命を、彼の心を今も苛む一つの罪を、知っている少女。

 ベアトリーチェのたった一人の血縁者であり、慕い合っていた双子の妹。

 彼女がゼファーに罵声を浴びせ、顔を見せなくなって、もう十日になろうか。

 臆病でも心優しい彼女に、言わせてしまった言葉がゼファーの脳裏に蘇る。

 

―――ゼファーにいさんのうそつき! だいっきらいッ!

 

 ゼファーの胸の痛みが増した。

 好調だった心の状態が加速度的に下降して行く。

 この子の前でだけは、まだゼファーも仮面を被れない。

 傷を、弱さを隠せない。むしろ、この子の前でこそ仮面は被らなくてはならないというのに。

 

 

「ゼファーにいさん……」

 

「……まだ、俺をそう呼んでくれるのか」

 

 

 マリエルの瞳から、今のゼファーは何の感情も読み取れない。

 普段ならば誰よりも深く感情を目から覗き込むのだろう。

 しかし、その眼力も今は錆びついてしまっている。

 それほどまでに、ゼファーは彼女に対し罪悪感を感じてしまっているのだ。

 

 

「……あの」

 

 

 だから、ゼファーはマリエルの様子に気付けない。

 この場に第三者が居れば、あるいは一目瞭然だっただろうに。

 

 

「どうした?」

 

「おこって、ない?」

 

「……ああ、怒ってないよ」

 

 

 嘘つきと言われた。大嫌いと言われた。憎悪を言葉に乗せてぶつけられた。

 あの日にはもう戻れない。

 無垢に慕ってくれるマリエルも、元気に笑いかけてくるベアトリーチェも、三人で笑う時間も、もう戻っては来ない。欠けさせてしまったから。

 もう戻れない幸せだった時間が、ゼファーの罪悪感を煽る。

 失われてしまったものが、彼の胸を内から掻き毟る。

 しかし。それの、なんと愚かなことか。

 『マリエルは自分を憎んでいる』と昨日に決め付け、今日目の前の少女に自分の全てで向き合わず、明日に何を繋げるかを見れていない彼の、なんと情けないことか。

 傷をつつけばまだこういった弱さが出てしまう辺り、まだ未熟な少年である。

 

 彼はマリエルが自分を嫌い、自分と会わないようにしていたのだろうと考えていた。

 だが、そうなのだろうか?

 ゼファーはマリエルを見ていない。

 しかし、それはイコールでマリエルがゼファーを見ていなかったことになるのだろうか。

 違う。単にそれは、ゼファーがそう認識しているだけだ。

 本当にゼファーの顔も見たくないほどに憎んでいるのなら、何故今顔を見せたのか。

 今、目の前で親に叱られる前の子供のような、そんな顔をしている少女の顔すら見えていない彼に、一体何が見えているというのだろうか?

 

 

「……い」

 

 

 ずっと。ずっと、マリエルは見ていた。そして覚えていた。

 大人に立ち向かう背中を見ていた。頭を撫でてくれる兄代わりの笑顔を見ていた。

 そこに抱いた胸の暖かい気持ちと、気恥ずかしさと、信頼を覚えていた。

 自分が罵倒した時のゼファーの表情を、弱さを、付けてしまった傷を見ていた。

 初めて見てしまった、頼りにしているお兄さんの弱い部分を覚えていた。

 その日からずっと、彼が被っていた仮面の強がりを見ていた。

 自分と同じくらい辛いはずなのに、もう誰も悲しませないのだと走る姿を見ていた。

 彼女が全てを明らかにして台無しにするなら受け入れると、そう無言で言う背中を見ていた。

 自分の悲しみを理由に、彼を傷付けてしまったことを、彼女は覚えていた。

 

 

「……なさい」

 

「え……?」

 

 

 人は好きだった人を嫌いになる理由ができた時、その人を好きだった気持ちを忘れられるのか。

 否。断じて否だ。

 雪音クリスがそうであったように、好きだった気持ちは嫌いに思う気持ちを倍加させ、けれど消えてはくれない。心中で拮抗するならば、逆転すらありうる。

 少女は彼が好きだった。だから、誰でもなく彼に怒りをぶつけた。

 少女は姉が好きだった。だから、途方もなく悲しかった。

 少女は英雄を信じていた。だから、無邪気な信頼は絶望へと反転した。

 少女は、彼と姉と三人で過ごす時間が好きだった。

 だから、断末魔のように叫び、彼を責めた。

 

 その言葉がそのまま、彼女自身の心を傷付けるのだとしても、止められなかった。

 大好きだった人を責めることに、心痛めない子供が居るのだろうか?

 

 

「ごめんなさい、おにいさん……!」

 

 

 人は一つの気持ちだけで生きてはいけない。

 意味もなく一つの感情を持ち続けていくのも難しい。

 

 人を好きで居続けることも、嫌いで居続けることも。

 無為に愛し続けることも、無理に憎み続けることも。

 どれもこれもが難しい。時間と共に薄らいでしまうこともあるだろう。

 

 ましてそれが、優しい少女であるのなら。

 本心では好きな誰かを無理に憎み続けることは、それ自体が苦痛だっただろう。

 それでも、誰かのせいにせずにはいられなかった。

 誰かのせいであって欲しかった。無意味な偶然で死んだなど、思いたくはなかった。

 人は、原因のない悲劇に耐えられない。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

 

 研究者を、ゼファーを責めた彼女の考え方は、どこにでも居る人間らしいものだった。

 まして彼女は、まだ小さな女の子なのだ。

 たった一人の血の繋がった家族が死んでしまって、平気なわけがない。

 冷静でいられるわけがないのだ。

 だからゼファーも、マリエルを心の中で責めたことなど一度もない。

 

 胸に飛び込んできたマリエルを受け止め、ゼファーは優しく抱きしめた。

 マリエルは決壊したダムのように、両の瞳から大粒の涙を流している。

 そして涙よりもずっとずっと大量の謝罪の言葉を、口から吐き出していた。

 救いはない。あの日には戻れない。死人は蘇らない。

 けれど、それを理由に、彼女は越えてはならない一線を越えることはしなかった。

 

 

「ゼファーにいさんが、がんばってくれてたこと、しってたのに……

 おねえちゃんがここにいたら、おにいさんをわるくいわないってしってたのに……

 あなたがわるくないって、わかってたのに……!

 なきたくて、なきたくて、よくわからなくなって、わるいこといっちゃって……

 ほんとうに、ごめんなさい……!」

 

「―――」

 

「きらいじゃない、きらいなんかじゃないの!

 だいっきらいっていったのうそだから、きらいじゃないの!」

 

 

 弱く儚く幼い子供なれど、彼女は自分の非を認め、謝った。

 ゼファーを責めたことを間違いだと認め、ゼファーの罪を許した。

 許し許され、前に進むための選択を、そうと考えずに選び取っていた。

 その言葉が、どれほどゼファーの救いとなってくれたのか。

 それは、本当の意味ではゼファー本人にしか分かるまい。

 

 バーソロミューの時と同じだ。

 ベアトリーチェの気持ちを語る資格があるとすれば、それは双子の姉妹であり唯一の血縁者たるマリエルをおいて他には居ない。それが憎悪であれ、許しであれ。

 それが、死者の口にした事実でないのだとしても。

 救われたいと願う生者と、死者の代弁をする資格のある生者が居るのなら。

 それはほんの少しであっても、きっと生者の救いとなってくれる。

 

 

「謝るのは、俺だ」

 

 

 生者は生者にしか救えない。

 ベアトリーチェの死が彼に乗せた十字架を降ろせるのは、マリエルだけだった。

 ゼファーが一生背負っていくかも知れなかった十字架を、彼女は少しだけ軽くしていく。

 ゼファーは謝る。悔いているから。

 彼女は許す。彼が好きだから。

 マリエルはゼファーの胸に顔を埋めて、ゼファーはそんな彼女を抱きしめて、だから互いの顔は見えていない。

 

 

「俺は、俺の友達を、マリエルのお姉ちゃんを、大切な人を、守ると約束したあの子を……」

 

 

 ゼファーも、マリエルも、共に前に進むために。

 しなければならない『一区切り』。

 本当に大切だった誰かの死を乗り越えて、前に進むための儀式がこれだった。

 

 

「守れなかった……! ごめん、ごめんな……!」

 

 

 彼らと同じ思いを抱いた誰かが、かつて葬送という文化を生み出したのだろう。

 死んだ人に別れを告げて、生きている者達が前に進むために。

 雪音クリスがかつて彼に見せた『さよなら』の強さは、今も名残のように胸に刻まれている。

 

 

「ごめん、マリエル、ベアトリーチェ……!」

 

「ごめんなさい、おにいさん、おねえちゃん……!」

 

 

 謝って、謝って、謝り合って。

 もうどちらが謝っているのかも分からない。

 ゼファーは守れなかった人に、大切な人を守ってやれなかった人に。

 大切な人の大切なものを守れなかったことにも謝る。

 マリエルは傷付けてしまった彼に、妹として守れなかった姉に。

 そして、『姉のために憎む』という気持ちが、『彼のために許す』という気持ちに負けてしまったことに、ごめんなさいと謝り続ける。

 

 復讐者というものは、時折復讐を諦めた時、死者に謝る。

 死者に捧げる怒り、憎しみが途切れてしまった時、そこに罪悪感を感じるのだ。

 彼らはそうした憎悪を貫けないことを、時に「死者に向けていた気持ちが小さかったのだと思われる」と考え、憎しみの徹底こそが愛の証明だと考える。

 理にはそぐわないが、人間とはそういうものなのだ。

 憎み続けることを愛の証明とする気持ちは、誰の中にだってある。

 

 マリエルもそういう気持ちはあった。

 姉の死に感じた怒りや憎しみを薄れさせてしまうことが、まるで愛が薄れていってしまうかのように感じ、恐れた。それはゼファーに対する憎悪も例外ではなかった。

 ……だが、しかし。

 その上で、彼女は許した。そしてゼファーに謝り、彼に最後の救いを与えてみせた。

 幼くも輝かしい、憎悪と恐れを踏破する、どこまでも優しい許す『勇気』。

 

 子供だから、そういった悪意を貫ききれなかったのかもしれない。

 八つ当たりだと分かっていたから、負の感情をある程度抑えられたのかもしれない。

 だが、それでこの勇気の価値が揺らぐわけがない。

 

 ゼファーが守りたいと願う、目に見えない大切なもの。

 マリエルが振り絞ったこの気持ちが、その中に含まれていないわけがない。

 彼は優しく、そしてぎゅっと、か弱い少女を抱きしめる。

 

 揺らいだはずの仮面は、先程よりずっと強くなり、いつの間にか被り直されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の前に立つ。

 マリエルに最高のエールを貰い、今のゼファーは絶好調の上を行っている。

 この扉をくぐれば、ゼファーは再び懐かしき戦場へと戻るのだろう。

 

 

「……」

 

 

 決意はある。覚悟もある。意志も十分だ。

 ならば何故、彼の足は止まっているのか。

 忘れてはならない。ゼファーはこの施設に来た日、戦えないほどに折れていた。

 幾多の成長の機会を越えようとも、彼の成長と回復は牛歩。

 銃を握り戦うためのスイッチは、まだ完全に回復していなかった。

 

 かつてのゼファーは、銃を握れば冷静に戦うことができていた。

 それは仲間のために熱く強くなる性質と裏表に、辛い記憶から目を逸らすために使えるほどに、ゼファーの中の日常と非日常のスイッチを切り替えてくれる。

 日常のゼファーでは、殺し合いを越えられない。

 非日常のゼファーでこそ、銃を執って勝利を勝ち取れる。

 英雄の仮面だけでは、自分自身は騙しきれない。

 今だけは、戦士としてのゼファー・ウィンチェスターが必要なのだ。

 

 扉の前で数秒、立っていただろうか。

 ゼファーは扉を、かつて牢の部屋から出た時のように、越えるべき境界線として見ている。

 それを越えることで何かが変わる、そんな境界線。

 だから足音がして、それが自分に近付いて来て、自分の後ろで止まったとしても、ただの一度も視線をそちらにやったりはしない。

 足音だけで分かる、そんな友人も居る。

 

 

「絶対に勝って、生きて帰って来るって信じてる」

 

 

 セレナ・カデンツァヴナ・イヴは、ゼファーの後ろでそう言って、彼の背中を手の平で押した。

 

 

「ああ」

 

 

 ゼファーは短くそう答え、扉をくぐる。

 彼が扉をくぐったのを確認して、セレナは姉達のもとへと戻って行った。

 ゼファーが背中を押して欲しい時、最後の一押しが欲しい時。

 彼女はどこからだって駆け付けて、一人じゃダメダメな親友の背中を押しに来てくれる。

 

 

(……広いな)

 

 

 何の障害物もない、ただっ広い空間。

 高さ10メートルほどの高さに向こう側の見えない別材質の壁があり、あの辺りからウェル博士達研究者がデータを取っているんだなと、ゼファーは推測を立てる。

 柱すら無い純白の広い空間は、方眼紙の目盛りのような溝が数十cm単位で刻まれており、それがまた見る者から現実感を奪う。

 しかしゼファーの視線は、その中央で悠然と立つ一体の機械人形に注がれていた。

 

 

「―――ッ!」

 

 

 それがゼファーの戦うべき相手、最強の模造災害の一角。

 そんなことは、一目見た瞬間に分かっていた。

 目の前に立つそれが『運命』なのだと、相対した瞬間に確信した。

 

 

「……そう、か。お前か」

 

 

 彼とそのノイズとの初めての出会いは、いつもの通りに戦場だった。

 最初の出会いの日には、ビリー・エヴァンスを喪失し。

 次の出会いの日には、ジェイナスを始めとした全てを喪失した。

 ゼファーにとってそのノイズは、喪失の象徴である。

 

 

「また俺から奪いに来たのか」

 

 

 圧倒的火力、圧倒的機動力、圧倒的基本スペック。

 そのノイズに惨敗した日のことを、彼は今でも昨日のことのように思い出せる。

 勝利などおこがましい。逃走することすら許されなかった。

 ゼファーにとってそのノイズは、勝ち目のない絶対強者の一角である。

 

 

「昨日勝てなかった敵に、今日挑むことを恐れる俺だと思われちゃ困る」

 

 

 勝ち目など無い。勝機など無い。

 しかし勝たねばならないから、「勝てる」と彼は嘯いて、その嘘を現実にしなければならない。

 生きて帰らなければならない、だから死ねない。

 勝たねばならない、だから勝つ。

 

 たとえ相手が、宿敵たる『ブドウ型ノイズ』を模したロボであったとしても。

 

 

「俺は戦う。俺は生きる。俺は生かす。……何も、何も終わらせないためにッ!」

 

 

 少年が銃を抜く。

 ブドウ型ノイズが爆弾を切り離す。

 引き金が引かれる。

 爆弾が直進する。

 

 その戦いの開幕は、鳴り響く爆音がゴングとなった。




手元のプロットには「ライバル:ブドウノイズ」って書いてあったりします

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