戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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 今のゼファー君は第二話:Chris Yukine 2の冒頭シーンの半年前辺りの時系列の少年です。この少年がああいうの見て、ああなりました
 あのリルカが原作のリルカがだったらああいう扱いは絶対させませんでしたね、絶対。オリジナルキャラなのに今でもああいう目にあわせたことに罪悪感半端ないですが


第三十八話:おそらくきっと、世界でいちばん色気のない修羅場

 季節は11月。

 かの秋桜祭と、その後のゼファーの崩壊から一ヶ月以上が経っていた。

 世間はまたしても、大きな変動を迎える。

 

 二年前、たった一体の生命体(オーバーナイトブレイザー)が日本に信じられない被害をもたらしたことは、世界中に知れ渡るニュースとなった。

 ブランクイーゼルが録画していた被害映像のように、世界中に被害をもたらしていたオーバーナイトブレイザーの存在が認知されれば、そのニュースの話題性は指数関数的に上昇していく。

 そしてその二年後に、オーバーナイトブレイザーによる秋桜祭襲撃と来れば、ただそれだけで世界的なニュースになることは間違いない。

 

 『ナイトブレイザーとブランクイーゼルが協力し、誰も死なせず撃退した』という知らせと共にそれが来たものだから、このニュースは世界を激震させていた。

 

 ナイトブレイザーは、傷めつけられながらもノイズやゴーレムを撃退していることで、日本を中心に人気が高い。

 こと、オーバーナイトブレイザーの被害が世界的にあったと知られてからは、国際的な知名度と人気も高かった。

 第一次ヴァーミリオン・ディザスターがバル・ベルデで起こっていたこともあり、世間一般では世界中を襲おうとしてたオーバーナイトブレイザーの暴虐が日本でナイトブレイザーに食い止められている、という認識が一般的だ。

 一方ブランクイーゼルは賛否両論と言うのが相応しい支持のされ方をしている。

 当然、支持する人も罵倒する人も居た。

 

 だが、今回の一件でその風評は少しだけ改善された。

 ブランクイーゼルが「世界のため」という目的を掲げていることを、そしてロードブレイザー打倒を第一としていることを、身をもって証明したからだ。

 加え、その後のマリアとナイトブレイザーとの共闘は、世間にはどう見えただろうか?

 

 ブランクイーゼルがナイトブレイザーに勝ち捕らえることで強さを示し、その後ナイトブレイザーを解放し、世界の敵を前にして共闘した……そう、見えたのではないだろうか。

 情報が曖昧な部分を想像で保管し、民衆は"こうだろう"と想像の関係性を頭の中に作り上げる。

 ブランクイーゼルは犠牲を許容する、世界のために戦う者。

 ナイトブレイザーは犠牲を許容しない、人のために戦う者。

 そしてロードブレイザー等世界の敵を前にしたならば、共闘もする。

 そういった敵対関係含む奇妙な関係性が、民衆の目に見えてきたのだ。

 

 そうなると、ブランクイーゼルの支持も伸びてくる。

 ブランクイーゼルの評価がテロリスト寄りから、ヒーローよりのものへと変わり始めたのだ。

 この評価の変化もまた、ブランクイーゼルの後追いとなっていた。

 

 二課がブランクイーゼルに対応し、小競り合い程度の戦闘を行うこと数回。

 いくつかの国家がブランクイーゼルに喧嘩を売り、ゴーレムに粉砕されること数回。

 国家間でブランクイーゼルに対しての話し合いが行われ、そのほぼ全てがヤントラ・サルヴァスパにて盗聴されること数千回。

 それが、この一ヶ月で起こったことだった。

 一ヶ月も経てば、ブランクイーゼルの望んだ世界統一というものも最終形が見えてくる。

 

 魔人に対抗するための世界統一の完了が、目前にまで迫っている。

 既に多くの涙が流れ、これから先も流れることになるだろう。

 だが、誰もが"なんとなく"心で感じていた。

 

 新たな時代の到来を。自分も他人に歩み寄らなければならない時代が来たのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三十八話:おそらくきっと、世界でいちばん色気のない修羅場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の時間帯、昼の時間帯、夜の時間帯。

 一日に三回、今の食堂には空気が重くなる時間帯がある。

 それが食事の時間帯だというのだから世も末だ。絵倉は人が居なくなった食堂を見渡してから、溜め息を吐いて独り言ちる。

 

「ったく、辛気臭いったらありゃしない」

 

 人が一人悲惨な目にあったからってなんだ、人死になんて今まで何度もあったじゃないかと、絵倉は口に出さずに心中で思う。

 

「……」

 

 ナイーブな二課の面々を思いつつ、残った鍋の中身を口にする絵倉。

 だがそこで、彼女は顔を歪めた。

 味がめちゃくちゃだ。醤油を入れ忘れた、と思うも既に時遅し。

 醤油を入れ忘れた自分も、味見を忘れた自分も、人のことは言えないか、と、絵倉は自嘲する。

 

「……アタクシも、人のことは言えないってか」

 

 味が変な飯を食っても文句を言わない――あるいは、気付かない――二課職員達も、相当に参っていることが伺える。

 一人欠けただけでこれか、と絵倉は思ったが。

 その欠けた一人が重すぎたのだと、絵倉は思い至る。

 

(飯食って元気になればそれでよし、とは言うものの……

 もう、食事も取れなくなってたんだっけね、あの子は……)

 

 ゼファーはもう食事を取ることもなく、食事を取れる口もない。

 口もない、食道もない、そもそも内臓が無いのだ。

 聖遺物の力をか細く吸って生き延びながら、遠くない内に糸が切れるように死ぬだろう。

 "食事が生きる力となる"が心情な絵倉も、流石にこれではどうしようもなく気が滅入る一方だ。

 

「すみません、まだ昼飯食えますか?」

 

「あいよ、座んな」

 

 するとそこに、食堂が閉まる時間ギリギリに人影が三つ入って来る。

 天戸、甲斐名、土場の三人組だ。

 ここに緒川、藤尭、津山、弦十郎といった男メンツが入っていることもあるが、それも頻繁ではない。この三人の輪の中に頻繁に入っていたのは……それこそ、ゼファーくらいのものだろう。

 三人は、絵倉に注文を告げてカウンターの席につく。

 

 沈黙が、数分広がる。

 いつも賑やかな男三人であることが信じられないくらいに、三人の間に言葉はなかった。

 その理由は、語るまでもないだろう。

 三人の間に広がった、数分の沈黙。それ破ったのは、土場だった。

 

「正直な話、私は彼を尊敬しているところもあった。

 いや、違うか……尊敬が半分で、自分より立派な弟を見るような気持ちが半分あった気がする」

 

 いつもは気取った笑みが浮かんでいるはずのその顔には、過去を思い出し何かを噛みしめるような、何かを悔いているような苦笑が浮かんでいる。

 

「初恋の相手を、どんな形であれ、とんでもないことをして助け出したんだ。

 それも、一度は死んだような人間を。

 ……私にはできなかったことを、死ぬ気で実現させた。祝福したい気持ちでいっぱいなんだ」

 

 土場は、ゼファーに自分を重ねていた。

 彼は初恋の恋人を救うために二課に入り、結局恋人を救えずに、その死に一度心折れた大人だ。

 だからこそゼファーに恋のアドバイスをしたり、奏の死後にゼファーの気持ちを理解したり、奏を現世(うつしょ)に呼び戻したゼファーに敬意を払ったりもしているのだ。

 

「だが、今の彼は、私のことも覚えていない……」

 

 なのに、土場は素直に喜べない。敬意も伝えられない。"ゼファー"を褒めてもやれない。

 それが本当にもどかしくて、悔しくて、自分が情けなくて。

 彼はガラにもなく、弱音と愚痴を漏らしているのだ。

 

「なんかさー、僕も夜に一人で部屋に居ると、頭の中ごちゃごちゃして、酒ないと眠れなくてさ」

 

 土場の弱音と愚痴につられたのか、甲斐名の口からも弱音と愚痴が漏れていく。

 彼もまた、ゼファーが居なくなったことで、ゼファーに自分を重ねていたことと、自分の"弱さ"を思い知っていた。

 

「飲んだくれて、時々苛立ちが抑えきれなくて、酒の瓶叩き割ってから気付くんだ。

 ……ああ、あの親父と同じことやってんじゃないか、って。

 アル中で僕を毎日のように殴ってて、お袋に逃げられて、アル中で死んでった親父と」

 

 甲斐名はアルコール中毒の親に虐待され育ち、陰ながらゼファーと装者達――子供達――が幸せになれることを願っていた、そんな大人だった。

 自分の過去が、他の子供が健やかに生きていける助けになれたらと、そう思っていた男だった。

 そんな彼だからこそ、自分が一時であっても酒に逃げていたことに、途方も無い自己嫌悪を感じてしまっているのだろう。

 

「現実が辛すぎて酒に逃げた親父の気持ちが分かるとか、勘弁して欲しいっての……」

 

 そんな二人の愚痴を、天戸は聞き流さずに受け止める。

 30を越えたばかりの二人は、天戸から見ればまだ若く見えるのだろう。

 ゼファーから見た甲斐名と土場は大人に見えるが……それでも、ゼファーより少しばかり大人なだけで、天戸から見ればまだまだ青さが抜けていない。

 

「イチイバル。

 アースガルズ。

 雪音クリス。

 んでもって、風鳴の嬢ちゃんの面倒も……ガキにこんだけ世話になってて、情けねえ話だよ」

 

 かつて風鳴の家に不名誉をもたらした聖遺物盗難事件も、あらかた決着がついている。

 クリスの誘拐事件もそうだ。

 二課が風鳴機関だった頃から、風鳴訃堂が風鳴機関と風鳴家の長だった頃から、弦十郎が子供の頃から『ここ』に居る人間だからこそ、天戸にも色々と思うことがある。

 出会いも別れも、出産も死別もその目で見てきた天戸に、今のゼファーはどう映っているのだろうか。

 

「なんとかなってくれりゃあ、それが最高なんだがな」

 

 天戸が希望的観測でものを言えば、土場も希望的観測でものを言う。

 

「なんとかなって欲しいと、私も思うよ」

 

 彼らは、"久しぶりに希望を持たせるような言葉を吐いた"と感じる。

 何故なのか、少し不思議に思い……三人同時に、最悪の結論に至る。

 あれだけ絶望的な状況が長く続いていながらも、二課の皆が希望を信じ、精力的に目の前のことに打ち込めていたのは何故なのか?

 誰が、そうなるように仕向けていたのか?

 

「……そういえば、ここんとこずっと、『なんとかなる』って周りを励ましてたのは……」

 

 ゼファーだけだった、と言おうとして、甲斐名はその言葉を喉元で止める。

 それを言ってしまったら……本当に、何かが壊れてしまうような、そんな気がしたから。

 三人の間に沈黙が戻り、黙々とした食事が始まる。

 厨房の片隅で人知れず絵倉も、暗く表情を沈めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーという存在に、もう人としての機能はほとんど残されていない。

 考えられる。周りのものを見ることができる。喋ることができる。

 ……だが、それだけだ。

 クリスはそんな彼が居る病室へ、彼の生命活動を維持することすらできない病室へと、足を運んでいた。

 

「でね、その時ゼっくんが……」

 

「おおぉ」

 

 病室の中では、屈託なく笑う響がゼファーと楽しげに語り合っている。

 ……ゼファーが怪物の姿でなければ、これも日常の光景だったろうに。

 泥を塗りたくったようなその容姿は、夜道で見たなら誰もが逃げ出してしまうであろうほどに、人ならざる醜悪さを見せつけている。

 

 ゼファーがあまり動揺していないのが救いだろうか。

 人間、自分の体がこんなものになってしまったら、その大半が世を儚んで自殺を試みるだろう。

 この体では自殺すらできない、というのは置いておいて。

 明るく幼気に話すゼファーには、自分の体の状態に悲観的な感情があるようには見えない。

 

「よっ。外見はへんてこでも、元気みたいじゃねえか」

 

「あ、こんにちわー、ユキネさん」

 

「いらっしゃい、クリスちゃん」

 

 クリスが話しかけても、彼から帰って来た返事に影は見えなかった。

 精神が逆行した結果成ったこの年頃のゼファーは、『まだ誰とも死別していない』ゼファーだ。

 紛争地帯に立たされ、人殺しの場に放り込まれながらも、まだ身近な人間が死ぬだなどと想像もしていない、そんな純粋な頃のゼファー。

 

 人の顔色を窺う日々で、相手の感情を察する技能を磨いてもいない。

 死がすぐ隣にある戦場で殺し合い、直感を成長させてもいない。

 殺さなければ殺される環境で、殺しの技を鍛えてもいない。

 目の前で最初の友達、初恋の相手になったかもしれない少女を凄惨な形で殺されて、心のどこかを壊されてもいない。

 大切な人を何度も何度も無くし、"守らなければ人は死ぬ"と知ってもいない。

 絶望の中で、希望は意識的に創らなければならないものなのだと学んでもいない。

 そんな時期のゼファーだ。

 

 クリスもバーソロミューから聞いたことがあるだけで、直接会ったことはないゼファーだ。

 

「今ね、ゼっくんの昔の話してたんだ」

 

「へぇ……んじゃ、あたしもつまんねえ思い出話に花を咲かせてやるとするか」

 

 響は自分とゼファーの想い出、未来も加えて三人で過ごした想い出を語っていく。

 クリスはバーソロミュー、ジェイナスの話なども混じえて、彼の幼少期を語っていく。

 ゼファーはそれを、赤の他人の冒険譚を聞くように、キラキラと目を輝かせて――今の彼に目はないが、そういった様子で――彼女らの話を聞いていく。

 それが、響とクリスの心を軋ませる。

 

「―――」

 

「―――」

 

 昔の想い出を語れば、何か思い出してくれるんじゃないかと、そんな淡い期待があった。

 それが無いに等しい希望でも、それしかすがれるものはなかったから。

 けれど、ゼファーとの想い出をゼファーに語るのは……予想以上に、心に来た。

 

 響はゼファーとの想い出を語るのに、ゼファーは初めて聞いたようにそれを聞く。

 クリスは共闘の想い出を語るのに、ゼファーはまるで赤の他人の武勇伝を聞いているかのよう。

 昔彼に聞かせてもらった大切な言葉を告げても、彼はへえと感心したように頷くだけ。

 昔彼と交わした約束を言葉にしても、彼はそれを忘れないようにと呟くも、それだけ。

 

 ゼファーに想い出を語れば語るほど、二人は彼がそれを覚えていないことを理解していく。

 "記憶が無くなる"というのはこういうことなのだと、二人は身に沁みて実感した。

 過去のゼファーは、もうここには居ない。

 二人が共に過ごしたあの日のゼファーは、もうここには居ない。

 想い出と共に、消えてしまったのだ。

 『ゼファー』はここに生きていても、『あの日のゼファー』は、もうとっくに死んでいる。

 

「―――」

 

「―――」

 

 ゼファーが他人事のように相槌を打っているだけで、辛くて。

 

「―――!」

 

「―――?」

 

 過去語りが、もう戻らないもののことを未練がましく語り合っているかのようで。

 

「―――?」

 

「―――?」

 

 ただひたすらに、心が痛かった。

 

「俺、色んなことしてたんですね。すごいなあ」

 

「……ああ、そうだよ。あたしから見ても、お前は凄いヤツだったよ」

 

 クリスは自らの内に湧き上がる気持ちを抑えきれず、言わないようにしようと自戒していた言葉を口にしてしまう。

 

「ゼファーお前、そんなカッコで嫌じゃないのか?」

 

「ちょ、クリスちゃん!」

 

 響が止めようとするが、ゼファーは何も気していないかのように気楽な返答を返す。

 

「嫌じゃないわけないよ。でも、みんながよくしてくれるから、あんまり気にならないんだ」

 

「そういうもんか?」

 

「自分の容姿なんて気にしたことないよ。

 醜男か、美形か、そういうのよく分からないんだ。

 俺が気にするのは、周りの人が俺を好きか嫌いかだけだから」

 

「……」

 

「外見が醜いから嫌いだ、とか言われなければ別にいいかなー、なんて」

 

 幼い頃のゼファーの価値観は、青年になってからのゼファーと決定的に違うところもあれば、成長しても変わらない部分があると思い知らされるところもある。

 

「みんないい人だから、俺は気にならないんだ。俺も早く元に戻れるよう頑張るよ!」

 

「……頑張ったからって戻れるようなもんでもねーだろ」

 

「そかな? 頑張ればできそうな気がするけどなー」

 

 ゼファーらしくもない軽くふわふわとした語調に、クリスは違和感を感じざるを得ない。

 何故こんなにも、違和感を感じてしまうのか。

 

「ほら俺、意識してないけど、日本の言葉を話してるでしょ?」

 

「……ああ、まあな」

 

「だからほら、大人の俺は全部消えちゃったわけじゃないってことだしさ」

 

 それは、元のゼファーに戻れるだろうと、根拠もなく話す彼の言葉を聞いていれば分かる。

 幼い頃のゼファーは世界も知らず、人も知らず、絶望も知らない……ゆえにその言葉には、まるで重みが足りていなかった。

 

「もしかしたら、俺もすぐに戻るんじゃないかな、なんて思ったり」

 

「―――」

 

 今のゼファーの口から出て来る言葉の羅列は、確信を持って、周囲を勇気付けるための、希望を持たせる『いつもの』言葉ではなく。子供特有の見通しの無さから来る希望的観測だった。

 その言葉は、どこまでも軽かった。

 中身が無かった。

 適当だった。

 心に何も響かなかった。

 

 そんな言葉がゼファーの口から出て来たことが、クリスには耐えられなくて。

 

「早く大人になりたいって、俺、そう思ってたんだ。

 元に戻るってことは、大人になれるってことじゃん!

 ここで会う人会う人、みんな大人になった俺を褒めるんだから、すごく嬉しくて!

 どんな人生送ってたのかなあって、ちょっと想像するだけでも楽しくて!」

 

 "これから先"の人生を幸福であると信じきって疑わない"幼い頃のゼファー"が、見ていられなくて。クリスは、挑発的な笑みを浮かべて誤魔化すことしかできない。

 

「ったく、ガキンチョだなお前は。あたしは用事があるから、そろそろ帰んぞ」

 

「また話してね、ユキネさん!」

 

「またね、クリスちゃん」

 

 クリスは部屋を出て行く直前、ベッドに寝かされているゼファーの隣に座っていた響に目をやった。響は曖昧な、言い訳みたいな笑顔を浮かべている。

 雪音クリスはこの時改めて、立花響の強さを知った。

 どんなに辛くても、『自分まで笑わなくなってしまったら本当に誰も笑えなくなってしまう』と思い、笑顔を浮かべ続けられる立花響は……とても、強いのだと。

 自分には無い響の強さを思いながら、彼女は一人自室へと戻る。

 

「ゼファー……お前、あたしと会った頃には、結構ぶっ壊れて擦り切れてたんだなあ……」

 

 そして部屋で一人、"今はもうここには居ないゼファー"を想い、クリスは壁に拳を叩きつける。

 

「お前にゃ分からないか? 分からないだろうな……

 お前がきっと何とかしてくれるって、信じてる人達の気持ちも!

 お前が全部なんとかしようとするのやめて欲しいって思う人の気持ちも分かんないだろうな!

 丸投げされてるお前の辛さも、本当の意味じゃあたしにだって分かりゃしないんだ!

 他人だから!

 他人の気持ちを本当に分かる方法なんて、どこにも無いんだから! 分かるわけがないんだ!」

 

 想いを汲み取れること、感情の機微に敏いこと、他人の感情を読み取れること……それらは、本当の意味で他人の気持ちを理解したことになるのだろうか。

 なるかもしれないし、ならないかもしれない。

 その気持ちを知って、それを尊重した行動を取るか取らないかですら、人によるのだ。

 

「お前なら何とか出来るって信じて! でもお前に全部任せてるのが情けなくて!

 何かできること探しても、そんなもの全然見当たらなくて! 泣きたくて、泣きたくて……!

 そんなあたしの気持ちだって、お前には分からないだろ!?

 なんでお前は、いつもそうやって誤魔化しながら笑ってたんだ!

 辛いなら、辛いって言ってくれよ!

 お前、一度だって『死にたくない、助けて』って言ったことあるのか!?

 せいぜい手助けして欲しい、くらいのもんだろうが!

 そんなんで、どうやってお前を助けてやればいいんだよ! 生かしてやればいいんだよ!

 誰が『助けて』と口にしてもそれを聞き逃さないお前は、誰に助けてもらえるんだよ……!」

 

 "今はもうここには居ないゼファー"に向けて、クリスは叫ぶ。

 

「死にたくねえなら、ほどほどのところでやめとけよ……!

 手遅れになるまでやるなよ! そんなに、なるまで、やるなよ……!」

 

 怒りを何かにぶつけたって守りたいものは守れず、欲しいものは手に入らず、取り戻したいものは取り戻せないと、彼女は知っているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一課のトップ林田が、二課のトップ弦十郎に業務連絡を行っている。

 モニター越しだが、ヤントラ・サルヴァスパのことはちゃんと警戒していた。

 本当に知られて困る情報は書類を直接輸送することで伝え、こうして通信回線を使って話すことは、それこそ聞かれても問題のない業務連絡だった。

 

『―――以上で、一課からの報告を終了します』

 

「お疲れ様です、林田さん」

 

『……それと、これは余談ですが、ゼファー・ウィンチェスターの件は……』

 

「!」

 

 だが、林田はその最後に少しばかりの私情を混じえる。

 

『……うちの娘も、なんだかんだ心配していましてね』

 

「こちらでも最善を尽くしています。……ですが、あまり期待は……」

 

『十二分に承知しているつもりです。それでは』

 

 林田は話に一区切り付けると、そそくさと通信を切る。

 業務的ないつも通りの顔だったが、通信を切るタイミングの早さから、少々の気恥ずかしさが伺えた。一課の林田親子はゼファーともそこそこ親交があるため、彼を心配していたのだろう。

 一課のトップである林田父はゼファーの詳細な状態を知っているが、娘の林田悠里を初めとする一般職員は"ゼファーが体調不良"程度にしか知らないため、その心配の程度には差があるが。

 

「そういえばゼファー君は、一課にも知り合いが多かったんですよね、司令」

 

「慎二……と、津山か」

 

「はい!」

 

 通信を終えた弦十郎の背後に、緒川と津山が立っていた。

 二人も、思うところは多くある。

 緒川はゼファーの師匠の一人。ゼファーを長年見守ってきた大人の一人だ。

 津山は奏・翼・ゼファーの背中に魅せられ、自衛隊から二課に異動してきた青年だ。

 この状況に、何も思わないわけがない。

 

「お前らも、色々と言いたいことはあると思う。……が」

 

 だが、それでも何も言わず、弱みを見せず気張ってくれる二人に、弦十郎は感謝する。

 

「しっかりやってくれ。ここで総崩れになるわけにはいかないんでな」

 

「「 はい! 」」

 

 弦十郎から新たな指示を受け、男達は走り出す。

 その内あの二人に、愚痴を吐き切った天戸達も加わるのだろう。

 ゼファーの件で、二課の稼働率は目に見えて低下していた。

 なのに二課が決定的な崩壊をしていないのは、頑張って、踏ん張っている者達が居るからだ。

 

「……俺もしっかりせんとな。頑張ってくれてる下に申し訳が立たん」

 

 弦十郎は自らの頬を叩き、ゼファーのことを頭の片隅に追いやって、目の前の職務に打ち込む。

 子供の頃から面倒を見ていた少年だった。

 最近は、頼りにしていた青年だった。

 ……あんな風には、なって欲しくなかった仲間だった。

 そんな気持ちを脇に追いやりながら、彼は仕事を進め続ける。

 情けない自分では居られないと、弦十郎は思考する。

 

 ゼファー・ウィンチェスターに恥じない大人で居続けることが、今の自分に出来ることだと、風鳴弦十郎は己を律していた。

 

 

 

 

 

 一方、二課訓練室。

 ここでは、連日剣と槍がぶつかり合っていた。

 今日ぶつかり合っているのは、奏の模造槍と翼の模造剣。

 

「そうだ! もっと来い翼!」

 

 ガガガガガガガと、絶え間なく続く豪快な衝突音。

 金属製の模造武器は、二人の腕力を受け止めながらも、次第にその耐久力の限界を迎え始めていた。裏を返せば、この二人の腕力は既に金属製の模造武器を折る域にある。

 

「付き合ってくれてありがとう、奏……だけど! 止められない! 止まりたくない!」

 

 翼は今の自分の中にある気持ちを、全て剣に込めていた。

 奏は翼の中にある気持ちを、全て回避せず受け止めていた。

 怒り、悲しみ、絶望、憎しみ、使命感、覚悟、決意、弱気、未練、友情。

 あらゆるものが、今の翼の剣にはある。

 

「今は何も考えないようにしないと、泣いてしまいそうで……!

 今は体を動かしていないと、周りの人に怒りをぶつけてしまいそうで……!

 体が疲れ果てていないと、周りのものに当たって、力まかせに壊してしまいそうでッ!」

 

「いいさ、あたしとお前の仲だ!」

 

 模擬戦という形で、奏は翼の精神のバランスを取ってやっていた。

 

「拳を握れるなら、武器を握れるなら!

 まだ心は折れてないってことだ! まだまだやれるってことだ!」

 

 奏は過去の自分を思い出す。

 あの時、ノイズを恐れ、家族の喪失に涙し、膝を折っていたならば……自分は現実に立ち向かえる人間で居続けられなかっただろう、と。

 立ち上がれるなら、まだ戦える。

 拳を握れるなら、まだ戦える。

 意志があるなら、まだ戦える。

 そうであるならば、人間は辛い現実を相手にしたって、まだ戦えるはずだ。

 

 二課(ここ)は掛け値無しにいい場所だと、奏は思う。まだ誰も、膝を折っていないのだから。

 

 翼もそうだ。

 彼女は、辛くて、悲しくて、みじめで、心が痛いと思いながらもなお、膝を折らないやせ我慢を奏に見せている。

 何故ならば、まだ戦いは終わっていないから。

 ゼファーが守りたいと願ったものを壊してしまうかもしれない敵が、まだ居るから。

 ゆえに翼は―――『守るため』の強がりを、振り絞っている。

 

 奏の模造槍と翼の模造剣が衝突し、双方粉砕。二人は瞬時に首元のペンダントに手をかける。

 

羽撃きは鋭く、風切る如く(Imyuteus amenohabakiri tron)

人と死しても、戦士と生きる(Croitzal ronzell gungnir zizzl)

 

 二人は一瞬で光に包まれ、光が消えるまでの一瞬で、槍と剣を数十と交差させていた。

 

「はぁッ!!」

 

「ゴールが見えてくるまでは、そうやって突っ走るってのもありだろうさ、翼ぁッ!」

 

 先が見えずにもがき続ける翼を、少しだけ先が見えている奏が導く。

 まるで、二年前に失われたものが、ここに戻って来たかのよう。

 だが、まだ一人足りない。

 

 二年前の光景に戻すには、ここに……もう一人の青年が必要だった。

 

 

 

 

 

 ぼやーっと、藤尭朔也の脳裏に記憶が蘇る。

 今俺何してるんだっけ、と彼は思うも、思考が上手くまとまらない。

 自らの現状を確かめようと彼が記憶を遡れば、懐かしい会話が頭に浮かんで来た。

 

―――俺、ヒゲ生えないんですよね。男らしさが足りないかなあ

 

―――いやいや、生えてたって良いこと無いって。俺はゼファー君が羨ましいよ

 

―――俺はサクヤさんの方が羨ましいです

 

 そこで朔也は、自分が何か思考するたびに光景が変わる、この流れが……『夢』特有のものだと気がつく。

 

(ヤバい、いつの間に寝てた!?)

 

 そして寝てしまったという自覚を得た瞬間に、飛び起きる。

 椅子が揺れ、彼の手の甲が軽くデスクにぶつかった。

 朔也は作戦発令所のデスクでの作業中に、椅子に背を預けて寝てしまっていたようだ。

 頭は冴えているのに、体の節々が痛く、疲労感はほとんど取れていない。

 30分ほど寝てたのかと、背伸びをしながら朔也は時間を確認していた。

 

「やっと起きた?」

 

「! す、すみません、あおいさん! 勤務中に居眠りなんて……!」

 

「いーのよ、あなたはもっと寝た方がいいくらいだわ」

 

 すると、朔也の隣から突如コーヒーカップが差し出され、友里あおいの顔が朔也の視界に入って来る。彼が起きるのを待っていたのだろう。

 朔也は申し訳無さから謝罪するが、あおいの口から出て来たのは彼を責める言葉ではなく、彼を心配する言葉だった。

 

「あなた、ここのところずっと働き過ぎよ?

 津山くんが言ってたわ。手伝おうと言い出したのに、付いて行けなかったって。

 いくらあなたの得意分野な情報整理だからって、元自衛隊の体力で無理って相当じゃない?」

 

「……」

 

「これでも控えめに言うけど、あなた異常に働き過ぎよ。

 真面目なのも取り柄なくせに、仕事中に寝ちゃってるのがその証明。少し、休みなさい」

 

 あおいは自分用の手鏡を取り出し、朔也の顔を映し出す。

 朔也は久しぶりに鏡越しの自分の顔を見て、「酷い顔だ」と素直に思う。

 目の下には濃い隈、顔色は悪くて生気が薄く、瞼は今にも落ちそうで、ヒゲも伸びっぱなしだった。

 

 ふと、先程の夢を思い出して、朔也は思う。

 あの時は、ゼファーに対し「楽でいいな」と羨ましく思った。

 だが今は違う。

 "ヒゲが伸びる"という『人としての当たり前』ですら、彼にはなかったのだ。

 今では朔也には、それが羨ましいものではなく、哀れなものに見えた。

 

 あの時ゼファーは、どんな気持ちを込めて朔也に"羨ましい"と言ったのだろうか。

 

「俺は」

 

 寝起きの頭だからか、疲労漬けの頭だからか、朔也は『休め』というあおいの言葉を――その心配と気遣いを――素直に受け取れない。

 

「俺は、守りたかったんです」

 

 仕事に没頭している間は、辛さを忘れていられた。

 やるべきことをやっている間は、ゼファーに恥じない自分でいられている気がした。

 けれど、それが途切れてしまえば、不安と悲しみが顔を出してしまう。

 

「危険だって分かってたのに、二課に来てから何度も戦場に出たのは……

 ……ただ、死なせたくなかっただけで……

 ……俺は二十数年生きてきて、他に命をかけられるものを知らないって、言えるくらいにッ!」

 

 甲斐名が酒に逃げるタイプなら、朔也は仕事に逃げるタイプであった。

 

「大切だったのにッ!」

 

 だが、大声を出したところで、藤尭朔也は我に返る。

 あおいは真摯な顔で彼を見ていた。

 揺らがず、小馬鹿にもせず、彼の気持ちを受け止めるように、まっすぐ彼の顔を見ていた。

 それが朔也の中から失われていた冷静さを取り戻させる。

 

「……すみません、ちょっと寝てきます。起きたらまた、いつもの俺に戻ってますから……」

 

「はいはい、今のは忘れておくわよ。だからゆっくり休んで、あなたも気にしないように」

 

「……ありがとうございます」

 

 すまなそうな様子で、朔也はふらふらと作戦発令所を出て行った。

 あおいは手に持った二人分のコーヒーを見て、その片方を男らしくぐいっと一気飲みする。

 女性らしい性格、女性らしい容姿、女性らしいライフスタイルでありながら、この女性もまた男に負けないほどの女傑であることが伺える一幕だ。

 

「ふぅ」

 

 朔也がゼファーの話をしたものだから、あおいまでもがゼファーとの想い出を想起してしまう。

 思い返すは、あおいが姉の結婚式にゼファーを連れて行ったあの日のこと。

 

――――

 

「不幸な目にあったことのない、幸せなだけの人間ってそんな居ないんじゃないかしら。

 誰だって傷はあるし、不幸になったことはあるものよ?

 その貴賎なんて、誰にも決められないわ。

 大きい不幸だから乗り越えられないなんてこともない。

 小さい不幸だから大したこと無いなんてこともないわ」

 

「人は誰でも、生きていればいつか幸せになれるのよ。ゼファー君」

 

「幸せになりたいって本音さえ、忘れなければね」

 

――――

 

 あおいは嘘偽りなどなく、あの日心からの本音として、そう言ったのだ。

 心からゼファーの幸せを願っていた。

 異性の友が多いゼファーを見て、"自分より早く結婚するんじゃないか"なんて思ったりもした。

 自分より早く幸せになるんじゃないか、と複雑な嬉しさを混じえながら思案したりもした。

 

「あーあ」

 

 けれど今は、こんな有り様で。

 

「なんだかな」

 

 あおいは独り言を呟きながら、平然ともう片方のコーヒーも一気飲みする。

 当然ながら、彼女が飲んだどちらのコーヒーも、かなり熱かった。

 口の中が痛む。

 喉の奥が痛む。

 それでも、胸の痛みよりかは痛くない気がして……あおいは、複雑な感情を顔に浮かべて、頭を掻くのであった。

 

 

 

 

 

 ある日ある時、調は廊下を歩いていると、セレナに呼び止められた。

 ゼファーの見舞いくらいしか日課がない調に断る理由もなく、調はセレナの部屋に招かれる。

 ゼファーの遺言が伝えられたこと、この一ヶ月で怪しい人間でないことが確認されたことで、元ブランクイーゼルの彼女らもそれなりに自由に動けるようになっていた。

 

 調はセレナの部屋に呼び出され、覚悟を決めていた。

 他の誰がなんと言おうと、調はこう思っている。

 "ゼファーがああなったのは、自分のせいだ"と。

 調が焦りから迂闊な行動をしてしまったせいで、あの状況は作られてしまった。

 彼女はゼファーがああなったことは、全部自分が悪いと思い込んでいるのだ。

 

 それゆえに、調はセレナに責められると思っていた。

 自分はゼファーを大切に思っていた人達に、責められるべきだと思っていた。

 けれど二課では、誰も調を責めはしなかった。ウェルが悪いと結論付けていた。

 それが、少し心苦しくて……セレナに呼び出された時、調はとうとう来たかと覚悟を決める。

 

 なのだが、セレナは、調が予想していた言葉を一つも吐かなかった。

 

「マムも、Dr.ウェルも、多分気付いてないと思うんだ」

 

「え? 何の話、セレナ?」

 

「二課の人もね。日本の偉い人も、米国の偉い人も、きっと気付いてない」

 

「セレナ、話が見えないよ……?」

 

 セレナはいつもの、慈しみと柔らかさをたたえた笑みで、あっけらかんと言う。

 

「ね、調ちゃん。私、あなたの中の人とお話がしたいな」

 

「―――」

 

 運命にレールというものがあるのなら、それに一番従順でないのは、彼女なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 二課本部に緊急招集をかけられた響の手を、未来はぐっと掴んで止める。

 

「未来、離して」

 

「嫌」

 

 ここは、リディアン寮の彼女らの部屋。

 響は呼び出され、戦場に立つために足を踏み出していた。

 されど未来は、響を戦場に立たせないためにその手を掴んで止めていた。

 

「響まで……響まで居なくなっちゃうのは、嫌……!」

 

 未来はゼファーのことがトラウマになり、この一ヶ月でそれが増大し、響を戦場に立たせたくない気持ちでいっぱいになっていた。

 対し響は、この最近でどう気持ちに整理をつけたのか、戦場に立つことに迷いも無いようだ。

 

「未来。私が守りたいものを……ゼっくんが守りたいと思ったものも、私は守りたいんだ」

 

「だけど!」

 

 未来の瞼の裏に焼き付いている、ゼファーの末路の姿。

 響が戦場に出ようとするたびに、未来は思ってしまうのだ。

 立花響もああなってしまうのではないか、そうでなくても死んでしまうのではないか、と。

 

「未来、聞いて」

 

「嫌、聞きたくない!」

 

「ゼっくんは、必ず戻って来る」

 

「……え?」

 

 だが、そんな未来に、響は確信を込めた言葉をぶつける。

 

「あの時、ゼっくんはこう言ってたんだ」

 

――――

 

「今、俺から響に流れる感情のラインを断ち切った。

 もう俺が感情で暴走する可能性も無いだろうしな。

 響の体内のエネルギー調整は引き続きやるから、戦闘力は下がらない。安心しろ」

 

「必要がなくなったから、じゃダメか?

 それに今回の微調整で、俺がいつ死んでも響の体内から聖遺物を分離しやすいように……」

 

――――

 

 そうだ、ゼファーは響にちゃんと言っていたのだ。

 自分が死んだなら、響の体内のアガートラームに変化が生じると。

 しかし、響の体内のアガートラームに変化はない。

 それを知った響だからこそ、言えることがある。

 

「ゼっくんはまだ死んでいない。

 もしも仮にあの状態から絶対に元に戻れないなら、ゼっくんは後腐れない状態にするはず」

 

「……!」

 

 ゼファーが本当の意味で死ぬにしろ、事実上の死を迎えるにしろ、そうなったならばゼファーは響の体内をどうにかしてから逝くはずだ。少なくとも、響はそう信じている。

 ならば、響の体内のアガートラームが不変であることこそが、ゼファーが復活する可能性の証明となる。

 それは本当に小さな可能性であるが……立花響にとっては、信じるに足る可能性だった。

 

「未来。私の中のアガートラームが、まだ言ってる気がするんだ」

 

 彼女は、まだ。

 

「『諦めるな』、って」

 

 諦めていない。

 

「ひび、き……」

 

「だからもう少しだけ、私に頑張らせて。

 ゼっくんが守りたかったものを、ゼっくんが休んでる間に、壊させたくないんだ」

 

 一ヶ月以上が経った。

 だが今に至っても、二課には明確に希望を抱いて立つ少女が三人、存在する。

 ガングニールの、天羽奏。

 アガートラームの、セレナ・カデンツァヴナ・イヴ。

 そしてガングニールとアガートラームの、立花響。

 三者それぞれが、何らかの形で"ゼファーの心の血"を受け継いだ者達だった。

 

 少女の脈動する心臓の中には、希望という名の血が流れている。

 

「行ってきます! 必ず帰って来るから!」

 

「―――あ」

 

 響は部屋を飛び出して行き、未来がその背中に手を伸ばすも、閉じた扉に阻まれる。

 扉に向かって伸ばされたままの手が、次第に重力に負けて落ちる。

 誰も居なくなった部屋で、未来は一人、寂しさと悲しみに飲み込まれていた。

 

「響……」

 

 呼びかけても、誰も応えない。応えてくれない。

 声は虚しく部屋に響くだけ。

 友達に無事で居て欲しいというちっぽけな願いですら、この世界では叶わない。

 

「……ゼっくん……!」

 

 誰も見ていない部屋の片隅で、未来は一人、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「切歌君は? ……そうか、ゼファーと一緒か。それならいい。至急呼び戻してくれ」

 

「全員揃っていないが、緊急事態だ。すぐ始めよう。

 まず、二課司令として君達に警告を送りたい。

 これから始まる(いくさ)は、かつて無いものになるだろう」

 

「ブランクイーゼルからの挑戦状だ。

 彼らの要求は、ブランクイーゼルへの降伏と、全面的な服従」

 

「日本政府は既に、この要求を突っぱねることを決定した」

 

「要求を跳ね除けられたブランクイーゼルは、大規模戦力を動員しての侵攻を開始した」

 

「……富士山頂で繁殖したネフィル達。そして、ネフィリムの本体。

 他にもゴーレムなどが確認されている。奴らは、東京を更地にするつもりだ」

 

「避難警報は出されているが、焼け石に水だろう。

 奴らは東京の周囲も、東京のシェルターも、纏めて破壊すると通告して来ている」

 

「聖遺物を使うブランクイーゼルの反抗勢力が日本にあるということは公然の秘密だ。

 おそらくは、俺達が最後の見せしめとなるだろう。

 俺達が負けた時点で、ブランクイーゼルの世界征服は完了する。多大な死と引き換えに、な」

 

「この戦い、俺達が負けるわけにはいかない!」

 

「俺達が負ければ、1000万人が見せしめに殺されると思え!」

 

「セトがどうした! ルシファアがどうした! ネフィリムがどうした!

 それが俺達が負けていい理由になるか!? 無辜の人々が殺されていい理由になるか!?」

 

「いいや、なりはしない!」

 

「特異災害対策機動部二課司令、俺からの命令はたった一つ!」

 

「必ず勝て! そして、守るんだ!」

 

 

 

 

 

 心の傷で、戦えなくなった装者が居るというこの状況。

 ルシファアとセトを含む五体のゴーレム、ネフィリム・ディザスターとネフィルの軍団。

 魔剣ルシエドを持つジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス。

 勝てるわけがない。

 勝たなければならない。

 勝たなければ、1000万人以上の人々が死ぬ。

 

 ゼファーが戦線離脱してから、一ヶ月と少しが経った12月。

 

 そんな戦いが―――始まろうとしていた。

 

 

 




ぼちぼち終盤戦が見えてきました。この作品の完結まで、あと十話もないかな……

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