戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
切歌は自室で、他の何も見えなくなるくらいに脇目もふらず文を書いていた。
勉強が好きでない彼女の字は汚く、ところどころ綴りも間違えている。
それでも切歌なりの精一杯が、そこにはあった。
「できたっ!」
「遺書は書き終わりましたか?」
「!」
『遺書』を書き終えた切歌は、この部屋に自分一人しか居ないと思っていたために、背後からかかった声に驚く。
そこには、彼女の部屋に勝手に入ったウェルが居た。
切歌は握っていた鉛筆をウェルに投げるが、その動きを読んでいたウェルはひょいと避ける。
「乙女の部屋に無断で黙って入ってくるとか、いつもながら自然に屑デスね」
「おお、怖い怖い。何故遺書を?」
「……この先、自分が確実に生きていられると考えてる方がおかしいデス」
切歌はこれから先も、二課のシンフォギア装者と戦うことになるだろう。
最終的には、ロードブレイザーと戦う運命も待っている。
……ウェルを激情のままに殴ったということは、決断と選択次第で、ゴーレムと戦わなければならないかもしれないということでもある。
ウェルと敵対する可能性があるということは、そういうことだ。
「死ぬ覚悟はまあ良いとしましょう。殺す覚悟はあるので?」
ウェルはマリアを思い出しながら、切歌に殺し殺される戦場で必要な"もう一つの覚悟"を問う。
「調は弱い人達が生きられる可能性を残すため、マリアのためと言っていた。
マリアは世界のため、正しく優しいものを残すため悪を成すと言っていた。
マムはやらなければならないことを誰かがやらなければと言っていた。
皆、やりたくもないことをやろうとしてるデス。
だったら私は、何をすることも躊躇わない。何かを守ろうとする皆を、私が守るデス」
だが、自分が死ぬ覚悟も、自分が殺す覚悟も、切歌はとうの昔に決めている。
「守るためなら、誰だろうと殺してみせるデス。
あたしの友達がみんな、少しでも望ましい未来を掴めるように」
"大切なもののために切り捨てる覚悟"という一点で、暁切歌は、マリアや調の上を行っていた。
(最後にはゼファーも分かってくれるはず。……それは、甘えなのかもしれないけれど)
けれど、そこに罪悪感や迷いを感じないわけもない。
切歌は「ゼファーが犠牲を受け入れられるはずもない」と思いつつ、「最後にはゼファーも分かってくれるはず」と思っており、彼の寛容さに少し甘えている自分も自覚している。
それでも、まだ切歌は、友と平和な未来を生きていくことを諦めていないのだ。
「『誰だろうと殺してみせる』、言質もらいましたよ」
そんな切歌を見て、安心したようにウェルは笑う。
「いっつもそうやって素直に本音を喋ってくれると楽なんですがねえ。
子供に『正直に言え』と言うのは親の役目と言いますが、あなたは余り聞いていないようで」
「はっ」
大人に反抗的な切歌を揶揄するようなウェルの嫌味に、切歌は心底小馬鹿にするような笑いで、反吐を吐くように言葉を返す。
「大人の『正直に言え』って、『自分達大人に都合のいい事を言え』の変形じゃないデスか」
「ほう?」
「大抵の場合、それは"子供の将来"のためじゃなくって、"大人の都合"のためデス」
ブランクイーゼルの子供の中には、潜在的に『大人への嫌悪』がある。
それは切歌も例外ではなく、彼女のそれは調やマリアのそれと比べても遥かに大きい。
「いいやつってのは、どんな変なことを子供が言っても『信じる』って返すんデスよ。
『信じられないから本当のことを言え』でなく、『君を信じる』って言うんデス。
そいつがヒーローの証。信じられる奴の資格。あんたが絶対、なれない奴のことデス」
「これは手厳しい」
切歌がウェルを嫌うなら、ウェルは切歌を
「でもね、僕は思うんですよ。
そうやって英雄に『信じる』と言われるだけだった子供は……
大人に疑われる事も裏切られる事もなかった奴は、一生子供のままなんじゃないかってね」
第三十七話:青年は友に背中を刺され
求められれば応えてみせる。
願われたなら叶えてみせる。
祈られたなら駆けてみせる。
それがゼファー・ウィンチェスターだ。
彼はその時、肉体と精神が一緒くたに崩壊しかけていた。
ナイトブレイザーの変身、それにより生まれる負荷が、ズタボロだった彼の肉体と精神へのトドメになってしまっていたのである。
内的宇宙の騎士鎧に"ひっくり返す"過程に、肉体が耐えられない。
ナイトブレイザーに変身する精神的行為を、精神が行えない。
魂のみで変身を行えるのならば、以前フィーネがやっていたような電気首輪での変身妨害など、できるはずもないのだ。
肉体を持ち堪えさせていた意志も途切れた。
後は数分をかけて、呆然とするクリスの前で、水をかけられた砂の城のように崩れていくのみ。
そんな運命だけが待っていた。
クリスが絶望し、続いて多くの人間が絶望し、世界が存続する可能性が絶えてしまう。
そんな未来だけが待っていた。
"だからこそ"、ゼファーは奇跡を起こしてみせる。
今は目の前のクリスのために、他人のために、彼は奇跡の持ち直しを見せた。
彼はナイトブレイザーへの変身で始まった己の崩壊を、そこでなんとか食い止める。
『相棒を泣かせない』ためだけに、ゼファーは自らの命を繋いでみせた。
「……なーんてな。いやいやいや、冗談の演技にビビりすぎだろ、クリス」
「―――テメコラ歯ぁ食いしばれ死ねくたばれ最低クソ野郎ぉぉぉぉぉぉッ!!!」
そのせいでクリスにはしこたま殴られたが、乙女を泣かせかけた報い、ということで彼は内心自分を納得させた。
この程度のパンチなら、命が削れることもあるまい。
クリスに謝り倒しながら逃げるゼファーと、そのゼファーにギャーギャー怒りながら追い回すクリスを見て、二課の人間の多くは、ゼファーがなんともないことを認識して安心する。
そして響や弦十郎を初めとする一部の人間は、表情に影を落としていた。
結局のところ、持ち堪えただけで何の解決にもなっていない。
肉体と精神の崩壊は進行し、完全に崩壊し切る前に踏み留まっただけ。
彼は今日に至ってもしぶとかったが、言ってしまえばしぶといだけだった。
彼を根本的に救うために、影で動いている者こそが、彼を救う可能性を持っていた。
今のゼファーに視覚はなく、聴覚はなく、触覚も嗅覚も味覚もない。
けれどもARMを感覚器官として、彼は平時の自分を演じていた。
何も知らない仲間には、そんな彼がとても頼りがいがあるように見える。
真実を知る仲間すら、「ゼファーが死にかけているだなんて、勘違いなんじゃないか?」と時折思ってしまっている。けれど彼らはその上で、不安そうにゼファーから目を離せないでいた。
ゼファーの命は、既にゴールの無い綱渡り。
いつ落ちるかも分からない、いつ落ちてもおかしくない、それでいて休憩も許されない。
彼が"疲れた"と思えばその瞬間、終わりを迎える、そんな綱渡りだ。
だがそんな綱渡りに、唐突に『休憩の権利』が降って湧いて来る。
「サクヤさん、あの、話が見えないんですが」
「そうだな、順を追って説明しようか」
その日その時、ゼファーは藤尭と共に会議室の一室に居た。
盗聴なども含むデータ通信の一切ができない、機密性が非常に高い一室だ。
藤尭にそんな場所に連れて来られ、概要だけ話されて、ゼファーは真剣な表情を浮かべる。
「先日、二課傘下の研究施設に不審なメールが来たんだ。
ヤントラ・サルヴァスパの件もある。
ゼファー君のシステム対策も全施設に行われてるわけじゃないし、即座に調査が行われた」
ブランクイーゼルが保有するヤントラ・サルヴァスパは、あらゆる電子機器に対し絶対的な優位性を誇る。
その応用でウイルスを作られ感染なんてされた日には、最悪一瞬にしてお陀仏だ。
その不審なメールが来た瞬間、それを見た研究者は反射的にPCの電源をコンセントから引っこ抜き、PCごと二課に運び込むという英断をしてくれたらしい。
そして厳重に監視しつつネット回線を断ったまま、そのメールの分析が始まったとのこと。
「で、俺もその調査に加わったんだが……
最終的に、聖遺物研究班まで加わっての大騒ぎになったんだ」
「! 穏やかな話じゃなさそうですね」
藤尭朔也ほどの人間にここまで言わせ、専門分野外の聖遺物研究班まで引っ張って来る事態になったとすれば、それこそ本当にただごとではない。
朔也が少し興奮気味な理由は、おそらくはそのメールにある。
「解析は俺がやってみたけど、解析そのものはそう難しくなかった。
例えば、『KnightBlazerfdp.exe』ってデータがあったとしよう。
最初に当たったのは、暗号化と単純な拡張子の偽造だった。
このデータはちょっとした仕込みがあって、"fdp.exe"の部分がひっくり返るようになってる」
「!」
朔也は手元のノートパソコンで、適当に手元にあったプログラムをいじる。
「ほら、アイコンはPDFのそれだけど……
ファイルを実行しないで詳細調べてみると、アプリケーションってなってるだろう?」
「あ、本当ですね」
「今回来たのはこれを応用した、テキストファイルに偽装した画像データだ。
色々手が込んでるよこれ。この手の偽装への対策に引っかからないようにしてあるし」
例えば、エシュロン・システムという、某国で運用されていると言われている、通信監視システムがある。
これは通信網を片っ端から傍受し、テロリズムによく使うような単語をオートで検知し、その単語を頻繁に使っている者を特定し犯罪を事前に防ぐというものだ。
ブランクイーゼルもまた、これを使っていると推測されている。
ただし彼らが使っているのは、現代の技術で作られたエシュロンではなく、先史の時代に作られたヤントラ・サルヴァスパだ。
画像データも、テキストデータも、ブランクイーゼルの情報を漏らすようなものが二課に流れそうになったならば、二課に辿り着く前にどこかの回線でブランクイーゼルに消されていただろう。
だと、いうのに。
「このデータ、俺はブランクイーゼルからゼファー君宛てのものだと思う」
「!?」
藤尭朔也は、そんなことを言い出した。
「まず、このテキストファイルに偽造した画像データ。これを開くと……」
「うわっ……なんだか、色んな色がごちゃまぜになってますね」
「これを見せてもらった時、俺は『カラーコードだな』って思ったんだ」
「カラーコード?」
「16進法で色を表記する文字列のことさ。
これは黒だから000000。これはミッドナイトブルーだから191970。
こうしてピクセルごとに数字に換え、不自然に0と1しかない頭の数字を並べていくと……」
朔也が手製のプログラムを走らせれば、様々な色がごちゃごちゃとしていた画像データが、整理されて一つのデータを形作る。
そこには、一つの方程式と、一つのメッセージが記されていた。
「この方程式は、研究班の人達にも見てもらって太鼓判を押してもらった。
『アガートラームのLiNKERの作り方』で、間違いはないってさ」
「―――!」
「LiNKERは"人と聖遺物を繋ぐ薬"だ。
当然、『ゼファー』と『アガートラーム』の融合体も繋ぎ留めてくれる!
崩れそうな君の存在をLiNKERが繋ぎ留めてくれれば、君の余命はかなり伸びるはずだ!」
方程式は、
この薬があれば、ゼファーの命は首の皮一枚で繋がる。
先日ゼファーが捕まった時に取られたデータを研究し、世界でも最先端の技術力を持ったブランクイーゼルの研究者達が頭を捻って、ゼファーの命を救う可能性を完成させてくれたのだ。
彼の脳裏に、ナスターシャやカルティケヤ達の姿が浮かぶ。
「……本当に、誰かが努力を欠かしていたら、どこかで足りなくなっていたと思う。
二課の研究者に、特殊なLiNKERの製法を知らされてそれを作る技術は少し前まで無かった。
でもゼファー君を生かすための研究をしていたおかげで、今はあるんだ!
ブランクイーゼルも、二課も頑張ったから繋がった!
やばいな、俺ちょっと興奮しすぎてるかもしれない……!
この短期にこれだけの物が作れたなら、この薬で伸びた余命の内に、君の命はきっと助かる!」
「ちょ、ちょ、落ち着いて下さい、サクヤさん」
「う、す、すまない」
人の叡智が、英雄にも起こせないような奇跡を起こした証明が、ここにある。
朔也が興奮するのも無理からぬことだ。
ゼファーも朔也と比べれば平然としているが、その表情には隠し切れない嬉しさがにじみ出ていた。
「……そっか、俺……助かるのか……また、助けてもらえるのか……」
「そうだとも! 人を助けてきた君が、助けてもらえないなんてことがあるわけないんだ!」
しみじみと喜びを口にするゼファーの肩を叩きながら、朔也も随分と嬉しそうだ。
彼も今日まで、ずっと気を揉んでいたことだろう。
朔也にとってゼファーとは、自分が二課に入るきっかけとなった出来事で出会った青年であり、弟のようにも友人のようにも思っている、そんな大切な仲間である。
ゼファーの命が助かったことを、朔也は自分の命が助かったこと以上に喜んでいた。
「で、これを送って来た人なんだけど……」
朔也はゼファーとこの奇跡を一通り喜んだ後、メッセージの方をゼファーに見せる。
この"彼の命を救う手段"を送ってきた誰かが誰であるか、朔也にはまるで見当がつかなかった。
けれど、ゼファーから見れば一目瞭然だった。
私達の総意をお届けします。
我々が結果的に騙し討ちのようなことをしてしまったせいで、あなた方への申し訳無さと手は組めないだろうという意識の蔓延で、普通の手段ではこれを渡せないと考え、私の独断でこの希望を彼の人に届けたいと思います。
これを理解できた聡明な方。
我が友ゼファーに、これを届けて下さい。
今のブランクイーゼルでは、これをそちらに届けることは、僅かに危険を伴ってしまうため、こんな遠回りな届け方をしなければならないのです。
皆望んでいることは同じはず。
けれど、目指すものが僅かに違うため、争わなくてはならない。それは悲しいことです。
ですがそれは避けられず、私達の中にも、私のこの行動を背信と裏切りであると思う人も、ブランクイーゼルには居るのです。
願わくば。
できる限り多くの人の命が、未来に残ればと、私は考えています。
その中に私の友の命を含めたいというわがままを、これを読んでいるあなたには、どうか理解していただきたいのです。
この希望が、ゼファー・ウィンチェスターの命を救うと、私は信じています。
『わたし』から、親愛なる『星の王子さま』へ
メッセージを読み終えて、ゼファーは天を仰ぎ見る。
そこには天上しかないが、もしも綺麗な蒼穹がそこにあったなら、ゼファーは泣いていたかもしれない。
その文面に、彼は友情を感じた。
味方を裏切り、裏切者と罵られる覚悟で、自分に救いをくれた友の友情を感じた。
危険を犯して手を差し伸べてくれた友の暖かな想いを、そこに感じた。
「ゼファー君、これ誰が送って来てくれたのか見当がつくかい?」
「……ええ」
どうしようもなく詰み始めた日々の中、彼に起死回生の可能性を最初にくれたのは、今は顔も見えないくらい遠くに居る、一人の少女だった。
「友達です。俺が、初めて―――ああいや、これは関係ないことでした」
「む? そういうこと言われると気になるな」
「若気の至りで恥ずかしい想い出なんですよ、流して下さい」
「20にもなってない君が若気の至りって言うのはどうなんだい?」
「……あはは……ま、まあとにかく。ゲンさん呼んで、今後のこと話しましょう!」
「ま、今日はめでたい日になりそうだし、それで誤魔化されてあげよう。
いやでも、本当に良かった! これで当面君が死ぬ心配もなさそうだしさ!」
朔也はいい笑顔で走り去っていく。
今日ばかりは、廊下を走るなと注意するのも無粋に思える。
ゼファーは朔也を注意することなく、その場で椅子に腰を下ろして、少しだけ肩の力を抜いた。
「うん」
まだ何も終わってはいないが、何か終わりが見えてきた。
そんな気がしたのだ。
「本当によかった」
彼の直感が、彼が至るであろう一つのゴールの存在を、教えてくれているような感触があった。
体が軽い。
足がいつもよりも早く動く気がする。
そんな生き心地のいい感覚に、調は包まれていた。
『うーん、悪くない手だったとは思うけど、いまいち手応えが悪いわね』
(手応え?)
『感覚的なあれよ。
こう、ゲオルギウスを煽って竜を狩らせたけど、その後予想外の方向に行ったみたいな?』
(その例え、全然分かんない)
頭の中で、調の思考と調のものではない声が言葉を交わす。
『でもこれで、なんとか急場をしのげたことは事実よ。
先史の時代にはこういった聖遺物との相性を根本的に改良する薬は無かったからね……
この時代、この星の上に生きる人類の技術は、一部だけなら先史のそれに追いつき始めている』
(それは喜ばしいこと?)
『喜ばしいことよ。もうロードブレイザーの復活まで、一年もないのだから』
調は顔に出さない上機嫌を抱えたまま、これから先のことを考える。
(マムは何を考えてるんだろう?)
『さあ? 予想はいくらかできるけど、予測を絞り込むのは難しいわね。
一つだけ言えることは……月読調。あなた、フットワークを軽くしておいた方がいいわよ』
(え?)
『あなたが一番"状況の調整"が利くもの。
時に蝙蝠のように陣営を変え、時に毒婦のように引っ掻き回してみなさい』
(……毒婦はちょっと)
『なら娼婦でもいいわよ。貂蝉のように上手くやりなさい』
(娼婦もちょっと)
『まあ送付しただけであなたは十分お仕事したかもしれないわね』
(……)
毒婦娼婦送付と言葉遊びでからかわれていることに気付き、調は出来る限り何も考えないようにして、頭の中に響く女性の声に無視を決め込む。
『あら、なんだか廊下に人気が無いわね』
更に無視する。
『……調ちゃん、ねえ、何か―――』
この時調が声を無視していなければ、何かが変わっていただろうか?
声の主がもう少しだけ早く気付いていたなら、何かが変わっていただろうか?
瞬時に理屈抜きでギアを纏っていたなら、何かが変わっていただろうか?
いいや、何も変わらなかった可能性の方がはるかに高かっただろう。
"それ"は、シンフォギアや並みの完全聖遺物と比べてなお、次元の違うものであったから。
「ッ!?」
ぐらり、と調が床に突っ伏すように倒れる。
体が動かず、思考は明瞭としないものの、意識ははっきりと残っている。
不可思議な体の不調に目を見開きつつも、調はその不調が"何故起こっているのか"を正確に理解できていた。
"こうしたい"という精神から肉体へと向けられる要求、言い換えるなら"肉体をこう動かしたい"という精神の欲望が、肉体の方に伝わっていない。
『これは……まさか、あの剣の!?』
(……しまった、油断してた……いや、甘く見てたんだ。
私の失態。やっちゃった……最初から、全部バレてて、その上で……)
調の頭の中で、逃げろと女性の声が響いていた。
けれども調の体は動いてくれはくれず、コツ、コツと、どこからか足音が近付いて来る。
調には、それが処刑人の足音のように聞こえた。
「さて、どうしましょうか? 人知れず、我々を裏切っていた卑怯者はどうしたものか」
Dr.ウェル、と調は忌々しげに言おうとするが、彼女の口はそれだけの短い言葉すら紡いではくれない。
「裏切りには死を、か。
それとも、死よりもはるかに辛い―――」
ジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクスはそうして、次の幕に使う駒を手に入れた。
ほどなくして、二課に挑戦状か、果たし状か、脅迫状かも分からないものが届いた。
ゼファーがアガートラームのLiNKERの服用を始め、なんとかその肉体と精神の崩壊を食い止められるようになってきた矢先に、その平和をぶち壊すように。
「『月読調を殺されたくなければ指定した時間と場所に一人来てくださいますよう』……?
ウェル博士からゼファーへってことになってるが、なんじゃこりゃ? どういうこった」
その手紙の内容を見て、クリスが意味不明と言わんばかりに手紙を投げ捨てる。
二課の多くの人間にとって、この手紙は意味が分からないだろう。
何せブランクイーゼルの人間が仲間を人質に取り、敵対組織であるはずの特異災害対策機動部二課に脅迫状を送りつけてきた、という意味の分からないことになっているからだ。
だが、この意味が分かる者も居る。
二課のごく一部の人間、ゼファーを救うために調がブランクイーゼルの内部情報を流すという背信行為を行ってしまった、ということを知る者達だ。
ブランクイーゼルは、悪辣に動こうとするならば、"ゼファーを救える手段"を交渉材料として使って二課を無力化することだってできた。
調の背信は、そういう意味でブランクイーゼルの手札を一つ潰してしまったのだ。
ただ、ゼファーを一刻も早く救うためだけに。
それを理由に調が人質に取られているのなら、この行為には意味がある。
この流れで調が人質に取られたなら、ゼファーが動かないわけがない。
彼が見捨てられるわけがない。
月読調の友である彼は、罠であると分かっていながらも、調の救出に向かうだろう。
組織と組織が敵対していても、調に生きて欲しいと願う彼の気持ちに、陰りはない。
「行きます。ゲンさん、出撃の許可を」
「駄目だ」
「え」
「罠と分かって一人で行かせるバカが居るか。お前……今度こそ死ぬぞ」
だが、弦十郎からすれば行かせられるわけがない。
彼はゼファーが倒れた理由にも見当がついていたし、アガートラームのLiNKERという奇跡の一手で持ち直したゼファーの容体が安定するまで、彼を戦場に立たせる気はなかった。
まして、かのDr.ウェルが『一人で来い』と言っている場所になど、送り出せるわけがない。
それはゼファーを断頭台に送り出すのと何も変わらないからだ。
「俺は死にません」
「そいつは覚悟であって、確証のある事実じゃないだろうよ、ゼファー」
弦十郎は、今ゼファーが一人で出て行くことは何が何でも許さない。
だがゼファーもまた、ここで行かないなんて選択肢はハナから持っていなかった。
ゼファーが弦十郎に背を向け、出て行こうとする。
弦十郎が立ち上がり、腕尽くでもゼファーを止めようとする。
だがゼファーを止めたのは弦十郎ではなく、クリスや翼でもなく、響だった。
「だ……ダメッ!」
目を丸くするゼファーの手を掴み、響は何が何でも離さないという意思表示をする。
彼女の胸中は、如何ばかりか。
あの日ヘリの中でゼファーが倒れた時から、響は心の中で"彼の死"を恐れ、それが近々起こりかねないと身に沁みて実感している。
ここで送り出してしまえば、ゼファーは生きて帰って来ない。
立花響は、そう思ったのだ。
「……ヒビキ」
「行かせないから! 絶対に、絶対ッ!」
力で止められたわけでもなく、"敵対組織の人間を助けるのに命をかける必要はない"といった理屈で止められたわけでもなく、彼は響の心に止められた。
だからか、驚くほどゼファーは反抗も少なく、二課の彼の部屋に閉じ込められる。
部屋は外から鍵をかけられ、監視カメラで見張られていた。
ゼファーが脱走しようとすれば、すぐに分かるだろう。
「……」
ゼファーは目を閉じ、ベッドに横になり、体力を蓄えつつ時が流れるのを待つ。
「……」
仲間が心配してくれていることも分かっている。
自分の体が危険域にあることも分かっている。
……だが、それでも。
それを理由に調を見捨てることなど、彼にできようはずもなかった。
「……そろそろかな」
ゼファーはそっと、壁を叩く。
すると彼の手から放たれた聖遺物のエネルギーが壁を伝い、監視カメラに流れ込む。
一瞬にして、アガートラームの一機能としてのハッキングは完了した。
これで監視カメラは以後ずっと、ベッドで横になるゼファーの姿をループさせて映し、これから脱出するゼファーの姿を映すことはないだろう。
「すまない」
ゼファーは腕にネガティブフレアを構築し、脱出を開始する。
「俺の我儘を、通させてくれ」
目指すは東経135.72度、北緯21.37度の海上地点。
囚われた調と、ゼファーを呼び寄せるウェル博士が待ち受ける地点だ。
そういえば……と、脱出しながらゼファーは思い出す。
「シラベが繋いでくれた命だ。他の誰でもない俺が、あいつを見捨てるわけにはいかない」
あの時も、自分は調を守ろうと思って『変わった』のだと、懐かしい記憶が蘇る。
少しだけ、ほんの少しだけ、想い出が不安を和らげてくれていた。
ゼファーの変身能力は、いまだ戻って来てはいない。
ゼファーは二課を脱出し、船を調達して目的地へと向かう。
目指すは指定された場所である、東経135.72度、北緯21.37度の海上地点だ。
パラオ海嶺や沖大東海嶺付近の、沖ノ鳥島より少し北くらいの位置だ。
ギリギリ日本の領海の内側で、ギリギリ日本の外側ではない、そんな位置。
(こんなとこに呼び出して何……を!?)
ゼファーはそこに、巨大な人口の陸地を発見した。
(なんだこれは……!?
いくらなんでも、これだけデカいものが領海に入って来て誰も気付かないわけがない!
メガフロートどころか、人工島と言っていいレベルの大きさがあるぞ!?
こんなもの移動させていたら絶対に誰かが気付く……なら……ここで、作った……いや……)
ゼファーは脳内で推測に推測を重ね、船から人口の島へと降り立った。
人口の陸地はしっかりとしていて、聖遺物を使った戦闘を行ってもそうそう沈まないだろう。
だがその頑丈さが、逆に不安感を煽っていた。
まだ海に揺られて少し揺れているくらいの方が、自然さを彼に感じさせ気を楽にさせてくれていたかもしれない。
(―――!)
そして、ゼファーはウェルと、彼に捕まっている調を見つける。
調はゼファーを見て、彼に逃げてと声を上げようとするが、彼女の喉は動かない。
ウェルはゼファーと少し話でもしたいのか、ゼファーを見つけた途端口を開こうとする。
そしてゼファーは、自分に話しかけようとしているウェルに即座に攻撃を仕掛けた。
(問答無用)
先手必勝、問答無用、一撃決着。
それだけを胸に秘め、ゼファーは無言かつ容赦なく、自分に話しかけようとしているウェルの太腿に向けて、銃の形にした手からガンブレイズの弾丸を放った。
ガンブレイズの弾丸速度は、通常の銃弾の比ではない。
加え、ゼファーの制御下にあるネガティブフレアは人をそうそう死に至らしめない。
彼はウェル博士の太腿の肉体・精神・魂を同時に、かつ一部分だけ焼却し、そのダメージでウェルを一瞬にして気絶させようとしていた。
変身できない、ゼファーなりの工夫である。
ゼファー以外の誰もが予想していなかった、問答すらしない開幕の一撃。
ウェルはその一撃に反応することすらできぬまま、ネガティブフレアが命中し――
「わっ、っと、怖い怖い」
――ネガティブフレアを圧縮した弾丸、ガンブレイズが弾かれる。
「……え」
彼が驚愕に目を見開き、目を凝らせば、ウェルの周囲に不可視の防御フィールドが見えた。
そしてウェル博士の背後に浮遊し、その防御フィールドを構築している、単独で浮遊する『剣』も見える。
『剣』は銀、紫、黒の三色で構成される、美しさと邪悪さを感じる剣だった。
それでいて神聖さも、醜悪さも感じられそうな気がしてくる、そんな不思議な造形をしていた。
ゼファーは、『その剣』の名をよく知っていた。
「そ、その、剣は……!」
「以前からちょくちょく使っていましたが、こうして使ってみせたのは初めてでしたね」
ウェルがその剣を手にすると、剣が咆哮するかのように力を放つ。
剣は人に手にされて、初めてその力の全てを発揮するものだ。
すなわち、ゼファーのガンブレイズを弾いた時も、この剣はその全ての力を発していなかったということになる。
ウェルが素人臭くその剣を振るえば、剣は"ウェルの手で学習させられた"力を励起させる。
すると剣より、神獣鏡の光と同じ聖遺物殺しの光が放たれた。
km単位の範囲をすっぽり包み込む凶祓いの光は分厚く、その発動範囲も、その光の密度も、まだ入院中な未来が命がけで発していた光と比べてすら、桁違いの次元にあった。
この光がこの戦場を包んでいる限り、助けは期待するべきではない。
「……ああ、なるほど……納得です。
この時代にも、先史の時代にも、あなたほど大きな『欲望』を抱えた人は居ませんでした」
「おや、君にそういう太鼓判を押されるとは夢にも思っていませんでしたよ」
ウェル博士が手にした剣が作った、人口の島。
剣は聖遺物殺しの光のドームを作り、その島の全てを包み込む。
調は力なく倒れたまま、ただ見ていることしかできない。
ゼファーは自分が最高のコンディションであっても勝てない『剣』を前にして、一歩後ずさる。
そしてウェルは愉快そうに笑って、最後の役者を招き寄せた。
「さて、行ってらっしゃい、暁切歌さん。
分かってると思いますが、下手な真似をしたらその瞬間あなたの親友の頭は爆発しますよ?
この剣、そういうこともできますから。
あなたもあなたの親友も助かる未来が欲しいなら、ゼファー君を殺せばいい。簡単でしょう?」
「―――」
青ざめた顔で鎌を構える、そんな切歌が現れる。
ゼファーは全てを理解した。
ここで、ウェルが何をさせたいのかも。
ここで、ウェルが何を見たいのかも。
そしてその未来が、どれだけ揺るがし難いものであるのかも。
「あ、ゼファー君も余計なことはしないように。
月読調の頭の中には、僕がこの剣で起動できる爆弾を入れてますのでー」
ここは、彼の処刑場。
「イガリマの絶唱特性は『魂の両断』。
あらゆる防御を無視して対象の魂を両断する……
うーん、羨ましい。僕も欲しいくらいですねえ。実に素晴らしい攻撃的な特性だ」
調は、物理的に動けない。
ゼファーは、調と切歌のために動けない。
そして切歌は、泣きそうな顔で鎌を構える。
「さあ、さあ、さあ! 暁切歌さん!
彼の友として、立花響の後に、小日向未来の後に続いてくださいな!」
ウェルが作り上げたこの状況は、最悪なまでに悪辣で。
「殺す覚悟はあるんでしょう!? さあ、早く!」
誰か一人が死ぬまでは、この状況は絶対に変わらない。
そういう風に、作られていた。
"星の王子さま"は、大人に嫌な想いを抱く主人公と小さな花を大切にする王子様が出会い、主人公の見えている世界が変わるものの、主人公の目の前で王子様が蛇に噛み殺される話です